イリス ~罪火に朽ちる花と虹~   作:あんだるしあ(活動終了)

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Interview8 蝕の精霊 Ⅰ
「人間も精霊どもの玩具じゃない」


 ルドガーたちが飛び込んだ研究室では、異様な光景があった。

 

 冷気と黒い磁場を噴き上げる、明らかに人間ではない乙女。それから離れて、黒匣(ジン)に似た小箱の近くに立って不安げに見つめる女職員。

 

「ジュード、あれ、何だ?」

「氷の大精霊セルシウス。確かに大精霊クラスの実験が必要とは言ったけど……マキさん……っ」

 

 ジュードが悔しげに拳を作ると同時、マキという女職員の前にあった小箱が小爆発を起こした。

 氷のドレスの乙女は、胸を押さえて苦しげに肩で息をしている。

 

『またか……また私を縛りつけるというのか。こんな機械で、無理やりに!』

 

 セルシウスの体から冷気と氷晶が迸った。マキが両腕を顔の前に持ってきた。冷気のほうが速い、ルドガーもジュードも間に合わない。

 

 その時、まるで切り取った時間の中にいるように優雅に、イリスが両者の間に割り込んだ。

 

「イリス危な…!」

 

 マキを庇うように立ったイリスの正面で、無数のコードが編み上げられて防壁を構成した。セルシウスが放った冷気は防壁にぶつかる先から黒い土くれに変じ、床に落ちていった。

 予備動作が一切なかった。算譜法(ジンテクス)か精霊の力か知らないが、とにかくマキは助かった。

 

「さっきのおっきい盾!」

 

 エルの横にいたエリーゼが、若草色の目を見開き、細い肩を強張らせた。

 

 疑問が湧く。イリスはマキをセルシウスから助けたのに、エリーゼはまるでイリスを敵であるかのように睨みつけている。

 

「氷の精霊が血気に逸るなんて笑い話にもならなくてよ」

『イリス……まさか、貴様があのイリス? 蝕の精霊イリスなのか!?』

 

 セルシウスには応えず、イリスは後ろのマキに離れるよう告げた。こちら側に走ってきて震えるマキ。バランの指示で、職員がマキと、さらにエルとルルを連れて外へ出て行った。

 

 ルドガーはイリスの横まで走って双剣の柄を握った。守ると宣言した以上、目の前でイリスを害する者は見過ごせない。

 ジュードとアルヴィンも来て、それぞれ身構えた。まだ誰も武器は出していない。

 

「セルシウス、落ち着いて。僕らは君を傷つけるつもりなんてない。だから――」

『ならば何故貴様の後ろには蝕の精霊がいる!』

「え……イリスが、何?」

『とぼけるか! ……いや、もしや本当に知らないのか? 私を操ろうと目論んでいながら、我らの天敵たる者の存在すら知らなかったのか?』

 

 言葉に困るジュードを見てか、アルヴィンが答える。

 

「後ろの女については俺たちも知らねえよ。精霊の間では有名人なわけ?」

『知らぬ者などいるものか。会ったが最期、その精霊の「精霊だけを蝕むマナ」を注入されて、精霊は生きながら魂を汚染され、化石も残さず、死ぬ』

 

 セルシウスの目はルドガーらを越えてイリスを睨み据えた。

 

『蝕の精霊。またの名を「精霊殺しの精霊」』

 

 実験室がしん、と静まり返った。

 

 当事者であるはずのイリスは、セルシウスの暴露にも泰然と構えて崩れない。その態度でルドガーは分かった。セルシウスが言ったことは本当だ。イリスは精霊を殺すモノで、イリス本人がそれを善しとしている。

 

「分かっているなら話は早いわね。今すぐそのハコに戻って次の目覚めを待つか、この場でイリスに蝕まれるか、好きなほうを選びなさい」

『戻るものか! それは私の自我を奪い、人形にする道具だ! 私は――精霊は人間の道具じゃない!』

「ええ。けれど、人間も精霊どもの玩具じゃない」

 

 セルシウスのありったけの激情を、イリスは一言の下に斬り捨てた。

 その声を合図にしたように床から無数のケーブルが生え、セルシウスを拘束した。

 

『くっ…この…!』

「お前たちは何度くり返せば気が済むの? お前たちは人間に利用されていると被害者面をするけれど、そう言うお前たちは人間から多くを搾取しているじゃない。精霊さえいなければ、人はもっと自由に幸せに暮らせるのに」

 

 憂いを浮かべるイリスにセルシウスを案じる色は欠片もない。

 

 コードに拘束されたセルシウスに、イリスが悠然と歩み寄る。

 イリスは何をするでもなく、ただ、セルシウスの胸の谷間に掌を当てた。その掌が、ずぶりと、セルシウスの胸に沈んだ。

 

『がっ…あ、ああ、ああああああ!!』

 

 ルドガーは「それ」を立ち尽くして見ているしかできなかった。すぐ横にいたジュードもアルヴィンも。

 

 イリスが手を沈めたセルシウスの胸から、セルシウスの全身が黒く染まっていく。腕も、足も、首も。やがて全身を黒く染めたセルシウスは、木炭のようにひび割れて崩れ落ちた。

 

 現れたイリスの手には、()(そく)のタマゴが載っていた。

 

「化石も残さず死ぬというのは誤りよ。正確には、化石をこんなふうに造り変えて、我が身の糧とするのがイリスのやり方。それを他の精霊が誤解して伝えているだけ」

 

 イリスは秘色のタマゴをちょうど真ん中で口に咥え、カッと歯を立てた。

 

 パキパキパキッ

 

 秘色のタマゴに走る亀裂。そしてタマゴが砕け散るのに合わせ、イリスは顎の角度を上げ、卵の破片を残らず口に入れた。

 ばきり、ばきり。噛み砕く音を経て、喉がごくんと鳴った。

 

「ゴチソウサマ。これからお前の凍ての奏で、イリスが有効活用してあげる」

 

 身篭った女のように下腹を撫でるイリスは、ひたすら嫣然としていた。




 本作でタグにも記した精霊アンチはこれが始まりでした。
 原案ではマジにカニバリズム表現だったのですが、「そらあかん」と人に言われて変えました。

 余談ですが、秘色というのは薄い水色だといいます。響きが好きでよく使います。

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