イリス ~罪火に朽ちる花と虹~   作:あんだるしあ(活動終了)

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「母親を守ってやらなきゃ」

 ルドガーは目を覚ました。

 

 頭にまだ霞がかかっている。ここがどこで、何をしていて、何故眠っていたか思い出せない。

 

「ルドガー」

 

 呼びかけのただ一声。それだけでルドガーの頭は急速に覚醒した。

 

 エルが見当たらなくて探していたところを、例の妙な世界に迷い込んだ。源霊匣(オリジン)ヴォルトにやられそうになったイリスを助けるためにルドガーは雷撃を受けた。

 

 頭だけを横に向ける。やはりイリスがベッドサイドに座っていた。

 

 イリスは研究所の職員の制服を着ていた。制服の布地はとっくに黴だらけで、布の端々は少しずつ腐ってリノリウムの床に落ち続けている。椅子も刻一刻と錆が滲み出していた。これが、「蝕む」。

 

「……怪我、ないか」

 

 ルドガーが発した一言で、イリスの翠眼は険しさを増した。

 

「イリスは怪我なんてしてないわ。一切合切、これっぽっちも」

「そうか。よかった」

「よかった、じゃないわよ」

 

 イリスはベッドに上がると、ルドガーに覆い被さり、厳しくルドガーを見据えた。

 

「なぜあんなことしたの。イリスは簡単に死なないって知ってるでしょう。貴方の体は人間なのよ。骸殻もまとわず精霊の攻撃を受けたりして。貴方が死んでいたかもしれないのよ」

「怒ってる……のか?」

「怒ってないわ。ただね、イリスは悲しい。ルドガーが、ルドガー自身を大事にしてくれなかったから。自ら命を危険に曝して、こんな傷まで負ってしまったから」

 

 イリスの手がルドガーの胸板を撫でた。くすぐったくてもぞりと動くと、引き攣るような痛みが走った。どうやら自覚よりひどい傷だったらしい。

 

「ねえ、ルドガー。なぜイリスなんかを庇ったの?」

「……『なんか』なんて言うなよ」

 

 ルドガーは腕を伸ばし、覆い被さるイリスの頬に手を当てた。

 

「イリスが俺たちを自分の子ども同然に想ってくれてるみたいに、俺はイリスのこと、母親みたいに思ってるんだ。母さんに似てるからじゃない。もっとこう、体の奥底で感じてるんだ。ああ、この人は俺たちが産まれた苗床なんだ、俺たちの『お母さん』なんだって」

 

 イリスは目を見開いた。ルドガーと同じ翠の虹彩。始祖クルスニクの色。この色に染まるために生前のイリスは自らの体を造り替える処置さえ受けたのを、ヴェリウスとシャドウの夢の中で知った。彼女はそれほどにミラ・クルスニクを愛していた。

 

「お母、さん? イリスが? イリスをそう呼んでくれるの? そういうふうに見て、くれるの?」

 

 ルドガーは笑って頷いた。

 

 存在が醜悪でも、呼吸が害悪でも、抱擁が凶悪でも、涙が罪悪でも。

 

「俺は男なんだから、母親を守ってやらなきゃ、だろ」

 

 イリスはクルスニクの血を引く自分たちの、母なるひとなのだから。

 

 感極まって胸板の上に落ちてきたイリスの体躯を、ルドガーは優しく抱き締めた。

 

 

 

 

 

 身支度を整えたルドガーは、イリスによって、レイアたちが待つという場所へ案内された。

 

 ジュードの研究室から程近い、広めの研究室だった。

 そこにはレイアとエルはもちろん、ジュードと、初めて見る顔ぶれが3つあった。

 

「ルドガー! よかった。元気になったんだね」

 

 レイアが真っ先にルドガーの前に来た。レイアの明るい顔に、やはりルドガーはどきっとした。

 

「ああ。この通り。心配かけてごめん」

「ナァ~」

「ホントにみんな心配したんだからねっ」

 

 ルルとエルにもどやされたので、重ねて「ごめん」と言っておく。

 

「そっちの人たちは?」

「うん。紹介するね。ここの所長のバランさん。それから、アルヴィンと、エリーゼとティポ。わたしとジュードの友達」

 

 アルヴィン、と呼ばれた男が手を挙げた。ふと気づく。褐色系の虹彩――この男、エレンピオス人だ。

 

「ども。おたくがルドガー? レイアから大体の事情は聞いてるぜ」

「エリーゼです。さっきエルともお友達になりました」『ヨロシクー』

「よろしく。アルヴィン、エリーゼ」

『ぼくはー?』

 

 ルドガーは彼らと順に握手した。最後にティポに恐々と手を差し出すと。がぶりと噛まれた。歯はなかったが、驚いた。

 

 イリスがエルの前に進み出て屈んだ。

 

「エル。さっき預けた物、出して」

 

 エルはピンクのカーディガンのポケットから何かを取り出した。歯車だ。白金の歯車が集まって出来た球体。

 

「ありがとう。――ルドガー。これは貴方が持っていて」

「俺?」

「エルが持っていては逆に危険だから。イリスが持っていてもいいのだけど、万が一爛れでもしたら一大事だからね」

 

 ルドガーはエルからそれを受け取り、ポケットに突っ込んだ。

 

「早速で悪いんだけど、蝕の精霊ってのがどういうものか教えてくれるかな」

 

 バランに促されて、イリスが前に出た。

 

「改めまして。イリスよ。一応、蝕の精霊ということになってるわ。よろしくしてちょうだい。見てもらえば分かると思うけど、常の精霊と異なり、毒と瘴気で体を構成しているわ」

 

 イリスはカビだらけの職員制服を翻して一回転した。

 

「服であっても、直接肌に当たっていればいつも黴だらけよ。こんなふうにね。後で替えの服を貰えると助かるわ」

「それは精霊としての力かい?」

「いいえ。正確には属性、あるいは生態ね。イリスがやめたいと願っても、イリスの体は居るだけであらゆるモノを蝕むの」

 

 青白い手がデスクチェアの一つを掴む。すると、イリスが掴んだ部分からデスクチェアはみるみる腐り、中のスポンジを剥き出しにし、バキバキと音を立てて崩れ落ちた。

 

 デスクチェアの金属部分は完全に錆びていて、ルドガーが軽く触っただけで崩れた。ルルが体躯に似合わぬ敏捷さで飛びのいた。

 

 知っていたルドガーは平静でいられたが、初見のレイアとその友人たちは、恐れ慄いてイリスを凝視している。

 

「望むのなら、日月さえも蝕んでみせましょう」

 

 指一本まで誇示するようにぴんと立て、イリスは嫣然と笑んだ。

 

 粘着質な沈黙を破ったのは、研究室のドアがスライドする音と、慌ただしく駆け込んだ研究員だった。

 

「所長! あ、ジュード博士も! よかった、探してたんです」

「どうかしたんですか?」

「それが、ジュード先生の試作源霊匣(オリジン)がなくなっていて。マキが持ち出したみたいなんです。それと、前に例の商人が置いてった精霊の化石もなくて」

「! バランさんっ」

「君、マキちゃんが今どこにいるか知ってる?」

「総合研究棟の13階だったと……」

「ありがとうございます。――ごめん、ルドガー、イリス。話はまた後で!」

 

 ジュードとバランは職員に付いて部屋を慌ただしく出て行った。

 

「待って、ジュード!」

 

 レイアが、アルヴィンとエリーゼが、彼らを追って走り出した。

 

 ルドガーはイリスと見交わした。イリスが肯いたので、ルドガーはエルの手を引いて研究室を出た。




 エリーゼは無事正史のアルヴィンと再会を果たせました。
 正史で目覚めて無事だったアルヴィンを見たエリーゼはきっと泣いたでしょう。

 そして本作では何回目になるんだという、源霊匣セルシウスEP。今更ですが、どうやら自分、このEPかなり気に入ってるみたいなんです。

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