イリス ~罪火に朽ちる花と虹~   作:あんだるしあ(活動終了)

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「それが一番、救いがない」

 ルドガーは瞼を開けた。

 

 一面に広がる闇を、一面に広がる白砂が仄かに照らしている。こんな景色は知らないし、いつここに来たかも分からない。だがその不条理をルドガーは冷静に受け入れる。

 

 何故ならここは――夢の中なのだから。

 

「どうして俺にこんなものを見せた」

 

 声に応えるように空気――否、闇が蠢き、体積を持った。

 

 頭、肩、両腕、胸板、両足。ヒトの形を模そうとして、アート要素を足し過ぎたような「影」のオブジェが出来上がった。

 

「お前が俺にこんな夢を?」

『オレじゃない。オレはただ見やすいようにイメージを具現化させただけだ』

「本当か?」

『ああ。本当だとも』

『――アナタにそれらを観せたのはボクですよ』

 

 第三者の声。ルドガーは頭上を仰いだ。

 

 りりりぃん

 

 清冽な鈴の音を奏でながら、一匹の狐が「影」の横に並んだ。闇と白砂のツートンの空間で、オーロラ色の毛並を輝かせる九尾の狐。

 

『来たか。遅いぞ、ヴェリウス』

「お前が?」

『正確にはある者の心をボクが汲み上げ、そこなる影の大精霊シャドウに具現化してもらいました。夢は心に溜まったものを整理する時も兼ねます。その中に、ほんの少し、他者の心のイメージを入れ込ませて頂きました』

「お前も精霊なのか? 何の精霊なんだ?」

『名はヴェリウス。「心」の大精霊です。心を持つあらゆる命の代弁者にして守護者』

「心の、精霊」

 

 精霊の中には抽象的な属性を司るものもいると知識では知っていが、「心」にまで精霊が付いてくるとはついぞ知らなかった。精霊研究家のジュードに報告すれば喜ぶかもしれない。――と、それは措いて。

 

「今俺が観たのは、ひょっとしてイリスの『心』か?」

 

 ルドガーたちクルスニクを創った女。ただの集団を一族へシフトさせた立役者。

 生き方、いびつな理想、母代(ははしろ)だった始祖への狂的な愛と献身。

 自らの血肉を異形に食わせてでも精霊に負けまいとした、「人」の矜持。

 

『正解です。目的のために手段を択ばない。彼女はクルスニク血統者の雛型です。感想はありますか、クルスニクの末裔』

「……俺が同じ立場だったら、さっさと一族見捨てて精霊の主に付いてっただろうな。現実があれだけどうしようもないんじゃ、別の世界に逃げ込みたくもなる」

『彼女は愚かだったと?』

「大バカだよ。あの人だけじゃない。周りにいた奴、どいつもこいつも大バカ野郎だ。バカを通せるくらい――イリスも始祖も始祖の理解者たちも、強かった。それが一番、救いがない」

 

 ほんの欠片でも弱さや汚さがあれば。どこかで諦め、自らをごまかし、生き延びる道もあっただろうに。誰も彼もが強すぎたから、次々走り抜けて逝ってしまった。

 

 どんな大義名分で没しようと、それは立派でも何でもないとルドガーは考える。

 

(死んでやり遂げたなんてとんだ欺瞞だ。生き物なら生きる努力は最後まですべきだ。けどそう考えちまうのは、きっと俺が、命より大事な、愛とか理想とかを持ったことがないからなんだろうな。自分以上に価値があるものを知らないから)

 

 こういう場面に遭遇すると、否応なくルドガー・ウィル・クルスニクの凡庸さを突きつけられる。

 

『ま、前置きはここまでにして、っと。せっかくクロノスが封印してくれてたってのに。よくもまあアレを解放してくれたなぁ? クルスニクの末裔』

 

 ふーやれやれ、とでもバックに出そうな風情でシャドウが肩を竦めた。

 

『アレは呪いの塊だ。存在は醜悪、呼吸は害悪、抱擁は凶悪、涙は罪悪。髪の毛一本、マナの一滴に至るまで生者を蝕まずにはいられない。アレ自身がどれだけオマエら人間を愛していようがお構いなしにな』

「俺にどうしろっていうんだ。言っとくけどな、もっかい封印しろって言われたって俺できないからな。俺、算譜法(ジンテクス)なんて使えねえんだから。できたってイリスをまた縛りつけるなんて俺はやらない。絶対に」

『蝕の精霊の過去を知ればアナタの心も変わると踏んだのですが』

「勉強になったんじゃないか? 心の精霊にも心変わりさせられない奴はいるって」

『オマエ、こっちが下手に出てやれば好き勝手……』

「うっせえ!!」

 

 凪いでいた闇がびりびりと波打った。

 

「人が大人しく黙って聞いてりゃ、こっちこそ『よくもまあ』だ。お前らの言うことが正しいのなんて百も承知だ。俺は去年の試験でイリスが精霊になって戦うのを見たんだ。イリスが毒だってのはイヤってほど知ってんだよ。だからって憎みきれるかよ! 俺にとっては恩人なんだよ!」

 

 ルドガーを地下の落盤から救うために分史に連れ込み、分史でも自分が勝手に危険地帯に連れてきてしまったからと独りでクロノスたちと戦った。

 マナを吐く物体になった人間にルドガーが情けなく錯乱した時、両腕の中で宥めてくれた。

 

 確かにイリスは過去の人たちに酷い仕打ちをした。でも、今ここにいるルドガーはイリスに何も酷いことはされていない。

 

『――アナタの「心」はよく分かりました。アナタの「心」は間違いなく蝕の精霊の救いとなるでしょう。ですが覚えておいてください』

 

 意識が傾いだ。眠気を堪えて起きていて、知らずがくんと眠りに落ちていくのに似ている。

 

『アナタが恩だという彼女の慈悲こそが、猛毒となって世界を蝕むということを――』


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