イリス ~罪火に朽ちる花と虹~   作:あんだるしあ(活動終了)

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「イケナイお兄ちゃんね」

 オリジンの審判。

 

 初耳なのに、ルドガーの心臓は大きく跳ねた。血が騒ぐとはこういう感覚なのか。全身の血管が内側から焼き切れそうだった。

 

「オリジンの、審判――」

 

 ぎょっとする。エルの翠眼は茫洋としていた。魂だけどこかに旅立ったような、幼い少女がするとは思えない貌。

 

 するとイリスは浮遊の高度を落とし、エルの前に片膝を突いた。

 

「この時計は貴女の?」

 

 いつのまにかエルの胸に、ルドガーが触れて消えたはずの懐中時計が戻っていた。

 

「ううん…エルのパパ、の…」

「――貴女も無自覚なのね。己の業に」

 

 つう、とイリスの細い指先が、エルの胸に下がる懐中時計をなぞる。そこでエルは、はっとしたように周囲をきょろきょろ見回した。

 

「ユリウス」

「何だ」

「口の利き方と背信行為は大目に見てやる。導師を捕えろ」

「……了解、社長」

 

 驚いて顧みた兄は、真鍮と銀の懐中時計を正面に構えていた。

 

 直後、ユリウスの姿が変質した。

 

 腕と二の腕のケモノのような装甲。白いコートの下に顕れたダークブルーの鎧。メガネが消えた顔に奔る蒼い光の筋。

 

「変なのになった!」

「これ、精霊の力!?」

 

 少女たちが驚く間に、ユリウスはイリスへと向かってくる。イリスは前に漂い出てエルを巻き込まない位置に浮いた。

 

「はあああ!!」

「できればクルスニクの子とは争いたくないのだけど」

「イリス! ――待ってくれ! ユリウス!」

 

 ユリウスが蒼黒く染まった双刀でイリスに斬りかかった。

 瞬きの間にくり出された斬撃は10を超える。やはりユリウスは強い。なのに、イリスに斬撃は一つとして届かなかった。

 

 触手、だ。イリスを封印していたチューブやコードといった触手が、イリスが巻いた布の中から生えて、ユリウスの剣の全てを受け止めたのだ。

 

「な、なに!?」

 

 レイアが後ずさった。エルもレイアの腰にしがみついて怯えている。ルルはしきりに威嚇している。

 

 ユリウスは軌道を変えて双刀を揮う。だが触手が身代わりとなって斬られるため、一太刀たりともイリス本人には届かない。

 イリスはただ悠然と漂っているだけで優位に立っていた。

 

「これはどういうことかしら、ビズリー」

 

 斬撃を躱しながらイリスはビズリーに目線を流す。

 

「どうもこうも。我が社から姿を消した重要参考人が目の前にいるのだ。見つけたなら連れ戻そうとするのが道理ではないかね」

「それについては話がついたはず。イリスと貴方では目指すモノが違う。貴方は人類の守護を至上とする。イリスは『審判』そのものをブチ壊して2000年の負債を払う。同じ道を往けても、同じ願いは懐けない」

「ああ、充分に存じているとも。ゆえに貴女のその他と一線を画する力、そして貴女だけが知る2000年前の真実を、我らが切り札とさせてもらう」

「――生憎とイリスはそこまで縛られてあげることはできないのよ」

 

 イリスを中心に紫の歯車が現れ、イリスは姿を変えた。ルドガーが初めて会った日にまとっていた紫暗のアーマードスーツだ。

 

 イリスはスーツの装甲を盾にし、ユリウスの剣戟を受けた。イリスが初めて素手で攻撃を捌いた。

 

「いい太刀筋。研鑽と意志が滲み出ている」

「ぐぅ…っ!」

 

 鍔迫り合いが解かれる。

 

 離れたイリスの手に顕れる、水晶のロングブレード。イリスはブレードをユリウスの双刀に大上段から振り下ろした。

 ユリウスは刀身にブレードを掠らせるに留め、バックステップでイリスから距離を取る。

 

(信じられない。あのユリウスが防戦一方だなんて)

 

「『ヴィクトル』を除けば貴方は間違いなく当代最強の戦士よ。この域に至るまで挫けずに前進してきて――本当にえらかったわね」

 

 イリスが不意に口にした労いは、数秒、わずか数秒だけユリウスの戦意を削いだ。

 数秒がイリスにとって絶好の隙だった。

 

 イリスはユリウスの両手を、腰のパーツから射出した触手でがんじがらめに捕えた。そして、ふわりと懐に入った。

 

「でもね。『それ』だけは感心できないわ。弟のモノを奪うなんてイケナイお兄ちゃんね」

「がっ!? あああああっっ…!」

 

 鋭い刃物が肉を裂く音がした。音だけだ。それがよけいに生々しかった。

 

 触手の拘束が解ける。ユリウスは胸を押さえて苦しげに膝を突いた。とたんにユリウスを覆っていた蒼黒の殻が消えた。

 

「許してね。コレを返してもらうには、貴方に一度殻を解いてもらわないといけなかったから。痛い思いをさせて、ごめんなさい」

 

 イリスのかんばせには紛れもない申し訳なさと憐憫。さすがのユリウスも、自分をこてんぱんにした相手の心からの謝罪に泡を食っている。

 

 銀髪を翻して立ち上がり、イリスはルドガーを顧みた。触手の尖端には、真鍮の懐中時計が吊られている。

 イリスは時計を取ると、何とルドガーに向かって晴れやかにそれを投げた。

 

「受け取りなさい。それは貴方の資格よっ」

「やめろッッ! 取るな、ルドガー!!」

 

 兄の制止は遅すぎた。ルドガーは腕を宙に伸ばしていた。意図したわけではない、完全な反射。

 

 真鍮の時計を手にした瞬間、ルドガーの全身の血が沸騰した。


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