イリス ~罪火に朽ちる花と虹~   作:あんだるしあ(活動終了)

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「泣かないで、可愛い子」

 エラール街道の遙か頭上にそびえるレールの陸橋。その陸橋は、それの倍の高さを誇る時計塔を貫いて走っている。

 

 時計塔の回転灯がとうに沈黙した、朝の時刻。その時計塔の天頂に、イリスは立っていた。

 

「発展した都市を一歩出れば不毛の大地。これが黒匣(ジン)を2000年使い続けた()()か――」

 

 イリスは花開くように笑んだ。心から嬉しかったのだ。人類が黒匣(ジン)という、人類の英知の極致を最大限に活かして、自らの営みを豊かにしてきたのが。

 

 緑が一本も芽吹いていない無機質な都市が、イリスには堪らなく愛しかった。

 

 その進化を、成長を祝福するように、イリスはメガロポリスの輪郭を宙でなぞった。

 

(これを守るためにも、必ず奴らを抹殺しなくちゃ。オリジン、クロノス、マクスウェル。イリスの、誰よりあの方の子どもたちを無為に死に追いやってきた、悪逆非道の精霊ども)

 

 慰撫の手を拳に変えて、天へと向ける。

 

(待っていなさい。もうすぐこのイカれたゲームをメチャクチャに叩き壊してやるから)

 

 遠くから列車がレールを走る音が届いた。ほどなくして、特別列車ストリボルグ号が街からぬうっと現れた。

 

 ストリボルグ号はじきにイリスが立つ時計塔の中を通過する。イリスは何気なく列車を見下ろし――懐かしい気配に小さく瞠目した。

 

(二つ……地下で会ったあの子と、もう一人……)

 

 列車が塔に差しかかった時、イリスは時計塔から無造作に身を投げた。

 

 

 

 

 

 

 展望室のガラス天井が割れた瞬間、ルドガーはエルを押し倒して覆い被さった。とにかく彼女に傷をつけるような事態はあってはならない。ルドガーはありったけの力でエルを抱きしめていた。

 

 やがて破砕音が収まって、列車がちょうどトンネルの暗がりを抜けた。

 

「ぷはっ。終わった?」

「あ、ああ、多分」

「くるしかったー」

「ごめんごめ…ん…」

 

 言いながら起き上がり――ルドガーはこの日、レイアより、ビズリーより、ユリウスよりも驚く人物と遭遇した。

 

 ふわり。髪をストールのように翻し、デッキに舞い降りた灰紫の女。

 今日の彼女は裸ではなかったが、布一枚だけを巻いたあられもない姿。しかもその布も、早回しの映像のようにどんどん黴が生えていっている。

 

 彼女はルドガーのちょうど真正面に浮遊してくると、優しく微笑した。

 

「ひさしぶりね、あの方の血を最も濃く引く末裔」

「イリ、ス――」

 

 ルドガーの心を1年前から鷲掴みにして離さなかった女が今、目の前にいた。

 

「っは――あんた、今までどこいたんだよ。俺がどれだけ心配したと思って…一人だけ突っ込んで…ずっとどうなったか、思い出すたびに不安で…」

「泣かないで、可愛い子。あの時はあれが最善だったでしょう。それに、イリスはクルスニクの子なら守らずにいられないのよ。ゆるして?」

「泣いてないっ。――あの後、大丈夫だったか? ケガ治ったのか?」

 

 イリスはきょとんとルドガーを見返すばかりで答えない。答えたくないのかもしれない。ルドガーが気絶した後に、言いたくない所業を精霊たちに強いられた線も否めないのだ。

 

「イリスが言いたくないことなら無理に言わなくてもいい。でも、何かしてほしいことがあったら言ってくれ。俺にできることなら、やるから」

「――やっぱり優しい子ね。あの方と同じ」

 

 イリスは少し高く浮くことでルドガーの手から逃れた。拒否、されているのだろうか。とたんに不安が増幅する。

 

「怪我なら今のクランスピアの医者、リドウという子が治してくれたわ。その後あそこに留まったのはイリスのコレを何とかする術を見出せるかと期待して。無理だったけれど。そういう貴方こそ怪我は治ったの?」

「ああ。もう1年だぜ。傷そのものも軽かったし、すぐ元気になったよ」

 

 イリスは胸を撫で下ろしている。ルドガーのケガの回復を、彼女はまるで我が子のそれのように安心してくれる。

 

「弄らせてあげるにもそろそろ刻限だったから、脱走させてもらったわ」

「刻限?」

「そう。刻限。間もなく始まる――いいえ、もう始まっている。もう何審目かも分からない。『オリジンの審判』が」


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