インポテンツ提督がヤンデレ鎮守府を切り抜けるようです   作:赤目のカワズ

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第8話

 贈り物に対する歓喜で打ち震えた俺は、後始末を鳳翔に全て一任し、泥酔しきった木曾と不知火をドックに担ぎ入れた。

 彼女たちをドックまで運ぶのがこれまた大変で、呂律の回らない調子で何事かを呟いたかと思えば、突然足を速め案の定千鳥足で壁に激突してみたりと、普段の彼女達とは全く異なる様子に酷く驚かされる事になる。

 

 「貴様は分かってないのさ……。此処が何処で、俺が誰であるのかを、な。ん、いや、本当にここは何処なんだ? そもそも俺は誰なんだ?」

 

 「不知火は、一人で、帰れますので、ご心配なく。そちらの方は、司令官の助けが必要なようですが」

 

 「お前らは一度黙れ! ドック入りした後、体を温かくしてさっさと寝る事! これは命令だ!」

 

 しかし、遅々として進まぬその足取りに怒鳴り散らすと同時に、彼女達をここまで骨抜きにし、且つ俺の一張羅を糞味噌にしてみせた遠因たる馬鹿猫に、強く興味が引かれたのも事実であった。

 途中、丁度ドックに入渠を果たそうとする所であった面々に二人を明け渡した俺は、他人に構う余裕なんぞを疾うの昔に擦り減らしていた事もあり、彼女達を顧みる事無く踵を返すと、鎮守府にたった一つだけ存在する男性用シャワールームに直行した。

 

 「ウォエ! くっさ! ホントにくっさ! 提督さん、マジくっさいっぽい!」

 

 「夕立! 確か明日の秘書艦はお前だったな! いいか、自分が何を言ったのかを必ず後悔させてやるからな!」

 

 後ろ指を指されながらも、辛うじて舌禍の最中から逃げ出す事に成功した俺の思考には、もはや汚れ共々心の洗浄を行う事以外の選択肢は存在していなかった。

 しかし、経費削減といった諸々の諸事情で雁字搦めとなったシャワールームは、狭く、また浴槽もないときた。

 泥酔した結果、熱燗と共にドックに入渠を果たし、結果的にとはいえ隼鷹や千歳のあられもない姿を垣間見た時の事を鑑みれば、提督専用と冠されてはあるものの、正にそこは張りぼての墨俣城であると言う他ない。

 その後、汗やその他諸々を洗い流し終えるやいなや、俺は即座に私室に戻って眠りについた。無論、おここに至れば、執拗な執着心を見せつけてみせた悪臭も綺麗さっぱりとり除かれているもので、俗的な物言いが許されるのあれば、グースカピーという奴である。

 翌朝、体を苛むうすら寒さに目を覚ました俺は、昨夜の自分がろくすっぽ着替えもせずに床に就いていた事に気づいた。自身を振り返れば、酷い事にパンツ一丁だ。これでは、手足の末端が釘や氷になったかのように冷え凍えている事にも十分頷ける。

 朝方の鎮守府は、昨日の乱痴気騒ぎが嘘のように静まり返っていた。

 窓の方を見やれば、太陽はようやく顔を覗かせ始めたばかりで、燦々と光り輝く日の出が、まるで焼き尽くすかのように大地を赤く染める。

 それは、身に襲い掛かるそれとは真逆の態度を見せつけるものであって、その光源恨めしくさえ感じとれた。

 寒さに身を震わせていると、昨日の酒がようやく抜けきったらしく、出し抜けの尿意が眠気眼の思考に襲いかかってくる。

 自然、足が外界に通じる扉へと伸び、パンツ一丁のまま、下界へと旅立つべく私室から外へ。

 進行方向を塞ぐ障害物に気づく事が出来なかった俺は、眠気眼のまま正面衝突を引き起こした。

 「きゃっ、て、ててて、提督っ!?」

 

 「んお? 何だ大和か、お早う…………大和!?」

 

 意識が完全に覚醒した俺は、思わぬ展開に身じろぎとともに目を見開く。

 扉を開けた俺を待ち受けていたのは、かつて日本が誇った弩級戦艦、大和の名を冠する少女であった。

 男性と比べても遜色のない高身長は、かつての戦艦大和が、優に全長二五十強を誇った事に由来する。殆ど俺と変わらぬ背を持つ彼女は、鼻頭同士を盛大にぶつけあった事もあってか、面食らった様子で、こちらを伺っていた。

 やがて、彼女の視線が寝癖を伴った頭部から、下へ。

 彼女の顔が真っ赤に染まりきったのはその時である。茹でタコを思わせる勢いで、狼狽を露わにする。

 だが、動揺に喚き声をあげたくなるのはむしろのこっちの方だ。咄嗟に両掌で股間の息子を覆い隠す。

 これほど己の迂闊さを呪いたくなったのも久方ぶりで、俺はいきり立つ尿意に濡れ衣を着せるので精一杯だった。

 大和が悲鳴をあげる。

 

 「て、提督! その、お召し物はっ!?」

 

 「お、おおおおお、おおお!? ちょ、ちょっと待て! これは事故だ! 回れ右して待機!」

 

 「ご、ごごご、ごめんなさい! 大丈夫です! 大和は何も見ていませんから!」

 

 「俺のパンツの柄!」

 

 「チェックのトランクス!」

 

 「大和ォ!」

 

 「ああん! これは事故です! 不慮の事故です! たまさか目に入っちゃっただけですから~!」

 

 恥辱のこみ上げる顔を同じく両掌で覆い隠し、つんざくような情けない声を上げる大和に我関せず、素早く扉を閉める。

 鍵を掛けるのはもはや語るべくもない。扉が開け放たれる心配がない事を確認した俺は制服一式を引っ張り出すと、さっそく裾に腕を通し始めた。

 扉越しには大和の気配が伝わってくる。彼女はまだその場に立ち尽くしているようで、この異様な状況に気圧された俺は、いよいよもって口籠ってしまっていた。彼女にかけるべき言葉が見当たらない。

 捨て犬ばりの警戒心を露わにした結果は、如実なまでに俺の行動に表れている。  否、ここまでくれば視野狭窄に陥っているととられても構わない。

 扉をゆっくりと開け、僅かばかりの隙間から下界を把握しようとするその様は、目に涙を浮かべる大和の姿を認めるまで解消される事はなかった。

 それでも、瞳に広がる暗暗とした様までは拭いきれず、さながら尋問の体を成して、彼女を問い詰める。

 

 「……どうしてここにいる?」

 

 「ぐすっ、昨日、大変な目に遭ったみたいですから、大丈夫かと思って、様子を見に……」

 

 「俺の恥ずかしい姿が目的か!?」

 

 「青葉でもないのにそんな事はしません! 事故って言ってるじゃないですか! これ以上は本当に泣いちゃいますよ!?」

 

 とうとう大和の涙腺が崩壊の一途を辿り始めた頃、俺はようやく彼女の前に再び姿を現した。

 襟元を正し、うってかわって真面目面を取り繕った俺は、努めて冷静を装って、

 

 「冗談だ冗談。しっかりと俺のパンツ姿を目に焼き付けてくれた事への、お返しだ」

 

 「もう! 提督の馬鹿っ!」

 

 からかわれた事への怒りから、肩をいきり立てて悖る大和。滲んだ瞳はこちらへの怒気を切に訴えていた。

 一方、自身の過失を帳消しにするべく盛大に大和へのパワハラをかました俺は、先の公然わいせつ罪とも取れる光景が有耶無耶になりつつある事に心から安堵した。

 事故は事故であるとはいえ、婦女子に何も前置きもなく痴態を披露したのだ、無性に恥ずかしさを覚える事は勿論の事、誉れある海軍軍人として、自身の迂闊さに腹が立つ。

 勿論、パワハラの是非を問われたとあっては俺に勝ち目はないので、なし崩し的な形でこの話に片がつけば、一石二鳥という結果になる。

 よりにもよって大和撫子とも称される彼女に、という思いも心のどこかにあったのかもしれなかった。これが呑兵衛仲間の隼鷹あたりであったならば、こうはいかなかっただろう。

 

 「そういえばお前とは、昨日ドック前で出会ったばかりだったな、わざわざすまなかった、心配をかけて。皆の代表として様子を見に来てくれたんだろう? だが、ご覧のとおり俺は平気だ。残念ながら服の方はご臨終を迎えてしまったようだが」

 

 「……はい、ご無事なようで何よりです。まぁ、こんなハプニングが待ち受けているとは、思っても、はっくちゅん! っ、ご、ごめんなさい」

 

 すかさず口元を覆い隠した大和であったが、勢い収まらぬくしゃみが小さく零れ出る。

 またもや顔を赤く染めた彼女は居心地悪そうに視線を泳がせたが、俺はあえてそこに追従しようとはしなかった。空気読み人知らずである事も、時としては重要になってくる。

 女性にとって十分痴態に当たるであろう事はとっくの昔に理解してはいたものの、彼女の容体を案じる事に繋がるともなれば、この程度の無頓着さは持ってしかるべきものであったからだ。

 

 「おいおい、お前の方が心配になってきたぞ。大丈夫なのか?」

 

 「ええ、大丈夫です。最近ちょっと寒いとは感じていますけどね。本当に、大丈夫です」

 

 そう言って笑顔を浮かべる大和に暫く視線を送ったが、それ以上の追求を俺は見送った。

 彼女が大丈夫だと言うのだ、これ以上の余計な詮索は、二人の関係にむやみに亀裂を走らせる事になりかねない。

 しかし、過保護なまでに彼女の体調に気を配るのも、所謂一つの訳あっての事で、口が一つの型に嵌ってしまうような感覚に襲われながらも、再三に渡って懸念を表沙汰にしてみせる。

 

 「例の作戦の事もある、体には十分気を付けてくれ……最も、個人としての意見が許されるのであれば、この作戦には首を傾げざるをえない。正直、艦娘に適正があるとはとても思えないし、お前たちの運用方針からも大きく外れている」

 

 「私もその件に関しては同意ですが……私たちが一度アメリカの大地に足を踏み入れている事を鑑みれば、上層部は本腰を入れるつもりなのではないかと」

 

 「だろう、な。こちらの気苦労も知らないで、よくもまぁ易々と言ってくれるものだよ、全く……。さて、この話はここまでだ。大和、朝食の方は?」

 

 先行きの見えない戦況が、彼女の顔を曇らせる。

 思案顔を続ける彼女を朝食に誘ったのは、ひとえにその闇を一時であれ拭い去りたかったからであった。途端に、それまでの剣呑な雰囲気が霧消され、大和は恥ずかしそうに掌を合わせる。

 大食らいの大和の事だ。彼女自身、そろそろ空きっ腹が物寂しさを訴え始める頃合いであろう。腹の虫が大合唱団を混成し始める前に食堂に向かわなければ、大和には再び赤っ恥をかかせてしまう事になる。

 

 「その、実はまだ……」

 

 「見ての通り、こちらも先ほど起きたばかりでな。一緒に食べに行こう。夕立が食事を作って執務室で待機しているとは、とてもじゃないが思えんし」

 

 「分かりました。それでは、ふぁ……、ええ、行きましょう」

 

 「おいおい、今度は寝不足か? 体調管理には気をつけろと」

 

 「ご、ご心配なく! もう、私もそこまで子供じゃありません!」

 

 「そ、そうか……」

 

 誤魔化すような返事に、思わず顔が歪む。こうも立て続けに不安要素が噴出したともなれば、彼女に厳しい視線を送ってしまうのも無理からぬ話だ。

 隠し切れないほど間延びしたそれを不審に思うも、細柳を思わせる彼女の眉が吊り上るのを見て、それ以上は何も言えなくなってしまった。

 その後、大和よりも早めに朝食を切り上げた俺は、夕立が待ち受けているであろう執務室に足を運んだ。

 昨夜の苦い思いが蘇り、知らず歯ぎしりをさせる。

 全身に鼻を走らせれば、確かに悪臭は残らず消え去ったように思えるが、夕立が何を言い出すかは分からない。

 果たしてたどり着くと、既に執務室に待機していた彼女はこちらを認めるやいなや、よきせぬ罵声をもってこちらをののしってきた。

 その顔には、楽しげな笑みが浮かんでいる。

 

 「くっさ! マジくっさ! 提督さん、マジくっさいっぽい!」

 

 悪罵嘲罵でこちらを罵ったのは本日の秘書艦で、その名を夕立という。大和と同じく、丁度昨日、木曾と不知火の予後を頼んだ面々の内の一人である。

 アルビノを彷彿とさせる色素の薄い瞳が特徴的で、ワインレッドに見つめられた深海棲艦は二度と生きては海域を出られないと噂されるほどの戦上手だ。実際、彼女には大きく助けられている面がある。

 しかし、その輝かしい戦績とは打って変わって、人懐っこく、純粋な子供のような性格をした少女で、そのギャップにしてやられた俺はよくよく彼女の事を好意的に捉えていた。

 所が、今回ばかりは、彼女の子供っぽさが悪い方向へと働いた。

 子供は自分に素直であるし、自分を偽らない。そして腹の立つ事に、面白いとなればからかいに全力を投入する事も辞さない。

 元より女性の嗅覚が男性よりも発達している点を踏まえれば、一日中吐瀉物に塗れていた俺が烈火の如き集中砲火が浴びせられるのも無理からぬ所ではあるが、大和が特段気にするそぶりを見せなかった事からも分かる通り、もはや俺に悪臭が付き纏ってない事は明白だ。

 要するに、夕立は子供っぽい悪戯をしかけてきたのである。これをにべもなく振ってみせるのは、提督以前に男としての名が廃る。

 

 「嘘をつけ嘘を! ちゃんとシャワーも浴びたし、着替えだってしたぞ! そういう事を言う奴には……お仕置きをしないといけないな!」

 

 「ぎゃー! 提督さん、抱きつかないでよ!」

 

 「おらおら! そんなに臭いっていうなら夕立にも移してやるからな! どうだ! これでもか!」

 

 「髭の剃り残しでジョリジョリしないで~、あうう、死んじゃう、死んじゃうっぽい。提督さんのくっさいくっさい臭いが服にこびりついちゃうっぽい~。とれなくなっちゃう~!」

 

 「木曾と不知火による特製ブレンドだ! 存分に味わえ!」

 

 「う、うぐぐ……ばたん、っぽい……」

 

 とうとうかいなの中で力尽きた彼女に対し、俺は凶悪な笑みを浮かべながらも、それでいて哀悼の意を表す事にした。

 彼女の異名に準えてから、その散り様を嘲笑う。

 

 「なんとたわいのない……鎧袖一触とはこの事か」

 

 一通りのスキンシップを終えた俺は、絶望に暮れて床に倒れこんだ夕立を尻目に、真白を誇る自身の制服に鼻を近づけ、もう一度嗅いで見せた。

 新品特有の匂いが鼻腔をくすぐり、僅かに顔を歪ませる。しかしその独特の匂いこそが、俺には安堵感をもたらしてくれるものだった。同時にそれは、夕立へ疑問を呈するには十分過ぎるものである。

 

 「……一応聞いておくが、もう、臭かったりはしないよな?」

 

 或いは、そもそも艦娘に鋭敏な嗅覚センサーが備わっている可能性も視野に入れなければならないだろう。彼女達を人間目線で計る事は出来ない。

 その場合、今後は体臭面においても、一層自身を清潔に保っていく必要性が生じてくるが、彼女達と良好な仲を保つためともなれば致し方なしだ。

 懸念すべき人物として頭に浮かびあがり始めるのは、矢張り女子力に秀でた強者たちである。

 

 「この手の話ともなると、どうしても陸奥や熊野は避けられんか……。今までは黙っていてくれたのかもしれんが、内心いい顔してなさそうだ。ビスマルクは……まぁ大丈夫だろう。ドイツ生まれは体臭がきついと言うし、人の臭いにつべこべ言わん筈だ。いや、これまでビスマルクの臭いが気になった事があったか? デオドラントの使用を考慮すれば、彼女に対しても気を配らねば……」

 

 「提督さん、最低……」

 

 「…………」

 

 「きゃー! もう! 抱きつかないでー!」

 

 スキンシップを傘にきたセクハラに、夕立はさしたる抵抗を示す事はなかった。

 心なしか、楽しんでいるようにさえ思える。先の即興劇からも分かる通り、こういったノリの良さも、彼女の美徳の一つであった。

 彼女の外見相応の幼さも相まって、じゃれあいという言い訳一辺倒で弁が立つ所も大きい。大和とは大違いだ。

 しかし、いくら彼女と戯れに興じる事が楽しいとはいえ、何時までも悠長にしている暇はない。時間は常に有限且つ、問題は山積みだ。

 窓の方に視線を向ければ、蒼海と晴れ渡る空がどこまでも続き、知らず知らずの内に原風景へと思考が回帰される。だが、かつて慣れ親しんだ海はもうどこにも存在しない。

 今、彼方へと広がる海の大半は、深海棲艦の手に落ちたままだ。そう思うと、空空とした面持ちが胸元に飛び込んでくる。

 漁獲高の前年割れは、日に日に悪化の一途を辿っており、海上輸送の観点から見れば、日本は大きな打撃を受けたと言っていい。

 陸の孤島、などという時代錯誤的な評価がかつての日本を震撼させたその時、艦娘はまだ一人も生まれていなかった。彼女達は、いまや日本の経済復興の一端をも担っているのだ。

 

 「提督さん? どうしたの?」

 

 腕の中で蹲る少女が、おとがいをあげて、こちらを覗き込んでくる。

 自然、上目遣いとなるその真紅の瞳に、俺は思わず魅入られてしまっていた。無垢と純粋さが同居したそれは、殺戮と残響に彩られていた過去を遠方へと追いやる。

 海にひとたび赴けば、冷酷に深海棲艦を刈り取る悪魔と化す少女も、この刹那の間だけは、腕の中に収まる可憐な少女でしかなかった。

 戦地と日常。二律背反を彼女へと強いるのが、他でもない提督たる俺であるという事実には正直乾いた笑みしか湧いてこなかったが、そこに逡巡以上の何事かを持ち込む事は決して許されない。

 どこまで突き詰めた所で、俺に委ねられた手段は、彼女達を兵器として運用する事でしかないのだ。

 否、そもそもこのような思いを持つ事自体、艦娘として世に生まれ出でた彼女への侮辱に当たり得るのかもしれない。

 そう思うと、俺はどうしようもない遣る瀬無さに駆られ、彼女に視線を合わせ続ける事にさえ、酷く気おくれしてしまった。

 

 「いや、何でもないさ。仕事にかかろう」

 

 ぶっきらぼうなその態度に、夕立は特に何か言おうとはせず、着崩れを直すとすぐに仕事にとりかかる。

 秘書艦業務には戦艦級であろうと駆逐艦だろうと関係はなかった。

 日によっては交代させてまで出来る限り全員に多く受け持ってもらうようにしたのは、最悪の事態を想定してものである。

 仮に俺が何らかの理由で鎮守府を去る事になった場合、或るいは死亡した場合、必ず後任の人事が回ってくる筈だが、そうなった場合少なからず上官と部下との間には祖語が生じるであろう事は明白だ。そして、それは即ち、深海棲艦に付け入る隙を与える事になる。

 そういった後々の事を考え、俺の目が黒い内に、出来る限り同鎮守府に在籍している艦娘達にはノウハウを得てもらう必要性があった。

 人が他人を判断する時、重要視されるのは容姿と能力だ。前者は問題ないにしても、後者は一朝一夕で備わるものでは決してない。

 須らく才媛たれ。俺が在任している間に彼女達を十全に育てあげる事が出来れば、後任の人間も安心して作戦を立案する事が出来るだろう。

 無論、俺がここにいる間に戦争が終わってしまう事に越したことはない。戦後の事がどうなるかまでは定かではなかったが、俺は出来る限り当鎮守府の提督として、彼女達と共に過ごしたかった。

 

 「そうだ、那珂ちゃんからの定時報告は?」

 

 「まだみたいですよ。コンサート会場への資材搬入が予定よりも遅れてるみたいっぽい」

 

 「分かった。……しかし、とんぼ返りで鎮守府に返って来たと思ったら、もう出発とはな。世知辛いものだ」

 

 夕立が同意するように頷き返す。溜息は漏れ出る事を止めようとはしなかった。

 我が鎮守府において川内型が三人出揃う機会は殆どない。

 それは何も出撃や遠征任務などによるすれ違いを指すのではなく、多くの場合川内型三番艦那珂に特別出張が認められている事に起因した。

 所謂広告塔という奴で、艦娘の運用に対する風当たりを少しでも緩和するべく、彼女は日夜奔走している。

 その方法に歌という手段が選ばれた事は、彼女としても願ったり叶ったりと言った所であるに違いない。

 

 「艦娘イメージアップの為の全国巡業か。世界ツアーも計画されているようだし、那珂としても本望であろうが、こうも会う機会が少ないと寂しく感じるな」

 

 「んー、夕立は歌うよりも、深海棲艦沈めてる方が楽しいかも?」

 

 「ま、そこは人それぞれだ……俺にちゃん付けを強制させるのは止めてほしいが、な」

 

 どういう訳だか、彼女を呼びつけるその都度、那珂は自分の呼称を『那珂ちゃん』とする事を強要した。それも俺だけにだ。

 尋ねてみた事もあったが、一度はぐらかされてしまったきり、未だにその理由は掴めていない。

 

 「それよりも、だ。来る作戦において、当鎮守府の指揮権は一時的に第三者が預かる事になる。上層部から臨時の人間が回ってくるだろうから、そいつ用の歓迎会をだな、全部経費で落としていいから、買い出しやら何やら」

 

 「取りあえず、消臭剤買っとくっぽい」

 

 その言葉に、俺は思わず眉を顰める。

 そろそろ、そのネタを引きずるのも潮時だ。

 米神がひくつくのを直に感じとったからであろうか、俺の口調は自然と厳しいものとなっていた。

 

 「あのなぁ、夕立。もうその話は終わっただろ?」

 

 ところが、夕立は俺が尋ねるまでもなく、そんな事はとっくの昔に織り込み済みであったらしい。

 彼女はPCの画面から目を離す事もなく、

 

 「ちょっとの間でも、来る人には嫌な思いしてほしくないよね? トイレ周りとか、細かい所にも気は配らなきゃ」

 

 「む、そうか。すまんな、先の話を引きずっていたのは俺の方だったらしい」

 

 「気にしてないっぽい~」

 

 キーボードが軽快な音を生み出し続ける。

 夕立の作業風景も、戦場と同じく、普段の彼女とのギャップを際立たせるもので、俺は暫くその姿を見つめていたが、やがて自分の作業に取り掛かり始める。

 夕立のPCに電子メールが送信されてきたのは正にその時で、俺が書類に目を通し始めてから、まだ数分さえ経ってはいなかった。

 夕立の方を再び見やれば、彼女は苦渋に満ちた表情を曝け出し、画面上に広がっているであろう散々たる報告に目を通している。

 彼女が秘書艦然としていられたのもあえなく其処までの事で、元々の色も合わさってか、夕立の瞳は判別出来なくなるほど充血しきっていた。彼女の反応から、姉妹艦に関する話であろう事は容易に想像できる。

 それでも、知らぬ内に岸部へと押し寄せていた涙をそっと拭ってみせたのだから、ハンカチへと伸びかけていた俺の手は、いつの間にか止まっていた。

 

 「――――秘書艦として、送られてきた報告を説明してくれ」

 

 「…………まけちゃったみたいっぽい」

 

 「聞こえない」

 

 辛辣な言葉をあえて浴びせると、夕立は一度かぶりを振って、それから意を決して口を再び開き始めた。

 

 「…………先日開かれた、呉鎮守府との合同演習の事後報告です。結果は、こちらの惨敗」

 

 「そうか……」

 

 影の走ったその表情は、俺の催促を無意識の内に拒絶していたが、そこから幾何の間を開けて、要約を述べ始める。

 演習とは、遠方の鎮守府との話し合いから海域を選択し、そこで合同訓練を行うといったものだ。

 標的を狙い撃つ事もあれば、新兵器の試用品テストを兼ねる事もあり、実戦さながらの形式で互いに撃ち合う事さえもある。

 今回の演習に限って言えば、呉のご厚意により色々と便宜を図ってもらった上でのものだったのだが、どうもこちらが思うようには事は運ばなかったらしい。

 不甲斐ない結果に終わった事を悟った俺は、露出しかかった思いの丈を無理矢理封じ込めると、深く椅子にもたれかかった。

 

 「心の問題、か。全く、なかなかどうして上手くいかないものだな」

 

 インポテンツになってまで手に入れた艦娘の運用は、ここに来て暗礁に乗り上げてしまっていると言っていい。

 少なくとも今回の演習部隊――――扶桑や時雨を中心とした面々に対し、俺はどうにも打開策を思い浮かべずにいた。

 悩みの種は至って簡潔で、扶桑達の戦績が捗々しくないのだ。実戦においても、演習においてもそうで、今回に至っては呉の提督にかなり融通してもらったにも関わらず、この体たらく。

 

 「早急に対処せねばならんだろうが、さて、どうするべきか」

 

 この時ほど、もっと迅速な対応をしておけばよかったと悔やんだ事はない。

 扶桑に殴り掛かった武蔵に謹慎処分を下す事になったのは、それから数日後の事だ。

 




寝不足で寒気に震える大和さんは、一体何時から提督の私室の前で待機していたんですかね……? しかも、音すら立てず。

Q 夕立、ちょっとしつこ過ぎない?

A たとえ洗い落としたとしても、木曾と不知火の臭いがこびり付いてたのは事実だからね。マーキングし直さないと。

Q でも消臭剤買ってきたら、提督の匂いも消えちゃうよ?

A 臨時でやってくるどこの馬の骨とも知らぬ男の臭いと混じる事の方が一大事なんだよなぁ。消臭スプレーも買わないと。



次回の更新は2月の中旬か、三月の頭、になると思われます。今回で書き貯めはストック切れですのであしからず。
それと、次回更新でのタイトル変更を考えています。参考にするかは分かりませんが、暇な方はメッセージの方でアドバイスなど送っていただければ。実質アンケートの形をとっているので、感想の方には書き込まないで頂けると助かります。

そういえば、新イベ始まりましたね。ゆーちゃん可愛い。もうこの子だけでいいんじゃないかな……? え、今ならろーちゃんもついてくるの!? お買い得ですねぇ!


追記

ご指摘を受けまして、次話のヤンデレ度を上げようと思います。うーん、難しいなぁ

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