インポテンツ提督がヤンデレ鎮守府を切り抜けるようです   作:赤目のカワズ

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第13話

 ザアザアと降り注ぐ横なぶりの雨粒が、鎮守府を包み込む。

 目を覚ました俺を出迎えたのは、強かな雨音だ。

 

「…………」

 

 絨毯爆撃を思わせる雨足の強さはそれこそ朝方から続いているものだから、俺なんぞはすっかり気が滅入ってしまっていて、抑揚も乏しい。動きが鈍い。動作が遅い。

 雨下がりの屋内からは心なしか活気が失われていて、窓に打ち付ける雨音ばかりが延々と木霊している。静寂とした騒音は、耳朶を打っては止む気配がなかった。

 こういった雨模様は多くの面々にとってもあまり歓迎されないものだ。風情と雅に彩られた情景と褒め称えるにしても、こうも長らく天候が安定しないとなればさすがに話の流れも変わってくる。窓から見ゆる風景は、雨に隔てられて未だ不明瞭なままで、自然足並みも遅くなる。

 とはいえ、こうした悪天候も元気盛りの駆逐艦連中の前ではあまり関係ないらしい。

 寝ぼけ眼を擦りつつ、二度寝に絆されかけた体に鞭打って廊下を歩いていた俺は、食堂に通ずる道に差し掛かった所で、眩しいばかりの光景に目を焦がす事となる。真向いからやってきた少女はこちらに気づくと、律儀に敬礼の形を取った。

 浮かべた柔らかい笑みを受けて、思わずこちらも気が緩む。

 

「あっ! 司令官! おはようございます!」

 

 ――――吹雪という少女を特徴づけるものとして、先ずその生来の明るさが上げられるだろう。戦績としては新米も良い所ではあったが、彼女の加入は鎮守府に新たな風を呼び込んだ。

 最近は師匠筋にあたる航空母艦赤城にべったりではあるものの、建造当時と変わらずこちらを慕ってくれる純粋さには目が眩む。その好意につけこんだ俺は、弛んだ背筋に活を入れる事もなく、不真面目さを思いのままとした。

 

「……おはよう、吹雪。どうしたんだ今日は。食堂は、反対側だが」

 

「もしかしたら寝坊してるのかもって、明石さんが……でも、杞憂で終わったみたいで良かったです! 司令官、今日もとってもお早いんですね! 吹雪、尊敬しちゃいます!」

 

「……まあ、俺も、立場的には、お前たちの上司、だからな。失望させんようにしなければ……」

 

 欠伸を押し殺しながらの戯言だ。どれだけ威厳を蓄えた所で高が知れている。

 しかし、疾うの昔に明石に見抜かれていた俺の不甲斐なさを前にしてもなお、目の前の少女は瞳を煌めかせる事を止めようとはしなかった。

その眼差しを受けて、すっかり気恥ずかしさが優ったばかりか、眠気も何処かへと吹き飛んでしまう。最近感じるようになった事だが、彼女はどこかオーバーなきらいがある。

 

「わっ、素敵な心掛けですね! そんな司令官の旗下で戦えるなんて、私、とっても幸せです!」

 

「う、うむ、そうか。……まあ、お前もここに来てからまだまだ日が浅い。毎日努力を怠らず、しっかりと経験を積んでいってくれ」

 

「はい!」

 

 通り一辺倒の文句を真に受けたネームシップの笑顔は、まるで太陽のように輝いていて曇りを知らない。

相応の幼さの中に時折垣間見せる兵器としての一面も、この時ばかりはその存在を潜ませた。こうまで言われてしまっては、こちらとしても何時までも腑抜けている訳にもいかない。

 

「そういえば、赤城とはどうだ?」

 

 吹雪と連れ立って、食堂への道を突き進む。

 雨粒の打ち付ける音は相変わらず煩わしかったものの、隣に話し相手がいるというだけで、気分は様変わりを果たしていた。

 

「えっ、赤城さんですか?」

 

「ああ」

 

「はい、何時も仲良くさせてもらってます! 一昨日なんてですね!」

 

 手振り素振りと共に回想を思い浮かべる吹雪の横顔はきらきらと輝いていて微笑ましい。一時は判断に迷ったものの、やはり赤城に彼女を任せた事に間違いはなかったようだった。

 聞き手に回って頷き返している内に、俺たちは食堂にたどり着いた。仄かに香る匂いが鼻孔を擽り、食欲を増加させる。朝方の空きっ腹は早くも侃侃諤諤と空腹を訴え始めていた。

 生憎の天候不順にも関わらず、食堂には人の活気が見て取れる。鶏鳴も鳴らぬ時間にも関わらず席はいくらか埋まりつつあり、等間隔で並べられたテーブルのそこかしこに料理が並べられている。

 事実、俄かに人の流れが増し始めたのも丁度その時だ。空いた横隣を少女達が通り抜け、暗雲を物ともしない溌剌さが瞳を焦がす。

 

「キイイイ~ン!」

 

「きゃっ」

 

 初め、先頭に躍り出てみせたのが駆逐艦島風だ。すっと整った横顔が風と共に通り過ぎたのも束の間、後姿を見せつけるようにして前へ前へと駆け抜けていく。金紗を彷彿とさせるきめの細かいブロンドが風に靡いているのが印象的だ。

 まだ朝方である事も関係しているだろう、この時ばかりは彼女も普段通りの服装とはいかなかったらしく、あの前衛的軍装は影も形もない。それでもラフなタンクトップ姿で両肩を晒しているのだから、見ているだけでこちらが寒くなってくる。

 また、風を伴って走り抜けたのは島風ばかりではなかった。後塵を拝する形をとって、少女が続く。島風が小憎たらしい表情を浮かべていたのとは裏腹に、後方に位置する少女の顔は真っ赤に染め上がっていて心なしか余裕も見受けられない。

 銀砂を思わせる髪を振り乱しながら、人目も憚らずに天津風が声を張り上げたのはその時だ。

 

「こら、島風! 廊下は走っちゃ駄目でしょ!」

 

 言って分かる奴でもないのだから、天津風が度し難い矛盾を振り切ったのも無理はなかった。事実、走って追いかけない内は、島風や時津風といった面々は聞く耳さえ持ちやしない。

 とはいえ、天津風のありがたい謹言がちゃんと届いているかというと、やはりそんな事があり得る筈もなかった。

 正に暖簾に腕押し糠に釘。惨憺たる有様がそこには広がっていて、島風がようやく足を止めたのも殊勝な面持ちからでは決してなく、振り向きざまに浮かべた表情からもそれは明らかであった。

 

「天津風ちゃん、おっそーい! 私を止めたかったら、もっともーっと速くなきゃ!」

 

「なっ! 言うに事欠いて、私がスロウリイだって言うの!? てか、貴方が走るのを止めれば済む話でしょ!?」

 

「だめだめ! 天津飯ちゃんってば、そんなんじゃあ世界は縮められないよ!」

 

「いいのよ別に! それに、私は天津風です! もう! 今回ばかりは本当にトサカに来た!」

 

 先にも増して赤らんだ表情につけ込むようにして、島風はからかいの言葉を投げかける。

輪をかけたように赤みを増した天津風の顔からは、今にも湯気が上がってきそうな程だ。いきり立った肩からも、彼女の怒りが窺える。

 さて、確かにこれらを和気藹々としたじゃれあいと捉えるのも一つの手だろう。しかし、そのまま放置してしまうというのはあまりにも天津風が不憫過ぎる。

 破裂もかくやという勢いでいきり立つ彼女の肩き手を伸ばす。表面温度の上昇からか、彼女の差し向けてきた視線は酷く鋭いものであるように思えた。

 

「どうどう、落ち着け天津風。若い頃から怒り顔を続けていると、そんな風に顔も固まってしまうぞ。……島風も、廊下は走らないように」

 

 よもや割って入って来られるとは思いもしていなかったのかもしれない。島風のおちゃらけた雰囲気が霧散し、居心地悪そうに後ずさりを開始する。

 俺の言葉に続くようにして吹雪までもが声を上げたものだから、島風はとうとう強がって鼻を鳴らすまでになった。

 

「そうだよ、島風ちゃん。司令官もこう言ってるんだし、従わなくちゃ」

 

「ぶー、提督に吹雪ちゃんは、天津の肩を持つの?」

 

「いや、そうじゃない。単に、友達を困らせるなってだけの話さ」

 

「あう……」

 

 途端に俯いてしまう島風。厳しい物言いをもって窘めたつもりは全くなかった訳だが、なかなかどうして彼女にも罪悪感はあったらしい。思いのほか深刻に受け止められてしまい、今度はこちらが言葉に詰まる。

 結果、事態の収拾を図ったのは他でもない天津風であった。彼女は自分から島風の方に歩み寄ると、言葉少なげながらも手を伸ばす。

 

「……天津風?」

 

「ほら、一緒にご飯食べにいきましょ。…………早く、ね?」

 

 しかし、天津風の歯切れの悪さとぎこちなさはあまりにも顕著だ。明後日の方向を見やるばかりで、彼女は島風と顔を合わせようともしない。

 そこに追撃するのが、らしくない臆病さと共に、一向に彼女の手を握ろうとしない島風である。ようやく見せた殊勝な態度も、もじもじとしていて一向に話も進みそうにない。

 結局、綯い交ぜになって押し寄せてきたいじらしさと歯がゆさにとうとう耐え切れなくなった俺は、強引に二人の手を結び付ける事にした。掌の中に、都合十本もの小さな指指が収まる。

 

「おうっ!?」

 

「ちょ、ちょっと!?」

 

「ええい、やきもきさせてくれる! ほら、これで仲直りだ、そうだな!?」

 

 動揺する二人を前に、もっともらしい言葉を吐きかけようとしたその時だ。指越しに伝わってくる熱に、思わず気をとられてしまう。

 

「全く、朝から元気なのはご苦労な事ではあるが……んん? 天津風の手って、温かいんだな」

 

「そ、そうかしら? 別に、普通だと思うけど」

 

 何気ない疑問に対し、天津風は早口でまくしたてる。

 その間、俺の手は相も変わらず彼女たちの指を握り続けていた。俺の無骨なそれとは対照的な、柔らかくてふにふにとした女の子の指だ。ほっそりとした第二、第一関節の先にて、丸みを伴った爪床が、ふっくらと強かな弾力を帯びている。

 図らずも指フェチになりかけた俺を寸での所で思い止まらせたのが天津風だった。澄まし顔を象った彼女が無理やり手を振りほどく。

 目まぐるしい事態の急転度合に、置き去りにされつつある島風なんぞは目を点にして当惑の意を示した。

 

「手、放してって言ったでしょ? 全くもう……」

 

「す、すまん。その、元はと言えば、俺が口出しを始めた事に因るだろう? 居ても立ってもいられなくてだな……それに、お前たちの仲が拗れたままでは、俺も悲しい。だから、その、ああいった強引な方法を取ってしまった。……あんまり怒らんでくれ。頼む」

 

「…………もう! もうもう! 本当に貴方って人はもう!」

 

「あ、天津風?」

 

 狼狽する俺を尻目に、彼女は振り解いた筈の島風との架け橋を再び紡いだ。直後、俺と距離を取り始めるのにあまり時間はかからない。

 余計に事態を拗らせてしまったという事実に、俺は己が不器用さを呪った。

 

「……いらぬお世話、だったか」

 

「そ、そんな事ないですよ!」

 

 吹雪のフォローが痛い。時として優しさは、心なき剣に映る時もある。無論、全て俺のせいであって吹雪には一切の非はない訳だが、彼女の浮かべる苦笑いが心苦しい。

 暫く間を置いて間宮から朝食のお盆を受け取った頃にもなると、疾うの昔に先の二人は食事に手をつけていた。料理に舌鼓を打ち、いじらしくもケチャップをくっつけた島風に対し、天津風は何処か呆れ顔だ。

 彼女らが腰を落ち着かせた席の反対側では、これまた見事なまでに多種多様な料理の数々がテーブルに敷き詰められていた。図らずしも目を奪われる光景に、思わず感嘆の息が漏れる。

 

「おお……毎度毎度、この光景は圧巻だな」

 

「提督、おはようございます」

 

「ああ、おはよう」

 

「おあようございます、赤城さん!」

 

 テーブルは何枚もの皿で占拠されてはいたものの、まだ余裕を残していた。都合二つばかりのお盆を押し込むと、皿と皿とが擦れるような悲鳴を上げ、耐え忍ぶ。椅子を引いた俺と吹雪を、彼女は朗らかな笑みと共に出迎えた。

 航空母艦赤城は当鎮守府における古強者の一人で、その出会いも一昔前にまで遡る。初めて出会った当時の記憶が蘇るも、もはや遠く昔の出来事のようだ。

 鉄骨を仕込んだかのようにピンと張った背筋に、凛々しい顔つき。自信に満ち溢れた表情に裏打ちされた実力は、正確無比な弓道の腕前からも見て取れる。

 だが、戦場においては無尽の活躍を誇る彼女も、ひとたび鎮守府に戻って来たならばその素の表情をあけすけなものとした。好きなものに手を伸ばし、咀嚼し、平らげるその様は、女だてらに堂の入ったもので、美味しそうに頬を膨らませる姿を見かける度、自然と顔が綻ぶ。

 加えて、仮にも古参が常時警戒態勢を敷いているようでは、戦場に出るようになって日が浅い新造艦らにしても心が休まる時がない。そういった面も含め、彼女のオンオフの切り替えは有難かった。

 得てして仏頂面で全身を固めてしまうような者も中にはいるのだ、赤城のリラックスした仕草が与える影響は無視できないものがある。

 彼女の食いっぷりに当てられてか、より一層食欲が湧いてきた俺は、煮魚に箸をつけるのもそこそこに、先ずは味噌汁に口をつけた。白味噌の温かな甘みが喉元を伝って心を潤す。雨気が醸し出す薄ら寒さが一瞬で吹き飛ぶような心地よさに、自然と声が出る。それは吹雪も同じであったようで、赤城と同席を果たしているせいもあってか、幸せそうな笑みを普段の二割増しで披露する事となった。

 

「美味いな」

 

「ええ、本当に。それに、一日の健康は朝食から始まりますから、毎日しっかり取らなければ。艦娘とはいえ、そういった面においては人間と変わらないでしょうし。提督も、お酒を控えて健康的な食事バランスを心掛けるようにすれば、ずっと健康で有らせられますに」

 

「そ、そうだな。うむ」

 

 歯切れの悪さを露呈させた俺を、当初こそ赤城は訝しんだ。

 だが、彼女の不審は、自身の胃袋を押さえつけていられるほどの頑強さを有してはいなかったらしく、結局は迷い箸に己の命運を委ね始めた展開に思わず安堵の溜息を吐く。

 よもや彼女が知っているとは到底思えなかったものの、なかなかどうして俺は底意地の悪さを捨て切る事が出来ないでいるらしく、ついついその発言の真意を尋ねたくなる。上官がインポテンツなどと知られれば、赤城は勿論、吹雪だって良い気持ちはしないであろう事は明白だ。

 いや、そもそも吹雪はインポテンツという症状もとい、どこの器官のどんな病気であるのかなどと知っている筈もない。いやいや、知っていて欲しくない。使い古された処女信仰に縋りたくなる程度には、吹雪という少女はまだまだ幼さを秘めていた。

 インポテンツに端を発し、思わぬ形で吹き出した横島ならぬ邪な感情は俺自身の動揺を誘う事となった。箸捌きは精細を欠き、目的地に到達する事もなく箸の間を飯が滑り落ちる。

 なす術もなく地べたに向かって突き進むその様は、酷く緩慢な時の流れと共に俺の視線を釘付けにした。

 

「むっ……」

 

「提督、大丈夫です。十五秒、十五秒ルールがありますから」

 

「いやいや、止めんか意地汚い」

 

「お米一粒の中には、神様が七人いらっしゃるんですよ? どうか何卒、ご再考くださいませ。ね、吹雪?」

 

「え? わ、私!? えと、その!」

 

「ええい、吹雪を巻き込むな!」

 

「むう、提督は少し吹雪に過保護過ぎるのではないでしょうか?」

 

「今でだってお前のほうが吹雪とはべったりしているだろう! 全く、他にも変な事教え込んでるんじゃないだろうな!?」

 

「変な事……ですって? まるで私が先輩として相応しくないとでも言いたげですね」

 

「そ、そこまでは別に言ってないが……と、ともかく! あまり無茶を言ってやるな」

 

 折しも舞い降りた金言には一瞬怯んだものの、吹雪まで巻き込むのはいただけなかった。地面に落ちたそれをフキンで拭い取る。

 確かに、赤城の言葉も一理ある。周知の通り、我々現代を生きる若者は、記録という名の色眼鏡をもってでしか歴史を窺い知る事が出来ない。だが、艦娘は違う。通説化しつつあるそれを全面的に信頼するのであれば、彼女たちは現代に蘇った大日本國艦隊はその人である。

 道義上、客観視にならざるをえない我々現代人とは異なり、彼女たちは正しくその時代を生きた者達だ。かつて確かにあった時代を思えば、対深海棲艦の防波堤として活躍し、その事から世界中の支援を得る立場にある現代の日本社会は想像を絶する域にあると言える。意地汚かろうが何だろうが、目の前に広げられた豪華絢爛の食事の数々は、一粒とて逃したくないというのが実情であろう。

 とはいえ、それはそれ、これはこれ。何かしらの間違いから、地面に落ちたものを平気で食うような事が広がっても困る。

 果たして心を鬼にするべく胸をはった直後、背後から突如として押し寄せた圧迫感に俺は情けなくも背筋を立ち上がらせる事になった。

 

「ご馳走様! 提督、私早い? 早いでしょ?」

 

 俺を包み込むようにして、彼女の両手が脇下へと伸びている。上下に擦り付けるような背中越しの感触は島風によるもので、押し付けられた顔の輪郭は何処かこそばゆい感覚を伝えてきた。まるで犬とじゃれ合っているかのような気分である。

 

「し、島風か……びっくりした。どうだ、美味しかったか?」

 

「うん! それで……提督は何してたの? こっちに来れば良かったのに」

 

「天津風を怒らせてしまったからな。それに、赤城は以前体調を崩した事があって、心配だったのもある。まあ今日の様子を見るに無用のものであったみたいだが」

 

「ふーん、そうなの」

 

 振り返ると、天津風がただ黙々と食事を続けているのが目に映る。

 空の茶碗を横隣りに侍らせたその様は、酷く寂寥に満ちていた。こちらに背中を向けているものだから、その思いは一層強く募る。

 

「ほら、まだ天津風が食事を続けているだろう。もう少し、待ってやれ」

 

「じゃあ、提督も一緒にこっちのテーブルに来てってば! 赤城と食べてないで、ね? きっとそのほうが、天津も嬉しがるもん! 何だったら、吹雪ちゃんも一緒に!」

 

「おいおい……時期こそ違えど、お前も天津風も赤城の世話になったクチだろ? そんな言い方は……」

 

「いーいーかーらー! はーやーくー!」

 

「し、島風……一体どうしたっていうんだ?」

 

「ふん! 来てくれるまで離さないんだからね!」

 

 挟み込むようにして腕に力を込めた島風は、梃子でも動かないといった様相を表に出し、俺をほとほと困らせた。顔が見えない事がそれを余計に煽り立てる。オナモミとてこうは反抗を示さないであろう事は明白で、それ以上に気になったのが赤城の事である。

 艦種こそ違えど、鎮守府の古株でもある彼女には、新造艦の教育を回す事が幾度かあった。事実、この場には吹雪を含めそのテストケースが勢揃いしている。

 実際の所、島風、天津風を育て上げた技量に疑う余地はなく、その実績があったからこそ、吹雪の事を任せた節もある。だからだろう、赤城をないがしろにするような島風の言葉には、どこか違和感があった。

 しかし、当の本人はと言えばどこ吹く風、赤城は素知らぬ顔で食事を続けている。まるで、島風の事など視界にも入っていないかのように、である。

 目下槍玉に上げられている彼女自身がこんな態度を装っているのだ、俺なんぞが易々と口を出せる訳がない。

 俺が不審に思っていると、唐突に先手を制したのは何を隠そう赤城の方からであった。その手には、フォークとナイフが握られている。

 とっくの昔に贄と成り果てた肉塊にフォークを突き刺した彼女は、逸る気持ちを抑えながら、静かに、静かにナイフを引いた。真っ二つに両断された肉片は、その懐をうっすらと赤みで染めている。焼き爛れた表皮が嘘のような処女性だ。

 肉汁の滴り落ちるそれを一口で頬張り、咀嚼し、平らげた彼女は、余韻に浸るのも束の間、深い笑みを浮かべながらこちらに視線を送った。

 

「お気になさらず」

 

「そう言われても、だな……」

 

 口元にこびり付いた濃厚なソースを拭い取る赤城。

 何気ない所作はその節々に至るまで洗練されていて、だからこそ余計に不安を煽った。一連の騒動全てを切り捨てるような無関心さに、喉元まで出かかった言葉が霞に消える。

 

「私の事は気になさらず、さあ、どうぞ島風達のテーブルへ。天津風も寂しそうですしね」

 

「いや、しかし、……」

 

「ほら、吹雪も」

 

「あ、はい! 分かりました!」

 

 先手を打つようにして吹雪までもが立ち上がったものだから、俺はとうとう事態を飲み込まざるを得なくなってしまった。呼び止めようにも、吹雪はこちらを待たずして反対側のテーブルに席を移してしまう。

 赤城の言葉を誰よりも喜んだのが島風だ。今度は腕の方に回ってきた彼女は、あわや肩が抜けるのではないかと思う勢いで思いっきり引っ張り始める。

 後手後手に回り続けた結果は火を見るよりも明らかだ。後ろ髪を引かれるも、当事者たる赤城にああまで言われてしまってはこちらとしても動かない訳にはいかなかった。料理の方が何処か味気なく感じてしまうようになったのは当然の成り行きといえる。

 天津風との関係修復こそ成功に終わったものの、釈然としない気持ちは依然尾を引いていたものだから、俺は何時しか視界に赤城を収めずにはいられなくなっていた。

 要領を得ない会話、的外れな相槌、唐突に訪れる沈黙はさぞかし駆逐艦達の不興を勝ったに違いなかったが、結局それらは食事を食べ終わるまで延々と付き纏う事になる。

 その後、食器を間宮に返し終え、食堂から出てからというものの道半ば。

 忘れ物を思い出した風を装った俺は、踵を返して再度食堂に赴く。

 赤城は、まだ食事をしていた。

 

「いかがされましたか? 提督」

 

「いや……別に、何かあった訳ではない、訳ではないが……」

 

 何処から切り出したものか。椅子に腰を落ち着かせたものだから、浮上しかけた思いも言葉も一緒くたに胸元深くまで沈めてしまう。

 そうやって思い悩んでいると、不甲斐ない俺に先んじて赤城が口を開く。

 

「ああ。もしかして。先ほどの事でしょうか?」

 

「ん? あ、ああそうだ。その……何だ。島風とは……上手く、いっていないのか? ……勿論、こういう聞き方が下策である事は分かってる。だが……しかし……島風があんな事を言い出すなんて、はっきり言ってびっくりした所の騒ぎではない」

 

 彼女の言葉を待つまでの間、俺の脳裏を様々な感情が過った。

 何か、とてつもなく良くない出来事が起こっているのはないだろうか。確かに、面と向かって同僚との仲を聞かれても、赤城も答えに窮するであろうし、そういった視線で見られているともなれば、あまり良い気持ちはしないであろう事は明白だ。

 だが、そうであったとしても、思わず問いたださずにはいられないほど、違和感はその大きさを誇示している。

 もはや、無視できないほどに。

 だが、俺の予想と反し、彼女はさして苦しんでいるようには思えなかった。そもそも、こちらの質問の意味が理解出来ていないのかもしれない。

 それこそ彼女は判然としない態度をにおわせていたが、やがてこちらの意図を察したらしく、微笑みを露わにする。

 

「もう、本当に提督は鈍感なんですから」

 

「何?」

 

「きっと、島風は嫉妬していたのでしょう。そうに違いありません。まあ、それも致し方のない事であると思われます。なんせ、大好きな大好きな提督が、自分じゃない人と会話しているのだから。同年代の者はともかく、私みたいのが相手では、ね」

 

「嫉妬……いや、まさかそんな……」

 

「提督も、島風の気持ちには気づいているんでしょう? たとえ子供の勘違いであったとしても、彼女がそういう感情を貴方に抱いているのは確かです。間違いありません。表にこそ出していませんが、天津風も吹雪も、きっとそうです」

 

 あまりにも突拍子もない赤城の言葉を、俺はすぐには飲み込む事は出来なかった。

 だが、彼女の澄んだ瞳は、そうした疑念の余地を余すところなく取り除きにかかる。それ以上言葉を挟む事を、赤城は言外に阻んでみせた。

 とはいえ、その言葉を真剣に受け取るつもりはあまりなかった。何せ相手は駆逐艦勢だ。恋だの何だのを勘違いしている可能性は十分あったし、そもそも彼女達の人生はまだ始まってすらおらず、その身は兵器として事実上の拘束状態にある。

 彼女達の人生が真なる意味で動き出すのは戦争が終わってからの事で、戦争さえ終われば全てが変わる。鎮守府に滞在するたった一人の男という異常な状況に惑わされてほしくないというのが正直な所であった。

 ……いや、これらは全て建前というか上官としての矜持というかもう色々アレでアレだったりするんだけどね! まったく、駆逐艦は最高だぜ!

 そんな内情をおくびにも出さず必死に取り押さえた俺は、動揺をよそに素知らぬ風を気取って言葉を選ぶ。紳士的かつ平静を装った俺はあまりにも滑稽であった。

 

「……ま、全く、そんな子供染みた……いや、実際子供か。すまなかったな赤城、事情があったとしても、ああ言われてはお前も内心あまり良い気持ちはしていなかっただろう。島風には、後で俺からよく言っておく」

 

「いえ、それには及びません。先に言った通り、あまり気にしていませんし、そもそも、彼女らの行為は一種の義務から来るものですから」

 

「義務……?」

 

 その言葉の意味する所を測りかねた俺は、思わず首を傾げる。赤城は一度間を置いてから、

 

「ええ、提督は、あのMI作戦を成功に導いたお方です。まさしく英雄です。英雄は、全ての人間に認められ、愛される権利があります。逆に言えば、全ての人間は英雄を崇め奉る義務があるんです。英雄を英雄と認めない者は、私が決して許しません」

 

 それは、あまりにも熱のこもった物言いだった。こちらが息を呑むほどに。

 だが、そうやって褒められて良い気がしない人間はこの世に存在しない。途端に緩み始めた口元を慌てて引き締めた俺は、過剰であるも本心から来たであろう褒め言葉に敬意を抱きつつ、

 

「え、英雄か……いきなり話がでかくなったな……だが、そもそも作戦が成功に終わったのはお前たちの努力があったからだ。俺自身は、それを後押ししたに過ぎない。英雄なんぞではないさ」

 

「ええ、私も初めはそう思っておりました。貴方は英雄ではないと。でも、今は違う。貴方様は、れっきとした英雄です。英雄なんです。少なくとも、この鎮守府にいる全ての者には、そう考えてもらわなければ困ります。最も、私がするまでもない事かもしれませんが」

 

「そ、そうか……。だが、尊敬や信頼の念は自らの手で勝ち取ってこそだと俺は思う。お前に言わせるまでもなく、上手くやってみせるさ」

 

「それでは、私も精進を続けていきたいと思います。どれだけ提督が卓越した指揮をした所で、現場の私たちが不甲斐ないままでは申し訳が立ちませんので」

 

 赤城との長話を続けていると、新たに一人の少女が食堂に入ってきたのが目に映った。叢雲である。

 

「あら、司令官。それに赤城。おはよう。調子はどう?」

 

 朝食を取りに来たであろう彼女は挨拶もそこそこに、俺たちを通り越して間宮の所へ向かう。

 途中、何事かを思い出したのか振り向くと、満面の笑みを浮かべつつ赤城にこう尋ねた。

 

「どう? 私は、力になれた? 一回目と二回目よりは、マシになったでしょ?」

 

「ええ、恩に着ます。どうもありがとうございました」

 

「そう、それならいいの」

 

 短い対話を終え、叢雲は満足げに朝食を受け取りに足を再び進める。

 残された二人の内、何が何だかわからない俺は、これで何度目になるのか分からない疑問をもう一度投げかけた。

 

「……何の話だ?」

 

「戦闘における連携の話で少々。何と言っても一番の古株は彼女ですから。これまでも何度か相談に乗ってもらっていましたし」

 

「成程、な。叢雲ともども良くやってくれてるよ。それだからこそ、吹雪や島風といった面々を預けた意味がある。これからも信頼させてもらおう」

 

「……ありがとう、ございます」

 

「ど、どうした。喉でも詰まらせたか? そうそう、それと、あまり拾い食いとかもしてくれるなよ」

 

「ご心配なく。そもそも、落としたりしませんから」

 

「……本当に分かってるのか、それ?」

 

言葉の通り、彼女に十五秒ルールが適用される事は終ぞなかった。

 















>ザアザアと降り注ぐ横なぶりの雨粒が、鎮守府を包み込む。
どこかで見たことのある一文ですね……。


>「全く、他にも変な事教え込んでるんじゃないだろうな!?」
今回、珍しく勘の冴え渡った提督のセリフ。提督のかっこいいシーンはここだけ。

>赤城
自分から恋敵を増やしていくとはたまげたなぁ

前回の反省を踏まえ、今回は超ドストレート。と言っても今回の主役は赤城ただ一人であり、その他の登場人物はすべて賑やかしに過ぎない訳ですが

Q.今回日常会話長くない?

A.そりゃあ島風、天津風、並びに吹雪は(現時点)ではヤンデレじゃない(と思われる)ので。(今回の)彼女たちの行動には一切裏はない、筈。

Q.結局今回はどんな話?

A.洗脳装置の存在を知っているのが叢雲、明石、大淀の三人ってのは、あくまで提督の主観なんだよなぁ。
あ、そうだ(唐突) 赤城と吹雪の現状を第6話で提督に伝えたのは明石だったし、第11話で赤城が当直の秘書艦が出来ない事を提督に伝えたのも叢雲だし、第13話で提督を起こしにいくよう吹雪に伝えたのは明石だったんだよなぁ あっ……(察し

>「少なくとも、この鎮守府にいる全ての者には、そう考えてもらわなければ困ります。最も、私がするまでもない事かもしれませんが」

まあ天然物の方が多そうだし、多少はね?


今回は分かりやすかった、のかな? やっぱり分かりづらい? 今回も補足に頼ります
補足というか要約しとくと、提督を英雄として見るようにしたり恋愛感情をもったりするように洗脳装置を赤城が使ったという感じ。
ちなみに一回目の洗脳相手が島風、二回目が天津風で、三回目が吹雪。調整の問題と性格の都合上島風と天津風はツンデレ仕様だけど、吹雪は完全に信者に洗脳したってトコロ。

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