インポテンツ提督がヤンデレ鎮守府を切り抜けるようです   作:赤目のカワズ

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第12話

 それは五日目の朝だった。

 ザアザアと降り注ぐ横なぶりの雨粒が、鎮守府を包み込む。

 絨毯爆撃を思わせる雨足の強さはここ最近の記憶にはないもので、一寸外に足を向けただけでも、しとどになって雨粒が前髪を伝う。

 こうした豪雨は朝方から既に始まっており、只でさえ憂鬱な気分を引き摺っていた俺の眼に挑発的な見出しが飛び込んできたのは、その日の書類仕事が一段落済み、今か今かと連絡を待ち望んでいた頃であった。

 手持無沙汰を慰めるにしては、それはあまりに過激な見出しとして映る。

 

「…………」

 

 鉄が、人の魂を震わせる事が出来るのか。挑発的な表題が上がったのは、今週発売された週刊誌の一角においてだ。

 紙面上に載せられた川内型三番艦那珂の煌びやかな笑みは、モノクロな色調で蓋をされてその魅力を一段下げている。人の目線を誘う声高なゴシック体をして口火を切った一連の文章は、陰湿な論調を滲ませる形で綴られていた。

 その文面に目を走らせる度、湧き立つような怒りに駆られる。苛立ちを火種にくゆらせた紫煙は、鬱屈した感情を伴って執務室に充満し始めていた。

 休憩と称して仕事を一時中断してからずっとこんな調子なのだ、血の気立つ俺の様子を見て、呆れ返った秘書艦が咎めるような視線を向けてくるのも無理はなかった――――航空戦艦日向は、何事にも動じない女である。

 並大抵の事では波風一つ立たないその心持ちは戦場においても如何なく発揮されるもので、常日頃何かとぐらつく事の多い俺にしてみれば、少なからず羨望を覚えている部分もあるだろう。

 たかだか紙切れ一枚に踊らされる俺にはどうしても辿りつけない境地に彼女が居る様な気がしてならなかった。

 

「君も好き者だな。何時までもそんな雑誌を読んでるんだから」

 

「何、せっかくうちの那珂が紹介されているんだ……。目を通さない訳にもいくまい」

 

 視線を介さずとも、日向の言わんとする言葉は何となく察する事が出来た。

 元々男女間の境といったものを感じさせないほどの付き合いなのだ、文字媒体の抗いがたい魔力に囚われたばかりかそこに視線を傾けるざるを得ない状態になった所で、彼女のかんばせに落胆の表情が浮かんでいるであろう事は手に取るように分かった。

 あいにくの雨模様は、相槌を打つような体をなして俺の心を曇らせる。時折走る稲光と雷鳴の轟きは一層勢いを増すばかりで、止まる所を知らない。悪天候は、誰しも嫌いなものだ。

 酷く限定された世界へと収束しつつあった俺を我に返したのは、無骨ではあるものの女性のそれと分かる日向の指指であった。

 今しがた中身を注がれたばかりであろう湯呑みを伴って現れたそれは、血に塗れた常日頃とは打って変わった白さが印象的である。

 

「茶でもしばいて、気を落ち着かせるといい。それを飲んでなお収まらんと言うのなら、もはや私に言える事はなにもない、がな」

 

「…………すまん」

 

「君は元々そういう奴だよ。たいして気にしてないし、期待もしてないさ」

 

 露わとなった侮蔑の言葉は、かえって俺を冷静な面持ちにさせた。冷や水を被らされたような錯覚が一挙に身を襲い、一時は逆上しかけるほど高ぶった気の迷いも一周回って尻すぼみになる。

 しかし表面上こそ辛辣に見える物言いも、裏を返せば彼女なりの慰みの言葉と解釈する事も出来た。

 元を糾せば、提督の地位に就く者がこの程度の言葉に揺さぶられている事自体おかしいのだ。日向がそこを見透かした上で反抗めいた発言をするのも、無理はなかった。

 湯気立つ湯呑みはいつも以上に熱く舌を焼く。まるで彼女みたいだ。

 

「…………旨い、な」

 

「たかだかインスタントだ、淹れ方の巧拙で味に違いが出るとは思えん」

 

「日向が淹れたから、美味しく感じるのかもしれんな」

 

「……何を言ってるんだ、君は?」

 

「冗談だ。忘れてくれ」

 

 彼女から視線を外した頃には、蔑みで身を固めた文字列の軍勢もすっかり様変わりしていて、もはや何ら意味を成さない記号の集合体にまで落ちぶれていた。又、見る影もなくとんと魔力を喪失した雑誌を読み耽るほど、時間の余裕が許されている訳でもない。

 那珂のアイドル活動が風当たりの強いものである事について、認識が足らなかったのかもしれなかった。

 議論の矢面に立たされているのはあくまで那珂であって、俺ではない。けなげにもステージに立ち続ける少女に向けるべきは、同情や義憤などではなく真摯な応援であるべきなのだろう。

 雑誌を閉じるに至った俺を、当初こそ日向は不思議そうに見つめていた。しかし、それも幾らかの間だけで、

 

「まあ、分かってくれたのなら、それはそれで。これ以上とやかく言う必要もあるまい……それにしても、君は本当に那珂の事が好きなんだな」

 

「好きでもなければ、こんな記事で一々気を揉んだりしないさ。……アイドルソングは耳に合わんし、その、木っ恥ずかしい事もあって、具体的に褒めた事こそないが」

 

「ん……そうか……そういうものか」

 

 実際の所、上司としての贔屓目抜きにしても、那珂の歌唱力は目を見張るものがあった。

 同型艦における性格や趣味嗜好の差異はかなり幅広いものがあるものの、歌に対して興味があるという点では一貫しているものがある。数ある那珂という少女の中から広告塔として選ばれたのは、彼女自身の努力の賜物であろう。

 事実、当鎮守府から栄えある存在として那珂が選ばれた事は士気上昇の面においても一役買っていた。元より上昇志向のある面々にしてみれば、生来の負けず嫌いが刺激された格好だ。

 何より、鎮守府が一般公開されるような日が訪れれば、彼女が当鎮守府でライブ公演を行う事は周辺住民との関係緩和においても大きな強みになる。

 昨今、様々な情勢を鑑みるにあたって一般人による見学ツアーのようなものこそ企画されてはいないものの、準備しておいて損になるような事もない。

 当然、実行に移される事にもなれば、不安要素として那珂のスケジュールとの折り合いや、見学者への監視体制、パンフレット作成やそれに連なった諸々の費用の計上などが上げられるとはいえ、やりがいのある仕事であると言えるのは確かだった。どんな形であれ、戦地に赴く事もなく彼女達が日々を費やせるというのなら、これほど僥倖に値する事もない。

 そうして確証のない青写真を描いていた俺は、日向が唐突に発した言葉に驚きを隠せなかった。

 よもや彼女までもが『あてられていた』とは思いもしなかったものだから、口元が小さく笑みの形を作るのにさして時間はかからない。

 

「……私は、演歌が好きかな。聴くとしても、歌うとしても」

 

「お前も、前線から引いてその手の方向で売り出すか?」

 

「ふむ……演歌歌手か。悪くないな」

 

「同型艦に先を越されない事を祈ってるよ」

 

 もしかしたら、それは意識しての発言ではなかったのかもしれない。

 とんとん拍子で明後日の方向に向かいつつある話題に、日向は罰の悪そうな表情を浮かべる。

 

「おいおい……冗談のつもりで言ったんだ。あまり本気にされても、困る」

 

「だが、お前の歌声も中々のものだと、伊勢から聞いた事があるぞ」

 

「……伊勢の奴め。まあ、確かにそうやって褒められるのも吝かでは、ない。しかし……ああ、うん、これは駄目だな。カメラの前でマイク片手に歌っているだなんて、どうにも想像のしようがないぞ」

 

 彼女の言葉に釣られるようにして、雑多な枠組みが頭の内で形成されていく。

 観客は満員御礼。着物をその身に纏った女が、ドライアイススモークの煙る舞台に一人佇む。スポットライトを全身に浴びるその様は、今宵の全ては彼女を光り輝かせるための舞台装置でしかない事を如実に暗示させた。

 演歌歌手の凛々しい顔つきは、日向のそれと全く同じだ。けれども、所詮それは空想の日向に過ぎなかった。現実の彼女とは違う。

 その呆れ顔を見るに、どうにも俺は思っている事が顔に出てしまう『たち』であるらしく、不遜な考えはまるっきり筒抜けのようだった。

 

「君という奴は……冗談だって言っただろ?」

 

「いや、なに、中々似合っていると思うぞ?」

 

「馬子にも衣装という奴か」

 

「そんなつもりで言ったんじゃない、あまり自分を卑下するな。それに、好きが高じて何とやらという話もある。腕を磨いておいて損はないと考えるが」

 

「……二番煎じに躍起になるほど、私は愚かじゃないぞ」

 

「二匹目のどじょうとて、輝けない訳でもあるまい。それに、さっき自分で、歌う事は好きな方だと言ったばかりじゃないか」

 

 勿論、航空戦艦日向がその道を歩む可能性は限りなく低いし、たとえその手にマイクを掴む日が来るのだとしても、それは彼女の意思が介在してのものではないだろう。

 結局は上の方針がものを言う世界だ。既に那珂という存在がいる以上お呼びがかかるとは到底思えないし、やはり日向の意思が入りこむ余地はない。

 しかしだからといって、夢も希望も持たずに日々を過ごしていくというのも、味気のない話である。欠片程度の可能性であれ、そういう道が少なからず存在している事を日向には覚えていてほしかった。

 

「好きこそものの上手なれとも言うだろう? 何も諦める必要はないんだ」

 

 俺の言葉を、日向はにべもなく振って見せる。

 

「君もしつこい奴だな……そもそも、夢は夢のままである方が好まれるものだ。私も、そっちの方が好きだ。夢には、現実的な煩わしさは伴わん。それに、頭の中で空想を描いている内は、全て私の思い通りだ。誰も文句を言いやしないし、誰にもその筋合いはない。私は、その方が気楽だな」

 

「しかしだな……」

 

「さあ、この話はもういいだろ? そら、そろそろお目当ての連絡も来るんじゃないか?」

 

 力強い足音が次第に近づいてくる。日向が強引に話を打ち切ったのと、けたたましい音と共に執務室の扉が開け放たれたのは殆ど同じであった。

 出撃部隊からの電文が届いたのだろう、淡い髪色の少女が雪崩れ込むようにして入室を果たす。青葉型一番艦は額に汗をかきながらも溌剌とした声で、

 

「失礼します、青葉です! 出撃部隊の長門さんから電文が届きましたっ! 艦載機越しに目標を確認! そのまま後ろを取るようです!」

 

「連絡御苦労。一層警戒の旨を送ってくれ。天候が回復次第、戦闘機をそちらに送ると」

 

「わかりました!」

 

 その勢いを維持したまま、青葉は執務室から出ていく。彼女の到来と撤収は正しく風のようで、その姿は瞬く間に見えなくなってしまった。

 それを機に、突如として走った緊張が俺の身体を蝕む。平静を装った空威張りもここまでで、唐突にやってきた喉の渇きから湯呑みに手を伸ばすのに時間はかからない。人間、緊張を覚えると喉が渇くものだ。

 そうして傾けた湯呑みは、残念な事に空っぽであった。何時飲みほしたのかさえ、覚えてはいない。

 

「…………もう一杯、いるか?」

 

「いや、大丈夫だ。ありがとう」

 

「…………そうか」

 

 日向の言葉をやんわりと退ける。空っぽの湯呑みが吸い寄せられるように口元に向かったのは、その直後だった。

 今回、出撃の切欠を作ったのは無人飛行機が撮った一枚の航空写真だ。写真には、黒い何かが群れを成して泳いでいる所が映しだされている。

 その特徴的なそのフォルムを見るにあたり、俺達は即座にその正体を看破した。駆逐イ級だ。

 その数、水面に顔を出しているものだけでも数十。海中に潜航しているものも含めれば、相当な数に及ぶだろう。驚くべき事ではあるが、ここには最新の研究と一致する点もあった。

 これまでの情報を総括するに、深海棲艦が既存の生物を模倣しているのは周知の事実だ。

 これは大別上深海棲姫としてカテゴライズされる者達を見てからも分かる通りで、現在ではその行動パターンを人間に当てはめるといった分析も行われている。

 又、卵が先か鶏が先かという訳でもないが、比較的最近その存在が確認されるようになった深海棲姫に対するアプローチによって、駆逐イ級といった存在に対する理解も大きく飛躍する事となった。戦争の長期化は様々な憶測から、ある種の真実を掴み取ろうとしている。

 何も海域に赴けば必ず会敵するという事も、相手が艦隊じみた動きをとって現れるという事もないのだ。さしもの彼らであっても、常に戦闘態勢を維持している訳ではない。

 環境保護団体の声高な意見に同調するようで癪ではあるが、彼らも一種の生命体である。常に我々に襲いかかってくる事もなければ、常時迎撃態勢を敷いている訳でもない。彼らもまた、生物としての生活パターンを持っているのだ。

 実際、航空写真が映しだしたのは、ある種の真実だった。駆逐イ級とも称される存在は、まるで魚のように海を回遊しているのである。

 

「この、戦闘機を使った分断作戦というのは、君の発案だったな?」

 

「結局勝負を左右するのは数だ。いくら長門達が精強を誇るとはいえ、あれだけの数を直接相手にするのは分が悪い。それに、駆逐イ級について注意すべきはその砲撃は勿論だが、その形振り構わぬ突撃に関してだ。陣形を崩されるような事があってはひとたまりもあるまい」

 

 現代兵器が深海棲艦に全く通用しないというのは、少々語弊がある。

 艦載機を遥かに凌駕する弾丸やミサイルの直径は、牽制に徹するのであれば十分戦術的効果を見込めるし、輸送機を用いた艦娘の着水訓練なども実戦形式で着々と行われている。

 今回の作戦で言えばヒットアンドアウェイの要領で駆逐イ級の群れを叩いてもらい、その後散逸化した勢力を個々で撃破する事となっている。出撃可能な人員の大多数を割く程の大掛かりな作戦を実行に移す事が出来たのは、他鎮守府の人員を回してもらい、戦艦級の出現に備えてもらっているからに他ならない。

 魚釣作戦と名付けられた今作戦は既に五日目の朝を迎えていた。群れの発見に梃子摺った事に加え、悪天候が戦闘機の出撃を阻んでいる事が大きな要因だ。

 無論、かつていかなる状況においてもスクランブル発進を行い、中国やロシアの挑発に決して屈する事のなかったパイロット達にとって、この程度の天候不順は何ら問題に値しないだろう。だが、もしも撃墜されるような事があった時、荒れる海と激化する戦闘の最中にあってパイロットを救出するのはかなり難しいと言わざるを得ない。

 また、只でさえ海は深海棲艦のホームグラウンドにあたる。悪天候により此方側が受ける影響は大きく、出来る限り万全の体勢で臨みたい所があった。

 

「成程、それが君の雨嫌いに繋がっている訳か。まあ、筋は通っているが」

 

 新たにお湯を注ぐ日向の後ろ姿は、特にこちらを非難しているようには思えなかった。

 だが、後ろめたい気持ちがある事に変わりはない。視線を逃がそうにも、窓の向こう側には蕩蕩とした暗雲が広がっているだけだ。

 

「勿論、四の五の言っている場合ではない時も、ある。天候に関わらず作戦を遂行せねばならない時も存在する。悪天候時に偶然接敵を果たす事になるケースもあるだろう。だが、今回のように緊急性が低い作戦に限って言うならば、出来る限り不安要素は取り除いておきたいのが正直な所だ。包囲網を敷いているため、視界不明瞭のままでは同士討ちを起こす危険もあり得る。まあ臆病風に吹かれていると言われればそれまでだが」

 

 人が笑顔を作ると、楽しい気分や穏やかな気分になるのは本当だ。TVに人口の笑い声が挿入されている事からも分かるとおり、たとえ不自然な笑みであっても人の感情は揺り動く。

 日向との何気ない会話は、確かに楽しいものだった。だが、どれだけそれを実行した所で、出撃中の彼女らの事を想うと一抹の不安が残る。そして、蝕むようにして広がりつつあるのが罪悪感だ。

 有り体に言うのであれば、俺は日向を利用したのである。騒ぎ立つ心を慰める手段として用いた。そして、それに気付かぬほど彼女は愚鈍ではない。

 

「不安か?」

 

「ああ……正直、不安で一杯だ。勿論、彼女らの実力を信用していない訳ではない。いや、だからこそ不確定要素は排除しておきたかったとでも言うべきか」

 

「それは、彼女達が好きだからか?」

 

「す、好きってお前な……。いや、冗談で言ってる訳でないのは分かってる。ただ、その、一々言葉にするのも、こそばゆいしな……」

 

「時には素直に言ってやれ。……彼女達も、きっと喜ぶ筈だ」

 

 黙り込んでしまう俺を尻目に、日向は素知らぬ顔で湯呑みに口をつけた。

 女らしからぬ助言といい堂々とした物言いといい、本当に頭が下がる。とはいえ、その身の振る舞いを自らに反映させるにはそれなりに時間を要するだろう。結局の所、物欲を満たしてやるのが一番手っとり早い手段である事に変わりはなかった。

 

「……たまには、好きなものでも皆に食わせてやるか。日向は、何が食いたい?」

 

「私か? そうだな、一番良い瑞雲を頼む」

 

「いや、瑞雲は食い物じゃないだろうに……瑞雲フリークもここまで来れば一級品だな」

 

「ふむ…………瑞雲について語り合いたい、と」

 

「…………」

 

 喜色を滲ませる日向に、嫌な予感が過ぎった。

 もっと言えば、ほほえみデブがM14を持って日向の横に立っている。

 

「……待て待て待て。まさかと思うが、瑞雲にシャーリーンだなんて名前をつけてないだろうな」

 

「おいおい、私は別に狂ってなんかないぞ? それに、瑞雲は瑞雲だ。それ以上でもそれ以下でもない」

 

 結局の所、それは俺の思い過ごしであった。

 一通りの知識は詰め込んでいたものの、実物と慣れ親しんだ賜物であろうか、彼女の言葉は、その一つ一つがリアルに溢れている。

 俺自身が軍人であるという事も手伝って、彼女の話には興味を惹かれる点も多く、知らず知らずの内の話に聞き入ってしまう

 

「ほう……日向は本当に瑞雲が好きなんだな」

 

「自分の相棒に愛着を持つ事ぐらい、普通だと思うが。……君にも、そういうものがあるだろ?」

 

「そう、だな。物扱いをしてる訳じゃないが、俺も、鎮守府の皆には愛着を抱いている。これからも、ずっと同じ道を歩んでいきたいものだ」

 

「それでこそ、皆の提督って奴だ…………ふっ」

 

 唐突に笑壺に入った様子の日向に、首を傾げる。

 

「ん、どうかしたか?」

 

「何でもない。何でもないさ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結論を先に言うのであれば、作戦は無事に終了した。

 損害は軽微。天候の回復を待って始めた事が幸いしたのか、討ち漏らしも比較的少ない。公式戦果においても上々の結果であると言えた。

 今回の報告書は軍の研究所の方にも回されるようで、駆逐イ級の残骸の輸送も同時に行われている。お陰さまで文書の作成にかかる時間は二倍になった訳だが、誰に噛みつく訳にもいかず、行き場を失ったその思いを無理矢理嚥下する。

 昼夜に渡っての一人仕事はさすがに身に堪えるものであったが、先の一戦による疲労の色濃い面々をかりだす訳にもいかない。戦場で力になれぬ事を考えれば、この程度の苦行はあってしかるべきものであった。

 とはいえ、断続的に襲ってくる睡魔はそれこそ抗いがたい魅力を放っている。当初の予定から作戦が長期化していた事もあってか、ここ最近はあまり睡眠をとれていなかった事も関係しているだろう。寝静まった鎮守府は深々とした薄ら暗さに満ちていて、余計にそれを煽っているように映る。

 口元に単を発した涎橋が机一杯に広がる前に、いくらかの仮眠を取る必要に駆られたのは確かであった。

 早速垂れ下がった瞼を思えば、多少の違和感は意識の外に放逐すべきである。さっさと眠りについてしまっていたならば、もう一度目を開けるような事にもならなかっただろう。

 

「…………一体、何の用だ? ふぁ……眠いんだが……」

 

「あはは、ばれちゃってたか」

 

「…………伊勢?」

 

 何時の間に入りこんでいたのか、苦い笑みを覗かせながら、女がひょっこりと執務机の下から顔を出す。

 ポニーテールを解いて気ままに振る舞うその姿は、普段あまり見かけないものだ。今宵の彼女は珍妙さで着飾っている。

 だらしない笑みに、上気した頬。悪戯を思いついたクソガキを彷彿とさせる形で後ろに回された手。

 おまけとばかりに強い酒の臭いが漂ってきたとなれば答えは自ずと知れるもので、その散々たる惨状に対し、俺は大きな欠伸を返した。

 

「……酔って、いるのか? まあ、先の作戦においてはお前にも出てもらった事だし、別に咎めるつもりはない。が、あまり悪酔いはせんようにな。……俺が言っても、説得力がないか」

 

「ふふーふ。大丈夫ですってば」

 

「……鏡を見ているような錯覚を覚えるな。こういう姿を見る度、金輪際酒に手を出すのは止めようと思うもんだ。結局、無駄な決意に終わるんだが」

 

 彼女を椅子に座らせたのは、何か訳あっての事ではなかった。

 無情にも酔っ払いを追い返す事に、抵抗感があっての事だったのかもしれないし、或いは、労働意欲を背中から刺し殺し、ふって湧いた幸運に藁をも掴む思いで縋りつきたかっただけかもしれない。

 とろんと垂れ下がった伊勢の眼差しはいやに扇情的に映る。だらしのない胸元に視線を向けそうになるのは不可抗力だった。弛緩しきった彼女の背中がそれを助長させる。

 

「んー、そういえば、私が出撃してた時、日向はどうしてました? そういうの、あんまり話したりしないからなぁ」

 

「あ、ああ。そりゃあもう堂々としてたさ。こっちが気後れするぐらいにはな。全く、良い部下を持ったものだ」

 

「ふーん、そうなの……ふふ」

 

 唐突に笑壺に入った様子の伊勢に、首を傾げる。

 

「ん、どうかしたか?」

 

「いえ、何でもないです」

 

「それならいいんだが……ああ、そういえば、一体ここに何しに来たんだ? 仕事の方は……といっても、そんな様子じゃあ手伝いに来た訳でないのは一目瞭然だな」

 

 馬鹿な質問である事を悟ったのはその直後の事だ。酔っ払いがどこぞへと足を向けるのに、理由なんてのは些細なものだ。答えが返ってくる訳がない。

 そう思っていた俺は、彼女がはっきりとした口調でここに来た理由を告げるに至るに驚きを隠せなかった。淀みのない口調だ。或るいは平時のそれに近い。

 けれども、やっぱり彼女は泥酔しているに過ぎなかったのだ。

 

「はい、プレゼント」

 

「…………?」

 

 彼女が手渡してきたのは小さなぬいぐるみだ。眼玉はボタン。糸のほつれた紳士服に袖を通し、凹んだシルクハットを頭にかぶっている。手に杖を縫い付けられたその姿は、どこか往年の喜劇王を彷彿とさせた。

 

「つべこべ言わず、もらって!」

 

「いや、その気持ちは嬉しいが、これ、誰かの持ち物じゃないだろうな? 明らかに新品ではないだろうし」

 

「そこらへんに落ちてたのを拾いました!」

 

 晴れやかな笑みだ。何が楽しいのか問いただしたくなるが、それは無駄な行いと言えるだろう。

 何故なら、酔っ払いは瞳に映るもの全てが楽しく思えるからだ。自然、溜息が吐かれる。

 

「……あのなぁ。紛失物は俺に届け出るのではなくて、皆の分かる場所に置いとくようにだな。全く、何がプレゼントだ」

 

「とにかく、これもっててってば!」

 

「お、おいおい伊勢……」

 

 一端は机に置かれたぬいぐるみが、強引に押し付けられる。酔っ払いはこれだから駄目だ、こちらの意見などまるで聞こうともしない。

 想像の域を出ないが、恐らくこれは駆逐艦の所有物であろう。勿論、長門といった隠れ少女趣味の面々の持ち物である可能性も否めないが、こうして迂闊にも紛失騒ぎを起こすほど間抜けでもあるまい。

 手元のぬいぐるみは酷く乱雑な扱いを受けてはいるものの、不思議と汚れなどはついていない。持ち主と一緒に眠っている内に、寝がえりなどを受けてこうなってしまったのであろう事は容易に想像出来た。

 

「ほら! ほら! せっかくあげたんだから!」

 

「分かった、分かったから……」

 

 それにしても、伊勢の泥酔具合は殊更酷い物だ。まさか俺ほど弱い筈もないだろうから、余程の量を飲みほしたに違いない。今後祝勝会を設ける機会に恵まれたとしても、伊勢に回す酒の量には注意せねばならないだろう。

 そうしてどれほど押し問答を繰り広げていただろうか、下らない騒ぎに終止符をうつべく、執務室の扉が開け放たれたのはその時だった――――航空戦艦日向は、何事にも動じない女である。

 

「…………伊勢。こんな所にいたか」

 

「やっほー日向」

 

 話の全容を把握するのに、さして時間はかからなかった。

 日向によると、泥酔した伊勢を自室で介抱していた所、ふとその場を離れた際に乗じて、いなくなってしまっていたらしい。そういった理由から、こんな所くんだりまで足を運ぶ羽目になった訳だ。

 姉妹艦の彼女であるならば、俺などより余程扱いに慣れている事だろう。飲んだくれを押し付けるようで気が引けるが、今宵の伊勢は異常の一言だ。

 飲んだくれから解放された事によってどっと肩の荷が下りた俺は、日向がじっとこちらに視線を向けている事に長らくの間気付かなかった。

 

「……どうした?」

 

 彼女の視線は、抱きかかえられるようにして俺の懐に収まるぬいぐるみに向けられていた。

 その意図を正しくはかりかねていた俺も、直後の彼女の言葉で全てを把握する事となる。

 

「返してくれ」

 

「日向?」

 

「君が持ってる、それを、だ」

 

「この、ぬいぐるみの事か? てっきり駆逐艦連中のものだと思っていたが……」

 

「いいから、早く」

 

 有無を言わせぬ日向の物言いに、俺は素直に従う事にした。何と言っても普段の彼女からは到底考えられぬ趣味具合だ。長門のように逆上されても敵わん。

 日向としてもあまりずかずかと詮索されていい気持ちはしないだろう。好奇心に蓋をした俺は、彼女にぬいぐるみを手渡す。

 

「ありがとう」

 

「いや、落とし主が見つかって良かった。そういえば、伊勢はこれをどこで拾って……待て待て待て、確か、日向の部屋から抜け出してここに来たと言っていたな?」

 

 日向の様子から、ぬいぐるみを抱えて出歩くなんて機会があるとはとてもじゃないが思えない。

 そこまで来れば、件の犯人たる伊勢が予想以上に酷く酔っているのだという事実に行き着くのも当然の成り行きで、俺は疲労の蓄積した身体を無理矢理立たせた。

 怒号を喚き散らさなかったのは、泥酔者へのせめてもの情けである。

 

「伊勢、勝手に人の部屋のものを持ちだすだなんて、小学生かお前は」

 

「んー、これ、本当に日向の部屋にあった? どう、日向? 本当なのそれ?」

 

「……今後暫く、伊勢は飲酒禁止」

 

「ちょっ! そんなご無体な!」

 

「だまらっしゃい! ったく…………お、おい日向?」

 

 身のしまらない正座を伊勢に強いていると、日向が廊下の方へ消えていくのが見えた。こちらを一顧だにしないその様子から、相当怒っている事が見てとれる。

 伊勢の世話係に任命されるのは癪であったものの、自身の秘密を暴露されたのだ、彼女が形振り構わぬ態度を見せるのも致し方のない事だった。

 

「あー……酔いが覚めたら、ちゃんと謝っておけよ。不安なら、俺も付き添ってやるから」

 

「心配ご無用です。多分、大丈夫ですから」

 

「その自信は一体どこから来るんだ……?」

 

「絵に描いた餅は食えないって話よ、提督。結局、現実の餅が一番美味しいんだもの」

 

「……まるで意味が分からん」

 

 酔っ払いの戯言に俺は頭を抱えた。

 

 

 

















再追記
下記の文はただの言い訳に過ぎない訳ですが、お暇な時間がございました時、目を通して頂けたら幸いです。実際の文章からそのような事実は全く掴みとれないと思いますが……。



本文においてですが、前半と後半において二度に渡って登場した『航空戦艦日向は何事にも動じない女である』という文。また、伊勢に対して提督が言い放った「日向は堂々とした態度で云々」という台詞。
これが提督が捉える日向という人間の人物像で、提督はこの判断のもと、日向の仕草はこれこれこういう意味だと考えています。

しかし、これに対し、姉妹艦であり、彼女もまた日向に関しては提督なんぞよりよほど理解しているであろう伊勢は何か含む所があるといった風に笑みを浮かべます。
ここから、第12話全体における日向に対する提督の主観は、実際の日向のそれとは少しずれたものである事を示唆している……つもりに私はなってました。

提督は前半において、演歌歌手としてステージに上がる日向を想像し、所詮それは現実の日向ではないと一蹴しています。しかし、そもそも提督はそうやって断言出来るほど、現実の日向を理解出来ているのか? 現実の日向とは何なのか。今回の話におけるコンセプトは、このへんだったり、します。

提督の主観が全て間違っているものとして最初から読み返すと、那珂の中傷記事を読み耽る提督に日向が思っていたのは、提督への慰みでも叱咤激励でも何でもありません。

また、その後日向は提督に対し那珂の事が好きかどうかを訪ね、それに提督はyesと回答を返した所、彼女は含む所があるようなつぶやきを発します――――が、ここで提督はその意味ありげなつぶやきを無視。そのまま那珂に対する考察へ進んでしまう。
日向にしてみれば、『せっかく』那珂について書いてある雑誌を閉じてくれたのに、那珂に対する提督の印象をついつい聞いてしまったばかりに、またもや提督思考が那珂に向いてしまう事態に。

直後の話題として上がったのは、那珂について考えている提督の興味を惹くものとしては自然なものであるけれど、同時に、『提督にとっての日向の人物像』とは異なる話題。
話題を那珂→日向に変更できた時点では、まだ成功と言えます。この事から、先ほど雑誌を読みふける提督に投げかけた言葉は、単なる嫉妬によるものでしかない、と描写したつもりになってます。

所がここで提督は『那珂』のようになる事もできると話を蒸し返す。それはそもそも彼女が嫌う二番煎じであるし、上層部の意図が絡む以上、およそ叶う事のない夢である事は分かっている。この夢でしかないという部分が、ポイント、だったりします。

そして最終的に語る日向の言葉こそが今回のヤンデレと言うべきかなぁと。
原文から抜き出しますと、
①夢は夢のままであるべき
②夢には現実的な煩わしさが伴わない
③頭の中にある内は全て自分の思い通りで、誰にも文句を言わせない

その後青葉から連絡が来て、提督は一気に緊張します。
ここでかなり描写不足になってしまっているのですが、何時のまにか湯飲みは空っぽ。また、空っぽでありながら口元に湯飲みを持って行ってしまうというのは、何時飲み干してしまったのかもおぼつかなくなるほど、またじっとしていられず意味のない行動をしてしまうといった提督の緊張状態を表している、つもりでした。
それこそ、日向の事が頭から抜け落ちてしまうほどに。

当然こうなってしまえば、提督としても日向とほのぼのとした会話を続けるわけにはいかない。提督は、『出撃部隊の面々』に思考を向ける事となる。
ここで日向がとった行動こそが『新たに湯飲みにお湯をそそぐ事』。少し前に提督に言ったばかりでありますが、自分もまた、『茶でもしばいて気を落ち着かせようとした』のです。
日向は提督におかわりをすすめましたが、これは拒否されてしまっていますし、たとえ茶を飲んだ所で、作戦が開始しつつある事を考えれば気が落ち着くはずもないし、出撃部隊の面々の事は頭に残ったままであるだろう事は明白です。

この後、日向はあえて先と同じ失態を演じます。それは、出撃部隊の面々に対する提督の印象を聞く事。
那珂から続くこの問答を繰り返し、再確認といった意味合いと読者の方々に解釈してもらおうと考えていた所があります。
そして、提督の答えはまたもや『yes』。日向としては分かり切っていたものだから、その後の対応も淡々としたもの――ですが、『提督にとっての日向という人物像』から、提督はそれを堂々とした物言いとしてとる。

そして再三にわたる確認はもう一度訪れます。これが前半ラストにおける日向の台詞、『君にも、愛着をもつものがあるだろ?』というものです。そして、提督の答えは当然『yes』。鎮守府の『皆』に愛着を抱いているというもの。

ここまでをまとめると、提督は『皆』が好きであり、日向が言う所の『皆』の提督であるという事になります。
……それで、あえて語る必要もあるまいと思って描写不足になってしまったのですが、言外で言う所に、提督は誰か個人を好きになってはいないし、皆が好きなんだという、これこそが日向にとって認めがたい点として上げられます。

ここで、彼女の夢に対する考えを思い出しますと、現実的な煩わしさ(提督は『皆』が好きな事、提督の周りには『皆』がいること)は伴わない。
頭の中にある内は全て自分の思い通り(言葉通り且つ、思い通りの提督を生み出す事が出来る)。
誰にも文句を言う筋合いはない(現実との提督の差異にいちいち口を出してくるのは『自分』以外には誰もいない)というものだったりします。
……絶対こんなの読者に伝わってないわ。

又、これは第三話から一貫してのものですが、日向は目の前の男の事を『提督』と呼んだ事は一度しかありません。その一度でさえ、『皆』の提督という意味です。
これは、目の前の男は現実の、『皆』の提督でしかなく、頭の中の、理想の『私』の提督とは決して相容れないものであり、目の前の男の事を提督として認識出来なくなりつつある事の前兆であったりします。

この事による対応が、提督に男女間の境を感じさせない仲や、各種のネタ振りに繋がっているのかもしれません。ネタ知ってようがいまいが、普通フルメタル・ジャケットのネタなんて異性に振らねえよっていうのは作者の独断ですが。あ、でも、愛と青春の旅立ちならそれなりに通じると思います。


次いで、伊勢と提督の話に移します。
泥酔した割りにははっきりとした台詞。切羽詰まった風にぬいぐるみを押し付ける様。提督が異常とさえ思う酔い方。ここも描写不足気味なのですが、伊勢はそこまで酔ってはいません。酔った風を装った方が目的を達しやすかったからにすぎません。
ぬいぐるみを盗んだ事に関してしらばっくれるのも簡単になりますし、提督の下戸ぶりなら、泥酔者にいたく同情するであろう事は一目瞭然ですし。
どうでもいいですが、今ここで四字熟語間違えている事に気付きました。本文中一目了見ってありましたが、一目瞭然でしたね、すいません。

また、何故日向がぬいぐるみを持っていたのかについてですが、ここに提督が語った演歌歌手としての日向に、彼女自身が罰の悪い表情を浮かべた所が繋がってきます。繋がってないって? はい、私もそう思います。
提督が語った演歌歌手としての日向は、上層部の意向が関わる以上、ほとんど叶わない夢です。
叶わない夢、それは、日向の考える理想の『私』の提督も、所詮夢でしかないという事実を浮き彫りにします。
日向にしてみればぬいぐるみは、形のない夢や空想に現実としての枠組みを入れたものなのです。だから彼女にしてみれば、あのぬいぐるみこそが『提督』という事になります。

そして、そんな日向を伊勢は止めたかった――まさに、絵に描いた餅は食えないからですね。あんまり彼女についてはここで詳しく言えないのでアレなんですが。
伊勢にしてみれば、現実の餅(提督)が一番おいしいのだから、日向にもそれを分かってもらいたかったのかもしれません。というより、どこまで日向が狂ってしまっているのかを知りたかったと言うべきでしょうか。だからこそぬいぐるみを捨てず、直接『現実の提督』の所まで持ってきた。
そして、異変を察知して執務室にまで足を伸ばした日向は『現実の提督』から、『私の提督』を奪い返す。長くなりましたが、今回はこんなお話でした。


ここまで読んでいただいてありがとうございます。おそらく修正を加える事になると思いますが、今回はこういったお話でした。
言い訳じみた補足に長らく付き合って下さって、本当にありがとうございました。

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