>3241さんに感謝を込めて。
私はどうしてしまったのだろう。
やる夫さんと響さんの模擬戦を見ていると、どうしようもなく胸が締め付けられた。
これは一体なんなのだろう。いや、察しはつく。
でもそうだとしたら私は……。
私は――【どちらに】?
「あの、オリヴィエさん。今いいっすか」
「あっ、はい。なんでしょうか?」
おそるおそると言った具合に、声を投げてくるやる夫さん。その顔がどうにもおかしくて、くすりと笑みがこぼれた。
あぁ――やる夫さんはずるい。
「うっ、いや……オリヴィエとの約束あったのに先に響と模擬戦しちゃったから……」
「あぁ、別にいいですよ。時期だって決めてなかったし、それにレベル上がったのなら確認は必要ですしね。何ができて何ができるようになったかというのは実戦では命取です」
そう、いつやるかなんて決めていなかったのだ。
それを先に別の人とやったからと言って、わざわざ謝りに来るだなんて、本当にこの人は。
「でも――気にかけてくれてありがとうございます」
「ま、そう言ってもらえると幸いだお」
「はい」
しかし、こんな風に言わせるだなんて、もしかして私は自分が思っていた以上に悲愴な顔でもしていたのだろうか。もしそうだとしたら恥ずかしいことこの上ない。
「明日やろう」
「……はい?」
急に真面目な顔になったかと思えば、これである。私が言うのもなんだけれど、緩急つきすぎじゃないだろうか。
「約束してから大分時間もたったし、後回しにしちゃったし、もう明日やっちゃおう。うん、そうしよう。それがいいお」
「いや……でもそれやる夫さん大丈夫ですか? アルクェイドさんの次の日に響さんと模擬戦して明日も私とか……」
あぁ何を言っているのだ私は。
ここで、じゃあまた今度にしよう、なんて言われたときには、落ち込んでしまうことなんて目に見えているというのに。肯定なんてしてほしくないのに。否定してほしいのに。今すぐにでもやりたいという言葉を引き出したいだけなのに。
なんて愚かな”女”なのだろう、私は。
「なせばなる!!」
「え、えっと……いいんですか?」
「勿論だお、こっちからお願いしてるわけだしね」
「……」
あぁ――胸が躍る。
「じゃあその……お願いします」
「おう、負けないおー」
せめてやる夫さんが目の前からいなくなるまでは、顔に出してはいけない。
いや、彼が去るまでと言わず、明日まで秘めておこう。この想いを、表に出してしまうのはもったいない。質量があるわけではないのに、減ってしまいそうな気がするから。
この今にも声をあげてしまいそうな、よくわからない想いは、明日ぶつけよう。
私の、拳にのせて。
× × ×
「人来すぎだあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
やる夫さんが絶叫する。
本当に、どれだけの人が来ているのだろう。この町で知り合ったすべての人が――いや、知らない人までいる。
知り合い全員+見知らぬ人数名、多く感じるわけだ。
やる夫さんが、ぎゃーぎゃーと口論をしている。
見せ物ではないと言うが、どうなんだろう。やる夫さんと響さんの模擬戦は私やトーマさん、リリィさんも見ていたことだし、見せ物と言えば見せ物なのだけど。
というか、この人たちは何が楽しくて集まっているんだろうか。私もやる夫さんもただのレベル3の、――こういうと悔しいが雑兵にすぎないのに。
「……大事になってしまいましたねぇ」
「やる夫はもう知らん」
そう、観客がいようがいまいが、やることは変わらないのだから。気にすることはない。
「……まぁ散々待たせたおね」
「くすっ。……そうですねぇ。正直結構待ちました」
ここで、本当にものすごーく待ちくたびれました、なんて言ったら、やる夫さんはどんな顔をするだろう。
そう思ったら、いつの間にか口に出してしまっていた。あぁ、堪え性がない。
「ぬぅ……ほんと、悪かったお」
「ですが、こうして貴方は約束を果たしてくれました。ならば言うことはありません」
それに、今更過去のことを持ち出して、今のこの熱に、水を差すことはないだろう。
「今この刹那に――互いの武威を刻みあいましょう」
「――応ッ!」
× × ×
「さぁ、行くお……ってなんか遠くね!?」
距離があることは、やる夫の不利にはなってもオリヴィエの不利に働くことはない。であれば、一定以上の距離を空けるのは道理だろう。
「――さて」
あぁ、夢にまで見たこの刹那。きっと私は、この日を生涯忘れることはないだろう。何の確証もないけれど、強くそう思う。
だから、楽しもう。
響さんのように、何も考えず真っ直ぐに突き進むのも悪くはないし、それはそれで楽しいのだけれど、そうじゃない。
故に今は、見る、視る、観る――相手のすべてを丸裸に。
「……来い!」
「まずは一発!」
小手調べの聖王衝破、右の拳がやる夫に当たる。まるで金剛石のように固く、重い質感に、思わず頬がゆるむ。
が、一発打ち込むことは想定していたのであろう。やる夫の手がオリヴィエを掴もうと伸びてくる。
「おっと」
それをするりと回避し、再び開始時と同じ距離を取る。
「狙ってた結果とは違いますが……オーライですかね」
「ちっ……見切られてたか。けど、このダメージなら!」
「……ふぅ――」
「さぁて、どうすっかね!」
「……足りない、違う、そうじゃない……えぇ」
やる夫さんの防御を抜くには、今の私では足りない、届かない。――そんなことは認めない。届かせるのだ、どうやっても、何をしてでも。
でなくては今ここにいる意味がないから。
「何がしたいんだか解らんが――遠当ェ!」
きた。
防御を抜き、衝撃を通す牙。距離の不利を埋めるためだろう、どういうわけか遠当ての要領で撃ったようだが……届かないのであれば用はない。
「っつ……! 無理か!」
まだ練度が足りないのであろう。
やる夫の拳は、空を切るだけで終わった。
「それを、待っていました!」
さて、ここからが本番だ。
私の脆く劣悪な拳が、ようやくやる夫さんに届くようになった。
聖王流とは、他流派を自らのものとして取り込み、昇華させる流派。
今この瞬間、衝撃を通す技を見切り、学ぶことで扱えるようになった。つまり、頑強な鎧を貫く牙を得たということだ。
「さぁ――次です」
「この女ぁ!」
あぁ、そんな風に呼ばれるのはずいぶんと久し振りのように思えますね。
かつては何とも思っていなかった、いやどうだろう、昔からそうだったのかもしれない。ともかく、かつてやる夫さんにそんな風に呼ばれていたと、そう思い返すだけで胸が温かくなる。本当に、不思議。
「つか解説してるの誰!?」
知らない見えない聞こえない。
余分な情報は、必要ない。
「すぅー」
息を吸い込み、力を溜め、
「――ハッ!」
足の裏で爆発させる。足から体へ、肩へ、腕へ、エネルギーが無駄にならぬよう流動させていく。
「セェ――」
さらに、大地を駆け、加速した勢いも合わせ、最後にすべての力を拳へと。
「流す――!」
オリヴィエの一撃は確かにやる夫の体に突き刺さった。が、オリヴィエの衝撃伝達の技術はつい先ほどやる夫から盗んだもの。やる夫に一日の長があるのは当然であり、彼のほうが成長が早いのも至極当然。
「返してやるよ――!」
衝撃がやる夫の体内で流動し、オリヴィエへと跳ねかえる。
「今の、返しますか?」
「やられっぱなしのわけねーだろ」
「――あはっ」
打てば響く、やる夫さんはまるで鐘のようだ。
内部で増幅し、とても大きな音を奏でる。音、歌といえば私たちの領分ではないですけど、ただの例えだからいいですよね。
「――もう少しっ」
「そっちから近づいてくるなら御の字だお!」
互いにノーガード。
避けるよりも、防ぐよりも、多く攻撃を叩き込んだほうが勝つ。
今は、そういう状態だ。だがそれではいささかつまらない。やる夫さんも、きっとそれはわかっている。だから次は、何か別の手札を切ってくるだろう。
「……上手く返してくれますねぇ」
「あぁ――全部受け止めて! 返してやるお!」
私の、すべてを受け止めてくれる人。
言葉にすると、なんて甘酸っぱい響きなんだろう。思春期なんて、自分にはないものだと思っていたけれど、恋だのなんだのにうつつを抜かしている子を見て不思議に思っていたけれど、あぁ……もう、馬鹿にはできない、笑えない。
「あぁ、困りました。愉しくて――堪らない」
「いい笑顔で笑いやがって!」
笑っている? 私が?
いけないいけない。
この熱は拳にだけ留めておかなければいけないのに。まだまだ未熟なのだと痛感する。
あぁ、うん、楽しい。
「――掴みました」
先と同様、加速して得たエネルギーをそのままに敵を穿つ。加速のエネルギーを利用する故に、彼我の距離がそのまま攻撃力へと繋がる。これすなわち、聖王衝流拳なり。
「こっちもだ!」
やる夫が声を張り上げると同時に、いつの間にやら失われていた金剛の肉体が更なる強度を持って再臨する。
うん、こうでなくては。
「ちっ……気功ってのは難しいおねぇ!」
「くすくす、それはラーニングする気になれませんねぇ」
「お前かつてなく楽しそうだなぁ!」
「……やる夫さんは楽しくないですか?」
正直、自分でも何が楽しいのかもうわからなくなってはいるんだけれども。
でも、きっとこれはそういうもの。
「へっ、さあなぁ……でも、悪くない。あぁ、案外こういうのも悪くねぇ」
「あぁ――これは、困りました。駄目ですよ、そんなこと言ったら」
期待していた答えは、俺も楽しい、そんな台詞だったが、歪曲した表現で言うあたり、やる夫さんらしい。
思い通りにならないことが、どうしようもなく、たまらない。
「もう――止められません」
元より止まるつもりなんて毛頭なかったけれど、でも、もうだめだ。例え真祖の吸血鬼が立ち塞がろうと、私は彼のもとへ行くだろう。
あぁ、何故だろう、どこからか力があふれてくる。
「止まる理由があるかぁ!?」
腕は碌に使えない。感覚は極めて薄く、何時間も血流が止まったのと変わらない。反応も遅いし、全力で振るえば壊れてしまう。腕を貰った瞬間からそれは理解してた。だから、抑えていた。
あぁ、でも、彼は応えてくれた。
だったら――知ったことか。
「行きますよ」
足を踏み込む、この一撃は、文字通りの”全力”だ。
「聖・王――」
あなたなら、壊れない。そう信じてる。だから、受け止めて。
「塵・殺・拳――!」
そうしてやる夫は、
「――ハッ、考えるまでもねぇ」
心地いい、笑みを浮かべた。
「来いっ! 受け止めてやるって言ったからなぁ!!」
そして、塵殺の拳が直撃する。
「――――!」
これは本来、まともに当たれば塵一つ残らない。ゆえに塵殺。
であれば、
「はぁ……はぁ……どうですか?」
敵手が立っていることなどあり得ない。
「ごほっ、ごほっ――」
しかし、その体は残っている。確かにやる夫は血を吐き、その体はぼろぼろだ。けれど、決してどこか欠けているわけではない。
「まだ、だァッ!」
塵殺の拳が直撃したにもかかわらず、この結果。
やはり義手の性能が悪かったのか、単に己の技量が足りなかっただけか、はたまたその両方か。
理由は、どうでもいい。大事なのは結果だ。やる夫さんが立っている。それが最重要。
「あは――あはは……あはははははははは! 愉しいですねぇ、やる夫さん! 今ので起き上がるなんて……本当に、もう、たまりません!」
「ハッ、あぁくそ、いてぇし目霞むし、なんで模擬戦でこんな死にかけてるか知らんが――」
目が霞むと、死にかけていると、そう言ったそれに偽りはなく、確かにやる夫の体はもう限界寸前だった。
そして、それはオリヴィエも。義手の耐久的な問題と、体力的な問題。体力はやる夫に比べればまだ残っているだろう。だがそんなものはないに等しい。彼の落ち際の火力は、近くで見ていた私が誰よりも知っている。
だから、勝敗を分けるのは次の刹那。
「負ける気はねぇ!」
「……無論、それは私も」
終わりが近付いている。
寂しいな。悲しいな。でも、楽しいな。
「ラスト――決めるお!」
昂ぶっていた想いが、不思議と落ち着いて行く。
冷めてしまったわけではなくて、確かにここに残っている。むしろ、今この瞬間のほうが、きっと強い。これが、想いを拳に伝える一番いい心の持ち様なのだと直感する。
『行くぞォオオオオオオオオ――!』
やる夫とオリヴィエ、二人の声が重なり合う。
そんなくだらないことも楽しくて、私は今、生きているのだと確かに思う。
『うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!』
互いが持つ互いの必殺技。それにさらに互いの想いすらのせて放つ拳。当たれば互いに確実に戦闘不能にするだけの威力を内包している。
勝敗を分けた理由は、二つ。
義手の方が彼女の動きと想いに耐えられなかったこと。
そして、
「おおおおおおおお――ッッ!」
彼の魂は――死地こそに輝くのだから!
「……あぁ」
あぁ、痛い。
強いなあ、悔しいなあ、勝ちたかった、なあ。
「私の、敗北ですね」
「――しゃあッッ!」
けれど、不思議と悲壮感はなく、清々しい気持ちだった。
× × ×
決着がついた瞬間、周囲から絶叫と言っていいレベルの歓声が上がった。いつの間にか、知り合いだけではなく、ただの野次馬らしき連中も集まっていたらしい。
「いつつ……やれやれ、そろそろ慣れてきたお。どMになりそうで怖い」
それは確かに。
私もこの痛みが、愛おしいものに思えているから。
「おっかねぇなぁ、おい。……立てるか、オリヴィエ?」
差し出されたその手を取ることに、一瞬の躊躇が生まれる。
ちょっと、恥ずかしい。殴りあっておいてなんだけれども、それとこれとは別なのだ。
「……ありがとうございます……っと。……参りしましたよ。強く、なりましたね」
「……そうかお? まぁ、そもそも修行手伝ってくれたのはオリヴィエだし、最初負けて悔しかったっていうのもあるし……やる夫が強くなったのならそれはオリヴィエのおかげだお。寧ろ、やる夫がオリヴィエ弱くしちゃったし」
「所詮私のは自業自得ですから。気にしないで……といっても貴方は気にするんですから、困ったものです」
それに、今は弱くなっていたとしても、あなたと出会えたことで、かつてよりも遥か高みに登れると確信しているから。
なんて、あまりにも夢見がちなことを言うと笑われてしまうかもしれませんね。
「それはね、まぁ、うん。意地があるんですよ男の子には」
「なんですかそれ。……ねぇ、やる夫さん」
「ん? なんだお?」
「好きです」
全部受け止めてやるって、そう言ってくれたから、
やっぱり、止まらなかった。
告白なんて生まれてはじめてで、もうちょっと前ふりか何かあったほうがよかったのかななんて思うけど、でもこれでいい。
これが、オリヴィエ・ゼーブレゲヒトだから。
「……え?」
「私は――貴方のことが好きです。どうしようもなく、たまらなく。やる夫さんのことが好きです」
言葉を飾ることなんて知らないから、できない。
君は花のようだ、なんて言われたことがあるけれど。やる夫さんは花なんて柄じゃないし、男の子だし、だから、私の気持ちをそのままにぶつけよう。
胸のうちからあふれるこの、想いを。
「――お」
何があったのか、何がいけなかったのか。
やる夫の顔はより一層白く――目を見開き、そして、
「だめだ」
のどの奥からしぼりだされたのは、否定の言葉だった。
……あぁ。
やる夫さん、あなたは私の拳《愛》は受け入れても、私の想い《愛》は受け入れてくれないのですね……。
なんて、残酷。
こぼれた熱が、一雫。