ろくぞー氏に感謝を。
誰にだって、特別な日というものがある。
俗に言う記念日というやつだ。
公共的な、国が定めた文化の日やらエロゲの日などのものもそうだし、私的な、結婚記念日や親類の命日なんかも特別な日になり得るだろう。
記念日といえば大仰だが、なんてことはない。ただ、特別な思いを抱ける日が記念日になり得るのだ。
だから、ただ歩いているだけだとて、それを特別だと思えるなら記念日になる。
そういう意味では、あぁ、ある意味今この瞬間も特別なんだろう。
今日は、11月6日。
「どうかしたの? 影詩さん」
「……いや」
歩きながら、下からのぞきこんできた未来の言葉に、曖昧な返事をした。
大上影詩が小日向未来と共にあるとき、影の中に潜むか、普通に隣にいるかの二種類のパターンがある。今は、後者で、未来と二人きりで町を歩いている。IAIの教導院に顔を出していない、自由な時間を満喫しているというわけだ。
やる夫やら響やら、いつもの小うるさい連中がいないのは、静かでいい。町は町で、別種の喧噪を持ってはいるが、それはそれ、これはこれだ。
「……お花屋さん?」
「……」
未来が足を止めて、先ほど影詩が目を向けていた箇所を特定する。
本当に、この女は無意味に勘がするどい。さっきまで俺の顔は見てなかったはずだが。
「影詩さんって花好きだっけ」
「……嫌いじゃねえよ。別に」
「ふうん」
さもどうでもよさそうに、件の花屋から視線を切って、話は終わった。
夜になって、食事をして、なんてことはなく、ただ普通に時間が過ぎた。
しいていうなら、今日影詩は昼間未来と一緒に歩いていたとき以外、あまり表に出てこなかったことが普通でないと言えたかもしれない。
食事のときも出てこなかったので、未来が影に食べ物を落として対応していた。綺麗になってお皿だけが戻ってきたので、食事をしているのは間違いないが、それでいいのかとやる夫やアリーシャから突っ込みが入っていた。
小日向未来としては――なんだかペットに餌をあげてるみたいでちょっと楽しいのだけど。
なんて、お風呂上がりに、そのときのことを思い出してしまって笑みがこぼれる。
もちろん、影詩は影の中から消えている。
さすがにお風呂まで同伴で入る気はないし、それはそれで楽しそうだけど、やっぱり少し恥ずかしい。
だからベッドに入るまで彼に出会うことはなくて、だから、部屋に入ったときに少し驚いた。
「……くぁぅ」
巨大な狼が、ベッドの上でまどろんでいた。
扉が開くと同時に、閉じていた目が微かに開いて、か細い鳴き声が耳に通る。
ここに飛び込んだらきっと気持ちいいだろうなって思って、次の瞬間には実行していた。
「影詩さんかわいい」
「……あん?」
「鳴き声。子犬みたいだった。ときどき凄いかわいいよね」
「うるせぇ」
先とは打って変わって、狼の口から漏れるのは、獣の鳴き声ではなく、人の理性ある声だった。
なんとも不思議な光景だが、未来にとっては親しむべき存在で、忌避する理由なんて何もない。大きな黒狼をぎゅっと抱きしめて、体毛に体をうずめる。
「ふかふかー」
「……ふん」
黒狼が再び目を閉じて、未来も同じように目を閉じる。
二人を照らしているのは太陽ではなくただの照明で、だけど、まるで太陽に包まれているかのように心地よかった。
互いが互いに温もりを与えて、それが、とても幸福だった。
チク、タク。
チク、タク。
時計の針が時を刻む音と、二人の呼気だけが部屋にあった。
しばらくそんな時間を共にして、日付が変わるころ、狼が再び目を覚ました。
「未来。起きてるか」
「……なに、いますごくねそうだったんだけど。私のねむりをさまたげるものはみなころす……」
「悪い。ていうかお前戦闘力とかねーだろ」
「……私の代わりに影詩さんがやってくれるから」
「それだと俺自殺しなきゃなんねーじゃねえか」
「そだよ。そう言ってるの。ほら首吊りなよハリーハリー」
「ヤに決まってんだろ。アホか」
「私の命令に従わないだなんて、調教が足りないね、このわんこ。……で、どうしたの?」
目をぱっちり開けて、未来が問いかける。どうやら眠気は覚めたらしい。
「いや……」
影詩は少し逡巡して、言葉を濁す。
「起こすつもりはなかったんだが」
「うん。それで?」
――誕生日、おめでとう
次の瞬間、狼の口には一本の花が咥えられていた。
未来は、ぽかんと口を開けて、静止している。
「え。え? ……え?」
「誕生日。未来は、花好きだろ」
「あ、うん。好き、だけど。…………ありがとう」
花を咥えたままふがふがとしゃべる狼の口から、花を受け取って、じっと見つめる。
暖かな気配のする、黄金の可憐な花だった。
「……誕生日、そういえば今日だっけ。忘れてた」
「忘れんなよ。大事な日だろ」
「そう? ていうか誰に聞いたの。響?」
「あぁ。ちゃんとお祝いしてやれとよ」
「ふぅん。ちゃんと、って割にはちゃちぃけど」
「うるせぇ。悪かったな」
「やだ何すねてんの。嘘だよ嘘。……嬉しかったよ、ありがとう」
「……」
「あれ、照れてる? ちょっとほらこっち向いて」
「ヤに決まってんだろ」
「ていうかどんな顔してんのかよくわかんない。人型んなってよ。――あ、ていうかそれが嫌でいま狼になってるの?」
「……ちげーよ」
なんだこの女。するどい。
「あ、やっぱそうなんだ。まぁだよね。そっちの形態してると疲れるって言ってたもんね。わざわざやってくれたのも私へのサービス?」
「……」
「何か言ったらどうなの?」
うりうり、と影詩の耳のあたりをいじくりまわして、遊んでいる。
無邪気に笑む姿は、年頃の少女そのままだが、中身があれだから救えない。
「……はぁ」
「きゃっ」
ぼふん、と狼が人の姿へと変わる。同時に、半身を狼へとあずけていた未来の姿勢が崩れてしまう。
「っと」
「ちょっと、ちゃんと言ってよ」
「いいじゃねーか別に」
影詩が腕とその身で受け止めて、抱きしめたような形をとって支えている。
未来は、手の中でもらった花をもてあそびながら、ちらりと影詩の姿を盗み見る。
残念ながらその顔は、いつも通りの色をしていて、照れている素振りなど欠片もない。それが少し面白くなくて、つんとしてしまう。
「……んだよ」
「べつにー」
「ていうかお前顔真っ赤だぞ。大丈夫か」
「うぇっ」
「冗談だ」
「……影詩さんの癖に、生意気」
とか言いつつ、顔に血がのぼっているのは自覚している。顔が真っ赤、というのは嘘じゃなくて本当だろう。なんで嘘ついたのかは意味不明だけど。
胸の奥がざわついて、どうしようかな、と思ってしまう。
そうして、花をもてあそびながら思案して、とりあえずこの花を水につけてあげたいなと思った。
「影詩さん。花瓶」
「はいよ。それも買ってある」
自分の影の中から、素朴で、でもどこか可愛らしい花瓶を取り出した。相変わらず便利そうな影で羨ましい。
「ありがと」
花瓶を受け取って、ベッドから降りる。そして、部屋にそなえつけの水道から、必要なだけ花瓶に水をくんで、花をさした。
とりあえず、窓際にかざって、おしまい。
「うん」
少し、部屋の中が華やかになって嬉しくて、うなずいた。
「影詩さん。ご褒美あげる」
「なんだ?」
いつも通りの仏頂面に近づいて、そっと、ふれるだけのキスをした。
「嬉しい?」
「……」
「そっか。嬉しいか。……私も、嬉しい」
「未来」
「影詩さん」
――好き
どちらからともなく、好意の言葉をつむいで、また唇を合わせた。
二人の愛の形を、陽だまりに咲く、黄金の花が見守っている。
(この後めちゃくちゃセックスした)