――修羅となることでしか、オリヴィエ・ゼーブレゲヒトは変われなかった。
オリヴィエ・ゼーブレゲヒトは修羅である。他者とは闘争の相手でしかなく、戦いによる強さでしか人間の強度を計ることができなかったし、しようとも思わなかった。
だって、今までそういう風に生きてきたから。
オリヴィエ・ゼーブレゲヒトはオリヴィエ・ゼーブレゲヒトの模造品だ。何十年だか何百年だか昔の偉い王様によく似ていて、その才も多く引き継ぎ過ぎてい た。それが多分、彼女にとって何よりの不幸だったのかもしれない。そのせいでオリヴィエは『聖王』としてでしか扱われる、『聖王』に刃向った、『聖王』を 蔑ろにした者たちを排除するためにひたすらに武威を研鑽する幼い日々だった。
それ自体が嫌だったわけじゃない。
ただ自分というものがどこにもなくて嫌だったのだ。
だから――彼女は修羅になった。
聖王としての己を棄て、一人の修羅になることで己の過去を清算した。
それで良くなると思った。
それが自由だと思っていた。
そんなの違うのに。
自らの意思で自らの意思を変えたのに、オリヴィエ・ゼーブレゲヒトは修羅になることでしか己を定めることはできなかった。
多分、それは悲しいことなのだ。
最近、そんな風に思うようになっていた。
だって、拳を握ることよりもこの世界に素晴らしいことは沢山あるのだから。
真面目な時とふざけている時の落差が激しいトーマ。
少しづつ笑うことが多くなっていくリリィ
言動が一々勇ましくてカッコいい響。
彼らと共に過ごす時間はオリヴィエが今まで知らなかったものだ。友達や仲間なんて言葉を彼女は感じたことはなかったのだから。
『Oneself Hope』。
己の希望を求めて集った仲間たち。
そして、彼もまた。
胸に絶望を残したままの彼の希望がどんなものになるかは解らないけど。
オリヴィエ自身の希望もまたどんなものなのかは全く見当はつかないけれど。
一緒に笑って、一緒に戦って、一緒に頑張って、一緒に歩んでいく。
きっと、彼らと一緒にいた時間は掛け値なく素晴らしいものだ。
そのはずだ。
そうでなくちゃならない。
あぁ、なのに。
なのにどうして。
「――今この刹那に互いの武威を刻みましょう」
「応ッ!」
彼に拳を向けることに心は高鳴ってしまうのだろう。
●
オリヴィエが真っ向からやる夫と戦っては確実に勝てない。防御力が高い上にバカみたいな爆発力もある。今度守ることに成長していくだろうし、それでなくてもも腕を失い、焔の爪痕を刻まれたオリヴィエはやる夫には勝てない。
だからオリヴィエは距離を取った。
「って、遠くね!?」
やる夫が驚いた声を上げるが、しかし当然の動きでもある。
≪エレミア≫。
本来の形よりも例によって随分劣化してしまっているが、その距離を無視する変則格闘術は有効だ。
――アウトレンジから殴れるというのは格闘家同士での戦いでは大きなアドバンテージなのだから。
だから躊躇わない。距離を取ることを卑怯とは思わない。使えるものは全て使うのだ。そうでなければ負けるし、負けたくないし、全てを出し切りたいと思う。
そして当然それだけではない。
「――さて」
見る。
両の眼を見開き、やる夫の動きの一挙一動まで仔細に観察する。
その意図を彼は理解できなかったのだろう、訝しみながらも全身に金剛力を巡らせ防御力を高めようとしていた。
「……来い!」
行った。
≪エレミア≫の技術を用い、踏み込みから瞬発するのと同時には既にやる夫も目前にいた。
「っ……!」
やる夫が息をのむ。
構わず殴った。
「ハッ――!」
打撃から帰ってくる感触は鈍い。≪エレミア≫を移動に使ってしまっている上に劣化してしまった≪覇王流≫に威力を載せきれず、さらには義手は全力で殴れば壊れてしまう。そのあたりの調整には最近慣れてきたが、結果として威力不足は否めない。
実際、やる夫に対して大きなダメージを与えることはできなかった。
「この程度なら――!」
寧ろ、拳撃を無視ししてこちらに掴み懸かってくる。やる夫の速度や戦闘スタイルでは彼我の距離を詰めるのは難しいから反撃にこちらを捕まえようとしているんだろう。
発想は間違っていない。
寧ろよく考えるものだ。
「……っ」
だが、だからといって黙って捕まえられるわけがない。
やる夫の動きに目を凝らしていたから、回避するのは容易い。拳撃を放った時の反動でそのまま後方に跳び去ることで彼の捕縛から逃れた。
「狙って他のとは違いますが、結果オーライでしたね」
「何がしたいかよく解らんが……このダメージなら!」
やる夫の身体が淡く光る。≪金剛力≫による防御力強化。なるほど、確かに今のやる夫とオリヴィエの能力差ならばまともに当ててもダメージは少なく、その上防御力まで上げられては少しづつ削るしかない。
「ふぅ――」
だが同時にそれは向こうも同じだ。今の二人の距離ならば、やる夫の方からの攻撃は半減してしまうだろう。それだからこそ削り合う?
「違う、そうじゃない」
そんなことを求めてオリヴィエ・ゼーブレゲヒトは遊佐やる夫との戦いを求めていたわけではない。同時に身体能力を意識的に作り替える。今欲しいのは小手先の器用さじゃないのだ。もっと、彼に全てをぶつけられるように。
そして放つ一撃は先よりも明らかに威力が上がっていた。
その間もオリヴィエはやる夫から一切目を逸らすことは無く、
「何がしたいから解らんが――遠当てぇ!」
やる夫を振りぬき――何も為さずに終わった。
何がやりたいかは解る。空間を殴りつけることで振動を生みそれを周囲に伝播させれば相手を破壊し、動きすら止めることもできる。聖王流にも覇王流にも似たような技があるのだ。
だがそれは達人こそができる妙技である。
「っ……無理か!?」
やる夫が顔を顰め、
「それを、待っていました――!」
オリヴィエは目を大きく見開き、やる夫が用いた≪衝撃伝達≫を模倣学習する。
聖王流とはそもそもそういうものだ。相対した相手の技術を片っ端から学び、取捨選択、最適化するからこそ最強の武の名を頂いている。というよりもオリヴィエの場合、≪焔の爪痕≫にて失った技術を取り戻しているに等しいのだが。妙に詳しい赤髪と蒼髪の説明に驚きながらも、
「さぁ、次です」
「この女ァ!」
そういうえば出会った頃はそんなことをよく言われたなぁと思い、
「――すぅ」
ステップ。
「――ハッ!」
疾走。
エレミアによる加速にて生じる衝撃を拳に乗せることで拳撃の威力を増す。技術としてはこれ以上ない簡単なものだ。思い切り振りかぶって助走と共に殴りかかるのと変わらないのだから。だが、それは単純だからこそ強力であり、然るべき武威が伴えば十分に奥義ですらある。
奥義ですらなくても、それまでのオリヴィエの拳とは一線を画する威力はあった。
だが、
「流す――!」
やる夫は止まらず、寧ろ技巧を重ねた。
拳を着弾した瞬間、衝撃が幾らか流れたのを理解した。本来発揮されるはずだった結果とは違うものへと変わってしまう。ダメージの減衰、そしてそれだけではなく、
「返してやるよ!」
流された衝撃を利用して反撃すら受けた。加速を十分に乗せていたからこそ回避は間に合わずその一撃を受ける。受け流しは拙く、受けたダメージとしては大したことはない。
だがーー彼はこんなことはできなかったはずだ。
「今の、返しますか?」
技術だけならできたかもしれないだろう。自分だって似たようなスキルを持っていたらそういう風に使ったはずだ。しかしやる夫がこんな風に使うことはこれまでなかったはず。共に修行を重ねて来たオリヴィエだからこそ知っている。
「やられっぱなしのわけねーだろ」
問いかけに、彼は憮然と答え、
「ーーあはっ」
引き締めいてたはずの頬が緩んだ。
ダメだ、いけない。
口の歪みを隠すように再び前に出た。反応の悪い義手では何度か行動を繰り返す調整が必要だ。
「もう少し――」
瞬発して、加速し、衝撃を伝達させ、拳を射出する。
一連の行程は先ほどよりもスムーズに行われた。
なのに、
「そっちから近づいてくるのなら御の字だお」
彼は一切臆することなく迎え撃つ。
やる夫のスタイルではこれから攻撃か防御のどちらかに偏るにしても、速度面を完全に捨てている。恐らく何かしらの補助行動スキルがなければ解消しない類のものだ。攻守揃っているやる夫の明確な弱点である。
だから攻撃ではなく迎撃を彼は選んだ。
「だあらっしゃー!」
最早防御はされない。代わりに受けた衝撃を自身の拳に伝達させることで反撃の威力を増加させる。放たれた一撃はオリヴィエに突き刺さり衝撃と痛みを与えるが――もうどうでもよかった。
「……うまく返してくれますねぇ」
「あぁ――全部受け止めて! 返してやるお!」
そんなことを言ってくれたから。
戦い始めた時から、それどこか昨夜模擬戦の約束をした時からずっと気を抜けば頬が緩みきってしまいそうだった。だからずっと頑張って意識して表情を引き締めていたのに。
もう、だめだ。
「……あぁ、困りました」
そんなことを言われてしまったらもうダメだ。
どうしようもなくどうしようもなくどうしようもない。
笑みは零れて、胸の高鳴りが止められなくなる。
「愉しくて――堪らない」
「いい顔で笑いやがって!」
だって貴方がそんなことを言うから。
そんな風に行動で示してくれるから。
貴方が私と向き合ってくれるから。
笑わずにはいられない。
故に、
「掴みました」
「こっちもだ!」
それぞれが同時に新たな技を生み出す。
衝撃加速伝達拳『聖王衝流拳』。
反射防御気功『壁鋼』。
二つの行為はもはや何の滞りもない。反芻され、名前を得たことによって確立された術技であるが故に互いの結果は一瞬ではじき出された。
「ちっ……やっぱり気功は難しいおね……」
やる夫のダメージは意外にも大きかった。まだまだ気功のレベルが低いからだろう。あれはある程度納めるまでは扱いが難しいのだ。今の彼の段階では申し訳程度の効果しかでない。
「くすくす……それをラーニングする気になれませんねぇ」
「お前はかつてなく楽しそうだなぁ!」
勿論、愉しくてたまらない。今までの生でこんなにも楽しいと思える瞬間はなかった。
オリヴィエ・ゼーブレゲヒトは楽しんでいとも。
じゃあ、貴方は?
「……やる夫さんは楽しくないですか?」
もしも。
もしも貴方が首を横に振ったら、私はどうなるのだろう。かつて人としての私を悪くはないと言ってくれた。そんな自分を作ってくれたのは他でもない貴方だから、私はそれを正しいことだと思ったし、そうあろうとした。
だからもし貴方が否定したら。
なんて。
「へっ――さあな……でも、悪くない。あぁ、案外こういうのも悪くねぇ」
「あぁ――」
体が、震えた。
胸の芯から全身へ熱が溢れる。
頭が痺れて――もうそれしか考えられない。
「これは困りました。だめですよ、そんなことを言ったら」
違う、そうじゃない。ほんとはもっと言ってほしい。
この胸の中にあふれる熱に永遠に浸っていたい。
「もう――止められません」
「止まる理由があるかぁ!?」
きっと、意味合いを彼は勘違いしてるだろうなぁと苦笑する。その意味でも当然止まれないけれど。
拳を握る。
義手にしてからこれまで本気で拳撃という行為を行ったことはなかった。機械でできた作り物の腕はオリヴィエの全霊に耐えられない。触れたものから伝わってくる感触は極めて鈍いうえにタイムラグすらあるのだから。義手を腕に嵌めた時から解っていた。
これはすぐに壊れる。
だからずっと抑えていた。
でも――彼は答えてくれた。
なら、まぁ。
もういいや。
知ったことじゃない。
「聖・王――」
行ったことは簡単だった。
踏み込みと共に前に出る。震脚により発生した衝撃を全身に伝播させながら、関節部にて昇華し、拳を終着点とし収束させる。言葉にすればたったそれだけ。基本中の基本。だからこそ、突き詰めてしまえばそれは問答無用の奥義だ。
拳撃という技術をひたすらに突き詰めた
「塵・殺・拳――!」
大気を打撃しながら塵殺の魔拳が愛しき相対者へと放たれる。
当たれば、絶対に敵を打倒できる。そもそも真正のそれならば着弾させた全てを文字通り粉微塵に変える一撃なのだ。義手を得る前ですらその領域は遠く、義手となり爪痕を刻まれた今のオリヴィエでは足元にも及ばない。
それでもやる夫を打倒するのには十分。
「――!」
避けられた、はずだった。
回避に全力を注げばやる夫だって避けられたはずだった。それは彼も解っていただろうし、この一撃を受けることの意味もまた理解させられたはず。少なくとも一瞬彼は迷った。
なのに、
「ハッ――考えるまでもねぇ」
やる夫は笑って、
「受け止めてやるって言ったからなぁ――!」
次の瞬間には迎え撃ちに来た。それこそ技術も何もない、反撃すら放棄し、正面から言葉通りにオリヴィエの拳を受け止める。
「!!」
着弾し、衝突音が轟き、やる夫の身体が弾かれる。感覚の鈍い義手でさえ、肉を潰し、骨を粉砕した感触を得た。今の一撃で自分の中の何かが噛み合ったのを理解する。それほどの拳撃だった。
それでも、
「ごほっ、ごほっ……」
血反吐をまき散らし、激痛に顔を歪めながら、
「まだ、だァーーッ!」
しかし遊佐やる夫は歯を食いしばり立ち続けていた。
「――あは」
解っていたことだけれど、我慢は限界だった。
「あは、あははははははっ! あはははははははははははは! 愉しいなぁ! 愉しいですねぇ、やる夫さん! 今ので立ち上がるなんて、ホントに、もう! 堪らないです!」
笑いだすのを堪えらない、堪える気もなくなった。この胸の中に溢れる熱と激情がオリヴィエを突き動かす。
「はっ、あぁくそ、痛ぇし、目は霞むし、なんで模擬戦でこんな目にあってるのか知らんが――負ける気はねぇ!」
「……無論、それは私も」
負ける気はない。この戦いは堪らなく楽しくて、生み出される熱はどうしようもなく素晴らしいものだけれど。それでも、そう思うからこそ負けたくないのだ。
「行くぞォォッッ――!」
飛び出したのは同時だった。速度は当然オリヴィエの方が速い。だがそれをやる夫も理解している。オリヴィエの動きに合わせてカウンターの無拍子を狙ってくる。
互いの拳に互いへの想いと熱を載せて。
己の持てる全てを今曝け出す。
「うぉおおおおおおおおおおお――!!」
雄叫びと共に無拍と塵殺の必殺が交わされ合う。
勝敗を分けた理由は二つ。
「――ッ!」
未完成とはいえ魔拳に義手の方が付いていけなかった。
振りかぶり、射出するために武威を拳に収束させた瞬間義手に音を立てて亀裂が入ったのだ。その刹那、確かにオリヴィエの動きが停滞した。
そして、最早言うまでなく。
「おおおおおおおおーーッッ!」
遊佐やる夫の魂は死地にこそ輝くのだから!
それをオリヴィエ・ゼーブレゲヒトは誰よりも知っている。気づいた時にはやる夫の拳がオリヴィエの胸に突き刺さり、彼女の身体がは背後の壁に激突していた。亀裂が入り、瓦礫が背中から零れていく。
膝はつかなかった。
「――あぁ」
嘆息し、
「私の、敗北ですね」
「しゃあッ!」
オリヴィエ・ゼーブレゲヒトは遊佐やる夫への敗北を認めた。
胸に広がりつづけた熱の意味に気付くことができたから。
きっと、これはそういうことだ。