u .c 0079 3月19日
アジア地区 ハノイ基地
第四機動師団の降下作戦は、ほぼ順調に進んでいた。
大きな理由としては、二つが上げられる。
一つは、この地域の連邦軍がブリティッシュ作戦によって大損害を被ったオーストラリア大陸の穴埋めのために多くの部隊が引き抜かれ、広く薄い布陣になっていたこと。
そしてもう一つは、月面からのマス・ドライバーを用いた攻撃によって主要な基地は既に壊滅し、連邦軍の指揮系統に混乱が生じていたことだ。
連邦残存部隊の破壊作戦により徹底までには至らなかったものの、優先目標とされた空軍基地や対空陣地はほとんど破壊されていた。
「皆、ご苦労だった。ひとまずは上手くいったな」
グスタフの直属部隊は東南アジア北部の大都市ハノイへの降下を行い、マス・ドライバー攻撃を免れていた現地の連邦軍基地を接収、ここに臨時の司令部を置いていた。
ハノイ基地へほぼ無血での入城を行った第四機動師団の司令部では、今後の行動を巡る作戦会議が行われている。
「分散して降下した各部隊は、続々と終結しております。遅くとも一両日中には集結可能です」
グスタフのもとに報告がもたらされる。
バラバラに各目標へ降下した部隊は制圧後直ちに移動を開始、暫時合流しつつ、ハノイへ向かうことになっていた。
「それにしても、連邦の兵はいささか惰弱に過ぎますな。MSの姿を見るだけで逃げ出す者もいる始末です」
列席するアルベルトが軽口を叩く。
自らの部下にも、新顔が増えたとグスタフは感じる。
戦闘団、師団と大所帯になるにつれて新たな部下が加わり、直接グスタフとの会議に加わるのは教導連隊からの部下の中では彼くらいだ。
「やむを得ないさ。宇宙から巨大ロボットがやって来るんだ。まるでできの悪いアニメ映画じゃあないか」
「我々は侵略者の手先、というわけですか。しかし、それならばやはり逃げ出すのはどうですかな」
「それはそうだろう。味方の軍隊は、大抵最初は逃げ出すか負けるかがお決まりだからな」
「なるほど、違いありませんや」
肩をすくめ、アルベルトは苦笑する。
司令部の空気は、降下が上首尾にいったこともあり、楽天的なムードが支配していた。
「兵の様子はどうだ?」
「勝利に沸いています。しかし、この辺りの環境が合わないものも多いようです」
師団の参謀長、フリッツ・グレーナー准将が答える。
眼鏡をかけた、到底軍人には見えない小男だ。
うだつの上がらない教師と言えば、誰もが信じるであろう容姿をしている彼は会議のムードが気にくわないのか、不機嫌そうに仏頂面をしている。
「兵たちからは降下用のHLVの中で睡眠を取りたいという声も上がっていますが、どうなされますか?」
「却下だ」
即座に否定する。
「野営、または市内での宿泊を徹底しろ」
蚊や羽虫などの害虫や暑気は、コロニーから出たことのない人間には当然辛いだろう。
しかし、これからここで戦闘を行わなくてはならないのだ。
コロニー内のように環境が整えられたHLVの中での睡眠など、認めるわけにはいかなかった。
「それと、食料と水だ。絶対に支給されたもの以外を口にしないよう、これも徹底を頼む」
「現地の住民からは表だった反抗の様子は見えませんが」
毒を入れられたりするようなことはない、と言いたいのだろうか。
グスタフは言葉を繋げて参謀長の誤解を解く。
「それもあるが、厳密な品質管理をなされていない食品を食べて、兵がどうなるかが怖い」
「了解しました。早急に布告を出します」
自分が幼少期に地球を訪れたとき、ラルから教わったことを思い出しながら一つずつ指示を出す。
「師団各部隊の合流を待ったのち、旧中国への侵攻を開始する。それまでに兵を環境に慣れさせること、頼んだぞ。ジーク・ジオン」
「「「ジーク・ジオン」」」
グスタフは司令室に戻ると、軍服の襟を緩める。
部下の前では服装を正しておかなくてはならないが、司令室でくらいならば構わないだろう。
「閣下、こちらを」
鼻腔をくすぐる香りを伴い、フリーダがグスタフの元にティーカップを持ってくる。
「本国から電文と写真を求めてきています。なんでも、『プリンシパリティ・ポリス』の一面に使うとか」
グスタフはため息をつく。
また戦勝報道か。
先日はガルマ・ザビ率いる北米方面軍の快進撃が一面を飾っていたのを思い出す。
「それは君の方に一任する。適当に写真を選び、文章を書いて送っておいてくれ」
「はい、わかりました。それでは、こちらの処理をお願いいたします」
どうやら、地球へ降下しても処理しなくてはならない仕事は変わらないようだ。
仕事に取りかかる前に、と思いカップを口に運ぶ。
飲んだことのある味のような気がして、少し考え込んだ。
「この味……そうか、あのときの」
さほど遠くない過去の記憶に思い至る。
カップに入っていたのは、サイド3でフリーダと一緒に訪れた喫茶店で出された紅茶と同じものだった。
「茶葉を買っていたのか。しかし、地球にまで持ち込むとはな」
「香りが気に入ったので。それに、疲れに効くとのことでしたから、少将に飲んでいただこうと」
MSパイロットとしても働かなくてはならないグスタフのことを考えてくれたのだろう。
その気遣いを感じたからか紅茶の効能なのかはわからないが、カップの中の液体が喉を通過すると、疲れが少し癒されたように感じた。
「うん、上手い。中尉、ありがとう」
副官に礼を言った、そんな矢先だった。
「閣下、ご報告が」
参謀長、フリッツ・グレーナー准将だ。
「ディエンビエンフー降下部隊、壊滅とのことです」
「なんだと!?」
驚きの覚めぬまま反射的に幕僚会議の再召集を命じ、紅茶を一気に飲み干して、グスタフは再び会議室へ戻ろうとしたところで、フリーダに呼び止められた。
「閣下、お待ちを」
フリーダはグスタフの間近に近づき、胸元に手を伸ばす。
「襟をお正しになること、お忘れなきようお願いします。部下の前でそれでは、将官としての示しがつきません」
そう言って襟を直してくれる。
今のこの状況を参謀長に見られることの方が、よほど示しがつかないのではないだろうか。
そんなことを考えていなくては、気恥ずかしさに赤面してしまいそうだった。