「私は、フリーデリーケ・レーシュ。フリーダと呼ばれているな。あなたは?」
自己紹介を求めてきた女性に応じ、グスタフも名を名乗る。
「俺はグスタフ。グスタフ・タンネンベルクだ」
グスタフの名を聞き、フリーダは首を傾げた。
「タンネンベルク……どこかで聞いたような名だが……」
どうも、グスタフの名はルウムのエースたちに比べてさほどの知名度を得ていないらしい。
「よくある名前さ。ところでレーシュさん。なんだってこんな所に?」
「ああ、実は私は、軍の人間でな。少し人には話せない任務の最中なんだ。すまない」
『人には話せない任務』と言われれば、内容を知りたいと思ってしまう。
准将という身分を明かせば恐らく、その内容も聞くことができるだろう。
僅かな職権濫用の誘惑に駆られるが、結局上官と部下としてではなく、一個人同士で目の前の女性と会話を続けたいという気持ちが勝った。
「私服で任務ということは、諜報部の人か?」
「そうだ。よくわかったな。総帥府に所属している」
「ペーネミュンデ機関、ってやつか」
ペーネミュンデ機関とは、総帥ギレンの元で情報管理やプロパガンダ、果てには管理官として部隊の監督を行うことさえある特務機関だ。
この組織に所属する士官は『特務士官』と呼ばれ二階級上の扱いを受けるとされる。
「詳しいな。ひょっとすると、軍の人間か?」
怪訝な顔を浮かべるフリーダ。
「いや、友人が軍にいるものでな」
「残念だが、私は特務士官ではない。しがない一士官さ」
グスタフの言葉を否定し、フリーダは肩をすくめてみせた。
「では、私はそろそろ任務に戻らなくてはならん。体は本当に大丈夫だな?」
「ああ、大丈夫だ。邪魔をしたようですまなかったな。レーシュさん」
「フリーダでいい。ではな、また会おう、グスタフ」
別れの言葉のあとに、フリーダは笑顔を浮かべる。
それは、思わず見とれて言葉を失ってしまうほどの美しい笑顔だった。
「あ、ああ。機会があったらな」
グスタフはフリーダに背を向け、メインストリートの方向へと歩き始める。
「もう無茶はするんじゃないぞ」
背中越しにそんな言葉が聞こえて振り返れば、フリーダは笑顔で見送ってくれていた。
薄暗い裏路地で、彼女の長い銀髪は光り輝いているようにも見えた。
翌朝、グスタフはドズルから下された出頭命令に応じていた。
「休暇明けに、わざわざ呼びつけてすまんな」
「いえ。それより、どのようなご用件ですか?」
「うむ。お前も少将になる。そこで、秘書官をつけろとの上からのお達しだ」
将官になると、処理しなくてはならない軍務は非常に多岐にわたるため、事務的なサポートを行う秘書官を持つことが多い。
ギレン・ザビの懐刀とも言われる才女、セシリア・アイリーンのように隠然たる権力を持つものもいる。
「それはまた、随分と急な話ですね」
「ああ。俺も今朝聞かされたばかりだ。秘書官人事は総帥府の管轄だからな。このタイミングでは、本人でさえ誰付きになるか知らんだろう」
「書類などはないのですか?」
「ああ、これだ」
机の上にあった書類がグスタフに手渡される。
その内容に目を通そうとしたとき、ノックの音が部屋に響いた。
「入れ」
ドズルが許可を与えると、ドアノブが回り、ドアが開いた。
「失礼します」
そこにいたのは、美しい銀髪が特徴的な、背の高い女性。
グスタフの持つ書類の一番最初のページには、彼女の顔写真と共に『フリーデリーケ・レーシュ』という名前が書かれていた。
「フリーデリーケ・レーシュ中尉、転属指令の受け取りのため、参りました」
「フリーダ!?」
驚きのあまり、グスタフはドズルの前ということも忘れて声を上げてしまう。
「む、二人は知り合いか?」
ドズルの質問に、フリーダが答える。
「ええ、昨夜出会ったばかりですが。なぜ彼がここに?」
「顔合わせのためだが、既に面識があったのならば話は早いな。グスタフを頼むぞ」
「彼は軍属になるのですか?」
彼女には昨夜、自分が軍人でないと言ってしまった。
軍属技術者の護衛でも命じられたと誤解して、不思議そうにグスタフを見ているのも当然の反応だろう。
「軍属?何を言っているのだ。レーシュ中尉、お前はグスタフ・タンネンベルク准将付きの秘書官に転属だ」
「……はっ、了解しました」
何でもない風を装ってドズルに向かって敬礼しながらも、フリーダの切れ長の目だけはまっすぐグスタフを見つめ、『後で詳しく聞かせてもらう』と訴えていた。
「まずは昨日の無礼な態度、心よりお詫びいたします、タンネンベルク准将」
それが戦闘団本部、グスタフの執務室に移動した後にフリーダの口から最初に出た言葉だった。
「いや、俺が悪いんだ」
「失礼ながら、その通りかと。将官が身分を明かさずに下級士官と関わるなど、あまりいい趣味とは言えません」
素直に謝ったにも関わらず、小言を食らってしまう。
昨日も一応名は名乗ったはずなのだが、さすがに全将官の名前を把握しておけとも言えない。
グスタフの名を知らなかったことを責めることはできないだろう。
「まったくもって、その通りだ。すまなかった」
「わかって頂けたようで何よりです。ですがそもそも、准将位にあるような方が護衛もなくあのような場所にいること自体、誉められたことではありません。今後はお気をつけになるよう」
白旗を挙げ、改めて謝罪をしたのだが、どうやらフリーダはまだ叱り足りなかったようだ。
これは、前途多難だな。
心の中でそう一人ごちる。
「早速ですが、戦闘団の現状と必要な執務の内容を確認させていただきたいと思います。資料を拝見させて頂いてもよろしいですか?」
普通ならば事前に頭に入れてくるのだろうが、『本人は誰付きになるかさえ知らない』とドズルは言っていた。
ルウム戦役後の再編成で立て込んでいるため、急な人事転換も仕方のないことなのだろう。
「ああ、構わない。そこの書類棚に入っている」
フリーダは書類棚の書類をいくつか手に取り目を通していたが、眉をひそめた。
「……旧第二教導連隊の物しか揃っておりませんが」
「あ、ああ。ルウムの後で立て込んでいてな」
「つまり、まだ戦闘団の書類は完成していないと」
「あー、まあ、そういうことになるな」
また小言を言われるかと思ったが、グスタフの方を向いた秘書官の顔は予想に反してにっこりと笑っていた。
「午前の予定が決まりましたね、准将」
『午前の』予定。
彼女は午前中の間に関係各所との連絡を取り、書類を集め、手続きの用意をさせる気だということか。
「せめて、紅茶かコーヒーを一杯飲んでからにしたいのだが」
「心配はご不要です。移動中にお飲みになれるよう、持ち運びできる容器を用意させますので」
小さな反抗もあっけなく打ち砕かれ、改めてグスタフは心中で呟いた。
これは、前途多難だな。