ハリー・ポッターと虹の女神   作:セバスチャン

9 / 71
File9.最高のハロウィーン

 ハロウィーンの日がやって来た。朝から廊下はパンプキンパイの焼ける美味しそうな匂いで満たされているし、呪文学の授業ではフリットウィック先生がついに『物を飛ばす練習をしよう』と言い出すしで、生徒たちはみんな浮き立った気持ちになった。

 

 先生は生徒を二人ずつ組ませて、練習をさせた。組は先生の指定のため、ハリー・ロン・イリスはそれぞれバラバラになった。イリスはネビルと、ハリーはディーン・トーマスと、・・・そして何と、ロンはハーマイオニーと組む事になった(二人共これにはカンカンだった)。

 

 イリスが授業そっちのけでハラハラと二人を見守っていると、案の定二人は呪文の唱え方について口論となった。挙句の果てに、ハーマイオニーが『ロンへのお手本』として呪文を成功させ、先生に褒められたものだから、授業終わりのロンの機嫌は最悪以外の何物でもなくなってしまった。ロンは廊下の人込みを押し分けながら、しかめっ面で吐き捨てるように言った。

 

「だから誰だってあいつには我慢できないっていうんだ。まったく悪夢みたいなやつさ」

 

 イリスがロンの言葉に息を飲むのと同時に、人込みの中から誰かがハリーにぶつかり、急いで追い越して行くのが見えた。

 

 ――ハーマイオニーだ。驚いたことに、泣いている。もしかして今のを聞かれてしまったのか?イリスは、自分の心臓と指先が、氷のように冷たくなっていくのを感じた。

 

「今の、聞こえてたみたい」とハリー。

「それがどうした?誰も友達がいないってことはとっくに気が付いてるだろうさ」

 

 ロンは一瞬気まずそうな顔をしたものの、口は減らない。イリスは大好きな友達のロンが、――いくらハーマイオニーが嫌いとはいえ――心無い言葉を続ける事にショックを受け、涙ながらに怒った。

 

「ひどいよ、ロン!ハーマイオニーが泣いてるのに、なんでまだそんなことを言えるの?!」

「どうして君が怒るのさ?あいつとはもう友達じゃなくなったんだろ?」

 

 ロンはまさかイリスが怒るとは思わなかったようで、びっくりしてそう言った。イリスはその言葉に打ちのめされ、何も言えなかった。ハリーは二人をおろおろしながら見ている。

 

 ――そうだ、もう自分とハーマイオニーとは友達じゃない。

 

 異変を察知したハリーが引き止めようとするが、イリスは振り払って駆け出した。――ハグリッドの小屋を目指して。

 

 

 イリスはハグリッドの小屋を初めて訪れた。ハリーとロンから聞いた通り、ハグリッドの小屋は『禁じられた森』の端にあった。戸口に石弓と防寒用長靴が置いてあるのを見ながら、力を込めてノックすると、中から凄まじい勢いで戸を引っ掻く音とブーンと唸るような吠え声が数回聞こえて来た。

 

「退がれ、ファング、退がれ」次いで、ハグリッドの大声が聞こえた。

 

 間もなく戸が少し開いて、隙間からハグリッドの大きな髭もじゃの顔が現れ、イリスを見るとにっこり笑った。

 

「おお、イリス!随分と久しぶりだな。え?今ちょうど、お前さんに手紙でも送ろうかと思ったところだったんだ。イオから『話を聞いてやれ』って、手紙をもらったもんでな。

 ・・・で、何かあったのか?」

 

 イリスはハグリッドの飾り気のない陽だまりのような笑顔を見て、イオの笑顔を思い出し目頭が熱くなった。

 

「どうしようハグリッド・・・喧嘩しちゃったんだ・・・友達と・・・」

 

 そう言った切りボロボロ泣き出したイリスを見て、ハグリッドは狼狽する余り小屋の中のものを色々蹴飛ばしながら――中に招き入れたイリスをとりあえず落ち着かせるために――片手で『ファング』と呼んだ巨大な黒いボアーハウンド犬の首輪を抑えつつ、もう一方の手のみでお茶の準備をせねばならなかった。

 

「落ち着いたか?」

「うん」

 

 やがて涙も枯れ果て、イリスはハグリッドに貸してもらった水玉模様の大きなハンカチで、思いっきり鼻を噛んだ。

 

 小屋の中は一部屋だけだった。ハムやきじ鳥が天井からぶら下がり、部屋の隅には巨大なベッドがあり、パッチワークのキルトカバーがかけられていた。部屋全体が暖かな空気で満たされており、イリスは一瞬でここが好きになった。ちなみにファングはハグリッドが少し手を緩めた拍子に、イリスに向かって駆け出し、「泣くなよ」と言っている風に彼女の頬を大きな舌でペロペロ舐め始めた。ハグリッドは焚火にかけられたヤカンから、大きなティーポットにお湯を注ぎ入れ二人分の紅茶を作り、ロックケーキを皿に載せイリスの座るテーブルに出し、自らもゆっくりと腰かけた。

 

「さ、お代わりもある、どんどん食って飲め。・・・そんで、どうして喧嘩なんかしたんだ?」

 

 イリスは事の顛末を話した。ハーマイオニーと仲違いしてしまった経緯、呪文学の授業後ロンが彼女の悪口を言い、彼女がたまたまそれを聞いて泣きながら去って行ってしまった事。

 

「私、わがままだった。自分のことしか考えてなかった。魔法薬学の時だって、ハーマイオニーが怒って当然のことをしちゃったのに、そのことを棚に上げて彼女に八つ当たりしちゃった。

 ・・・最低だよね。それに今頃気づいたんだ。どんなにハーマイオニーが私のことを助けてくれていたのかってことも」

「お前さんは、ハーマイオニーと仲直りしたいのか?」

 

 ハグリッドの問いに、イリスは何も言わず、こくんと頷いた。

 

「でも・・・謝ったけど、ダメだった。今じゃもう、口もきいてくれないよ」

「イリス、そこで諦めちゃなんねえ。本当に仲直りしたいんならな。喧嘩した後、反省して謝っても相手に無視されたりするのは、子供同士の喧嘩じゃ、まぁ良くあることだ。・・・本当は相手も仲直りしたいと思っとるが、意地を張って素直になれんのさ。

 肝心なのは、そこからもう一歩、踏み出す勇気だ。相手が話してくれるのを辛抱強く待って、お互いに腹を割って話せば、きっと仲直りできる」

「もしそれでも口をきいてくれなかったら?」

 

 膝に顎を載せたファングを撫でながら、不安そうな表情で見上げるイリスに向け、ハグリッドは悪戯っぽくウインクして見せた。

 

「悪戯しちまえ。何てったって今日はハロウィーンだからな。悪戯の仕掛け方は、ウィーズリーんとこの双子にでも聞いたらええ」

 

 ハグリッドの言葉に、イリスは思わず笑った。少し気持ちも軽くなったような気がした。

 

「ありがとうハグリッド。私、もう一回チャレンジしてみる」

 

 ファングはイリスの言葉を聞いた途端、その大きな顔を上げて「その意気だ!」と言っているように、尻尾をふりふり一鳴きした。ハグリッドはイリスが帰る時、ハーマイオニーと仲直りできたら食べるようにと、山盛りのロックケーキをバスケットに入れ、紅茶入りの水筒と一緒に持たせてくれた。イリスは戸を開けた後、振り返ってハグリッドに言った。

 

「私一人だけの時でも、またここに来てもいい?」

「もちろんだ、いつでもいいぞ。何なら泊りに来てくれたっていい。お前さんが来てくれて、俺は本当に嬉しいよ」

 

 ハグリッドは我が子を見るような慈愛に満ちた笑顔を浮かべ、ファングと共にイリスを送り出した。

 

 

 ロンの言葉に傷ついたハーマイオニーは、その後の授業も無断欠席し、大広間で行われているハロウィーン・パーティーに出る事すらも忘れ、一人きりで女子トイレの個室に籠もり、泣いていた。泣いても泣いても、涙が止まらない。ルームメイトのパーバティが慰めに来てくれてたけれど、「一人にして」と追い払ってしまった。なんて素直じゃないの。ハーマイオニーは自分を呪った。本当は一人になんかなりたくないのに。

 

 ハーマイオニーの両親は歯医者だった。いずれは自分も医師になるのだと、ハーマイオニーは物心ついた時から勉強を頑張り始めた。その内に、彼女は勉強が大好きになっていった。世界中のあらゆる知識を取り入れていく度に自分の世界が広がっていく。それは本当に素晴らしい事だと感じたし、彼女は満ち足りていた。

 

 だが、彼女が勉強にのめり込んでいくにつれ、彼女の友達は一人、また一人と去って行った。彼女は自分と同じように友達も勉強が好きに違いないと思ったし、勉強ができない子には、学ぶ事の素晴らしさを教えてあげようと積極的に関わりを持った。しかし、彼女より勉強ができない者からは敬遠され、彼女と同等、それよりも勉強ができる者は、彼女をライバル視した。

 

 結局、ハーマイオニーはイギリスのスクールで、周囲の大人たちから秀才だともてはやされはするものの、クラスでは馴染めず一人ぽっちだった。だから、ホグワーツから手紙が来た時、彼女は何より喜んだのだ。『魔法界』という全く新しい世界の知識を得る事が出来るし、マグル界では上手く行かなかったけれど、魔法界なら今度は友達も出来るかもしれない。心が躍り、両親が納得するまで彼女は一生懸命説得した。

 

 イリスが『ハーミー』と呼んでくれた時、ハーマイオニーはときめく胸を抑える事が出来なかった。友達が自分を愛称で呼んでくれるなんて、それこそ生まれて初めての事だったのだ。これから自分の輝かしい学校生活が始まるに違いない、ハーマイオニーは確信した。実際、イリスと過ごす日々は有意義で素晴らしいものだったし、おまけにイリスは勉強ができなかったので、大切な友達の力になりたいとハーマイオニーは彼女に一生懸命勉強を教えた。・・・しかし、ハーマイオニーの思いは空回りし、イリスは次第に彼女から距離を置き始めた。

 

 やっぱり、居場所なんてなかった。どこに行っても私は一人ぽっちなんだわ。ハーマイオニーは薄暗いトイレの個室で鼻をすすりながら、イリスの事を思い出していた。自分のプライドが傷つけられカッとなって、つい感情的に怒鳴ってしまったせいで、失ってしまった唯一の友達の事を。

 

 イリスはその後二回も謝って来てくれたのに、ハーマイオニーは仲直りしたいと思ってはいるものの、一向に素直になる事ができなかった。一回目の時は、パーバティたちと同じようにイリスを心配して待っていたけれど、自分を差し置いてパーバティたちと仲良く話すイリスに嫉妬して、冷たい言葉を投げつけてしまった。二回目の時は、ハリーやロンと仲良く――自分と一緒だった時よりも――楽しそうな笑顔を浮かべているイリスに腹が立ち、どうしていいかわからなくなって、彼女の謝罪を拒絶してしまったのだ。

 

 自業自得だわ。ハーマイオニーは自嘲するように笑った。こんな自分じゃ、友達ができる筈もない。この世の中に、自分の理解者は誰もいないのだと思った。

 

 その時、微かな足音が聞こえた。それは徐々にこちらへ近づいてきて、やがてハーマイオニーのいる個室の足元に、二つの影が差した。誰かが、自分の個室の前に立っている。やがてその誰かは、随分控えめなノックをしてから、おずおずと話しかけてきた。

 

「・・・ハーマイオニー。久しぶり、イリスだよ。今日はハロウィーンなんだって。出てきて、一緒にごちそうを食べようよ」

 

 その声は、ハーマイオニーの冷え切った心に、暖かな日の光の如く染み込んでいった。

 

 

 イリスはハグリッドの小屋を出た後、ハーマイオニーを探した。彼女の居場所は意外な事にすぐ見つかった。パーバティが教えてくれたのだ。いざ女子トイレに向かうと、ハーマイオニーがどの個室にいるのかすぐに分かった。一つだけ鍵が掛けられていて、そこからすすり泣く声がしていたからだ。イリスは、なけなしの勇気を振り絞り、ノックして話しかける。絶対無視されると踏んでいたが、なんとハーマイオニーはしゃくり上げながらも返事をしてくれた。

 

「・・・あっちに行ってよ。一人にして。貴方も、他のみんなみたいに、思ってるんでしょ。私の事。・・・悪夢みたいだって」

 

 ロンの顔が脳裏に浮かび、イリスは慌ててかぶりを振った。

 

「そんなこと思ってないよ!ハーマイオニーは悪夢なんかじゃない、良い所ばっかりだよ!賢いし、勉強もできるし・・・えっと・・・勉強もできるし、賢いし・・・!」

 

 おい、それだけしか言えないのか!イリスが腹立ちまぎれに自分を往復ビンタしていると、ハーマイオニーは暗い声で答えた。

 

「・・・ね、それだけよ、しょせん私なんて。いくら勉強ができても、今まで友達なんてできたことなかったわ。ずっと一人だったから、人に対して言っちゃいけないこともわからなくて、思ったことは全部口にしちゃうの。それで人を傷つけちゃうのね。・・・貴方の時みたいに。私、きっと、死ぬまで誰とも理解し合えずに、一人ぽっちのままなんだわ」

「ハーマイオニーは一人ぽっちじゃないよ。私がいるよ!・・・あの時は本当に、本当に、ごめんなさい。私、君と仲直りしたいから、ちゃんと話し合いたいんだ。お願いだから出てきてよ。

 ねえ、どうしてもトイレから出たくないっていうなら、ハグリッドからもらったロックケーキと紅茶があるんだ。私が今からハーマイオニーの分を放り投げるからさ、上手にキャッチして。ここで一緒にお茶しようよ」

 

 ハーマイオニーは再びすすり泣き始めた。それはイリスの温かい言葉に対する喜びの涙だったが、イリスはまたハーマイオニーを傷つけてしまったと思って、頭を抱えたくなった。

 

 

 その時、イリスは妙な音が聞こえるのに気付いた。低いブァーブァーという唸り声、巨大な足を引き摺るようにして歩く音。徐々にこちらへ近づいてくる。続いて、強烈な異臭が鼻を突いた。汚れた靴下と、掃除をしたことのない公衆トイレの匂いを混ぜたような、強烈な匂いだ。・・・この匂いの犯人は、今のところ一人しか見当たらなかった。

 

「・・・ひとが真剣な話をしてるのに、用を足すのはどうかと思うよ、ハーマイオニー」

「失礼ね、私じゃないわ!」

 

 異変に気付いたのは、イリスだけではなかった。重量感のある足音は勿論の事、泣き過ぎて鼻が詰まってしまったハーマイオニーにも、その凄まじい異臭は感じることができたのだ。突っ込みを入れながらも、扉を開けたハーマイオニーの目に飛び込んできたのは、女子トイレの出入口を間の抜けた表情で見つめているイリスと、出入口に立っている・・・四メートルはあるかという、醜悪なトロールの姿だった。ハーマイオニーは恐怖の余り、全身の毛が逆立った。

 

「うわー、ホグワーツのハロウィーンの仮装って、結構本格的なんだねー」

「仮装なんかじゃないわ、本物よ!逃げなきゃ!」

 

 トロールは二人の声が癇に障ったのか、手にした巨大な棍棒を握り、唸り声を上げながら詰め寄ってきた。ハーマイオニーが、まだ状況が飲み込めていないイリスの頭を無我夢中で抑えつけ、二人一緒にその場に伏せる。少し遅れて、トロールの棍棒が二人の頭があったところを通り過ぎ、横の洗面台を粉々に破壊した。

 

 イリスは頭が真っ白になった。二人共、腰が抜けて立ち上がる事ができない。ハーマイオニーと手を取り合いながら、イリスは奥の壁際へと這いずって逃げた。トロールは洗面台を次々となぎ倒しながら、二人の下へにじり寄っていく。

 

 再び棍棒が振られ、二人は咄嗟に左右に散った。二人が丸ごと入るくらい大きな穴ぼこを床に空けた後、トロールは洗面台の下に身を隠したイリスではなく、戸の破壊された個室に飛び込んだハーマイオニーの方へ視線を向けた。ハーマイオニーが殺される。イリスは頭に血が昇って、洗面台の下から弾丸のように飛び出した。

 

「わあああああ!!」

 

 震えるハーマイオニーに棍棒を振り下ろそうとしたトロールに、イリスは無我夢中で飛びかかり、その頭にしがみついた。トロールがうっとうしそうに首を振ると、イリスはあっという間に吹っ飛ばされ、瓦礫だらけの床に背中から投げ出される。

 

「こっちだ、このポンコツ!!」

 

 再びハーマイオニーに向かおうとしたトロールに、イリスはバスケットからロックケーキを取り出して、次々つぶてのように投げ始めた。トロールの関心をハーマイオニーから遠ざける。この一心で、イリスはトロールに対する恐怖も、投げ出された痛みも何も感じなかった。

 

 最後にバスケットと水筒まで投げてしまうと、トロールはいよいよ怒り狂ったようにこちらを向き、突進してきた。慌てて出口へ向かって逃げ出そうとした時、イリスは滑って床に倒れてしまった。その数秒の間にトロールはイリスへの距離を詰め、下から斜めに振りかぶった拍子に個室の扉を破壊しながら、棍棒を振り上げた。

 

 あ、死んだ。とイリスが思った途端、凄まじい衝撃が全身を襲い、通路の半ばから出口付近の壁までの距離を吹っ飛んだ。どうやら巻き込まれた扉の破片がクッションとなってくれたおかげで大きな怪我は免れたようだが、全身を壁に強く打ったため、動けない。――咳き込むイリスの視界に、トロールが容赦なく近づいてくるのが見えた。――半狂乱になったハーマイオニーが、金切声でイリスの名前を叫びながら、こっちへ這いずって来ようとしている――でも間に合わない。ダメだ、死んでしまう・・・。

 

「こっちにひきつけろ!イリス、生きてるか?!」

「やーい、ウスノロ!」

 

 その時、すぐ傍の出入口の扉を荒々しく開けて、ハリーとロンが飛び込んできた。助けに来てくれたのだ。二人はまず目の前にいるトロールとハーマイオニー、次いですぐ隣に倒れたイリスを確認して目を見開き、再びトロールを恐怖と憎しみと怒りの混じった目で睨みつけた。ロンがトロールの関心を引いている間に、ハリーがイリスに手を貸し、立ち上がるのを手伝ってくれた。

 

「ハーマイオニー、走れ、走るんだ!イリスと一緒に逃げろ!」

 

 ハリーはそう叫ぶと、ロンに襲い掛かろうとするトロールの首根っこに組み付いた。ハリーの持っていた杖がトロールの鼻の穴を突き上げ、痛みに悶えるトロールはハリーを振り放そうと躍起になっている。その隙に、ロンが無我夢中で杖を振り上げ、呪文を唱えた。

 

「ウィン・ガーディアム・レヴィオーサ!」

 

 突然、棍棒がトロールの手から飛び出した。――ロンの呪文が成功したのだ。棍棒は空中を高く上がり、ゆっくり一回転してから、ボクッという嫌な音を立てて持ち主の頭の上に落ちた。トロールはふらふら体を不安定に揺らしたかと思うと、ドサッと音を立てて、その場にうつ伏せに伸びてしまった。倒れた衝撃が部屋中を揺すぶった。

 

 四人共、荒い呼吸を繰り返すだけで、しばらく何も喋れなかった。

 

「これ・・・死んだの?」やっとハーマイオニーが口火を切った。

「いや、ノックアウトされただけだと思う」

 

 ハリーが冷静に言うと、屈み込んで、吐きそうな顔をしながらトロールの鼻から自分の杖を引っ張り出した。杖にはべっとり灰色の糊のようなものが付いている。

 

「ウエー、トロールの鼻くそだ」

「オエッ・・・ちょっとハリー、気持ち悪いこと言わないでよ」

「だって本当のことだろ?」

 

 ハリーがトロールの服で杖を拭いながら、いつもの調子が戻って来たイリスと軽口を叩き合っていると(ロンは自分の杖を見ながら、ハーマイオニーはトロールに視線を釘付けにしたまま、茫然と突っ立ったままだった)、急にバタバタと忙しない足音が四人の耳に飛び込んできた。

 

 足音は真っ直ぐこちらへ向かってきて、やがてマクゴナガル先生、スネイプ先生、クィレル先生が駈け込んで来た。クィレル先生はトロールを見た途端、弱々しい声を上げて床に座り込んでしまった。マクゴナガル先生は、蒼白な表情で唇を引き結び、ハリーとロンを見据える。スネイプ先生はすぐさまトロールを覗き込んだ後、鋭い視線でハリーを、次いでイリスを見た。クィレル先生はともかく、二人の先生が自分たちに対して怒り狂っているという事はイリスにも理解できた。

 

「一体全体、あなた方はどういうつもりなんですか。

 ・・・殺されなかったのは運がよかった。寮にいるべきあなた方がどうしてここにいるんですか?」

 

 マクゴナガル先生の声は冷静だが怒りに満ちていた。三人共、何と説明すればよいか解らず黙りこくっていると、ハーマイオニーが語り始めた。

 

「マクゴナガル先生、聞いてください・・・三人共、私を探しに来たんです」

「ミス・グレンジャー!」

 

 ハーマイオニーはマクゴナガル先生を見据えると、臆することなく話を続けた。

 

「私がトロールを探しに来たんです。私・・・私、一人でやっつけられると思いました。・・・あの、本で読んでトロールについてはいろんなことを知っていたので」

 

 ロンは杖を取り落とし、ハリーは口をあんぐり開けた。イリスは目を見開いて酸欠状態の金魚のように口をパクパクさせていたが、ハリーに小突かれて口を閉じた。三人共、同じ事を思っていた。あの真面目一徹のハーマイオニー・グレンジャーが、先生に真っ赤な嘘をついている。

 

「もし三人が来てくれなかったら、私、今頃死んでいました。イリスはトロールの関心を引き付けて私から遠ざけてくれて、ハリーは杖をトロールの鼻に差し込んでくれて、ロンはトロールの棍棒でノックアウトしてくれました。三人共、誰かを呼びに行く時間がなかったんです。三人が来てくれた時は、私もう殺される寸前で・・・」

 

 三人は、その通りです、という顔を装った。マクゴナガル先生は、三人をじっと見た後、ハーマイオニーに視線を戻した。

 

「ミス・グレンジャー、なんて愚かしいことを。たった一人で野生のトロールを捕まえようなんて、どうしてそんなことを考えたのですか?

 ・・・あなたには失望しました。グリフィンドールから五点減点です。

 念のためミス・ゴーントと医務室へ行ってから、グリフィンドール塔へ帰りなさい。生徒たちが、さっき中断したパーティの続きを寮でやっています」

 

 うな垂れるハーマイオニーを見て、イリスは胸が一杯になって何も言えなかった。ハーマイオニーはイリスの知る限りでは、規則破りなんてしない人間だ。ましてや『一人でトロールを捕まえる』なんて馬鹿げた嘘、たとえ死んでも彼女は言いたくない筈だ。それでも彼女は、尊敬するマクゴナガル先生にどう思われるかわかっていても、減点されるリスクを冒してでも、自分たちをかばうために勇気を出して言ってくれたのだ。

 

 イリスとハーマイオニーは先生方に一礼すると、無言のまま足早に医務室へ向かい、マダム・ポンフリーにこってり絞られながら治療を受けた。

 

 

 無事医務室から解放され(イリスだけしばらく定期的に通院する事になった)、塔へ戻る途中、ふとイリスとハーマイオニーの目が合った。

 

 二人共、ほぼ同時に顔をくしゃくしゃにさせながら、抱き締め合った。お互いに言葉はいらなかった。二人は散々、それぞれの思いの丈をぶつけるように、ただ泣きじゃくり続けた。

 

 やがて、ハーマイオニーが、イリスの耳元でしゃくり上げながら囁いた。

 

「あのね、貴方がもし良ければ、なんだけど・・・また私の事、『ハーミー』って呼んでほしいの」

 

 驚いたイリスが反射的に体を離そうとしたけれど、ハーマイオニーは恥ずかしがって、イリスが自分の顔を見れないように彼女の体をより強く抱き締めた。

 

「・・・イリス、私と仲直りしてくれる?」

「も、勿論だよ、ハーミー!!」

 

 イリスは涙声で叫んだ。再び二人は感極まってしまい、感動を噛みしめるように短い間泣いた後、やっとお互いの体を離して恥ずかしそうに笑い合った。

 

 

 談話室は人がいっぱいでガヤガヤと賑やかだった。生徒たちはみんな運ばれてきたハロウィーンのご馳走を食べている。イリスがふと視線を感じて横を向くと、ハリーとロンが扉のそばに立って待っていた。どうやらご馳走にもまだ手を付けていないらしい。

 

 四人の間に気まずい空気が流れた。

 

 そして、四人共、「ありがとう」と言ってから、急いで食べ物を取りに行った。

 

 それ以来、ハーマイオニーは三人の友人になった。トロールが期せずして、四人の仲を取り持ってくれたのだ。イリスは四人で仲良くパンプキンパイにかぶり付きながら、今日は人生初めてにして最高のハロウィーンだ、としみじみ思った。

 

 ――後日、四人一緒にハグリッドの小屋へ行き、ロックケーキと紅茶を、対トロール戦の武器として使ってしまった事を、お茶会ついでに謝りに行ったのは、また別の話である。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。