ハリー・ポッターと虹の女神   作:セバスチャン

63 / 71
Petal11.愛のスタンピード

 学期最後の週は、日を追って騒がしくなった。クリスマス・ダンスパーティの噂が学校じゅうを満たし、好き勝手に飛び交い始めたのだ。ダンブルドアがマダム・ロスメルタから蜂蜜酒を八百樽買い込んだとか、魔法界の人気バンド「妖女シスターズ」の出演を予約しただとか――みんな、どんな些細な内容の噂でも一つ一つ丁寧に拾い上げ、熱心に話し合った。しかし悲しい事に、校内の壁にひっそりと貼られた劇の広告に目を留め、噂をする生徒は誰一人いなかった。――ただ一人のスリザリン生を除いて。

 

 イリスは何人かの生徒達に、ダンスパーティのお誘いを受けるようになった。ボーバトン生を始め、レイブンクローやハッフルパフの生徒達・・・などなど。皆イリスが断ると一様にがっかりした顔をしていたが、それが自分と踊るのが嫌だからではなく”劇に出るためだ”という事を知ると、なんとか気を持ち直していた。――この断り方は本当に素晴らしい、とイリスは思った。誰も傷つかないで済むし、ついでに劇の存在を知ってもらえる。

 

 ある時、イリスが自分を誘いに来たボーバトンの上級生と『”ビードルの物語”に登場する魔女ビバティは本当に”動物もどき(アニメーガス)”なのか?―作中において、彼女はうさぎの状態で会話をしている。しかし”動物もどき”は動物に変身している間、人間の言葉を話せない―』という議題について話し合っていると、ふと後ろから肩を叩かれた。何気なく振り向いて、イリスは目を丸くした。――()()()()()()()()()だ。

 

「ちょっと、良いかな。二人きりで話がしたい。・・・席を外してくれないか」

 

 クラムは低く小さいが、妙に迫力のある声音でイリスにそう言うと、隣に突っ立っているボーバトンの上級生をジロリと睨んだ。華奢な雰囲気の上級生は、クラムの野獣のような目に気圧されたのか、お別れの挨拶もそこそこにその場を立ち去って行く。イリスは所在なく立ち竦み、クラムをこわごわと見上げた。『ダームストラングの代表選手にも気を付けなさい』――以前に”三本の箒”で、シリウスから受けた忠告の言葉が頭の中にこだまする。

 

 イリスは無意識の内に、スネイプに教えられた”警戒態勢”を取っていた。ポケットに手を突っ込む振りをして、布越しに杖に触れ、いつでも魔法が放てるようにする。クラムはなるべく人気のない廊下の端へ彼女を連れて来ると、咳払いをし、静かにこう言った。

 

「君の親友、いるだろ。あの髪がふわふわした、いつも図書室にいる女の子」

「ハーミーの事?」イリスはすぐにピンと来た。クラムの顔が少し赤くなった。

「彼女のダンスパーティのパートナーはもう決まった?」

 

 イリスはしばらく考えて、首を横に振った。あの「変身術」の授業以降、仲良し三人組からダンスパーティーの話題が出ることはなかった。だが、もしハーマイオニーのパートナーが決まったのなら、彼女はきっと自分に教えてくれるはずだ。クラムは安心したように溜息を零し、イリスに短くお礼を言って去って行こうとした。

 

 その時、イリスの緑色の目とクラムの黒い目がほんの一瞬、交錯した。『カルカロフは私の知る限り、自分の学校に入学する者に”闇の魔術”を教えてきた』――かつてのシリウスの言葉が、イリスの背中をそっと押す。彼女はクラムの心を”盗み見”した。

 

 ――イリスに突出した”開心術”の才能があると見抜いたスネイプは、相手に気付かれないほど微弱で繊細な魔法力を放出し、相手の目から侵入して心の内を走査する魔法を教えていた。上手く行けば相手の心を気づかれずに確認できるし、上手く行かなければ――つまり弾かれてしまえば、それは相手が心を閉じているというサインだから、そのまま”警戒態勢”に入る事ができる。しかし走査の結果、クラムに悪意はなかった。あるのはハーマイオニーを大切に想う、暖かくて甘酸っぱい気持ちだけだ。

 

「ごめんなさい」

 

 イリスは前かがみになって、玄関ホールを足早に歩き去って行くクラムの後姿を見送りながら、小さな声で謝った。そして三人の親友の内、一人はパートナーが決まりそうである事に、ホッと安堵の溜息を零したのだった。

 

 

 クリスマスが近づくにつれ、生徒達の学業への関心は見るからに薄れていった。何人かの先生方は――フリットウィック先生もその一人だったが――生徒が全く上の空なので、しっかり教え込むのは無理だと諦めてしまった。フリットウィック先生は水曜の授業で、生徒にゲームをして遊んで良いと言い、自分はほとんどずっと、対抗試合の”第一の課題”でハリーが使った完璧な”呼び寄せ呪文”について、熱心に彼と話し込んでいた。

 

 しかし他の先生はそこまで甘くなかった。ビンズ先生やムーディ先生、マクゴナガル先生は最後の一秒まできっちり授業を続けたし、スネイプももちろん、クラスで生徒にゲームをして遊ばせるくらいなら、迷う事無く死を選んだだろう。彼は生徒達一人一人を意地の悪い顔で睨み付けながら、学期最後の授業で”解毒剤”のテストをすると言い渡した。

 

 ”解毒剤”は非常に難解な魔法薬の一つだ。『この陰湿蝙蝠は、僕らに山ほど勉強させて、楽しいクリスマスを台無しにする気なんだ』――イリスを除いたグリフィンドール生達は皆、一様にそんな事を考えた。彼らの憎悪と殺意に満ちた視線は、スネイプにとって暖かな春の日差しに等しい。素晴らしい日光浴を堪能した彼は、終業のチャイムが鳴った後、イリスを呼び寄せた。

 

「只今より、補習授業と訓練を無期限の中止とする。すまない、ムーディを抑える事ができなかった」

 

 ――イリスはショックの余り、教科書を取り落しそうになった。今までずっと自分を支えてくれていた恩師ともう会えないなんて。まるで暖かな自分の家から放り出されたように、寂しく心細い気持ちになり、彼女はたまらず追いすがった。

 

「そんな。私、まだたくさん、先生に教えて頂きたいことがあったのに。ムーディ先生にお話しに行きます」

「君は迂闊に動くな。話が余計にこじれるだけだ」

 

 スネイプはさっきまで生徒達に見せていたものとは全く違う、険の取れた、とても穏やかな表情で、イリスにわずかな微笑みを見せた。

 

「それにこれは予期していた事だ。私は君にできうる限りの事を教えた。

 何かあればフクロウ便か守護霊を、緊急事態の時は救援信号を打ち上げなさい。それに授業の終わりには、どんな些細な事だろうと、私に話して構わない」

「はい、()()()()()()

 

 イリスは元気良くそう返事して、二人は短い間、優しく笑い合った。たとえムーディ先生がいくら邪魔立てしようとも、二人の絆は固く結ばれたままだった。軽い足取りで地下牢へ続く階段を駆け上がっていく少女の様子を、遠くの方から不気味な青い目が覗いていた。――その目は激しい嫉妬の感情に狂っている。

 

 

 クリスマスにホグワーツに残る希望者リストは、いまだかつてないほどの大勢の人数が書き込まれる事態となった。四年生以上は、全員が残るようだ。みんなダンスパーティの事で、頭がいっぱいだった。女子学生は特にそうだった。廊下でクスクス笑ったり、男子学生がそばを通り過ぎるとキャアキャア笑い声を上げたり、クリスマスの夜に何を着ていくかを夢中で情報交換していたり・・・。

 

 しかしそんな事は、”魔法劇クラブ”には一切無縁だった。イリス達は残り少ない日数で、台詞を覚えたり、衣装や小道具を作ったりすることで精一杯だった。幸い、とても複雑で大きな仕掛け――豊かな幸運の泉と、登場人物が登る丘のミニチュア――はダンブルドア先生が演出してくれる事になった。しかし、他にもやる事は山ほどあった。楽観的なアンヌは『このホグワーツ城だって、たった四人の魔法使いが創り上げたのよ。私たちはなんと、()()()()()!』と豪語してみせたが、創設者とイリス達とでは如何せん、格が違い過ぎる。

 

 作業は難航を極めた――と言いたいところだが、不思議とトントン拍子で進んでいく事の方が多かった。奇妙な事に、その日中にできずにやむなく放り出した事が、次の日に部室に戻ると、完璧に出来上がっているのだ。今朝も、ラックレス卿が装備する甲冑の錆がきれいに取り去られ、まるで新品のように輝いていた。イリスがフィルチに頼んで借り受けたものだが、昨日まではボロボロの錆だらけだった筈なのだ。

 

「ダンブルドア先生がこっそり手伝ってくださっているのかしら。まるで”靴屋の小人”みたいに」パトリシアが腕組みをして、朝日に煌めく甲冑を見つめた。

「何よ、”靴屋の小人”って。庭小人とどう違う・・・あら!」

 

 アンヌはふとテーブルに視線をやって、絶句した。清潔な白いテーブルクロスが掛けられ、大きな銀の盆にジュースや紅茶のポット、スナックがたっぷり積まれた大皿が載せられている。その皿の横に、小さな虹色の花弁が落ちていて、イリスはそっと拾い上げた。かつて自分が創り出した”魔法の花”に似ている。――”靴屋の小人”はウィンキーかもしれない。イリスは微笑んで、心の中で彼女にお礼を言った。

 

 しかしいくら”靴屋の小人”が付いてくれているとは言っても、現在進行中のネビルのドジを治す事までは出来なかった。彼は甲冑の中で思うように動けず、何度も転ぶので、ストーリーがなかなか先に進まないのだ。

 

「ちょっとネビル、不運な(ラックレス)卿なのよ。不安定な(タットリング)卿じゃないのよ」アンヌが困り果てて、頭をかいた。

「可笑しいなあ。”転倒防止呪文”を掛けてるんだけど。そんなに転ぶはずないのに」パトリシアも首を傾げた。

 

 しかし、()()()()()()だった。それでも何とかストーリーは進んでゆき、区切りの良いところでイリス達は揃ってテーブルに着き、軽食を摂ることにした。――イリスはそれぞれ異なる寮に住む三人から、色んな話を聴いた。彼らが言うには、レイブンクロー寮の談話室は青い内装に星座が施された落ち着いた雰囲気で、ハッフルパフ寮の談話室は黄色と黒のインテリアが施された暖かな部屋らしい。そしてハッフルパフの談話室に入るには、入り口近くの樽の山から決められた樽の底を二回叩く必要があると言う。

 

「”ハッフルパフ・リズム”って言うの」

 

 アンヌとパトリシアは、揃ってリズムカルにテーブルの端をトントンと叩きながら、朗らかに笑った。アンヌはにやりと笑いながら、ネビルに言った。

 

「あんた、ハッフルパフじゃなくて本当に良かったね。樽やリズムを間違えそうだもの。熱したビネガー塗れになるところだったよ」

 

 ネビルは真っ青になって、開封したばかりの蛙チョコレートを取り落とした。蛙チョコはピョンと跳ねてテーブルを飛び降り、どこかへ去って行った。パトリシアはくすくす笑い、イリスが杖を振ってネビルの手の上に蛙チョコを呼び戻す様子を眺めながら、穏やかな口調で話し始めた。

 

「でも一番大変なのは、きっとレイブンクローね。だって”謎解き”をしないといけないのよ」

「謎解き?」イリスとネビルの声がハミングした。

「ドアノッカーから毎日違う謎が出されるんだ。それを解かないと、談話室に入る事が出来ない」

 

 すぐさまジョンが優越感に満ちた声で補足してくれた。――なんて大変なんだろう。さすがは知性に富んだ者達が集う寮だ。イリスとネビルは思わずお互いを見つめ合い、舌を巻いた。ジョンは皮肉気に笑いながら、皆にこう言った。

 

「謎さえ解ければ、他寮の生徒でも談話室に入れる。だがお馬鹿な君達は、永久に無理だろうね」

「なんですって!」アンヌが怒った。

「あんただって、うちの陽気な”ハッフルパフ・リズム”で樽なんて叩けないでしょうよ」

「まあまあ。お二人とも、ご自分に最適な寮に入れたって事で」

 

 二人の痴話げんかを見兼ねたパトリシアが、おっとりとした調子で仲裁に入った。それからパチンと悪戯っぽくウインクして、イリスとネビルにそっと囁いた。

 

「こう見えても、二人は”恋人同士”なのよ」

「・・・エッ?」

 

 イリスとネビルは目を丸くして、二人を眺めた。ジョンはさっきまでの嫌味たらしい態度はどこへやら、たちまち顔をトマトのように真っ赤に染め、急いで部屋の隅っこへと飛んで行って、背景の色塗り作業を再開した。アンヌは頬杖を突いてその様子を呆れたように見ていたが、口元はかすかに綻んでいた。――社交的で明るいアンヌと、知的で大人しいジョン。まるで光と影のように、正反対のキャラクターを持つカップルだ。

 

 ――そう言えば、自分とドラコも正反対な性格だった。イリスはふと過去の記憶を懐かしんだ。良くハリー達に、自分達の仲を反対されていたっけ。魔法劇クラブにはスリザリン生がいない。スリザリン寮の談話室は一体どんな雰囲気なんだろう。合言葉とかはあるのだろうか。結局、訊けず仕舞いだったな。もっと沢山、色んな事を話しておけば良かった。イリスがぼんやりと思いを馳せながら、皿上をうねうねと這い回る、赤いナメクジ・ゼリー(ストロベリー味だ)を口に運んでいると、アンヌが急にこう言った。

 

「ねえ。あんた、失恋中でしょ」

 

 イリスはナメクジ・ゼリーを喉に詰まらせて、激しく咳き込んだ。――どうして分かったんだ?涙で滲む視界の中で、アンヌが我が意を得たりとばかりに、にんまりと微笑んでいる。だが、こちらをからかっているという素振りはない。

 

「顔を見たら分かるよ。あー、でもそのままでいてね!とっても良い表情してるもの」

 

 アンヌは片目を瞑ると、両手の指でフレームを作り、イリスの顔を嵌め込んでみせた。どうやらこの行動は彼女の癖らしい。アンヌは同情と共感をたっぷりと込めた目で、イリスを見つめて言葉を続けた。

 

「あんたが今どんなに辛いか、すっごく良く分かる。・・・()()()()()()()()()()()、悲しいわよね」

 

 今度はネビルが、ナメクジ・ゼリーを盛大に吹き出す番だった。どうやらアンヌは、”日刊予言者新聞”でスキータが書いた記事の内容を信じているらしい。イリスが慌ててそれは嘘であると言う前に、アンヌは”百味ビーンズ”の箱をごそごそやって、お目当ての味を探しながら言った。

 

「私も前の恋人に浮気されてさ、立ち直るのに三年かかったの。で、今年ジョンに出会った。そうしたら、今までの辛さが何だったの?って感じよ。

 愛を失った辛い気持ちは、時の流れと新しい出会いが拭い去ってくれるわ。あんたも劇が終わったら、”新しい恋”を見つけなきゃ。アマータみたいにね。・・・ウワー、最悪。ホウレンソウ味だわ。芽キャベツ味だと思ったのに!」

 

 すぐさまジョンが嬉しそうにやって来て、「ホウレンソウ味も芽キャベツ味も大して変わらない」とからかい、二人は痴話げんかを再開した。その様子を眺めながら、イリスは静かに思った。――決して、アンヌとジョンの愛を否定するつもりはない。確かに”新しい愛”を得られれば、今の寂しい気持ちは消えるだろう。しかし今のイリスには、それはとても()()()()()のように思えた。

 

 目の前でネビルがかぼちゃジュースを飲み干し、空き瓶をゴミ箱に捨て、今度はバタービールの瓶を取った。さっきまで重い甲冑を着て動き回っていたので、よほど喉が渇いているのだろう。イリスは浮かない顔で、ゴミ箱の中の瓶を見つめた。――愛は”瓶詰めのジュース”と同じで、飲み干して空になったら捨てて次の瓶を探し、またなくなったら新しい瓶を探す――その繰り返しなのだろうか。空っぽになった瓶は、もう意味がないものなのだろうか。『与えられなければ、君の愛は終わるのか?』――かつて心の世界でスネイプに言われた言葉が、耳の中で静かに木霊した。

 

 

 イリスが談話室に戻ると、ロンがいつもの特等席に座り、「爆発スナップ」ゲームのカードを積んで城を作るのに夢中だった。カードの城がいつ何時いっぺんに爆発するか分からないので、マグルのトランプを使うよりずっとスリルがあって面白い。ハリーは彼の愛読書の一つである『キャノンズと飛ぼう』を熱心に読み込んでいた。ハーマイオニーの姿は見当たらない。きっと図書室に行っているのだろう。イリスはハリーの隣に腰掛け、『ビードルの物語』を開いた。

 

 ハリーはイリスをチラッと横目で伺い見て、落ち着かないとばかりに身じろぎした。――彼はあの「変身学」の授業以来ずっと、ダンスパーティのパートナーをイリスにいつ申し込もうかと、やきもきしていたのだ。なんとか二人きりになれるタイミングを模索していたが、ダンスパーティの噂が広まってからというもの、自分に声を掛けて来る女生徒がとても増えてしまい、彼はそれどころではなくなってしまった。彼女達をやっと振り切って戻ってくると、今度はイリスが知らない男子生徒にパートナーのお誘いを受けている。

 

 もうハリーは気が気でなかった。そもそもあの時、マクゴナガル先生が”余計な事”を言わなければ、こんな苦労をせずに済んだんだ。でもイリスはその事を聞いて、見るからにがっかりしていた。――イリスが”誰に”最も着飾った姿を見せたいのか、ハリーには嫌でも理解出来た。やっぱり彼女はまだマルフォイを愛している。

 

 だが、それで諦めるハリーではなかった。彼が格好良く気取った姿を見せたいのは、イリスだけだったからだ。彼女はとても熱心に何かの本を読んでいる。――ダメだ、イリスに申し込むなんてできない。一度意識すると、もうどうすることも出来なかった。心臓が馬鹿みたいに早いスピードで鼓動を打ち始める。でも、やらなければ。僕はイリスとじゃなきゃ、ダメなんだ。ごくりと生唾を飲み込んだハリーを鼓舞するかのように、不意にイリスが良く通る声で本の内容を音読し始めた。

 

「『意気地なし!』」ハリーは思わず、本を取り落としそうになった。

「『騎士よ、剣を抜くのです。そして私たちが目的の場所に辿り着けるように助けるのです!』」

「イリス、静かにしてくれよ。今、良い所なんだから」

 

 ロンは目を細めながらイリスを窘め、最後の二枚のカードを城のてっぺんに置こうとしていた。しかし乙女の一声で、騎士・ハリーの決意は固まった。彼は唇を噛み締め、ゆっくりと本を閉じてポケットにしまい、イリスを呼んだ。彼女はロンのカードの山(今にも爆発しそうだ)をこわごわと見てから、ハリーに真正面から向き合った。ハリーは彼女の目を見た時、まるで階段を踏み外したかのように内臓がグラリと揺れた。

 

「イリス。僕の・・・」ハリーは乾き切った唇を舐め、今にもくじけそうな言葉を外の世界へ押し出した。

「僕のダンスパーティのパートナーになってほしい」

 

 ロンとイリスは揃って呆気に取られた顔で、ハリーを見つめた。次の瞬間、全部のカードが爆発し、ロンの眉毛がジュッと焦げた。イリスはやがて申し訳なさそうに眉を下げ、こう言った。

 

「ごめんなさい。私、劇に出るから、ダンスパーティには行けないんだ」

「劇?」ハリーとロンの声がハミングした。

「うん。ハッフルパフの人に誘われて、劇に出る事になったの」

 

 ハリーは胃の中に、鉛をたっぷり詰め込まれたような気分になった。――愛情に飢えて育ったハリーは、イリスを心から愛していたが、生まれたばかりの彼の愛はまだ幼く、シリウスによって長い抑圧状態から解放されたばかりという事もあり、自由奔放――いわゆる自分本位な一面も有していた。『劇だって?』――ハリーは鼻白んだ。そんなの、今までホグワーツで聞いたことがない。そんな嘘を吐いてまで、僕と踊りたくないっていうのか?恐ろしいほど大きな嫉妬の影がハリーの背後から覆い被さり、彼の暗い気持ちをグッと外へ押し上げた。

 

「もしマルフォイが君をパートナーに誘っていたら、それでも劇に出ていたの?」

 

 イリスは凍り付いたように頑なな表情になり、沈黙した。――その反応を見ただけで、答えは明らかだった。どうして僕を見てくれないんだ。あいつよりずっと前から、僕はイリスと出会って愛していた。()()()()()()()()()()。ハリーの魂の一部に巣食った”邪悪なもの”が、彼の心をますます悪い方向へけしかけていく。

 

「僕とは踊りたくもないって訳かい?」ハリーは冷たく笑った。

「着飾った姿を見せたくもないって?だから”劇に出る”なんて、そんな下らない嘘を吐くんだろ?」

 

 イリスは突然、親友から心無い言葉を掛けられて、咄嗟に呼吸する事を忘れ、苦痛に喘いだ。――どうしてハリーがこんなことを?応援してくれるとばかり思っていたのに。彼女は激しくかぶりを振って、ハリーに言い縋った。

 

「嘘じゃないよ、本当だよ!今年のクリスマスに、特別に催されるの」

「お、おい・・・どうしたんだよ?」ロンが眉を触りながら、慌ててこちらへやって来た。

「良いんじゃないか?」ハリーは冷たい声で言い放った。

「そうやっていつまでも、意地を張ってあいつを想っていれば。

 言っておくけど、君がどれほど修道女みたいにしていたって、あいつは何とも思わないぞ。君を思い返しもしないし、愛しもしない。君達の愛は、もう終わったんだ。

 あいつが新しい家庭を作り、幸せな人生を歩んでいくのを、指をくわえてずっと一人ぽっちで見ていればいい」

 

 突然、ハリーの頬を熱いものが張った。――ハーマイオニーだった。息を荒げ、怒りの感情に満ちた目がこちらを睨んでいる。彼女の足元には沢山の書物が散らばっていた。

 

 やがて、ハリーの耳にかすかな声が聴こえてきた。”イリスの泣き声”だ。それはハリーの心から、巨大な嫉妬の影と邪悪な魂の囁きを遠ざけた。彼はやっと我に返った。――『一体、僕は何をした?』まるでさっきまで悪霊に取り憑かれていたかのように、自分の言った事が信じられなかった。イリスは弱々しく泣きじゃくっていたが、やがてよろよろと立ち上がり、談話室を出て行った。思わず追いかけようとしたハリーの手を、ハーマイオニーが掴んだ。

 

「一つだけ、言わせてほしいんだけど」ハーマイオニーが静かに言った。

「イリスが劇に出るのは本当よ。貴方、少し頭を冷やすべきだわ」

 

 その言葉は、ハリーの心を完膚無きまでに打ちのめした。――嫉妬に駆られ、最も大切な人を傷つけてしまった。彼は自分を”磔の呪文”に掛けたくてたまらなくなった。

 

 

 談話室を飛び出したイリスは、覚束ない足取りで玄関ホールを出て、中庭を歩いていた。立ち止まったら、さっきハリーに掛けられた言葉に追いつかれてしまいそうな気がして、彼女はただ一心に足を動かし続けた。――その時、後ろから懐かしい鳴き声がして、イリスは急いで振り向いた。

 

≪やあ、イリス。久しぶりだな≫

 

 ――クルックシャンクスだ。オレンジ色のふわふわした毛が、風に優しくそよいでいる。隣にはフィルチの相棒である灰色の老猫、ミセス・ノリスがいる。どうやら二人はお散歩中らしかった。クルックシャンクスはイリスに向けて、小粋な感じでウインクしてみせた。

 

≪ダンスパーティの相手は見つかったかい?お前は大勢の男に愛を向けられているからな。一番目を引いたのは、あのヘンテコな皮を被った男さ。あの青い目の・・・≫

≪ちょっと!デリカシーがないわよ。その人をイリスが愛していたら、どうするの?≫

 

 厳しい口調でクルックシャンクスを窘めるノリスのお腹は、良く見るとふっくらと丸みを帯びている。――()()()。イリスは大きく息を飲んで、ノリスに尋ねた。

 

「ねえ、なんだかお腹が大きくなった?もしかして・・・」

≪そうよ!≫ノリスは堪え切れないように、クスクス笑った。

≪本当はね、あなたがあのよく分からない・・・≫

≪”SPEW”だ。”しもべ妖精福祉振興協会”≫淀みのない口調で、クルックシャンクスが補足した。

≪そう、それの勧誘に来た時、言いたかったんだけど。・・・秘密にしておいたの!≫

≪もうすぐ生まれる。おれたちの子だ≫

 

 クルックシャンクスは、愛おしげにノリスの尻尾に自らの尻尾を絡ませると、イリスを見上げて誇らしげに言った。

 

≪おれたちは夫婦になったんだ≫

「わあ、本当におめでとう!」

 

 イリスは明るい歓声を上げた。二匹の猫は溢れるほどの愛に包まれ、仲良く寄り添い合っている。――なんだかイリスは、自分がとてもちっぽけな存在のように思えた。二匹の仲睦まじい様子と、ドラコとアステリアの未来の映像が、ふっと重なって見えた。――私だって、マダム・パディフットのお店で、ドラコと一緒にカップル専用のメニューを見て笑い合いたかった。でもドラコと一緒にいる事は、彼を死に導く未来へ繋がる。

 

 『あんたはそいつに()()()()()()をした。ロックハートの野郎と変わらねえ。自分勝手な都合で、あんたはそいつの人生を滅茶苦茶にしたんだ』――その時、かつて聖マンゴで聴いた、魔法使いルーの言葉が心の中にこだました。ルーは私がドラコの命を守るために記憶を消したのを、”許されない事だ”と言った。じゃあ、私はドラコが死ぬのを我慢すれば良かったの?そんなの、たとえ自分勝手だと言われたって、彼を愛していないと言われたって、絶対に出来ない。

 

 ――自分が一緒にいるせいで、ドラコが死ぬのは嫌だった。でもドラコが違う女性と幸せになる事も、嫌だった。

 

 イリスは、心の世界で見た薪を思い出した。火が消えたままの薪を見て、スネイプが言った言葉も。『君が、愛の本質を理解していないからだ』――『薪の一部に火が付かないのは、君がその者から与えられた愛を理解せず、受け入れようとしていないためだ』

 

 私は結局、自分の幸せしか考えていなかったんだ。――イリスは自分の愛の幼さに、やっと気づいた。本当に愛していないから、薪はいつまでも燃えないんだ。

 

「うわあああああん・・・・!!」

 

 イリスは自分が恥ずかしくて、悲しくて、ただやるせなくて、込み上げて来る熱い感情を我慢する事も出来なくて、手放しで幼子のように泣き出した。――それから何があったのか、彼女は良く覚えていない。気が付くと、フィルチの管理人室にある古ぼけた椅子に座っていて、テーブルの上で二匹の猫が心配そうに自分を見つめていた。フィルチがせかせかとした足取りでやって来て、暖炉の炎で温めたバタービールの瓶と、”ハニーデュークス”印のチョコチップクッキーの缶を乱暴に置いた。

 

「全く、この()()()()()時に・・・!」

≪悪かったわね、クソ忙しくさせて!!≫

 

 突然、ノリスがまるで猫が変わったように凶暴な顔つきになってイライラと叫んだので、イリスはびっくりして飛び上がった。フィルチはびくりと体をこわばらせ、引き攣った声で「そんなことはないんだよ、お前」と必死で取り成した。良く見ると、彼の目の下にはくっきりとした隈があったし、顔には小さなひっかき傷が無数にあった。――どうやら妊娠中は、とても気が立つものらしい。クルックシャンクスは前歯で器用に缶の蓋を開け、イリスに食べるようにと勧めてくれた。彼女はクッキーを齧りながら、二匹に全てを話して聴かせた。

 

「私はドラコを本当に愛していなかったんだ。だから薪は燃えないんだよ」

 

 しかし二匹の猫はイリスを責めるという訳でもなく、ただ不思議そうな目で彼女を見つめるばかりだった。やがてクルックシャンクスが、ノリスとチラッと目線を交し合った後、静かにこう言った。

 

≪なあ。なんで、そんなに難しく考えるんだ?≫

 

 ――イリスはしんと静まり返った。クルックシャンクスの純粋な言葉は、沢山の人々の言葉や自分自身の想いに惑わされ、混乱している彼女の心を通過して、さらにその奥の方へと浸透していく。

 

≪お前は不思議な力で、”自分と一緒にいるせいでドラコが死んでしまう未来”を見た。だから彼の命を助けるために記憶を消して、今までずっとその事を彼に打ち明けずに、我慢してきた。

 それが正しい事だろうが、間違っている事だろうが、お前がドラコを助けるためにした事に変わりはない。・・・それが愛じゃなくて、一体何だって言うんだ?≫

≪イリス。自分の気持ちを責めたり、否定しないで。大好きな相手に愛してもらえないのは、誰だって辛くて当然よ≫

 

 ノリスが優しい声でそう言って、ザラザラした舌で彼女の頬に伝う涙を舐め取った。

 

≪もっと自分を受け入れて、褒めて、愛してあげなさい。私たちは皆、あなたのことが大好きよ≫

 

 二匹が代わる代わる掛けてくれた、とびきり暖かくて優しい言葉たちは、複雑にこんがらがっていたイリスの頭を、素朴で清らかな状態へ戻してくれた。彼女は咽び泣きながら、二匹をそっと抱き締めた。

 

「ありがとう。二人はまるで、私の”猫の両親”みたい」

≪まあ!親にはあなたがなるのよ≫ノリスはころころと笑い、イリスの頬に口付けた。

≪名付け親を頼むよ。良い名前を考えててくれ≫クルックシャンクスは恥ずかしそうに鳴いた。

≪おれの見立てでは、生まれる子供はきっと三匹だ。フィルチのおやっさんとお前、ハーマイオニーに名付けを頼む予定なんだよ≫

 

 

―――――――――

 

――――――

 

―――

 

 

 ジニーは”隠れ穴”で初めてハリーに遭った時から、ずっと彼に夢中だった。いわゆる、”一目惚れ”というものだ。ファンクラブにも入り、今も尚、熱心に活動を続けている。そんなジニーにとって、イリスは友人であると同時に”憧れの存在”でもあった。あのハリーの傍にずっといて、まるで兄妹のように仲睦まじく過ごしている。いつか自分もそんな風になりたいと、憧れの眼差しで彼女はイリスを見つめていた。

 

 しかし、何時の頃からか、その憧れの気持ちに”不純物”が紛れ込むようになった。――黒くて濁った、不快な匂いのする、暗い感情。気が付くと、イリスは”憧れの友人”から”憎っくき恋のライバル”へ変わっていた。イギリスの魔法界の人々にとって、ハリーは彼自身が思っているよりずっと有名で、いわば英雄そのものだ。ジニーがどれほどに恋焦がれても、平凡な女の子である自分とハリーとの距離感は一向に縮まらない。その一方で、イリスはいとも簡単に彼に触れて仲良く笑い合っている。

 

 ――ハリーがイリスを愛している事は、グリフィンドール生なら誰もが知っている事だった。だからハリーがイリスをパートナーに誘うのも、至極当然の事だと言えた。”ダンスパーティのパートナーに誘う”という事は、間接的な”愛の告白”と同じだ。これで二人が付き合ったら、ジニーはハリーへの想いを終わらせるつもりだった。なのに、()()()()()()()。”劇に出るのだ”と見え透いた嘘を吐いて。

 

 『馬鹿にするのもいい加減にしなさいよ』――ジニーは噴気し、血が滲むほど強く唇を噛み締めた。もう我慢の限界だった。WWWの商品をこっそり紛らせるだけでは、この鬱憤は晴らせない。”直接対決”だ。――ジニーはイリスが帰ってくるのを、「太った貴婦人」の肖像画の近くで待ち伏せしていた。するとイリスがやってきた。遠目でもはっきりと分かるほどに、涙の痕が滲んでいる。『どうせ、またそれでハリーの同情を買うつもりなんでしょ?』――ジニーは心の中で冷たく嘲笑い、強い口調でイリスに迫った。

 

「ハリーをダンスホールで一人ぽっちにさせるつもり?彼に恥をかかせる事が、そんなに楽しいの?」

 

 イリスは突然、ジニーに問い詰められて、しばらくの間、狼狽して立ち竦んでいたが、やがてハリーの心無い発言を思い出し、ムッとした表情で言い返した。

 

「私が断ったのは、ハリーに恥をかかせるためじゃない。劇に出るためだよ。

 ハリーを一人ぽっちにさせたくないのなら、ジニーが彼を誘えばいい」

 

 その瞬間、ジニーの感情が凄まじい音を立てて大爆発した。我を忘れて、イリスの頬を強く張り飛ばす。

 

「よくも――よくも――そんなことが言えるわね」ジニーの唇はわなわなと震えていた。

「私がハリーを好きだって分かっているくせに。私の目の前で彼といちゃいちゃして、見せびらかして、どれだけ私の心を傷つければ気が済むの?」

 

 ここにきて、イリスはジニーの言わんとしている事をやっと理解した。――ジニーは、自分とハリーが愛し合っていると()()()しているのだ。イリスは両手を前に出し、慌てて取り成すように言った。

 

「ジニー。私とハリーはそんな仲じゃないよ。誤解しないで」

「そりゃあ、あなたはそうでしょうよ!」ジニーは涙ながらに叫んだ。

「でもハリーはそう思ってないわ。――あなたを愛してる!それなのにあなたは、気まぐれにベタベタして、彼の心を悪戯に弄んでばかり!あなたがそんないい加減な態度だから、私はいまだに彼を諦めることができないの!」

 

 イリスは驚きの余り、二の句が告げなかった。――”ハリーが自分を愛している”だって?そんな事、全くもってあり得ない話だ。確かに仲はとても良いけれど、さっきだって喧嘩をしたばかりなのに。ジニーはイリスのそんな間の抜けた顔を見て、大粒の涙を流しながら嘲笑った。

 

「ほらね、あなたっていつもそう。・・・簡単よね?”私、何も知りません”って馬鹿な振りして、時々ポロポロ泣いて悲劇のヒロインぶっていれば、ハリーが夢中になってくれるんだから!」

 

 ジニーはただ切なくて、苦しくてたまらなかった。――どうして、私じゃないの。こんなに彼を愛しているのに。どうして彼は、私じゃなくあなたを愛するの?愛らしい鳶色の瞳を、激しい恋慕の感情に曇らせて、ジニーはイリスのローブを掴み、力なく揺さぶった。

 

「ねえ。お願いだから、私と代わってよ。私・・・あなたみたいになりたかった!」

 

 しかしイリスはこの期に及んでも、抵抗する訳でもなく、ただ静かに突っ立っているだけだった。――どうせこの後で、ハリーに私が意地悪した事を告発するんだわ。ジニーが絶望にすすり泣いていたその時、頭上からとても静かで低い声が降って来た。

 

「あなたは悪い魔法使いに操られて、親しい人や動物を傷つけてしまった事がある?」

 

 それは、イリスの声だった。ジニーは戸惑っておずおずと彼女を見上げた。ジニーがイリスの目の奥に虹色の輝きを見出した瞬間、ある映像が薄っすらと垣間見えた。――硝子のように硬く変質してしまったハーマイオニーの頬に触れ、イリスが涙を流している。

 

「親友に悪意を向けた嘘の本を書かれて、苦しんだ事はある?――”磔の呪文”を何度も掛けられて、心に深い傷を負った事は?――自分の気持ちさえ自由にできない呪いを掛けられて、生きる意志を失った事はある?」

 

 イリスの問い掛ける言葉と共に、映像は次々と切り替わっていった。――ロックハートが書いた本の内容を皆が信じ込み、まるでモンスターを見るような目を向けられて、イリスはどんどん憔悴していく。悪い魔法使い、ピーター・ペティグリューに襲われ、イリスは精神が崩壊する寸前まで拷問を受けた。思春期特有の感情の揺れは、イリスの呪いを発動させて、彼女の命を蝕む結果となった。――それらの凄惨な映像は、ジニーの心に巣食っていた悪い感情を、あっという間に拭い去った。ジニーは今までずっと『イリスが受けた悲劇の全ては嘘なんだ』と高をくくっていた。だが、それらは全部、()()()()()()()。二人は今や言葉もなく、ただ静かに泣いていた。イリスは涙を乱暴に拭い、ジニーに言った。

 

「ハリーとのこと、あなたを傷つけてしまったこと、心から謝るよ。

 でも私だって、悲劇のヒロインになりたくてなってるわけじゃない。ここまで来るのは、決して簡単じゃなかったよ。それでも皆に助けてもらいながら、一生懸命生きてきたんだ。・・・私だって、あなたが羨ましい。あなたになりたいよ」

 

 イリスはジニーの手をそっとローブから外し、「太った貴婦人」の前を通り過ぎて、どこかへ去って行った。ジニーは静かにしゃくり上げながら、自分の行いを反省した。――私は確かにイリスに傷つけられた。でもそれ以上に、私は彼女を傷つけてしまったんだ。

 

 

 イリスは、寮に戻る気になれなかった。スニジェットに変身し、排水管を通って外の世界へ飛び出し、グリフィンドール寮の塔の屋根に上ると、ぼんやりと座って星空を眺めていた。その時、ふと空を”何か大きなもの”が横切った。それはみるみるうちに近づいて来て、やがてイリスの傍にやって来た。――”ファイアボルト”に跨ったハリーだ。ハリーは気まずそうに頭をかき、箒を横に置いて、彼女の隣にそっと腰を下ろした。

 

「ごめん。僕は・・・君にひどいことを言った」ハリーは心から謝った。

「良いよ」イリスは静かに微笑んだ。

「だって、本当のことだから」

 

 二人の間を沈黙のヴェールが包み込んだ。でもそれは、不思議と安心できるものだった。――イリスにとって、ハリーは何も言わなくても通じ合える、実の兄のような存在だった。いつもハリーは、私が辛い時や寂しい時に来てくれて、こうして支えになってくれる。きっと彼なら、自分の本当の気持ちを理解してくれるような気がした。やがてイリスは静かに口を開いた。

 

「ハリー。私のお母さんは”未来の映像”を見ることができたの。私も時々見ることがあるんだ。ドラコの記憶を消したのは、私がいるせいで彼が死んでしまう未来を見たからなの。

 ドラコに”忘却術”を掛けた時、私は『たとえドラコが私を忘れても、彼が元気に生きてくれればそれで良い』と思ってた。でも・・・」

 

 イリスは唇を舐め、話を続けた。

 

()()()()。最近、またドラコに関する未来を見たの。それで、将来彼の妻になるはずの女の子に嫉妬をして、ひどい意地悪をしちゃった」

 

 ハリーは何も言わなかった。イリスは顔を上げて、星のきらめく夜空をじっと見つめた。――止まっているように見えるけど、空は少しずつ動いて、夜から朝へ変わっていく。『自分が今感じているこの感情を、ダメな事だとなじり、拒絶するのはもうやめよう』――イリスはとても素朴で清らかな気持ちだった。自分もこの空と同じように、少しずつでも動いてこの感情を受け入れていけるだろうか。先に進む事ができるだろうか。

 

「でも私、少しずつでも前に進んでいかなきゃ。ねえ、ハリー。私は・・・そうすることができるかな」

 

 次の瞬間、イリスはハリーに腕を掴まれて、強く抱き寄せられた。彼の体は火のように熱く燃え盛り、驚いたイリスが身じろぎしてもびくともしないほど、力が強い。ハリーとイリスの同じ色をした目が、交錯する。イリスの大好きな、優しい緑色の目が近づいて来る――

 

 ――そして二人は、口付けを交わした。二人の唇が離れた時、ハリーは震えていた。彼はこの行動が、今までの二人の関係性を壊す危険を孕んだものだと、痛いほどに理解していたのだ。しかしハリーはそれでも真摯な目でイリスを見つめ、決意と覚悟に満ちた声ではっきりと言った。

 

「僕が忘れさせる。()()()()()()()

 

 ハリーの愛の告白を受け、イリスは余りの事にどうして良いか分からなかった。『”新しい恋”を見つけるべきよ』――アンヌの笑顔が、ふっと心に思い浮かんだ。『ハリーはあなたを愛してる!』――ジニーの涙混じりの顔が、それに重なった。空っぽになったジュースの瓶が、ゴミ箱に投げ込まれていく――

 

 ――次の瞬間、イリスの脳裏を埋め尽くしたのは、”ドラコとの記憶”だった。彼と過ごした素晴らしい記憶の数々が、時を経て尚、克明に、鮮やかに、イリスの心を彩っていく。まるでついさっきまで、一緒にいたみたいに。

 

 イリスはドラコとの関わりを通して、本当の愛――”自分よりも、人を大切に想う事”を学んだ。ドラコの記憶を消した後、どうして今まで、彼の記憶を戻す事無く我慢できたのか。それだけの力を、彼が与えてくれたからだ。そして今も尚、それは自分の中に生き続けている。

 

 『ドラコ以外の人を、好きになる事なんてできない』――イリスはやっと、スネイプの伝えたかった事、そして薪が燃えなかった理由を、しっかりと理解出来た。――愛は、苦しく辛いものじゃなかった。愛した人が去るのと一緒に消えるのじゃなかった。ずっとここにあって、私を支えてくれていたんだ。夜空に輝く星々は、昼間は見えないだけで、目の前に存在している。私がその事にただ気付いていなかっただけなんだ。

 

 イリスの心の世界で、大きな薪が狂おしいほどに燃え盛り始めた。やがてそれは他の薪を巻き込んで、とても大きな一つの炎になり、今まで以上に彼女の魂をあたため、守っていく。イリスは頬を伝う涙を拭いもせず、ハリーに言った。

 

「ごめんなさい。私、ハリーの気持ちに応えることはできない。ドラコを愛してるから」

「もう終わったことだ!」

 

 ハリーは苦しそうに喘ぎ、イリスの肩を掴んだ。

 

「あいつは二度と君を愛しはしない!君はこれから先ずっと、一人ぽっちで生きるつもりなのか?」

「一人ぽっちじゃないよ」イリスは涙の残る目で穏やかに笑った。

「心の中にドラコがいる。()()()()()()()。ずっと――ずっと大好きだから」

 

 ハリーのただひたむきで幼い愛情は、イリスの深い想いを理解するにはまだ早すぎた。――すぐ目の前にいるのに、どれほど愛しても、イリスは僕を愛してくれない。今の彼の瞳に映るイリスは、何故かとても清らかで神聖なもののように見えた。まるで夜空に輝く星のように、自分の決して手の届かない遠い場所にいるようにも思えた。ハリーは黙ってイリスの頭を優しく撫で、箒に一緒に乗せて談話室まで送り届けると、男子寮へ続く階段を上がって行った。

 

 

 イリスが女子寮へ続く階段を昇ろうとすると、談話室の奥からジニーが駆け寄って来た。彼女は青ざめた表情に涙を浮かべ、イリスに近づいた。

 

「ごめんなさい。本当にごめんなさい。ハーマイオニーから全部、聴いたの。あなたの辛さも知らずに私・・・」

 

 ジニーは一旦言葉を区切ると、イリスに大きな赤い袋を手渡した。――イリスがそっと覗き込んでみると、中にはWWWの商品がぎっしりと詰まっていた。短い時間、どんな魔法を使っても明かりが点かない暗闇を創り出せる「インスタント煙幕」や、地面に置くと独りでに走り出し、爆発して刺激臭をまき散らす「おとり爆弾」・・・などなど。ジニーはどうやらほとんど全ての品を買い占めたようだった。

 

「今まであなたに悪戯していたのは、私なの!これ、私に全部使って。皆の前で悪戯して構わないから」

 

 イリスは驚いて、ジニーとバッグを交互に見た。――ジニーに悪戯をするだって?そんなこと出来る訳がないし、したくもない。その時、ジニーの目の奥に虹色の輝きが揺らめいて、イリスは思わず目を凝らし、息を飲んだ。その綺麗な鳶色の瞳を透かして、順調に成長を重ねたジニーとハリーが肩を並べて仲良く笑い合っている光景が、薄っすらと確認できる。

 

「本当に皆の前で悪戯していいの?」イリスは尋ねた。

「どんなことでも?」

 

 ジニーが覚悟を持って大きく頷くと、イリスは杖を一振りして自分のドレスローブの入った袋を呼び出した。もう自分には必要のないものだ。その袋をジニーに渡し、イリスは悪戯っぽく微笑みながら言った。

 

「じゃあ、私の悪戯はこれ。――『クリスマスダンスパーティで、ハリーと踊る事』」

 

 ジニーは呆気に取られた顔でイリスを見つめるばかりだったが、彼女は構わずに言葉を続けた。

 

「もしドレスがないのなら、私ので良ければこれを使って。たぶんサイズはあまり変わらないと思うから」

「どうして?」ジニーは口籠った。

「だってこんなの、悪戯じゃないわ。それにハリーはあなたを・・・」

「ハリーには、私がちゃんと話すから大丈夫だよ」

 

 イリスは朗らかに笑った。――ハリーとはお互いの想いの行き違いがあったけれど、そんな事で二人の絆は壊れたりしない。彼女はそう強く信じていた。それに親友達が将来、幸せになれる手伝いを自分が今出来るのなら、そうするべきだとも思った。

 

「恋ってどんなことで始まるか分からないもの。このダンスパーティが、その切っ掛けになったら嬉しいな。

 それに、ジニーが謝ることないよ。私の方こそ、本当にごめんなさい。あなたをずっと傷つけてしまっていた」

 

 弱々しく泣きじゃくるジニーの肩に優しく手を置いて、イリスは心からの謝罪の言葉を送った。ジニーがハリーを好きなのは、前から分かっていた事だった。自分がもっと早くにハリーの気持ちに気付いていれば、二人をここまで深く傷つけずに済んだかもしれないのに。その一方で、ジニーは袋をギュッと握り締めながら、ただ強くこう思った。――『この人には、決して敵わない』と。

 

 

 着々とクリスマスは近づいて来ていた。ホグワーツの飾り付けは、今まで見て来た中で一番素晴らしいものとなった。石の階段の手摺りにはきらめく万年氷の氷柱が下がっていたし、十二本のクリスマスツリーがいつものように大広間に並び、飾りはルビーのように美しい輝きを放つヒイラギの実から本物そっくりの金色のフクロウまで、盛り沢山だった。鎧兜には全部魔法が掛けられ、誰かがそばを通るたびにクリスマスキャロルを歌った。ピーブスが鎧に隠れるのが気に入り、自分で作った下品な合いの手を入れるので、フィルチはますます寝不足と不機嫌に拍車がかかった。

 

 あれからハリーはジニーと踊る事を了承してくれたが、イリスとハリーは妙にぎこちなくよそよそしい関係になってしまった。仲が悪くなったと言うよりも、今までどんな風に仲睦まじく過ごしていたかという事を、二人共すっかり忘れてしまったような気分だったのだ。しかしそんな時、ロンやハーマイオニーだけでなく、ジニーも二人の間に入り込み、上手に仲を取り持ってくれたので、二人は本当に救われる思いだった。

 

 ある日、イリスが部活動を終えて談話室に戻ると、ロンとハーマイオニーが火花を散らして交戦中だった。間を三メートルも空けて立ち、双方真っ赤な表情をして叫び合っている。

 

「貴方は三年も掛かってお気づきになられたようですけどね。ロン、だからといって他の誰もが、()()()()()()と気づかなかったわけじゃないわ!」

「だから認めるって言ってるだろ!」ロンがイライラと叫んだ。

「勿体ぶってないで、僕と一緒に行ってくれよ!もう他に誰もいないんだから!」

「・・・私は”最後の手段”って訳?」ハーマイオニーが静かに尋ねた。

「当たり前さ、誰が君となんか!」ロンがそっぽを向き、腕組みをした。

「ハーミー!」

 

 イリスの目の前で、ハーマイオニーが涙を散らして女子寮へ続く階段を駆け上がっていく。イリスは慌てて彼女を追いかけて、自室の扉を控えめにノックしてから、そっと開いた。

 

 ――ハーマイオニーはベッドの上に、自分のドレスローブを広げていた。綺麗な薄青色の衣装で、彼女の知的でチャーミングな雰囲気に良く似合っている。イリスはそっとハーマイオニーの隣に座って、彼女の肩に手を置いた。ハーマイオニーはかすかに微笑んで、力なく首を横に振った。

 

「あの人は私の事なんて、どうでもいいんだわ」

「そんなことないよ!」イリスは焦って言った。

「ロンはデリカシーもないし、時々ああやってひどいことを言うけど、ハーミーのことは”大切な親友だ”って思ってるはずだよ」

 

 不意に、ハーマイオニーが悲哀の感情に打ちひしがれたかのように、激しく泣き出した。――まるでイリスがひどい悪口を言って、彼女を傷つけてしまったみたいに。イリスの手に自分の手を重ねて、ハーマイオニーは切ない声で言った。

 

()()()()()()()()

 

 ――その時、イリスは理解した。『ハーマイオニーはロンを愛しているのだ』と。目の前のサイドテーブル上には、かつてハーマイオニーがロンからもらったエジプト製の香水瓶が置かれ、部屋の明かりに反射してキラキラと輝いている。彼女は空いた手で、そっとドレスを撫でた。

 

「これ、彼の目と同じ色なの。思わず衝動買いしちゃった。私にしては珍しいでしょ」ハーマイオニーは弱々しく笑った。

「別に彼の事なんてちっとも好きじゃなかったわ。でも何時の間にかこうなってしまった。恋って本当に難しいわね。勉強の方がずっと簡単だわ。シンプルで、確実で・・・」

 

 ハーマイオニーはそう言うと杖を振って、ドレスをトランクの中へ戻した。

 

「私、ビクトール・クラムと踊るの。図書室でSPEWについて勉強している時、誘われたのよ」

 

 イリスはかつて”盗み見”したクラムの心の内を思い出した。――クラムは確かにハーマイオニーを愛している。でもハーマイオニーは、ロンの事を好きなんじゃないのか?

 

「ハーミーはそれで良いの?」

「”育む愛”もあるのよ、イリス」

 

 ハーマイオニーは精一杯強がって見せた。”盗み見”などしなくとも、彼女が嘘を吐いている事は明白だった。

 

「心配しないで。ダームストラング生だけど、ビクトールは誠実な人よ。私・・・彼からのお誘いをずっと断ってたの。いつかロンが誘ってくれるんじゃないかって、思ってたから。

 でも、ダメね。あの人にとって、私は”最後の手段”なのよ。学校中の女の子から断られて、最後にこれで良いかと思うような”残り物”の女の子。皆が最後に鼻を摘まんで食べる、百味ビーンズの”外れ味”。

 ・・・私、ビクトールのお誘いを受けるわ」

 

 イリスは何と声を掛けて良いのか分からず、ただハーマイオニーを強く抱き締めた。彼女の腕の中で、いつも気が強く聡明であった筈の親友は、まるで年頃の女の子のように泣きじゃくり始めた。

 

 

 クリスマス休暇がやってきた。四年生には休暇中にやるべき宿題がどっさり出されたが、それに打ち込む生徒は少なかった。グリフィンドール塔は、学期中に負けず劣らず混み合っていた。寮生がいつもよりずっと多く、みんなガヤガヤと騒々しいので、むしろ塔が少し縮んだのではないかと思う位だった。

 

 城にも校庭にも、深々と雪が降っていた。ハグリッドの小屋やその隣のボーバトンの馬車は、まるでシュガーパウダーをたっぷりと降りかけたクリスマスプティングのようだった。ダームストラングの船窓は氷で曇り、帆やロープは真っ白に霜で覆われている。厨房のしもべ妖精たちはいつにも増して大奮闘し、こってりした体の暖まるシチューや、ピリッとしたプティングを出してくれた。それらのガツンとした料理の数々はみんなに好評だったが、ボーバトン校の代表選手、フラー・デラクールだけは文句を言った。

 

「ホグワーツの食べ物は重すぎますわ。私、パーティローブが着られなくなってしまう!」

「あら、それは悲劇ですこと!」

 

 フラーが美しいシルバーブロンドの髪をなびかせ、玄関ホールの方に出て行くのを見ながら、ハーマイオニーが痛烈に言い放った。

 

「あの子、全く何様だと思ってるのかしら!」

「ハーマイオニー。君、誰と一緒にパーティに行くんだい?」

 

 もう何千回と聴いたその質問に、ハリーとイリスは思わず顔を見合わせて、盛大な溜息を零した。――ハーマイオニーと喧嘩をしたあの日以来、ロンはずっとこんな調子だった。彼女が全く予期していない時に訊けば、驚いた拍子に応えるのではないかと思っているのか、ロンは何度も出し抜けにこの質問をした。ロンは自分がレイブンクロー寮の”謎解きドアノッカー”になったと勘違いしているようで、イリスがネビルと劇の台詞の練習をしていようが、ハリーとイリスとジニーが仲良くお喋りをしていようが、全くお構いなしで割って入ってこの謎々を繰り返すので、二人共もううんざりだった。ハーマイオニーだけは表情を一切変えず、いつものようにこう応えた。

 

「教えないわ。どうせあなた、私をからかうだけだもの」

 

 

 クリスマスの朝、イリスは目が覚めた。大きく伸びをしながら足元をチラッと見ると、クリスマスプレゼントの山がこんもりとあった。『劇の緊張は一先ず後回しにするとして、先にプレゼントを開封しよう』――彼女はそう決断し、喜び勇んで杖を振っては箱を開封し始めた。――イオからは日本のマグル界で有名なお菓子の詰め合わせ、それから頼んでいたミセス・ノリス用の安産守りが入っていた。ハリーからはイリスが”ハニデュークス”で発見して以来、ずっと欲しがっていた、蛙チョコレートのカードをしまうアルバム。それ以外の人々はほとんど、魔法界のお菓子や食べ物の詰め合わせだった。イリスのフードファイター伝説は、今や彼女の知り合いじゅうに広まっているらしい。

 

 ふと見慣れない簡素な茶色い包みを見つけて、イリスはそっと拾い上げた。包みを縛る紐の先には小さなメッセージカードがくくりつけられていて、”セブルス・スネイプ”と書いてある。――セブルス先生だ。初めてもらった先生からプレゼントは、リバチウス・ボラージ著の「上級魔法薬」とジグムント・バッジ著の「魔法薬之書」で、全てのページに先生の訂正文が事細かに書き込まれていた。これは言葉に出来ないくらい、とても嬉しいものだった。

 

 それからイリスは、上質な黒いベルベット生地の大きな箱を発掘した。クリスマスカードが付いている。――マルフォイ家の指輪印章(シグネットリング)、ナルシッサさんからだ。イリスは急いでカードの内容に目を通した。『メリークリスマス。”あなたがホグワーツで劇に出演するのだ”と、セブルスから聞きました。頑張りなさい。応援しています。良ければこれを着てくれると嬉しいわ。あなたをイメージして作らせたものです』

 

 イリスがそっと箱の中を伺い見ると、なんとそこには――とても見事なドレスローブが一着入っていた。まるで”雪の結晶”に魔法を掛けてきらめく衣装に変えたかのように、繊細で優美な装飾が余すところなく施されていて、宝石や真珠も編み込まれている。そしてその衣装に合う美しい靴やアクセサリー、髪飾りも添えられていた。彼女は急いでトランクの中を引っ掻き回し、ナルシッサにお礼の手紙を送る準備を始めたのだった。

 

 

 それからイリスはルームメイト達にクリスマスの挨拶をして、いつもの仲良し四人組で集まって、一緒に朝食を摂るために大広間へ向かった。それから四人は、午前中をグリフィンドール塔でゆったり過ごした。塔では誰もがプレゼントを楽しんでいる。昼になると再び大広間に戻り、豪華なランチに舌鼓を打った。少なくとも百羽の七面鳥が各寮の長テーブルにずらりと並び、イリス達の大好きなクリペッジの魔法のクラッカーも山ほど積み上げられていた。

 

 その頃になると、イリスは夜に劇を控えているという事実に緊張し始め、あまり食欲が湧かなくなってしまった。――ふと自分の手に暖かみを感じ、彼女は顔を上げた。向かいに座るハリーが微笑んで、手を優しく握ってくれている。

 

「大丈夫だ。きっと上手く行くよ」

「ありがとう」

 

 ――その時、二人は”いつもの二人の関係”にやっと戻れたような気がして、安心したように笑い合った。『そうだ、劇をするくらいのこと、なんてことない』――イリスはそう思い、自分を奮起させ、猛烈な勢いでクリスマス・プティングを食べ始めた。だってハリーはたった一人でドラゴンと戦ったんだもの。彼の勇気を見習わなくちゃ。

 

 大広間を出た後、ハリーとロンは雪合戦をするために校庭に出て、ハーマイオニーは図書室に行き、イリスは最後の劇の打ち合わせをするために部室へ向かった。イリスが台詞を諳んじながら廊下を歩いていると、ロンが息を切らしながら走って来て、彼女の前に立ち塞がって通せんぼをしながら尋ねた。

 

「一体、誰がハーマイオニーと踊るんだ?」

「もうロンったら!」イリスは本当にうんざりしながら言った。

「私、劇の練習に行かないといけないのに。時間がないんだよ。それに夜になったら分かることじゃない」

「今、知りたいんだ!」ロンは凄んだ。

「君が本当のことを教えるまで、ここは通さないぞ。・・・あいつが他の誰かと踊るなんてありえない。きっと嘘を吐いてるに違いないんだ」

 

 ロンの心無い言葉に、イリスは思わずカッとなって、彼に詰め寄った。

 

「ロン。これ以上、ハーミーを傷つけるつもりなんだったら・・・私、許さないよ」

「僕、傷つけるつもりなんかない」

 

 ロンはまるでイリスに平手打ちを喰らったような顔をした。口を開いた時、声が震えていた。

 

「ただ気になるだけだ」

「なんで?」

 

 イリスが眉を顰めながら問いかけると、燃えるような赤毛との境目が分からなくなる位に、彼の顔は真っ赤に染まった。――いくら鈍感なイリスでも、その様子を見たとたん、ロンの気持ちが分かった。彼女は予想を確信に変えるため、静かに尋ねた。

 

「もしかして、ロンはハーミーのことが好きなの?」

「そんなわけないだろ!誰があんな”本の虫”と!」ロンは精一杯強がった。

「ロン、正直に言って。さもないと私、あなたに”真実薬”を飲ませる」

 

 イリスは脅すような口調でそう言うと、ローブのポケットから小さな硝子瓶を取り出して、中に入った透明な液体をチャプチャプと揺らしてみせた。――スネイプは敵から情報を訊き出す場合を想定し、相手の性格に合わせた、的確な尋問方法も教えてくれていた。瓶の中身は”王の草”の成分を蒸留させただけの無害な水だったが、そんな事を知る由もないロンは、見るからに狼狽えた。

 

「な、なんで言わないといけないのさ。そんなの、君に関係ないだろ!」

「関係あるよ!」イリスは瓶を握り締め、涙ながらに叫んだ。

「今までどれだけ、あなたたちに助けられてきたか。二人共、本当に大切な親友なんだよ。これ以上、仲違いをするところなんて見たくない!」

 

 しばらくの間、ロンはもじもじとしたまま、動かなかった。しかし焦れたイリスが瓶をもう一度揺らすと、彼は観念したように溜息を零し、口をほんの少しだけ開いてボソボソ喋った。

 

「好きだから何なんだよ!」

 

 ――その言葉を聴いた瞬間、イリスはハーマイオニーとの約束を破る覚悟を決めた。瓶をポケットに戻し、イリスはロンに真実を話した。

 

「ハーミーのパートナーはビクトール・クラムだよ」

「クラムだって?」

 

 そのとたん、ロンは烈火の如く怒り始めた。ハーマイオニーの罪の重さを十分に表現する言葉を探しているのか、必死で空を見つめ、どこか自分自身にも言い聞かせるように確かな声音で、こう言い始めた。

 

「あいつは敵とベタベタしてるってわけだ!シリウスにも”注意しろ”って言われたのに!クラムが本当にハーマイオニーを好きなわけがない。あいつは騙されてるだけさ」

「クラムは、本当にハーミーを愛してるよ。だから勇気を出してダンスに誘ったの」

 

 イリスの容赦ない迎撃の言葉は、ロンの心を完膚無きまでに打ちのめした。まるで雷に撃たれたように、身体を大きくこわばらせた親友に、イリスはさらなる追撃の矢を放った。

 

()()()()()()()()

「馬鹿言うなよ。そんなこと、できるわけないだろ」ロンは卑屈な声で笑った。

「あいつはクラムと踊るんだ」

「ロンの弱虫!いくじなし!負け犬!」イリスは地団太を踏んで、涙に滲む声でロンを叱った。

「一生に一度しかないハーミーの最も着飾った姿を見ないことが、今、あきらめないで恥ずかしい思いをすることより重要なんだったら、そうしたら良いよ!私だったら、なんだってする。愛を取り戻せるのなら・・・」

 

 イリスは流れ落ちる涙を乱暴に拭って、ロンを睨み付けた。――二人は、お互いを想い合ってる。ロンが勇気を出せば、簡単に解決する話なんだ。『プライドや恥が、一体何の役に立つって言うんだ?』――イリスはロンが本当に羨ましかった。もし私がロンと同じ立場なら、決闘だってなんだってやってやる。ドラコとの愛を再び得ることができるのなら・・・。イリスは茫然と立ち尽くすばかりのロンに、最後の一押しをした。

 

「私の尊敬する人が教えてくれたの。『心の中には愛でできた”魔法の炎”があって、それが自分のするべきことを教えてくれるんだ』って。

 一つだけ、ヒントをあげる。ハーミーのドレスの色は、あなたと同じ目の色だよ。・・・ねえ、ロン。あなたは今、何をするべきなの?」

 

 

 それからロンは城中を歩き回り、クラムを探した。幸いな事に、クラムはすぐ見つかった。彼はハーマイオニーと一緒に、大広間でクリペッジの魔法のクラッカーに興じていたのだ。二人の仲睦まじい様子を目の当たりにしたロンは、ギュッと唇を噛み締めると、クラムの前に立ち、大きな声でこう迫った。

 

()()()()()()。ハーマイオニーを賭けて!」

 

 ――クラムとハーマイオニーはポカンとした顔でロンを見上げた。やがてロンの言葉の意味を理解したハーマイオニーの頬は、みるみるうちに真っ赤に染まっていく。クラムは鼻白んだような顔つきでロンを見上げ、冷たくせせら笑った。

 

「僕は構わないが」ロンの毛羽立ったローブをじろりと一瞥しながら、クラムは言った。

「介添え人は誰がなるんだ?」

 

 ”介添え人”の存在をすっかり忘れていたロンは、明らかに狼狽えた。その時、彼の肩を誰かがガッと掴んだ。――ハリーだ。

 

「僕だ。僕が介添え人だ」

 

 迷いのない声で、ハリーが応えた。すぐに状況を把握したハリーは、親友と共に戦うため、自ら戦地へ赴いたのだ。ロンは感激に打ち震えた目でハリーを見つめたが、ハーマイオニーはカンカンに怒り、二人を責め立てた。

 

「どうしてそんな恥ずかしい事をするの?嫌がらせのつもり?私はクラムと踊るのよ!」

「そんなの、知るもんか!」すぐさまロンが怒鳴り返した。

「僕が勝ったら、君にもう一回、申し込む。嫌だったら、その時に断れば良いだろ!」

「いやー、実に素晴らしい。若者たちの青春の一幕という訳だ」

 

 子供たちの騒ぎを聞きつけたのだろう、うわっ滑りの良い声をして、ダームストラング校の校長、カルカロフがやってきた。カルカロフはクラムの肩を親しげに掴んで、父親のように優しく微笑んでみせたが、その目の奥はちっとも笑っていなかった。氷の欠片のように冷たい瞳が、ロンを通り過ぎて、ハリーを鋭く射抜いた。

 

「選ばれし”二人目の代表選手”が、ドラゴンではなく魔法使い相手にどのように立ち回るのか、とても楽しみだよ」

 

 カルカロフは最初からロンなど見ていなかった。気に喰わない存在であるハリーが、自分が腕によりをかけて育て上げたクラムに打ち負かされる事を期待しているのだ。

 

「この勝負、私が見届けよう。他の先生方に邪魔をされないよう、私から言い含めておく。

 決闘の賞品は、この愛らしいお嬢さんとのダンス権だ。だがそれだけでは、こちら側に利益がない。我々にも”ご褒美”がなくては」

 

 カルカロフの薄い色をした目が、ハリーの隣の空間を射抜いた。――まるでさっきまで、そこに誰かがいたかのように。

 

「・・・そうだな。もしこちらが勝てば、クリスマスの残りの休暇を、城ではなく我が船で過ごすように魔法の誓いを立てて頂こう。()()()()()()()()()にね」

 

 かつてシリウスが放った忠告の言葉が鮮やかに蘇り、ハリーがギュッと拳を握り締めて、カルカロフを睨み付けた。――カルカロフが船の中で、イリスに何をするつもりなのか、そんな悍ましい事は考えたくもなかった。この勝負、絶対に負ける訳にはいかない。ロンやハーマイオニー、クラムまでもが、カルカロフに非難めいた視線を送り付ける。しかし彼は涼しい顔で、自らの船が留め置かれた湖のほとりを”決闘の場”とし、その場を立ち去った。

 

 

 その日の夕方、ホグワーツ生だけでなく、ダームストラングやボーバトン生も含めた、大勢の生徒たちが湖のほとりに駆け付けた。カルカロフがクラムと”介添え人”となる生徒を一人従え、悠然と立っている。ハリーは以前にシリウスに教えてもらった”決闘の心得”をロンと復習しながら、大きく武者震いをした。そんな彼らの様子を、ハーマイオニーは憤懣やる方ない顔つきで睨んでいる。

 

 フレッドとジョージは、観客の一人一人に声を掛け、この決闘の勝者についての賭け金を集めていた。悲しい事にみんなクラムに大金を賭け、ロンに運命を託そうとする者は誰一人いなかった。フレッドとジョージは受け取ったコインの一枚一枚に杖を振って本物かどうか確かめてから、帽子の中に放り込んでいる。

 

 やがて定刻となり、カルカロフの審判の下、ロンとクラムの決闘が始まった。二人は揃ってお辞儀をし、杖を構えて体勢を整える。呪文を唱えたのは、ロンよりクラムの方が圧倒的に早かった。

 

「エクスペリアームス、武器よ去れ!」

 

 クラムの呪文の光線は狙い違わずロンに命中し、杖を弾き飛ばすと共に、彼を数メートルほど吹っ飛ばした。彼は空中を切り揉み回転し、氷の張った湖にダイブした。やがて巨大イカの吸盤のびっしり付いた足が、ぐったりしたロンを掴んで水面からぬっと現れ、彼を岸に下ろして元の場所へ帰っていく。――あっという間の勝負だった。クラムはもう”介添え人”となるハリーを見据えていた。ダームストラングの生徒たちがゲラゲラと笑い、ホグワーツの生徒達はロンの情けない姿に呆れたり、野次を飛ばしたりしている。

 

―――――――――

 

――――――

 

―――

 

 ロンは空中で激しく回転した事により軽い脳震盪を起こした後、凍るように冷たい水で心臓を圧迫されたので、意識がひどく虚ろな状態だった。――寒さに震えている自分を、皆が口々に罵り、嘲笑っている声が聴こえる。なんで、こんなバカなことをしてしまったんだろう。ロンはうつ伏せに倒れ伏したまま、口に入った泥混じりの雪を力なく吐き出した。クラムは”ワルのダームストラング生”なだけじゃない、クィディッチのブルガリア・チームの名シーカーで、選りすぐりの優秀な上級生だ。どう頑張ったって、勝てっこないはずなのに。

 

 ――その時、観衆の野次に紛れて、()()()()()()が聴こえた。その声は、くじけそうなロンの心を熱く奮い立たせた。ハリーがカルカロフの合図に従い、勇んで腕まくりをしながら、決闘の場に踊り出ようとした時、観衆がざわざわと騒いで、ある方向を指差した。――ロンが再び立ち上がり、クラムを見据えている。

 

「ハリー、戻れよ」ロンは氷を割った時に傷ついたのか、片目の上を深く切り、血が流れていた。

()()()()()()()()()()

 

 普段、余り感情を表に出さないクラムは、この時ばかりは歯を剥き出して怒りを露わにし、ロンを威嚇した。クラムは杖を振り上げ、ロンに”くらげ足の呪い”と”できものの呪い”、それから”ナメクジの呪い”を続けざまに放った。みるみるうちにロンの顔は、不気味なくらげの足だらけになり、口から大きなナメクジが幾匹も飛び出した。両足はまるでゴムのようにフニャフニャと柔らかくなって、ロンは再び、仰向けに倒れ伏す羽目になった。

 

 自分の吐き出すナメクジで呼吸困難に陥りかけているロンを冷たく見下ろし、クラムは『こんな下らない事、早く終わらせたい』と言わんばかりの顔でハリーを手招きしたが、彼はその場から動こうとせず、ロンをじっと見つめている。

 

 ――苦しい。息ができない。気持ち悪い。ロンはナメクジと共に苦痛に喘ぎ、のたうち回った。もうこんなバカなこと、やめよう。そもそも何で僕は、こんなことをする羽目になったんだ?

 

 『だから誰だってあいつには我慢できないっていうんだ。まったく悪夢みたいなやつさ』――ふと、ずっと昔に自分が言った、心無い言葉が蘇った。それを聴いたハーマイオニーは涙を流し、その場を走り去っていく。ロンの胸はズキンと激しく痛んだ。

 

 ハーマイオニーがドラコに侮辱された時、ロンは我を忘れて彼に呪いを掛けようとし、自分の壊れた杖のせいで呪文が逆噴射して苦しむ羽目になった。エジプトのお土産として香水瓶をプレゼントした時、ハーマイオニーは頬を赤らめ、とても華やかに笑ってくれた。

 

 お互いのペットについて喧嘩中だった時、ハーマイオニーがスネイプに詰られて、ロンは自分が罰則を受けるのも厭わずに彼女を守った。感激したハーマイオニーはギュッとハグをしてくれた。彼女は膚の色が白くてマシュマロみたいに柔らかくて、とても良い匂いがした。

 

 『あなたは今、何をするべきなの?』――イリスの言葉が、静かに胸の中でこだました。

 

「ばだ、ぼばっでだび」

 

 クラムは思わず呆気に取られて、振り返った。――大量のナメクジの粘液が喉に詰まっているので、もはや言葉を発する事すら辛そうだったが、ロンはクニャクニャの足を器用に折り畳んで立ち上がろうと努力しながら、クラムに鋭い視線を叩きつけた。

 

 ――それからは、()()()だった。クラムはありとあらゆる種類の呪いを掛け、ロンはその度に呻き声を上げて、地面に倒れ伏した。しかしどれほどボロボロになり果てても、ロンはまるで不死鳥のように蘇って、しつこくクラムに追い縋る。

 

 やがてクラムの息が切れて来た。彼は何とも言えない複雑な眼差しで、自らの呪いで創り出してしまったモンスターを見つめた。――今やロンの姿は、成体となった”尻尾爆発スクリュート”が可愛らしいパフスケインに見えてしまうほど、恐ろしく醜悪な外見になっていた。この姿をハグリッドが見たら、”素晴らしく可愛い”と興奮して褒めちぎるに違いない。トロールを彷彿とさせる――ヘドロ色のゴツゴツとした皮膚のひび割れからは、ひどい悪臭のする粘液が流れ出てており、観衆たちはたまらず目を覆い、鼻を摘まんだ。――けれどただ一人、ハーマイオニーだけは、ロン・トロールから目を離す事ができなかった。

 

 ――最初は、ただの嫌がらせだと思っていた。しかし実際に目の前で、いくらひどい姿に成り果てても、諦めずにクラムへ向かっていくロンを見た時、ハーマイオニーは”彼は本気なのだ”と思った。だが、もう充分だ。これ以上、愛しい人が傷ついていく様子など、彼女はもう見たくなかった。『どうして、ここまでするの?』――ハーマイオニーは激しくしゃくり上げ、涙で滲む目でロンを見つめた。今まで、私に見向きもしなかったくせに!

 

「もういいったら、ロン!」ハーマイオニーが立ち上がり、叫んだ。

「何よ、今まで私に見向きもしなかったくせに!悪口ばっかり言ってたくせに!今更――今更――何なのよ!」

 

 ロンは黙ったまま、応えなかった。くじけそうになる度に、ハーマイオニーと過ごした素晴らしい思い出の数々が心の底から湧き上がって来て、自分に再び立ち上がる力を与えてくれる。それが何を意味しているか、ロンにはもう分かっていた。ロンは不気味な雄叫び――トロールにそっくりだ――を上げながら、渾身の力でクラムにタックルを決めた。しかしクラムはわずかによろめいただけで、ロンから杖をもぎ取ると渾身の力で殴り飛ばした。

 

 ――ロンは、ついに沈黙した。地面にうつ伏せになったまま、ピクリとも動かない。フレッドとジョージが大袈裟に嘆き悲しむ中、ハリーが杖を握り締め、”介添え人”として出て来た。クラムはハリーと相対し、まるで夜更けの湖のように()()()()で彼を見つめ返す。

 

 ハリーはその眼差しを受け止めたとたん、ハッと思い出した。かつてクィディッチ・ワールドカップの試合後のインタビューで、クラムはこんな風に静かな目をしていた。――この人は自分のやり方で、勝負を終わらせたいんだ。たとえその結果が、”自分の負け”となってしまっても。ハリーは”武装解除呪文”を唱え、クラムの杖を弾き飛ばした。

 

()()()()()。勝負は棄権する」

 

 クラムは静かにそう言って、急いで決戦の場に出ようとする”介添え人”の友人を、目で威嚇して下がらせた。そして腹立ち紛れにロンを蹴っ飛ばして、カルカロフの下へ去って行った。

 

 最初、何が起こったのか、観衆には飲み込めていなかった。しばらくして、ゆっくりと、ホグワーツ列車が回転速度を上げていくように、ざわめきが大きくなり、やがて歓喜の叫びとなって爆発した。――ロンが、いやハリーが勝ったのだ。

 

「何するの!貴方って、最低だわ!」

 

 ハーマイオニーがロンに縋り付き、懸命に介抱しながらクラムに怒鳴った。しかし、ハリーは決してそうは思わなかった。――クラムはとても勇敢で思いきりが良く、男らしい人だ。カルカロフにお叱りを受けている最中のクラムの顔は、どこか吹っ切れたように見えた。フレッドとジョージが帽子いっぱいに詰まったコインを抱き締め、咽び泣きをしている横を通りすぎて、二人は魔法で創り出した担架にロンを乗せ、医務室へ連れて行った。

 

 

 ロンに掛けられた呪いは余りに多く複雑だったため、彼は残りのクリスマス休暇を医務室で過ごす事となった。三人揃ってたっぷりとマダム・ポンフリーに絞られた後、ハリーは二人に気を遣って、そっと席を外した。ロンは苦い魔法薬を何杯も飲まされた結果、まともに喋る事だけはできるようになった。ただそれ以外は――特に外見は、見るも悍ましいトロールのままだ。彼は浮足立った気持ちで、心配そうに自分を見つめるハーマイオニーにこう言った。

 

「ハーマイオニー。今晩、僕と踊ってくれるだろ?」

「貴方って、ホントに馬鹿!」ハーマイオニーは目をグルリと回し、痛烈に言い放った。

「今、ダンスホールに行ったりしたら、皆”トロールが出た!”ってパニックになっちゃうわ。

 言っておきますけどね、ロン。()()()()()()()()()()()()()()。休暇中はずっとここで入院するんです!」

 

 その余りに残酷な結末に、ロンは大いに打ちひしがれ、言葉もなくうな垂れた。――自分と同じ目の色のドレスを着て、おめかししたハーマイオニーの姿を見たかったのに。シリウスが”ハリーと揃いのブランドで”と買ってくれた新品のローブもお蔵入りとなってしまった。しかしハーマイオニーの方は、不思議な事に少しもがっかりした様子を見せていなかった。

 

「ダンスなんてどうだっていいの。どうだっていいのよ」

 

 ハーマイオニーは早口でそう囁くと、鱗のように硬く変質したロンの頬っぺにキスした。たちまち彼女の顔はトマトのように真っ赤に染まり、肩を怒らせてやって来るマダム・ポンフリーの脇をすり抜けて、医務室を出て行った。――ロンは呪いが掛けられた事を、この時だけは心から感謝した。仮初めの皮膚の下に隠された、本物の頬が真っ赤になっている事を、ハーマイオニーに気取られずに済んだからだ。




早くクリスマスパーティに行きたすぎて、詰め込んだら30000文字弱になってしまった(;'∀')
分かりにくい箇所などございましたら、訂正致しますので仰ってください(*´ω`)

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。