ハリー・ポッターと虹の女神   作:セバスチャン

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※作中に一部、同性愛についての表現や発言がありますが、もし傷ついたり、ご不快に思われた方がいらっしゃいましたら、すぐに修正致しますのでご一報いただけますと幸いです。

≪オリジナル登場人物紹介≫
●レオ・ブラック
死喰い人。メーティスの夫、イリスの父方の祖父。イギリス人。故人。


Petal9.第一の課題

 数日後、順調に快復したイリスが医務室から出ると、スネイプは再び、彼女を心の世界へ誘った。二人がイリスの心の世界に降り立つと、前方に美しい虹色の炎が現れた。それは明るく輝き、暗闇ばかりが続く寂しい空間を穏やかに照らしている。

 

「あの炎は、君の愛そのものだ」

 

 スネイプは静かに言った。ますます近づくと、炎に照らされて”あるもの”が見えた。――大小さまざまな薪が無数に積み重ねられ、塔のように高くそびえ立っている。通常の焚火ならば、積み重ねた全ての薪に火が燃え移り、やがて一つの大きな炎となるはずだ。しかし奇妙な事に、燃えている薪は一部だけだった。盛んに燃えているものもあれば、くすぶっているだけのものもある。遠くで見ると一つに見える炎は、近くで見るとまばらな火の集合体に過ぎなかった。

 

 スネイプは薪で出来た塔の下方で、一番元気良く燃えている薪に近づくと杖先を向けた。虹色の炎がスネイプのローブに触れたが、火はローブに燃え移らず、彼も熱がる様子を見せなかった。俄かに薪は水晶のように透き通り、内側から輝きを放ち始める。――イリスは驚いて、息を飲んだ。なんと透明な薪の中にイオおばさんがいて、自分に向かって優しく微笑みかけている。

 

「この薪は全て”他者が君に与えた愛”だ。与えた愛が大きいほどに薪も大きくなる」スネイプはそう言って、まばらな火の塔を仰ぎ見た。

「君が彼らの愛を理解し受け入れることが火種となり、永遠に燃え続けるのだ」

 

 イオの薪は塔の土台となり、他の薪達を力強く支えていた。大きさも勿論一番で、大人が二人手を繋いで囲えるほどの太さがある。イリスは恐る恐る手を伸ばした。虹色の炎が彼女の手を舐めたが、全く熱くない。けれど、心には不思議な温もりを感じた。イリスが暖かな笑顔を浮かべた一方で、スネイプは腕組みをして塔を見つめ、唸った。

 

「この塔は未完成だ。この状態では、闇の帝王から身を守る事などできない」

 

 確かに塔の火はまばらだった。恐らく本物の焚火のように全ての薪が燃えれば、今とは比べ物にならないほどもっと大きな炎になるに違いない。イリスはスネイプを仰ぎ見て、尋ねた。

 

「どうして燃えている薪と、そうでない薪があるのですか?」

「君が、愛の本質を理解していないからだ」スネイプは冷静に応えた。

「薪の一部に火が付かないのは、君がその者から与えられた愛を理解せず、受け入れようとしていないためだ」

 

 『愛の本質を理解していない』――イリスはその言葉の意図が分からず、大きく首を傾げた。人を愛するという事を、彼女は自分なりに分かっていたつもりだった。スネイプの言う”愛の本質”とは、一体何なんだ?そして自分が受け入れる事の出来ない愛を注いだ者とは、誰なんだろう。

 

 イリスがふとイオの薪を見ると、その隣に同じくらい大きな薪があった。しかしそれはいくらイオの薪の炎を受けても、燃えるどころかくすぶってもいないで、ただ静かにそこにあるばかりだった。彼女はスネイプの見よう見まねで、杖先をそれに向けてみた。見る間に薪は透き通り、内側から輝き始めた。そしてその中に映った人物の顔を見たとたん、イリスは絶句して杖を取り落した。

 

 ――()()()だった。そんなはずはない。私が彼の愛を理解せず、受け入れもしないなんて、そんな事はあり得ない。イオおばさんの薪と同じように轟々と燃え盛っても良い位なのに。イリスが言葉もなく立ち竦んでいると、やがてスネイプがやって来てドラコの薪を認め、目を見張った。

 

「非常に大きな薪だ。彼はそれほどまでに深く、君を愛していた」スネイプは杖先で、薪の末端を指し示した。良く見ると、そこだけ焼け焦げている。

「そしてくすぶっていた痕跡がある。君もまた彼を愛していた。だが、今はそうではないらしい」

「そんな、私は彼を愛しています!」

 

 イリスは思わず言い縋った。しかし次の瞬間、ドラコとアステリアが仲睦まじくいる未来の光景がパッと思い浮かんで、彼女の表情は大きく翳った。――どれほど強く想っても、彼は自分の事を決して愛してくれない。そして新しい女性を見つけて去って行く。

 

 かつてドラコの記憶を消した時、彼女に迷いはなかった。スネイプが忠告したように、彼が自分の事を忘れて冷たく拒絶し、他の女性と愛し合うようになっても、彼が幸せなら後悔などないと、心から思っていた。

 

 ――だが、現実は甘くなかった。実際にその通りの出来事が起こると、イリスの心は激しい嫉妬の感情に支配され、アステリアの呪いの治療に協力する事を拒否し、ドラコの愛と関心を再び求めるようになってしまった。今の彼女にとってドラコに愛を捧げるという事は、果てのない砂漠を永遠に歩き続けるのと一緒だ。ただ虚しく辛いだけの日々。イリスはギュッと両手を握り締め、掠れた声で言った。

 

「でも・・・彼はもう、私のことを愛してくれない」

 

 ふと肩に手が置かれ、イリスは力なく俯いていた顔を上げた。スネイプが神妙な面持ちで自分をじっと見つめている。しかしそれは決して責めているという風ではない。

 

「与えられなければ、君の愛は終わるのか?」スネイプは静かに囁いた。

「愛は”グブレイシアンの火”そのものだ。一度芽生えれば、永遠に消えはしない。君は何故、()()()()()()()に目を向けようとしないのかね?」

 

 イリスは、スネイプの言葉に応える事ができなかった。――愛は人との関わりの中で生まれ、その人が去ったなら愛も共に消え去るのだと、イリスはそう思っていた。でも彼はそうではないと言う。彼女は大いに戸惑って、美しい輝きを放ち続ける想い人の薪を見つめた。――硝子のような樹皮を通して、ドラコは穏やかに笑いかけてくれた。

 

 

 現実の世界へ帰っても、スネイプの訓練は終わらなかった。彼は心の内だけでなく、”心の外”――現実世界でもイリスを敵の手から守るために、戦う術を教えると言ったのだ。スネイプはダンブルドアの同意を得た上で、消灯時間を迎えてからも彼女が寮外で行動することを許可した。寝間着から軽装に着替え、しっかりと準備運動をするイリスにスネイプはこう言った。

 

「ムーディが我々の関係を怪しんでいる。この補習授業もいつまで続けられるか分からない。それまでに少しでも多くの時間を作り、君に身を守る術を教えなければ」

 

 かくして二人の戦闘訓練が始まった。戦うための魔法は、学校で習う基礎的な魔法や、かつてリドルが教えてくれた主に忍びの行動に役立つ魔法と異なり、神経をすり減らし、大量の気力と体力、そして魔法力を必要とするものだった。イリスは学校生活に加えて、毎晩行われる戦闘訓練で膨大なエネルギーを消費し、また回復するためにそれ以上のエネルギーを求めるようになった。

 

 やがてイリスは頻繁に空腹を感じるようになった。元々一般的な女子に比べて良く食べる方だったが、今では成人男性の優に数倍以上の量を求めるようになった。彼女は大広間で食事を摂る時、授業が始まる時間のギリギリまで、また休みの日や、後は寮に帰るだけといった夕食の時などは、屋敷しもべ妖精による食事の供給時間が終わり、皿が空っぽになってしまうまで、テーブルにかじり付いて永遠に食べ続けた。

 

 まさかイリスが毎晩スネイプと決闘しているとは思いも寄らない親友達は、突然爆誕した小さなフードファイターをぎょっとした目付きで見守っていたが、ある日、ついにロンが根を上げた。彼は朝、一足先にテーブルに着いている彼女を見るなり、吐きそうな顔をしてこう言い放ったのだ。

 

「勘弁してくれよ!」ロンは席に着くなり、イリスから顔を背けながら、自分の皿を彼女の方へ押し遣った。

「もう君の顔見るだけで、満腹で吐きそうになっちまう!」

「そう言ってやるな。きっと成長期なんだよ」

 

 ハリーはイリスの皿にソーセージを山のように注ぎ入れながら、一生懸命フォローした。――実際、彼の言葉は的を得ていた。大量のエネルギーの消費と供給が繰り返される激動の日々の中で、イリスはそのサイクルに最も適した、まさに戦うための体へ進化していく過程にあったのだ。スネイプもこの事態を予期していたようで、『君の体が今の状況に慣れれば、空腹は治まる。それまで様子を見るように』と助言した。

 

 ロンの非難がましい目付きを受け流しながら、イリスは三本目のソーセージを咀嚼して飲み込んだばかりのお腹が早速グウと鳴るのを聴いてしまい、心底うんざりした表情を浮かべた。――きっとスネイプの言う通り、いつかは治る事なのだろうが、どれほど沢山食べてもすぐにお腹が空いてしまう。彼女は今や全ての授業で一度は、静まり返った教室内で、腹の虫を鳴らして皆に笑われてしまい、恥ずかしい思いをしていた。しかしそれでもお腹は空く。いくら食べるのが好きでも、イリスだってもう勘弁してほしかった。

 

 

 時間は飛ぶように過ぎてゆき、”第一の課題”が行われる日があと二週間前に迫った土曜日、三年生以上の生徒は全員、ホグズミード行きを許可された。イリス達は心が弾んだ。みんなに――特にハリーにとって――気晴らしになるし、イリスは大量の食糧を備蓄できるし、おまけに”三本の箒”でシリウスと落ち合う事になっているからだ。

 

 久し振りに訪れたホグズミード村は、とても楽しかった。ホグワーツの生徒達はみんな休暇を満喫する事に精一杯で、ハリーに気を留める者はほとんどいなかった。かくして彼は素晴らしい開放感を味わう事ができ、四人は本能の赴くままに思いっきり遊び尽くした。村じゅうの細々とした店を一つ一つ冷やかして、”叫びの屋敷”を見学し、”ダービッシュ・アンド・バングズ魔法用具店”で皆の時計の定期点検をした後、ハーマイオニーの『新しい羽根ペンを買いたい』と言うリクエストにお応えして、イリス達は”スクリベンシャフト羽根ペン専門店”へ向かう事にした。

 

 広々とした店内には、種々様々な羽根ペンや羊皮紙、インク壺などの文房具類がぎっしりと詰まっていた。商品を真剣な表情で吟味しているハーマイオニーを待つ間、イリスが何気なく周囲を見回すと、右の壁際に”高級羽根ペン”と書かれた看板が吊り下げられ、その下に立派なショーケースが設置されているのが見えた。

 

 好奇心をくすぐられて近づくと、ケースの中には大きな羊皮紙と薄緑色の羽根ペンがふわふわと浮かんでいる。ケースを載せた台座には”自動速記羽根ペンQQQ(Quick-Quotes Quill)”と刻まれた、金属製のプレートが打ち込まれている。ロンが退屈そうに伸びをしながらやって来て、商品名の下に明記された値段を見たとたん、ウッと呻き声を上げた。

 

「これ、リータ・スキーターが使ってたペンだ」ハリーがイリスの隣に並び、しげしげと眺めた。

「そうなんだ」

 

 イリスは改めて、じっくりとペンを観察した。これがハリーが言っていた――勝手にストーリーを創り出す――世にも奇妙な羽根ペンなのか。ペンはわずかに震えながらも空中に静止していた。豊かなライム色の羽根が店内の明かりに反射し、キラキラと輝いている。すると次の瞬間、ペンがひとりでに動き出したので、三人はアッと小さく声を上げた。ペンは空中に浮かんだ羊皮紙上をするすると滑らかに往復し、一生懸命何かを書き付け始めた。ハリーは目を凝らしてその様子を見ていたが、やがて息を飲んだ。

 

「ねえ、見て!僕らの事が書いてある」

 

 イリスとロンは急いでショーケースに近づき、揃って硝子に額をぶつけて痛みに呻きながらも、羊皮紙に書かれた文章を読んだ。そこには一糸乱れぬ美しい文字で、こんなことが書いてあった。

 

 ――「日刊予言者新聞”を一躍有名にした名記者、リータ・スキーターが使っているペンだ。ああ、なんて美しい羽根なんだ。彼女の魅惑的なブロンドにぴったりだよ」

 愛らしい少年はそう言うと、深い緑色の目を熱っぽく潤ませ、ペンを見つめた。

「なんて可愛い色なのかしら!」

 傍らに立つ少女は、ショーケースに両手を押し当て、感嘆の溜め息を零した。花のように可憐な容姿を持つ女の子だ。

「私、ライム色が世界で一番好きな色になっちゃった!」――

 

「そんなこと言ってないよ」

 

 余りにも事実無根過ぎる速記内容に、呆気に取られたハリーとイリスの声がハミングした。

 

「自動()()羽根ペンじゃない」ロンは腕を組み、したり顔で頷いた。

「自動()()羽根ペンだな」

 

 その瞬間、ペンは怒ったかのようにブルブルと震え、凄まじい勢いで羊皮紙の上を乱舞し始めた。

 

 ――「自動妄想羽根ペンだな」

 勝ち誇ったようにそう言ったものの、この見るからに貧乏臭い、ひょろ長く痩せっぽちな少年がこのペンを本当に欲していることは明らかだった。彼は未練がましい目付きでペンを見て、何度もプレートの値段を確かめた。しかし彼のボロボロに擦り切れた財布には、たったの1()()()()()しか入っていない――

 

「おい、嘘書くな!」ロンは怒り狂って硝子を叩き、ペンに怒鳴った。

「僕の財布にはもう少し入ってるぞ!」

 

 しかしペンは小馬鹿にしたように羽根をゆらゆら揺らすと、とてつもなく汚い大きな文字で『やーい、万年1クヌート野郎!』と書き殴ってみせただけだった。やがて会計を終えたハーマイオニーが合流し、三人は異変に駆け付けた店員の冷たい視線を一心に浴びながら、ペンと本格的な口喧嘩を始めたロンを引きずるようにして店の外へ連れ出さねばならなかった。

 

「僕、決めた」肩を怒らせて歩きながら、ロンはグルルと唸った。

「リータ・スキーターの書いた記事は、全部嘘っぱちだって思うことにする!」

「ああ、そうしてくれると助かるよ」ハリーは安心したように笑った。

 

 それから四人は”ハニーデュークス”へ行き、生徒達のごった返す中で店内をじっくり見回って、新作のお菓子などを吟味した。棚という棚には色とりどりのお菓子が所狭しと並べられ、魅惑的な香りを放っている。ナッツがたっぷり練り込まれた大きなヌガー、真珠色に輝くココナッツ・キャンディ、とろけるような舌触りのトフィー・・・などなど。正面の壁一面に造り付けられた巨大な棚には、何百種類ものチョコレートがずらりと陳列されている。”百味ビーンズ”や、炭酸浮上キャンディ”フィフィ・フィズビー”の樽が壁際に転がされ、甘い匂いを漂わせていた。

 

 イリスが正面の壁に立ち、目の前のチョコレートを全種類一つずつ買い占めるには、一体何シックル必要なのかと一生懸命計算していると、ハーマイオニーがやって来た。

 

「これ、お勧めよ」ハーマイオニーは輝く白い歯を見せ、”糸楊枝型ミントキャンディ”を見せてくれた。

「歯の掃除も出来るし、美味しいし、何より気分がスッキリするわ」

「どうせミントを買うなら、こっちの方が絶対いいね!」すかさずロンが近づいて来て、”ヒキガエル型ペパーミント”を差し出した。透明な包装紙の中で、白いタブレットでできた魔法の蛙がピョコピョコ跳ねている。

「こっちの方がずっとスッキリするよ。なんせ胃の中で、こいつが本物みたいに飛び跳ねるんだ」

 

 ロンは悪戯っぽい笑みを浮かべた。イリスは二つとも会計用のバスケットに入れる事にした。それからチョコレートをたっぷりと買い込んで、四人は”ドルーブル風船ガム”を仲良く噛みながら店を出た。通行人の邪魔にならないように脇道を選んで歩きながら、誰が一番大きなリンドウ色の風船を創り出せるか勝負しつつ、シリウスの待つ村一番のパブ”三本の箒”に向かった。

 

 

 ”三本の箒”は大勢の人でごった返し、暖かくて、うるさくて、煙でいっぱいだった。土曜の午後の自由行動を楽しんでいるホグワーツ生が一番多かったが、他では滅多に見かけることのない種々様々な魔法族もいた。ホグズミードはイギリスで唯一の魔法尽くめの村なので、うまく変装できない鬼婆や吸血鬼のような種族などにとっては、ここはちょっとした安息所なのだろう。カウンターの向こうには魅惑的な曲線美の女性がいて、荒くれ者の魔法戦士達に酒とつまみを出している。このパブの小粋な女主人、マダム・ロスメルタだ。

 

「僕、あの人にシリウスがどこにいるか訊いてくるよ」ロンはロスメルタを見つめ、耳を赤くしながら言った。

()()()()()」ハーマイオニーがつんつんとした口調で言い返した。

 

 実際、ロンの気遣いは無用だった。突然ハリーが駆け出して、カウンターの奥に座るシリウスの肩を親しげに叩いたからだ。シリウスはおおらかな笑みを見せ、ハリーを優しく抱き締めると、イリス達に気付いて手を振った。それからシリウスは隣に座る魔法使いに声を掛け、席を立った。その魔法使いに何気なく目を遣って、イリスはたじたじと後ずさる。――ムーディ先生だ。ムーディはシリウスに続いて席を立ち上がり、足を引き摺りながら出口に向かって歩き始めた。イリスはなるべく彼の視界に入らないようにロンの背に隠れて、忍者のように気配を消す事に勤めた。

 

 シリウスはイリス達のために、六人掛けのテーブル席を予約してくれていた。そしてテーブルにやって来たロスメルタに、作り立てのホットバタービールと山盛りのランチを注文した。ロスメルタはまるでスニッチのような速さで、バタービールが注がれたジョッキを人数分運んできた。

 

「君達の素晴らしい友情に」シリウスはそう言うとジョッキを掲げ、イリス達を愛情の篭もった目で見つめた。

「良くハリーを信じてくれた。本当にありがとう」

 

 ハリーは顔をポッと赤らめながら、自分の頭を乱暴に掻き毟ったので、せっかくお洒落な無造作ヘアになっていた髪がクシャクシャの癖っ毛に戻ってしまった。そうして五人は乾杯し、泡立った熱いバタービールを啜った。一口飲んだだけで、身体の芯まで暖まる。やはりバタービールは”三本の箒”で飲むのが一番美味しい。イリスはあっという間に飲み干し、ロスメルタとシリウスに苦笑されながら二杯目を持って来てもらう事になったのだった。

 

「当たり前だよ。だって僕はハリーと、ずっと一緒にいるんだぜ」ロンはビールをグイッと呷り、胸を張った。

「僕ら、四六時中手を繋いでるし、トイレやお風呂の時だって片時も離れたりしないもの。ゴブレットに名前を入れる暇なんてないよ。寝る時も一緒さ。同じベッドで手を繋いで向かい合って寝・・・冗談だよ、ハリー。杖を下ろせよ」

 

 調子に乗っていたロンは、正面に座るハリーの殺意の籠もった目線と向けられた杖先を見て、引き攣った笑い声を立てた。その様子を見兼ねたハーマイオニーは、溜息を零しながら助け舟を出した。

 

「つまり、ロンが言いたいのはこういう事よ。『イリスがいるのに、君がそんなことしっこない』ってね」

 

 ハーマイオニーは”自動速記羽根ペンQQQ”とは比べ物にならないほど正確に、ロンの気持ちを翻訳してくれた。ロンはもじもじとして口籠り、シリウスとイリス達はハリーに優しい眼差しを送った。彼はその目線をくすぐったそうに受け止めながら、かつて胸の中で膨らませた”下らない自分の妄想”をこっそりと恥じた。

 

 やがてロスメルタが大きな盆を運んできて、テーブル上は見る間にご馳走でいっぱいになった。燻製された大きなチキン、ソースの染み込んだポークリブ、彩り豊かなガーデンサラダに、揚げたてのフィッシュ&チップス・・・などなど。イリス達は美味しい料理の数々に舌鼓を打ちながら、シリウスと”三校対抗試合”で行われる予定の”第一の課題”について話し合った。

 

「ねえ、シリウス。”第一の課題”は何だと思う?」とうもろこしに噛り付きながら、ハリーが訊いた。

「知っているが、その内容を教える事はできない」

 

 シリウスは静かに応え、届いたばかりの蜂蜜酒を飲んだ。どうやら彼は”三校対抗試合”の内情に通じているようだった。

 

「ハリー、君はジェームズの子だ。どんな難解な課題だって、きっと達成できる」

 

 シリウスは気さくに笑い、愛する息子の頭をかき混ぜた。照れ臭そうに微笑みながらも、不安の感情を滲ませるハリーを覗き込み、彼は言葉を続けた。

 

「それに課題が行われる日は、私も観に行くよ。何かあれば、必ず助ける。君は何も心配せず、目の前の出来事に集中しなさい」

 

 それを聴いて、イリス達は心から安心した。シリウスがハリーの傍にいてくれるなら、絶対に大丈夫だ。どんな課題であれ、最悪の結果にはならないだろう。ハリーは代表選手に選ばれて以来、胸を締め付けていた硬い結び目が、ぐっと緩んだような気がした。しかし次の瞬間、シリウスは一転して真剣な表情になり、周囲に素早く視線を巡らせて、他に話を盗み聴いている者がいないかどうかを確かめると、静かに口を開いた。

 

「それよりも、君達に警告しておかなくてはならない事がある。()()()()()だ」

 

 四人は思わず食事の手を止め、きょとんとした顔を見合わせた。――カルカロフは、ダームストラング校の校長先生だ。シリウスは続けざまに、驚くべき事実を言い放った。

 

「あいつは”死喰い人”だった」

 

 カルカロフが”死喰い人”?その衝撃的な真実を脳が理解して吸収するのに、しばらく時間が掛かった。――イリスは宴の終わりに、カルカロフが親しげに声を掛け、自分の船に招待してくれた事を思い出した。彼の声はとても耳障りが良かったが、その手はじっとりと汗ばんでいた。シリウスは甘い蜂蜜酒を飲んだのに、苦々しげな顔つきのまま、話を続ける。

 

「当時”闇祓い”だったムーディがカルカロフを逮捕したが、奴は魔法省と取引をし、他の仲間たちの名前を告発することで難を逃れた。そして出獄してからは、私の知る限り、自分の学校に入学する者に”闇の魔術”を教えてきた。だから、ダームストラングの代表選手にも気を付けなさい。

 今回の件にはどうも奴が一枚噛んでいる可能性がある、というのが私とムーディの見解だ」

 

 利口なハーマイオニーはシリウスの言わんとしている事をすぐに察し、精悍に輝く瞳を翳らせながら囁いた。

 

「カルカロフがゴブレットにハリーの名前を入れたという事?」

「でも、それならあの人はずいぶん役者だ」ハリーは戸惑うように言い淀んだ。

「僕がホグワーツで二人目の代表選手に選ばれた事をカンカンに怒ってたし、参加するのを阻止しようとしてたもの」

「そうとも、ハリー。あいつは役者だ」シリウスは静かに笑った。

「魔法省に自分を信用させ、釈放させたほどの男だ」

 

 ふとイリスの脳裏に、スネイプの言葉がよぎった。『心の内が見えぬ者は信じるな』――船に誘われた時、イリスはカルカロフが”死喰い人”だったなんて知らなかったし、彼の心の内を覗こうとも思わなかった。そしてスネイプはこうも言った――『表面上は優しい笑顔を浮かべているが、その裏で悪しき事を考える者は、吐いて捨てるほど存在する』と。カルカロフの人懐っこい笑顔を思い出し、イリスは熱気に満ちた店内にいるのに、寒気を覚えて思わずブルッと震え上がった。――ムーディ先生が助けてくれなければ、今頃、自分はここにいなかったかもしれないのだ。

 

「現時点では、カルカロフが君の名前を入れたという証拠はまだない。だが近頃、どうも可笑しな事ばかりを耳にする」

 

 シリウスは蜂蜜酒を一口飲んで喉を潤してから、話を続けた。

 

「”死喰い人”の動きが活発になっている。クィディッチ・ワールドカップでの馬鹿騒ぎ。そして”闇の印”を誰かが打ち上げ、イリスを襲った。ハリーの見た、不吉な夢も気にかかる。ホグワーツへ来る予定だったムーディは、何者かに襲撃を受けた。人々はいつもの空騒ぎだと言ったが、今回に限っては、私はそうではないと思う。彼が近くにいると、仕事がやりにくくなることを知っている者がいる。彼は魔法省始まって以来の優秀な”闇祓い”だったし、その能力は現在も衰えていないはずだ。

 それに、行方不明になっている魔法省の魔女職員の事は聴いているね?」

 

 四人は大きく頷いた。クィディッチ・ワールドカップの前日、ロンの家に泊まった時、夕食の席でアーサー達がその事について話をしていたのを聴いたのだ。

 

「パーシーが何回も繰り返すもんだから、耳にタコができちまったよ。エーット・・・誰だっけ?」ロンがとぼけて頭を搔いた。

「バーサ・ジョーキンズ。何が耳にタコよ」ハーマイオニーが呆れながら補足した。

「そう、彼女だ」シリウスが話の主導権を握り直した。

「アルバニアで姿を消したと言われている。ヴォルデモート(ロンがバタービールを吹き出した)が最後にそこにいたという噂のある場所ずばりだ。その魔女はバグマンの部下だった。つまり、”三校対抗試合”が行われる事を知っていたはず。

 バーサは私の数年先輩だったが、その頃から知りたがり屋で、余計な事に首を突っ込むのが大好きだった。彼女なら簡単に罠に嵌まるだろう」

 

 なんとなくシリウスが言いたい事が分かって来た四人は、それぞれ不安そうな顔を見合わせた。

 

「それじゃ」ハリーが皆を代表して口を開いた。

「ヴォルデモートがバーサ・ジョーキンズを捕まえて、試合の事を知った。そしてカルカロフがヴォルデモートの命令を受けてここへ来て、ゴブレットに僕の名前を入れたって言いたいの?」

「それはまだ分からない」

 

 シリウスは考えながら言った。ロンは口の周りをバタービールでベトベトにしていたが、それを気にする余裕すらなく、青ざめてはいるが真剣な顔つきで話に聴き入っている。イリスとハーマイオニーも同じ気持ちだった。

 

「しかし、その可能性は高い。カルカロフはヴォルデモートの力が強大になり、自分を守ってくれると確信しなければ、彼の元へ戻る男ではないだろう。ヴォルデモートを裏切った罪滅ぼしに、君の命を差し出すというのはありえない話ではない。試合は君を襲うには好都合だし、事故に見せかけるには良い方法だと考えざるを得ないからね」

 

 シリウスが言葉を切ると、周囲をずっしりとした重い空気が立ち込めた。誰もご馳走に手を付けようとしない。そんな空気を創り出してしまった魔法使いは少し申し訳なさそうな表情で咳払いをし、今度はイリスへ視線を注いだ。

 

「それにヴォルデモートに対する罪滅ぼしという意味なら、イリス、君にもとても大きな価値がある。カルカロフにクラムを餌に船へ連れ込まれようとしていたと、ムーディから聞いたよ」

 

 たちまちハリー達の驚愕に満ちた眼差しが自分に一点集中し、イリスは慌てて言い返した。

 

「私、断ろうとしたんだよ。次の日は大切な用事があったんだもの」

「いや、君だけでは恐らく奴に言い包められていた」シリウスが鋭い声で切り返した。

「カルカロフは君を手に入れれば、ヴォルデモートから守られると思っているんだ。

 イリス。君にはまだ早いかもしれないが、もうこの際はっきり言っておこう。かつて君の父は『ヴォルデモートとメーティスの子供ではないか』という嫌疑を掛けられていた。ダンブルドアが魔法省の評議会で『レオ・ブラックが父親である』と証明したがね。しかし()()()そうではないかと疑う者もいるのだ」

 

 シリウスは遠い目をして、パブの出口を見た。――まるでさっきまでそこにいた誰かの面影を探しているかのように。

 

「それほどまでに、二人の関係は深かったとされている」

「ちょっと待って。じゃあイリスとシリウスは、親戚なの?」ハリーが水を差した。

「ああ、そうだ」シリウスは事も無げに言った。

()()()()()()ブラック家は至る所に親戚関係がある。・・・あの()()()()()()ともね」

「マルフォイ家?!」

 

 四人の声がハミングした。とりわけイリスはショックの余り、二の句を告げる事が出来ないでいた。そんな彼女の様子を労しそうな目で見守りながら、シリウスは同情をたっぷり滲ませた声で続けた。

 

「そう言えばマルフォイ家の倅が、君達と同級生だったな?あの子は君の()()()に当たる存在だ。可哀想に」

「マルフォイとイリスは親戚同士なんだ」ハリーは勝ち誇ったような顔つきで言い放った。

「親戚同士の結婚なんて絶対ダメだ。そうだよね?」

「別にいいだろ?」ロンがいらない助け舟を出した。

「今時、魔法族はどこだって親戚だぜ。さすがに兄弟くらい近かったら厳しいけどさ」

「ああ。ブラック家は、君達ウィーズリー家やポッター家とも繋がりがあるはずだよ」

 

 ハリーは複雑極まりない表情で、黙り込んだ。ハーマイオニーがイリスの皿にフィッシュ&チップスを盛り付けてやりながら、墓穴を掘ったわねと言わんばかりの顔で、その様子をじっと観察していた。

 

「さて、君とイリスが結婚しても何の問題もないとお分かり頂けた所で、話を元に戻して良いかな?」

 

 シリウスはハリーに向けて、悪戯っぽい笑みを浮かべた。彼は愛する息子の想い人を、しっかりと把握しているようだった。それから彼は蜂蜜酒を一息に飲み干し、イリスを心配そうに見つめた。

 

「つまり、いまだに君を『ヴォルデモートとメーティスの孫』だと疑う者もいるという事だ。

 ――イリス、君は()()だ。”闇の陣営”が最大の権力を誇っていた時、”死喰い人”共はこぞって君を探し出し、自分の息子や親族の妻にしたがった。奴らにとって君を娶ると言うのは、ご主人様に次ぐ権力や地位を得る事と同じだ。カルカロフが君を必死で手に入れようとする理由が分かっただろう。

 おまけに君は”死喰い人”だけでなく、”闇祓い”の連中にも注意を払わないといけない。特にムーディには気を付けなさい。迂闊な行動をして、彼に不要な疑惑を抱かせてはならないよ」

 

 イリスは無意識に服の上から右腕を掴み、俯いた。――前に行われた「闇の魔術に対する防衛術」の授業で、ムーディは”服従の呪文”を使って、自分に”闇の印”を出してクラスメートに見せろと命じた。それを聴いたスネイプは『君を警戒しているからだ』と言った。でもイリスは何も悪い事などしていない。他の生徒達と同じように、平凡な学生生活を送っているだけだ。これ以上どうすれば、疑われないで済むというのだろう。

 

 イリスはフィッシュ&チップスを口に運びながら、ふとドラコの事を思い出した。――もし自分達が親戚である事を知ったら、一体彼はどんな反応をするだろう。単純に驚くだろうか、それとも「そんな事も知らなかったのか?」と言い、親戚だからと遠慮する自分を笑い飛ばしてくれるだろうか。彼女の胸はきゅんと痛んだ。

 

 それから五人は色んな話をしながら、大いに食べ、飲んだ。シリウスは最後に『何かあればフクロウ便を送るように』と皆にしっかり言い残して、会計をして店を出た。

 

 

 いよいよ、”第一の課題”が来週に差し迫った土曜日の朝、四人が仲良く朝食を摂っていると、俄かに無数の羽ばたき音が大広間じゅうを埋め尽くした。――フクロウ便の時間だ。広々とした天井をフクロウ達が飛び交い、お目当ての生徒に手紙や荷物を落としていく。

 

 やがてハーマイオニーの元に、フクロウ通信販売で買った本が数冊入った包みと、”日刊予言者新聞”が届けられた。嬉々として包みを開き、『屋敷しもべ妖精の実態』と銘打たれた分厚い本を読み出すハーマイオニーを見て、ロンが”こっちにもうんざりだ”と言わんばかりに盛大な溜め息を零した。すると不意にハリーが手を伸ばして新聞を取り、そのまま読み始めた。

 

 ネビルと世間話をしながら彼の席付近に出ていたワッフルを取り、自分の席に戻ろうとしたイリスは、ハリーの肩越しに新聞の一面が視界に入ったとたん、ピタリと動きを止めた。――そこには一面に大きく引き伸ばしたハリーの写真が掲載されていた。写真の中の彼は困ったような目でイリスを見たり、気まずそうに視線を逸らしている。『生き残った男の子、ハリー・ポッターの全て』――『悲劇の運命はまたしてもハリーを選んだ』――そんな仰々しい見出しが至る所に載っていて、点滅したりユラユラと揺れている。

 

 それはリーター・スキーターが書いた”三校対抗試合”についての記事だったが、試合についてのルポというよりも、ハリーの人生を散々脚色した記事だった。記事の内容は全て彼の事ばかりで、ボーバトンとダームストラング校の代表選手名は最後の一行に詰め込まれ、セドリックに至っては名前すら出ていなかった。

 

 ハリーの様子が可笑しい事に気付いたロンとハーマイオニーが固唾を飲んで見守る中、さらに記事を読み進める彼の顔はみるみる内に真っ赤に染まってゆき、やがて酷い胸やけを起こしたように腹を撫でさすり始めた。リータ・スキーターと彼女の操るQQQは、ハリーが一度も言った覚えがない事ばかりを、山ほどでっち上げ引用していたのだ。

 

 ”僕の力は、両親から受け継いだものだと思います。今の僕を見たら、両親はきっと僕を誇りに思うでしょう。ええ、夜になると僕は今でも両親を想って泣きます。試合では絶対に怪我をしたりしません。だって、天国から両親が僕を見守ってくれているんだもの”

 

 『こんな事、一言足りとも自分は言っていない』――ハリーは歯噛みし、新聞を握り締める両手に力が籠もった。QQQは、彼が言った「えーと」を長ったらしい鼻もちならない文章に変えてしまっていた。そうして最後のページをめくったハリーは、やがて大いなる驚愕に目を見開き、さっきまで怒りで真っ赤にしていた顔をサーッと青ざめさせると、小刻みに震え始めた。その明らかに尋常ではない様子に、三人は心配そうに顔を見合わせた。――まさか、何かとんでもなく恐ろしい事が書いてあるのでは?

 

「なあ、何が書いてあるんだよ?」ロンが手を伸ばしてハリーの見ているページを取ろうとしたが、彼は躍起になって新聞を自分の胸に引き寄せた。

「ダメだ、君は見るな!」

 

 しかしそう言われると気になるのが、人というものだ。かくして二人は揉み合いになり、やがて新聞は二つに裂かれ、半分がひらりと四人の座るテーブルに落ちた。――そこには、こう書かれていた。

 

 ”『みんな僕を愛して』――ハリーの愛らしい目はそう言っている。彼は多くの愛を求め、ついにホグワーツで本当の愛を見つけた。()()()()()()()()()だ。ハリーは彼と離れていることは滅多になく、トイレやお風呂でも一緒で、寝る時も同じベッドで、手を繋いで寝るらしい。

 ロン・ウィーズリーは純血の魔法使いで、彼と同じグリフィンドール生である。明るく元気な彼の性格は、悲劇的な運命を背負うハリーを慰め、力づけたに違いない。我々は彼らの愛を応援するべきである”

 

 ロンは今や、酸欠寸前の金魚のように喘ぎ、蒼白な表情で口をパクパクさせているばかりだった。一方のハーマイオニーは記事の一文をなぞり、何事かを考えている様子だった。

 

「知らなかったよ、ポッターにウィーズリー。君達が愛し合っていたなんて!」

 

 スリザリンのテーブルの方からドラコがやって来て、大広間じゅうに響き渡るような大声で痛烈に言い放った。スリザリン生がそれに合わせて、一斉に笑った。ハリーは電光石火のように反応し、彼を忌々し気に睨み付ける。するとドラコは眉を潜め、芝居がかった口振りで言った。

 

「なんだい、熱を帯びた目で僕をじっと見つめて?まさか、僕に”心変わり”したんじゃないだろうな?」

 

 ハリーは思わずカッとなってドラコに掴み掛ろうとしたが、彼が大袈裟な悲鳴を上げて「襲われる!」と叫び、ゲラゲラと笑った。ハリーの怒りは凄まじく、イリスが必死になって肩を掴んで抑えようとしても、どうにもできないほどだった。その時、ハーマイオニーが毅然とした態度で、三人の間に割って入った。

 

「馬鹿言わないで。ハリーだって人を選ぶわ。貴方みたいに最低な人、誰が選ぶもんですか!」

「ダメだ、ハーマイオニー」ハリーはドラコを睨み付けながら、冷静に囁いた。

「その発言は()()()

「何よ」ハーマイオニーはハリーを睨んだ。

「貴方も同性間の恋愛を差別するつもり?」

 

 ハーマイオニーはSPEWの活動を通して、”差別そのもの”に過剰反応を示すようになっていた。やがて彼女は拳を握り締め、熱く語り始めた。SPEWの次は、同性間の愛情についての活動を立ち上げそうな勢いだった。

 

「愛は誰にも等しくあるべきよ。愛を育む対象が異性間でないとダメと言った取り決めはないわ」

「ハーマイオニー。頼む」我に返ったロンがやって来て、歯を食い縛りながら唸った。

「シャラップだ!」

 

 

「君のせいだぞ、ハーマイオニー!」

 

 談話室に戻った後、ロンはカンカンに怒ってハーマイオニーを責め立てた。ハリーはとびきり長い溜息を吐いて、特等席におずおずと腰かけたイリスの隣にどさっと座った。

 

「今や僕らが付き合ってるって、みんな思ってるぞ!」

「言いがかりはよして」ハーマイオニーは悪びれずに言った。

「私は貴方達が付き合ってるなんて、一言も言ってないわ。正しい事を言っただけ。それに貴方、恋愛にこれっぽっちの興味もないんだから、誰にどう思われたって困らないじゃない」

「馬鹿言うな、困るんだよ!」ロンが駄々っ子のように地団太を踏んだ。

()()思われたら、困るのよ?」ふとハーマイオニーの目が、マクゴナガル先生のように厳格な輝きを放った。

「あのシルバーブロンドの女の子とか?」

 

 その言葉には差別を嫌う彼女らしからぬ、嘲るような響きが込められていた。ひどく居心地の悪い空気が流れ、イリスはその様子をはらはらと見守りながら、テーブルに置かれていたお菓子――色鮮やかな包装紙に包まれた大きなヌガーだ――を一つ口に入れた。

 

「そんなの、君に関係ないだろ!」ロンが吐き捨てた。

「少なくとも君じゃないことは確かだ!」

 

 ハーマイオニーは大きく息を飲んだ。いつも精悍に輝いているその顔が、今にも泣き出しそうに歪んでいる。イリスは慌てて立ち上がり、俯く彼女の傍に駆け寄って声を掛けた。

 

「はーいー、らいようう?」

 

 ――あれ?妙に締まりのない声だ。イリスは自分の声に違和感を感じて、首を傾げた。おまけに口の中も、何だか変な感じがする。ハーマイオニーは鼻を啜りながら顔を上げてイリスを見たとたん、大きな悲鳴を上げた。

 

「イリス!貴方、舌をどうしたの?!」

 

 ハーマイオニーは心配そうな目でイリスの首元に手を伸ばし、ピンク色の細いロープのようなものを持ち上げた。その先は自分の口に繋がっている。――彼女の舌は、約一メートル程に伸びていた。

 

「ついに正体を現したな、食欲モンスター!」

 

 すぐさまいつもの調子を取り戻したロンが叫び、イリスは面白くなって自分の舌を手で持ってブンブンと振り回しながら、ふざけて逃げる彼を追っかけようとした。その時、誰かが彼女を背後から抱き締めた。――フレッドだ。

 

「おやおや。これはもしや、我がWWWご自慢の品「ベロベロ飴(トン・タン・トフィー)」じゃないか?いやー、実に良く伸びてる」

 

 フレッドはイリスの舌をそっと持ち上げ、惚れ惚れとした口調で言った。

 

「なあ、それってあの素敵な商品のことかい?一つ五シックル、半ダースで二十五シックルの?」とジョージ。

「ちょっと待てよ」

 

 フレッドはイリスの両手を持って人形のように操り『待て』という仕草をさせた。

 

「じゃあ単品で買うより、セットで買う方が五シックルもお得ってわけか?」

 

 イリスの両手を持ち『信じられない』という動作をさせながら、フレッドが言った。

 

「そういうことに、なるな」

 

 ジョージはしみじみとした口振りで応え、それから二人揃って談話室内に響き渡る声で言った。

 

「詳しくはカタログで!」

「二人共、イリスを実験台にするのを止めてくれよ!」

 

 やがて怒れるハリーがやって来て、フレッドの魔の手からイリスを奪い返した。ジョージは心外だと言わんばかりに肩を竦めてみせる。

 

「違う、僕らじゃない。だってそれは()()()だろ」

「僕らがイリスに試すのは、いつだって()()()さ」フレッドはイリスに親しみを込めてウインクした。

「じゃあ誰がやったんだよ?」

 

 ロンが尋ねると、二人はしばらくの間考え込んでいたが、やがてポンと手を叩いた。

 

「あー、なるほど。そう言えば最近、これを買ったお客がいるな」

「誰だい?」ハリーが殺気立った声で訊いた。

「それは()()()()()()、いや口が裂けても言えないね」フレッドは可笑しな事を口走り、クスクス笑った。

「顧客の個人情報は守らなきゃな」ジョージが当然といった口調で続けた。

 

 そうして彼らはぴったりと肩をくっ付け合って即席の盾となり、顔を真っ赤にしたジニーが談話室から走り去って行くのを隠した。そうこうしている内に、イリスの舌は元の長さに戻っていった。心から安心した様子のハリーとハーマイオニーを見て、少しは良心が痛んだのか、フレッドとジョージはイリスにこう話しかけた。

 

「まあ僕らからもそいつに注意しておくけど、しばらく談話室のお菓子は控えた方がいいかもな」

「その代わりに、ご馳走食べ放題の素晴らしい場所を教えてやるよ。食欲モンスターちゃん!」

 

 二人はハーマイオニーからイリスを遠く引き離し、ヒソヒソとこのような事を囁いた。――玄関ホールの左手にあるドアを開けると、赤々と松明に照らされた広い石の廊下がある。廊下の壁には食べ物を描いた絵が沢山飾ってあるが、その中に巨大な銀の器に果物が盛ってある絵がある。その中の緑色の梨をくすぐると、梨はクスクス笑いながら隠し扉へ姿を変える。そこは屋敷しもべ妖精の厨房に繋がっているのだと。

 

「あいつら、君がお腹が空いたって言った瞬間、雄牛の丸焼きだって持ってくるぜ」とフレッド。

「エクレアやらシュークリームやら、山盛り食べさせてくれるぞ」ジョージが舌なめずりをして笑う。

「ダメよ、イリス」

 

 三人は一斉に振り向いた。何時の間に背後に潜んでいたのか、毅然とした表情を湛えるハーマイオニーが仁王立ちしていた。

 

「屋敷しもべ妖精に()()()()()をさせてはいけません!副会長の貴方が!」

「連中は働く事が生き甲斐なんだよ!」フレッドは心底うんざりしたような声で言った。

「こいつを飢え死にさせる気か?」

 

 ジョージが責めるような口調で抗議すると、それに同調するようにイリスのお腹もグウと鳴った。ハーマイオニーは良心の呵責に苛まれて言葉に詰まったが、意志は変わらないようで、結局イリスが厨房に行く事を許してくれる事はなかった。

 

 

 その日の夜中、イリスは空腹の余り、目が覚めてしまった。自室を出て談話室に下りて行って、杖を振って暖炉の火を灯し、特等席に座り込む。前にハニーデュークスで買ったお菓子は数日前に底を突いた。今なら「ベロベロ飴(トン・タン・トフィー)」だろうが「カナリア・クリーム」だろうが、お腹いっぱい食べたい気分だったが、残念な事に談話室には食糧が何もない。万事休すだ。

 

 ふと昼前にフレッドとジョージが教えてくれた、屋敷しもべ妖精の働く厨房の話がパッと思い浮かんだが、イリスは親友を失望させるのは嫌だった。――それに食べ物が全くない訳じゃない。彼女のトランクの隅っこには、”百味ビーンズ”の外れ味だけを集めた小袋が置いてある。確か一握りくらいはあったはずだ。鼻を摘まんで何とか噛んで飲み込んだら、少しはこの空腹が紛れるだろうか。イリスはそう考えている内に、うとうとと微睡んだ。

 

 ――誰かがすすり泣いている。甲高く、消え入りそうな、か細い声で。イリスのおぼろげな意識の中で、小さな泣き声がこだまして聴こえる。

 

「あ、あたしの奥方様・・・小さな可愛い、あたしの奥方様・・・」

 

 ふと美味しそうな匂いがして、イリスはゆっくりと目を開けた。そして目の前に広がる信じられない光景に、大きく息を飲んで目を見張った。――テーブル上に、沢山のご馳走が所狭しと並べられている。オードブルにスープ、焼き魚とフライにした魚がまるまる一匹ずつ、メインディッシュの分厚く柔らかそうなステーキに、塊で焼いたロースト・チキン、野菜とフルーツの混ぜ込まれたサラダ、バターソテーにした野菜料理、色とりどりのデザートにフルーツ、アイスクリーム、チーズの盛り合わせ・・・などなど。

 

 余りの幸福に眩暈を覚え、イリスはごくりと唾を飲み込んだ。『これは夢に違いない』――彼女はそう思った。きっと空腹に耐えかねた自分が見た、束の間の楽しい夢なのだ。夢ならば、遠慮したり警戒したりする事もない。イリスは喜び勇んで食べ始めた。

 

 それからこの夢は、イリスの体の状態が落ち着くまでずっと続いた。何とも不思議な事にその夢を見た翌朝は、お腹が空く事はなかった。――まるで本当に、夜中にたらふくご馳走を食べたみたいに。

 

 

 いよいよ”第一の課題”がやってきた。ハリーは深刻な表情で押し黙り、一部の意地悪な生徒達が「ウィーズリーと最後のお別れのキスをしなくていいのか、ポッター?」とからかってきても、無反応だった。それはイリス達だって同じ事だった。いくらシリウスが見守っているとは言え、過去に死者を出した程の危険な課題である事は確かなのだ。なんとか授業を終えて、大広間で四人がランチを摂っていると、マクゴナガル先生が急いでやって来てハリーを連れ去って行った。イリス達は口々にハリーを応援したが、それに応えた彼の声はいつもの声とまるで違っていた。

 

 イリスの空腹は、この時ばかりは鳴りを潜めてくれた。数時間後、彼女達は先生方の指導に従い、禁じられた森の近くに設置された、広大な敷地を持つ囲い地へ向かった。その周囲をぐるりと取り囲むようにして観客席が創り出されていて、イリス達はシリウスと合流し、一番前の席に座り込んだ。シリウスは少し青ざめた表情をしていたが、それでもイリス達を安心させるような笑みを浮かべ、杖を所在なげに弄びながら、じっと眼下に広がる大地を見つめていた。

 

 ついに我慢できなくなったロンがシリウスに尋ねようとした時、恐ろしい猛り声が響き渡った。

 

≪私の卵に手を出すな!汚らわしい人間共!≫

 

 やがて囲い地の柵の一部が大きく裂けた。そこから姿を現したのは――信じられない、()()()()だ。見るからに獰猛な巨大な成獣で、後脚で立ち上がり、吼え猛り、鼻息を荒げている。地上十五、六メートルもの高さに伸ばした首の先で、大きく開いた口は牙を剥き、空に向かって火柱を吹き上げていた。観客は一斉に悲鳴を上げ、叫び、息を飲んだ。

 

「嘘だろ」ロンが真っ白な顔で呟いた。

 

 バグマンが嬉々とした声でアナウンスを始め、『”第一の課題”はドラゴンから金の卵を取る事だ』と説明してくれたが、イリスはそれに耳を貸す所ではなかった。――囲い地の中に、ハリーが入って来たからだ。ドラゴンが象だとするなら、ハリーは蟻のように小さかった。鱗に覆われた黒いトカゲのようなそのドラゴンは、一胎の卵をしっかりと抱え込んで伏せている。両翼を半分開き、邪悪な黄色い目でハリーを睨み、棘だらけの尾を地面に激しく打ち付けては、硬い地面に幅一メートルもの溝を削り込んでいた。

 

 『こんなの無理だ』――イリスは深い絶望の感情に飲み込まれながら、心からそう思った。このドラゴンは母親だ。子供を守るためにとんでもなく殺気立っているのに、”卵を取れ”だなんて。このままじゃ、ハリーが死んでしまう。ドラゴンは鋭い目を細めて彼を認めると、ますます卵を用心深く守り、嘲笑った。

 

≪さあ、来るがいい!地べたを這いずるしか能のない、ちっぽけな人間め!すぐに踏みつぶしてやる。それとも貧相な棒切れに跨ってのろのろと飛び回り、私に焼き殺されたいか?≫

 

 『貧相な棒切れに跨ってのろのろと飛び回り』――その言葉を聴いた瞬間、イリスの頭の先から爪先に掛けて、一筋の電流が駆け抜けた。ハリーが身を守るには、もう()()()()しかない。彼女はそっとその場を抜け出し、素早く周囲に視線を巡らせて、誰も自分に注意を払っていない事を確認してから、スニジェットに変身した。

 

 

 ハリーは目の前の全てが、まるで色鮮やかな夢のように見えた。何百何千という顔が観客席から自分を見下ろしている。そして、巨大なドラゴンがいる。ハリーが恐ろしい黄色い目に射竦められながら、今から自分がどうするべきなのかという事を懸命に模索していた時、ふと視界の端に金色の光が躍った。長年シーカーとして活躍していた彼は、無意識にそれを捕え、驚いて息を飲んだ。

 

 ――()()()()だ。何故こんなところに?キラキラと光るスニッチは観客席の人々の頭上をジグザグと自在に飛び回っている。やがてハリーは思い出した。自分はクィディッチの選手で、ドラゴンと戦う術は杖を使う以外に()()()()あるのだという事を。「呪文学」の授業で習ったばかりの”呼び寄せ呪文”を唱えるため、全神経を杖先に向けて、彼は叫んだ。

 

「アクシオ、ファイアボルト!」

 

 数十秒後、背後の空気を貫いてファイアボルトが疾走し、囲い地に飛び込み、ハリーの脇でピタリと止まって、彼が乗るのを宙に浮かんだまま待った。彼は観客席を再び見た。もうスニッチの姿はない。彼は片足をサッと上げて飛び乗り、地面を蹴った。バグマンが何か叫んでいる。観衆の騒音が一段と高まった。しかしそんな事は今のハリーにとって、取るに足らない事だった。空高く飛翔して、無数の観客やドラゴンがミニチュア人形のように小さくなった時、彼は気づいたのだ。――これはクィディッチの試合と同じなんだ。このドラゴンは醜悪な敵のチームじゃないか。

 

 そう考えてから、ハリーは早かった。巧みな陽動作戦でドラゴンを翻弄し、立ち上がらせてその下をかいくぐり、金の卵を獲得する事に成功したのだ。代表選手の中で一番目に課題に取り組む事となった彼は、他の選手達より遥かに早く卵を獲得する事に成功したのだった。鼓膜が痛いほどの大歓声の中、ハリーは観客席へと飛び戻り、鮮やかに着地した。”生き残った”という爽快感がみなぎり、言葉に出来ない程に誇らしく、浮き上がるような思いだった。シリウスがやって来て、彼をきつく抱き締めた。

 

「良くやった、ハリー。ファイアボルトを呼び出したのは、実に君らしい、素晴らしいアイディアだ」シリウスの声は涙でくぐもっている。

 

 シリウスはハリーを伴って救急テントの中に入り、マダム・ポンフリーの治療を受けさせた。やがて息せき切った様子でイリスとハーマイオニー、ロンが飛び込んで来た。――ハリーはイリスの顔を見たとたん、かつて”秘密の部屋”で、彼女が自分を守るためにスニジェットに変身した事を思い出した。あのスニッチは、きっと彼女だったのに違いない。ハリーはイリスの手を引き寄せ、ギュッとハグした。

 

「あのスニッチは君だろ?ヒントをくれて、ありがとう」

 

 ハリーが優しく言うと、イリスは照れ臭そうに笑い、かすかに頷いた。

 

 ――その時、彼は恐ろしい試練に打ち勝った事でアドレナリンが体内にみなぎり、今にも爆発しそうなほど興奮していた。イリスのエメラルド色に輝く目が自分を見つめた時、不意に外の観衆の騒音やドラゴンの咆哮が遠のき、周囲の人々の視線も気にならなくなった。まるでこの世界に自分とイリスだけしかいないような、奇妙な錯覚に囚われた。

 

 ハリーはイリスの頬に手を添えた。かすかに開いた彼女の唇から甘い香りの吐息が零れて、彼の指先をくすぐった。彼はミツバチが蜜を求めて花の中に潜り込むように、イリスの唇へ自らの口を近づけた。

 

 誰かがハリーの肩を後ろから掴み、彼はハッと我に返った。――マダム・ポンフリーだった。彼女は般若のような顔つきで、痛烈に言い放った。

 

「”お座りなさい”と言った筈です、ポッター。”ガールフレンドにキスしなさい”とは言っておりません!」

 

 急に自分の世界に音や人々が戻り、ハリーは慌ててポカンとした顔で自分を見つめているイリスを引き離し、彼女とマダム・ポンフリーに謝った。

 

 『今、僕は何をしようとした?』――ハリーは今にも口から飛び出しそうなほど、激しく鼓動を打ち始めた心臓を何とか押さえつけようと頑張りながら、先程の無謀過ぎる行動を反省した。今、シリウスやロンたちがどんな目で自分を見ているか、怖くて確認する事なんてできない。――どうかしてた。こんな大勢の人々がいる前で、まだ告白もしていないのに、イリスにキスしようとするなんて。

 

 ――十四歳になり、多感な時期を迎えたのはイリスだけでなく、ハリー達だって同じ事だった。固い友情で結ばれていた彼らの関係は、お互いの性を意識し始めた事で、少しずつその形を変えようとしていた。


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