ハリー・ポッターと虹の女神   作:セバスチャン

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※5/19:文章をより読みやすいように一部修正しました。


Petal4.本当の敵は誰?

 ハリーはベッドに横たわり、夢と現実の狭間にふわふわと浮かんで、微睡んでいた。そうしていよいよ夢の世界へ飛び立とうとする時、わずかな異変を感じてハリーは五感を研ぎ澄ませた。――それは小さな音だった。ハリーが意識を集中させると、その音はどんどん大きくなり、はっきりと聴こえるようになった。炎がゴウゴウと唸って薪を燃やし、パチパチと火の粉が爆ぜる音――”暖炉の火が燃える音”だ。ハリーはゆっくりと目を開いた。暗闇の中にオレンジ色の光が現れ、ゆらゆらと揺らめきながら周囲の様子を映し出す。

 

 ――気が付くと、ハリーはどこともしれない大きな部屋の中で、ゴーストのように浮かんでいた。床に敷かれたカーペットの上には埃が降り積もっている。暖炉の前には古めかしい肘掛け椅子が置いてあった。椅子はちょうどハリーに背を向けるような位置にあったが、誰も座っていないように見えた。その時、部屋の奥――暖炉の炎が届かない暗がりの中から、小さな男が一人現れた。尖った鼻に丸く小さな目を持ち、ずんぐりとした姿はどことなくネズミに似ている。小男は椅子に向かい、おどおどと戦いた声で言った。

 

「我が君、お腹がお空きのようでしたら、まだ少し瓶に残っておりますが」

「あとにする」

 

 すると椅子の近くから、別の声がした。不自然に甲高く、冷たい声だ。ハリーは周囲を見回したが、声の主はどこにも見当たらない。声の主は苛立つ感情を隠す事なく舌打ちし、歯噛みしながら言葉を続けた。

 

「ああ、あれの魂、魔法力が恋しい。なんと美味だったことか!あれぞ”甘露”と言うに相応しい。一口飲む毎に、この弱った身体に力が満ち溢れてくるのを感じられた」

「前の満月の夜に、お召し上がりになっていたではありませんか」

 

 小男は引き攣った声で宥めようとしたが、声の主の嘆きは止まらなかった。

 

「ほんの少しだ。あの老いぼれがまた邪魔をした。もう俺様には、再びあれに取り憑く力は残されていない」

 

 シューシューと空気を吐き出すような不思議な音がして、小男は怯えた悲鳴を上げた。巨大な蛇が埃だらけの床を悠々と這いずって、椅子の近くへやって来た。暖炉の炎が、蛇の黒々とした菱形模様をキラキラと輝かせる。やがて小男の嫌悪感と恐怖心が入り混じった激しい息遣いに紛れ、液体のようなものがポタポタと落ちる音が聴こえてきた。冷たい声の主は、嘆かわしいとばかりに溜め息を零した。

 

「本来ならば、あれが俺様の世話をする筈だった。忠実なるしもべの娘が」

「私も忠実なるしもべでございます」

 

 小男は喘ぎながらも言い返した。その声には、はっきりとした口惜しさが含まれている。小男は椅子の前まで行くと、しゃがみ込んだ。何かを飲み込む、弱々しい音が聴こえてくる。しばらくの間、静寂が訪れた。やがて冷たい声が残酷に嘲笑った。

 

「忠実なるしもべだと、ワームテール?笑わせるな。今のお前の表情を鏡に映し、見るが良い。お前は他に頼るところもなく、恐怖心から俺様に従っているに過ぎない」

「そんな、私は心からあなた様に忠誠を誓っております。あなた様のためならどんなことでも!」

 

 小男は激しく体を揺すり、命乞いをするかのように悲痛な声でキーキーと叫んで、椅子の近くへ身を投げ出した。冷たい声の主はそれを楽しむかのように笑っている。

 

「殊勝な心掛けだな。確かにお前はいくつか素晴らしい行いをした。お前が盗んだ指輪は貴重な財源となり、高価な薬の材料を入手するのに役立った。それにあの女は命と引き換えに、俺様に良い情報をもたらしてくれた」

 

 小男はごくりと生唾を飲み込んだ後、慌てて口を開いた。まるで気が挫けない内に、無理にでも言ってしまおうとしているかのようだった。

 

「本当に、決断されるおつもりですか?他の魔法使いでもよろしいのでは?」

「ハリー・ポッターでなくてはならぬ。俺様が昔以上の力を手に入れるためには」冷たい声には、脅すような響きが籠もっていた。

「時は来た。”父親の骨、しもべの肉、敵の血”。それらを手にする準備は整った。もう決定した事だ、ワームテール。議論の余地はない」

 

 突然、ガタガタと大きく震え始めた小男の姿をどうやって見たのかは分からないが、声の主はゾッとするような冷たい笑い声を上げた。

 

「ワームテールよ、俺様の言った事をもう忘れたのか?お前は忠実なるしもべではない」

 

 小男の震えがピタリと止まった。椅子の近くから再び冷たい声がした。その声には底知れない執着心と欲望の感情が渦巻き、ギラギラと輝いている。

 

「あの娘の血肉はその為にある。至誠(しせい)のしもべはホグワーツへ向かった。ハリー・ポッター、そしてイリス・ゴーント。二人の子供は最早、我が手内にある」

 

 

 ハリーは目を覚ました。額の古傷が、焼き鏝を押し付けられたかのように痛んでいる。――あれは夢だったのだろうか。ハリーは懸命に呼吸を整えようとしながら、必死に考えた。だとしたら、なんて生々しい夢だったんだろう。

 

 サイドテーブルに置いた金色の懐中時計に手を伸ばし、その曇りない鏡面を覗き込んだ。傷跡はいつもと変わりないが、まだ刺すように痛い。ハリーは今しがた見たばかりの夢の内容を懸命に思い出そうとした。――暗い部屋がぼんやりと思い出された。小男はピーター、そして姿こそ見えなかったけれど、あの冷たく甲高い声の主はヴォルデモート卿だ。そう思っただけで、ハリーの胃袋に氷の塊が滑り落ちるような感覚が走った。

 

 ヴォルデモートは小さい頃に僕の両親を殺し、今までも何度も僕を殺そうとしてきた。いや、それだけじゃない。ハリーは懐中時計をグッと握り締めた。――あいつはイリスの両親も殺した。そして忌々しい呪いでイリスを縛っている、僕の敵だ。ハリーの凍り付いた心はたちまち怒りの炎で、激しく燃え盛り始めた。彼は顔をしかめ、夢の内容を更に詳しく想起しようと集中した。

 

 しかしハリーが思い出そうと躍起になればなるほど、まるで両手で掬った砂のように、細かな事が指の隙間からスルスルと零れ落ちて行った。――ピーターとヴォルデモートが、何かの計画について話していた。そしてそれには自分とイリスが必要だと言っていた。ハリーは消えゆく夢の残骸の中から、辛うじてこの二つの事実を掴み取った。

 

 次の瞬間、シリウスの顔がパッと思い浮かび、ハリーは思わず俯いていた顔を上げた。『そうだ、彼にこの事を知らせなきゃ』――ハリーは生まれて初めて”大人に頼ること”を教えてくれた大好きな人物を思い浮かべ、ギュッと手を握り締めた。

 

 

 小さな頃から、ハリーは大人に頼ったり、甘えたりすることが苦手だった。困った時に手を差し伸べ、助けてくれるような大人が周りにいなかったのだ。新しい家での生活が始まると、ハリーは自分を息子のように愛してくれるシリウスとどう接していいのか分からず、思い悩むようになった。二人の暮らしは、まるで錆びだらけのブリキ人形のようにギクシャクとした有様だった。

 

 おまけにダーズリー家の人々は、何かにつけてハリーを”心ない言葉の暴力”で傷つけて育てて来たため、ハリーは自尊心にも欠けていた。『またおじさんやおばさんみたいにシリウスにも嫌われて、ダーズリー家に戻れと言われたら?』――ある日、そんな恐ろしい考えがハリーの心を支配して、ついに彼は”自分が何をしたいのか”という事も分からなくなってしまった。やがて石像のようにカチコチと固まってしまったハリーを見て、シリウスは穏やかにこう言った。

 

「ハリー。十二年間、私達は離れ離れだった。これから十二年かけて、その空白を埋めていこう。焦らなくていいんだ。ゆっくりでいい、少しずつでいい、ありのままの君の姿を見せてくれ」

 

 次の日、シリウスはハリーと共にダイアゴン横丁へ向かった。そして魔法界とマグル界双方の流行を取り入れた大型洋装店へ行くと、ハリーの新しい服や靴、小物などを購入した。シリウスは卓越した審美眼で、少年の体格や雰囲気に合い、着回しもしやすいベーシックなデザインのものをいくつも選んだ。――ハリーは試着室で新しい服を着た自分の姿を見て、面食らった。ダドリーのぶかぶかなお古を着ていた、さっきまでの姿とはまるでかけ離れている。

 

「こんなの似合わないよ。変だ」

 

 両手に大きな紙袋を下げ、恥ずかしそうに周囲の視線を気にしながら歩くハリーに、シリウスはきっぱりと言った。

 

「いいや、とても良く似合っている。ハンサムだよ。君はもっと自信をもつべきだ」

 

 ハリーの試練はそこで終わらなかった。昼食を食べ終わると、シリウスは評判の良い美容院へハリーを連れて行った。――ハリーは遠慮して縮こまった。何しろ自分の髪はすぐ伸びる。あまりに早く伸びるので、ダーズリー家にいた時はバーノンおじさんが頻繁に切っていたし、在学中は自分で切っていた。髪の長さは気になっても、髪型なんて一度も気にした事がなかったのだ。

 

「ごめん、シリウス。僕の髪はすぐ伸びるから、お金を掛けたってきっと意味ないよ」

「知ってるよ。君のお父さんもそうだった」シリウスはニヤッと笑った。

「だがプロが切った方が、髪が伸びてもスタイルを維持しやすいんだ」

 

 そうして、ハリーは生まれて初めて美容院でのカットを経験した。あくまで魔法界の美容院なので、マグルの世界での美容院がどうなのかは分かり兼ねるけれど、七色の泡で洗われるシャンプーはとても心地よかったし、ハサミとクシが空中で社交ダンスを踊りながら自分の髪を切っていく様子は見応えがあって面白かった。あっという間に作業は終わり、鏡の前には――まるで別人のように洗練された男の子が映っていた。いくらお洒落に疎いハリーでも、以前のみすぼらしい姿より、今の方がずっと素敵だと思えた。ハリーは初めて自分の外見に少しだけ自信を持った。

 

「まるであいつが、ジェームズが帰ってきたみたいだ」シリウスは少し掠れた声で言って、笑った。

 

 ハリーの外見をプロデュースし終わったシリウスは、今度は彼の内面へ目を向けた。プロデューサー・シリウスは、『どうせ』『僕なんて』から始まる、ハリーが自分自身を否定する言葉と真正面から向き合い、何故そう思うのかをじっくり話し合って、解決策を一つずつ見出していった。ハリーの中のネガティブな感情は少しずつ消えてゆき、やがてそこから自信の種が芽を出して、すくすくと育っていった。

 

 それからシリウスは『ハリーが”何かをしたい”と言う事』をとても喜んだ。ハリーが行きたいという場所は、どんな突拍子もない場所だろうが連れて行き、食べたいと言ったものはどんな高価なものでも食べ、遊びたいと言ったものはどんな危険なものだろうが手に入れて、一緒に遊んだ。ハリーがどれだけ無茶な我儘を言っても、シリウスはありのままを受け入れてくれ、時には子供を愛する親として冷静に叱ってくれた。

 

 シリウスが与える無償の愛情は、まるで春の息吹のように暖かく、ハリーが十二年間かけて作り上げた氷の仮面や皮肉の鎧をいとも容易く解かし、壊してくれた。ハリーは乾いたスポンジのように愛情と栄養を吸収し続け、数週間経つ頃には身体がたくましくなり、年相応の少年らしい心を持つまでに快復した。そうしていつの間にか、呼吸するように自然な感じで、シリウスを頼る事が出来るようになっていた。

 

 ――シリウスは僕がどんな突拍子のない事を言っても信じ、僕を案じてくれる。ハリーは夜明けが早く来る事を心待ちに思い、ベッドに潜り込んだ。

 

 

 ハリーが不吉な夢を見てから数時間後、イリス達は再び起き出して、キャンプ場を出発する準備を始めた。アーサーがあんなにこだわっていた手作業ではなく、魔法でテントを畳んでくれたので、片付け作業はとてもスムーズに進んだ。キャンプ場を離れ、途中で受付小屋の戸口を通ると、受付人のロバーツがぼーっとした表情で「メリークリスマス」と手を振って挨拶してくれた。

 

「大丈夫だよ」心配そうにロバーツを見つめるイリスに、アーサーが優しく言った。

「大規模な記憶修正を掛けられると、一時的に酩酊状態になるんだ。だがじきに治る」

 

 イリスはホッとして肩を撫で下ろした。一行が”移動キー”の置かれている場所に近づくと、大勢の人々が押しかけ、担当の魔法使いを取り囲んで、とにかくキャンプ場を早く離れたいと大騒ぎしていた。みんなは列に並び、”移動キー”の古タイヤに乗って丘まで戻り、”隠れ穴”へ帰り着いた。”隠れ穴”の入り口ではモリー夫人が真っ青な顔で待っていて、帰って来たみんなを見るなり、アーサーの首っ玉に抱き着いてさめざめと泣き始めた。

 

 その時、夫人の手から”日刊予言者新聞”が滑り落ちた。イリスが近寄って拾い上げると、新聞の一面に巨大な見出し――”クィディッチ・ワールドカップでの恐怖”――が書かれ、梢の上空に”闇の印”がチカチカ輝いている写真が引き伸ばされて掲載されている。イリスは写真の下にずらずらと並ぶ記事に目を通した。

 

 ”森の外れで怯えながら情報をいまや遅しと待ち構えていた人々は、魔法省から早急な安全確認の知らせを期待していたが、みんな見事に失望させられた。”闇の印”の出現から暫くして、魔法省の役人が姿を現し、誰も怪我人は出なかったと主張し、それ以上の情報を提供することを拒んだ。それから一時間後に、数人の遺体が運び出されたという噂や、”闇の印”の下で暴れ回るペティグリューらしき男を目撃したという噂を、この発表だけで十分に打ち消す事ができるかどうか疑問である”

 

 ”それから一時間後に、数人の遺体が運び出されたという噂や、”闇の印”の下で暴れ回るペティグリューらしき男を目撃したという噂”――イリスはその一文を指でなぞり、首を傾げた。印の下にいたのは明らかにピーターではない別の男性だったし、死人だって誰一人出ていない。誰がこんな根も葉もない噂を流しているんだろう。

 

「思った通りだ。記者はリータ・スキーター・・・ああ、やれやれ」

 

 ふと後方から弱り切った声が聴こえ、イリスは振り返った。アーサーがイリスの肩越しに覗き込み、その記事を読んでいる。そして彼は嘆かわしいとばかりに溜め息を零した。

 

「アーサーさん。本当にこんな噂が立ってるの?」

「まさか」

 

 アーサーは大袈裟に肩を竦めてみせると、イリスの手から新聞を取り上げ、代わりにブランデーを垂らした熱々の紅茶が入ったカップを持たせた。

 

「スキーターはでっち上げの中傷記事が大得意なフリーライターだ。だがこんなことを書かれたら、()()()()()()()()()()()だろうね」

 

 それから一週間、アーサーとシリウスとパーシーは家を出た切り、ほとんど家へ帰らなかった。朝はみんなが起き出す前に家を出て、夜は遅くまで帰らない日々が続いた。モリー夫人は働きづめの夫を心配し、少しピリピリとした様子だ。いよいよ明日ホグワーツに帰るという日曜日の夜、やっとパーシーだけが帰って来て、遅い夕食を摂りながら、事の次第をもったいぶった口調で教えてくれた。

 

 パーシー曰く、キャンプ場に来ていた人々がワールドカップでの警備の苦情を”吼えメール”にしたためて山のように送り付けたため、一週間ずっとその火消し作業や苦情の対応に追われていたのだという。悪いことは続くもので、その数日後、さらに火に油を注ぐような事件が起きた。お騒がせ新聞記者、リータ・スキーターが新たなネタ――”バーサ・ジョーキンズの行方不明事件”――をどこからか嗅ぎ付け、尾ひれはひれを盛大に付けた上で、大々的に書き上げたのだ。”吼えメール”は再び豪雨のように魔法省へ降り注ぎ、対処しきれなかった部署でボヤ騒ぎが何度も起きたという。

 

 

 月曜日の朝は、生憎の激しい雨模様だった。シリウスはとある一軒家の庭先で、散らばったゴミを片付けていた。――そこは、アラスター・ムーディという老年の魔法使いの家だった。現在こそ一線を引いているが、アズカバンの独房の半分はムーディが埋めたとされているほど、往年の彼は非常に実力ある”闇祓い”だった。しかしその分、彼を恨む者も多くいて、彼らから数々の報復を受ける度に、次第にムーディは激しい被害妄想に取り憑かれるようになった。やがて人間関係のトラブルを何度も起こすようになり、仕事だけでなく日常生活にも支障をきたし始めて、彼は”闇祓い”を引退した。

 

 だが引退してからも、ムーディの被害妄想は健在だった。今、シリウスがここにいるのもそれが原因だ。――昨日の深夜頃、ムーディは自宅の庭先に何者かが侵入する音を聞いたのだと言う。防犯の魔法が掛かった庭のゴミバケツ達が侵入者に反応し、轟音を立ててそこら中にゴミを発射し、その様子を運悪くマグルの警察が発見してしまった。魔法界において、マグルに魔法を見られることはご法度だ。魔法省にたまたま早朝出勤していたエイモスがいち早くその情報を察知して、ムーディの被る罪が最小限で済むようにとアーサーに取り成してくれなければ、彼はもっと酷い罰を受けていただろう。

 

 シリウスは庭を一望し、腕を組んで思案した。――アーサーは『きっと野良猫か何かを侵入者だと見間違えたんだろう』と言っていたが、彼と同じようにこの出来事を『ムーディのいつもの被害妄想だ』と割り切ることは、今のシリウスには出来そうになかった。――イリスの呪い、”死喰い人”共の馬鹿騒ぎ、打ち上げられた”闇の印”、行方不明のバーサ・ジョーキンズ、指名手配中のピーター・ペティグリュー、そしてハリーが見たと教えてくれた”不吉な夢”。一見して何の関わりもなさそうなこれらの事柄が、まるで一つの意志をもって動いているような気がする。妙にきな臭い。心の奥底から言いようのない不安が沸き起こり、彼を急き立てた。

 

 その時、シリウスの頭の中に、ある女性の姿がパッと思い浮かんだ。――イリスの叔母、イオ・イズモだ。艶やかな黒髪に青い目がよく似合う、竹を割ったような性格の優しい女性。新しい家の引っ越し作業を手伝いに来てくれた時、二人はお互いの子供達を通じて、親交を深めていた。イリスの呪いが発動したと聞いてからずっと、シリウスはイオの身も案じていた。シリウスは調査を終えたアーサーに許可を取り、キングズ・クロス駅へ向かった。

 

 

 シリウスがキングズ・クロス駅に到着すると、駅の構内のベンチにイオがポツンと腰かけているのが見えた。物憂げな表情で、降り続く雨をじっと眺めている。シリウスは近くのカフェでコーヒーを二つテイクアウトし、隣に座った。しばらく見ない間に、彼女の顔はぐっと老け込んだように見えた。

 

「大丈夫か?」

 

 シリウスは気遣わしげに眉を潜め、イオにコーヒーを手渡した。彼女は小さく礼を言って受け取ったものの、口を付ける事無く、首を静かに横に振った。――ハリーという愛する息子を持ったシリウスには、今のイオの苦しみが身に沁みるようだった。それでなくとも彼にとって、命の恩人であるイリスは大切な存在だ。シリウスは真摯な眼差しでイオを見つめ、口を開いた。

 

「イオ。君の苦しみは分かる。だがどうか私達を信じてくれ。あの子を守ると約束する」

 

 イオはしばらくの間、何も言わずにカップから立ち昇る湯気を見つめていた。やがて彼女は小さく笑い、奇妙に上擦った声で、滔々と話し始めた。

 

「ああ、信じてたよ。今までずっとな。だがその結果がどうだ?

 一年目は森の中で恐ろしい化け物に追いかけられた。二年目は亡霊に操られて酷い目に遭わされた。三年目は言われもない中傷を受けて心を壊し、極悪人に正気を失うまで拷問を受け、悪い魔法使いに誘拐されかけ、得体の知れない奴に魂を吸われかけた。どんどん・・・どんどん酷くなる。そして今年は、いつ死ぬかも分からない爆弾みたいな呪いと来た」

 

 イオは唇を噛み締め、黙り込んだ。膝の上に置いた両手がガタガタと震え、カップ内のコーヒーは今にも零れそうなほど不安定に揺れている。シリウスが固唾を飲んで見守る中、イオは何とか心の乱れを落ち着けることに成功し、カップに視線を注いだまま、静かな口調でこう言った。

 

「だが、闇の帝王に従えばあの子は呪いに殺されない。ルシウス・マルフォイがそう教えてくれた」

 

 イオの口から”ルシウス・マルフォイ”の名が飛び出した瞬間、シリウスの灰色の目が剣呑な輝きを帯びた。――”死喰い人”共の馬鹿騒ぎを指揮し、罪のないマグルをいたぶり、見世物にしたあの男。性懲りもなくまた悪事を働いていたのか。あいつがイリスを手に入れようとする目的など知れている。”自己保身”、ただそれだけだ。シリウスはほとばしる激情に任せ、強い口調でイオに迫った。

 

「イオ、戯言を真に受けるな。あいつはイリスを救うつもりなんてない」

「あんたらだって、あの子を救うつもりなんてないだろうが!」

 

 突如として、イオがヒステリックに叫んだ。カップを足元に叩きつけ、シリウスの胸倉を力任せに掴み上げる。シリウスは返す言葉もなく、目の前のイオの顔を茫然と見つめた。――彼女の青い目は光を失くし、深い絶望の感情で濁り切っている。カップからコーヒーが零れて二人の足を汚し、行き交う人々が好奇の視線を投げかけても、イオの激情は止まらなかった。彼女はますますシリウスに迫り、口調を荒げた。

 

「綺麗事ばっかり言いやがって!あんたにわたしの苦しみの何が分かる?じゃあ、想像してみろよ。あんたの息子(ハリー)あの子(イリス)と同じ立場になって、わたしがあんたと同じ事を言ったら、あんたは納得するのか?『()()()()()()()()()()()()()()()』ってな!」

 

 己の傲慢さに打ちひしがれ、シリウスはされるがままとなり、何一つ言い返す事など出来なかった。”愛する子供を持つ親として、イオの苦しみが分かる”――とんだ思い上がりだった。シリウスが想定していたよりもずっと深く暗い場所で、彼女は一人ぽっちで苦しみ、悲しんでいたのだ。やがてイオは我に返り、ヒステリーを起こした自分が何をしてしまったのかを理解した。わなわなと震える手で顔を覆い、声にならない謝罪の言葉を繰り返すイオを、シリウスは抱き締めて慰めることしかできない。

 

「イオ。イリスの呪いは、ダンブルドアとルーピンが研究を進めている。ヴォルデモートは私達が必ず倒す。あの子は私を救ってくれた。その恩に報いたい。どうか、どうか信じてくれ」

 

 『信じてくれ』――それしか言えない無力な自分を、シリウスは恨んだ。

 

 

 ホグワーツ特急が発車する十五分前、構内のロータリーにタクシーが二台留まり、中からウィーズリー家の子供達、モリー夫人、ハリー、イリス、ハーマイオニーが転がり出てきた。イリスのあどけない表情を見た瞬間、イオはボロボロになった自分の心臓が、一瞬の内に回復していくのを感じた。イリスはイオを見つけると、彼女の腕の中へ一直線に飛び込んで幸せそうに笑った。その様子をフレッドとジョージがからかっても、どこ吹く風だ。

 

『離したくない』――イオはギュッとイリスを抱き締めながら、心からそう思った――『このまま連れて帰りたい』。だけど、この子はホグワーツへ行くべきだ。あの子の両親がそう言ったのだもの。それにイリス自身もホグワーツに行きたがっている。シリウスやみんなを信じなければ。イオは断腸の思いでそう決断し、イリスの体を引き剥がした。イリス達は9と4分の3番線の柵を通り抜け、ホームへ入り、列車に駆け寄って、運良く中程に空いたコンパートメントを見つけ、荷物を押し込んだ。

 

 イオはイリスのほっぺと額にキスをして優しく抱き締めながら、一心に祈りを捧げた。――虹蛇様、私ならどうなっても構わない。どうかこの子を呪いから、他の脅威からお守りください。やがて列車の汽笛が鳴り、イリスは元気良く列車に駆け戻った。列車の窓から身を乗り出して、イリスは大好きな叔母に向け、一生懸命手を振った。イオは列車がホームを離れ、角を曲がって見えなくなってしまっても、ずっとその場から動く事が出来なかった。

 

 

「私の手紙は読んでくれたかね?」

 

 後方から気取った声がして、我に返ったイオは急いで振り返った。――ルシウス・マルフォイが立っている。何時の間にか、ホームには人気がほとんどなくなっていた。イオは警戒した表情でルシウスを睨み、応えた。

 

「ああ、読んだよ」

「それは結構」ルシウスは微笑した。

「そう言えば、あれは・・・シリウスは、君になんと言っていた?」

「・・・”私達を信じろ”と」イオは歯噛みしながら応えた。

「そうだろうな」ルシウスは世界一つまらないジョークを聴いたような顔をして、軽く笑った。

「きっとあの子にも同じ事を言い続けるだろう。馬鹿の一つ覚えのように。あの子が呪いに蝕まれ、苦しみもがいて死ぬ時までずっと」

「やめろ!!」

 

 イオは狼狽える余り、震える声で叫んだ。――あの子が苦しみもがいて死ぬだって?そんな恐ろしい事、想像したくもない!イオは今や、嵐のように荒れ狂っている自分の感情を制御しようと、懸命に努力した。冷静に考えろ、こいつの口車に乗っては駄目だ。ネーレウスが『闇の帝王はイリスに対して異常な執着心を抱いている』と警告していたじゃないか。イオは確かめるような口調で、ルシウスにこう言った。

 

「闇の帝王に従えば、あの子は今まで通り平穏には暮らせなくなる。そうだろ?」

「イオ。まさか君は・・・ダンブルドアの下にいればイリスが平和に生きる事が出来ると思っているのか?」

 

 ルシウスは芝居がかった動作で眉を上げると、信じがたいものを見るような目でイオを射竦めた。

 

「直にあのお方が復活すれば、我々とあの老いぼれとの戦いが始まる。イリスはどちら側につこうが、戦いの最中に身を投じる事になるだろう。戦いはゲームじゃない、命懸けだ。イリスがそれを望まなくとも、生き残るために人を傷つけ、殺す事だってある。

 だが、一つ約束しよう。私なら、あの子を戦わせないようにあのお方に進言できる。呪いもこれ以上増大させない」

 

 その言葉は、イリスを愛するイオにとって”悪魔の囁き”も同然だった。彼女の脳内に、イリスと歩んできた日々の記憶が走馬灯のように駆け巡っていく。その余りの輝かしさに彼女はふらりとよろめきながらも、ルシウスをはったと睨んだ。

 

「信じないぞ。あんたはイリスを何度も陥れ、傷つけた」

「その必要があったからだ」

 

 しかしルシウスは動じる事無く、揺るぎない口調で言い放った。まるで自分は何も悪いことはしていないと言わんばかりの様子だった。

 

「あの呪いは、宿主の魂が闇に蝕まれるほど・・・つまり、恐怖や憎しみ、悲しみといった”暗い感情”に宿主が襲われるほどに早く発動する。発動が遅くなればなるほど、呪いの威力は強大になる。だからこそ、私はあえてイリスを奈落の底へ突き落すような行動を繰り返した。ホグワーツにいる親しい友人にも協力を仰いだ。

 だが、それでも遅すぎた。君達の家系の血が、随分と邪魔をしてくれたおかげでね」

 

 ルシウスは口惜しそうに歯噛みし、上質なステッキで苛立たしげに地面を突いた。

 

「ネーレウスは六歳の時に呪いが発動し、それから十七年生きた。イリスは十三歳でやっと呪いが発動した。

 さあ、あと何年生きられる?膨れ上がった呪いは、たった一度の叛逆であの子を殺すかもしれぬ。良く考えろ、イオ。()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 やがてルシウスが去って行ってしまっても、イオは”金縛りの呪い”を掛けられたように、その場から一歩も動く事が出来なかった。――『”本当の敵”とは誰だ?』、その言葉がイオの耳の中で何度もリフレインし、心の奥底へ沈んでいった。

 

 

 ドラコはコンパートメント内で一人、窓際の席に腰掛けて、じっと物思いに耽っていた。窓を打つ豪雨で、窓の外は殆ど何も見えない。クラッブとゴイルは一足先に車内販売に行くと出て行った。列車が動く音と降りしきる雨音が、ドラコの思考をより深く掘り下げていく。

 

 ドラコは記憶を取り戻したあの夜から今朝に至るまで、隙を見ては自室に籠もって、自分の記憶を何度も思い返し、その情報を羊皮紙に書き起こして、イリスとの関係性が変わった”具体的な時期”を探った。元々ドラコは物覚えが良く、一度見たり聞いたりしたことは忘れにくい性分だったため、この作業は苦ではなかった。

 

 ドラコの努力は奏を成し、”具体的な時期”は明らかになった。――『二年前の夏休みから二年生の学期が終わるまでの間』だ。ウィーズリー家に行こうとしたイリスを、父が強制的に我が家へ連れ去ったその時から、ドラコの記憶に”謎の空白”が生まれるようになった。二年次の学期の後半辺りは空白が特に著しく、思い出せるような記憶がほとんどない。唯一覚えているのは、学期の終了した頃に”イリスと決別しても良い”と父から連絡があった事くらいだ。それ以降ドラコの記憶に空白が生まれる事はなく、イリスとはずっと疎遠な状態が続いている。

 

 ちょうどこの時期に、ホグワーツに眠る”秘密の部屋”が開かれた。去年に、ギルデロイ・ロックハートという元教師の詐欺師が、その事件の全貌を本に書き起こしている。――そう言えば、ロックハートは何故こんな本を出版したのだろう。ドラコはローブのポケットから赤い装丁の本――『継承者とこっそり一学期 ギルデロイ・ロックハート著』を取り出し、表紙をまじまじと見つめた。夜の闇横丁でスリザリン生の知人が手に入れ、話題作りにとくれたものだ。

 

 新聞ではロックハートを”愚かな嘘吐き”だとこき下ろしていたが、実際に彼から記憶を盗まれた被害者は、みんな実力ある魔法使いや魔女達ばかりだった。少なくともロックハートは、彼らから返り討ちに遭う事無く記憶を盗み取り、その記憶を自分のものとするために、周囲の人々を含めた緻密な情報操作をやり通す頭脳と才能があった。

 

 しかしこの本は、内容はいくつか真実に沿っている点はあるものの、他はほぼ全くのデタラメで、犯人は実在する学生――イリス・ゴーントだった。しかもイリス本人や周囲の人々の記憶を消す事無く出版し、真偽の追及を逃れるため、彼は行方を晦ませた。ロックハートはその本を出すという行為が、いかに危険であるかを分かっていた。冷静に考えて、僕が彼と同じ立場なら絶対にそんな危険を冒さない。()()()()()()()()()()()()()()

 

『半分は嘘で、半分は本当』――三年生の終わり頃、イリスが大広間で言った言葉がふと思い起こされた。

 

 おかしいのは自分の父もだ。一年目の時はイリスを自分の娘のように可愛がり、その次の年は”呪いのコイン”を贈ってまで我が家へ連れて来るほど執着していたのに、その年の終わりには自分に”イリスとの関係を断て”と言った。しかしイリスの実名が出されたロックハートの本が出版された時には、彼女を率先して庇い、魔法省に多額の寄付をして、彼女を守るための進言を繰り返していた。だが、父自身が問題解決のために動く事はなかった。――本当にイリスを大事に思っているなら、あんな大騒ぎになる前にどうにかして揉み消す筈だ。そうでないなら何故イリスを庇う?父は好まない相手にはとことん冷酷だ。

 

『誰にも知られてはなりません。父上にもです』――記憶を取り戻したあの夜、母が真剣な表情で言った言葉がふと脳裏を掠めた。

 

 その時、ドラコの脳裏に”ある光景”が浮かび上がった。――いつもポーカーフェイスを崩さない父が、犬歯を剥き出しにした獰猛な笑みを浮かべている場面だ。その妄想とも現実ともつかない恐ろしい姿に、ドラコはたまらずブルッと震え上がった。本の内容の真偽については定かでないが、実際に”秘密の部屋”は開かれ、その間の記憶が自分からすっぽりと抜け落ちている。『恐らく、父と僕は”秘密の部屋”事件に関係していた可能性がある』――ドラコは記憶の欠片を取り戻してからわずか数週間で、早くも真実に迫り始めていた。

 

 

 コンコンと控えめにドアをノックする音が響き、自我を取り戻したドラコは顔を上げた。クラッブとゴイルは、間違っても”ドアをノックする”なんて上品な真似はしない。『一体誰だ?』――ドラコは訝しげに眉を寄せた。やがてドアが静かに開いて、スリザリンの制服に身を包んだ青年がそっと顔を覗かせた。

 

「こんにちは、マルフォイ」

 

 青年は媚びをたっぷり含んだ笑みを浮かべ、ドラコに挨拶した。その顔を見て、ドラコは思い出した。――確か彼は、自分の一学年上の先輩だった筈だ。彼の父は聖マンゴ魔法疾患傷害病院に勤務していて、自分の父と親交があった事を覚えている。青年はドラコが後輩であるのにも関わらず、不自然な程にへりくだった態度を崩さなかった。

 

「僕の父が、”君の父上に是非御礼を申し上げてくれ”と。聖マンゴへまた寄付をしてくれたんだろう?」

「ああ、その事か」

 

 ドラコは慣れた様子で頷いた。父はしばしば病院や孤児院などへの寄付や、様々な奉仕活動や慈善事業、いわゆる”貴族の義務(ノブレス・オブリージュ)”を行っていた。そこに勤務する親を持つ子供達から、大人の代理として感謝の謝辞を告げられる事は、ドラコにとって珍しい事ではない。

 

「父に良く言っておくよ」

 

 そう言うと、青年は愛想笑いをし、扉を閉めて出て行こうとした。――その時、ドラコはある事を思い出した。聖マンゴにはロックハートがいる筈だ。ドラコが何気ない振りを装ってその事を尋ねると、青年は俄かに目を輝かせた。そして開き掛けた扉を閉め、もったいぶった口調でこっそり耳打ちをし始める。

 

「そのことについて面白い話があるんだ。ただ、これは患者の個人情報に当たるからくれぐれも内密にね。君と僕だけの秘密としてほしい」

 

 恩着せがましい青年の様子に内心苛立ちながらも、そういった感情は微塵も見せずに、ドラコは興味深そうな表情を作って話の続きを促した。そんなドラコの反応に気を良くしたのか、彼は滔々と話し始める。

 

「ロックハートの悪行は知ってるだろう?彼が聖マンゴに来てから、”まともな見舞客”なんて来なかった。来るのは彼に報復しようとする被害者ばかり。彼の為に高価なハナハッカ薬が何本も消費されて、魔法薬課は大迷惑さ。

 だが数ヶ月前についに来たんだ、”まともな見舞客”が。――()()()()()()()()だ。前学期の終わり頃、ファッジ大臣に連れられてやって来たゴーントは、ロックハートを抱き締めて涙を流して労わったらしい。おまけに彼を楽しませるための魔法のパレードを実行したんだと」

 

 青年の語った言葉は、俄かには信じられないものだった。『イリスがロックハートを労わった?』――彼女の行動の真意が掴めず、ドラコは無意識の内に青年を見つめた。彼は話の真偽を疑われたと思ったらしく、焦った口調でまくしたてた。

 

「本当さ。ロックハートのカルテに書いてあったのを父が見たんだ。間違いない」

「車内販売よ、お坊ちゃんたち」

 

 話の腰をポッキリ折られた二人が声のした方を見ると、扉を半分ほど開けた販売員の魔女がニコニコと笑っていて、彼女の目の前にはどっさりとご馳走を積んだワゴンがあった。青年はドラコに別れの言葉を告げて、自分のコンパートメントへ帰って行った。

 

 ドラコはワゴンの上に蛙チョコレートの箱が山積みにされているのを見た時、あることを思い出した。――去年、列車の中でディメンターに襲われた時、ノットが蛙チョコレートをくれたが、誰から貰ったのかは教えてくれなかった。あの時は頭痛が邪魔をしてそれ以上深く考える余裕などなかったが、一体誰があのチョコレートをくれたんだ?

 

 次の瞬間、ドラコが予想した相手は余りにも都合が良すぎる人物だった。――それは予想ではなく願望だ。ドラコは静かに首を横に振って、自分に言い聞かせた。”()()()()()()()()()”なんて。あの時、僕は彼女に何と言って侮辱した?

 

 だけど、僕だってそうしたくてそうした訳じゃない。ドラコは必死に自分に言い訳をし、今までイリスにぶつけてきた、数々の罵詈雑言の(つぶて)から目を逸らそうと躍起になった。そうでもしなければ、とてもじゃないが罪の気持ちに耐えられそうもない。イリスを見る度に湧き起こる暗い気持ちが、僕をそうするように駆り立てた。ドラコは自分にそう言い聞かせた後、はたと気が付いた。そもそも、このやり場のない苦しみ、憎しみ、怒り、嫉妬の感情はどうして発生するんだ?僕はイリスを愛しているのに。

 

 その時、ドラコはクィディッチ・ワールドカップの競技場で見た、ポッターの姿を思い出した。しばらく見ない間に、ポッターは随分と垢抜けていた。外見の変化は心境の変化に通じると聞く。『まさかあいつとイリスは付き合っているんじゃないだろうな』――嫌な予感がよぎり、ドラコの背中を冷汗が伝った。もしかして、自分はイリスに嫌われたから何かの拍子で記憶を失くし、疎遠になったのだろうか。だから彼女を見るとこんな気持ちに襲われるのだろうか。ポッターとイリスが仲睦まじくいる様子を想像するだけで、心臓がギュッと握り潰されたかのように息苦しくなり、ドラコは苦痛に喘いだ。

 

 全てが分からない。あらゆる人物が疑わしく思える。何もかもが不透明で、不確かだ。誰も真実を教えてくれないし、どうすれば謎を解き明かせるのかも分からない。ドラコは蛙チョコレートを一つ買い、じっと眺めた。――だけど、僕はイリスを愛している。それだけは、はっきり分かる。その思いがある限り、どんな相手が立ちはだかろうが、僕は決して諦めたりなんてしない。どんな手段を使っても、この手に彼女を取り戻して見せる。――ドラコは体の底から力が湧き上がってくるのを感じた。心の中には永遠に消えない炎が燃え盛り、自分が進むべき道を明るく照らしている。

 

 ドラコはほとばしる熱い情熱を込め、蛙チョコレートの箱に強く口付けた。そしてその様子を呆気に取られて見つめる販売員の魔女に、このワゴンがこれからグリフィンドール生が固まっている車両へ向かうかどうかを尋ねた。

 

 

 その頃、イリス達はコンパートメント内で他愛無いお喋りに興じていた。部屋の片隅では、ヘドウィグが落ち着きのないピッグウィジョンに”伝書フクロウの何たるか”をこんこんと説教し、サクラが時々優しくフォローを入れていた。クルックシャンクスはハーマイオニーが買ってくれた”魔法猫用またたび入りクッキー”を夢中になって齧っている。

 

 やがて車内販売のワゴンがやって来た。イリスがドルーブルの風船ガムと杖型甘草飴、それから蛙チョコレートの箱を一つ買うと、販売員の魔女がポケットから箱をもう一つ取り出して彼女に押し付けた。

 

「あなたへのプレゼントですよ。誰からは秘密!」彼女はこっそり耳打ちし、悪戯っぽく微笑んだ。

 

 イリスは貰った箱をしげしげと眺めた。『誰からは秘密』――誰がくれたんだろう。その時、イリスが予想した相手は余りにも都合が良すぎる人物だった。まさか、ドラコの筈がないよ。自分の儚い希望を打ち消すように首を横に振り、イリスは箱を開けて、逃げ出そうとする蛙を器用に摘まみ上げ、口に放り込んだ。

 

「何のカードだった?」

 

 ハリーがかぼちゃパイにかぶり付きながら、イリスに尋ねた。彼女は口をもぐもぐさせながら、箱からカードを取り出して小さな歓声を上げた。見た事のないカードだ。額飾りを付けた美しい女性が、イリスに向かって上品に微笑んでいる。イリスは嬉しそうにハリーに写真を見せ、カードの裏面を読み上げた。

 

「アルウェン・ウンドーミエル。”永遠の命を捨て、限られた時間を愛する者と共に生きる事を選んだ”だって。とってもロマンチックな人だね」

「そうだね」

 

 ハリーはイリスの分の魔女鍋ケーキを大きめに切り分けながら、優しく言った。




最後にまた指輪物語ネタ入れました。アルウェン大好きだー!いつかホビット庄に遊びに行って、フロドたちとお茶したい…。ガンダルフの弟子になりたい…。

炎のゴブ編って、上下巻あるんですね(白目)
これでやっとホグワーツへ行ける…。イリス達がホグワーツ入りしてからは、じっくりと書き込むぞ!
今回もささっと書いたので、分かりにくい箇所などございましたら、ご一報いただけますと幸いです(*´ω`)いつもありがとうございます!

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