ハリー・ポッターと虹の女神   作:セバスチャン

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File5.ホグワーツ特急

 八月半ば頃まで、イリスとイオは忙しく過ごした。イリスの通っていた小学校の諸手続きや、クラスのお別れ会、近所の人々への挨拶回りなどをこなすためだ。

 

 八月の終わりには、ダイアゴン横丁で買った荷物を整理して、少し早目にイギリスへ飛び、キングス・クロス駅から少し離れた位置にある、古びたホテルの一室を借りた。

 

 八月三十一日の夜。二人は明日のために、早めに床についた。しばらくしてイリスが興奮して寝れないと起き出してしまったので、イオは部屋に据え置かれていたティーセットで、熱いミルクティーを淹れてやった。

 

「魔法界のことで、わからないことはないか?まぁ、わからないことだらけだとは思うけど。わたしでわかる範囲で教えるよ」

 

 豆電球がぼんやり部屋を照らす中、寝間着姿で向かい合ってミルクティーをすすっていると、イオがイリスに尋ねた。イオの言う通り、質問だらけで『何がわからないかわからない』という状態だったが、イリスはダイアゴン横丁でハグリッドから寮の話を聞いたことを思い出した。

 

「お父さんとお母さんのホグワーツの寮って、どこだったの?」

 

「スリザリンだよ」

 

 イリスは、高まっていた気持ちがすうっと冷えていくのを感じた。イリスが不安そうな顔をしているのを見て、イオは理由を尋ねた。イリスはスリザリンについてハグリッドがどんな風に言っていたか、話して聞かせる。

 

「悪の道に走った魔法使いは、みんなスリザリンなんだって。その・・・『例のあの人』も・・・。お父さんとお母さんは、どんな風に過ごしてたのかな。私もスリザリンになったら、どうしよう」

 

 イオはしばらく腕組みをして、愛する姪の目を見た。この子は本当に何も知らないのだ、と痛感した。当然のことなのだろうが、あまりにも無知すぎる。だが、同時に良い機会だと思った。誰かがイリスにゆがんだ考えを吹き込む前に、客観的な知識を授けるべきだと判断し、イオは口を開いた。

 

「イリス、お前はあまりにも魔法界について知らなさすぎる。わたしの浅い見解だが、知っていることを話すよ。お前にはまだ理解できないかもしれないけど・・・」

 

 そう前置きして、イオは語り始めた。

 

「まず、言葉を覚えよう。すべてイギリスの魔法界で使えるものだ。

 魔法・・・不思議な力だな・・・は、すべて『魔法』と呼ぶ。

 魔法が使える血を持つ一族を『魔法族』、魔法族の出身だが魔法が使えない者を『スクイブ』

 魔法族の出身でもないし、魔法も使えない者を『マグル』

 マグルの出身だが魔法が使える人間を『マグル生まれ』と呼ぶ。

 魔法族もマグル生まれも、魔法が使える者はひっくるめて『魔法使い(魔女)』と呼ぶ。

 最後に、魔法族が中心となった世界を『魔法界』、マグルが中心となった世界を『マグル界』と呼ぼう。

 魔法界とマグル界は、コインの裏表のように互いのそばに接しているが、決して交わることはない。どうしてだと思う?」

 

 イリスの反応を確かめながら、イオは続けた。

 

「魔法使いもマグルも、魔法が使えるか使えないかだけで、しょせんは同じ人間だ。

 人間は、自分と違う存在を恐れ、排除しようとする生き物なんだ。はっきり言えば、魔法使いはマグルが嫌いだし、マグルは魔法使いを恐れる。だから隠れているんだよ。お前も魔法使いの一員なのだから、けっしてマグルに魔法界のことをしゃべったり、マグルの前で魔法を使ってはならない。

 

 さて、じゃあ魔法界の連中が、全員なかよしこよしなのかと言われれば、そうでもない。魔法界の中でも『違う存在』というのはあるんだよ。魔法の血が流れているか、そうでないか。魔法族出身・・・つまり『純血』か、そうでないか・・・。そういうことだ。

 魔法界の連中は、はっきり言おう、差別をすることがある。魔法族にとって『同じ存在』とは、『自分たちと同じ魔法族で、魔法が使える者』だ。だから、マグルやマグル生まれ、スクイブは、差別されることがあるのさ。魔法が使えない、又は魔法を使えるけど魔法族ではないからね。もちろん全部の魔法使いがそうじゃない。・・・だけど、一部の連中は、『純血』を求めるあまり、魔法族がマグルと結婚することすら禁忌としたり、魔法族とマグルとの子供を差別したりするんだ。

 言っておくが、お前は『純血』だよ。お前の父さんはイギリスの魔法族の出身だし、母さんもそうだ。出雲家は今でこそ廃れちまってわたしとお前しかいないし、日本の魔法界からは距離を置いているが・・・ずっとずっと昔から続く歴史ある日本の魔法族なんだよ。・・・まぁホグワーツから便りが来たのは、出雲家ではお前の母さんが最初だが・・・たぶんイギリスの血が入ったからだろう。

 ・・・もうわかったね。わたしはスクイブだ。出雲家の出身だけれど、魔法が使えなかった。

 

 イリス、大事なことはお前の心の中にある。家柄や、血や、寮は、育っていく環境を決めてしまう。でも、お前の心までは決められない。たとえスリザリンになったとしても、お前の心が揺るがなければ、闇の魔法使いになったりしないんだ。お前の両親は確かにスリザリン生だったが、自分の信念を持ち、揺るがせることなどなかった。

 お前の心は、意志は、未来はお前自身のものだ。環境じゃない。お前が決めるんだよ」

 

 イオはそういうと、すっかりぬるくなったミルクティーを一気にあけた。

 

 

 次の日、イリスは朝四時に目が覚めた。不安と緊張が高まり、とてもじゃないが二度寝なんてできない。起き出して隣のベッドを見ると、イオはまだぐっすり眠っている。サイドテーブルから水差しを取り、コップに水を注いで、窓から外の景色を眺めながら、ゆっくりと飲み干した。

 

 ホテル内のレストランで朝食を取り、忘れ物がないかもう一度荷物を確かめてから、二人は宿を出た。フロントでタクシーを呼んでもらい(タクシーの運転手は、イリスが抱えたふくろう入りの籠を見てぎょっとしていた)、キングズ・クロス駅に向かう。だが渋滞が続き、結局駅に着いたのは十時半だった。

 

「やばくないか・・・出発は十一時だろ?あと三十分しかないぞ」

 

 慌ただしくカートに荷物を放り込んで、二人はプラットホームに向かって歩き出した。イリスはキョロキョロと人込みの中を見渡してみたけれど、ハリーは見当たらない。

 

「駅で待ち合わせようって約束したけど、どこにいるのかな?」

 

「そりゃお前、9と4分の3番線だろ。あ、あったあった、9と・・・あれ、10?9と4分の3番線は?」

 

 「9」と書いた大きな札が下がったプラットホームの隣には「10」と書いた大きな札が下がっている。そしてその間には、何もなかった。途方にくれたイリスを置いて、イオは「駅員に聞きに行ってくる」と言ってその場を去り、十分後、相当絞られたらしく疲れ果てた表情で戻ってきた。

 

「ハリー君、もしかして先に汽車の中で待ってるんじゃないか?」

 

 イリスは列車到着案内板の上にある大きな時計を見上げた。時計は十時四十五分を指していた。あと十五分で発車してしまう。時計から視線を下した時、人込みの中に自分と同じようなトランクと鳥籠を押す男の子を見つけた。・・・ハリーだ。

 

「ハリー!ハリー!」

 

 イオと同じように駅員にあしらわれ、パニックを一人こらえていたハリーは、雑踏の中から懐かしい声を聴いて、思わずその方向に振り向いた。

 

「イリス!よかった!」

 

 二人は駅のど真ん中で手を取り合って喜んだ。この時、イリスとイオは9と4分の3番線の行き方はハリーがハグリッドに聞いて知ってると思っていて、ハリーはイオが知っていると思っていた。

 

「さあ、9と4分の3番線に行こう!」

 

 三人とも同じことを言って、誰もその場から動かないことを疑問に思った。やがて誰も行き方を知らないとわかって、三人の間に重苦しい沈黙が流れた頃、時計はさらに進んで十時五十分を指していた。

 

 

 その時、三人の後ろを通り過ぎた一団があった。

 

「マグルで混み合ってるわね、当然だけど・・・」

 

 マグルだって?三人仲良く揃って振り向くと、ふっくらしたおばさんが、揃いも揃って燃えるような赤毛の四人の男の子に話しかけている。みんなイリスやハリーと同じようなトランクを押しながら歩いている。

 

「おい!二人とも!尾行するぞ・・・」

 

 イオのひそひそ声に従って、三人は赤毛ファミリーにこそこそついていった。ファミリーはプラットホームの「9」と「10」の間に立っている。先ほど自分たちが立っていた場所と同じだ。三人が食い入るように見つめていると、赤毛の男の子が一人ずつ、カートを押して、「9」と「10」の間の柵に向かって歩き始め・・・もうすぐ柵にぶつかる・・・という時に、すっと消えた。

 

「ちょっと聞いてくるわ」

 

 イオは躊躇なくふっくらおばさんのところへ行って、人懐こい笑顔を浮かべながら愛想よく話しかけた。おばさんは優しく微笑んだ。

 

「・・・まぁ、そうなの。坊やとお嬢さんは、ホグワーツは初めてなのね?ロンもそうなのよ」

 

 おばさんは最後に残った男の子を指さした。背が高くそばかすだらけで、ひょろっとした体形の男の子だ。

 

 三人揃っておばさんに9と4分の3番線への行き方を教えてもらった後、ハリーが「僕が先に行く」と男気を見せた。九番と十番線に乗り込もうとする乗客たちに翻弄されながらカートを押して、ハリーは柵に向かって突き進み、あわや激突・・・すると思ったら、すっと消えた。

 

「次はお前だ。心配するな、わたしも後で合流するよ」

 

 イオに耳打ちされ、おばさんに励まされながら、イリスはカートをくるりと回して、柵と対峙した。とてもじゃないが、やわらかそうには見えない。頑丈そうな柵だ。でも、行かなければ。時計はもう少しで十一時を指そうとしているし、さっさと行かなければあとがつかえる。もうどうにでもなれ。

 

 「(ハリーも行ったしきっと大丈夫・・・ハリーも行ったしきっと大丈夫・・・)」

 

 イリスはやけくそになって、乗客にぶつかりながら柵を目指して突き進んだ。柵がグングン近づいてくる・・・だめだ、柵にカートの先が当たる・・・イリスは思わず目を閉じた。・・・いや、ぶつからない。まだ走ってる。

 

 

 イリスが目を開けると、目の前に紅色の蒸気機関車が、乗客でごった返すプラットホームに停車していた。ホームの上には『ホグワーツ行特急11時発』と書いてある。振り返ると、改札口のあったところに『9と4分の3』と書いた鉄のアーチが見えた。

 

「おいイリス、ぼけっとしてる暇ないぞ!急げ!」

 

 アーチから不意にイオが現れて、イリスを急かした。先頭の数両は、もう生徒でいっぱいだった。二人は少し先を歩いていたハリーと合流し、空いた席を探して、ホームを歩いた。

 

 やっと最後尾の車両近くに空いているコンパートメントの席を見つけ、二人分の荷物を上げるとき、さっき改札口を通過していった赤毛の双子がやって来て手伝ってくれた。ハリーがそのまま双子と話し始めたのを横目で見ながら、イリスは列車から飛び降りた。列車の前で待っているイオに、お別れの挨拶をするためだ。

 

「ついに出発だな、イリス」

「うん」

 

 二人の間に沈黙が流れる。イリスは何と言っていいかわからなかった。「さよなら」というのも違うし、「またね」というのも違う。ちょうどいい言葉が見当たらなかった。

 

「懐中時計を開けてごらん」

 

 ふとイオが言って、イリスはポケットに突っ込んだ懐中時計の蓋を開けてみた。

 

 上蓋の裏側に、イリスの両親の写真が嵌め込んである。イリスは息をのんだ。小さい時に見たカラー写真と違って、モノクロだけれど・・・なんと、生きているみたいに動いている。仲良く肩を寄せ合う二人は、イリスに向かって笑いかけ、手を振っていた。

 

「わたしの宝箱(『開封厳禁』のシールが貼られた箱のことらしい)に、ちょうどその時計に収まるサイズの魔法の写真があってな。・・・ああ、魔法界の写真はモノクロだけど動くんだよ・・・これ豆な。

 ホグワーツに行って、お前の両親について聞かれた時に写真もないんじゃ、話にならないからな。それに、・・・寂しくないだろ?」

 

 イリスは目頭が熱くなって、のど元が締め付けられるように痛んだ。

 

「うれしいけど・・・うれしいけど・・・、わ、私、おばさんの写真もほしいよ」

「そんなこと言うなバカ!」

 

 イオは顔をくしゃくしゃにしながらイリスを強く抱きしめた。とっても温かくてこの上なく安心したけれど、イリスは急に寂しくて心細くてたまらなくなった。おばさんなしでホグワーツで生きていくなんて無理だ。なりふり構わず叫びたくなった。

 

「どうしても辛いことがあったら、ふくろう便で送ってこい。わたしが何としてでもホグワーツから連れて帰ってやる」

 

 出発を告げる汽笛が鳴った。涙を乱暴に拭いたイオが、泣きはらした顔でイリスに微笑みかけ、行っておいでと優しく背中を押した。イリスはコンパートメントの窓際に座り、窓からイオに向けて力いっぱい手を振った。やがて汽車が滑り出した。イオもイリスに手を振り返した。イリスは、汽車がカーブを曲がって、イオの姿が見えなくなるまでずっと窓から身を乗り出して、手を振り続けていた。

 

☆ 

 

 ハリーは困っていた。これから始まる新しい生活に心が躍っているのに、目の前の大事な友達は、列車が動き出してからずっと、窓の外の景色を眺め、沈んだ表情で物思いにふけったままなのだ。ハリーがイリスにどう話しかけようか、言葉を探していた時、コンパートメントの戸が開いた。入ってきたのは・・・ロンと呼ばれていた赤毛の一番下の男の子だった。

 

「ここ空いてる?他はどこもいっぱいなんだ」

 

 ロンはハリーとイリスをちらっと見たあと、ハリーの隣の席を指さして尋ねた。ハリーが頷いたので、ロンはおずおずと座る。まもなく戸が開いて、赤毛の双子がやってきた。

 

「おい、ロン。俺たち、真ん中の車両辺りまでいくぜ・・・リー・ジョーダンがでっかいタランチュラを持ってるんだ」

 

「ハリー」双子のもう一人が言った。

 

「自己紹介したっけ?僕たち、フレッドとジョージ・ウィーズリーだ。こいつは弟のロン。そっちのお嬢さんは?」

 

「イリス・ゴーント」窓から視線を外さないまま、イリスは浮かない顔で答えた。

 

「こりゃ重症だ、そんなにおばさんが恋しかったのかい?鼻たれロニー坊やと一緒だな」

 

 どうやら双子はイリスとイオのやり取りを見ていたようだった。窓から双子へと目線を変えて、イリスは恥ずかしそうに顔を真っ赤にする。とばっちりを受けたロンが「うるさい」と怒鳴ると、双子は愉快そうに笑い去って行った。

 

「君、ほんとにハリー・ポッターなの?」

 

 再び三人だけになった時、おもむろにロンが聞いた。ハリーが前髪を掻き上げて稲妻の傷跡を見せると、ロンはそれを食い入るように見た。今度はハリーが質問した。

 

「君の家族はみんな魔法使いなの?」

 

 ロンは二人に色んなことを教えてくれた。ウィーズリー家は古くから続く由緒正しい魔法族だということ、ロンには兄が五人もいて、みなそれぞれに優秀なので、自分が期待に沿うのは大変だということ、そして自分のものはみんな兄たちのお下がりばかりだということ・・・などなど。ロンは上着のポケットから太ったねずみ(ぐっすり眠っている)を引っ張り出して、これも兄のお下がりなのだと嘆いた。やがて耳元を赤らめ、また窓の外に目を移したロンに、二人は何も恥ずかしがることはないと話しかけた。一人っ子だったイリスは、たくさん兄弟のいるロンが羨ましいと感じていたのだ。ハリーもいろいろ自分の恵まれない境遇を話して聞かせ、イリスも自分の母親の杖を使っている(厳密にはお下がりとは言えないかもしれないが)と言うと、ロンは少し元気になったようだった。

 

 

 窓の外で流れる景色を見ているうちに、イリスはつい眠り込んでしまった。ガサガサという音で目を覚ますと、ハリーとロンがコンパートメント中にたくさんの菓子を広げて、食べているのが見えた。

 

「あ、やっと起きたみたい」

 

 寝ぼけ眼のイリスを見て、ロンが言った。

 

「いったいどうしたの、このお菓子の山」

「車内販売が来たんだよ」

 

 かぼちゃパイにかぶりつきながら、ハリーが答える。

 

「どうして起こしてくれなかったの?」

「起こしたさ。でも君、スキャバーズみたいにぐっすりで、ピクリとも動かなかったぜ。昨日よく眠れなかったんじゃない?・・・まあ、僕もそうだけど」

 

 ロンが悪びれなくそう言うと、ハリーが「僕もだ」と返したので、三人揃って噴出した。

 

 イリスは改めて、菓子の山を見た。聞くところによると、ハリーのポケットマネーで車内販売しているお菓子を全種類少しずつ買い占めたらしい。ジェスコの食料品店売場でも見たことのない、不思議なものばっかりだ。イリスは一つ一つ手にとっては、しげしげと眺めた。バーティー・ボーンズの百味ビーンズ、ドルーブルの風船ガム、蛙チョコレート・・・などなど。

 

「イリス、全部食べていいよ。・・・これ何だい?」

 

 ハリーは蛙チョコレートの包みを取り上げた。

 

「まさか本物のカエルじゃないよね?」

「まさか。でも、カードを見てごらん。僕、アグリッパがないんだ」

「カードって何?」

「そうか、君たち、知らないよね・・・。チョコを買うと、中にカードが入ってるんだ。有名な魔法使いとか魔女とかの写真だよ」

 

 イリスはハリーと肩をくっつけあって、取り出したカードを見た。半月型の眼鏡をかけ、高めの鉤鼻、銀色の長い髪とひげを蓄えた老人の顔が、二人を見つめ返している。写真の下に『アルバス・ダンブルドア』と書いてあった。

 

「この人がダンブルドアなんだ!」

 

 ハリーとイリスの声がハミングした。ロンは二人がダンブルドアのことを知らないことにびっくりしていたが、そのうちハリーに許可をもらって蛙チョコの山を開封し始めた。二人は裏面の説明文を熱心に読み、カードを返すとダンブルドアの姿が消えていたので、ハリーが驚きの声を上げた。イリスは先ほど得たばかりの豆知識をハリーに教えてあげることにした。

 

「魔法界の写真は動くんだよ、ハリー。私もおばさんにお父さんとお母さんの写真をもらったけど、動いてたもん」

「え、君のお父さんとお母さんの写真?見せてよ」

 

 ハリーは、魔法の写真が動くことよりもイリスの両親に興味を示したようだった。ロンも開封作業を止めてやってきたので、イリスは懐中時計の蓋を開け、二人に写真を見せた。

 

「君、お母さん似なんだね」写真とイリスを交互に見て、ハリーが言った。

「パパとママは何してるの?」

 

 ロンの何気ない質問に、イリスは少しの間目を伏せ、ハリーは居心地悪そうに身じろぎした。

 

「私のお父さんとお母さんは、今はもういないんだ。私がまだ小さい頃に、その・・・『例のあの人』に・・・」

「ごめん、僕・・・」

「気にしないで。おばさんがいたから全然寂しくなんてなかったし。・・・それよりこれ何、百味ビーンズ?」

 

 慌てて謝ろうとするロンを制してイリスは明るい口調で言うと、湿っぽくなってしまった雰囲気を変えようと百味ビーンズの箱を手に取った。

 

 そのあと、三人はしばらく百味ビーンズを楽しんだ。イリスが食べたのは、わたあめ味、ほうれん草、ソーダ、梅干し、オレンジ、泥、最後においしそうなチョコレート味だと思って食べたら・・・イリスは口直しのために、かぼちゃジュースをまるまる一本開けてしまった。

 

 

 

 

 コンパートメントをノックして、丸顔の男の子が泣きべそをかきながら入ってきた。

 

「ごめんね、僕のヒキガエルを見かけなかった?」

 

 三人が首を横に振ると、男の子は「僕から逃げてばかりいるんだ」と言って、いよいよ本格的に泣きだした。ハリーが慰めると、男の子は「ごめんね」ともう一回謝ってから、落ち込んだ様子で出て行った。

 

「僕がヒキガエルなんか持ってたら、なるべく早くなくしちゃいたいけどね」

 

 それからロンはスキャバーズを黄色にするといって、トランクを引っ掻き回してくたびれた杖を取り出した。生魔法だ。イリスは急いでロンの隣に陣取った。二人が固唾を飲んで見守る中、ロンが得意げに杖を振り上げたとたん、またコンパートメントの戸が開いた。さっきの男の子が、今度は女の子を連れて現れた。

 

「誰かヒキガエルを見なかった?」

 

 年の割にえらそうな話し方をする女の子だった。ゆたかな栗色の髪に、少し大きな前歯が特徴的だ。「見なかったってさっきそう言ったよ」とロンが答えたが、女の子はロンの杖の方に興味をもったようだ。やがて女の子も魔法を見るために座り込み、ロンはたじろいだが、わざとらしく咳払いをしてからむにゃむにゃ呪文を唱えた。・・・が、何も起こらない。コンパートメント内にしらけた空気が流れた。

 

 女の子は、「その呪文、間違ってない?」という言葉を皮切りに、自分が練習のつもりで簡単な呪文を試してみたら、すべてうまくいったこと、自分は魔法族ではなくマグル生まれだということ、ホグワーツに行くのがとっても楽しみだということ、・・・おまけに教科書はすべて暗記していて、それでもまだ知識は足りないと思っていること、最後にハーマイオニー・グレンジャーという自分の名前まで一気に淀みなく言い切ってみせ、ツンと澄ました様子で三人の名前を聞いた。

 

 ただただ圧倒された三人がそれぞれ名前を言うと、ハーマイオニーは当然のようにハリーに興味を示した。

 

「三人とも、どの寮に入るかわかってる?私はグリフィンドールに入りたいわ。絶対いいみたい。・・・もうすぐ着くはずだから、三人とも着替えた方がいいわ」

 

 男の子を連れて、ハーマイオニーは颯爽と出て行った。

 

「君の兄さんたちってどこの寮なの?」

 

 ぶつくさ言いながら杖をトランクに投げ入れたロンにハリーが聞くと、ロンは「グリフィンドール」と答えて見るからに落ち込んだ。

 

「パパもママもそうだった。もし僕がそうじゃなかったら・・・。スリザリンなんかに入れられたら、それこそ最悪だ」

 

 イリスは心がざわつくのを感じた。スリザリン。自分の両親が入っていた寮だ。

 

「イリスの両親は、どこの寮だったの?」ロンは何とはなしに聞いた。

「・・・スリザリン」

「エッ、君のパパとママ、スリザリンだったの?!」

 

 ハリーとロンは思わず驚きの声を上げた後、イリスの両親の写真を思い出した。優しそうな微笑みを浮かべた二人は、とてもじゃないが闇の魔法使いには見えなかった。『例のあの人』に殺されたとも言っていたし。もちろん、イリスだってそうは見えない。

 

「スリザリンも全員が闇の魔法使いになるってわけじゃないみたいだし、君のパパとママは良い人だったと思うよ。それに君、全然スリザリンって感じしないけどな。優しそうだし、ぼんやりしてるし」

 

 ばつの悪そうな顔をしたロンが、イリスをまたも傷つけてしまったと思って慌ててフォローする。ハリーも寮の話から離れようと、話題を魔法使いの卒業後というテーマに変えた。そのうち話題はクィディッチへと代わり、いつの間にかイリスは夢中で聞き込んでいた。

 

 すると、またコンパートメントの戸が開き、男の子が三人入ってきた。イリスは真ん中の子が誰だかすぐにわかった。ダイアゴン横丁であったドラコ・マルフォイだ。ドラコはロンの影に隠れた格好になっているイリスに気づいていないようだった。強い関心を示した目でハリーを見ている。

 

「このコンパートメントにハリー・ポッターがいるって、汽車の中じゃその話で持ち切りなんだけど、それじゃ、君なのか?」

 

 ドラコは自分の両脇を固めている二人(両方がっちりした体形で、意地悪そうな笑みを浮かべている)を紹介したあと、ハリーに自分の名前を言った。ロンがくすくす笑いを誤魔化すかのように咳払いすると、ドラコがそれを見咎めた。

 

「僕の名前が変だとでもいうのかい?君が誰だか聞く必要もないね。パパが言ってたよ。ウィーズリー家はみんな赤毛で、育てきれないほど子供がいるってね」

「ドラコ、そんな言い方ないよ!」

 

 あんまりな言い方に、イリスは立ち上がって抗議した。ハリーとロンは、マルフォイをファーストネームで呼んだイリスを、ぎょっとした目つきで見た。ドラコはイリスに初めて気が付くと、眉をひそめてこう言った。

 

「イリス、どこにもいないと思ったらそんなところにいたのか。なぜ僕のコンパートメントに来なかったんだい?あの時、僕は君に色々教えると言っただろう。さあ、一緒に来るんだ」

 

 ドラコが目配せすると、クラッブとゴイルがイリスに向かって一歩踏み出したが、ハリーとロンがすぐさま立ち上がって間に入る。「行かせないぞ!」ロンが威嚇したが、ドラコは動じなかった。

 

「どけよ、赤毛のウィーズリー。彼女はお前なんかじゃなく、僕といるべきなんだ。

 ・・・ポッター君、魔法族にも家柄の良いのと、そうでないのとがいる。間違ったのとは付き合わないことだ。僕が教えてあげるよ」

 

 ドラコはハリーに手を差し出して握手を求めたが、ハリーは応じず、冷たくドラコの誘いを断る文句を言い放った。

 

 

 ハリーたちとドラコたちは、売り言葉に買い言葉の応酬の末、今にもお互いに殴りかからんばかりに気が立っていた。

 

 一方、蚊帳の外のイリスは、全身に汗をびっしょりかき、ハリーの後ろでおろおろとしながらパニック状態に陥っていた。おっとりとした気質の彼女にとって、喧嘩や言い争いは世界で一番苦手で嫌いなものと言っても過言ではない。

 

 一触即発状態のこの場をまるく治めるためにどうすればいいのか、必死に考えていると、ふと未開封の百味ビーンズの箱が目に入った。イリスの脳裏に、ハリーたちと楽しく盛り上がった記憶がよみがえる。イリスは百味ビーンズの箱を掴んで、無我夢中でハリーたちとドラコたちの間に割って入った。

 

「ほらほら、みんな!喧嘩しないでさ、百味ビーンズの味当て合いっこゲームでもしようよ!色んな味があって面白いよ!」

 

 

 白々しい空気が流れた。誰も百味ビーンズに見向きもしなかった。ハリーに「君は後ろにいて!」と片手で押しやられ、窓際に追いやられたイリスは、窓の外に流れる穏やかな景色を眺めた。

 

 外の世界は平和でいいなあ。イリスは思った。イリスがわずかな時間、現実逃避している間にも、ハリーたちの言い争いは激化し、ついに爆発寸前まで来てしまった。

 

「僕たちとやるつもりかい?」ドラコが馬鹿にしたようにせせら笑い、「いますぐ出ていかないならね」とハリーが返す。

 

「出ていく気分じゃないな。ここには食べ物もあるし、イリスもいる。出ていくのは君たちの方だろう?」

 

 不意にゴイルが恐ろしい悲鳴を上げた。・・・なんと、ぐっすり眠りこけていたはずの、ねずみのスキャバーズが指にくらいついていたのだ。ゴイルは悲鳴を上げながら、スキャバーズをぐるぐる振り回し、やがて窓に叩きつけたあと、三人とも足早に退散していった。

 

 イリスは慌ててスキャバーズを助けに行った。両手ですくうように持ち上げたスキャバーズをロンが覗き込む。

 

「スキャバーズ、大丈夫かなあ?ノックアウトされちゃったみたい」

「ちがう・・・驚いたなぁ。また眠っちゃってるよ」

 

 あれほど強い力で窓に叩きつけられたはずなのに、スキャバーズは何食わぬ顔で本当に気持ちよさそうに眠っていた。三人はほっとして、床に散らばる菓子を片付け始めた。

 

「君、マルフォイと友達なの?」風船ガムの包み紙を丸めながら、ハリーがイリスに聞いた。

「うん・・・」

 

 イリスはハリーとロンに、ダイアゴン横丁で会った話をした。ルシウスと自分のお父さんが友達だったこと、そしてクリスマス休暇に誘われていること。

 

「悪いことは言わない、あの家族と付き合わない方がいいよ。僕、あの家族のことを聞いたことがある。

 

『例のあの人』が消えた時、真っ先にこっち側に戻ってきた家族の一つなんだ。魔法をかけられたって言ってたらしいけど、僕のパパは信じないって言ってた。マルフォイの父親なら、闇の陣営に味方するのに特別な口実はいらなかったろうって」

 

 ロンの忠告を聞いて、イリスは暗い気持ちになった。ドラコとも、きっとハリーやロンのように良い友達になれると思ったのに、彼はよく知りもしないロンを家柄だけで蔑み、自分の言うことを聞かないハリーを敵視した。もしルシウスが、ロンの言う通り本当に悪い魔法使いだとしたなら、彼が友達だと言っていた自分の父は、一体どんな人だったんだ?イリスは、いつの間にか、また来ていたハーマイオニーとロンが言い争っていても、上の空だった。

 

「着替えるから出て行ってくれないかな?」

 

 ついに耐えかねたロンが、ハーマイオニーにしかめっ面で言い放つと、ハーマイオニーは小馬鹿にしたような声でロンに何か言い返してから、中に入って来てイリスの手を取った。

 

「あなた男の子みたいな恰好してるけど、女の子でしょ?私のコンパートメントで着替えたら?」

 

 そう言って、イリスがまだうんともすんとも言わないうちに、イリスの着替えの入った袋(すぐ着替えられるようトランクの上に出していた)を勝手に持ち出し、イリスの手を引いてコンパートメントから出ようとして、振り返った。

 

「あなたの鼻、泥がついてるわよ。・・・ここにね」

 

 ロンのハーマイオニーに向けた怒りの目線をひしひしと背中に感じながら、イリスは窓の外を見た。ホグワーツにまだ着いてもいないのに、イリスはもう日本へ・・・イオのところへ帰りたくなっていた。汽車は徐々にその速度を落とし始めていた。


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