ハリー・ポッターと虹の女神   作:セバスチャン

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※R-15的な表現、残酷な表現、人を不快な気分にさせる恐れのある表現が含まれます。ご注意ください。
※8/15 文章微調整完了致しました。


Page15.従者は主と共に

 グリフィンドール対ハッフルパフの試合は、突如として現れたマクゴナガル先生によって、急遽中止となった。観客達の野次や怒号――取り分けグリフィンドールチームのキャプテン、オリバー・ウッドの魂の叫び――にも負けず、マクゴナガル先生は紫色の巨大なメガフォンで『全生徒はすぐに各談話室へ戻るように』と厳命した。そしてハリーと、人込みを押し分けて彼の近くまでやって来たロンを引き連れて、医務室へ向かった。

 

「・・・少しショックを受けるかもしれませんが」

 

 医務室の扉の前まで来た時、マクゴナガル先生は二人に向け、驚く程の優しい声で言った。

 

「また襲われました。・・・ミス・ゴーントを頼みます」

 

 ハリーは五臓六腑が全てひっくり返ったような気がした。『また襲われた』『イリスを頼む』この二つの言葉から連想される事態は、たった一つ(・・・・・)しかない。――”ハーマイオニーが襲われたのでは?”ハリーの頭はたちまち恐ろしい考えで満たされ、心臓がとんでもなく不規則なリズムで鼓動を打ち始めた。思い返せば、朝一番に「図書室に行く」と言った切り、彼女の姿を見ていない。先生は静かに扉を開け、二人は中へ入った。

 

「ハーマイオニー!」ロンが呻き声を上げた。

 

 ハリーの恐れは現実になった。ハーマイオニーはベッドに横たえられた体勢のまま、ピクリとも動かず、ロンの呼びかけに身動きもしない。見開かれたままの瞳は、硝子玉のようだ。そしてベッドの傍では、イリスがハーマイオニーの服の端を握り締め、弱々しく泣きじゃくっていた。

 

「三階の女子トイレの近くで発見されました。・・・ミス・ゴーントが第一発見者です」

 

 ――何て残酷な。ハリーとロンは息を飲んだ。二人は親友だった。イリスは只でさえ、ここ最近の”物騒な事件”続きで体調を崩して情緒不安定になっているというのに――石になった親友を見つけた時、彼女はどんなにショックを受けただろう。ハリーとロンは思わずイリスに近寄り、慰めた。

 

「イリス。大丈夫だよ。マンドレイクももうすぐ刈り取れるし、すぐ元気なハーマイオニーに会えるさ」ロンが涙ながらに囁いた。

 

 イリスは泣き腫らした目でロンを見上げ、微かにこくんと頷いた。一方のハリーは、改めてハーマイオニーをじっと見つめた。――彼女は三人にとって、かけがえのない親友だった。彼女をこんな目に遭わせるなんて。ハリーの心の中で”継承者”に対する怒りと憎しみが湧き上がり、グラグラと全身の血が沸騰するような錯覚さえ覚える。

 

「ごめんよ。ハーマイオニー」

 

 ――君の事を守れなかった。彼女は一人ぽっちで怪物に襲われた。どんなに怖かっただろう。ハリーは歯を食いしばり、熱い涙を零しながら、ハーマイオニーの冷たい手を握った。

 

 その時、ハリーはふと違和感を感じ、思わず手を離した。彼女の手は、ギュッと固く握り締められている。その指の間に、紙の切れ端のようなものが覗いていた。ハリーがもっとよく見ようと目を凝らした時、マクゴナガル先生が二人に話しかけた。

 

「二人共、これが何だか説明できないでしょうね。先程ミス・ゴーントにも聞いたのですが、分からないと。彼女の傍の床に落ちていました」

 

 マクゴナガル先生は、ハーマイオニーの私物であろう小さな丸い手鏡を持っていた。二人は見当もつかず、首を横に振る。マクゴナガル先生はため息をつき、手鏡をハリーに持たせ、三人をグリフィンドール塔まで自ら送っていく旨を告げた。

 

 

 ハーマイオニーが襲われた事で、ホグワーツはいよいよ厳戒態勢となった。全校生徒は、夕方六時以降は各寮の外へ出る事を禁じられた。授業だけでなく用を足す時でさえも、先生に付き添ってもらう事が絶対条件となった。クィディッチの練習や試合、クラブ活動も無期限の延期だ。抑圧から来る不満、”継承者”への恐怖や不安を、それぞれの心の内に押し込めて、生徒達は辛うじて日常を歩み続けていた。

 

 「呪文学」の授業の後、フリットウィック先生の引率に従い、みんな一列になって「薬草学」のクラスへ向かっていた。その時、イリスが急に下腹部を撫でながら、もじもじとし始めた。

 

「どうしたんだい?」後ろでその様子を見ていたハリーが尋ねる。

 

 イリスは恥ずかしげに顔を赤らめ、小さな声で「トイレ」と言った。トイレに行くには先生の引率が必要だ。ハリーの後ろを歩いていたロンが、他に一緒に行きたい女生徒はいないか同級生達に確認していると、何時の間にかスネイプがすぐ傍に立っていた。

 

「吾輩が引率しよう。他に行きたい者は?」

 

 女生徒達のちらほらと上がりかけた手は、スネイプを見るなりすぐに引っ込んでいった。ハリーがウッと呻いた。スネイプはフリットウィック先生に事情を話しながら、チラリと周囲を見渡し、イリス以外に誰もトイレに行きたくない(と、スネイプと一緒に行きたくないが為に、装っている)事実を確認する。

 

 ハリーとロンは目配せをした。――数ヶ月程前から、毎週金曜日に行われるイリスの「魔法薬学」の補習授業は、彼女の状態を案じたマダム・ポンフリーの指示で『一時中止』となっていた。いくらイリスがスネイプを慕っているとは言え、今の精神的に弱り切った状態の彼女と、陰湿陰険で有名なスネイプとを、暫く振りに二人切りにしてしまうのは色々と不味い気がしたのだ。

 

「先生、僕もトイレに」「僕もです」

 

 ハリーとロンは手を挙げて主張するが、スネイプは唇の端を歪めて冷たく拒絶した。

 

「君達も”女子トイレ”で用を足すのかね?・・・ではゴーント、来たまえ」

 

 スネイプは、その直後にロンの吐いた小さな悪態をしっかり減点してから、戸惑うイリスの手を引っ張り、廊下を歩み去って行った。

 

 

 イリスは次の授業の教室へ向かうため、スネイプと共に三階の廊下を歩いていた。生徒達の自由な行動を禁止した今、廊下には二人以外誰もいない。石になったハーマイオニーが発見された「嘆きのマートル」のトイレを通過しようとした時、スネイプはイリスの手をおもむろにグイと掴み、彼女をその中へと連れ込んだ。

 

 突然の強行に驚き、息を飲むイリスの両肩を掴み、壁に押さえつける。獲物を捕食する蝙蝠のようにスネイプはイリスへと覆い被さり、杖を向けた。怯えるイリスの青い瞳と真剣なスネイプの黒い瞳が交錯する。

 

「開心、レジリメンス」

 

 スネイプは『開心術』を使い、イリスの中へ侵入した。その美しい瞳を通り抜け――頭の中を満たし――首から下へ降り――暖かく脈打つ心臓を撫で――そしてその奥の、イリスの心の中へと――

 

 スネイプはあっという間にイリスの心の世界へと到達した。――そこは、深い暗闇がどこまでも続くばかりの寂しい場所だった。突然の侵入者を警戒したイリスの防衛本能が、闇の奥底で彼に牙を剥く。

 

 しかし、歴戦の魔法使いであるスネイプの方が上手だ。『全ての記憶を差し出せ』――彼が力を込めてそう命じると、彼女の心はたちまち彼を受け入れ、彼がイリスの記憶を見るのに一番適している形へと変わっていく。

 

 イリスの心の世界はやがて、暗闇からシンプルな廊下へと姿を変えた。床も壁も天井も一面、柔らかな乳白色で統一され、全体的に清らかな雰囲気が漂っている。その中で一人仁王立ちする黒装束のスネイプは、一際目立っていた。左右の壁にはそれぞれ等間隔に、大きな円形の硝子窓がズラリと並んでいる。彼女が誕生してから現在に至るまでの様々な記憶が、その窓の中に一つ一つ封じ込められているのだ。

 

 スネイプは廊下をゆっくりと進んでいく。

 

 彼はイリスが生まれたばかりの記憶の窓の前で立ち止まり、中を見つめた。――ネーレウスとエルサが、小さな赤子を慈しんでいる。薄く透明な硝子一枚を隔ててすぐ近くに、かつての友人がいる。零れんばかりの笑顔を浮かべたネーレウスは、エルサの抱く赤子の柔らかな頬を突っついた。窓を開ければ、二人の楽しげな声も聴く事が出来るだろう。だが、スネイプはそうしなかった。ネーレウスが、エルサから赤子を愛しげに抱き上げた拍子に、此方を向きそうな気がして——スネイプは静かに視線を外し、次の窓へと向かった。時には杖を振るって窓を開き、中を覗き込んで、確認する作業を繰り返す。

 

 長い時間を掛け、全ての記憶の窓を覗き終えたスネイプは、顎に手を当て思案する。何も不審に思うものは見当たらない。彼がイリスに疑念を抱き、強引に『開心術』を使ってまで彼女の記憶を盗み見ようと決断したのには、理由があった。

 

 それは『決闘クラブ』での”彼女の作法”だった。その流麗で上品な動作は、かつて彼が心酔した”闇の帝王”に酷似していたのだ。それを”ただの偶然だ”と片付けてしまう事は、イリスの素性を知るスネイプには出来なかった。

 

 そう、彼は知っている。イリス・ゴーントが”闇の帝王”の血縁者であり、帝王の”従者”の後継者だという事を。”スリザリンの後継者”なら、彼女がホグワーツ中で一番相応しい人間だという事を。

 

 

 スネイプの旧友、ルシウス・マルフォイは、ネーレウスの忘れ形見であるイリスに執心していた。彼が十年越しにイリスを見つけた時の狂喜振りを、スネイプは今でも克明に思い出す事が出来る。友人として、そして”元死喰い人”同士としてルシウスと会う度に、彼はホグワーツでのイリスの様子を聞きたがった。ルシウスはやっと手中に収める事の出来たイリスを深く愛していた。しかし同時に、スリザリンの血族者である自覚がなく、”血を裏切る”行為を平然と積み重ねる彼女に、激しい怒りと憎しみを抱いてもいた。

 

 彼は”不誠実”と謳われるマルフォイ家の当主に相応しい男だ。狡猾で執念深く、野心に溢れ、油断ならない。また、彼は自分の手よりも、人を使って事を成す――いわゆる”黒幕”の立場を好む。

 

 スネイプの懸念は的中した。二年の夏、イリスはマルフォイ家に連れ去られた。そして新学期が始まって間もなく”秘密の部屋”が開かれ、解き放たれた”怪物”が次々と犠牲者を喰らい始めた。

 

 スネイプはすぐさまイリスに疑念を抱き、ダンブルドアに進言し、秘密裏に行動を開始した。だが、イリスはまるでスネイプを挑発するかのように――体調を崩したり、成績を急上昇させたり――日々沢山の変化を見せてくれるものの、”スリザリンの継承者”を彷彿とさせるような怪しい行動は、どんなに彼が注意深く追跡しても、一向にしでかさなかった。

 

 『凶器の杖が彼らの指紋だらけでも、犯行現場に彼らの姿があることは決してない』マルフォイ家はしばしば、彼らの本性をよく知る者達に、こういう言い回しをされる事がある。

 

 今のイリスは、スネイプ達にとって『凶器の杖』そのものだった。明らかにルシウスが絡んでいると分かっているのに、決定的な証拠がないのだから、圧倒的な有権者である彼を尋問する事など出来ない。下手に噛み付けば、まともに彼とやり合う羽目になる。ダンブルドアとスネイプは苦汁を飲まされ続け、イリスは日を重ねる毎に、彼らの目の前で哀れな程に弱り果てていく。

 

 最早一刻の猶予もないと、本来なら生徒に対する使用が禁じられている『真実薬』を飲ませようとした矢先、何者かによって保管庫と研究室が再び荒らされ、貴重な材料や薬瓶ごと盗まれてしまった。ならば『開心術』を掛けようと決意した次の日、イリスとの唯一の接点であった「魔法薬学」の補習授業がマダム・ポンフリーの進言により、一時取り止めとなってしまった。

 

 誰かがスネイプの目論見を全て事前に察知し、巧みに妨害しているとしか思えなかった。

 

 さらに悪い事は続くもので、グリフィンドール二年生のハーマイオニー・グレンジャーが怪物に襲われた日から、ホグワーツは今まで以上の厳戒態勢を敷く事となった。スネイプはついに独断の強行手段に出た。イリスと合法的に二人きりになれる方法は、もう”引率時”しかなかったのである。

 

 ――だが、収穫は思わしくなかった。彼は忌々しげに舌打ちをする。彼女の記憶の中では、『決闘クラブ』のあの作法は、”ロックハートに多大な影響を受けた友人・グレンジャーから教えてもらった”という事になっているし、彼女の成績がここ最近で急上昇した原因も、”彼女の与えたスケジュール表である”という事になっている。

 

 彼女の体調不良や精神不安の原因も、”スリザリンの継承者”が巻き起こす事件を憂いてのストレスだとされている。実際、ひと月ほど前にマダム・ポンフリーが聖マンゴの癒者を呼んで、念入りに彼女を看てもらったが、何か呪いや魔法の類を受けていた形跡は見られなかった。下された診断は”ストレスによる慢性的な体調不良と精神不安”――何も不審な点はない。そう、彼女は完璧にクリーンなのだ。疑っている者達を嘲笑うかのように。

 

 

 それは当然の事だ。今や、イリスの支配者はイリス本人ではない――リドル(・・・)だ。彼は、イリスを案じるスネイプの存在をとうに見抜いていた。そしてあらゆる対策を練り、実行した。

 

 イリスの記憶もその一つだ。リドルにとって不都合な記憶は全て、眠らせた本物のイリスの心と一緒に、廊下の突き当りである壁に偽装した”一番奥の部屋”に、強力な隠蔽の魔法を何重にも掛けた上で閉じ込めていた。イリスの心の世界に単身忍び込んだ余所者のスネイプと、今や彼女の身も心も魔法力も支配し、思うままに消費できるリドルとでは、ここにおいては優位性が違い過ぎた。

 

 ――やはり、手を打つのが遅すぎたか。スネイプは唇を噛み締めた。かくなる上は、ルシウスと刺し違える覚悟で真実を問い詰めるか――だが、スネイプには果たさなければならない”使命”がある。

 

 ともあれ、余り長い時間いては、彼女の弱った体に悪影響を与える恐れがある。スネイプは一先ず『開心術』を切り上げようと、意識を現実世界へ向けた。

 

「――セブルス」

 

 ふと柔らかな声で名前を呼ばれ、スネイプは凍り付いたように、全ての動きを止めた。この声は間違いない――ネーレウスのものだ。自身の追憶から来た幻聴か、それともイリスの記憶の綻びか。訝るスネイプは声のした方向へ視線を向ける。そこは、廊下の突き当りである壁だった。

 

 ――ジジッ。微かにそこでノイズが走った。よく観察していなければ分からない程、微々たるものだ。見極めようと一歩踏み出した足が、バシャリと水音を上げた。

 

 驚いて足元を見ると、床一面が何時の間にか水浸しになっている。水は、天井の両隅から染み出しているようだった。滝のように流れ、壁を伝い落ち、見る見るうちに水位を上げていく。水は氷のように冷たく、足元からじわじわと、スネイプのただでさえ低い体温を引き下げていく。

 

 ここは「嘆きのマートル」が住むトイレだ。その事実に気づいたスネイプは直ちに『開心術』を解除し、イリスの心の世界から浮上した。

 

 

 スネイプが現実世界へ戻ると、マートルがいつものように癇癪を起こして、周囲一帯の床を水浸しにしていた。その被害をまともに受け、意識を一時的に失ったイリスと、彼女を抱き寄せて床に座り込んだような体勢になっているスネイプの下半身は、びしょ濡れになってしまっている。恐らくこの状況が彼女の心の世界に影響を及ぼし、あのようなイメージになったのだろう。

 

 彼はイリスに『忘却術』を掛け、先程までの記憶を”歩いている途中に、不意に眩暈がして気を失った”というものに置き換えた。彼が静かに見つめる中で、イリスの長い睫毛が微かに揺れ、ゆっくりと青い瞳が開く。彼女はスネイプを見て狼狽し、弱々しく謝った。

 

「先生・・・あ、す、すみません・・・私・・・」

 

 スネイプは、じっとイリスを見つめた。腕の中で、青白い顔をこわばらせ、彼女もスネイプを見つめ返す。――先程のノイズと友人の声が気になるが、彼女の体力はもう限界だ。もう一度『開心術』を掛ける事は出来ない。スネイプは黙ってイリスを抱き上げると、トイレから出た。杖を振ってお互いの濡れた衣服を乾かすと、イリスを次の授業の教室の前へと導いた。

 

「早く入りなさい」

 

 スネイプは冷たくそう言い放ち、ローブを翻し、自身の研究室目指して歩き去った。――イリスがその背中に向け、侮蔑的な笑みを投げかけている事にも気づかずに。

 

 

 グレンジャーが”継承者”に襲われた。

 

 ドラコはその事実を寮監であるスネイプから他のスリザリン生達と一緒に聞いた時、全身の血の気が見る見るうちに引いていくのを感じた。――グレンジャーは、イリスの親友だった。

 

「あの頭でっかち、いい気味だわ」

 

 パンジーがこれ見よがしに言い放つ。スリザリンは、彼女と同じように”純血”の生徒が多い。彼らにとって今回の”継承者”が巻き起こす事件はあくまで他人事であり、恐怖心や不安感を抱いている者は余りいなかった。しかし、素知らぬ顔で彼らに迎合する”半純血”や”マグル生まれ”の生徒達は、内心では”継承者”に対して底知れない恐怖を感じていた。

 

 その中で、誰よりも”純血”を誇っていた筈のドラコ・マルフォイが”継承者”に恐怖し、青白い顔で黙りこくっているという光景は、一部のスリザリン生の興味を引いた。ノットが薄笑いを浮かべて、ドラコに尋ねる。

 

「マルフォイ、何をそんなに怯える必要があるんだ?僕らは”純血”だ。それも、君のご先祖が調査した『聖28一族』に選ばれる程のね。”継承者”に襲われるのは”穢れた血”だけだ。何も不安がる事はないじゃないか」

 

 ドラコは嫌味なノットの言葉にも反応せず、談話室の椅子に腰掛けたまま一言も喋らなかった。

 

 ――ミセス・ノリスが襲われ、ドラコが逃げ出したあの日から、今に至るまで、ドラコは誰にも真実を告げず沈黙を貫き通していた。否、そうせざるを得なかったのだ。全ての人間が、自分の命を危険に晒してまで他者を助ける事の出来る強さを持てる訳ではない。

 

 あの時のイリスの金色の目は、ドラコに対する明確な殺意に溢れていた。――その目は”死の恐怖”そのもの――首元に当てられた鋭い刃、額に突き付けられた銃口と同じだ。彼はそれに射竦められ、萎縮してしまったのだ。だが、彼が迷っている間にもイリスは”継承者”としての任務を遂行し、犠牲者は次々と物言わぬ石像に成り果てていく。

 

 ふと、物思いに沈むドラコの視界の端に、黒いローブが映った。薬草の微かな匂いが鼻腔をくすぐる。ドラコが緩慢な動作で視線を上げると、スリザリンの寮監であるスネイプがすぐ傍に立ち、昏い瞳で彼を見下ろしていた。

 

「何でしょうか、先生」

 

 ドラコが怪訝な声で尋ねると、スネイプは一切表情を変えず、静かにこう言った。

 

「マルフォイ。何か、吾輩に言いたい事はないかね。どんな些細な事でも、取るに足らない悩み事でも構わない」

 

 ドラコは言葉の意図が掴めず、乾燥した唇を舐め、スネイプを見つめたまま考え込んだ。――何故、先生が僕にそんな事を聞くんだ?僕の体調が思わしくないからか。それとも――。

 

 ――ドクン。ふとイリスの顔がドラコの脳裏に浮かび、彼の心臓が不規則に脈打ち始める。――”まさか先生は、イリスの事を言っているのか?”――先生は父上と友人だし、イリスと僕が親密な関係にある事も知っている筈だ。まさか、彼女が犯人だと勘付かれている?動揺を悟られぬよう、平静を装ってスネイプを見上げると、彼の底知れない黒い瞳がキラリと光ったような気がした。

 

「何を仰りたいのか、わかりません」

 

 ドラコは掠れた声で否定するが、スネイプはやおら彼の足元にしゃがみ込むと、怯えるドラコの瞳をじっと覗き込んだ。

 

「”君の父上の友人”としてではなく、”ホグワーツの一教師”として、もう一度君に問おう。君も、”ホグワーツの一生徒”として、私に何か伝えておくべき事はないかね」

 

 スネイプの暗く淀んだ瞳から、何か異質なものが自分の中に入り込んでくるような気がして、身の危険を感じたドラコは思わず目を逸らした。ドラコは沈痛な声で小さく呟いた。

 

「何もありません」

「・・・そうかね。ならばいい」

 

 その時のスネイプの声は、ドラコに対する明らかな失望に満ちていた。彼は此方を見ようともしないドラコを一瞥すると、談話室の扉を開いて去って行った。

 

 

 夏は知らぬ間に城の周りに広がり、陽気な光を振り撒いていた。空も湖も抜けるような明るいブルーに変わり、様々な花が温室で咲き乱れていた。しかし、陽気なのは外だけで――城の中は、収集が付かない程に滅茶苦茶になっていた。

 

 禁じられた森の番人、ルビウス・ハグリッドは、五十年前の”秘密の部屋”事件を蒸し返され、今回の事件との関与性を疑われてアズカバンへ連行された。そしてホグワーツの校長、アルバス・ダンブルドアは、彼に敵意を抱くルシウス・マルフォイの姦計に嵌まり、ホグワーツを追放されてしまった。

 

 ダンブルドアがいなくなった事で、ホグワーツ全体に恐怖感が犇めいた。誰も彼もが心配そうな、不安に満ちた顔をして過ごしていた。夏の明るい雰囲気に感化された誰かが面白いジョークを言って、周りのみんなが笑っても、その声はたちまち廊下に甲高く響き渡ってしまうので、すぐさまみんな青白い顔を見合わせ、声を押し殺してしまうのだった。

 

 ある日の「薬草学」の授業の帰り、スプラウト先生の先導でドラコは他のスリザリン生達と二列に並び、次の授業の教室へ繋がる廊下を歩いていた。その時、ふと視界の端に何かが見えたような気がして、ドラコはそちらへ目をやり、息を飲んだ。

 

 イリスだ。ふらふらと覚束ない足取りで彼女は一人、スリザリン生の列と擦れ違い、廊下の角を曲がり、消えた。誰も――スプラウト先生でさえも――不自然な程に、擦れ違った筈のイリスには気づかない。生徒の単独行動は禁止されている筈なのに。

 

 ドラコは靴紐を結び直す振りをしてその場にしゃがみ込んだ。淀みなく進み続ける列の最後尾に合流し、徐々に後退して――誰も自分を振り向かない事を確認すると、くるりと踵を返し、イリスを見つけるために駆け出した。

 

 イリスはすぐに見つける事ができた。人気のない渡り廊下を、壁に手を伝わせながら、まるで夢遊病者のようによろよろと歩き続けていた。――明らかに正気の状態ではない。

 

「イリスっ、何をしてるんだ!生徒の単独行動は禁じられてるだろう!」

 

 ドラコはイリスの目の前まで駆け寄ると、彼女の両肩を掴み、揺さぶった。――彼女の目が”あの時のように”金色ではなかった事に、ドラコは心底ホッとした。だが、イリスの青い瞳はもう何も見ていなかった。彼女はわずかに首を傾げ、囁くような声で信じられないような言葉を言い放ったのだ。

 

「あなた、だれ?」

 

 目的を果たしたリドルによって、再び自分の体に戻されたイリスは、もう既に正気を失いかけていた。

 

 ――ドラコは絶句した。パクパクと口を動かすが、言葉は一向に出てこない。イリスは彼のその様子を、じっと興味深げに見つめている。

 

『君は僕の友達じゃないか』

 その場を取り繕おうとするドラコの心の声に逆らうように、もう一つの声がそっと囁いた。

『僕は彼女を見捨てた。友達なんて言えるのか?』

『僕は君を愛しているんだ!』

『僕は彼女を助けなかった。助けられたのに。これでも君を愛してるなんて言えるのか?』

『違う!僕は悪くない!』

 ドラコの声がみじめに泣き叫んだ。

『父上が悪い!彼女を操る何者かが悪い!ポッター達が悪い!スネイプが悪い!ダンブルドアが悪いんだ!僕は何も悪くない!僕は巻き込まれただけなんだ!』

 感情の限りに捲し立て、息を荒げる声に、静かにもう一つの声が答えた。

『・・・違う。悪いのは僕だ。僕だけが真実を知っていた。なのに、僕は行動しなかった』

 

 ドラコの厚く塗り固められた虚栄の壁が、音を立てて崩れ落ちていく。その中に守られていたのは、年相応の小さな臆病な男の子だ。その子は死の恐怖に囚われ、罪悪感に苛まれて一人ぽっちで震えて泣いていた。ドラコの心の中で様々な思いが鬩ぎ合い、それは言葉ではなく涙となって、薄いグレーの瞳から伝い落ちていく。イリスは眉を顰め、そっと彼の頬を労しげに撫でた。

 

「どうして?かなしいの?」

「イリス・・・ぼ、僕は・・・っ」

「なかないで」

 

 イリスはドラコの涙を指で拭うと、”何も心配する事はない”とでも言うかのように柔らかに微笑んだ。そして体力が尽き果てたのか、眠るように気を失った。

 

 ドラコはイリスの体を搔き抱いて、慟哭した。最初に抱き締めた時よりも、彼女はずっと小さくやせ細っているように思えた。

 

 自分が惨めでたまらなかった。こんなにやつれ果てても、正気を失っても、イリスは優しい心を失っていない。それなのに、僕は――。やるせなく足元を見下ろしたドラコは、ふと彼女の傍の床に、あの”黒い革表紙の日記帳”が落ちている事に気が付いた。彼の頭は瞬間湯沸かし器のように、怒りの感情に煮え滾り、無我夢中でそれを遠くへ蹴り飛ばした。

 

「感心しない行為だな。ドラコ・マルフォイ」

 

 不意に涼しげな声が、頭上からドラコに投げかけられた。驚いた彼が思わず見上げると、見慣れぬ上級生が一人、悠然と彼を見下ろしている。――ゴーストのように半透明で儚げなその体からは、有無を言わせぬ無言のプレッシャーが放たれていた。

 

「お前は、誰だ」

 

 気圧されたドラコが掠れた声で詰問すると、彼は冷笑した。

 

「”お前”とは、随分なご挨拶だ。口を慎みたまえ。君は”闇の帝王”の御前にいるのだぞ」

 

 ――”闇の帝王”?ドラコの心臓が、ドクンと音を立てた。ドラコは自分の父の、秘められた”もう一つの姿”を知っている。父はかつて”闇の帝王”に忠誠を捧げた”死喰い人”だった。このゴーストのような青年が、”闇の帝王”だとでもいうのか?

 

「・・・陛下・・・」

 

 その時、ドラコの腕の中から、か細い声が聴こえた。いつの間にか意識を取り戻していたイリスが、懸命に青年を見上げている。その瞳から、ポロリと涙が一粒零れた。

 

「お願いです・・・ドラコを、傷つけないで・・・」

 

 ドラコは言葉を失い、ただイリスを見つめた。青年は呆れたように笑う。

 

「ああ、イリス。我が従者。全く、君は『動くものなら何だって助けたがる』性分なのか?

 ドラコ・マルフォイは、我が身可愛さに、君を何度も見捨てた。君を友達とも思っていないようだ。そんな彼を、君は何故助けようとする?」

 

 イリスは哀願するように、じっと真っ直ぐに青年を見つめた。

 

「たとえ彼が、私のことをそう思っていなくても、私は・・・思っています。だから・・・」

 

 ドラコの双眸から、熱い涙が零れ落ちた。――彼女は僕にまだ友情を抱いてくれている。対する青年の眼光は蛇のように鋭くなったが、すぐに元の穏やかな表情へ戻る。

 

「イリス、安心しなさい。僕は最初から彼を傷つけるつもりなどないよ。どの道、彼を逃がしたところで、この臆病者は何もできやしない。君は少し眠るんだ」

 

 イリスは素直に涙の痕の残る瞳を閉じ、深い眠りに落ちた。イリスをしっかりと抱き締めているドラコを不快そうに睨み付け、青年はさっきとは打って変わって冷たく蔑んだような声でこう言い放った。

 

「君は彼女に劣情を抱いているな。主たる僕に、何の断りもなく」

 

 それはまるで――イリスが一人の人間ではなく、自分の愛玩犬であるかのような言い方だった。そしてその愛するペットに勝手に交尾を迫った野良犬を見るような侮蔑的な視線を、青年は今、ドラコへ向けていた。

 

「しかも君は、僕とイリスの関係を二度も(・・・)邪魔した。本来ならば、君をこの場で殺害するべきなのだろうが・・・まぁいい。イリスと君の父親の働きに免じて、特別に許してやろう。

 かといって、このまま野放しにしておくのも面白くない。僕と取引をしないか?」

 

 青年は、愛想良い微笑みを浮かべた。――”取引”?ドラコは思わず、全身の毛が逆立つような感覚に囚われた。

 

「なあに、簡単なことさ。”秘密の部屋”は、もう間もなく再び閉じられる。その時まで君は今まで通り、その臆病な口を閉ざしていたらいい。そうしたら、君に『イリスとの子を成す権限』を与えよう」

 

 ドラコは頭が真っ白になり、茫然と青年を見つめた。青年は愉快そうに笑みを深めた。

 

「君は”純血”だ。彼女の伴侶となるに相応しい資格を、生まれながらにして持ち得ている。

 君は彼女を愛しているんだろう?彼女と愛し合いたいんだろう?」

 

 次の瞬間、青年は姿を消し、不意にドラコの腕の中でイリスがその双眸を開いた。――その瞳は、邪悪な金色に染まっていた。

 

「君の選択は二つだ。あともう少し沈黙を貫き、イリスを名実共に自分の妻として迎えるか。――愚かにも”闇の帝王”に叛逆し、最も惨い方法で殺されるか。

 賢明な行動を期待しているよ。何せ君は僕と同じ、狡猾で利口なスリザリン生だからね」

 

 イリスは青年の口調でそう告げると、その場から立ち上がり、悠然と去って行った。

 

 

 ドラコは、暫くの間、動く事が出来なかった。――イリスの体の温もりを、今でも覚えている。愛らしくてたまらない単純で素直な性格。あどけなく舌足らずな高い声。少し子供っぽく甘い香り。絹のように滑らかな肌。黒檀のように美しい髪。宝石を嵌め込んだような瞳。その全てを手に入れたいなら、”闇の帝王”を名乗る青年の言う通り、あともう少し黙ったままでいればいい。屋根の外を、夕立の雨が降り注いでいく。

 

『ドラコー!がんばれーっ!』

 

 不意にイリスの掛け声が聴こえた。”あの時”――クィディッチの初試合の時、迷っていた自分に掛けてくれたものだ。ドラコが弾かれたように視線を向けると、クィディッチの観客スタンドにイリスがいた。びしょ濡れになるのも構わずに、渡り廊下の真ん中で立ち竦むドラコに向け、一生懸命声援を送っていてくれている。

 

『あきらめちゃダメ!夢だったんでしょ!』

「イリス・・・っ」

 

 ドラコは思わず、外に向かって手を伸ばした。だが、彼が瞬きした次の瞬間に、観客スタンドもイリスも、煙のように搔き消えていた。彼の手は空を掴み、吹き込んだ雨が容赦なくその身を叩いていく。

 

「死んだって構わない」

 

 ドラコは、雨に打たれながら呟いた。――今までずっと『自分が死ぬ事』が、世界で一番怖い事だと思っていた。だが、もう違う。死よりも怖い事、自分の命を捨ててでも守りたいものに、ドラコはやっと気づいた。

 

 

 

 六月が始まって間もなく、深夜十二時を回った頃。”秘密の部屋”の最深部で、イリスとリドルは静かに相対していた。部屋は細長く奥へと伸びるような形で、蛇が絡み合う彫刻を施した石の柱が上へ上へとそびえ、暗闇に吸い込まれて見えない天井を支え、妖しい緑がかった幽明の中に、黒々とした影を落としていた。純白のネグリジェに身を包んだイリスは、まるで神聖な儀式の供物のように見えた。

 

「イリス。時は来た」

 

 リドルは”部屋”を司る神であるかのように厳かな動作で祭壇に腰掛け、真剣な表情でイリスへ手を伸ばした。

 

「僕が真に力を取り戻すには、僕の魂と君の魂とを、完全に重ね合わせる必要がある。君の魔法力が最も力を増す、満月のこの時間に。・・・さあ、始めよう」

 

 イリスは懇願するようにリドルを仰ぎ見たが、彼の表情は揺らぎもしなかった。彼女はおずおずと、差し出された手を掴む。

 

 ――重なった互いの手は、触れ合う事なく浸透していく。

 

「ひっ・・・!」

 

 イリスが最初に感じたのは、”強烈な熱さ”だった。『リドルの魂を自分の魂に重ね合わせる事』――それは、リドルの全てをイリスがその身一つで受け入れる事に他ならなかった。リドルの魂の神髄――冷酷無比で、自分本位な性格、彼が今まで秘密裏に行ってきた凶悪で残酷な所業、愛や思いやりを知らぬが故の、限度を知らない執着心や支配欲や非道さ・・・そして日記の中に封じ込められた『五十年間分の狂気に満ちた孤独』。それは、齢十二歳の女の子の魂に、到底受け入れ切れるものではない。解析できず、認識し切れないリドルの魂は、イリスにとって想像を絶するような痛みや熱へと変換され、彼女の魂を拷問のように責め苛んだ。

 

 イリスは本能的に逃げようとしたが、リドルは片手を重ねただけで大きく彼女の魔法力を吸い上げ、その手を逆に引っ張り込んだ。イリスは強い脱力感に囚われ、くたっと力が抜けて、図らずもリドルに身を寄せる格好になってしまう。

 

 リドルの体はゆっくりとイリスに重なり、二つの影は一つになっていく。――熱い!熱い!吐く息すらも火を噴きそうだ。混濁した意識の中、イリスは懸命に不規則な呼吸を繰り返した。自分が自分で無くなっていくような感覚。溶けて――崩れて――燃え落ちて――消えていく。気が狂いそうな恐怖すら、耐え切れず何度も上げた悲鳴すら、熱の中に蕩けていく。体中に幾つも玉のような汗が浮かび、寝間着に吸い上げられ、肌の上を伝い落ちる。イリスは永遠に続くかと思われるような苦痛に身をくねらせ、リドルに訴えかけた。

 

「ああっ・・・あつ、い・・・!熱いよ、リドル・・・!」

 

 リドルは何も答えず、泣き叫ぶイリスの顎を掴み、強引に口付けた。――ついに二人の体は一つに重なり合い、部屋にはイリス一人だけが残された。

 

 不意にイリスの体が、内側から淡い燐光を放ち始めた。次の瞬間、まるで彼女の体から――蛹から羽化する蝶のように――魔法力の残滓を散らしてリドルが抜け出した。彼の体は最早ゴーストのように半透明ではなく、曇りガラスのように輪郭がまだぼやけてこそいるが、ほぼしっかりとした実体を持っているように見えた。

 

 ――主君ヴォルデモート卿は、未来の従者の献身によって見事復活を遂げたのだった。完全に意識を失ったイリスの体を力強く抱き留め、リドルは恍惚とした表情で、自分の頬に残るイリスの魔法力の残滓を舐め取った。

 

「ああ、イリス。君の魔法力も魂も、今まで食べたどんな料理よりも美味だ。僕に想像以上の力を与えてくれる。本当に素晴らしい。

 ・・・さあ、ここから始めるんだ。メーティス。君は”良いもの”を遺してくれた。再び、僕らの時代を築き上げよう」

 

 リドルは熱に浮かされたような目で、衰弱し果て、弱々しい呼吸を繰り返すばかりのイリスを見つめた。

 

 彼は最初からイリスなど見ていなかった。イリスを通して彼は、かつて自分に仕えたメーティスを見ていた。イリスとメーティスが『別の人間』だという事を理解せず、メーティスという枠にイリスを強引に嵌め込み、その過程でイリスがどんなに傷つきボロボロに成り果てても、リドルはそれこそが”従者”たるイリスの幸せなのだと気にも留めなかった。リドルは祭壇の上にイリスを横たえると、どこへともなく姿を消した。

 

 

 イリスは気が付くと、三階の女子トイレに、ふわふわと浮かんでいた。目の前には、かつてのリドルとメーティスがいて、リドルの足元には「嘆きのマートル」が倒れ伏し、黒い革表紙の日記帳が落ちている。

 

 リドルに見せられたあの記憶と同じ光景だ。しかし、あの時と違い、今回は日記の傍に『もう一人のリドル』――彼はゴーストのように半透明になっている――がいた。本物のリドルとメーティスは、霞のように儚げに浮かぶ彼の姿に気づきもしない。

 

 ――これは、本物のリドルの記憶ではなく、”日記のリドルの記憶”なのか?イリスは首を傾げた。

 

 イリスが見守る中で、メーティスはその場に跪いて、彼に永遠の忠誠を誓う。

 

 その時、イリスの胸に”強い痛み”が走った。まるで心臓を――無理矢理引き抜かれたかのような、あるいは毒ナイフで一突きにされたかのような――激しく苦しい、そしてどこか切ない痛みを。思わず胸を押さえてよろけたイリスは、もう一人のリドルが同じように胸倉を掴み、苦しげな表情を浮かべているのを見た。

 

 ――今の自分の心は、当時の”日記のリドル”と同期(リンク)している?イリスは喘ぎながら周囲を見渡すけれど、本物のリドルも跪いているメーティスも、当然のように彼の様子には気づかない。

 

 やがてイリスの瞳から、ボロボロと熱い涙が零れ落ちた。彼は顔を蒼白にし、わなわなと唇を震わせるだけで、この痛みをどのような言葉で表現していいか分からないようだった。

 

 だが、イリスにはわかる。”愛されて育った”イリスには。ぐちゃぐちゃに掻き乱されたジグソーパズルを一つ一つ集め、当て嵌めていくかのようにイリスは呟いた。

 

「”どうして共に生きてくれなかったんだ。メーティス。僕は君を・・・”」

 

 ”愛していたのに”。




グダグダして本当にすみません(;O;)
後半、邪神イリスネタ入れました!
次回は四つ巴の戦いだぞ!リドル戦は一話で終わらせる、一話で終わらせる…(念仏)

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