ハリー・ポッターと虹の女神   作:セバスチャン

24 / 71
5/31 一部修正完了しました。


Page8.衝突、そして

 ――これだけは確実に言える。マグル社会に愛着を示す魔法使いは、知性が低く、魔法力が哀れな程弱いがために、マグルの豚どもに囲まれている時しか優越感を感じる事ができないのだ。

  非魔法族と交わることを願うという弱みこそ、魔法力の弱さを示す最も確実な証だ。

 (十七世紀 ブルータス・マルフォイ著『戦う魔法戦士』より抜粋)――

 

 記念すべき(・・・・・)第一回目の魔法薬学の補習授業を何とかこなした次の日。早目に夕食を終えた後、イリスは”純血主義”について調べるために三人と別れ、一人図書館へ向かった。

 

 そして現在、恐ろしく年代物の反マグル雑誌『戦う魔法戦士』を読み、頭を抱えているのである。著者の姓が”マルフォイ”だったので、興味を惹かれて読んでみたのが運のツキだった。

 

 今の時点で、とりあえずイリスが理解できている事といえば――”純血主義”とは、ただ『純血以外の者を蔑む』というだけではなく『マグル生まれの魔法使いや彼らを擁護する魔法使いを排除し、純血の魔法族が魔法界を支配すべきである』と考える危険な思想だという事と――取り分けマルフォイ一族は、先祖代々その思想に染まり切っている、という事位だった。

 

「おばさんの言う通りだ」

 

 ドラコのご先祖様が書き上げた雑誌をそっと閉じ、イリスは唇を噛み締めた。『人間は自分と違う存在を排除しようとする生き物』なのだ。だから、マグルは魔法族を恐れて魔女狩りを執行し、魔法族はマグルを憎悪し”純血主義”を掲げるようになった。勿論全てのマグルや魔法族が、そういう互いを排除しようとするような”危険な考え”を持っている訳ではない。――しかし、イリスが思っている以上に、”純血主義”の歴史の根は深く、数日足らずで理解しようとするには、余りにも難解だった。

 

「やあ。ずいぶん頑張ってるんだね」

 

 ふと頭上から明るい友人の声がして、イリスは顔を上げた。――ハリーだ。彼自身のバイブルである『クィディッチ今昔』を抱え、イリスの向かいの席に座る。彼の真向いには、イリスが一生懸命掻き集めた”純血主義”関係の本があった。イリスがハッとなって本を隠そうとするよりも、ハリーがその様子を怪訝に思い、イリスの本を自らの手元に引き寄せる方が圧倒的に早かった。そして、そのどれもが”純血主義”に関するものだと知ると、彼の表情は見るからに不機嫌になった。

 

「どうしてこんな事を調べてるの?」

「えっと、その・・・」

 

 ハリーに真正面から射竦められ、イリスは居心地悪そうに身じろぎしながら、今にも消え入りそうな声で言った。

 

「だって・・・”純血主義”のことを知りたかったから」

「あいつがそう(・・)だから?あいつとはもう付き合うなって言っただろう」

 

 ハリーは思わず声を荒げた。静粛を破られた事によるマダム・ピンズの抗議の声を物ともせず、彼は一方的にイリスの本を全て取り上げ、肩を怒らせながら返却棚へ返しに行ってしまった。その様子をこわごわ見送り、イリスは浮かない表情でため息を零した。

 

 

 ハリーは返却棚に荒々しく本を投げ入れた。その事でまたマダム・ピンズに叱られたって、構うもんか!と思う位、彼の心は怒りの感情で満たされていたのだ。恵まれない家庭で、愛情を余り受けられずに育ったハリーにとって、自分を兄のように慕い、不思議な事に何も言わなくても通じ合えるような――言うなれば、本当の兄妹のように――気の合うイリスの存在は、大きすぎた。そんな大切な友人が、卑怯な手を使ってマルフォイ家に誘拐されたらしいとロンから聞いた時は、本当に心配でたまらなかった。しかも、マルフォイの父親は彼女を”純血主義”に教育しようとするような危険人物だ。それなのに――彼女はいまだにマルフォイと繋がりを断たず、彼を友達だと思い、ご丁寧に”純血主義”の本まで読んで彼を理解しようとしている。それがハリーには、許せなかった。

 

 彼には『会う度に人を傷つけるような事しか言わない』嫌われ者のマルフォイと一緒にいようとするイリスの心情なんて、これっぽっちも理解する事ができなかった。だからハリーは、何度忠告しても聞かん坊のイリスをマルフォイの魔の手から守る為に、実力行使(・・・・)を取る事にした。彼女の傍で常に目を光らせ、マルフォイが彼女に近づこうとする度に、彼女の手を引いて避難し続けたのだ。――幸い、彼は現役シーカーだった。視野を全体に行き渡らせ、その中でマルフォイの姿を見つける事など、試合中にスニッチを見つけるよりも容易い事だったのだ。

 

 

 イリスはハリーに、半強制的にグリフィンドール塔へ連行された。談話室でチョコチップクッキーを摘まみながら、ハーマイオニーとロンのチェスを消灯時間ギリギリまでハリーと観戦し、消灯と共にハーマイオニーと自室へ戻った。イリスがローブのポケットから日記を取り出そうとした時、ポケットからひらりと何かが舞い落ちてベッドの上に落ちた。――それは、二つに折りたたまれた羊皮紙片だった。イリスが広げて見ると、それにはこう記してあった。

 

 『イリスへ

  君に見せたいものがある。

  明日の朝五時半に、クィディッチ競技場へ来てくれ。

  返信はいらない。ドラコより』

 

 イリスは急いで日記に挟んだハーマイオニー作のスケジュール表を取り出し、確認した。彼女のスケジュールによると、朝食の七時までは『就寝』となっている。つまり、ドラコとの約束は果たせるという事だ。――マグル界において、『ロミオとジュリエット効果』という心理現象がある。恋とは、周りから反対されればされる程、障害があればある程、逆に燃え上るものなのである。

 

「日記は明日書くね、リドル」

 

 イリスは日記をいつものように抱きしめながら、ベッドに入って眠りに落ちた。

 

 

 明朝五時半前、イリスはクィディッチ競技場のスタンドにたどり着いた。冷たい朝の空気が顔を打ち、グラウンドの芝生にはまだ薄らと霧が残っている。彼女は実に幸運な事に、談話室でもホグワーツ内においても、誰とも(ゴースト以外とは)すれ違わなかった。

 

「イリス」

 

 『見せたいもの』って何だろう。イリスがぼんやりと考えていると、不意に後ろから声を掛けられる。イリスは振り返り――息を飲んだ。そこにはドラコが立っていた。彼は、鮮やかな緑色のスリザリン・チームのユニフォームに身を包み、真新しい箒を片手に抱えている。ピカピカに磨き上げられた柄には、『ニンバス2001』と美しい金文字が銘打たれていた。去年までは、彼はクィディッチの選手ではなかった筈だ。

 

「え?え?・・・も、もしかして・・・?!」

「そうさ。僕はシーカーになったんだ!どうだい?」

 

 ドラコは歌うように答えると、得意げに胸を張った。――という事はつまり、とうとう彼の念願が叶ったのだ。イリスは興奮の余り、頬をバラ色に染めて、友人の晴れ姿をまじまじと見つめた。眼下に見えるグラウンドでは、同じ色のユニフォームを身に纏ったスリザリンの選手たちが、霧を掻き分けながら朝練を始めようとしている。

 

「なんていうかその、すっごくカッコいい」

 

 イリスは夢見る瞳でドラコを見つめた。一方のドラコは数日振りにイリスに会えて、昨日までの鬱々とした気持ちが、跡形もなく吹き飛んでいくのを感じていた。体は羽根のように軽くなり、その心は自信に満ち溢れていく。きっと、この後の初めての練習も、日記の事も、上手く行くに違いない――彼はそう確信した。実際、父親が与えてくれた箒のおかげで、スリザリン生達の中の自分の地位もしっかりと回復したのだ。この勢いで、彼女だって必ず守って見せる。ドラコは一人、息巻いた。彼は気取った調子でイリスに言った。

 

「君に一番最初に、僕のこの姿を見てほしかった」

「フリント!!」

 

 不意にグラウンド内に凄まじい怒声が響き渡った。イリスが『一番最初って事は、パンジーよりも先なんだ』と喜んでいる余裕もなかった。二人が何事かと思って眼下を見ると――何故か、真っ赤なユニフォームを着たグリフィンドール・チームのキャプテン、オリバー・ウッドが、ミーティング真っ最中のスリザリン・チームのキャプテン、マーカス・フリントに食って掛かっている所だった。しかもそれだけではない――ウッドに続いて、続々と他のグリフィンドール・チームの選手たちも、彼の元へ駆け寄っていく。――どうやら、”ダブルブッキング”をしてしまったらしい。

 

「ここは僕が予約したんだぞ!」

「ウッド。それはこっちのセリフだ。君にはその証拠があるのか?こっちには、スネイプ先生が直々にサインしてくれたメモがあるんだぜ」

 

 ウッドが怒りで唾を撒き散らしながらフリントに抗議するが、フリントは人を食ったような笑みを浮かべながら、メモをこれ見よがしに見せつける。――そこには、確かにスネイプの字で『私、スネイプ教授は、本日クィディッチ競技場にて、新人シーカーを教育する必要があるため、スリザリン・チームが練習することを許可する』と明記してあった。

 

 

 この両チームの選手たちの中で、今誰よりも一番怒り狂っている人物がいるとすれば――それはウッドではなく、ドラコだと言えるだろう。彼は、せっかくのイリスとの逢瀬を邪魔された事に、計り知れぬ程の激しい怒りを感じていた。彼が苦心して作り上げた機会が、宿敵のチームのせいでぶち壊されたのだ。そんな彼の神経をさらに逆撫でするかのように、最後にハリーもやって来て――グラウンドからスタンドへと注意深く視線を巡らせ、茫然と突っ立っているイリスとドラコを見つけるや否や、遠目でも分かる位にドラコを憎々しげに睨み付けた。

 

 ――ドラコはもう我慢ならなかった。いつもイリスとの仲を邪魔立てする憎きポッターに、今すぐ耐え難い屈辱と苦痛を味わわせなければ、彼の気が治まらなかった。

 

「君はそこから動くな!」

 

 荒々しくイリスに言いつけると、ドラコは踵を返し、スタンドから降りて一直線にグラウンドへ向かった。

 

 

「新人シーカーだって?どこに?」

 

 ウッドが視線を彷徨わせながら尋ねると、スリザリン・チームの選手たちの後ろから、ドラコが姿を現した。冷たい色をした瞳に、ギラギラとした怒りと侮蔑の色を湛えて。

 

「ルシウス・マルフォイの子供じゃないか」

 

 根っからの”マルフォイ家嫌い”のフレッドが嫌悪感を露わにすると、スリザリンの選手たちが顔を見合わせ、ほくそ笑む。一方のイリスは不穏な気配を察して、ドラコの命令を無視し、グラウンドへ降り立った。そこへ、後ろの方で心配そうに両チームの成り行きを見守っていたロンとハーマイオニーが小走りでやってくる。

 

「もう、朝からどこに行ったかと心配していたのよ!」

「あーあ、イリス。あいつと一緒にいたなんて、ハリーパパは相当お冠(・・・・・・・・・・)だぜ。これが終わったら君、とうとうハリーに『リード付の首輪』でも付けられるんじゃないか?」

 

 ロンはイリスに向けて呆れたように言い放ち、彼女の分のマーマレード・トーストを渡した。イリスは受け取ったはいいものの、食べる気には到底なれなかった。彼女がどう言ったらドラコとの仲をハリーパパに許してもらえるのか、トーストを握り締めながら必死に考えている間にも、両チームの言い争いは激化していく。

 

「そうだ。そのルシウス・マルフォイ氏が僕ら全員に、これを下さったのさ」

 

 フリントの言葉を合図としたかのように、スリザリンの選手全員が揃って自分の箒を突き出した。みんなドラコと同じ最新の箒――『ニンバス2001』だ。朝日を受け、小枝の一本一本に至るまでキラキラと飴色の輝きを放つ、その美しさに息を飲むグリフィンドールの選手たちを鼻で笑いながら、フリントは意地悪く言い放った。

 

「『ニンバス2001』だ。最新も最新さ。旧型2000シリーズに対して相当水をあけるはずだし、旧型のクリーンスイープに関しては――ハハッ、2001がクリーンに圧勝だな」

 

 フリントはクリーンスイープ5号を握り締めているフレッドとジョージをせせら笑った。――ざまあみろ、”血の裏切り”どもめ!ドラコは実に胸のすく思いだった。汚いものでも見るかのように彼らの持つ箒を一瞥しながらニヤッと笑うドラコを、ハリーが親の敵でも見るような目で睥睨する。

 

 

「イリス、僕らも行こうぜ。ここからじゃ、話がよく聞こえない」

 

 イリスはロンに促され、ハーマイオニーと共に芝生を横切って両チームに近づいた。やがてロンは訝しげに眉根をしかめ、険しい表情のハリーに話しかける。

 

「どうしたんだい?それにあいつ(・・・)、何でユニフォームなんか着てるんだ?」

「実に良い質問だ、ウィーズリー。特別に答えてやろう。――それは、僕が、スリザリンの新しいシーカーだからだ」

 

 強い優越感に打ち震えながら、ドラコはロンに悠然と言い放った。スリザリンの選手たちが持つ七本の最新の箒を見て、驚愕に口をパカッと開けたロンを見ながら、ドラコはさらに言葉を続ける。

 

「僕の父上が、みんなに買ってあげた箒を賞賛していたところさ。いいだろう?

 グリフィンドールのチームも、資金集めでもして新しい箒を買えばどうだい?こいつらが持ってるクリーンスイープ5号を慈善事業の競売にかければ、博物館が買いを入れるだろうよ」

 

 スリザリン・チームは全員大爆笑だ。ドラコ自身も愉快でたまらなかった。忌まわしいウィーズリー家の兄弟やポッターを、彼らの力では到底及ばないマルフォイ家の圧倒的な財力で貶めてやったのだ。

 

 ――群衆の上に立つ事に慣れている者は、その心地よさ故に、時にそれに溺れ、本当に大切なものを見失ってしまう事がある。再びスリザリン生たちの憧れの的に返り咲いたドラコは、仮初の幸福に酔いしれ、――イリスが、人が変わったように尊大になった彼自身を、ショックを受けたような表情で見ている事にも気が付かなかった。

 

 しかし、勇敢にもハーマイオニーは、一歩前に進み出て、彼の暴走に異を唱えた。

 

「少なくとも、グリフィンドールの選手は誰一人としてお金で選ばれたりしていないわ。こっちは純粋に才能で選手になったのよ」

 

 ハーマイオニーは、毅然とした態度できっぱりと言い放つ。痛いところを突かれたドラコの自慢顔が、明らかに歪んだ。そして彼はカッとなり――ついに、”言ってはいけないこと”を言ってしまった。

 

「誰もお前の意見なんか求めてない。生まれ損ないの”穢れた血”め」

 

 ドラコが吐き捨てるようにそう言い返した途端、グリフィンドールの選手たちから、嵐のように非難の声が巻き上がった。

 

 その言葉はまるで氷で出来た魔法の矢のようにイリスの心臓に突き刺さり、彼女の心をみるみるうちに冷たく凍らせた。――イリスは、凍り付いたようにその場を動けなくなってしまった。”穢れた血”――ロンが言っていた――『最低の汚らわしい呼び方なんだ』って。そんな言葉を、彼はいとも容易く――まるで常日頃から言い慣れているみたいに――口にしてみせた。――ノットの言葉は、本当だったんだ。

 

 マグル界育ちのハリーと当のハーマイオニーが、ポカンとした表情を浮かべて成り行きを見守る中、フレッドとジョージは怒りに任せてドラコに飛びかかろうとしたし、それを食い止めるために、フリントが急いでドラコの前に立ちはだかった。アリシアは「よくもそんなことを!」と金切声を上げた。そしてロンは「マルフォイ、思い知れ!」と叫び、フリントの脇の下から、報復に怯えるマルフォイの顔に向かって杖を突きつけた。

 

 その瞬間、バーン!という耳をつんざくような大音量が競技場中にこだました。緑の閃光が、ロンの杖の根元から飛び出し、彼の胃の辺りに当たった。――杖が壊れていたせいで、魔法が逆噴射したのだ。思わぬ攻撃を喰らったロンはよろめいて、芝生の上に尻餅をついた。その尋常ではない様子に、イリスとハーマイオニーがトーストを放り出して、慌てて彼の傍に駆け寄る。

 

「ロン、ロン!大丈夫?!」

 

 ハーマイオニーが心配そうに叫ぶ。ロンはわなわなと震える唇を開いたが、声が出てこない。代わりに、彼の口からとてつもなく大きなゲップが一発と――何故か、大きなナメクジが数匹、ボタボタと彼の膝に零れ落ちた。――ロンがナメクジを吐いた!イリスは『人がナメクジを吐く』という、今までの人生で見た事の無い摩訶不思議な現象に、たまらずパニックに陥った。

 

「ど、ど、ど、どうしよう!ロンが、ナメクジで、ロンが死んじゃう!」

「落ち着いて、イリス!ロンは死なないわ。呪いが逆噴射しただけよ」

 

 ハーマイオニーが必死にイリスを宥めている頃、スリザリン・チームはロンのナメクジ祭りを見て笑い転げていた。――フリントは新品の箒にすがって腹をよじって笑い、ドラコは四つん這いになり、拳で地面を叩きながら笑っていた。この人たちは一体、何が面白いんだろう。ロンがこんなに苦しんでいるっていうのに。イリスはロンの背中を摩りながら、ドラコを――まるで別の世界に住んでいる人であるかのように――遠い目で見つめた。

 

「ハグリッドのところへ連れていこう、一番近いし」

 

 ハリーの言葉は、イリスの意識を再びロンへと引き戻した。後はウッドたちに任せよう。三人は力を合わせてロンを助け起こすと、ハグリッドの小屋へ向かって、彼を口々に励ましながら歩き出した。

 

 

 四人はやっとの思いで小屋へ辿り着いた。ハリーが代表して小屋の扉を叩くと、ハグリッドが――今までに見た事の無い位――不機嫌な顔をして出てきた。しかし彼は、客がハリーたちだと知った途端に、いつもの朗らかな笑顔に戻る。

 

「いつ来るんか、いつ来るんかと待っとったぞ。さあ、入った入った!実はロックハート先生がまーた来たかと思ったんでな」

 

 どうやらロックハート先生は、大体のホグワーツの先生方とそりが合わないようだった。ハリーはガチガチと震えるロンを椅子に座らせ、イリスはちょうど扉の近くに転がっていた空のバケツを拾うと、ロンの前に置いた。ハーマイオニーはロンを一生懸命励ましながら、背中を優しく撫でている。ハグリッドはロンのナメクジ問題に全く動じず、豪快に笑って見せた。

 

「出てこんよりは、出した方がええ。ロン、みんな吐いっちまえ」とハグリッド。

「ハグリッドの言う通りよ。吐き尽くして、止まるのを待つしか手はないと思うわ。あの呪いって、ただでさえ難しいのよ。まして杖が折れてたら・・・」とハーマイオニー。

 

 ロンは頷いて、大人しく”吐く事”に専念し始めた。――二人の言う通り、彼が吐く度にナメクジは小さくなり、一度に吐き出されるナメクジの量や、吐く頻度も減少していった。ようやく人心地ついたハリーとハグリッドは、ロックハート先生被害者の会を開き始めた。ハーマイオニーは変わらずロンの背中を撫で続けている。不意に目の前のバケツがガンガンと叩かれ(弾みでナメクジが何匹かイリスの膝に落ちて来た)、ぼけっとしていたイリスは慌ててロンへ視線を向けた。どうやら彼がイリスの注意を引くためにバケツを蹴ったようだ。ロンは青白い顔に脂汗を滴らせつつ、イリスを心配そうに見ていた。

 

「君――オエップ――大丈夫、かい?――か、顔が――ウップ。真っ青だぜ」

 

 そう言うなり、再びナメクジの波がやって来たのか、バケツの中に顔を突っ込んだロンを見て、イリスはいたたまれない気持ちになった。まるで自分が、ロンにナメクジを吐く呪いをかけたような、最低で最悪の気分になってしまったのだ。

 

 

 ロンが自分がナメクジを吐くに至るまでの経緯を説明すると、ハグリッドは思わず椅子を蹴倒して仁王立ちしながら大憤慨した。

 

「”穢れた血”だと?マルフォイのせがれめ、そんなこと本当に言うたのか!」とハグリッド。

「言ったわよ。でも、どういう意味だか私は知らないわ」とハーマイオニー。

「僕もだ。でも、ものすごくひどい悪口なんだと思う。だって、みんなカンカンだったもの」とハリー。

 

 ロンは、大分小さめなサイズになったナメクジを吐きつつ、”穢れた血”という言葉がどういう意味なのかという事を二人に教えた。イリスは黙りこくったまま、≪撫でてくれよ~≫と擦り寄って来たファングの頭を撫でながら、ハーマイオニーをおずおずと見上げた。聡明な彼女は、今まで自分の知らなかった言葉とは言え――罵られたという事実に傷つき、いつも気丈なその表情には、隠す事のできない陰りが差していた。

 

「ほんとに、ムカつくぜ。気にする事ないよ、ハーマイオニー。――オエッ」とロンが、ナメクジを一匹吐き出しながら言う。

穢れて(・・・)いるのは、あいつの方だよ。今度試合でカチ会ったら、コテンパンにしてやる」とハリーが息巻く。

「ハーマイオニー、おいで」

 

 ハグリッドは、涙ぐむハーマイオニーを招き寄せた。

 

「お前さんは、ホグワーツきっての素晴らしい秀才だ。なーんも恥じることなんかねえ!お前さんは俺たちの自慢の魔女だ。その証拠に、お前さんが今まで使えない呪文は、ひとつとしてなかったぞ、え?」

 

 ハグリッドは彼女の手を取り優しく撫でると、彼女の傷ついた心を和らげるために、陽だまりのような暖かな笑顔を浮かべた。ハーマイオニーはポロリと一粒涙を流し、誇らしげに微笑んだ。――イリスはその光景を見て、何も言えなかった。

 

 

 夕食を終えた後、イリスは一人でグリフィンドール塔へ向かって歩いていた。ハーマイオニーは一足先に夕食を終え、談話室で自習をしている筈だ。ハリーとロンは、例の空飛ぶ車の件の罰則のために、帰路の途中で別れた。イリスが「太った貴婦人」の肖像画の前まで来ると、思いもよらない人物がいて、彼女の思考と歩みは一旦停止した。――何とその人物とは、スリザリン生である筈のドラコ・マルフォイだったのだ。

 

「イリス。話があるんだ。今朝は邪魔が入って、きちんと話せなかっただろう?」

 

 ドラコは真剣な表情でそう言うと、イリスに歩み寄り、その手を取ろうとした。しかし、イリスは一歩引いて、彼から距離を取った。

 

「何の話?私の友達を心ない言葉で傷つけたことよりも、大切な話なの?」

 

 ドラコは、今朝はあんなに仲睦まじく話していたのに、何故今、イリスがこんなに素っ気なくなっているのか、理解出来なかった。一刻も早く日記の件を解決するために、彼女とどこか二人きりになれる場所に行かないと――こんな場所に長居していたら、今にまたポッターたちがどこからかやって来て、今朝の様に邪魔立てされるか分からない。ドラコはイライラとした口調を隠しもせず、イリスに言い放つ。

 

「あんなの、何でもないだろう。ただの表現の一種で、冗談みたいなものさ。君が気を悪くしたなら、謝るけど」

「私に謝るんじゃない!!ハーミーに謝ってよ!!」

 

 イリスは声を荒げた。――あんなの、何でもない。冗談みたいなもの――そんな事はない。その発言で確かに、ハーマイオニーは深く傷ついたのだ。イリスとドラコの間には、容易に超える事の出来ない”大きな壁”が立ちはだかっていた。その壁があるせいで、二人は同じものを見ているのに、全く異なる考え方をしてしまう。イリスはその壁を壊したかった。それさえ壊してしまえば、きっと、ドラコだって反省してくれる。ハリーたちとも分かり合える筈なんだ。

 

「どうして僕があんな――マグル生まれなんかに、謝らなきゃならない?」

 

 ドラコが咎めるようにイリスに問いかける。彼も”同じ”なんだ――パンジーやノットと。イリスはその残酷な事実を辛うじて飲み込み、今にも粉々に砕け散りそうな自分の心を何とか持たせると、勇気をもってドラコを見上げた。

 

「私、”純血主義”について勉強したんだよ。ドラコの事を、もっと理解したくって。その時にね、分かった事があるんだ。

 一説によると、魔法使いや魔女の始まりは、魔法の血を持つ人間が、突然生まれた事なんだって。古くから続いてる”純血”の魔法族の中にも、家系図をよく調べればマグルの人はいるし、マグル生まれの人の中にも、家系図をよく調べれば魔法族の人がいるんだって。私、それを読んだ時に思ったの。”純血主義”みたいに――マグルや魔法族を区別したり、排除したりする必要なんてないよ。みんな一緒なんだよ(・・・・・・・・・)。私もドラコもハーミーも・・・」

「僕をあんな”穢れた血”と一緒にするな!」

 

 思わずドラコはゾッとして叫んだ。イリスの発言は、彼の心から信じている生き方を根底から否定し、侮辱するものに他ならなかったからだ。イリスは悲しみに打ちひしがれた目で、じっとドラコを見つめ、自嘲気味に笑った。

 

「じゃあ、ドラコからすれば、私もロンと同じ”血の裏切り”だね」

「君は違う!”血の裏切り”なんかじゃない。特別な・・・!」

 

 ドラコは激しくかぶりを振り、イリスの肩を掴んで訴える。子供特有の熱く迸るような想いを上手に伝えるには、ドラコはまだ若すぎたし、それを理解するにはイリスも幼すぎた。

 

「一緒だよ。私だけ、何が特別なの?私とロンと、何が違うの?」

 

 

 ドラコが絶句していると、突然、後ろから何者かに襟首を掴まれ、彼は力任せに床へと引き倒された。

 

「イリスから離れろ!」

 

 その正体は、怒りに震えるハリーだった。ロックハート先生の大量のファンレターの返事を書くために、愛用の羽根ペンを取りに談話室へ戻ろうとしたハリーは、偶然ドラコに掴み掛られている(ように見える)イリスを見つけ、矢も楯もたまらず彼に組み付いたのだった。マウントを取って今にも殴りかかろうとするハリーを、イリスが無我夢中でドラコの前に立って、ハリーを両手で押し戻そうとする事で懸命に庇おうとした。

 

「やめて!ドラコに乱暴しないで!」

「――君は、本当に気でも狂ったのか!!」

 

 ハリーの怒りの矛先は、今度はイリスに向けられた。

 

「こいつの父親は、君を卑怯な手を使って陥れたんだぞ!こいつも父親とグルだ!今朝だって今だって、君を言葉巧みにおびき寄せて――どんな怪しげな事をする気か、わかったもんじゃないっていうのに!」

 

 普段は思慮深く優しいハリーの余りの剣幕に、イリスは恐怖でぶるぶると震えた。その震えが、直にドラコにも彼女の服越しに伝わってくる。

 

 イリスの頭の中は、色んな人々の言葉や自分の揺れ動く感情が錯綜し、もう爆発寸前だった。しかしイリスはそれでも、梃子でもドラコを守るために、その場から動こうとしなかった。彼女は生理的に溢れて来る涙を懸命にこらえて、ドラコを伺うように見た。――その目には、もはや隠し切れない、彼に対する疑念や同情の感情が含まれていた。

 

 一方のドラコは、彼女のその目にプライドをズタズタに傷つけられた。――やめろ、僕にそんな目を向けるな!僕がどんな思いで、スリザリン生の目を掻い潜り、父との言いつけを破るリスクを度外視してまで、君を助けようとしているか、知りもしない癖に――君は、この僕よりも、ポッターの言う事を信じるっていうのか!ギリギリの心境で踏ん張っているのは、イリスだけでなく彼だって同じ事だった。ライバルに掴み掛られ、好きな女の子に庇われ、おまけに哀れみの目で見られた事で、ドラコの心の中でみじめな思いが一気に膨れ上がっていく。そして自尊心をも著しく傷つけられた彼は、ひどく感情が高ぶってしまい――結果、再び間違いを犯す事となってしまった。

 

「僕に触るな、汚らわしい。”血の裏切り”め」

 

 ドラコは冷たく言い捨てると、イリスを押しのけた。重力に従ってコロンと床に転がる寸前のところを、ハリーが急いで抱き留める。イリスは、茫然とドラコを見た。――今や彼は、冷たい感情を失ったような灰色の目で、イリスを睥睨していた。イリスが壊そうと努力していた壁は、ドラコのプライドによって再び厚く塗り固められ、イリスを完全に拒絶してしまったのだ。イリスは彼の余りの冷酷さに、咄嗟に呼吸を忘れてしまう程の苦しさを覚えながら、問いかけた。

 

「そんな――私たち――”友達”じゃ、なかったの」

 

 ドラコは立ち上がり、乱れた服装を整えながら、イリスと目も合わさずに言い切った。

 

「馬鹿言うなよ。僕は一度も、君を”友達”だなんて思った事はない」

 

 彼は振り返りもせず、自寮へ向かい、歩み去った。

 

 

 ドラコはスリザリン寮にたどり着き、生徒たちのまばらな談話室を通り抜ける。夜食中のクラッブとゴイルが近づくが、無言で手を振って追いやった。ドラコは誰もいない自室のベッドの前に立ち尽くした。

 

 ――僕は一度も、君を友達だなんて思った事はない――

 

 ――その通りだ。僕は、あのクリスマス休暇の時以来、ずっと――。ドラコの胸の中に、熱い思いが込み上げて来て――それは心臓を鷲掴みにし、無茶苦茶に揺さぶった。大切なイリスを、僕はこれ以上無い位に傷つけた。もう取り返しがつかない。ドラコは苦しくて、たまらなかった。力の限り慟哭し、ベッドに倒れ込んで、失意のままに枕を何度も殴りつけた。やがて枕が破れて中に詰まった羽根が飛び散り、部屋中に雪のように舞い散っても、ドラコは暴れるのを止める事が出来なかった。

 

 ドラコはイリスを、”友達”ではなく――”一人の女性として愛していた”。――僕は君を愛している、愛しているんだ。ドラコは、心の中で何度も何度も、誰にも届かない胸の内を叫び続けた。

 

 

 イリスは、ハリーと共にグリフィンドールの談話室に戻った。ハリーから事情を聴いて、心配そうに彼女を見つめるハーマイオニーに「暫く一人にしてほしい」と告げると、誰もいない自室へ向かう。――イリスは、ドラコにあれ程冷たい言葉を投げつけられたのに、憤りも悲しみも、何も感じる事が出来なかった。心が空っぽなのだ。まるで、草一本生えていない寂しい荒野に、一人きりで立ち尽くしているような気持ちだった。

 

 ――そうだ、日記を書かなきゃ。イリスはふと思い出した。ちゃんとリドル先生の言う通り、宿題はこなしたもの。イリスはぼんやりしたまま、机について日記を開き、羽根ペンをインク壺に浸して書き付ける。

 

”こんばんは、リドル。あのね・・・”

 

 イリスは続けて”純血主義”と書こうとした時、不意に目頭が熱くなった。彼女の心の中に広がる、果てしない荒野の頭上に、突如として分厚い雲がかかる。やがて空から、止めどなく悲しみの雨が、地上へと降り注いだ。それは、ひび割れた地面を潤し、水たまりになり、やがて海になり、とうとうイリスの心から溢れ出した。イリスは声もなく、咽び泣いた。それはインクの代わりに、ページ上にいくつもいくつも零れ落ちては、光って消えていく。

 

 ――私はずっと”友達”だと思ってたよ、ドラコ。でも、君はそうじゃなかったの?――

 

 イリスはついに日記の上に突っ伏して、深い悲しみの涙に暮れた。イリスは泣いて泣いて、泣き疲れて、やがてそのまま、束の間の眠りに落ちた。

 

 

 イリスは夢を見た。見上げると、美しい夕焼け空が広がっている。ふと良い花の香りが鼻をかすめ、見下ろすと、地上には――驚く事に、地平線のかなたまで、一面にリコリスの花が咲き乱れていた。周りを見ても、誰もいない。しかし、イリスが再び視線を正面に戻すと、そこには見慣れないホグワーツ生が、一人立っていた。

 

 とてもハンサムな黒髪の青年で、明るい褐色の瞳をしている。上級生なのだろう、背は高い。しっかりと整えられたタイの色はグリーン。きっとスリザリン生だ。夢だとわかっているからか、イリスは警戒する事もなく、その青年をじっと興味深げに見つめた。

 

「やあ、イリス。はじめまして。いや、久しぶり、かな?」

 

 青年は、はにかむように微笑んだ。イリスはたったそれだけで、何となく――不思議なことに――彼が誰だか、わかってしまった。

 

「リドル、なの?」

 

 リドルは穏やかに一つ頷いた。

 

「君がひどく泣いていたから、つい心配になってね。君の力を少し借りさせてもらったんだ。ここは君の夢の中だ。ここなら、君の目を見て、声を聴き、君に触れることができる」

 

 彼はゆっくりとイリスに近づいて、愛しげに頭を撫でた。

 

「さあ、僕に話してごらん?何があったんだい?」

 

 ――イリスは、もう我慢出来なかった。彼女は赤子のように泣きじゃくりながら、彼に縋り付いた。リドルは言葉巧みにイリスを宥め透かし、彼女の弱り切った心を掌握し――彼女の一番の拠り所は”自分なのだ”という認識を、彼女の無意識下に植え付ける事に成功した。

 

「何も悲しむことはない。君は十分、よく頑張った」

 

 リドルはイリスを抱き締め、ゾッとするような邪悪な笑みを浮かべた。




詰め込み過ぎて恐怖の13000字…すみません…(;O;)

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。