ハリー・ポッターと虹の女神   作:セバスチャン

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File16.動き始めた思惑

「私、今すぐみんなに知らせなきゃ!」

 

 何としてでも、ハリーたちに知らせなければ。イリスは居ても立っても居られなくなった。スネイプが犯人ではなかったと喜んでいる場合ではない。みんなは犯人がクィレルだと知らないのだ。何故自分の心臓がこんなにも早鐘を打ち始めたのか、イリスは理解できなかった。足を引き摺りながらも、仕掛け扉に飛びついて引っ張り開けようとする。

 

≪ダメだ、君は足を怪我してるんだぞ。僕らが君を乗せて行くよ≫

 

 三匹が口々にそう言って同じように扉に近づくが、残念な事に彼らの体は大きすぎて、頭の一つくらいしか入りそうになかった。おまけに彼らの首にはそれぞれ頑丈な鉄製の鎖が付いていて、これはどうにも外せそうにない。イリスと三匹は途方に暮れたように扉の前で立ち尽くした。

 

 ふと頭を扉の中に突っ込んで鼻をクンクンさせていたサナトスが、怪訝な声を出した。

 

≪待て、何かがこっちへ来る。風を切る音がする≫

 

 サナトスが慌てて首を引っこ抜くのと、後ろにロンを乗せたハーマイオニーの箒が中から飛び出してくるのは、ほぼ同時だった。

 

「ハーミー、ロン!無事だったんだね!――ハリーは?」

「っ!!イリス!鈴を鳴らして!」

「フラッフィーが起きてるぞ!」

 

 二人を見上げてイリスは飛び跳ねるばかりに喜んだ後、ハリーがいない事を疑問に思った。一方の二人は起きているフラッフィーを見て、口々に悲鳴を上げながらイリスに注意を促す。

 

≪イリス、こいつらは敵じゃないんだな?≫

 

 対して三匹は二人を見て、イリスに確認した。イリスが頷くと、彼らは『敵意はない』という証としてそれぞれの顎を地面に乗せ、その場に伏せてみせた。二人はその様子を見て、お互いに目を合わせ絶句した。――あの恐ろしい怪物が、イリスの頷き一つで愛玩犬のように伏せをした。イリスは天井近くで浮かぶ二人に話しかける。

 

「大丈夫だよ、二人とも!フラッフィーと話したの、彼らは私たちを襲わないよ」

「ちょっと待って、『話した』ってどういうことだい?」

 

 ロンが驚きの余り目を剥いて問いかけるが、いち早く冷静さを取り戻したハーマイオニーが「それどころではない」と制した。

 

「イリス、私たちふくろう小屋へ行って、ダンブルドアに連絡しなくちゃ。ハリーが・・・一人で、最後の部屋へ行ったの」

「えっ・・・?」

 

≪おい、何て言ってるんだ?≫サナトスが頭を上げてイリスに尋ねた。

 

 イリスが話の内容を聞かせると、三匹は再び扉の前で番をすると言った。

 

≪ここは僕らに任せて、君はこいつらと一緒に行けよ≫ゾーエーが言った。

≪また臭いヘンテコリンな奴が来たら、僕らが噛み砕いてやるさ≫アナスタシスがウインクする。

 

 ――その時、四階の廊下の扉が開き、誰かが入って来た。思わず身構えた三人は息をのんだ。――ダンブルドア校長だ。三匹は突然の侵入者にイリスを庇うように前に立ち、唸り声を上げた。

 

≪誰だこいつ!≫ゾーエーが叫ぶ。

「待って、この人も敵じゃない!校長先生だよ!」

≪こうちょうせんせい?≫

 

 イリスが慌てて三匹を止めると、彼らは聞きなれない言葉に戸惑い、イリスを困ったように見た後、また地面に伏せた。ダンブルドアはそれを驚きの眼差しで見つめたが、すぐ元の穏やかな表情に戻った。我に返った三人が息せき切って話しかける前に、ダンブルドアは落ち着いた口調で尋ねた。

 

「彼はもう行ってしまったんだね」

 

 三人が一様に頷くと、ダンブルドアは矢のような速さで仕掛け扉を開け、中へ降りて行った。――三人の体中を言葉に言い尽くせない程の安心感が包み込んだ。みんな同じ事を思っていた。『ダンブルドアがいれば、安心だ』と。イリスは気を抜いた拍子に、今まで極度の緊張状態にあったせいで鈍化していた足の痛みが急激に強くなっていくのを感じた――大量に失血したせいで、視界がぐるぐる回り始める――やがてイリスは、気を失ってしまった。

 

 

 イリスは不思議な夢を見た。どこまでも続く暗闇の中で、膝を抱えて座っている。

 

 ――ふと、下の方から暖かな気配を感じた。下を見ると、ずっと遠くにあるようにも、手を伸ばせば届くほど近くにあるようにも感じる不確かな距離に、虹色の光の粒子が集結した。それは巨大な蛇の形になった。同時に、今度は銀色の光の粒子が集結し、同じように巨大な蛇の形になった。銀色の蛇は赤い目を光らせながら、イリスを通り越して上へ昇って行こうとした――が、虹色の蛇が追いかけてきて、その尾っぽに噛み付き、元の場所まで引き摺り下ろした。銀色の蛇は虹色の蛇としばらく戦った後、虹色の蛇の尾っぽに噛み付いた。

 

 二匹の蛇は、それぞれの尾に噛み付いたまま、ぐるぐると円をかいて回り続けた。イリスはその様子をずっと見ているうちに、自分の意識が浮上していくのを感じた。上へ――上へ――

 

 

 イリスが目を開けると、そこは医務室のベッドの上だった。最初は状況が理解できず茫然としていたが、やがて事の次第を思い出し、慌ててベッドから上半身を起こす。――ハリーは無事なのか?

 

「こんにちは、イリス」

 

 急に傍から穏やかな声がして、イリスはびっくりしてベッドの脇を見た。いつの間にか、ダンブルドアがイリスのベッドの脇に腰掛け、優しい目をしてイリスを見つめていた。

 

「校長先生、ハリーは無事なんですか?!」

「落ち着くのじゃ、イリス。でないとわしがマダム・ポンフリーに追い出されてしまう。――安心しなさい。ハリーは君の隣のベッドですやすや眠っておる」

 

 ダンブルドアは興奮するイリスの手に自らの手を置き、静かにそう言った。イリスが急いで隣を見ると、カーテンが引かれたベッドがあった。思わず裸足のままベッドを起き出して、カーテンをそっとめくる。――そこにはハリーが、包帯を体のそこかしこに巻いてはいるが、規則正しい寝息を立てていた。イリスは安堵の余り全身の力が抜け、大きなため息を零しながらその場にしゃがみ込んだ。ダンブルドアはその様子を、しばらく何かを見定めるような厳しい表情で見つめていたが、やがて暖かな陽だまりを思わせる優しい声で語り掛けた。

 

「君も、ハリーも、無事で本当に良かった」

「・・・石は・・・クィレル先生はどうなったんですか?」

 

 振り返ってイリスが問いかけると、ダンブルドアはキラキラ光るブルーの目でイリスをじっと見て、興味深そうに言った。

 

「ほう、君は石を狙った犯人がクィレルだと気づいたんだね。どうしてそれを?」

 

 イリスは少し躊躇った後、彼に事の次第を話した。巫女舞をした後、急にフラッフィーの言葉がわかるようになった事、犯人はクィレルだと教えてもらった事を。ダンブルドアは感慨深げに髭を震わせた。

 

「なんと実に素晴らしい。君の母上と同じ力を、君は身に付けたのじゃ。君の母上も、言葉を持たぬ者と心を通わせる事ができた」

「私のお母さんも、同じ力を?」

 

 どうしてイオはそんな大事な事を教えてくれなかったのだろう。イリスが驚いて問いかけると、ダンブルドアは静かに頷いた。

 

「・・・おお、そうだ、君がきちんと力を制御できるようになるまで、これを付けているとよい」

 

 ダンブルドアはローブのポケットから古ぼけた耳当てを取り出し、イリスに渡した。

 

「君の耳と声には、人間以外のものと言葉を交わすための微量で繊細な魔力が宿っておる。この耳当ては、それを遮断するものじゃ。これを付けている間は、君の耳には人間の言葉のみが聴こえるじゃろう。――慣れぬうちは、君には人間の声とそうでないものの声、双方が聴こえて混乱してしまうじゃろうから、おば君に制御の仕方を学ぶまでは、必要な時以外はこれを付けているとよい。――後は、クィレルと石の事じゃが・・・」

 

 イリスはダンブルドアから真実を聞いた。クィレルは弱ったヴォルデモートの魂をその身に宿し、森でユニコーンの血を飲んでいた。イリスが出会った影はヴォルデモートではなくクィレルだったのだ。ヴォルデモートを復活させるために彼は石を狙っていたが、手に入れる寸前にハリーに阻まれ、彼は倒された。そして、守られた石はフラメルと話し合った末、砕いてしまったと。――それは余りに現実離れした話で、イリスはどこか国の武勇伝を聞いているかのように、――クィレルが死んだと聞かされても――いまいち実感が湧かなかった。それよりも石が砕かれた事の方が衝撃だった。

 

「フラメルは死んでしまうんですか?」

 

 イリスが聞くと、ダンブルドアは穏やかに笑ってこう言った。『整理された心を持つ者にとっては、死は次の大いなる冒険に過ぎない』と。イリスがポカンとした表情を浮かべていると、ダンブルドアはポケットから一掴み分のレモンキャンデーをこっそり渡し、ベッドから立ち上がった。

 

「それではわしはもう行くとするかのう。もう彼女と約束した十分を過ぎそうじゃ(そう言って、チラッとマダム・ポンフリーを見た)。――わしは君を信じておるよ、イリス」

 

 事件は解決したが、イリスの心は晴れなかった。影の正体はわかったが、何故クィレルが自分に触れようとしたのか、あの強い既視感は何だったのか。疑問は残る。それに最後のダンブルドアの言葉は、イリスに正しい行動をするよう念押しをしているようだった。果たしてそれは自分の新しい力を悪用しないようにという事なのか、それとももっと別の事なのか。結局、謎は解けないまま、闇に葬られた。

 

 

 イリスは幸運な事に、次の日の朝には医務室を出る事ができた。談話室に入った瞬間、ハーマイオニーとロンがやって来て、イリスの無事を涙ながらに喜んだ。どうやら何度かお見舞いに行ったが、その度にマダム・ポンフリーに面会謝絶を言い渡されていたらしい。イリスは二人にハリーの様子とダンブルドアとした話の内容を教えた。そこで改めて二人はイリスの『人間以外のものと話せる力』を信じたようだった。あの時はドタバタでイリスが突然猛獣使いの才能を開花させた位にしか思っていなかったが(実際イリスが倒れても犬は二人を襲わなかった)、ダンブルドアがそう言うならばと二人はイリスの新たな力を認めた。ロンがまじまじとイリスの耳当てを見ながら言った。

 

「君って、補習にしろ、記憶喪失事件にしろ、どんどん悪い方向へ目立っていくよな」

「黙んなさい、ロン!」ハーマイオニーがデリカシーのない発言をしたロンの頭を軽く叩いた。

 

 そうしてイリスは再び日常に戻ったが、ダンブルドアの耳当てを外す事はできなかった。最初の方こそ、ウィーズリーの双子に早速「素敵な耳当てだ!」とからかわれたりして、恥ずかしく思い外そうとしたのだが、その度に周囲の様々な生き物の声が両耳に襲い掛かり、友人と会話をまともにする事すらできないのだ。イリスは恥を忍んでつけっぱなしにする事に決めた。

 

 ホグワーツ中は、誰が吹聴したのか『石』の事でもちきりだった。みんなハリーの事を興味深げに話している。それを横目に見ながら、イリスはロンとハーマイオニーと共にハリーのお見舞いに医務室へ向かった。三人の懇願にマダム・ポンフリーは五分だけという条件で、特別に三人を中に入れてくれた。

 

「ハリー!」

 

 ハーマイオニーは今にも満身創痍のハリーを両手で抱き締めそうだったので、イリスとロンが慌てて彼女を止めた。ハリーは心底ほっとした表情を浮かべていた。

 

「ああ、ハリー。私たち、とっても心配していたのよ」

「学校中がこの話でもちきりだよ。イリスからちょこちょこっとは聞いたんだけどさ。本当は何があったの?」とロンが聞いた。

 

 ハリーは三人に一部始終を話して聞かせた。クィレル、鏡、賢者の石、そしてヴォルデモート。イリスは簡単にダンブルドアに話の内容を聞いて知っていたものの、改めてハリーの口から聞くと臨場感が違うと感じた。彼はクィレルやヴォルデモートと直接対面したのだから、当たり前だが。三人は真剣にハリーの話を聞いていた。ここぞという時にハッと息をのみ、クィレルのターバンの下に何があったかを話した時は、ハーマイオニーがたまらず大きな悲鳴を上げ、イリスは全身が粟立った。

 

「僕ら、君に謝らなきゃ。名探偵イリス。君は誰よりも早く真犯人に気づいてたのに」ハリーが困ったように微笑んで、イリスを見た。

「もうハリーが無事だったんだから、何でもいいよ。私も詳しく覚えてないしね。それに、スネイプ先生が犯人じゃなくて、本当によかった」イリスは笑って答えた。

 

「もしかして、ダンブルドアは、君がクィレルを止めるよう仕向けたんだろうか。君に透明マントを贈ったりしてさ」

 

 首を傾げながらロンが言うと、ハーマイオニーが彼に食って掛かった。

 

「もしも彼がそんな事をしたんだったら・・・言わせてもらうわ、酷いじゃない!ハリーは殺されてたかもしれないのよ」

「ううん、そうじゃないさ」

 

 ハリーがタジタジになったロンをフォローしながら、ゆっくり言葉を噛みしめるように言った。

 

「ダンブルドアっておかしな人なんだ。たぶん、僕にチャンスを与えたいって気持ちがあったんだと思う。あの人は僕たちがやろうとしていた事を、ほとんど知っていたんだよ。だから僕たちを止めないで、むしろ僕たちの役に立つよう、必要なことだけを教えてくれたんじゃないのかな。僕にそのつもりがあるなら、『ヴォルデモートと対決する権利がある』ってあの人はそう考えていたような気がする」

 

 四人は黙り込み、それぞれの頭の中で思いを馳せた。やがてロンが明るい口調で言った。

 

「ハリー、明日は学年末のパーティがあるから元気になって起きてこなくちゃ。得点は全部計算がすんで、もちろんスリザリンが勝ったんだ。でも、ご馳走はあるよ」

 

 みんな和やかな雰囲気になって笑った。深く考えるのはよそう。もう戦いは終わったのだから。やがてマダム・ポンフリーがやってきて、三人を追い出した。

 

 

 学年度末パーティーの当日、三人はそわそわとハリーが来るのをグリフィンドールのテーブルで待っていた。周囲の話し声が突然静まり返ったので、イリスは思わず扉を見た。――ハリーが戸口に立っていた。みんな一斉にハリーを見ながら、がやがやと興奮した様子で話し始める。ハリーは気にしないような顔をして、三人のところへ真っ直ぐにやって来てイリスの隣に座った。

 

 間もなくダンブルドアが来賓席に現れたので、生徒たちの声はたちまち静かになった。ダンブルドアが一人一人、生徒たちの顔を慈愛に満ちた瞳で見ながら、一年の締めくくりの言葉と、各寮の点数を低い順に告げていく。最後に呼ばれたスリザリンのテーブルから、嵐のような歓声と足を踏み鳴らす音が上がった。もちろんグリフィンドールは最初に呼ばれたので、最下位という事だ。かつての大量減点事件を思い出して四人が打ちひしがれた顔をしていると、ダンブルドアが言った。

 

「よし、よし、スリザリン。よくやった。しかし、つい最近の出来事も勘定に入れなくてはなるまいて」

 

 部屋全体がシーンとなった。みんな合点がいったようで、グリフィンドールのテーブルだけでなく、他の寮の生徒たちもハリーの事をチラチラ見ている。その不穏な様子にスリザリン寮生の笑いが少し消えたが、ダンブルドアは構う事無く言葉を続けた。

 

「――駆け込みの点数をいくつか与えよう。――えーと、そうそう、まず最初は、イリス・ゴーント嬢」

 

 イリスは突然フルネームを呼ばれて、心臓が止まるかと思った。――どうして私?さっきまでハリーに注がれていたみんなの視線がイリスに一点集中し、彼女は不安そうに縮こまった。

 

「大怪我を負いながらも、友の帰還を信じて犬を眠らせ続けた事を称し、グリフィンドールに五十点を与える」

 

 グリフィンドールの歓声は、魔法をかけられた天井を吹き飛ばしかねない勢いだった。イリスは喜び勇んだハリーに耳当てが外れるのも構わず、頭をぐしゃぐしゃに掻き雑ぜられた。他のグリフィンドール生も、口々にイリスを賞賛する言葉を投げかける。イリスは信じられなかった。いつも減点されてばかりだった落ちこぼれの自分が、五十点ももらえるなんて。

 

 続いて、ダンブルドアはロンとハーマイオニーにも、健闘を称えてそれぞれ五十点ずつ与えた。ロンは双子の兄たちにハグされながらも、熟したトマトのように顔を真っ赤にし、感極まったハーマイオニーは腕に顔を埋め、嬉し泣きをしていた。たった数秒で、一五〇点も増えた。その信じられないような事実に、グリフィンドールの寮生がテーブルのあちこちで我を忘れて狂喜している。

 

「四番目は、ハリー・ポッター君・・・」

 

 『ハリー・ポッター』という言葉に、大広間が再び水を打ったように静まり返った。石を守ったヒーローの名だ。期待に胸を弾ませ、熱を帯びた生徒たちの視線がダンブルドアに集中する。

 

「その完璧な精神力と、並外れた勇気を称え、グリフィンドールに六十点を与える」

 

 もはやそれは耳をつんざく大騒音だった。この大興奮の中でも冷静に足し算できた人がいたなら、グリフィンドールの点数がスリザリンと同点になったことがわかるだろう。イリスは当然足し算など出来る余裕はなかったので、ハリーと手を取り合って喜びながら、誰かが「同点だ!スリザリンと同点!」と興奮して叫んでいるのを聞いていた。

 

 だが、ダンブルドアの快進撃はそこで止まらなかった。彼は静寂を呼び戻すために手を上げた。広間の中が少しずつ静かになっていくのを確認し、彼は口を開いた。

 

「勇気にも色々ある。敵に立ち向かっていくのにも大いなる勇気がいる。しかし、味方の友人に立ち向かっていくのにも同じくらい勇気が必要じゃ。そこで、わしは――ネビル・ロングボトム君に十点を与えたい」

 

 大広間の外に誰かいたら大爆発が起こった、と思ったかもしれない。グリフィンドールのテーブルから沸き上がった歓声は、それほど大きなものだった。四人は立ち上がって叫び、歓声を上げた。みんな泣きながら笑い、笑いながら泣いていた。もう無茶苦茶だった。ハリーとイリスはお互いに抱き着いて、ピョンピョン飛び跳ねながらグリフィンドールの勝利を祝った。ネビルは驚いて青白くなったが、みんなに抱き着かれ、見る見るうちに人に埋もれて姿が見えなくなった。レイブンクローもハッフルパフも、スリザリンがトップの座から滑り落ちたことを祝って、喝采に加わっていた。今やスリザリンのテーブルは、可哀想な事に先程の浮かれた様子は微塵も見当たらず、寮生はみんな驚愕と絶望に打ちひしがれていた。

 

「従って、飾りつけをちょいと変えねばならんのう」

 

 ダンブルドアが手を叩いた。次の瞬間、グリーンの垂れ幕が真紅に、銀色が金色に変わった。巨大なスリザリンの蛇が消えてグリフィンドールのそびえたつようなライオンが現れた。来賓席では、スネイプが苦み走った作り笑いでマクゴナガル先生と握手を交わしていた。イリスはハリーたちとはしゃぎあいながら、今日は間違いなく人生で最良の日だと思った。

 

 

 だが、人生はそうは上手くいかないものである。試験の結果が発表された。ハーマイオニーの助力のおかげでハリーもロンもいい成績だった。ハーマイオニーはもちろん学年でトップだった。しかし・・・

 

「どうして?」

 

 イリスは驚愕した。完璧だった筈の魔法薬学の成績は、驚いた事に――学年で一番ビリ――つまり、落第すれすれだったのだ。しかし、変身学を筆頭とした他の授業の成績がそこそこ良く、それらのおかげで何とか落第を逃れたようだった。

 

「嘘でしょ。貴方の作り方は完璧だった筈よ。そんなことって・・・」ハーマイオニーがイリスの成績を覗き込み、息をのんだ。

「――何かご不満でもお有りかな?ゴーント」

 

 はっとして振り返ると、取ってつけたような微笑みを浮かべたスネイプがイリスのすぐ後ろに立ち、彼女を見下ろしていた。

 

「先生、イリスの作り方は完璧だった筈です!」

「口を慎め、グレンジャー。試験の出来は吾輩が決める事だ。ゴーント、残念だがご覧の通り、君の補習は来年も継続する事となった。落第を免れた事を幸運に思うがいい。・・・(チラッとイリスの成績を見てこれ見よがしにため息を零した)・・・君には失望した。来学期こそ精進したまえ」

 

 ハーマイオニーが我慢できずにスネイプに意見するが、彼は氷のように冷たい声で手短に遣り返し、不機嫌そうにマントを翻して去って行った。

 

「きっとあてつけだよ!グリフィンドールが土壇場で寮杯を獲得したからだ!」

 

 ハリーが怒りで顔を真っ赤にしながらイリスに言うが、彼女は言葉もなく落ち込むばかりだった。イリスが魔法薬学の勉強に打ち込んだのは、早く補習から解放されたいという思いが第一だが・・・一度で良いから、尊敬するスネイプに褒めてもらいたくて頑張っていたのもあった。きっと試験の結果は一位だと思っていた。それなのに・・・『君には失望した』スネイプの言葉はイリスの心を鋭いナイフのように突き刺した。

 

 

 イリスは次の日、ハグリッドの小屋の前に来ていた。フラッフィーにお別れを言うためだ。ハグリッドは迎えに来たギリシャの魔法使いと何やら話し込んでいた。イリスは耳当てを外しながら(外した瞬間、色んな声の洪水で頭がクラクラした)、フラッフィーに近寄る。頑丈なオリの前にフラッフィーが立っていて、イリスを見ると嬉しそうに尻尾を振った。

 

≪イリス、来てくれたのかい?≫サナトスが言う。

「うん。ハグリッドから、みんながもうギリシャに帰っちゃうって聞いて」

 

 イリスは寂しげに言ってそれぞれの頭を撫でると、みんな気持ちよさそうに目を細めた。

 

≪僕らは友達だ。何かあったら僕らを呼んでくれ。君がどこにいたって、すぐに駆けつけるよ≫アナスタシスが言った。

≪さよなら、イリス。また会おう≫ゾーエーが言った。

 

 そうして三匹は、付き添いの魔法使いと共に、故郷であるギリシャへ帰っていった。

 

 

 そして、あっという間にホグワーツを出発する日がやって来た。イリスは洋服箪笥を空にし、トランクに荷物を詰め込み、ハーマイオニーと共に談話室を出た。玄関ホールを出てハリーたちと合流し、ハグリッドが指示する船に乗って湖を渡り、そして四人はプラットホームからホグワーツ特急に乗り込んだ。四人は一つのコンパートメントに陣取り、お菓子を食べながら談笑しているうちに、車窓の景色は徐々にマグルの世界へと近づいていく。

 

 列車はキングズ・クロス駅の9と4分の3番線ホームに到着した。ゲートの前には長蛇の列が出来ており、四人はそれに並んだ。壁の中から一度に大勢の生徒が飛び出すとマグルがびっくりするので、数人ずつばらばらに出る必要があったためだ。

 

「夏休みに三人共、家に泊まりに来てよ。ふくろう便を送るからさ」

 

 順番を待っている間、ロンが鼻を擦りながら言った。

 

「ほんとっ?!行きたい!」

 

 イリスははしゃいで歓声を上げた。四人で仲良くお泊りだなんて、とても素敵な事だと思ったからだ。

 

「それは嬉しいなぁ。僕も何か楽しみがなくちゃ」とハリー。

「言っておきますけど、宿題はそれまでにしなさいよね」

 

 何かを察知したハーマイオニーがピシャリと言うと、ロンとイリスは示し合わせたように眉根を下げ、大きなため息を零した。

 

 人の波に押されながら四人はゲートを通り抜け、マグルの世界へ再び足を踏み入れた。駅の中も当然大勢の人々でごった返しており、イリスは迎えに来ている筈のイオの姿を探して視線を彷徨わせる。

 

「イリス!」

「おばさん!」

 

 懐かしい声が聞こえた。――イオおばさんだ。イリスは三人にお別れを言うと、トランクを急いで引っ張りながら一目散にイオに駆け寄ろうとして――徐々にペースダウンしていった。笑顔で手を振る彼女のそばに、ルシウスとナルシッサ、ドラコがいたためだ。どうやら四人で談笑していたらしく、みんなの雰囲気は和やかだった。しかし、イリスの心境は複雑だった。

 

 ――君を哀れんでいるからさ!マグル界でスクイブに育てられた親なしの君をね!――

 

 ドラコに投げつけられた言葉が思い起こされ、イリスは気まずそうな顔でルシウスとナルシッサを見た。ルシウスはすぐにイリスの表情を見て察し、彼女の下へ近寄った。

 

「イリス。どうやら休暇明けのクィディッチの試合で、ドラコが君に無礼な発言をしたようだね。私がきつく叱っておいたよ。・・・不快な思いをさせてすまなかった」

 

 ルシウスはイリスの目線に合わせてしゃがみ込み、驚く彼女の頭を撫でながらそう告げた。ドラコも眉根を下げ、イリスに対してバツの悪そうな表情で小さく謝る。どうやら彼は父に、イリスとの喧嘩の事を報告した結果、締め上げられたらしい。イリスの心に掛かっていた分厚い雲は、途端に晴れて行った。――じゃあ、ドラコのあの発言は嘘だったんだ。本当にルシウスはそんな事を言っていなかったんだ。そう思って、素直なイリスは一安心した。

 

「イリス、ルシウスさんが、夏休みにまた泊りに来ないかってさ。どうする?」

「えーっと・・・」

 

 イリスたちとは少し離れた位置でナルシッサと世間話をしていたイオが、不意にイリスに尋ねた。イリスは申し訳なさそうにルシウスを見た後、ロンの家に泊まる約束をしたからと、言葉を選びながら丁重に断った。ドラコはイリスに聞こえないように舌打ちした。

 

「・・・ほう、ウィーズリー家に?」

 

 ルシウスはウィーズリーの名を聞くと不愉快そうに眉をひそめたが、イリスが不審に思う前にいつもの冷静な表情を取り戻し、それなら仕方がないと少し残念そうに笑った。イオがルシウスたちに別れの挨拶をしている時、ドラコがイリスに近づいた。――イリスはドキッとした。

 

「リボンを貸してくれ」

 

 あの時のドラコの発言に傷つきイリスはリボンを付ける事を躊躇っていたが、今となってはもう過去の事だ。それにこれのおかげでフラッフィーからみんなを守る事ができたし、イリスにとってはお守りのようなものだった。ドラコはイリスからリボンを受け取ると、彼女の髪に触れてリボンに合言葉を囁いた。リボンは涼しげな鈴の音を奏でながらイリスの髪をまとめ上げる。それを見て、ドラコは満足気に笑った。

 

「やっぱり、それを付けていた方がいい」

 

 イリスが恥ずかしげに微笑むと、ドラコも顔を赤らめた。そんな二人の微笑ましい光景を見て、ルシウスたちが笑う。

 

 その時、イリスが気付いていれば、これからの状況は変わったかもしれなかった。

 

 ――『目に見える事だけが真実ではない』という親友のハーマイオニーの忠告を本当に理解できていたなら――

 

 ルシウスが表面上は好意的な表情を浮かべながらも、会話の端々でイリスやイオに分からないよう、冷たく蔑んだような目でイオを睨んでいた事も、そしてイリスのフクロウが入っている籠に近づき、杖を出して何かの魔法をかけていたのも、注意深く観察していたなら気づけた筈だった。

 

 そう、冷静に考えれば他にも可笑しな点は沢山あった筈だ。しかし、イリスは単純であるが故に、愚かにもそれらを察知する事ができなかった。イリスの計り知れぬところでどす黒い陰謀が渦巻き、災厄が彼女に手を伸ばそうとしていた。

 

 

 マルフォイ家と別れた後、イオは歩き出そうとしたが、不意に前に回ったイリスが両手を突き出して通せんぼをしたために、立ち止まった。

 

「どうしたイリス」

「・・・抱っこ」

 

 イオは呆れたようにため息を零すと、イリスをひょいと片手で抱き上げた。

 

「まったく、お前はいつまでたっても赤ちゃんみたいだな」

 

 そう言いながらも、イオの表情は満更でもなさそうだった。イリスはイオの首筋に顔を埋めて、何も言わなかった。別に他のホグワーツ生に見られたって構わないと思った。

 

「だって、本当に色々あったんだよ。大変なことが・・・」

「ああ、いっぱい聞かせてくれ。時間はたっぷりあるんだ」

 

 そうして二人は、イギリスの街並みへ消えて行った。

 




賢者の石編完結です(^^♪感想を活動報告に上げました!

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