ハリー・ポッターと虹の女神   作:セバスチャン

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※動物の言葉は≪≫で表記します。
※3/8 アヤメはギリシャになかったです。すみません・・・。アネモネに変更しました。


File15.イリスとフラッフィー

 イリスは森の事件以降、考え事が増えて眠れなくなった。ある夜ベッドの中で、森で見たヴォルデモートの事や、ハリーの言う通りスネイプが本当に彼の手下なのかという事を考え続けているうちに、完全に目が冴えてしまったので、イリスはベッドを起き出して談話室へ行った。暖炉に小さな火を起こし、その前のソファに掛けて牛乳をたっぷり入れたミルクティーを飲んでいると、男子寮へ続く階段からハリーが下りて来た。イリスは驚いて問いかけた。

 

「ハリー、どうしたの?こんな時間に」

「眠れないんだ。君こそどうしたんだい?」

 

 ハリーは弱々しく微笑みながら、クリスマス休暇後から見ている悪夢が、あの事件以降、より酷くなったことをイリスに伝えた。額の傷がズキズキと疼く事も。イリスはハリーの話を真剣に聞いていた。二人は同じ黒い影――ヴォルデモートを見て恐怖を感じ、両親をヴォルデモートに殺されたという共通の経験を有していたため、妙な連帯感があった。ハリーは隣に座るとイリスを見た。ハリーにとってイリスは妹のような存在に思えた。彼女の傍にいるだけで、悪夢に怯えて張り詰めた精神は不思議な程に鎮められ、落ち着いた。イリスはハリーのためにミルクティーを作り、その後は二人で紅茶を飲みながら、何を話すでもなくぼんやり暖炉の火を見ていた。

 

 イリスがふと横を見ると、ハリーが目を閉じてぐっすり眠っていた。余りにもハリーが気持ちよさそうに眠っているので、起こして寝室に行くよう促す事は憚られた。自分のベッドから薄めの掛布団を取って来てハリーに掛ける。イリスはまた悪夢を見ていたら起こしてやろうとハリーを見守っていたが、やがて自分も睡魔が襲ってきて眠り込んでしまった。二人はそれ以降、度々談話室で眠るようになった。

 

 

 数日がじわじわと過ぎ、うだるような暑さの中、いよいよ試験が始まった。四人は石の事など考える余裕はなくなった。試験は筆記だけではなく実技もあった。フリットウィック先生の試験はパイナップルを机の端から端までタップダンスさせる事だったが、イリスのは千鳥足状態で時折テーブルからよろけて、何度も転げ落ちそうになった。マクゴナガル先生の試験は、ねずみを「嗅ぎたばこ入れ」に変身させる事だった。イリスのは装飾の施された美しい箱になったが、その数秒後には箱の両脇からピョイーンとひげが飛び出してしまったので、マクゴナガル先生は複雑な表情を浮かべていた。――一番出来が良いとイリス自身が思えたのは、スネイプの「忘れ薬」の実技試験だった。その名の通り作り方をすぐ忘れてしまいそうになるのが最大の難点だが、イリスの血の滲むような努力は『忘れん坊イリス』の汚名を見事返上させてみせた。後にハーマイオニーと作り方の答え合わせをしても完璧だと称される程、素晴らしい出来栄えだったのだ。

 

 最後の試験は魔法史だった。幽霊のピンズ先生が羽根ペンを置いて答案羊皮紙を巻きなさいと言った時にはイリスも他の生徒たちと一緒に思わず歓声を上げた。

 

 

 四人はさんさんと日の差す校庭に繰り出した。ハーマイオニーはいつものように試験の答え合わせをしたがったが、ロンが反対し、四人は湖まで降りて木陰に寝転んだ。三人は幸せいっぱいの顔を浮かべていたが、ハリーだけは思いつめた表情を浮かべていた。

 

「ずっと傷が疼くんだ。今までも時々こういうことはあったんだけど、こんなに続くのは初めてなんだ」

 

 ハリーは試験の事ではなく、未だに続く額の傷の痛みに頭を悩ませていたのだった。怒りを吐き出すように言うハリーに、ハーマイオニーが優しくアドバイスする。

 

「医務室へ行った方がいいわ」

「僕は病気じゃない。きっと警告なんだ・・・何か危険が迫っている証拠なんだ」

「その傷って、妖怪アンテナみたいなものなの?」

 

 イリスが勢い良く上半身を起こして尋ねるが、誰もそこに突っ込まず、代わりにロンがハリーを宥める言葉をかけ始める。ハリーは頷いて聞いていたが、やがて息をのんで突然立ち上がった。顔が真っ青だ。

 

「どうしたの?」イリスが驚いて聞いた。

「今、気づいた事があるんだ。すぐハグリッドに会いにいかなくちゃ」

 

 言うや否や、ハリーはハグリッドの小屋を目指して駆けだした。三人は慌てて彼の後を追いかける。草の茂った斜面をよじ登りながら、ハリーが言った。

 

「おかしいと思わないか?ハグリッドはドラゴンが欲しくてたまらなかった。でも、いきなり見ず知らずの人間が、法律で禁止されている筈のドラゴンの卵をたまたまポケットに入れて現れるかい?話がうますぎると思わないか?どうして今まで気づかなかったんだろう」

 

 ハーマイオニーは合点がいったようだが、ロンとイリスはいまいち理解ができなかった。四人はやがてハグリッドの小屋へたどり着いた。ハグリッドは家の外にいて、肘掛け椅子に腰掛け、大きなボウルを前に置いて豆のさやを剥いていた。

 

「よう。試験は終わったか?お茶でも飲むか?」

 

 ハグリッドはにっこりした。ロンとイリスが「ありがとう」と言い掛けたが、ハリーが遮る。

 

「ううん。僕たち急いでるんだ。ハグリッド、聞きたい事があるんだけど、ノーバートを賭けで手に入れた夜の事を覚えているかい?トランプをした相手って、どんな人だった?」

「わからんよ。マントを来たままだったしな。顔も名前も知らん」

 

 四人は絶句した。ロンとイリスはここでやっと、ハリーが何を言わんとしているか理解した。四人が驚愕の表情を浮かべているのを見て、ハグリッドは眉を訝しげに動かしながら言った。

 

「そんなに珍しいこっちゃない。『ホッグズヘッド』なんてとこにゃ・・・村のパブだがな、おかしなやつがうようよしてる。もしかしたらドラゴン売人だったかもしれんしな」

「ハグリッド、その人とどんな話をしたの?ホグワーツのこと、何か話した?」

 

 ハリーの願いは無残にも、続くハグリッドの言葉に打ち砕かれた。ハグリッドはその人物に酒をおごられ続け、気を良くしてしまったついでに、自分の職業やドラゴンを飼いたいと思っている事を話したことを言い、最後にこう言った。

 

「それで俺はあいつにこう言ってやったんだ。・・・フラッフィーに比べたら、ドラゴンなんか楽なもんだって。なんせ音楽さえ聞かせちまえばすぐにねんねしちまうってな」 

 

 ハグリッドは突然、しまったという顔をした。しかし、時すでに遅し、四人は真っ青な顔で、口止めしようとするハグリッドを見もせずに、足早に学校へ戻った。玄関ホールに着くまで、互いに一言も口を聞かなかった。――もはや一刻の猶予もなかった。最後の砦であるフラッフィーが破られてしまったのだ。

 

「ダンブルドアのところへ行こう」ハリーが真剣な表情で言うと、三人は無言で頷いた。

 

 しかし、校長室が見当たらない。急にホールの向こうから厳しい声が飛んできた。

 

「そこの四人、こんなところで何をしているんです?」

 

 山の様に本を抱えたマクゴナガル先生が、四人を睨み付けている。

 

「ダンブルドア先生にお目にかかりたいんです」

 

 ハーマイオニーが辛うじて平静を保ちながら言うが、マクゴナガル先生は眉をひそめ、怒りを孕んだ声音で四人に尋ね返した。

 

「ダンブルドア先生にお目にかかる?――理由は?」

 

 ハリーはぐっと唾を飲み込んで、ついに観念したように、慎重さをかなぐり捨てた声で言った。

 

「とても重要な事なんです。実は・・・先生、『賢者の石』の件なのですが・・・」

 

 ついに言った!とイリスはハリーを尊敬の眼差しで見つめながら思った。さすがのマクゴナガル先生も、驚いてその手から大量の本が落ちたのを拾おうともせず、目を見開いてハリーを見つめている。

 

「どうしてそれを?」マクゴナガル先生の声に明らかに動揺が走る。

「先生、僕は知っています。誰かが石を盗もうとしています。どうしても今、ダンブルドア先生にお話ししなくてはならないのです」

 

 マクゴナガル先生は驚きと疑いの混じった目でハリーに向けていたが、しばらくしてやっと口を開いた。

 

「ダンブルドアは明日、お帰りになります」

「明日ですって?!」

「ええ、魔法省から緊急のふくろう便が来て、つい十分程前にロンドンにとび立たれました」

「先生がいらっしゃらない?この肝心な時に?」

「ダンブルドア先生は偉大な魔法使いですから、大変ご多忙でいらっしゃるのです。あなた方がどうしてあの石のことを知ったのかわかりませんが、安心なさい。盤石の守りですから、誰も盗むことはできません」

「でも先生・・・」

「ポッター。二度と同じ事は言いません」

 

 マクゴナガル先生はきっぱり言うと、屈んで落ちた本を拾い始めた。マクゴナガル先生が声が届かないところまで行ってしまうのを待ってから、ハリーが言った。

 

「今夜だ。スネイプが仕掛け扉を破るなら今夜だ。きっとダンブルドア先生のことも、スネイプがニセの手紙を送ったに違いないよ」

 

 入口の石段のところで、四人は緊急作戦会議を開いた。会議の結果、ハーマイオニーが『フリットウィック先生に試験の質問をする』という名目で職員室の外で待機し、外に出たスネイプの後をつけようということになった。そして三人は彼を待ち伏せするため、四階の廊下に向かった。

 

 しかし、作戦は失敗した。フラッフィーのいる扉の前についた途端、またマクゴナガル先生が現れたのだ。マクゴナガル先生はすごい剣幕で三人を締め上げ、今度このあたりに近づいたら減点すると警告し、三人を追い出してしまった。三人が談話室へ戻り、椅子に座るか座らないかのうちに、スネイプをつけていた筈のハーマイオニーが入って来た。

 

「ハリー、ごめんなさい。スネイプが出てきて、本当にフリットウィック先生を呼んできてしまったから、私捕まってしまったの。結局、スネイプがどこに行ったかわからないわ」

「・・・じゃあ、僕が行くしかない。そうだろう?」

 

 三人はハリーを見つめた。蒼白な顔に緑の目が悲愴な決意に燃えていた。

 

「僕は今夜ここを抜け出す。石を何とか先に手に入れる」

「気は確かか!」とロンが叫んだ。

「だめよ!マクゴナガル先生に言われたでしょ。退校になっちゃうわ!」

「だから何だって言うんだ?!」ハリーが叫んだ。

 

「わからないのかい?もしスネイプが石を手に入れたら、ヴォルデモートが戻ってくるんだ!あいつがいた時、魔法界がどんなに酷い有様だったか、君たちも聞いてるだろう?!・・・退校なんてもう問題じゃない、ホグワーツそのものがなくなってしまうんだ!でなければ、闇の魔術の学校にされてしまうだろう。もし僕が石にたどり着く前に見つかってしまったら、そう、僕は退校でダーズリー家に戻り、そこでヴォルデモートがやってくるのを待つしかない。死ぬのが少し遅くなるだけだ。――だって僕は、絶対にヴォルデモートに、闇の魔法に屈しないから!

 今晩、僕は君たちが何と言おうと僕は仕掛け扉を開ける。いいかい、僕の両親はヴォルデモートに殺されたんだ」

 

 それはハリーの本心の叫びだった。その言葉は死地へ向かう兵の長が、共に戦う兵士たちの心を命懸けで鼓舞するように、イリスの胸を強く打った。

 

「わかったよ、ハリー。でも、私も一緒に行く」

 

 気が付けばイリスはハリーにそう言っていた。戸惑うハリーに、ハーマイオニーとロンが話しかける。

 

「馬鹿言うなよ。君だけを行かせると思うのかい?僕も行くさ。モチのロンでね」

「優等生の私がいなくちゃ、どうやって石までたどり着くつもりなの?私も行くわ」

 

 ハリーは顔を俯かせながら、三人に小さく「ありがとう」と言った。彼の足元に小さな染みがぽたぽた形作られているのを、三人は見ない振りをした。

 

 

 夜の帳が下り、談話室にいた寮生が一人、また一人と寝室へ上がっていく。四人に誰も興味を持っていない事を、この時ばかりはみんな感謝した。最後にリー・ジョーダンが欠伸をしながら出ていくと、ハリーは一旦寝室に戻り、透明マントと木の笛(ハグリッドがクリスマスプレゼントにくれたらしい)を持ってきた。

 

 いざ行かんとした時、四人の前に立ちふさがった障害――ネビルやピーブス、そしてミセス・ノリスだ――を乗り越えながら、四人は何とか四階へ続く廊下へたどり着いた。扉はすでに少し開いていた。――やはり、スネイプはもうフラッフィーを突破していたに違いない。四人は決意を固めた表情を見合わせ、ハリーが扉を押し開ける。

 

 扉は軋みながら開き、低いうなり声が聞こえた。イリスは初めてマント越しにフラッフィーを見て、その余りの大きさに震え上がった。三つの大きな鼻が、姿の見えない四人の方向を狂ったように嗅ぎまわった。犬の足元にはハープが置いてある。

 

「きっとあれはスネイプが置いたに違いない。犬は音楽がやんだとたん起きてしまうんだ。・・・さあ、始めよう」

 

 ハリーが木の笛をローブから取り出そうとした時、小さな事故が起きた。フラッフィーに見つからないよう、より一層四人が身を寄せ合っていたのも原因の一つだが、まず初めにハリーがポケットに手を突っ込んだ時、後ろのハーマイオニーに肘鉄を食らわせたような形になり、彼女がよろけた拍子に隣のロンに縋り付き、体勢をくずしたロンが前にいるイリスにぶつかり、あっという間に四人はそれぞれ床に転げ落ちてしまった。――透明マントが覆い隠すものを無くし、それぞれの手を離れ、するすると地面に零れ落ちていく。

 

 そうしてフラッフィーは、不意に現れた四人の姿を発見してしまった。

 

「逃げろ!!」

 

 ハリーが叫んだが、たちまちフラッフィーの恐ろしい吠え声に掻き消された。四人は散り散りになって逃げた。フラッフィーは繋がれた鎖の許す範囲で、本能のまま暴れ回った。その拍子に、ハープも木の笛も粉々に踏み砕かれた。――フラッフィーは逃げ惑う四人のうち、ロンに目を付けた。彼のローブの裾を三つの頭のうちの一つが捕え、我武者羅に暴れるロンを手元へ引き摺って行く。

 

「うわあああ!!」

 

 ロンが恐怖で引き攣った声で叫んだ。――ハリーとハーマイオニーがロンに無我夢中で駆け寄ろうとしたその時、フラッフィーが不意に動きを止めた。リン、と微かな鈴の音がする。三人が音の方向を見ると、イリスが真っ青な表情で、ポケットから取り出した銀色のリボンを振っていた。

 

「『鈴の音、最大に』」

 

 イリスの合言葉に従って、リボンから出される鈴の音は、部屋中に響く程大きくなった。いくつもの鈴を束ねて鳴らしたかのような音は、イリスに『神楽鈴』を彷彿とさせた。イリスは、春頃に実家の神社で催される祭りでイオが舞う『巫女舞』独特のリズムで、鈴を鳴らし続けた。やがてそれを『良質な音楽』と認識したフラッフィーはロンを離し、三つの頭はそれぞれ眠そうにとろんと目を閉じ、その場に横たわって眠ってしまった。再び静寂が訪れ、四人はため息を零し、体の力を抜いた。

 

「ありがとう、イリス。おかげで助かったよ」ロンが言った。

 

 フラッフィーが眠っているうちに、四人はそっと仕掛け扉の方へ移動し、扉を引っ張り開けた。中は真っ暗だ。

 

「真っ暗だ・・・降りていく階段もないみたい。落ちていくしかないね」

 

 中を覗き込んだロンの感想を聞いて、イリスの表情に陰りが差した。

 

「ごめん、みんな、私はここまでかもしれない」

「どうしてだい?・・・君っ、その足っ・・・!」

 

 ハリーがイリスを振り返って、息をのんだ。二人も次々イリスの足元に目をやって、その痛ましさに悲鳴を上げる。――イリスの左足の太腿から膝裏にかけて、大きな裂傷が走っていた。血が傷口から滴り、地面に小さな血だまりを作っている。・・・何故今まで気づかなかったのだろう。三人は自分を責めた。

 

「さっきの時に、フラッフィーにやられちゃったみたい。この足だと着地できないし、足手まといになっちゃう。私がどじでのろまなせいで・・・ごめんなさい」

「そんなことないよ!さっきだって、君は僕を助けてくれたじゃないか!」ロンは慌ててそう言ったが、イリスは笑ってかぶりを振った。

 

「私、ここで待ってる。入口も出口もここしかないなら、私、フラッフィーと一緒に、みんなが戻ってくるのを待ってるよ」

「ダメだ、そんなの危険すぎる。もし、僕らが入れ違いになって、スネイプが先にここへ戻ってきたらどうするんだい?」

 

 ハリーが強い口調でたしなめるが、イリスは毅然とした態度で続けた。

 

「ここにはもうハープも木の笛もないもの。もしスネイプ先生が戻ってきたら、私、フラッフィーを起こすよ。そうしたら、一か八かの賭けだけど・・・フラッフィーが先生を足止めしてくれるでしょ。

 ・・・私、先生を『例のあの人』の手下になんか、悪者になんかしたくない」

 

 三人は何も言わずに、それぞれイリスを抱きしめた。ハーマイオニーが「傷の手当てをしなくちゃ」と涙ながらに言って、ありあわせの薬と道具でイリスの傷の応急処置をした。

 

「イリス、いいかい。僕たちが全員降りたら、すぐ仕掛け扉を閉めるんだ。もし怪我の具合が酷くなったら、ここを出て、まっすぐふくろう小屋へ行って、ダンブルドア宛にヘドウィグを送ってくれ。その後は医務室へ行くんだ。僕たちの事は気にするな」

 

 ハリーはそう言ってイリスの額にキスすると、仕掛け扉の中へ飛び込んだ。少しの沈黙の後、「大丈夫そうだ」というハリーの声が上がり、ロン、ハーマイオニーも飛び込んでいく。その後すぐに何やら騒いでいる声が聞こえたが、やがて収束し、「大丈夫だよ、扉を閉めて!」と再びハリーの大声が聴こえた。

 

「頑張って!みんな!」

 

 そう言って、イリスは扉を閉めた。後には、眠り続けるフラッフィーとイリスだけが残された。

 

 

 ・・・どれぐらい、時間がたっただろう。イリスには、それは何時間にも思われた。ゴールの見えないマラソンを延々走り続けているような、言いようのない不安感がイリスを包み込む。

 

 やがて、何度も同じ作業を繰り返していたイリスは、やがてふと鈴のリズムがわからなくなってしまった。ぴくぴくと、フラッフィーの鼻が動き始めた。――まずい!イリスは慌てて鈴を我武者羅に鳴らしたが、どうやら先程のリズムでないとお気に召さないらしく、やがて一つの頭が起き上がり、不機嫌そうにイリスを見た。

 

 もうイリスには、こうするしか道はなかった。『巫女舞』をするのだ。幼い頃から、美しく舞い踊るイオを見続けてきたイリスは、その動きの一つ一つを克明に覚えている。手早く杖にリボンを巻き付けると、それは即席の『神楽鈴』になった。そしてイリスは、ゆったりとした動きで、記憶の糸を辿りながら、『巫女舞』を踊り始めた。舞う毎に足が痛むが、代わりに鈴のリズムを再び思い出す事が出来た。たちまちフラッフィーは目をとろんとさせ始める。

 

 イリスは舞いながら、イオの教えを思い出した。『巫女舞』は、出雲神社に祀られている神様に奉納されるために行われ、舞いの途中で跳躍する事で神様をこの身に下ろし、神託を得るのだという。そして、国の、人々の安寧を祈るのだと。――それならば、とイリスは願いながら、足の痛みも忘れて跳躍した。神様、どうかハリーたちが無事に帰ってきますように。スネイプ先生が石を手に入れるのを失敗しますように、と。

 

 ――その時、イリスの体にとてつもなく壮大で、偉大で、暖かなものが下りて来るような気配がした。イリスは初めての『巫女舞』で、出雲神社の神をその身に下ろす事に成功したのだ。それはイリスの願いを聞き届け、神託を与えた。彼女の魂の奥底で眠る、強大な魔力を解き放たせたのだ。イリスは神に出雲家の巫女として認められた証に、母親エルサと同じように、出雲家特有のある力を発現させたのである。

 

 

 イリスは突然、自分の頭の中で、パチンと音を立てて感覚のスイッチが切り替わったような衝撃に囚われた。まるで世界の色が、空気が、音が全て変わったような、言いようのない不思議な感覚。イリスは茫然となり、いつの間にかリボンを鳴らすのを止めてしまっていた。当然のようにフラッフィーの三つの首がそれぞれゆっくりと頭を上げ、イリスを認め、ぐるぐると唸り声を上げた。

 

≪やっと音楽を止めた。起きろ、兄弟。寝ている場合ではないぞ≫

 

 驚いた事に、一つ目の頭が唸った声は、イリスの頭に直接響くような人間の言葉へ変換された。イリスは思わず耳を疑った。フラッフィーが喋った?

 

≪全く、いっつも良い所で音楽が僕らを邪魔するんだ!≫二つ目の頭がイリスを睨む。

≪もしかして、さっきの小さな人間の群れからはぐれちまったヤツかな?≫三つ目の頭は首を傾げた。

≪そんなことはどうでもいい。僕たちの仕事は侵入者の排除だ。また音楽を奏でられる前に、早いとこ、こいつを食っちまおう≫一つ目の頭が舌なめずりした。

「ま、待って!食べないで、私は君たちの敵じゃないよ!」

 

 のしっと大きな前足を踏ん張り、立ち上がりかけたフラッフィーは、イリスの言葉を聞いた途端、金縛りの呪文を掛けられたようにその場を動かなくなった。三つの頭がそれぞれを戸惑ったように見る。

 

≪お、おい・・・聞いたか?こいつ、他の人間とは違う。僕たちの言葉をしゃべったぞ!≫一つ目の頭が叫んだ。

≪お前、僕たちの言葉がわかるのか?≫二つ目の頭がこわごわ尋ねた。

「う、うん・・・そうみたい」

 

 どうやらイリスの言葉は、不思議なことにフラッフィーのわかるような言語に翻訳され、彼らの耳に届いているようだった。

 

≪・・・驚いたな。僕たちの言葉のわかる人間は、初めてだ≫三つ目の頭が感心したように頷いた。

「私も初めて、犬としゃべったよ。ジャンプしたら急に何だか不思議な気持ちになって、君たちの言葉がわかるようになったんだ」

 

 イリスもフラッフィーも、じーっと不思議そうにお互いを見つめた。イリスにふと思いついて、フラッフィーに話しかけた。

 

「ねえ、フラッフィー。聞きたいことがあるんだけど・・・私たちより前に、誰か他の人が来なかった?」

≪おい、フラッフィーなんて呼ぶのはやめてくれ。それは、あのどでかい人間が勝手につけた名だ。僕らにはそれぞれ立派な名前があるんだ≫

 

 フラッフィーは一つ目の頭が『サナトス』、二つ目の頭が『ゾーエー』、三つ目の頭が『アナスタシス』と名乗ってくれたので、イリスも自己紹介をし、改めて自分たちが敵ではない事、本当の敵は先に仕掛け扉を開けて侵入してしまったのだという事を伝えると、みんな前足を力任せに引っ掻いて、悔しがった。

 

≪なら、僕らはお前たちに酷い事をしてしまったな。おまけにお前を引っ掻いてしまった。痛いだろう?・・・ごめん≫

 

 ゾーエーがしょんぼりと項垂れ、イリスに謝る。イリスは(実際痛いが)気にすることはないと、ゾーエーに微笑んだ。

 

≪そうだ。質問に答えてなかったな。・・・お前たちが来るより前に、人間が来たよ。そいつもすぐ音楽を鳴らしたんで、僕らはあまりよくは見れていないが≫サナトスが言う。

「・・・え?!そ、それはどんな人だった?」

 

 イリスは足を引き摺りながら、彼らの前足に思わずしがみ付き、答えを急いた。が、思いもよらない言葉が彼らの口から放たれる。

 

≪そいつは何せ、とびきり臭かった。鼻がもげそうだったよ≫アナスタシスが舌をデロンと出した。

≪それに、あのヘンテコリンな被り物。僕ら思わず笑っちまってさ≫ゾーエーがくすくす思い出し笑いをした。

≪被り物・・・ああ、思い出した。そいつはアネモネの色をした大きな被り物を頭に付けてたよ≫サナトスが優しい目をしてイリスに言った。

 

「大きな・・・被り物・・・?」

 

 スネイプは被り物なんてしない。アネモネが花の名だとするならば、色は紫。紫色の被り物をするのは、イリスの知る人物では、ただ一人だけだ。

 

「クィレル先生・・・?」

 

 なんていうことだ、クィレル先生が真犯人だったんだ。シャーロック・ホームズは、再び真実にたどり着いたが、もうワトソン君たちはすでに現場に向かってしまっていた。




イリスにも遂に特殊能力が・・・!主人公感が出て来たぞ!

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