かくも日常的な物語 2   作:満足な愚者

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秋の夜と満月 後編

秋の虫とともに鉄板の上で肉を焼く音が辺りに響く。光源という光源はなかったが頭上から降り注ぐ光のせいか、庭は全体を見渡す分には困らないほどに明るかった。縁側に腰掛けたまま頭上を仰げば、欠片のみつからない真円を描く月が一つ、暗闇に浮かんでいた。今日は満月だ。

鬱陶しかった蚊もいなくなり、気温も随分下がり過ごしやすい季節となった。いつも半袖を着ていた真が今週からは長袖を着ていることが何よりの証明だ。そして、今の真の格好は上下お揃いの黒いジャージ。俺の高校時代のお下がりだ。はっきり言っていくら変装の意味も込めているからと言ってもその服装はどうだろうか。真のことをよく知っている俺からすれば、いつも通りで似合ってはいるのだが、ファンが真に抱いているイメージと言えば、クールでカッコいい真様と言ったイメージが強いはず。大抵、雑誌やテレビでは殆どメンズ用に近いカッコいいピシッとした服を着ているしな。ファンが見たら色々とショックを受けそうな格好だ。当の本人はそんな俺の心配をよそに鉄板の横で美味しそうに肉を頬張っていた。まぁ、本人があそこまで楽しそうなら俺からはもう言うことはない。俺自身も仕事モードのキリッとした真よりも今の真の方が好きだ。

仕事をするということはお金を稼ぐと言うことだ。そうすればいくら好きで自分で始めた仕事とは言えど苦労や苦痛はつきまとう。仮面だって被らないといけない。どんな仕事だってそうだ。自分を押し殺さないといけないのだ。特に人に見られる真のような仕事ならそれが顕著だ。どんなに辛い時でも、泣きたい時でも笑顔を見せないといけない、イメージを作らなければいけない。

なるほど、劇や小説は第三者の視線に立つから面白いとはよく言ったものだ。アイドルを妹に持つ者として今の真やその周りのアイドル達は努力の上に立っている。そのことは近くで見てきた俺自身がよく知っている。それならせめてプライベートの時間くらいはその仮面をとって束の間の間でも安らいで欲しいと思う。

 

そこまで考えた時、ふとそれまでの考えが間違えだったということに気づいた。なかなかどうして真やその仲間を見ていると辛さはあるが、どうにも楽しそうに仕事をやっているように見える。

あぁ、そうか。どうやら俺は夜の帳が降りて、秋の青空が見えなくなったことに浮かれて大切なことが分らなくなっていたみたいだ。

真やその仲間は、ミズキ達のように“もっている”人達だ。彼女達は俺の何歩も何十歩も先を行っている。いや、こう言うのは適当じゃないな。先を行っていると言うといつかは俺でも追いつけると言う風になってしまう。なら、こう言うのが正解か。彼女達は俺の“何次元”も先を行っている、と。世界が違えば、決して追いつけることはない。まして、その世界が一本だけでなく、二本も三本も画されていると最早ただの本やテレビの物語として見ることができる。観客として、第三者として見れば、彼女達の成長や成功を何の損得もなしに喜べ、彼女達の悲しみも共に哀しむことが出来る。

こう考えるだけなら簡単だが、実際にそう思い続けるのは難しい。結局、どれだけ分かっていても割り切れないのが俺みたいだ。

嫉妬や憎悪を感じるのもそれは人間だから仕方が無い、その意見を俺自身に当てはめることはどうにも俺には出来ない。何と無く、それが誠実ではないような気がするのだ。

どこまでも変われない俺自身に思わず乾いた笑みがこぼれる。

 

そんな時だった。庭の中央の人影からこちらに近づいてくる人影。白い服に黒いズボン、茶色のボブヘアーが秋風に揺れる。左目に力を入れて目を細めるとしっかりあったピントに何時もの温和な柔らかい笑みが写った。テレビや雑誌で見るときよりも更に柔らかい笑みを浮かべながら彼女は手にもっている紙皿をこちらに差し出す。

 

「どうぞ、お兄さん食べて下さい!」

 

皿の上には肉や野菜が所狭しといった様子で乗っていた。焼き加減もちょうど良く、いい香りが鼻腔をくすぐる。

 

「ありがとう、雪歩ちゃん」

 

そう笑いながら皿を受け取ればずっしりとした重みが手にかかる。どうやら、見た目以上に食材は乗っているらしい。

 

「真ちゃんやミズキさんが食べる量が少ないって文句言ってましたよ」

 

そうクスリと微笑むと雪歩ちゃんは手に持った紙コップの中身を飲む。中身はおそらく緑茶だろう。

 

「ははははは。どうにもあの食べようを見てるとね」

 

バーベキュー開始直後から同じペースで食べ続けている二人を見る。その二人とはもちろん、真とミズキだ。お互い細いのによくそこまではいるものだ。真もミズキも普段はあまり食べない方だから大食らいってわけじゃないんだろうけど。どうせ、ミズキも真もいつも通り意地を張って大食い勝負と意気込んでいるだけだろう。まぁ、黙々と食べるんじゃなく話しながら食べているんだけどね。それでも、ペースが異常だ。ヒロトなんてビールを片手に苦笑いを浮かべながら肉を焼いているしまいだ。

その横でSSKは我関せずと黙々とビールを飲みと肉を食べていた。なんともらしい。

真の親友であり、同じアイドルの春香ちゃんは自分のペースで色々と摘まみながら談笑に華を咲かせていた。こうしてみると春香ちゃんが一番賢いみたいだ。

 

「なんだか、私もあの食べっぷりを見ているとお腹がいっぱいになってきちゃいました」

 

雪歩ちゃんはそう言うとポンっと一つ、俺の横に腰を下ろした。

確かにあの様子を見れば食欲はなくなる。かくいう俺もその一人だし。

 

「とりあえず、そのお皿はお兄さんのノルマだそうです」

 

「うん、頑張って食べるよ」

 

皿を横に置き、立ち上がるとうーん、と一つ伸びをする。再び座ると割り箸をとり肉を一切れとり一口。タレの匂いが花を通り抜け、熱い感触が口の中に広がる。

うん、美味しい。

 

「真ちゃんが言ってましたよ。最近、兄さんとご飯を食べる機会がないって。毎日のように愚痴ってます」

 

「あー……。それは真の体を思ってね。俺に付き合わせるとどうしても睡眠時間が減ってしまうし」

 

あの晩夏の日に言おうと決めたことを言えたのは先週の初めだった。そこまで言い出すのに時間かかったのは俺自身がこの関係を心の中の何処か、無意識とか潜在意識とか極微少の意識の中にこの関係が終わらないで欲しいと思っていたからだろう。

でも、もうそう言う我儘を言っている段階ではなくなる。この関係を続けたいと思うのがエゴなら、この関係を辞めるのもエゴだ。俺はただ俺自身のエゴでもってこの関係を終わらそうとしたのだ。

 

もちろん、真は何時もの通り反対した。でも、そこはファンの皆や春香ちゃん達も真が倒れたら心配するから、理解してくれ、と押し切った。ファンを使うのは卑怯だと思ったが、こうでも言わなければ真は引き下がらないだろう。学校も始まったし、勉強も大変だ。真が目指すのは俺と同じ大学だ。そこまでランクの高い大学では無いとは言え、一応は国公立。今のままなら厳しいラインだ。

真はなかなか首を縦には振らなかったが、結局長い説得の末、折れたのは真だった。それ以来俺と真がともに食卓を囲むことは劇的に減った。それが俺にとっても……いや、お互いにとっても、きっといいことなんだろう。真ももう兄離れをしないといけないし、俺も妹離れをしないといけない。

 

「真ちゃんもそれは分かっているみたいですよ。でも、お兄さんと食事出来なくて寂しいみたいです。それに、お兄さんが無茶していないか、倒れないかそこも心配みたいです。お兄さんが倒れたら、真ちゃんも心配します。もちろん、私も春香もです。だから、自分の体は大切にしてくださいね」

 

雪歩ちゃんは少しだけ笑みを崩して、真剣な表情で言う。その言葉は、その表情は何故か俺の心に強く刻まれるように心に残る。

 

「ありがとう。自分の体は大切にするよ。それと雪歩ちゃん達も体調崩さないようにね。ファンの人たちが心配するよ」

 

「はい、ありがとうございます」

 

「あぁ、それとこの前のニュース番組見たよ」

 

この前のニュース番組とは、雪歩ちゃんがゲストで呼ばれた朝のニュース番組だ。雪歩ちゃんからたまたまメールがあり、時間があったため見ることができた。

 

「見てくれてありがとうございます。どうでしたか?」

 

「うん。上手く答えれたと思うよ。そして変わったよね、雪歩ちゃん。もちろん、いい意味でね」

 

初めて会ったのはもう、半年以上も前になる。その時はまさか雪歩ちゃんとここまで話すようになるとは思わなかった。ここ半年で一番変わったのは間違いなく雪歩ちゃんだろう。男性恐怖症であがり症の彼女とは初対面からしばらくは会話をすることすら出来なかった。

それが今ではTVでもちゃんと話せているし、笑顔も見せれている。765プロでも一番二番を争うほどのアイドルになっている。昔の雪歩ちゃんを知っている分、その成長はよく分かった。

 

「そうですか。ありがとうございます」

 

「うん、TVでもよく見るようになったし、緊張しているような面持ちもないしね」

 

「それはお兄さんのおかげですよ。お兄さんのあの日の言葉で私は変われたんです」

 

「あの日の言葉ってあの撮影の時だよね」

 

それは二ヶ月前、まだ夏真っ盛りの日だった。セミが鳴き、低い青空が覆っていたあの向日葵畑。雪歩ちゃんがブレークするきっかけとなった雑誌の撮影が行われたあの夏の日。あのカメラマンさんの言葉は俺も雪歩ちゃんも一生忘れることはないだろう。厳しい言葉だったが、雪歩ちゃんには必要な言葉だった。

あの日に俺が言った言葉は……。

 

「はい、あの日です。ニュースのインタビューでも言いましたけど、あの日、お兄さんが喫茶店で言ってくれた『まっすぐに喋れば、光線のように心に届く』 この言葉で私は変われたんです。ただ、飾らないで私の心からの言葉を言って、心からの行動をしようと思えたんです。他人じゃない、自分自身で心から思ったことを言おう、そう思ったらなんか勇気が湧いてきました。あの日から二ヶ月以上経ってしまって遅くなったんですけど、今更ながらお礼を言わせてください。本当にありがとうございます、お兄さん。おかげで、萩原 雪歩はアイドルになりました!」

 

あぁ、なるほど。雪歩ちゃんの言葉が心に響いたのはきっと、彼女がまっすぐに喋っているからなんだ。

自分からこの言葉を教えといて今気づくなんてね……。思わず、思い出したのはある小説の一説。『精神的に向上心のないものは馬鹿だ』 その小説の中で友人はこの言葉を自分に返され自殺した。自分自身の言葉を返されるのはそれほどまでに辛いことなのだ。その言葉の意味を理解していれば、しているほどその刃は深く胸を抉る。

 

「いやいや、俺はただ背中を押しただけだよ。雪歩ちゃんなら俺がいなくてもトップアイドルになれたはずさ」

 

萩原 雪歩は遅かれ早かれトップアイドルに成れる。何なら生まれ変わってもきっとトップアイドルになるだろう。それは才能のある奴らを間近でずっと見てきた俺だからこそ分かる。萩原 雪歩には才能がある。人を惹きつける才能が。それは真も春香ちゃんも持っている才能で、アイドルには欠かせない才能だ。

俺はただきっかけを与えただけに過ぎない。俺がいなくても、誰かが雪歩ちゃんにきっかけを与えたに違いないし、きっかけがなくとも雪歩ちゃんなら自分で変われたはずだ。

 

「そんなことはないです。お兄さんのおかげで私は変われました!」

 

そう言ってまた笑顔を見せる雪歩ちゃん。ここで否定しても雪歩ちゃんは引き下がらないだろうし、これ以上言うと雪歩ちゃんの顔を曇らすだけだ。それは無粋である。なら、ここはそれが間違いだと分かっていても首を縦に降る他ない。

 

「どういたしまして。こんな俺でも役に立てたなら嬉しいよ」

 

ただただ俺はそう言って笑顔を見せる。表情とは違い、晴れない何かを心の奥に感じながら。

 

 

 

「お兄さん! ヒロトさんからです。どうぞ!」

 

そんな時だった、元気のいい声が正面から響く。顔をそちらに向ければ赤のリボンがトレードマークの春香ちゃんが笑顔で立っていた。差し出す手には缶ビールが一本握られている。

 

「ありがとう、春香ちゃん」

 

そうお礼を言って庭の中心を見ればヒロトが肉を焼きながらこちらを見ていた。どうやら、今日まだ一本も飲んでいないことがばれたようだ。受け取ったビールの冷たさに思わず目を細めながら横に置く。

 

「いえいえ、気にしないで下さい。それより、何を話していたんですか?」

 

春香ちゃんは、雪歩ちゃんとは逆の方向、俺の横に座る。

 

「普通に雑談だよ。あっ、それよりもさ今さら思い出したけど、あの生放送の日、ごめんね。びっくりしたでしょ」

 

あの生放送の日とは俺が美希ちゃんに捕まってテレビのコーナーのクイズ番組に出た日のことだ。真には謝ったのだが、まだこの二人には謝っていなかったことを思い出す。二人ともびっくりしただろうな。いきなり、知り合いが出てくれば誰だってびっくりするもんだ。

 

「いえいえ、そんな謝らないで下さいよ! ビックリしましたけど、悪いのは美希なんだし」

 

「そうですよ、お兄さんは謝らないでください」

 

春香ちゃんと雪歩ちゃんにそう言われ顔を上げる。迷惑を掛けたのは俺だと言うのに優しい子達だ。あの時は悪気はないとはいえ迷惑を掛けたのは俺であることには変わりはない。生放送だしなぁ。司会の三人より俺がテンパりそうだった。

 

「それよりも、お兄さん」

 

春香ちゃんが話題を変え、少しだけ真剣な顔でこちらを向く。

 

「ん、どうかした?」

 

「お兄さん、今度のライブの日はお暇ですか?」

 

そのセリフに一瞬だけ言葉が詰まる。ライブか……。

もちろん、765プロダクションのライブだ。真から既にチケットは貰っている。今回だけじゃない、ライブをする時のチケットは毎回、真から貰っていた。一番前の一番いい席を。

 

「ごめん、バイトでさ行けそうにないや」

 

それでも、俺はライブに行ったことはなかった。行きたい気持ちもあるが、行けないのだ。俺は行ってはダメなんだ。たぶん、ライブに行き、壇上の真を見ると俺は……。

 

「そうですか……。残念です」

 

その俺の言葉に目に見えて肩を落とす二人を見て、ごめんと心の中で謝りつつも、会話を強引に変えて談笑に持っていくことにする。

アイドルの二人が悲しんでいる顔など見たくはない。

 

結局、その日俺の皿はそれ以上量が減ることはなく。受け取った缶ビールを開けることはなかった。頭上にはいつまでも浮かんでいる真円の月は俺を嘲笑っているようだった。

 

秋風が吹き抜ける夜、俺はただ会話が途切れないように必死だった。

 


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