かくも日常的な物語 2 作:満足な愚者
秋の虫の声がどこからか聞こえる。秋の香りが強くなり、夏の残り香も僅かとなっていた。TVのニュースは紅葉が見頃だと今朝方言っていたのを思い出す。夜の帳が下りきったためか心地よい秋風が辺りを撫でるように吹いていた。閑静な住宅街にある一軒家にしては少し大きめの庭を眺める。いつでも手入れがされてあるここは、数年前のあの時から変わらない。これだけの家に高校時代から一人暮らしをしている友人を少し妬ましく思うと同時にこの広さなら俺だと落ち着かないだろうなぁという矛盾も覚える。いや、間違いなく落ち着かないので今の狭い我が城で俺は十分だ。縁側に腰掛けて秋風に揺られる。目をつぶれば、秋の香りが弱くだが感じるような気がした。
そんな時だった。パサリと横に座る音がする。目を開けて左を向けば無表情な横顔。銀縁メガネのフレームが月明かりに反射していた。どことなくだらしない印象を受けるのは彼の癖のある黒髪のせいだろうか。いつも同じボサボサの渦巻いた髪を見ながらそう思った。
「やぁ、ミズキとヒロトは?」
そう問いかければ、いつも通りの抑揚のない声で「ふむ、あいつらなら材料を切って準備をしている。俺たちもやるか?」 という返事が返ってきた。
「いや、真たちがくるまで時間もあるしね。今から火をつけたじゃまだ早いだろ」
「ふむ、確かにな」
そう言って庭の中央に視線を戻す。そこに一台のバーベキューセットが置いてあった。今日、この家に来たのはこのためだった。ちなみに準備は材料班と道具班で二対ニ。くじ引きで分けた。俺とSSKが道具班。ミズキとヒロトが材料班といった具合だった。もちろん、真も来るし、春香ちゃんや雪歩ちゃんも来るみたいだった。まぁ、三人とも収録があるみたいで少し遅れそうだ。
しばらく、無言の時間が流れた。でも、それは気まずい沈黙じゃなく、心地よい時間だ。俺も彼もあまりベラベラと自ら喋る方でもない。それに気を使うほどの間柄でもない、俺たちは共犯なのだ。だからこその沈黙でもあった。
「最近、調子はどうだ?」
唐突にSSKが切り出した。
「いや、別に普通だよ」
そう言って笑う。
「そうか……。ふむ、一応これを渡しておく」
少し考えた後、カバンから物を取り出し、二つの物を俺へと渡す。一つは二本のビン。いつも通りの茶色ビンだ。もう一つは……。
「眼帯?」
「そう眼帯だ。早ければ再来週、遅くても来月の頭にはしておいた方がいい。感づくのが早い姫だと、何かを悟る可能性もあるからな。ものもらいとでも、目を怪我したとでも適当に言っておけ」
なるほどね、手にした眼帯を見て思う。彼にはいつも頭が上がらない。よく他人をみている。俺が分かりやすいだけかと思ったが、それもどうやらなさそうだ。俺が分かりやすければここまでことは進んでいない。
「助かるよ。それとこのビンは?」
カランカランとビンを鳴らしながら聞く。
「何時ものやつより性能を一段階上げたやつだ。これ以上上げるのは今はやめた方がいい。劇薬と毒薬は紙一重だからな」
「なるほどね、やっぱりお前には頭が上がらないよ。感謝している」
「別に気にしなくていい。俺はあの日からお前の行く末をみているだけだ」
「そうか……」
また沈黙が生まれる。真がくる時間まではまだ長針が一周するくらいの時間があった。
「なぁ、お前は将来なんになりたいんだ?」
今度も沈黙を破ったのは彼だった。寡黙な彼にしては珍しい。声や表情には出ないだけで、機嫌がすこぶるいいのかもしれない。
将来なんになりたいのか、その問いで思い出すのは今年の夏のファミレスでのことだ。あの時、結局俺は何も言えなかった。
「今年の夏の続きか?」
「ふむ、まぁそうとってもらって構わん」
将来ね……。その言葉に笑みがこぼれる。乾いた笑みではない純粋な笑み。
「とりあえず、大学を卒業して……。それから、それからどうしようか」
最近、大学に行ってないし、このままなら卒業も危ないな……と今更ながら遅い危機感を覚える。まぁ、最悪、彼に泣きつけばどうにしかしてくれそうだけど。
「なんだ、まだ決まっていないのか?」
「決まっていないんじゃないよ。何ができるのか分からないから、分からないっていう方が正しい」
決まってないと言うのはきっと、赤い髪の彼女のように何でも出来る人間が選択肢が多すぎて迷っている時に使うセリフだ。俺の場合はその逆、出来ることが少なすぎて何ができるのか分からない。だから、分からないという言葉が正しいように感じる。
「そうか……」
「逆に聞くけど、SSKは俺なら何が
向いていると思う?」
俺自身よりも俺のことを知っている彼なら俺の向かうべき行き先が分かるかもしれない。
「お前か……。前々から思っていたがお前なら……」
淡々と話し、ここで一つためをつくると。
「小説家が向いていると思う」
彼はそう言い切った。
「小説家……?」
思いの外な言葉が出たため、純粋に口から漏れた。確かに小説は好きだけど……。
「あぁ小説家だ」
「何でそう思った?」
小説を読むのが好きなのはSSKも知っているだろうと思うけど、それだけで飲む小説家が向いているなんて言うには少し端的なように感じる。例えば野球を見るのは好きだけど、野球をやるのは嫌いな人がいるように、小説を読むのは好きだけど、書くのは別なような気がする。
「お前はこの世の煩わしさをよく知っているからな。俺たちの中で一番、煩わしさを知っている。そんなお前なら住みにくき世から、住みにくき煩いを引き抜いて難有い世界をまのあたりに写すことが出来そうでな……」
「なるほど、漱石か」
「あぁ、漱石だ。続ければ着想を紙に落とさぬとも璆鏘(きゅうそう)の音は胸裏に起こる」
「なるほどね。確かにこの世の憂いや煩いは分かっているような気がする。でも、だからこそ俺には向かないよ」
「ほうそれは何でだ?」
「住みにくき煩いを引き抜いて難有い世界をまのあたりに写すのは詩人や画家の仕事さ。あるいは音楽家や彫刻家の領域だ。漱石はあの冒頭の中で芸術の士という言葉は使っても小説家をそこに入れることはなかった」
漱石が何故、作家や小説家をこの中に入れなかったのかは俺には分からない。でも、もしかしたらそれは漱石自身が俺のように感じていたからかもしれない。いや、きっとほとんどの小説家はこの芸術の士の中にはいるのだろう。でも、俺にはこの芸術の士になれる気がしない。
「なるほど、確かにそうだったな」
彼は納得したように頷く。
「それに……」
「それにどうした?」
俺がその問いに答えようとした時、男性にしては高く、女性にしては少し低い声が降ってきた。
「よう、お前らなに話しているんだ?」
悟られないようにビンをカバンの中へと隠すと、振り返る。腰まで伸びた癖のない赤い髪が秋風に揺れる。月明かりが髪の艶で反射していた。彼女のことはどう紹介すればいいだろうか。整った顔と言うより、整い過ぎた顔と言う表現がしっくりくる顔。スタイルもそこらのモデルに引けを取らないばかりか、そこらのモデルよりもスタイルがいいしなやかな身体。特徴的な自慢の赤髪は地毛らしく、出会った当時のままだ。俺の数少ない語彙力じゃ容姿端麗と言う言葉しか出てこないが、それ以上に彼女の容姿は人を惹きつける。
それでいて彼女は頭脳明晰、運動神経抜群だった。全国模試では常に十番以内をキープし、運動においては我が妹の真の空手の師匠を勤めていたくらいだ。その運動神経の良さは真も認める折り紙付きだった。
「やぁ、ミズキ。少し将来の話をね」
そういって手を上げておく。そう、彼女こそかの有名な橘 ミズキその人である。綺麗な花にはトゲがあるとはよく言ったものだ。恵まれた容姿や頭脳、運動神経をもつ彼女だが、なにぶんやることが色々と俺のような一般人と一線を二本も三本も画していた。
彼女伝説は数多くある。例えば他校の文化祭に乗り込んでステージジャックをした、例えば駅前で簡易ステージを勝手に作りミニライブをした、例えば暴走族を一夜にして壊滅させたとか。まだまだ多くある彼女の伝説だが、それのほとんどが事実だから笑えない。特にステージジャックはお手の物で他校の文化祭やウチの高校の終業式や卒業式なんかでは毎回勝手にライブをやったりしたもんだった。ミズキの暴走に巻き込まれたこと数知れず、ともに怒られたこと数知れず。今となってはいい思い出なんだけどね。
「へぇー。あの日の続きか。オレも混ぜろよ」
このように一人称で分かるようにミズキは男っぽい言動が多かった。性格もサバサバしているしね。ただ、ミズキはさっきも言ったように容姿だけ見れば完璧に近い。だから、よくナンパや告白をされる。大学入学当初とかは凄かった。でも、そこはミズキ。しつこいナンパは文字通り一撃の名の下に意識を飛ばされる。ナンパされたこと数知れず、意識を飛ばした回数数知れず。と、言うわけで最近はミズキをナンパする人間はめっきり減った。それでもまだいる辺りが凄いところだ。
「ヒロトはどうした?」
「あぁ、あいつなら今頃野菜と格闘中だ。オレはもう自分の分が終わったからこっちに来たけどな」
SSKの問いにそう答えるミズキ。ヒロトも料理はある程度出来るんだけどな、ミズキが捌けすぎるだけだろう。
「ふむ、それじゃあ手伝って来るか」
そういって立ち上がるSSK。俺も手伝いに行こうと立ち上がろうとすれば目で座っておけと合図される。
「お前が台所に立つなんて珍しいな」
「なに、たまにはやるさ」
ミズキの冷やかしに似た言葉を軽く流すと厨房へと彼は消えて行った。
「とりあえず座る?」
そう聞けば、おう、そうだなという言葉とともに俺の横に腰を下ろすミズキ。
「何か近くないか?」
ミズキが座った場所は俺のすぐ隣だった。肩がもうすぐ触れ合いそうな距離。
「何だ、美女が近くに座って照れてるのか?」
「まぁ、ミズキは美人だからね」
性格を置いておけば完璧なのが彼女だ。
「お、お、お前急になに行ってんだよ!」
顔を少し朱に染め、そっぽを向く彼女。美女や美人なんて言葉は言われ慣れていると思うんだけどなぁ。
「そ、それよりも話の続きだ! お前は将来何になりたいんだ?」
急いで話を戻そうとする彼女を見てクスリとバレないように笑う。
「それが分からないからさっき、SSKに聞いてね。そしたら俺には小説家が向いているって言われてさ。ミズキはどう思う?」
「小説家ねぇ……。お前、小説とか書けるのか?」
「うーん、どうだろうね。小説を読むのは好きだけど。書くのはね……。多分書くにしても日常の話になるんだろうね」
戦記やファンタジーを書けるのならきっと俺はここまで悩まない。日常の話しか書けないと思うからこそ俺は小説家になれないのだ。
「日常の話ねぇ。いいじゃねぇか、そういう話が好きなやつもきっといる。少なくともオレはお前が書いた話なら読むけどな」
「そうか、それは嬉しいね。じゃあ、ミズキは俺は小説家に向いてると思うのか」
「確かに小説家に向かないとは言わないし、意外に納得も出来る。お前は確かに能力はオレ達には劣るがある程度のところならそれなりにやれそうな気がする。もちろん、自分一人で無理ならオレを頼れ、少なくとも一緒に頑張ってやる……って何驚いた顔してんだよ」
「いや、まさかミズキがこんなことを言うなんてね。少し驚いたよ」
まさかあの傍若無人を地で行ったようなミズキからこんな言葉を貰えるなんてな。それだけで何故か嬉しくなる。
「ば、バカ野郎。オレもお前のためならやれることはやるつもりなだけだ」
そうソッポを向く赤い髪。
「そっか、ありがとうな。ミズキ……」
その後ろ姿を見ながら言う。耳が赤く染まっているのが見えた。
「別に気にしなくていいぜ。まぁ、とりあえず一作書いて見たらどうだ? 確か漱石が好きだったよな。なら漱石を真似してさ」
「いや、遠慮しておくよ」
「なんでだよ? 結構書けそうな気はするけどな、オレは」
俺が小説を書けようが書けまいが関係ない。
「俺がもし小説を書いたとしてもこの世の煩わしさを取り除いた話はかけそうにもない」
俺が小説家になれない理由はこれだ。この世の煩いを知っている分、その煩いを取り除くことが俺にはもう出来ない。澆季溷濁の俗界をそのままの姿で描写してしまう。
「何言ってんだ。煩いや憂い不条理を書いた小説なら腐る程あるだろ。漱石も明暗の時は則天去私を目指してたんだし」
確かにミズキの言うとおり漱石も不条理を書いたし、有名な太宰治なんかは煩いをそのままの形で抜き出した。
「あぁ、確かにね。でもダメなんだ。それは俺自身が嫌なんだ」
それは俺のエゴだが煩いをそのままの形で筆に乗せる小説を書きたくはない。まぁでも、この理由も言い訳に近いものだ。本当に俺が小説を書きたくない理由は別にある。
俺が小説を書きたくない本当の理由。それは簡単だ。きっと、俺が書けばバッドエンドになる。
結末がバッドエンドと分かっている小説なんか書きたくはないだろ?
「まぁ、お前の人生だ。好きにすればいいさ。何かあったらオレも手伝うからよ」
そう笑顔で言う彼女に俺はただ、お礼を言うしかなかった。
「ありがとう、ミズキ」
「おう、気にするな。それよりも、最近大学に来てねぇみたいだけど、大丈夫か?」
「痛いところを急についてくるな……。ミズキは元からそこまで来てないだろ」
「はははははは。オレは勉強しなくても単位余裕だからな」
なんとも羨ましい限りである。豪快に笑う彼女は悩み事のカケラもないようだった。それから俺たちは少しの間、くだらない談笑を続けた。秋の虫と頭上の満月が静かに俺たちを見守っていた。
関節という関節が……
インフルでした。はい。
少しばかり話がむずかしくなってしまいました。分からない表現がありましたら解説しますので。