大丈夫だ、問題しかないから。 -Toward sky- <2nd Season>   作:白鷺 葵

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4.行く道

 アニエスたちと別れたクーゴは、行く当てもなく『悪の組織』本部内を歩いていた。当てもなく、と言っても、地図データは端末に登録されている。

 地図情報を確認しているが、明確に「ここに行きたい」という意思がないだけだ。どこに何があるのかを、自分の五感で確認していると言ってもいい。

 

 しばらく歩くと、廊下の左側――外の風景を眺めるための大きな窓がある――に人影を見つけた。身長が170~180cm程度の、茶髪の青年だ。

 

 彼はロックオン・ストラトス。ソレスタルビーイングのガンダムマイスターだった男だ。自己紹介では怪我で療養中だと言っていたが、この怪我は最近のものだという。

 松葉杖で体を支えた青年の目は、暗く静かな宇宙(そら)へ向けられていた。何かに、あるいは誰かに、思いを馳せているかの様子だった。

 ロックオンに声をかけようとしたとき、不意に、頭の中に光景が浮かんだ。その光景はハッキリと『視えた』し『聞き取れる』。

 

 

『スナイパー型のガンダムか! 私の変幻自在、天衣無縫の動きを追いきれるかな!?』

 

 

 グラハムの声が響く。ユニオンのガンダム調査隊を率いるカスタムフラッグで、彼は空を翔けていた。遠くの方に見える紫の機体は、AEUのライトニングバロンが駆るリーオーだ。

 ゼクス・マーキスがいるということが何を意味しているか、クーゴは『知っている』。これは、虚憶(きょおく)の光景だ。ユニオン軍とAEU軍が、ZEXISを叩こうとしたときの。

 

 

『この野郎、俺の狙いを甘く見るなよ!』

 

 

 そう言うなり、白と緑基調のガンダムがライフルを構える。この色の機体は、遠距離射撃を得意としたものだったはずだ。

 

 虚憶(きょおく)の中で、クーゴはこの機体とぶつかり合った。

 日本刀対銃の戦い。グラハムの暴走によって、決着は中途半端になっていたように思う。

 

 

『私は彼女が好きだ! 彼女が、欲しいィィィィィィィ!!』

 

『お父さんは! お父さんは赦しません! こんなの絶対に認めないぃぃぃぃぃぃ!!』

 

 

 虚憶(きょおく)がフェードアウトしたと思った刹那、周囲の光景は一変する。薄暗かった山脈の景色とはうって変わって、真昼の蒼穹が広がっていた。

 ユニオン郊外にあったゲッター線の研究施設だ。カスタムフラッグと、白と緑基調のガンダムが戦いを繰り広げていた。

 

 

『何人たりとも、私の愛を阻むことはできない! 阻むものがあるなら、そんなもの、私の無茶で押し通す!』

『年の差その他諸々考えろ、この変態が!!』

『キミにそれを言える資格はないな! キミは私と同類と見た!』

『天地がひっくり返ったとて、お前さんとだけは一緒にされたくないね! こっちは頑張ってお兄さんやってるんだからな!』

『そうやって、キミは愛するものが他人にかっさらわれていくのを、手をこまねいて静観すると? そんなこと、私はお断りだ!』

 

『俺は人殺し、いつかは裁きを受ける身だ。幸福を手にする権利なんか存在しない。あんただってそうだろう? 軍人さん。――その覚悟は、とうにできてるんだよ!』

『ああそうだな! 敵を撃ち、部下や上官を死なせ、屍の山を築いていく……そんな人間がたどり着く場所くらい、私も心得ているさ! そしていずれは、私もそこに墜ちるのだと!』

『だったら!』

『だからこそだ!』

 

『だからこそ、好いた相手を――心から愛した女性(ひと)を! せめて、他ならぬ己自身の手で、幸せにしたいと願うのだよ――!!』

 

 

 この会話は、どこかで聞き覚えがあった。聞き覚えがありすぎた。

 会話している当人たちはとても真面目だった。それ故に、異常な雰囲気があった。

 グラハムが現実に戻ってこなかったときの絶望感ったら、本当にない。

 

 次の瞬間、また風景が変化した。蒼穹は夜空へ、ゲッター線の研究施設はアザディスタンの太陽光発電受信アンテナ施設へと変わる。

 テロリストたちが駆るアンフ、ユニオンのフラッグ、白と緑基調のガンダムの姿がフラッシュバックした。

 

 迷うことなく一方のアンフを倒していくフラッグのカメラアイが、弾かれたように空を見上げた。そこへ、ミサイルが飛来した。

 

 その数、4弾。いや、正確に言えば4弾ではない。クラスター爆弾と同じ原理だ。

 花を咲かせるように展開したミサイルの中から、大量の爆弾が、施設目がけて降り注ぐ!

 避けようとするフラッグだが、数が多すぎてよけきれない。

 

 次の瞬間、白と緑を基調にしたガンダムが見えた。スナイパーライフルを連射して、ガンダムは爆弾を相殺していく。すべてを無効化することは叶わずとも、その十数発がフラッグの命運を分けた。間一髪でフラッグが飛び立ち、コンマ数秒前までフラッグがいた場所が爆炎に包まれる。

 

 

(あれは、俺のフラッグだ。――ということは……)

 

 

 あのとき、白と緑を基調にしたガンダムを駆っていたのは――クーゴが確証を得かけたとき、また風景が変わる。

 ガンダムは、カスタムフラッグと派手な鍔迫り合いを繰り広げていた。

 

 

『お父さん、刹那を私にくださぁぁぁぁぁぁぁいッ!』

『誰がやるかコンチクショウ! お父さんは赦しませんよォォォォ!』

 

 

 どこかで見聞きしたことのあるような会話である。

 

 

『身持ちが堅いな、ガンダム! 流石はお父さんだ!』

『このしつこさ、尋常じゃねえぞ!? 刹那はこんなのに言い寄られてたってのか……!?』

『そうだな。私はしつこくてあきらめも悪い。俗に言う、人に嫌われるタイプだ!』

『言った! 自分で認めやがったぞコイツ!』

 

 

『皮肉なものだ。嘗て空を飛ぶためにすべてを絶った私が、ただひとりを求めて空を飛ぶことになろうとは』

『あんた……』

『そういう訳でお父さん、彼女を私にくださぁぁぁぁぁぁぁいッ!』

『やっぱりあんたはダメだ! 絶対にダメだ!!』

 

『くっ! よくも私のフラッグを傷物にしてくれたな!』

『お前こそ、よくもウチの刹那をたぶらかしてくれたな!』

 

 

 どこかで見聞きしたことのあるような鍔迫り合いである。あのとき、クーゴはグラハムと別行動をしていた。それでも、なんとなく、懐かしさのようなものを感じた。

 クーゴがその虚憶(きょおく)の光景を目の当たりにしていないだけで、もしかしたら、この光景とよく似た虚憶(きょおく)を有していたのかもしれなかった。

 俺の親友がごめんなさい、という言葉が口から出かかって止まる。自分が謝罪しても仕方がないことは、クーゴ自身が重々承知していたためだ。

 

 アザディスタンへの救援要請が入った後も、グラハムとガンダムマイスターの会話は混沌を極めていた。聞いているだけで頭が痛くなりそうだ。

 会話を終えたフラッグが空へ向かう。それを見送ったのち、ガンダムも撤退した。次の瞬間、コックピット内が『視えた』。

 

 搭乗していた人物は、やはり、ロックオン・ストラトスその人だった。コックピットの前方には、丸いペットロボが耳(?)をパタパタさせている。

 

 

「あ」

 

 

 不意に、世界が反転した。回想の世界から現実へと意識が帰還したらしい。

 

 先程まで窓の外の景色へ思いを馳せていたロックオンが、クーゴの方を凝視していた。どうやら彼も、クーゴと同じような景色を『視た』ようだ。

 何か言いたげに口を開いては閉じてを繰り返す。クーゴも似たようなものだった。幾何かの沈黙の後で、クーゴはおずおずと言葉を紡いだ。

 

 

「キミ、あのときのガンダムパイロットだったんだな」

 

「ああ。アンタこそ、あのときのフラッグファイターだったんだな」

 

 

 隣にならんでもいいかと尋ねれば、ロックオンは2つ返事で頷いた。クーゴは彼の隣に並ぶ。

 

 

「……あのときは、ありがとう。助かったよ」

 

「俺は任務を果たしただけだ。礼を言われる覚えはないよ」

 

「それでも、助かったことは事実だ。おかげで生きてる。だから、それでいいんだ」

 

「……そうか」

 

 

 自分たちの間には、変な沈黙が広がった。

 

 2人は黙ったまま、窓の外へ視線を向ける。中庭だけでなく、自分たちがいる大きな窓からも地球を臨むことができた。

 生きとし生ける命、すべてを育む、青く輝く美しい星。宇宙(そら)から見た美しさとは対照的に、地上は諍いが絶えない。

 

 日や争いの火種が巻かれ、燃え上がり、悲しみや怒りを生み出している。長い時が過ぎても尚、人類はそれを繰り返し続けた。終わりは見えない。

 

 

「……信じられないよな。こんなに綺麗なのに」

 

「そうだな。世界規模のテロから個人レベルのいがみ合いまで、なんでもありだ」

 

 

 ロックオンはぽつりと呟いた。クーゴの思考回路を読んだかのような言葉だった。

 クーゴもそれに同意し、ロックオンへと視線を向ける。

 

 

「俺は、テロで両親を亡くしたんだ。妹も、そのテロが原因で意識不明の重体になった。……だから、テロが憎かった」

 

「それで、キミはソレスタルビーイングに入ったのか」

 

「まあな。スカウトされた瞬間から、ロクな最期を迎えられないって覚悟してた。罰が下されるならそれを贖うつもりでいた。自分はどうなったとしても、弟や妹の生きる世界と未来を、もっとよくしてやりたかった。だが――」

 

 

 彼はそこで言葉を切った。ロックオンの横顔は、憤りに満ちている。

 

 

「俺は、こんな世界のために戦ってたんじゃない。俺たちが夢見た世界は、戦争根絶という理想は、こんなものじゃなかった」

 

 

 その言葉が、ロックオン・ストラトスの出した答えだった。眉間に刻まれた皺が、彼の感情の爆発を示しているかのようだ。彼の体が重傷でなければ、彼の愛機がこの場に存在していたら、すぐに戦場へと飛び出してしまいそうな勢いがある。

 ロックオンが『悪の組織』にいるのは、最終決戦で『悪の組織』に保護されたことと、体が本調子でないのが理由のようだった。体の方は――先程小耳に挟んだ話なのでよくわからない――最終決戦の傷よりも別件の傷が理由のようだったが。

 確か、『ロックオンの弟が、「恋人の家族の逆鱗に触れた」ことが理由で私刑に処されかけたところを庇い、弟の身代わりになった』という話だったか。クーゴの思考回路がそこに飛んだことに、ロックオンは気づいたらしい。深々と息を吐いた。

 

 

「リハビリが順調に進んでいたときに、弟の恋人と鉢合わせしてな。彼女が俺と弟を見間違えたんだ。弟は恋人のことを長期間放ってたらしくて、恋人の家族が怒り狂っててな……」

 

「見間違われたってことは、怒りの矛先は……」

 

「それで俺が殴られて、寝たきりに逆戻りだ。それが1回目」

 

 

 ロックオンは肩をすくめる。

 

 1回目、と言う言葉に、嫌な予感を覚えたのは何故だろう。

 おそるおそるロックオンを伺えば、彼は遠い目をして天を仰いだ。

 

 

「またリハビリを行って、ほぼ全快だってときだった。廊下を歩いてたら、弟の恋人の家族とすれ違ったんだ。覆面と下駄とバイクを手配しながら、弟を襲撃する計画立ててた」

 

「なんでまたそんな……」

 

「『弟の居場所を突き止めたから、今度こそ責任を取らせる』って……」

 

 

 俺がいない間に何をしたんだ、と、兄はさめざめと泣いた。

 恋人ができたところまではおめでたかったのに。

 

 

「しかも、音信不通になってた理由が『転職活動で忙しかった』からなんだぜ? 転職活動がひと段落したって連絡が入って、関係は元通りになったんだと」

 

 

 これはひどい。とにかくひどい。べらぼうにひどい。

 

 報われなさすぎである。とんだ骨折り損だ。ロックオンは乾いた笑みを浮かべていた。

 これ以上、この話を続けてはいけない。クーゴは話を逸らすことにした。

 

 

「キミは、体が本調子に戻ったらどうするんだ? ソレスタルビーイングに戻るのか?」

 

「できれば戻りたいと思ってる。……ただ、どうやら俺は戦死したことになってるからな。まともに戻れるかどうか……」

 

 

 「それ以前に、連絡手段が何もないから」と、ロックオンは肩をすくめた。ソレスタルビーイング壊滅の報を聞いて以後、『悪の組織』とソレスタルビーイングは連絡が取れずにいるらしい。

 『悪の組織』へ出戻ったイデアからクルーの安否を聞いていたとはいえ、やはり、直接会って確認したいというのが本音なのだろう。連絡が絶たれているという状態は、彼にとって都合が悪かった。

 クーゴがそう分析していたときだった。「あんたはどうするんだ」と、ロックオンが問いかけてきた。社会的に死亡とされた人間同士、あるいは『ミュウ』に目覚めたばかりの同期の間柄として、気になるのだろう。

 

 脳裏に浮かんだのは、クーゴが人生で初めて『視た』虚憶(きょおく)だった。

 

 空で待っていると言った親友たち。彼らは今、独立治安維持部隊に身を寄せている。組織の異常さに気づきながらも、何もできないでいるのだ。

 特にグラハム、もといミスター・ブシドーは悲惨である。クーゴの姉――蒼海の手駒にされ、意志無き人形の如く扱われていた。

 

 空を翔るフラッグファイターを、姉は独立治安維持部隊(アロウズ)という檻に閉じ込めている。

 

 

「目が覚めたばかりのアンタじゃ、まだ決まるはずないよな。時間は充分あるんだし……」

 

「――『還りたい』」

 

 

 ロックオンの言葉を遮るように、クーゴは言葉を紡いだ。ロックオンが大きく目を見開く。

 

 

「俺が軍人になったのは、虚憶(きょおく)で出会った人たちに、『空で待ってる』って言われたからだ。『絶対空へ行く』って約束したからなんだ。現実で会った面々は何も覚えてないけど、ちゃんと待っててくれた」

 

「それって、まさか……あの軍人か!?」

 

 

 クーゴが頷けば、ロックオンは何とも言い難そうに眉をひそめた。

 その虚憶(きょおく)の中にはロックオンとよく似た顔立ちの青年が2人いた――2人は双子だった――のだが、それに関しては言わないでおく。

 

 

「みんな、約束を守ってくれた。だから、今度は俺の番だ」

 

 

 「『どんな手を使ってでも、あいつ(グラハム)をみんなの元へと連れ帰る』って約束したから」と、クーゴは締めくくった。

 口に出したことで、もやもやしていた想いがはっきり形になる。まるで――否、正真正銘の言霊だ。

 クーゴは1人納得しながら、何度も頷く。ロックオンはしばしこちらを見ていたが、苦笑しながらため息をついた。

 

 

「意外と肝が据わってるんだな」

 

「そうかな。そうかもしれない。でなきゃ、あいつの相棒なんて務まらないだろうし」

 

「あー……」

 

 

 グラハムのしつこさと暴走具合を思い出したのだろう。ロックオンは天を仰いだ。彼もまた、グラハムの暴走やしつこさの余波を喰らっていた人間の1人である。

 苦労人と言う観点から、クーゴとロックオンは似た者同士らしい。だから、なんだか妙な親近感を感じるのだろう。妙な同族意識を感じていたときだった。

 

 

「目が覚めたばかりだから、決断するのに時間がかかるかと思ったんですけど、余計な心配でしたね」

 

 

 聞こえてきた声に振り返れば、ショートボブの少女が立っていた。

 

 外見は10代前半から半ばくらいにしか見えないが、彼女も『ミュウ』なのだ。外見と年齢は一致しない。もしかしたら、年齢が3桁になっている可能性だってある。

 接し方を考えあぐねるクーゴと対照的に、ロックオンは親しいものに声をかけるかのようなフランクさで、少女に話しかけた。

 

 

「エイミー! 無事に帰ってきたんだな」

 

「当たり前よ。これでも、1つの艦と部隊を率いる戦術指揮官なんだから。兄さんが心配性なだけよ」

 

 

 エイミーと呼ばれた少女は薄い胸を張った。彼女はどうやら、ロックオンの妹らしい。随分と年齢が離れた兄妹だ。

 

 

「これでも私、20代前半ですけど」

 

「失礼しました」

 

 

 ジト目でクーゴを見つめてきたエイミーに、クーゴは即座に謝罪した。似たような目に合って嫌な思いをしたことは何度もある。

 誤解を解こうとして奮闘したことを思い出し、いたたまれない気持ちになった。エイミーはクーゴの謝罪を受けてくれたようで、すぐに機嫌を直してくれた。

 

 彼女はこほんと咳ばらいし、問いかけてきた。

 

 

「方向性は決まったみたいですが、今後どうするかの方針は決まっていませんよね?」

 

「……まあ、そうですね」

 

 

 エイミーに痛いところを突かれ、クーゴは苦笑した。いくら『仲間を助けたい』や『彼らの元へ還りたい』と思っていても、クーゴ個人には何の力もない。

 夢の中で仲間たちから聞いたことや先程の話を総合するに、アロウズは統制が厳しいようだ。高性能のスーパーコンピュータに、集中された戦力がある。

 対抗組織となるとされるカタロンも、実際はその体を成していない。本当の意味で対抗組織になり得たであろうソレスタルビーイングは壊滅から立ち直っていないのだ。

 

 真正面からアロウズに挑むなら、苦戦は必須だろう。むしろ速攻で叩きつぶされるに違いない。

 しかも、友人たちに関しては蒼海が関わっているのだ。彼女のやり口を考えると、嫌な予感がしてならない。

 

 

「正直、目的を達成するのは難しいと思ってる。フリーで動いたら簡単に叩き潰されるだろうし、組織に所属するとしてもな。過激なテロ活動をしたいわけじゃないから、カタロンのやり方は好かん。他にアロウズと対抗できそうな組織は――」

 

 

 そこまで口に出して、気づく。エイミーが何を言いたいのかを。

 

 弾かれたようにエイミーを見れば、クーゴの予想を肯定するかのような笑みを浮かべていた。

 しかし、彼女が口にしたことは、おおよそ兵士のヘッドハンティングとは程遠い話だった。

 

 

「貴方はユニオン軍で優秀なMSパイロットだったと聞いています。……最近、技術部の面々が新型MSを開発しようとしているんです。貴方には、その機体のパイロットになってほしい。勿論、その見返りとして、その機体の貸し出しと貴方のバックアップを約束しますが、どうでしょうか?」

 

「……随分破格な条件だな。いいのか?」

 

「ええ」

 

 

 満面の笑みで頷いたエイミーだが、何か気づいたように「ああ、そういえば」と手を叩いた。何やら、クーゴ側に要求することがあるらしい。

 やはり、おいしい話には裏がある。内心無茶ぶりを覚悟しながら条件を問えば、彼女はちょっと困惑したように眉をひそめて、言った。

 

 

「『時々でいい。5分、いいや1分だけでもいいから、ちょっとした世間話をしてほしい』と、総帥(しゃちょう)が」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……で、彼はOKしてくれたのね」

 

『はい』

 

 

 エイミーからの連絡に、ベルフトゥーロは表情を緩めた。

 

 アザディスタンは今日も快晴。治安の悪さが這い寄っていた首都や、戦いが絶えなかった郊外も、小康状態が続いている。

 以前と比べれば、人々の横顔や街並みから、活気と希望が伺えた。それはとてもいいことである。女王マリナの憂いもなくなれば万々歳なのだが。

 

 

『でも、総帥(しゃちょう)の提示した条件が破格過ぎませんか? 彼へ要求するものもアレですし』

 

「いいのよ。私にとっては、確かに意味のあることだから」

 

 

 訝しむエイミーと短い会話を交わした後、ベルフトゥーロは電源を切った。端末に映し出されたのは、黒髪黒目の青年――若かりし頃のイオリアと、彼に寄り添うベルフトゥーロの写真であった。

 そこには何もおかしいところはない。特筆すべき理由を挙げるなら、それは――若かりし頃のイオリアが、とある青年と瓜二つの顔立ちであることだけだ。ベルフトゥーロの過去を『視た』彼であるが、イオリアの顔は逆光で伺えなかったであろう。

 勿論、それはベルフトゥーロが意図的にやったことだ。現時点で、とある青年はそのことに気づいていない。以前の話を思い出せば気づくかもしれないが、今はそれどころではないだろう。何せ、基本方針が固まったのだから。

 

 丁度いいタイミングで技術班からのメールが届いた。テストパイロットを引き受けてくれたクーゴ・ハガネ専用のドライヴ調整を行うという。機体の改修は8割強終わっており、あとは彼専用ドライヴの完成を待つだけだ。

 専用ドライヴはGNドライヴの派生形であるが、『ミュウ』由来の技術――主にサイオン波に関係するものだ――を使う。『ミュウ』にしか扱えないのと、各パイロット専用のオーダーメイド品なので調整に難航するという欠点があった。

 

 ドライヴは大まかに、苛烈なる爆撃手(タイプ・イエロー)完全なる防壁(タイプ・グリーン)思念増幅師(タイプ・レッド)荒ぶる青(タイプ・ブルー)という4つの分類の基礎平均数値までは設定しているため、あとは細かな調整だけである。

 

 

(似たような性能のGNドライヴを“狙って”造るよりは、はるかに生産性あるけどね)

 

 

 イオリアが残した『ツインドライヴシステム』のデータを開きながら、ベルフトゥーロはひとりごちた。GNドライヴの欠点は、短期間に量産できないことと、個々の性能差が大きいことが挙げられている。ソレスタルビーイングにあるGNドライヴ同士の組み合わせで一番同調率が高いのは、0ガンダムとエクシアだ。

 アプロディアたちに探してもらったところ、ソレスタルビーイングの手元にあるのは0ガンダムの太陽炉のみで、エクシアは機体ごと行方不明ということらしい。国連軍との最終決戦後、エクシアはソレスタルビーイングから離れて行動している様子だった。メカニック無しで、まともに修理できているかどうかは怪しい。

 

 今から新しいものを造ろうとしても、相当の時間がかかることは確かだ。ソレスタルビーイングだって、アロウズの暴走を静観していられるような人間の集まりではないだろう。むしろ、そんな奴らだったらベルフトゥーロが直々に殴り込みに行く。

 

 端末をしまい、ベルフトゥーロは空を見上げる。テロによって巻き起こった粉塵で、空が覆われたのが昨日のような気分だ。一時期、大気圏付近で舞い上がった粉塵やデブリが殻/層を形成し、太陽は完全に遮られてしまったのだ。

 太陽光エネルギーに頼りっぱなしだった3大国家陣営は、唯一無二のエネルギー源を失って大打撃を受けた。価値が暴落した太陽光の代わりに見出されたのは、旧時代にエネルギーの中心にあった化石燃料である。粉塵の影響を受けず、安定的な供給が可能なため、需要は瞬く間に広がった。

 テロの余波が完全になくなった後も、万が一の備えとして、化石燃料の需要が発生している。化石燃料の原産国である中東諸国は、このテロによって息を吹き返したような形だった。そのため、テロの首謀者と関係があるのではとあらぬ疑いをかけられた時期もあった。

 

 勿論、中東諸国がテロと無関係であるということは既に証明されている。たとえ――仮に、テロリストが中東関連の回し者だったとしても、各国が化石燃料を求めることはやめられなかっただろう。生活の質を下げるというのは難しいためだ。特に、テクノロジーが溢れる昨今は。

 

 

「お母さーん!」

 

 

 浅黒い肌に茶髪の少年が、女性の元へ駆け寄っていく姿が視界を横切った。少年を腕に抱く母親は、以前、マリナ暗殺に協力させられていた女性だ。

 彼女はふと顔を上げ、ベルフトゥーロの姿を瞳に捉える。鳶色の瞳が大きく見開かれた。ベルフトゥーロがひらひら手を振れば、女性は深々と頭を下げた。

 

 そこへ、夫らしき男性がやって来た。母子は男性と連れ立って、町の雑踏へと消えていく。平穏という言葉が、以前よりも身近に感じられるような気がした。

 

 しかし所詮は薄氷の上。はりぼて、あるいはかりそめの平和は、いつかボロが出る。誰かの悪意が世界を満たしていく。その足音が、聞こえてきそうだった。

 “誰もが当たり前に生きられる世界”は、簡単なようで難しい。西暦3000年相当のS.D体制も、西暦2300年代のこの惑星も、根本的な悩みは変わらないのだろう。

 相変わらず、世界は悲しみに満ちている。嘗てのグラン・パや古の『ミュウ』たち、そして、ベルフトゥーロとイオリアが夢見た世界は、遠い夢物語の出来事らしかった。

 

 

 

 

 

 

◇◇

 

 

 

 

 

 

 

「はは、ははは、あはははははははははははっ!!」

 

 

 男は笑う。狂ったように笑い続ける。

 

 

「このガンダムは素晴らしい。ゼロシステムによって、僕の思考は無限に広がった! 僕はすべてを理解したよ!!」

 

 

 男は恍惚とした笑みを浮かべた。

 しかし、まだ足りない。

 

 

「喜んでくれ、グラハム! これで君の機体も完成する! クーゴや他の皆との約束を――フラッグの後継機開発を果たすことができるんだ!」

 

 

 いなくなってしまった人たちと交わした、大切な約束があった。

 それを果たすことは困難だった。ほぼ不可能だと思っていた。

 だが、ゼロシステムは齎してくれた。不可能を可能にする手立てを。

 

 

「きっと、エイフマン教授やクーゴだって、喜んでくれるに違いない……!!」

 

 

 白衣を着た男は、明らかに“何か”に取りつかれている。もう正気ではない。

 彼を愕然とした表情で眺めていたのは、仮面で顔を隠した金髪碧眼の男だった。

 

 笑い続ける男と、それを愕然とした表情で眺める仮面をした金髪碧眼の男。彼らの後ろ姿は、薄闇のベールがかかっていてよく見えない。

 

 

「カタギリ……」

 

 

 仮面の男が、茫然と男の名前を呼んだ。

 笑い続ける男は、親友に名前を呼ばれたことに気づかない。

 

 

「キミも、魔道に堕ちたのか……」

 

 

 狂ったように笑い続ける男に、仮面の男の言葉は届かなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 未来を演算するシステムを解析し始めてから、ビリー・カタギリはまともに家へ帰っていない。

 

 ビリーにゼロシステムの解析依頼が入ったのは、高嶺の花であるリーサ・クジョウが転がり込んで有頂天になっていたのと同時期だった。亡くなった親友の姉が、どこぞの伝手で入手した欠陥品だという。どうにかして、このシステムを完全なものにしてほしいそうだ。

 欠陥品とはいえ、ゼロシステムが示す情報は多岐にわたる。最初は制御不能で膨大な情報に振り回されたが、最近になってようやく、欲しい情報をピックアップできるようになってきたばかりだ。欠陥品で初体験の一般人(ビリー本人)が3日間の記憶が飛ぶなら、完成品を一般人が初体験したらどうなるのだろう。

 

 親友曰く、「あれは見ていて恐ろしかった。キミも魔道に堕ちたのかと思った」らしい。見ないうちに武士道にのめりこんだ彼の言う台詞ではないだろう。

 クーゴたちと一緒に京都旅行に行ったときに買った、と、自慢げに見せてきた仮面と陣羽織を身に纏っていた親友は、常に物々しい空気を漂わせるようになった。

 リハビリを終えて退院した彼は、亡くなった親友の姉の元へ出入しているようだ。どことなく不本意そうにしていたが、2人の間に何があったか、ビリーは知らない。

 

 閑話休題。

 

 

(彼女はこれを「機体に搭載したい」って言ってたな。パイロットにかかる負荷は相当のものだろう。……対策は、どうするんだろうね?)

 

 

 ゼロシステム搭載機に搭乗するであろうパイロットに思いを馳せながら、ビリーはマグカップへ手を伸ばした。口にいれたコーヒーは、既に生ぬるくなっていた。

 時計を見ると、前回確認したときよりも針が3週回っている。そろそろ休憩しようかと、背伸びをしたときだ。急に、デスクトップ画面に映し出された数字が点滅し始めた。

 何か起こったのか、とビリーが目を剥いた途端、膨大な情報が一気に流れ込んでくる。内側から殴られるような痛みと共に、頭の中が一気に真っ白になった。

 

 がんがんとした痛みの中で、光景がフラッシュバックする。そこにいたのは、ビリーにとっての高嶺の花――リーサ・クジョウその女性(ひと)であった。

 彼女は見慣れぬ制服を見に纏い、戦術指揮を取っている。ときにはアルコールに舌鼓を撃ち、ときには見知らぬ人々と楽しそうに談笑していた。

 

 指揮を執る彼女の眼前に映し出されたモニターに、機体が映った。世界を騒がせたMS――ソレスタルビーイングのガンダムだ。それが意味することは、ただ1つ。

 

 

(嘘だろう……!? クジョウが、ソレスタルビーイングの人間だって……!!?)

 

 

 あまりの情報に、ビリーは我が目を疑った。目の前で点滅する光景を信じられなかった。自分が思いを寄せる相手が世界の敵の一員だなんて、認められるはずがない。

 嘘だと否定しても意味がないことは分かっている。しかし――残念ながら――ゼロシステムが示す情報(もの)が、未来すらも見通す演算能力が、偽りを見せるはずがないのだ。

 ビリーはクジョウの気を引くために、三大国家の軍事演習に関する情報を提供したことがある。まさか、あの情報を入手するために、彼女はビリーに近づいてきたのだろうか。

 

 ビリーの心が疑念に塗りつぶされそうになったとき、頭の中に光景が浮かんだ。

 クジョウは悲しみに満ちた目をして、情報の入ったマイクロチップを懐に戻す。

 

 

『ごめんなさい、ビリー』

 

 

 彼女は、横流しされた情報を使わなかった。ソレスタルビーイングのガンダムパイロットにも、クルーにも、ビリーが齎した情報を口外しなかった。自分たちが敗北し、ガンダムを失うことを分かっていて、パイロットたちを戦地に送り出したのである。

 

 ソレスタルビーイングの新型ガンダムが姿を現したのもこのときであったが、クジョウの作戦プランには、新しいメンバーのことなど一切流れていなかったのだ。

 MDたちが暴走して大変なことになることも予測できていなかったようだし、「クジョウがビリーを裏切った」という馬鹿な予想は的外れだったらしい。

 

 むしろ彼女は、ビリーのために心を痛めてくれた。その事実に、体がじわじわと熱を帯びていく。口元がかすかに震えた。このまま舞い上がってしまいそうだった。

 ぱちん、と、何かが弾けるような音が耳を掠めた瞬間、ビリーは椅子の上から立ち上がっていた。ディスプレイ画面には、相変わらず数字の羅列が表示されている。

 静かな研究室。自分以外、誰も人がいない。街の明かりも大体が消え去っていた。今晩も研究所に泊まることになりそうだ。ビリーは大きく息を吐いた。

 

 同居人となっている高嶺の花に、「今日も研究所に泊まる」とメールを入れた。ゼロシステムで見た情報を話そうかと端末のボタンを押しかけ、ビリーは手を止める。

 しばし迷った後、ビリーは下の文章――クジョウがソレスタルビーイングの人間だと知ったこと――をすべて消して、飲みすぎないようにと注意する文面を入力した。

 

 

「送信、っと」

 

 

 ピロリン、という軽快な音が響く。

 間髪入れず、『メッセージを送信しました』の文字が浮かんだ。

 

 

(ソレスタルビーイングは僕の友人(グラハムとクーゴ)たちを助けてくれたし、クジョウは僕を庇ってくれた。……これで、いいんだよね)

 

 

 ビリーの脳裏に浮かんだのは、ユニオンの軍事工場。偽物と死闘を繰り広げ、満身創痍だった親友たちを助けてくれた天使(ガンダム)たちの姿だった。

 借りを返すにしては遅すぎるのかもしれないし、自分のやっていることは軍人としてあるまじき行為なのかもしれない。だとしても、ビリーとて人の子である。

 そこには、以前の――三大国家の軍事演習を彼女に漏らした――ときとは違い、“クジョウに気にいられたい”という下心はなかった。

 

 システムを完成させるのは、根気の居る作業だ。少し休んでから、もう一回頑張ろう。

 

 ビリーはコーヒーを追加するために立ち上がった。そのまま、PC画面へ背を向ける。

 真っ暗闇の窓ガラスには、PC画面の光がぼんやりと浮かんでいた。緑と青を基調とした光だ。

 

 

(――!?)

 

 

 ほんの一瞬、PC画面に黄色と赤の光が激しく点滅した。振り返ってPC画面を確認すれば、何事もなかったかのように緑と青を基調とした光が映し出されている。

 

 

「……何だったんだ……?」

 

 

 狐につままれたような気分で、ビリーはPC画面を凝視した。次の瞬間、マグカップを持っていた手に熱が走る。慌てて見れば、白衣にコーヒーが染みていた。

 コーヒーの汚れは落ちにくい。やってしまった、と、白衣の袖を見てため息をつく。連日徹夜の強行軍は、流石にこたえたようだ。今日は少し長めに休息を取ろう。

 ビリーは白衣を脱いで予備のものに着替える。目覚まし時計のタイマーを普段より遅めにセットして、短い眠りの旅へと舟をこぎ始めたのであった。

 

 

 

 

*

 

 

 

 

 ゼロシステムの解析は順調(?)に進んでいる。同時に、システムの欠陥の修繕も進んでいた。

 完全まではまだまだ時間がかかるけれど、徐々に近づいているという実感があった。

 

 今日も頑張るぞ、と、ビリーが背伸びをしたときだった。

 

 ぞっとするような悪寒。

 弾かれたように振り返れば、そのタイミングで扉が開いた。

 

 

「失礼するわ。カタギリさん」

 

 

 銀の刺繍で鶴が描かれた、豪奢な着物を身に纏った女性が研究室へやって来る。彼女の来訪時に起きる寒気には、いつまでたっても慣れなかった。

 ビリーは会釈し、女性をソファに促した。女性は優雅に座る。彼女が研究室に足を運ぶようになってから、高級の玉露が常備されるようになった。

 女性の好みに合わない飲み物を出すと、延々と愚痴をこぼされるのである。徹夜で疲れているときに愚痴につき合わされるなんて、悪夢以外の何物でもない。

 

 

「ゼロシステムの解析は?」

 

「ぼちぼちです」

 

「そう。早くしてね」

 

 

 女性の問いに、ビリーは曖昧に答えた。女性が研究所に来ると、決まって、ゼロシステムの解析と欠陥部分のカバーがどれ程進行したかを訊ね、急かす。

 技術屋のことなど何もわかっていない様子だ。開発やプログラムの見直しには長い時間がかかるということを、彼女には理解してもらえないらしい。

 

 理系は人生規模で物事を考えるが、文系は即効性を求める傾向にある――そう零していた人物は、もう、この世にいない。

 

 いつも通りのやり取りが終われば、彼女はすぐ帰ってしまう。だから、今回もそうだろうとビリーは思っていた。

 ビリーの返事を聞いた彼女は緑茶を啜ったのち、妖艶な笑みを浮かべた。大抵の男が見れば、誰もが胸を高鳴らせるような微笑だ。

 しかし、彼女の微笑みを見たビリーは悪寒に襲われた。嫌な予感がする。ごくりと生唾を飲み干した。

 

 

「貴方が高嶺の花と仰ぐ女性の真実を知って、どう思った?」

 

 

 女性が告げた言葉に、ビリーは思わず目を剥いた。どうしてこの女性は、ビリーがゼロシステムで知った真実を知っているのだろう。

 

 

「彼女は貴方を裏切っていたわ。貴方を騙していた。……憎いと思わない?」

 

 

 頭がくらくらしてきた。場にそぐわぬ倦怠感に、意識が沈んでいく。

 

 

「貴方は彼女を憎んでいる」

 

 

 まるで、ビリーに言い聞かせるかのようだった。うつらうつらとする意識の中、女性の声が反響した。

 

 憎んでいる。

 誰が、誰を。

 ビリーが、クジョウを。

 

 ビリーは憎んでいる。

 リーサ・クジョウを憎んでいる。

 

 ――憎んでいる?

 

 誰が、誰を?

 ビリーが、クジョウを?

 

 リーサ・クジョウを憎んでいる?

 ソレスタルビーイングを、憎んでいる?

 

 

「違う」

 

 

 ビリーは、はっきりと口にした。

 

 

「僕は、クジョウを憎んでいない」

 

 

 反響していた女性の声が止まった。曖昧になりつつあったビリーの意識が、一気にクリアになる。目の前にいる女性は大きく目を見開いていた。

 己の意思を確かめるように、相手に確かめさせるように、ビリーは言葉を紡ぐ。

 

 

「僕は、クジョウを憎んでいません」

 

 

 それは、ビリーの確固たる意志だ。

 

 

「――そう」

 

 

 幾何の間をおいて、女性は笑った。妖艶な笑みを、更に深くする。

 ビリーの背中に、これ以上ない程の悪寒が走った。

 

 ビリーの中にある『何か』が悲鳴を上げている。女性が、恐ろしいことをしようとしていると訴えている。今すぐにこの場から離れなければならないと叫んでいる。

 だというのに、ビリーの体は動かなかった。蛇に睨まれた蛙のように、一切の身動きができなかった。心臓が早鐘を打つ。すべての動きがスローに見えた。

 女性はビリーの額に手をかざした。聖母のような、悪魔のような――どう形容すればいいのかわからない、綺麗な微笑を浮かべた女性の姿が視界の端にちらつく。

 

 急に、頭がくらくらしてきた。場にそぐわぬ倦怠感に、意識が沈んでいく。うつらうつらとする意識の中、女性の声が反響した。

 

 

「聞き分けの悪い玩具(オニンギョウ)さん。しょうがないわね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 このときのクーゴ・ハガネはまだ知らなかった。

 

 

 

 

 

「これが、ゼロシステムの力……!」

 

「これさえあれば、私は世界を変えられる! こんなクソみたいな世界を、私の力で変革することができる!!」

 

 

「キミが革新者(イノベイター)として優れた存在であることは事実だ。そこは素直に賞賛し、敬服するよ」

 

「……だが、イオリア計画は……父さんの遺志は、決して、お前のような存在を認めない!!」

 

 

革新者(イノベイター)のなり損ないのくせに! 紛い物のイノベイドが、真の革新者(イノベイター)に勝てるはずないでしょう!!」

 

 

「お前は真の革新者(イノベイター)じゃない」

 

「イオリアが提唱した存在を……本当の意味での革新者(イノベイター)を見出した僕が言うんだ。間違ってなんかいないよ」

 

 

「刹那・F・セイエイ」

 

「純粋種の力、見せてくれるよね?」

 

 

 

 

 遺志を冒涜する者と遺志を継ぐ者同士の戦いに、ゼロシステム搭載機が関わることを。

 

 

 

 

 

 

 

 

「貴方の父君は、軍を裏切った。市民を傷つけた」

 

「そうやって、同じように、貴方の父君は貴方の母君を見殺しにした」

 

「貴方は、父君を憎んでいる。――そうでしょう?」

 

 

「――憎い」

 

「私は、あいつが憎い」

 

 

「貴方が想いを寄せる人たちをたぶらかし、光が差さない獣道に引きずり込もうとしている奴。それは、貴方が1番分かっているはずよ」

 

「そうだ……。そいつさえ、そいつさえいなければ……!!」

 

 

「彼女たちを助けたい?」

 

「ああ」

 

「じゃあ、どうすればいいか、わかるわね?」

 

 

「――ああ」

 

「ころせば、いい」

 

 

 

 

 

 ほの暗い闇の底へ、新たなる迷い子が引きずり込まれていくことを。

 

 

 

 

 

 

 

 

「もういっそ、MSファイトで決着付ければいいんじゃないのか?」

 

「そ れ だ ! !」

 

「えっ」

 

 

「ロックオン・ストラトス!」

 

「デュナメスガンダム-クレーエ!」

「ケルディムガンダム!」

 

「狙い撃つぜ!!」

「乱れ撃つぜぇ!!」

 

 

 

 後に伝説と称された『狙い撃ち合い宇宙(そら)』と呼ばれる、兄弟喧嘩を目の当たりにすることを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 クーゴ・ハガネの明日は何処(いずこ)なりや。

 


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