大丈夫だ、問題しかないから。 -Toward sky- <2nd Season> 作:白鷺 葵
政略結婚というのは、古来から存在している外交手段だ。主に、政治に王族を立てている国家が行う。他国の王族や政治関係者と婚姻を結ぶことで、政治的便宜を図ってもらおうという魂胆だ。これで幸せな結婚となった例は稀であり、大抵が不幸になっている。
中華連邦もまた、王族同士の婚姻によって権益を得ようと画策している。その相手は、ブリタニア帝国の第1皇子だ。……但しその御仁、この多元世界では些か存在感が皆無である。ブリタニア帝国で有名どころは、皇帝シャルルとシュナイゼル皇子であろう。
まあ、当人が存在感皆無でも、彼の肩書は“世界の覇権を握る巨大帝国の第1皇子”だ。その繋がりから得られるであろう利益は計り知れない。それに、「中華連邦の天子が第1皇子と婚姻」という見出しはセンセーショナルなものだ。クーゴは冷静に、そんなことを考えた。
「地球連邦の中で冷や飯食いの立場である中華連邦が、天子を差し出すことでブリタニア系とくっつくのか」
神様もへったくれもない、純然たる事実。死神の名を冠するガンダムを操るデュオが、珍しく真面目な面持ちでそう言った。
「ブリタニアの第1皇子って、天子よりもかなり年上なのよね……」
「下手すれば、ギリギリ親子手前の年の差だって噂ですぅ」
ルナマリアとミレイナが話をする横で、イアンがそっと目を逸らしているのは何故だろう。
そう言えば、彼は結構な年の差婚らしい。実際に聞いたわけではないが、時折、彼が麗しい女性を思い浮かべることがあった。
佇まいは30代半ばといったところだろうが、ベルフトゥーロみたいな例を知っていると、外見だけで年齢を判別するなんてできなかった。
「しかも、写真からでも分かるレベルで、典型的な“ダメな2代目フェイス”だったわ」
「ぶっちゃけ殴りたくなるような顔してた」
「グラン・マ、物騒です」
葵とベルフトゥーロは、互いの発言に共感したのだろう。拳を撃ち合わせハイタッチしたのちに親指を立て、固く握手を交わしていた。
勿論、ベルフトゥーロはイデアの注意も軽く聞き流している。しかし、忘れてはいけない。日本には「上には上がある/いる」という例えがあることを。
「ブリタニア王家許すまじ!」
「一片の慈悲も要らぬ!」
「落ち着いて2人とも!」
「止めないでくれカレン! 奴らのような人でなしを野放しにするわけにはいかないんだ!」
「こうなったら、私たちの真の愛の力――石破ラブラブ天驚拳を使わざるを得ないわ……!」
「やめて! そんなもの撃たれたら、朱禁城が焦土と化すからぁぁぁ!!」
その言葉通り、ベルフトゥーロ以上に物騒なことを言う人間たち――否、新婚夫婦がいた。クロスロード夫婦である。
夫婦のご学友であった紅月カレン(という生贄)だけでは、この場を落ち着かせることは荷が重い様子だった。
カレンの叫び声を耳にした大半の面々が勢いよく目を逸らす。割って入れば貧乏くじは確実だ。避けるのは当たり前だろう。
そういえば、黒の騎士団の長ゼロも、2人の様子にタジタジになっていたように見えた。むしろ、どう扱えばいいのか思案しているみたいだった。
一歩間違えれば、石破ラブラブ天驚拳が牙を向く。彼の心労を想像したら、どうしてだか天を仰ぎたくなった。閑話休題。
「……文字通り、天子には中華連邦繁栄のための生贄になってもらおうってのか。あんな小さな少女に犠牲を強いるとは、世も末だな」
クーゴは深々と息を吐いた。憂いを抱かずにはいられない。
ZEXISの面々も、クーゴと同じ気持ちになっている者が多かった。婚姻を見直せないか――否、大半の面々が、政略結婚反対派である。
確かに、天子といえど、彼女はうら若き乙女だ。いきなり年齢が大きく離れた相手と結婚しろだなんて、困惑通り越して恐怖しかないであろう。
「一国の判断だ。俺たちにどうにかできるものじゃないだろう」
デュオが肩をすくめる。一部女性陣が彼に非難の嵐を向けたが、彼の言葉も一理あった。
いかにZEXISが軍への監察権を持っていても、他国の婚姻に介入できるものではない。
だからといって、このまま黙っていられる程、ZEXISの面々は割り切れる人間ではなかった。
「――そんなZEXISのみんなにお知らせだよっ!」
場違いなくらいに明るい声が響き、次の瞬間、プトレマイオスの格納庫が開いた。
紫のくせ毛を束ね、眼鏡をかけた青年が足取り軽く部屋に入り込む。彼を目にしたベルフトゥーロが、ぱっと目を輝かせた。
「リジェネ! 久しぶりー!」
「マザー! 元気そうで何より!」
久方ぶりの再会を果たした親子みたいに、ベルフトゥーロは青年――リジェネと手を取った。呆気にとられる周囲を無視し、2人はしばし雑談に耽る。そうして、本題が切り出された。
「今回の結婚披露宴では、今まで表舞台に姿を現さなかったアロウズ上層部が出席するそうだよ」
「ってことは、司令部のホーマー・カタギリって人か?」
シンが何気なく告げた言葉に、クーゴは思わず目を逸らした。ホーマー氏は嘗ての上司であり、予てから親交がある人物だった。彼の別荘にある剣道場で、剣を交えたことが昨日のように思いだせる。
そういえば、クーゴが“社会的に”死んだことにされた後は(当たり前のことだが)一度も顔を合わせていない。アロウズの総司令官に抜擢されたという話は聞いていたが、実質的な権限は第3者にありそうだった。
そして、その第3者こそが――クーゴの姉、刃金蒼海なのだろう。クーゴの予感を肯定するかのように、悪寒が背中を撫でてきた。
「シンくんの言う通りだけど、ぶっちゃけ組織の中ではお飾りっぽい。総大将はもうちょい別にいるって感じだね」
「じゃあ、何だ。もったいぶらずに教えろ」
「タンマタンマタンマ! 殴るのは止めてよティエリア!」
おふざけ全開のリジェネに痺れを切らしたティエリアが、眉間に皺を刻みながら彼を睨みつけた。今にも右ストレートを叩きこもうと振りかぶるティエリアの様子に観念したのか、リジェネは慌てた様子で説明を始めた。
リジェネの話を総合すると、その結婚披露宴に参加するのはアロウズの上層部だけではないようだ。アロウズの最大出資者と2番手の出資者が、パーティに参加するという。しかもこの出資者は、地球連邦とは無関係の人間だという。
だからといって、どこかの国家連合に属している訳でもなく。簡潔に言えば、財閥を形成するほどの大金持ちであること以外は、実質的な区分で言うと“一般人”なのだという。それを聞いたZEXISの面々がどよめいた。
「要するに、連邦を操る黒幕のご登場ってわけか」
(そうして、その人間こそが――あの人ってわけだな)
デュオの言葉を聞き、クーゴは思わず目を伏せた。
クーゴの様子に気づいたイデアが心配そうにこちらを見上げている。何も言わないあたり、彼女は相当気を使ってくれているらしい。ちょっとだけ泣きそうになったが、堪える。蒼海の気配を感じるたびに、悪寒に襲われたことは数知れない。姉の暴走――彼女の手駒にされた親友の悲痛な姿を目の当たりにしたときから、蒼海と対峙する覚悟は決めていた。
もう、寒さに身を縮こませてはいけない。黙って俯いてばかりでは、姉の手駒にされてしまった面々を連れ戻すことなど不可能なのだ。クーゴはイデアを見返し、微笑んだ。大丈夫、という思いが伝わったようで、イデアも表情を緩める。――うん、やはり彼女には笑顔が似合う。クーゴはひっそりと目を細めた。
そのとき、ZEXISの面々がざわめきはじめた。どうやら、「『悪の組織』の面々が情報収集のためにパーティに参加するから、何かやるなら合同でやらないか」という提案らしい。
むしろ、『悪の組織』の面々は、ZEXISがパーティで何かしようとしていることを察知しているのだろう。結婚反対派の女性陣が、興味深そうに耳を傾けている。
「だが、下手すりゃあ、俺たちの顔が向うに知れてる場合もあり得る」
「それも想定済みさ。参加って言っても、潜入するって形での参加だし」
険しい顔をしたラッセに、リジェネは満面の笑みを浮かべて親指を立てた。
そうして彼は、端末の情報を提示する。
「ZEXISのみんなが参加するって言うなら、僕らのダミー企業関係者って名目で、警備員やウェイター、もしくは会社の役員に変装してもらうけど」
「ふぅん……」
リジェネの話を聞いたスメラギが、興味深そうに彼の話を聞きながら端末を見つめる。彼女の瞳は真剣だ。戦場で采配を振るう姿を連想させる。
「……アレルヤ。クォーターへ行って、ボビー大尉を呼んで来てもらえるかしら?」
「へっ!?」
「スメラギ・李・ノリエガ!? 何を……」
幾何の沈黙の後で、スメラギが重々しく口を開いた。彼女から漂う異様な気配に、アレルヤとティエリアが身を竦ませる。
2人は本能的に何かを感じ取ったしまったらしい。だが、その予感から逃げられるとは思えなかった。クーゴの予想を肯定するかのように、スメラギは不敵に微笑む。
「やるからには万全を期する……。私の指示に従ってもらうわよ」
*
「グラマラスなティエリアもサイコーだねへぶぅッ」
女性の肘鉄を喰らったリジェネが吹っ飛んだ。彼女は腰程に伸びた紫の髪に、シンプルな赤いドレスを身に纏っている。
この女性こそ、ティエリア・アーデその人だ。普段の様子からは予想できない変貌ぶりに、誰もが呆気にとられている。
ミレイナはキラキラと目を輝かせ、アニューが自分の胸とティエリアの胸を比べて絶望一歩手前の表情を浮かべていた。
功労者のボビーはやり遂げた顔で胸を張っている。彼のメイク術は称賛に価した。
「うわー……凄いや」
「ティエリア、綺麗だ……」
「こんなに化けちまうたぁなー」
「流石は稀代のメイクアップアーティスト、ボビー大尉だ」
「いやいや、下地がいいってのもあったんだろう」
ZEXISの面々も、ティエリアの変身ぶりに拍手喝采であった。
乱暴に吹き飛ばされても尚、リジェネはティエリアに絡みたがる。その度、リジェネはティエリアの一撃によって宙を舞った。
それを何度繰り返したのだろうか。顔面崩壊一歩手前で鼻血を拭きながら、リジェネは何かを思い出したように手を打った。
そうして、クーゴの方にやって来る。まさか自分が絡まれるとは思わなかったクーゴは、思わず目を瞬かせた。
「なんでしょう?」
「キミ、確かマグロ解体できるよね?」
藪から棒に、変な質問をされた。この場に居合わせた面々もクーゴと同じ気持ちだったようで、リジェネの質問に目を瞬かせた。「資格持ちで解体ショーに飛び入り参加したこともある」と返答すれば、周りから色めき立った声が響く。
マグロ解体の様子を説明する者もいれば、マグロ繋がりで寿司談義に花を咲かせる者もいた。中にはマグロから海洋生物の養殖に話を飛ばし、食に関する日本人の変態性について論じる者も現れる。この場は、ちょっとした混沌地帯と化していた。
彼が何を言いたいのか分からずに首を傾げたとき、リジェネは「ちょっと待ってて」と言い残して部屋を出た。幾何かの間をおいて、彼が道具一式を抱えて戻ってきた。漁師や魚屋がつけるようなビニール製の重々しいエプロンと、桐の鞘に入った刀のようなもの。
「なんだあれ? 刀か?」
「違う。あれは包丁だ。マグロ解体用の」
「こんなデカいのが包丁だって!?」
クロウが首を傾げる。クーゴはそれを否定した。
確かに、知識のない者がぱっと見ただけで判断しようとすると、鞘に収まった刀と見間違いそうな長さと外見である。マグロ解体用の包丁は、マグロの鮮度を保ちつつ、身を一気に切るために刀身が長い。
マグロは切った傍から、鮮度が落ちてしまうためだ。鮮度が落ちれば、当然、味や質も落ちる。それを避けるために、マグロ解体用の包丁は刀を連想させるような長さとなっているのだ。
そんなことを考えていたら、リジェネが端末に画像を映し出した。クーゴを2人並べたような体長の、丸々と肥え太ったクロマグロである。黒いダイヤと称される魚に相応しい巨体に、クーゴは思わず唾を飲んだ。
何だろう、変な予感がする。
嫌な予感ではないけど、これは絶対、良い予感でもない。
「……まさか、俺にこいつを解体しろと仰る?」
「Yes! 結婚披露宴の目玉の1つだから、宜しく頼むよ!!」
満面の笑みを浮かべたリジェネが親指を立てる。反射的に、クーゴは天を仰いでいた。
◆◆
『悪の組織』から通信が届いたという報告を聞いたときから、何となく変な不安を感じていた。その内容が「『悪の組織』の面々が情報収集のためにパーティに参加するから、何かやるなら合同でやらないか」という申し出だったときは、変な不安が確信に変わった。
直後、アニューが「クーゴさん宛に荷物が届きましたよ」と部屋に入って来たのを見て、異様なデジャヴを感じた。トドメに、漁師や魚屋がつけるようなビニール製の重々しいエプロンと、桐の鞘に入った刀のようなものを持ってきたのを見たときには、
「なんだあれ? 刀か?」
「違う。あれは包丁だ。マグロ解体用の」
「うぇ、マジ!? こんなデカいのが包丁だって!?」
確かに、知識のない者がぱっと見ただけで判断しようとすると、鞘に収まった刀と見間違いそうな長さと外見である。マグロ解体用の包丁は、マグロの鮮度を保ちつつ、身を一気に切るために刀身が長い。
マグロは切った傍から、鮮度が落ちてしまうためだ。鮮度が落ちれば、当然、味や質も落ちる。それを避けるために、マグロ解体用の包丁は刀を連想させるような長さとなっているのだ。
いきなりそんなものを運び込まれたため、プトレマイオス側の面々が表情を引きつらせていた。彼らからすれば、こんな道具なんて馴染みがなさすぎるだろう。用途が分かったところで、こんな場所に持ち込む物ではない。
「こんなもの、誰が、何のために使うの……?」
「そりゃあ勿論、獲物を解体するために決まってるじゃない」
スメラギの疑問はごもっともである。彼女の問いに答えたヒリングは、「ちょっと待ってて」と言い残して奥の方へ消えた。暫くして、彼女はリヴァイヴと一緒に台車をひいて帰ってきた。
台車の上に乗っていたのは、丸々と肥え太ったクロマグロである。以前、端末に送信されてきた画像データの現物だ。ここまで
「……まさか、俺にこいつを解体しろと仰る?」
「え? だって、グラン・マが『クーゴ・ハガネはマグロ解体の資格を有していて、解体ショーに飛び入り参加したこともあるから、是非とも』って聞いてたから……」
ダメなの? と言いたそうに、ヒリングとリヴァイヴがこちらを見返した。2人の眼差しは、いつぞや勝手にクーゴを『悪の組織』関係者としてソレスタルビーイングに出向させたときの、ベルフトゥーロの眼差しとよく似ている。
まあ、確かに、潜入の話が出たら立候補するつもりでいた。そういうパーティ会場には、自分の姉である蒼海が参加している可能性が高い。彼女は昔から、煌びやかなものや華やかな社交界を好み、積極的に足を運んでいた。
クーゴの様子に気づいたイデアが心配そうにこちらを見上げている。何も言わないあたり、彼女は相当気を使ってくれているらしい。ちょっとだけ泣きそうになったが、堪える。蒼海の気配を感じるたびに、悪寒に襲われたことは数知れない。
姉の暴走――彼女の手駒にされた親友の悲痛な姿を目の当たりにしたときから、蒼海と対峙する覚悟は決めていた。もう、寒さに身を縮こませてはいけない。
黙って俯いてばかりでは、姉の手駒にされてしまった面々を連れ戻すことなど不可能なのだ。クーゴはイデアを見返し、微笑んだ。
大丈夫、という思いが伝わったようで、イデアも表情を緩める。
(――うん、やっぱりイデアには笑顔が似合う)
クーゴはひっそりと目を細めた。
そうして、画面の向こうにいる第1幹部の仲間たちへ向き直る。
「了解しました。本職ではありませんが、精一杯務めさせていただきます」
「あ、どうも」
「よ、宜しくお願いします」
クーゴが深々とお辞儀をすれば、それにつられるような形で、ヒリングとリヴァイヴもお辞儀を返した。2人のお辞儀はぎこちなく、おずおずとした感じであったが、日本人なら微笑ましく写る光景だ。
「社交界ってことは、私の出番でもあるわけね」
「ルイスのドレス姿……」
話を聞いていたルイスが真顔で頷いた。隣にいた沙慈は何を思ったのか、顔を真っ赤にして首を振っている。
まさかの技術者――もとい、一般人立候補に、ソレスタルビーイングの面々は動揺を禁じ得ない。
確かに、ルイス・クロスロード夫人は財閥一族・ハレヴィ家唯一の生き残りである。
沙慈と結婚する以前はハレヴィ一族の本家として社交界に顔を出していたそうだ。
今回のようなパーティに潜り込んでも、場馴れしている彼女なら自然体でいられるだろう。
蛇足だが、彼女は少し前に“株やFXや投資で投資金額を8桁増にした”という武勇伝をやり遂げた人間だったりする。しかもそれは、第1幹部の面々が社交界に潜入する隠れ蓑を立て直すためだったらしい。
「この前は本当に助かったよ。ありがとう、クロスロード夫人」
「いえいえ。また何かあったら言ってくださいね! あの程度だったら、すぐ稼いじゃいますから!!」
やはり、ルイスは大物であった。クーゴは煤けた笑みを浮かべてその様子を見守る。
『悪の組織』に属する人間は良くも悪くも個性が強いと聞いていたが、本当にその通りであった。
特に『ミュウ』は、外見と中身が一致しないなんてよくあることであった。頻繁にありすぎて、普通の人間が何度腰を抜かせばいいか分からないレベルである。
中でも、総大将――もとい、
「…………」
ふと、視界の端に、刹那の姿が映った。彼女は何か深く思い悩んでいる様子だった。物思いに耽りながら、刹那は掌でペンダントを弄ぶ。以前、グラハムが彼女の誕生日プレゼントとして贈った天使のシェルカメオだ。
気のせいか、シェルカメオが淡く光ったように見えた。祈りにも似たその感情は、紛れもないグラハム・エーカーのものである。青い光は、グラハムの想い――言うならば、愛――で満ち溢れていた。
幾何かの沈黙の後、刹那が顔を上げた。赤銅色の瞳に強い光が宿る。
「その作戦、俺も参加させてほしい」
「えっ!?」
「俺は知らなくてはならないんだ。この世界を歪ませている元凶を――俺たちが倒すべき敵を」
刹那は強い調子で言いきった。彼女の眼差しには一片の揺らぎも曇りもない。ソレスタルビーイングが倒すべき相手を――世界の歪みの元凶であり、グラハムを傀儡にした張本人に対する怒りを、彼女は露わにしているのだ。
グラハム曰く、「朴念仁で感情の起伏が見えづらいと思われがちではあるが、刹那はただ単に、人一倍不器用なだけである」らしい。そんな話を思い出し、クーゴは納得した。親友は恋人を振り回しているようで、彼女のことをちゃんと見ていたらしい。
「だが、下手すりゃあ、俺たちの顔が向うに知れてる場合もあり得る」
「僕がバックアップに回ろう。――それに、貴様たちには、個人的に訊きたいことがあるからな」
険しい顔をしたラッセに、ティエリアが立候補した。彼はモニターに映し出されたヒリングトリヴァイヴを、剣呑な眼差しで睨みつけている。
ヒリングとリヴァイヴは驚いたように目を瞬かせた。何かを確認しあうように2人は顔を見合わせると、ティエリアに向き直って頷き返す。
途端に、画面の向こうから足音が響いてきた。ティエリアと瓜二つの顔立ちをした青年――リジェネが嬉しそうな顔をして、部屋へ飛び込んできたのだ。
リジェネに対して、ティエリアは苦手意識を持っているらしい。彼は、「ティエリアが行くなら僕も参加するからね!」と息巻くリジェネから視線を逸らした。
やいのやいのと騒ぐ面々や、刹那の参加表明に対し、スメラギは肩をすくめて深々とため息をついた。
しかし、それも一瞬。スメラギはすぐに不敵に微笑む。彼女の瞳は真剣だ。戦場で采配を振るう姿を連想させる。
「いいわ。やるからには万全を期する……私の指示に従ってもらうわよ」
ソレスタルビーイングと『悪の組織』。
“イオリアの後継者たち”という双璧による、夢の競演が幕を開けようとしていた。
◇
「うわぁ、ドレスがこんなに……!」
「綺麗ですぅ!」
「女の子の夢が目の前に溢れてる……。ホント、壮観だわ……!」
試着室と銘打たれた空き部屋には、最低限の試着スペースすら圧迫する程のドレスで満たされていた。フェルト、ミレイナ、クリスティナが感嘆の息をこぼす。煌びやかな世界とは縁のない生活を送ってきた刹那にとっても、圧巻の光景であった。
どれもこれも相当な高級品だ。提供者はルイス・クロスロード夫人である。これだけのドレスを持ってきていても、ハレヴィ家の財産にとっては痛くもかゆくもないのだろう。ルイスは財産を増やす才能に溢れているためだ。
「スメラギさん。本当にこの程度の数でよかったんですか? もっと持ってきた方が……」
「無理だわ。……正直ね、それ以上持ってこられても、ドレスを置く部屋がないのよ」
「えー……。勿体ないです」
後ろの方から空恐ろしい会話が聞こえてきた。金持ちの頭は、ネジが数本緩んでいるのではなかろうか。
金持ちと言えば、最近、ソレスタルビーイングのエージェントである
彼女は今でもソレスタルビーイングに協力してくれている。援助だって滞りなく行われている。それに、数少ない協力者なのだ。自分たちを裏切るなんて、そんなことは――そこまで考えたとき、何とも言えない寒気を感じたのは何故だろう。
思えば、ソレスタルビーイングが『悪の組織』関係者と行動を共にし始めた頃から、
「刹那はどんなドレスを着るの?」
刹那の思考回路を止めたのは、クリスティナの言葉だった。
彼女の言葉を皮切りに、フェルト、ミレイナ、ルイスが刹那の周りを取り囲む。
「こんなにいっぱいあるんだもの。そう簡単に決まらないか」
「だったら、私たちが選んであげようか?」
「よーし! 可愛くしてあげるからね!」
「これなんてどうでしょう? セイエイさんに似合うと思いますよ?」
彼女たちの勢いに驚いて硬直した刹那を見て、クリスティナたちは何か勘違いしたらしい。クリスティナが苦笑し、フェルトが申し出、ルイスが腕まくりし、早速と言わんばかりの勢いでミレイナがドレスを持ってくる。
ミレイナが持ってきたドレスは、ギリシアの女神を思わせるようなマーメイドラインのものだった。光沢のあるパステルピンクの生地が目を惹く。胸元には豪華な金の装飾が施されており、高級感が漂っていた。
彼女たちの申し出は嬉しいし、ミレイナが選んでくれたドレスも美しいものだ。だが、刹那はもう、何を着ていくか既に決めている。色めき立つ4人を制し、刹那は自前で持ってきたイブニングドレスを指示した。
ビスチェ形態の上着にスカートを付けたイブニングドレス。蒼穹を思わせるような鮮やかな青が目を引く。スカート部分には、チャペルトレーン――長い引き裾が付けられていた。そのため、スカートの長さ自体はショートドレスだが、引き裾の長さが床につくため、ロングドレスに分類される。
上着代わりに羽織るのは白いショールだ。ラメの煌めき具合のせいか、純白というよりもホワイトシルバーと呼んだ方がいいのかもしれない。頭には、花を模した青いコサージュに純白の羽があしらわれたヘッドドレスを留めるつもりでいる。唯一の不安要素はサイズだろう。着るのがご無沙汰だったためだ。
――そう。4年前の、最後の休日。グラハムと過ごしたときに、彼から贈られたドレス一式だった。
「セイエイさん、ドレス持ってたんですか!?」
「ああ」
「意外だわ……。しかも、こんな素敵なやつを持ってたなんて」
ミレイナとルイスが感嘆の息を吐いた。しかしそれもつかの間、彼女たちのお喋りは満場一致で「試着」コールへと転化した。
4人の勢いに押されるような形で、刹那は件のドレス一式を身に纏う。唯一の問題であったサイズも、少々手を加えれば大丈夫そうだ。
後はメイクだと湧き立つ4人に引っ立てられるような形で、刹那はスメラギとティエリアの前に連行された。刹那の姿を見た2人は一瞬惚けたような表情を浮かべたものの、すぐに元に戻った。
スメラギが不敵な笑みを浮かべ、大量のメイク道具一式を取り出す。どれもこれも、世界の有名ブランド品ばかりだ。そういうものに疎い刹那からしてみれば、異世界の道具を見ているような気分になる。
次の瞬間、今度はティエリアが4人に連行された。彼はドレスを選ぼうとする4人をどうにかこうにか押し留め、自分でドレスを選んでいた。彼はシンプルな赤いドレスを着ることにしたらしい。
胸部を盛れば即刻女性に化けることは可能なのだが、ティエリアは念を入れることにしたらしい。腰までの長さのヴィッグを持ちだした。しかも、眼鏡もつけないで行くつもりのようだ。戦場に出るときの横顔とよく似ている。
「……なんだか、悔しいです」
「えっ?」
「女として、悔しいです」
ティエリアの変貌ぶりを見ていたミレイナが、不満そうに頬を膨らませた。気のせいでなければ、ちょっとだけ涙ぐんでいるようにも見える。突然の発言に、ティエリアは狼狽した様子だった。
「確かに悔しい」
「そうね。フェルトとミレイナの言う通りだわ」
間髪入れず、フェルトとクリスティナが同意した。両者とも目が座っている。
ティエリアのこめかみから、ドッと汗が噴き出した。相当困惑しているらしい。
そんな彼女たちをルイスは諌めた後、満面の笑みで提案する。
「じゃあ、全員でファッションショーでもします?」
「それだ/です!」
「ティエリアに負けっぱなしじゃいられないわ!」
彼女の提案を皮切りに、クリスティナ、ミレイナ、フェルトが息巻いた。その勢いに、ティエリアは思わずたじろぐ。
しかし、4人はそれだけでは終わらなかった。折角だからと言いながら、艦内にいるであろうイデアとマリーに呼び出しをかける。
程なくして、イデアとマリーが部屋の扉をぶち破って現れた。その後ろから、意味も分からず彼女を追いかけてきたであろうアレルヤが部屋に足を踏み入れる。間髪入れず、彼は間抜けな悲鳴を上げた。煌びやかなドレスの山に目を奪われたらしい。
因みに、アニューと沙慈は、イアンと共に宇宙へ向かった。ダブルオーの支援機を作るためである。
この場にアニューがいたら、彼女も一緒になってドレス選びに加わっていたであろう。
沙慈の場合は、ルイスのドレス姿に喝采していただろうか。閑話休題。
「2人のメイクが終わったら、私も参加したいのだけれど?」
「大歓迎です!」
「そうと決まれば!」
そう言うなり、スメラギは鬼気迫る形相でメイク道具を動かし始めた。あまりの勢いに、刹那はただ硬直するしかない。お人形宜しくな状態になるしかなかった。呆気にとられるティエリアの表情が見えたが、次は彼が刹那と同じ末路を辿る人間でもある。
十数分後。この部屋には、化粧を終えた麗しい淑女2人と、バーゲンで洋服を漁る買い物客――まさしく、中年女性のそれである――宜しくドレスを選び、真剣に吟味する女7人の姿があった。
巻き込まれたアレルヤは惚けて微動だにしないし、彼の数分後に部屋の前を通りかかったリヒテンダールは卒倒一歩手前の状態だ。クーゴは部屋に足を踏み入れる気配すらない。
「……女性というのは、凄いんだな」
「安心しろティエリア。俺も生物学上女性だが、彼女たちにはついていけそうにない」
互いに変な親近感を抱きながら、刹那とティエリアはお人形さんのように椅子に座り、鏡に写る己を見つめていたのであった。
◆
「これで、ソレスタルビーイングとはさよならね」
蒼海もまた、自分が着ていく振袖の着物を見上げた。黒地に赤と金の蝶が描かれた、豪奢で艶やかな柄のものだ。蒼海のお気に入りでもある。パーティで着物を着るのは、洋装中心の会場では一際目を惹く。注目が集まるというのは、堪らない快感があった。
「母さん、今度のパーティに俺たちも出たい!」
「いいですよね?」
「なあ、いいよな?」
蒼海の腰から響いてきた声に振り返れば、海月、厚陽、星輝らがじっとこちらを見上げているところだった。勿論、彼らも参加してもらう。その旨を伝えれば、3人はぱあっと表情を輝かせた。
着物を着るのが楽しみだと言いながら、子どもたちはパタパタと走り去っていく。後で、有名ブランドの着物一式を調べ、取り寄せておかなくてはなるまい。蒼海はその段取りを思い浮かべながら、振り返る。
ゆったりとした4人掛けのソファに、ミスター・ブシドーは座っていた。彼は黙ったまま微動だにしない。ご機嫌ななめなのだろうが、そんなこと、蒼海にとってはどうでもいいことだった。
「勿論、貴方もパーティに参加してもらうわ」
「…………」
「あの子、来るでしょうねぇ」
次の瞬間、ブシドーががばりと顔を上げた。普段はどろりと濁った深緑の瞳が、明確な感情を乗せてこちらを睨んだ。
「――彼女に、何をするつもりだ」
「貴方こそ」
地の底から轟くような声で、ブシドーが蒼海に問いかける。答える代わりに、蒼海は目を細めた。
瞳が金色に輝く。それを目にしたブシドーは、悔しそうに歯噛みした。
「貴方が何を考えているのか、私は察知できるの。本気を出せば、貴方が危惧する結果を、貴方の目の前で招いてあげてもいいのよ?」
ブシドーは黙ったまま、蒼海を睨みつけていた。いつもならすぐに目を伏せるのだが、面白いこともあるものだ。
せっかくなので、少しの間、ブシドーを泳がせてあげよう。自分たちならば、運命を味方につけることなど容易いのだから。
僅かな誤差を修正すれば、自分たちは簡単に勝てる。勝って、この世界のすべてを手にすることができるのだ。
自分たちが作り上げる、自分たちだけのための統一世界。蒼海はそれを思い描きながら、天を仰ぐ。
「さあ、世界を変えに行きましょう」
蒼海と
クーゴ・ハガネ、只今、明日を探して迷走中。
【参考および参照】
『Select Dress Salon BLOSSOM』より、『ピンクメッシュレースの女神ドレス』