大丈夫だ、問題しかないから。 -Toward sky- <2nd Season> 作:白鷺 葵
うだるような日差しが差し込んでくる。どこまでも真っ白な砂浜と、真っ青な海が広がっていた。
「いやあ、良い景色ですねぇ。絶好のバカンス日和ですよ」
『……ああ、そうかい』
感嘆の声を上げたテオドアに返答したのは、虚ろな目でPC画面を見つめていたリボンズであった。
彼に何があったのか、テオドアは知らない。状況報告がてら思念波で連絡を取ったときにはもう、こうなっていた。
「どうしたんですか? FXで有り金全部溶かしたような顔して」
『有り金は何とか無事だよ。相当時間がかかるけど、巻き返しは図れるさ』
「じゃあ、何があったんです?」
『とあるアクセスコードを追っかけてたら、その報復で、一番でっかいダミー企業に大打撃喰らった。他企業も連鎖で虫の息』
リボンズは頭を抱えた。目の下の隈や窶れ具合からして、彼は相当憔悴しているように見える。ヴェーダの異常を発見して以来、アプロディアやフェニックス、アメリアスらとその原因究明のために駆け回っているのだ。当然と言えよう。
『まあでも、情報が掴めなかったわけじゃないよ。あのアクセスコードは複数の場所で使われているみたいで、そのうち1つは
ああ、やっぱり。
「あの人、裏だらけですからねー」
『つくづく思うけど、女って怖いよねー』
リボンズの言葉に、テオドアは何となく納得した。2人は揃ってため息をつく。
出資者が
今、ソレスタルビーイングが欲しているのは情報だ。自身の情報収集およびバックアップを担当するスーパーコンピュータを持たない彼らは、アロウズを動かす存在と接触したいと考えている。……ぶっちゃけ、ヴェーダを有していたとしても、ヴェーダを改竄すると思しき力を持つ連中が相手なのだ。
活動を始めた当時は、ヴェーダがハッキングされているという事実を想定しようとさえしなかった/ヴェーダを熱く信奉していた面々である。
特にティエリアは、自分の親のような存在が、他者によって悪意のために使われているだなんて信じられなかっただろう。4年前の彼なら、卒倒していたに違いない。
『そう考えると、あの子も成長したってことか……』
「親戚の子が成長した様子を喜ぶおじさんみたいですよ」
感慨深そうに目を細めるリボンズの顔が『視えた』ような気がして、テオドアは苦笑した。
年齢差から考えると、テオドアだってもれなくその対象に入っているのだろう。気持ちは分からなくないが。
『リボンズの坊も、感慨深さを感じる年になったのか』
『……ちょっと、意外だったかも』
アプロディアと一緒にヴェーダの異常を解析していたフェニックスとアメリアスが声をかけてきた。
因みに、この2人はリボンズより年上であり、ベルフトゥーロと共にこの地球へ降り立った一団である。世代的に考えれば、フェニックスとアメリアスは第1世代の『ミュウ』だ。第1世代は他にも、エルガンやスオル、クラールやノーヴル等が挙げられる。
また、この地球上に降り立って以後に生まれた『ミュウ』の子どもたち、または地球で暮らしていた人間が『ミュウ』としての目覚めを迎えて引き入れられた者たちが、第2世代以後の『ミュウ』たちである。例としては、イデア、テオドア、クーゴ、リチャード、悠凪、征士郎、ひまり等が挙げられた。
リボンズが2世代目の古参で、テオドアは推定5世代目である。最近『ミュウ』に目覚めたばかりのクーゴや
『そりゃあ、僕だって第2世代の古参なんだ。300年近く生きてるんだよ』
『俺はそろそろ400歳になるぞ』
『……私、フェニックスより20歳年上だよ』
『うん、知ってた』
どこかムッとしたように言い放ったリボンズに対し、フェニックスとアメリアスが名乗りを上げる。
それを聞いたリボンズは、居心地悪そうに目を逸らしていた。年上に反論してもしょうがないと思ったのだろう。
リボンズは取り繕うように咳ばらいした後、至極真剣な眼差しになった。
『今、僕たちが欲しているものは、敵の情報だ。それを手にするためには、アロウズの懐に飛び込まなくてはならない』
「確かに」
『……近々、アロウズの関係者や出資者を中心に集まるパーティがあるっていう話は聞いてるだろう?』
「ああ、
テオドアの確認に、リボンズは頷く。
『そこに潜入するための下準備をしていたんだけど……』
『一番大きなダミー企業が大打撃を喰らって、色々と辛い状況下にあるってやつか』
フェニックスは深々とため息をつき、リボンズも沈痛な表情で頷いた。現在作り上げたダミー企業の中でも一番大きいものは、アロウズに多額の出資をしている。
ダミーとばれないように気を付けるためには、途方もない財力をつぎ込まねばならない。企業の実績なんて、簡単に作り出すことはできないためだ。
多少ならでっちあげられそうだが、アロウズにはヴェーダ以上のスーパーコンピュータがある。それを騙すためには、並大抵および付け焼刃でどうにかなるようなものじゃない。
『どうにかパーティにお声がかかるレベルになったと思ったのに……。今回は、見送るしかなさそうかな。別な手を考えなきゃ』
リボンズは遠い目をした。損失を埋めている間に、件のパーティには間に合わないと踏んだのだろう。「そっちも頑張れ」と言い残し、彼の思念波はぷつりと途切れた。
「……だそうですよ?」
『OK! お金増やすの得意そうな人に声かけてみる!』
『確か、クロスロード夫人は学生時代、株とFXで小遣い荒稼ぎしてたんだったな』
『夫は逆に、FXや株で壊滅被害出したんだったか』
『草薙博士に連絡ついた? あの親子、運試しには強かったよね』
『それを言ったらひまりも相当だったわよ』
『アリスとハルノにも頼んでみよう』
リボンズの思念が完全に途切れたのを確認し、テオドアは別の面々に思念波を送った。
ヒリングが元気に返事を返したのを皮切りに、彼の弟妹たちが行動を開始する。
フェニックスとアメリアスは、微笑ましそうにそれを眺めていた。が、すぐに2人も行動を始める。
リボンズがこれ知ったら頭を抱えそうだ。彼はプライドが高く、何事もそつなくこなすのが当然だと思っている。そのために、彼はいつもひっそりと努力をしていた。
しかも、その努力を他人に知られることを異様に嫌うのだ。「お兄ちゃんは常に頼れる人間でなければいけない」という脅迫概念でもあるのだろうか。
(さて、僕も頑張らなきゃいけませんね)
テオドアはひっそりと頷き、視線を向けた。
美しい海岸から陸地を臨むと、ぱっと見て、人工的な建物は一切ない。切り立った山々と、鬱蒼と生い茂る密林が視界を覆い尽くしている。まともに上陸できそうな浜辺は、テオドアがいる場所ぐらいだ。島の周囲は断崖絶壁で囲まれており、容易に侵入できないようになっていた。
勿論、立地条件その他諸々の要素を加味しても、人の出入りは皆無に等しい。しかし、それを逆手に取ったソレスタルビーイングは、この島の奥地に秘密ラボを造り上げた。
宇宙と地球には、ソレスタルビーイングの秘密ラボが多数存在している。物資補給用の貯蔵庫、日々開発が行われている武器庫、ガンダムに関係するものを隠すための保管庫等、用途は様々だ。
「……しっかし、よりにもよって、どうしてこの無人島だったんでしょうか」
テオドアはげんなりと顔を歪めた。ここは、とあるガンダムが封印されている“いわくつき”の無人島である。木々や蔦が生い茂り、断崖絶壁や高低差の激しい大地という自然の要塞がいく手を阻むのだ。おかげで、上陸後の移動手段は徒歩に限られる。
この島に足を踏み入れたレイヴは徒歩で島を探索するのだ。ガンダムが封印されている格納庫にたどり着くのは、ナビゲートがあっても日にちがかかるだろう。しかも、あの格納庫は何者かの意志によって固く閉ざされている。以前、入り込もうとして迎撃されたことを思い出し、テオドアは深々と息を吐いた。
色々と多忙なリボンズに頼るわけにはいかない。幸い、(精神的な)持久戦はテオドアの得意分野だ。大量に持ち込んだゼリー食料へ手を伸ばし、封を切る。どろりとした液体を喉の奥へと流し込みながら、テオドアは待ち続けた。
(あれ?)
不意に、別の思念/脳量子波が流れ込んできた。確か、彼はヒクサー・フェルミ。フェレシュテに属するガンダムマイスターでイノベイドである。彼は、ヴェーダの指示に従ってここへ足を踏み入れたらしい。
ここには、ヒクサーにとって因縁深いガンダムが眠っている。イノベイドがガンダムマイスターになることを想定した機体――
……なんだろう。どこかで悪意が蠢いているような気がしてならない。テオドアは薄ら寒さを感じつつ、ゼリー食品を煽った。
◆
「リボンズが、寝ているな」
「寝ているな、リボンズが」
ブリングとデヴァインが、部屋の中を偵察しながらそう言った。彼らの言葉通り、リボンズは机の上に突っ伏して眠っている。ここ最近、リボンズはずっと徹夜続きだった。
「アロウズに出資している中堅企業経営者」と振る舞うために必要な隠れ蓑を失いかけているのだ。情報収集――黒幕との接触のために必要な肩書を失うわけにはいかない。
自分たちの長兄は、世界を裏で操ろうとしている存在を追いかけている。ダントツで怪しいのが
おまけに、件の2人が有している力は、自分たちが母と慕うベルフトゥーロにとって因縁深い存在の系譜を受け継いでいる。
リボンズが気合を入れる理由も、自分たち5人――ブリング、デヴァイン、リヴァイヴ、ヒリング、リジェネは重々理解していた。
「それじゃあ、作戦を決行する!」
「手はず通り頼むわよ、アンタたち!」
「了解した!」
「了解した!」
「任せといてよ!」
リヴァイヴとヒリングの音頭に、ブリング、デヴァイン、リジェネが敬礼のポーズを取った。そうして、5人はそれぞれの戦場へと駆け出していく。
一番最初に部屋へ戻ってきたのはリジェネだった。彼の手には、大きなブランケットが握られている。色は、リボンズの髪よりも少し黄色がかったライム色だ。ダイア柄の薄緑がぼんやりと浮かび上がっている。
高品質のラムウール100%の大きなブランケットは、リボンズの肩はおろか、体全体をすっぽり覆うような形となった。ブランケットの感触が心地よいのか、リボンズはもそりと小さく身じろぎし、ブランケットにすり寄るような動作を見せた。
リジェネが部屋から出て暫くした後、ブリングとデヴァインが部屋に足を踏み入れる。ブリングはシンプルなデザインのアロマディフューサーが、デヴァインはアロマオイルの小瓶がセットになった箱を抱えていた。
音を立てないように細心の注意を払いながら、ブリングはアロマディフューサーを使う準備を進めていく。
その隣で、デヴァインはアロマオイルの説明書と睨めっこを続けていた。リボンズを起こさないよう、2人は思念波で会話する。
『ラベンダー2滴、クラリセージ2滴はどうだろうか。甘さもあるが、少々さっぱりめの香りとなっている』
『フランキンセンス2滴、ミルラ2滴、ベンゾイン2滴も良さそうだ。宗教的・スピリチュアルな組み合わせと言われており、嗅いだ者を甘く穏やかな気持ちにさせるという』
『睡眠への効能を追求するとするなら、ラベンダー2滴、サンダルウッド2滴という組み合わせもある。サンダルウッドの効能は、睡眠薬レベルらしいからな』
『しかし、サンダルウッドには催淫効果があると聞いたが』
ブリングとデヴァインが言葉を止めた。ややあって、デヴァインが思念波を紡ぐ。
『そういえば、レティシアが張り切ってたな。『最強の催淫効果を持つ練り香水を作って、クーゴさんと熱く激しい“ピー(年齢指定のため略)”するんです!』って、サンダルウッドやイランイラン、クラリセージ等のオイルを集めていた』
『……………………………………………………そうまでしないと希望が見えないのか』
『……………………………………………………そうまでしても、希望は無さそうな気がする。むしろ、何か地雷を踏みぬきそうだ』
『『姉の使ってた香水と同じ臭いがする』って言われて凹む未来が見えるぞ』
2人は淡々と作業を続ける。程なくして、心地よい香りが部屋いっぱいに漂い始めた。
アロマディーフューサーのタイマーを設定し、灯りを調節する。
作業が終わったタイミングで、リボンズが身じろぎした。眉間のしわが和らぐ。
兄がほんの少しだけ緊張を解いた様子を確認したブリングとデヴァインは顔を見合わせ微笑み合うと、そそくさと部屋から退出した。
それから更に時間が経過した後、次に部屋に入ってきたのはヒリングである。彼女が持っていたお膳には、狐色に焼き上がったクッキーや甘い香りを漂わせるスコーンが乗っていた。前者は蜂蜜レモン、後者はチョコレートを使っている。
疲労回復には甘いものがいいと聞いた。ヒリングは戦闘用イノベイドではあるが、名前の語源――“
(暫く眠っててもらうわけだから、起きた直後に食べれるようなお菓子にしてみたんだけど……)
クッキーとマフィンは、冷めても充分美味しく食べれるように工夫を凝らしてある。勿論、飲み物も完備だ。
新鮮なレモンとフレッシュミントを使ったデトックスウォーターは、疲労回復や体調を整える働きがあるという。
今のリボンズには必要なものだろう。目が覚めたときが楽しみだと思いつつ、抜き足差し足で彼女は部屋を出た。
その直後、同じような調子でリヴァイヴが部屋に足を踏み入れる。彼の手には、CDを再生するプレーヤーが抱えられていた。部屋全体に音楽を流すようなタイプのもので、両手で抱えて持ち運ぶ程度の大きさである。
リボンズの寝ているすぐ横を忍び足で歩きながら、コンセントにプラグを刺す。CDプレーヤーが動いたことを確認し、リヴァイヴは持ってきていたCDをセットした。やや控えめな音量で流れてたのは、ゆったりとしたクラシックであった。
曲調は、どれも静かで穏やかなもので構成されていた。クラシックだったり、オルゴールの曲調だったり、流行歌をクラシックやオルゴール風にアレンジしたものだったり、様々である。
リヴァイヴはそっと、眠っている長兄の顔を覗き込んでみた。眉間の皺は完全に消え去っており、規則正しい寝息がすうすう響いてくる。
『ミッションコンプリート。さあ、次の仕事だ』
『了解!』
リヴァイヴの音頭に従い、各自が動き出す。音頭を出した張本人もまた、音を立てぬよう気を付けながら部屋を出て、次の戦場へ向けて走り出した。
*
温かい。
温度的な問題とは少し違う。いつかどこかで、リボンズはその感情/光に触れたことがあった。
人の心の光。原初の男が体現したものだ。その優しい奇跡を、どこかの『自分』は『知っている』。
「……ん……?」
どこか遠くから、オルゴールの曲が響いてくる。どこかもの悲しい曲調だが、オルゴール音源のため、透き通って綺麗な音色であった。
やや遅れて、どこかから心地よい香りが漂ってきた。まどろみの中に沈んでしまいたいと思えるような気分になり――
「そうだ! 寝てる暇なんてなかったんだ!!」
まどろみと甘えの気持ちを吹き飛ばし、リボンズは慌てて飛び起きた。
途端に、何かが自分の肩からずるりと落ちる。その瞬間、思いのほかひんやりとした空気に身を震わせる羽目になった。
床に落ちたのは大判のブランケットだ。拾い上げてメーカー云々を確認すると、材料にこだわって作られたブランド品であった。
成程。通りで、手触りおよび肌触りがいいし、優れた防寒性および保温性を有している訳だ。くるまって眠っていたいと思ってしまう。
(人をダメにする系のヤツか……)
襲い来る誘惑を振り払い、リボンズはどうにかしてブランケットを畳んだ。端末画面を確認しようとして、ふと、端末のすぐ横に置かれた皿とグラスに目を留める。
美味しそうなクッキーとスコーンが置いてある。グラスは透明な液体で満たされており、リボンのようにスライスされたレモンとミントが飾られていた。涼しそうな見た目だ。
皿の下にはメモが置いてある。『お疲れ様。ゆっくり休んでください。 家族一同』と書かれていた。
どうやらリボンズは、弟や妹たちに沢山心配をかけたらしい。こんな風に気遣われてしまう程、第3者から見た自分は切羽詰っていたのであろう。
思い返すと、最近は午前様と早朝出勤なんて当たり前な強行軍だった。世間一般の言うような“まともな睡眠”を取ったのは、いつだったか。
睡眠どころか、休息時間や睡眠時間すら惜しい日々が続いていた。ダミー会社を回すのと情報収集に時間をつぎ込んで、端末画面を睨む日常。
「……近々、みんなを食事に誘おう」
誰に言うでもなく、リボンズはぽつりと呟いた。
弟や妹たちに気遣われっぱなしでは長男の名が廃る。自分はお兄ちゃんなのだ。彼らの頑張りや好意に応えて何ぼではないか。そのためにも、早くダミー企業を立て直し、アロウズの内情を探らなくては。
チョコレートマフィンを口に運ぶ。疲れた体に、甘い味がじわりと染み込んだ。自分たちの中で一番料理が上手なのはヒリングである。逆に、料理を作ろうとして剣の丘を造り上げたのはリヴァイヴであった。原材料は厨房の包丁とまな板すべてである。
悪夢のような光景を思考の端に追いやりつつ、リボンズはグラスの水を煽った。ほのかにミントとレモンの味がする。確か、ヒリングが「健康にいい。疲労回復の効果もある」と言ってデトックスウォーターを作っていたか。
彼女は主に美肌効果のあるものを中心に飲んでいたように思う。最近は、苺とレモンのデトックスウォーターを大量生産し、自分で消費していた。化粧品や石鹸作りも始めたい、なんて言っていたことを思い出した。
端末画面を立ち上げつつ、リボンズはクッキーを口に運んだ。レモンの酸味と蜂蜜の甘さが絶妙である。家族の応援を貰ったから、リボンズはもう少し頑張れそうだった。早速、ダミー企業関連の動向をチェックし――
「……あれ? 立ち直ってる?」
端末画面に表示される情報を、自分が最後に見た情報と見比べる。大打撃を受けて虫の息だった企業は、いつの間にか打撃を受ける以前の規模に戻っていた。
リボンズが意識を落とした後に、誰かが何かをやったのか。それを確認しようとして――リボンズは、思わず間抜けな声を漏らした。
ヒリング、リヴァイヴ、リジェネ、ブリング、デヴァインらが、大広間で熟睡している光景が『視える』。全員の目元には大きな隈が刻まれていたが、彼らの寝顔は、何かをやり遂げたという充実感に満ち溢れていた。
5人の寝顔を見て、確信する。リボンズが眠っている間に、彼らがダミー企業を回してくれたのだ。
彼らの大奮闘を想像した途端、胸の奥底からじわじわと熱が込み上げてきた。
「なんて尊いんだろう」
人間でよかった。目頭を押さえながら、リボンズは大きく息を吐いた。
この1件がひと段落ついたら、絶対、彼らに何か買ってあげよう。
誰に何を贈るかをシミュレートしながら、リボンズは端末画面を睨みつけた。
◇
遠い昔に喪ってしまった
丁度、今、エルガンの眼前にいる男女――トォニィとベルフトゥーロが羽織っているマントと同じ。
タキオンとツェーレンから手渡されたマントを、ベルフトゥーロは嬉しそうに撫でている。手渡した張本人たちも、そんな彼女の様子に頬を緩めた。
『ミュウ』にとって、
偶然たどり着いた地球に移住し、この星に暮らす人類と共に生きる――。ベルフトゥーロは、その選択をした『ミュウ』たちの
これで、『ミュウ』たちは2つに別れ、それぞれの道を進むことになる。再び相見える可能性は限りなくゼロに等しい。さようならは、もうすぐやって来る。
「お前は、ベルについていくんだろう?」
楽しそうに談笑する
「分かっているなら、敢えて指摘する必要などないだろう」
「ああ、そうだな」
じろりとトォニィを睨めば、彼は夕焼け色の瞳を瞬かせながら苦笑した。
わかっていたよ、と、言いたげな顔をしている。思念波を使わずともすぐに察せた。
「昔から思ってたけど、お前、報われないよな」
トォニィは寂しそうに笑いながら、エルガンから視線を逸らす。トォニィの視線を改めて追いかければ、その先には、シャングリラに招待された少年――イオリアの姿があった。
幼馴染同士の団欒を邪魔しないようにと遠慮していたイオリアだが、結局は、ベルフトゥーロと惚気ている。彼が然るべき年齢になれば、きっと2人は結ばれるのだろう。
それこそ、エルガンやベルフトゥーロの両親やトォニィの両親のように、愛し合い、命を紡いでいくことは明白だ。未来予知などなくても、鮮明に思い描けた。
悲しくは、ない。寂しくも、ない。
ただ静かに、エルガンはベルフトゥーロを見つめていた。利害の範疇を超えて、意味と無意味の間も超えて、そうしたいと願ったことだ。
報われるか否かなんて、さほど問題ではない。そうし続けることができるからこそ、己は己として存在できる。
「この想いの前には、利害という名の物差しなど意味を成さない。損得なんてどうでもいいから、自分がそうしたいだけだ」
「それが愛ってやつか?」
「いいや」
トォニィの問いに、エルガンは首を振った。
「愛と恋の共通点は、利害関係や損得勘定を度外視して行動するという点だろう。但し、愛の場合は『相手のためを思い行動』し、恋の場合は『自分の中だけで完結させる行動』だ」
「お前のそれは愛じゃないのか」
「愛ではない。これは私の中では完結している。見返りも必要ないし、期待もしていないからな」
これのどこが愛なのか、と、エルガンは視線で問いかけた。
トォニィは夕焼け色の瞳を右往左往させた後、苦笑する。
「だとしたら、これ以上ないくらい分かりやすいぞ。大局的な視点で見ないと分かりにくいだけで、その本質は、詰まる所、愛じゃないか」
お前の愛は大きすぎるんだなぁ、なんて、トォニィは笑った。ベルフトゥーロに相手にされなくて落ち込むエルガンを見て、笑っていたときと同じ笑みである。
トォニィは嘗て、体の成長に力を入れすぎたために、アルテラの好意に気づかなかった。“ナスカの子どもたち”の中でも、朴念仁という冠を手にしていた男だ。
彼がアルテラの想いに気づいたときにはもう時すでに遅く、数時間前の戦いで、彼女が命を落とした後だった。トォニィは愛と恋を理解する前に、その相手を失ったのだ。
幼い頃から、アルテラはトォニィに恋していた。体を成長させていく中で、彼女の想いも育っていった。愛だ恋だの情緒は、女性の方が早熟であると聞いたことがある。実際、トォニィはアルテラが亡くなるまで、そんな情緒の意味すら知らなかった。
自分の中で育つ思いに、気づかなかったくせに。
なんだか悔しいので、エルガンは弱点をつくことにした。
「アルテラを泣かせていた朴念仁に言われるとは思わなかった」
「ぐ」
当時のことを思い出したのだろう。トォニィは苦い表情を浮かべた。
「情緒的な面では、お前には勝っていると自負している」
「生まれて数か月から片思いしてるお前が言うと、とんでもなく重いな」
「まあ、それだけだがな」
エルガンの言葉を最後に、沈黙が降りた。
ベルフトゥーロとイオリアが惚気る声が、やけに遠い。
外の景色は夕焼けに染まっていた。感傷的な気分になるのは、大人になった証なのだろうか。
トォニィは遠い眼差しで夕日を眺めていたが、ややあって、くるりと踵を返した。
何が起きたのかと視線を向ければ、彼の手には髪とペンが握られていた。
エルガンの脳裏には、得体の知れぬクリーチャーが描かれた紙が思い浮かんだ。
だから、つい。
エルガンは、トォニィを呼び止める。
「おい、何するんだ」
「アルテラを懐かしむついでに、彼女の絵を描きたくなっただけだよ」
案の定だ。エルガンは真顔になり、だらしなく笑う
「やめておけ。……お前の酷い絵を見たら、アルテラが泣くぞ」
奴の絵心は、3歳児のままで止まっていることを注記しておく。
*
遠い夢を見ていたらしい。エルガンは小さく呻いた後、悟られぬように気を付けながら周囲を見回した。
文字通りの四面楚歌。深層心理検査で疲弊したエルガンでは、ここから逃げることなど不可能だった。
……最も、そんな場所に放り込まれることなど、最初からわかりきっていたことである。むしろ、それを計算に入れた上で、エルガンはここにいるのだ。
連中は、ヴェーダを書き換える力を有している。しかし、彼らの力は、まだヴェーダの中枢に達してはいない。アクセス権限自体には変化はなく、最近作られた改竄探知用のバックアップログにも異変が見当たらないためだ。但し、システムが完成する以前のものは調査中である。
ヴェーダ自身が悪用される可能性は開発当時から予想されてため、重要情報を「ヴェーダに存在しないもの」として処理する機能を兼ね備えていた。アレハンドロのカウンタートラップとして発動したそれは、現在も問題なく運用されている。
故に、
グランドマザーやテラズ・ナンバーの監視を掻い潜ってきた技術は伊達じゃないのだ。西暦3000年相当の技術力の結晶に、敵たちも苦労しているらしい。
(……だが、それでも、奴らは――刃金蒼海は、“知りすぎている”)
まるで、この
完璧とはいかずとも、確実に先手を打っている。……その手はいつも、些細な差異によって突破口を開けられてしまうようだが。
最近では、「ブシドーの威圧に負けた息子たちが何もできずに帰ってきた」「カタロンの残党処理に向かわせたMDが全滅していた」等と憤っていた。
その差異こそが、奴らの野望をくじくために必要な鍵となる。エルガンは直感した。イオリアとベルフトゥーロが夢見た理想――嘗てのジョミーが願い、殉じた思いを形にするためにも、人類の未来のためにも、彼女たちの存在を赦してはいけない。
すべてを管理できるという傲慢は、グランドマザーのプログラム回路と非常によく似ていた。世界の監視者によって造り上げられた箱庭。その犠牲者たちの声を、エルガンは忘れたことなど一度もなかった。
(すべてがお前たちの思い通りになると思ったら、大間違いだ)
エルガンは、口の端をそっと緩める。
(――ニンゲンを、舐めるな)
自分たちが信じた後継者たちが、機械ごときに負けるはずがないのだ。
ニンゲンは、そうやって未来を切り開いてきたのだから。
【参考および参照】
『KLIPPAN(クリッパン)|ずっと使い続けたいモノを集めたセレクトショップ - ZUTTO(ズット)』より、『スロー ステラ ライム』
『アロマ安眠ブレンドの作り方を公開!睡眠障害を解消しスッキリ爽快!』より、『ラベンダー2滴、クラリセージ2滴』、『フランキンセンス2滴、ミルラ2滴、ベンゾイン2滴』、『ラベンダー2滴、サンダルウッド2滴』
『アロマオイルの効能一覧』および『催淫性香水のブレンド|【草食男子も肉食男子もこれでゲット】 ~彼の心をがっちりつかんで離さない、魅惑のアロマ調合術~』より、『サンダルウッド』、『イランイラン』、『クラリセージ』
『COOKPAD』より、『ミントとレモンのデトックスウォーター(Teriちゃんさま)』、『おしゃれなスライスレモンの飾り切り(MIU〜みぅ〜さま)』、『いちごとレモンのデトックスウォーター(Alilineさま)』