大丈夫だ、問題しかないから。 -Toward sky- <2nd Season> 作:白鷺 葵
アレルヤは覚悟した。あの恐ろしい悪魔から、自分は決して逃れることはできないのだと、骨の髄まで思い知った。
目の前では、満面の笑みを浮かべたイデアがいる。ソレスタルビーイングの中で、「恋愛ごとを見ると介入せずにはいられない」と豪語する危険人物だ。
彼女と似たようなタイプの人間として、最近ソレスタルビーイングに合流したミレイナが挙げられる。案の定、2人は最強のタッグを組んで、恋愛ごとを根掘り葉掘りしていた。
以前、アレルヤは、イデアに根掘り葉掘りされたことが原因で失言をしてしまったことがある。
自分が幼馴染のマリー・パーファシーに想いを寄せているということを、イデアの気迫に押されてうっかり話してしまったのだ。
しっかり言葉にしたわけではなかったが、「マリーは優しい子」というコメントだけで、イデアがすべてを察するのはおかしくなかった。
「その子が、噂の『
肉食獣が笑っている。さしずめ、アレルヤは獲物だろう。
イデアの隣には、出がらし状態の刹那が天を仰いでいた。
つい数分前まで、刹那はイデアから「恋人と一線を越えた」件について根掘り葉掘りされていたのである。あの様子だと、こってり絞られてしまったらしい。
あれは、数秒後の自分が数十分後に辿る末路だ。アレルヤは直感する。ハレルヤがいたら、イデアと顔を合わせた瞬間に逃走していたであろう。
ハレルヤは以前、「第3者視点からの話を聞かせてほしい」ということで、イデアに根掘り葉掘りされたことがあった。とんだとばっちりである。
以来、そういう話になると、さっさと眠りにつくようになった。アレルヤの救援コールに対し、完全無視を決め込まれたことは1度や2度ではない。
むしろ、その場に居合わせた他者を巻き込むような行動をとるようになった。主な例としては、先代ロックオンとティエリアである。
たまにイアンや刹那、リヒテンダールやスメラギも道連れにしていた。後者を巻き添えにした後が一番恐ろしいことになったが、割愛する。
『……俺は退散するぜ。じゃあな!』
(ちょ、ハレルヤ!? いたの!? ってか、待って! 僕1人を、ラスボスの真ん前に置いていかないで!!)
不意に、頭の中に響いたのは、もう会えないと思っていた片割れ――アレルヤのものだった。だが、彼の気配は一瞬で拡散し、掴めなくなる。幻聴の彼にさえも見捨てられたため、アレルヤは正直泣き出してしまいたかった。
周囲の人間たちは「ご愁傷様」と言いたげな眼差しを向けてきた。この場には、アレルヤの味方など存在していないようだ。
ちらりと視線を向ければ、マリーはミレイナたちと楽しそうに話し込んでいる。ガールズトークができるという環境が嬉しいらしい。
イデアはアレルヤへの尋問を止めて、ガールズトークの輪に入ることにしたようだ。ニコニコ笑いながら雑談に加わる。
「練り香水っていい匂いね」
「種類も豊富だし、外見もかわいいですしね」
「ねー」
「ねー」
「ねー」
ガールズトークを行う面々の周囲に、お花が沢山飛んでいる。
見ているだけで、この後に待ち受ける運命なんて忘れてしまえた。
アレルヤはデレデレした笑みを浮かべ、噛みしめるように呟く。
「そんなマリーがかわいい」
「そんなアニューがかわいい」
声が被った。振り返れば、デレデレと笑う2代目ロックオンがアニューを見つめている。
2人は無言のまま顔を見合わせた後、拳を撃ち合わせハイタッチしたのちに親指を立てた。同士がいるって素晴らしい。
「……お前ら」
ラッセがげんなりとした口調で何かを言っていたような気がするが、今の/イデアに尋問された直後のアレルヤには、関係のないことであった。
◆
宴会が始まったときから、アレルヤは精根尽き果てたようにぐったりとしていた。ついでに、刹那も心なしか疲れ切っているように思う。そんな2人に対し、ティエリアとリヒテンダールが「ご愁傷様」と言いたげな眼差しを向けていた。
ラッセ、イアン、スメラギはどこか遠い目をしていたし、
「アレルヤ、大丈夫か?」
「……うん。マリーが楽しそうなら、僕は、もうそれでいいよ……」
ティエリアの問いかけに、アレルヤは煤けた笑みを浮かべて頷いた。彼は、クーゴが作ったローストチキンをぽそぽそと食べ進めている。食べるペースがいつもより遅い。
味が合わなかったのだろうか? クーゴがそれを問いかける前に、アレルヤは力なく微笑んで「美味しいよ」と言った。囁くような声色は、疲労を色濃くにじませている。
どうやら、宴会が始まる前に何かあったらしい。そのせいで、アレルヤは疲れ切ってしまったようだ。彼の視線の先には、眩しい笑顔を浮かべるマリーの姿があった。
ガールズトークに興じながらも、イデアは食事の手を緩めなかった。ティエリアも、アレルヤのことを心配しながらも食事の手を緩めない。
イデアのフォークがローストチキンに伸びた。ほぼ同じタイミングで、ティエリアのフォークもローストチキンに伸びる。2人とも別方向を向きながらフォークを伸ばしたため、気づいていない。
次の瞬間、鈍い音が響いた。ガッ、という音と共に、皿の上に残されたチキン――しかも、最後の1切れだ――に2つのフォークが突き刺さる。双方から引っ張られたチキンは微動だにしなかった。
「…………」
「…………」
イデアとティエリアが、静かに火花を散らしている。無言のまま、2人は互いの出方を待っている様子だった。睨み合いが続く。
「また始まった……」
「4年前は、ああいうことなんてなかったのにね」
2人の戦いを観戦しているリヒテンダールとクリスティナが苦笑した。気になって、クーゴは思わず問いかける。
「じゃあ訊くが、4年前の食卓事情はどうだったんだ?」
「クルーの中でも、イデアが一番こだわりが強くて食い意地張ってたッス。逆に、ティエリアは今みたいに食い意地張ってなかったかも」
「リヒティ、行儀悪い」
金目鯛の煮物に舌鼓を打ちながら、リヒテンダールがフォークでイデアたちを指示した。間髪入れず、キヌアや野菜を使ったキッシュを食べていたクリスティナに頭をはたかれる。リヒテンダールは苦笑しながら、クリスティナに頭を下げた。夫婦漫才である。
イデアは以前から、食べることが大好きだったようだ。以前からいい食べっぷりを見せてくれると思っていたが、成程納得である。不意に、「いっぱい食べるキミが好き」というフレーズが頭をよぎったのは何故だろう。クーゴにはよくわからなかった。
次の瞬間、イデアとティエリアの短い声が重なって響いた。見れば、最後の1切れだったチキンが真っ二つになっている。視線を上げれば、ナイフを片手に持った刹那がいた。唖然とするイデアとティエリアを一見した刹那は、厳かに言い放つ。
「戦争の火種となるものを絶つ……それが、ソレスタルビーイングだ」
刹那はどこまでも大真面目だった。ポカンと自分を見つめるイデアとティエリアを真っ直ぐ見返しながら、自身もカプレーゼを食べ進める。
イデアとティエリアは顔を見合わせる。幾何の沈黙の後、イデアが思いっきり噴き出した。一歩遅れて、ティエリアも小さく噴き出し口元を緩める。
「半分こね」「ああ、だな」なんて会話をしながら、2人はチキンを皿に取った。丸く収まったようで何よりである。クーゴはふっと息を吐いた。
「早いな。もう、メインディッシュがなくなっちまった」
あーあ、と言いながら、ラッセがローストチキンが乗っていた皿を名残惜しそうに見つめた。どうやら、彼もチキンを狙っていたらしい。
同じように、ローストチキンが乗っていた皿を見つめていたのは他にもいる。マリーやアニューも、もう少し食べたかったと目で訴えていた。
半分こまでして丸く収まったはずのイデアとティエリアも、内心はもっと食べたかったのだろう。寂しそうに視線を逸らした。
クーゴはふっと笑みを浮かべ、立ち上がった。
「いやはや、こんなこともあろうかと」
そう言って、厨房から大皿を運び込む。皿の上に盛り付けられていたのは、先程姿を消したばかりのローストチキンであった。
「2羽目」とクーゴが言えば、物足りなさそうにしていた面々が表情を輝かせる。他にもおかわりはまだあると言えば、この場が喝采に包まれた。
「じゃあ、いっぱい食べても大丈夫ね! 沙慈、あーん!」
「あーん……うん、おいしい! じゃあルイスも、あーん!」
クロスロード夫妻が、いい笑顔でキッシュの食べさせ合いっこをしている。こっちもこっちでバカップルであった。ハートが目に眩しい。
視界の端で、スメラギが水を一気飲みしていた。彼女はお冷の消費量が一際激しい。気のせいでなければ、「リア充め!」という叫びが聞こえた気がする。
仲睦まじい夫婦の様子に触発されたのか、マリーがカプレーゼを大量に皿に取り始めた。躊躇うようにそわそわした後、アレルヤの元へ近づく。
「どうしたの、マリー?」
「……アレルヤ、あーん」
マリーの「あーん」は、ルイスや沙慈よりも棒読みであった。おそらく、彼女はそういったことをやり慣れていないのだろう。元は超兵として実験や戦闘に勤しんでいたため、平穏とは程遠い場所にいたと聞く。
いきなりの展開に、アレルヤは真顔で噴出した。そのまま、彼は顔を真っ赤にして狼狽える。アレルヤの様子を見たイデアとミレイナがニヨニヨと笑い、彼の様子を見守っていた。狼狽するアレルヤの様子に、マリーは悲しそうに目を伏せる。
「やっぱり、嫌だった?」
「そんなことない! 嬉しいよ!!」
泣き出してしまいそうなマリーを引き留め、アレルヤは勢いよく頷いた。彼の様子に、マリーは安堵したように頬を緩ませる。
2人はぎこちなく――けれど、とても嬉しそうに、食べさせ合いっこを始める。次の瞬間、ラッセとスメラギがテーブルの上に突っ伏した。
ミレイナとイデアが嬉々迫る悲鳴を上げ、刹那やティエリア、クリスティナとリヒテンダールが生暖かくアレルヤたちを見守った。
何を思ったのか、イアンが端末を片手に席を外す。彼の頭の中に浮かんだのは、麗しい貴婦人であった。どうやらこの人物がイアンの妻らしい。外見がかなり若いが、『ミュウ』の若作り云々を知っている身からしては油断できない。
世の中には、外見年齢20代/実年齢200歳のお姉さまが、14にも満たない少年に対して「私にキミの子どもを孕ませてくれ」なんてプロポーズをかます展開があるのだ。年齢指定モノのゲームでもびっくりである。事実は小説より奇なり。
不意に、頭の中に
『大丈夫よ、問題ないわ。世の中には“外見年齢20代/実年齢200歳のお姉さまが、14にも満たない少年に対して「私にキミの子どもを孕ませてくれ」なんてプロポーズする展開がある”んだから』
『諸君、それは私だ』
非難轟々の面々に対し、女性はいい笑顔で弁明した。その言葉を肯定するかのように、ベルフトゥーロが踏ん反り返る。
この場一帯が凍り付く中、『ミュウ』の面々は天を仰いだ。かなり初めの頃から、その話は聞かされていたためである。
(……うん、これはひどいなあ)
クーゴは乾いた笑みを浮かべながら、ローストチキンを食べ進めた。
*
宴は滞りなく進み、デザートのフラワーハーブゼリーがお目見えした。様々なハーブや色とりどりのエディブルフラワーをふんだんに使った、目に栄えるデザートである。
花を使ったデザートを初めて見たのか、女性陣が目をキラキラ輝かせた。煌びやかなものに疎そうな男性陣も、その美しさには惹かれるものがあったらしい。感嘆の息を吐いた。
ちなみにこのゼリー、2層のケーキとなっている。上部――花が彩りよく詰め込まれた方――が白ワインとキルシュを使ったゼリーで、下部がレアチーズケーキだ。
未成年であるミレイナに配慮し、上部のゼリーを作る際に使った白ワインは、水と一緒に煮込んでアルコールを飛ばしてある。
「ここ、凄いですよね。特に酒類の品揃えが豊富で。白ワインはお酒専用の冷蔵庫から拝借しました」
ゼリーを切り分け配膳しながら、クーゴは自ら話題を振ってみた。
白ワインを取り出した冷蔵庫には、ありとあらゆる種類の酒が入っている。
終いには、日本酒の大吟醸――時価1万数千円程のものだ――まで入っていた。
「もしかして、キッチンドランカーの方がいらっしゃったり?」
途端に、スメラギがびくりと肩をすくませて視線を逸らす。それを見たイアンが、そういえばと手を叩いた。
「スメラギさん、アルコール飲むのやめたのか? 冷蔵庫の酒類、全然減っていなかったし……」
「あー。確かに、おやっさんの言う通りだな。飲まないのか?」
イアンの問いかけに、ラッセが補足を入れた。成程、あの冷蔵庫はスメラギ用のものだったらしい。
彼女は居心地悪そうに視線を彷徨わせた後、深々と息を吐いた。その横顔には陰りが見える。
スメラギは何かを思い返すように瞳を閉じた。そうして、静かに目を開ける。――陰りは、無くなっていた。
「もう、やめたの」
スメラギは、満面の笑みを浮かべて頷いた。何かを振り切ったような、晴れやかな表情である。ラッセとイアンは驚いたように目を瞬かせたが、納得いったように微笑んだ。
他の面々も何か思うところがあるようで、この場に沈黙が落ちる。この質問は、何かまずかっただろうか。クーゴが居心地悪そうにしたことを察したのか、スメラギが笑った。
「私はもう飲まないから、他のみんなで消費して頂戴。勿論、料理に使ってくれても構わないわ」
そう言って、スメラギは部屋を出て戻ってきた。彼女の両手には、大吟醸の一升瓶やワインの瓶が握られている。
スメラギはその中から赤ワインを引っ張り出すと、それをワイングラスに注いでアレルヤとマリーに手渡した。
本日の主役、と、彼女は楽しそうに笑う。素面にしては、どこかほろ酔い気分の人間に見えるのは気のせいだろうか。
…………いや、違う。あれは、酔っているのではない。半ばヤケになっているのだ。
スメラギは鼻歌混じりにアルコールをグラスへ注ぎ、クルーの面々へ配って回る。クーゴには、日本酒の大吟醸が入ったグラスが手渡された。
「この大吟醸はロックで飲むと美味しい」という話を、親戚から聞いたことがある。スメラギはそのことを知っていたようで、手渡されたグラスはロックであった。
『いいかいクーゴ。間違っても、キミはアルコールを飲んじゃいけないよ』
いつかの記憶がフラッシュバックする。こめかみに青筋を立てたビリーが、必死な顔で訴えていた。彼の隣にいたグラハムも、沈痛な面持ちで頷いている。
どうして2人がそんな顔をしているのだろう。どちらかというと、圧倒的な意味で被害者になっているのはクーゴの方である。特にグラハムには、何度も振り回された。
自分があの2人を振り回した経験は少ないとクーゴは思っている。最も、そんなことを言ったら、グラハムとビリーも「振り回したつもりはない」と豪語するだろうが。
クーゴはしばしグラスを見つめた。氷とグラスがぶつかり合い、軽やかな音を響かせる。
少しくらいなら、飲んだって大丈夫だろう。
記憶の中の親友たちが顔面蒼白になった姿を思考の外へ追いやり、クーゴはグラスを煽った。
◇
何が起きた。誰もが同じことを考える。
何が起きた。誰もが同じ表情を浮かべて、互いの顔を見合わせる。
何が起きた。誰もが騒然としながら、男を見上げていた。
宴が終わった後の食堂は、始まる前と同じようにピカピカだった。後は、それぞれの自由時間を過ごすだけだった。なのに、どうしてこうなったのだろう。
鈍器と同じレベルの分厚さの本を片手に、クーゴ・ハガネは仁王立ちしていた。本にはおどろおどろしい文字で『CALL Of CTHULHU』と書かれている。小脇には『CTHLUHU2010』と書かれた別の本を抱えていた。そんなものどこから出したのか。
この場にいる面々を見つめるクーゴの瞳は、日本刀を思わせるような鋭さを宿している。容赦なく垂れ流しになる殺気によって、誰1人ともこの場から逃げ出すことができないでいた。足は縫い付けられたように動かない。
どかん、と、派手な音が響いた。
クーゴが、鈍器のような分厚さの本を、食堂の机に置いたからだ。
置いたというよりは、叩きつけたといっても過言ではない。
厳かな空気を漂わせ、クーゴは静かに告げる。
「――クトゥルフやるぞ。刹那・F・セイエイ、イデア・クピディターズ、ロックオン・ストラトス、ティエリア・アーデ、アレルヤ・ハプティズム。お前ら全員、日本の学生な」
*
「『はは、はははは。はははははははは!』」
日本刀の刃を思わせるような眼差しはそのままに、クーゴは高らかに笑った。圧巻且つ、迫真の演技である。
怖い。怖すぎる。クーゴの気迫に流されるまま、テーブルトークアールピージー(通称TRPG)をする羽目になった面々全員の見解だった。
現在、彼が演じているのは、今回のシナリオにおけるラスボス――オカルト研究部の部長、ナオミ・カシマである。その高笑いは、自分たちの眼前に邪心が降臨したかのようだ。
今回のプレイヤーであるガンダムマイスター一同も、恐怖を煽るようなクーゴの様子に戦慄していた。例外はイデアで、彼女は熱っぽい眼差しでクーゴの演技を見つめている。
恋する乙女とは、中々に便利な存在らしい。羨望を覚えないわけではないが、それとこれとは何か違う気がした。そもそも、イデアの方向性は大丈夫だろうか。
「『今回は失敗してしまったし、これくらいでいいだろう。もう、ここには何の用もない。私は失礼させてもらうよ』――ナオミ・カシマは高笑いし、屋上の手すりへ向かって走り出し始めた。このまま放置すると、彼女は屋上から飛び降りるだろう」
「……屋上の高さは?」
「落ちたら確実にタダじゃすまないな。打ち所が悪ければ即死もあり得る」
クーゴの演技に飲まれていた刹那が、絞り出すようにクーゴへ問うた。クーゴは悪い笑みを浮かべながら、彼女の問いに答える。
キーパーの答えを聞いた面々は思案した後、各々答えを出した。
「なら、駆け寄って引き留める」
「僕も刹那と同意見だ」
「俺もだ」
「僕は気絶してるから無理だろうね」
「私はハレヤ・アレイに応急手当使うためにその場を離れるわ」
イデアだけ、他の4人と毛色が違う行動を取った。
因みに、ハレヤ・アレイはアレルヤのプレイヤーキャラクターである。
先程の戦闘で、彼はショックロールに失敗して気絶していた。
ハレヤの耐久は1。賽子の女神によって、辛うじて生かされている状態であった。
「本音は?」
クーゴは悪い笑みを浮かべたまま、イデアに問うた。
イデアは悪戯っぽく笑う。
「『嫌な予感がするから、ナオミ・カシマから視線を逸らしたい』ですね」
「あっ! だったら俺も……」
「遅いぞ、タイムアップだ。このままイソラ・イラベ、ミライ・アサデ、ロクオ・スドウの3名は、ナオミ・カシマとのDEX対抗ロールに入る。レイカ・リンドウは応急処置の技能ロールだ」
イソラ・イラベが刹那、ミライ・アサデがティエリア、ロクオ・スドウが
DEX対抗ロールの成功率は、全員20~30程度だ。その数字を見た
因みに、レイカの応急処置は65だ。この数値より低い値を出せば成功となる。クーゴは悪い笑みを浮かべつつ、ダイスロールを行った。賽の目が数字をはじき出す。
イソラ・イラベが97、ミライ・アサデが09、ロクオ・スドウが69、レイカ・リンドウが52。結果は、刹那が
「またか……!!」
「ご愁傷さま、刹那」
頭を抱えた刹那の肩を、アレルヤが優しく叩いた。彼女のキャラクターは、先程からずっと出目が悪かった。
アレルヤのキャラクターであるハレヤも、幸か不幸か、賽の目の気まぐれによって気絶状態にある。
クーゴが応急処置の回復値を決めるために賽子を振った。1D3の結果は1。ハレヤの耐久は2になった。
「賽の目の悪意が見えるようだよ」
「まあまあ、皮一枚つながったってことで」
アレルヤは天を仰いだ。イデアがのほほんと付け加える。
「嘘だろ!? 俺がこの3人の中で一番成功率高かったのに!」
「こんなこともあるのか……」
ロックオンが悔しそうに声を上げ、3人の中で一番成功率が低かったティエリアが驚きの声を上げた。
その結果を聞いたクーゴは、楽しそうに口元を緩ませた。……悪人面は相変わらずであったが。
「じゃあ、次はナオミ・カシマとミライ・アサデのSTR対抗ロール……と行きたいが、2人の数値だと自動失敗だな」
「ミライ・アサデはもやしだもんなぁ。STR最低値だっけ」
「茶化すな」
苦笑した
すべてのダイスロールが終了したのを確認し、クーゴは適宜処理を行った。
「では、結果を。まずは刹那からだ。ナオミ・カシマを捕まえようとしたイソラ・イラベは足がもつれて転倒してしまう。刹那は耐久値から-1だ」
「了解した」
「次はロックオン。ロクオ・スドウは、ナオミ・カシマの俊足に追いつけなかった」
「あー……」
「最後にティエリアだ。ミライ・アサデは、爆発的かつ驚異的な俊足により、ナオミ・カシマの腕を掴むのに成功する。しかし、力のなさが災いし、ナオミに弾き飛ばされてしまった。その際の衝撃で、彼女が小脇に抱えていた黒い表紙の本を偶然手にしてしまう」
「その本、明らかに魔道書じゃないか!」
それぞれの悲喜交々が終わり、クーゴの語りが始まった。
「だが、ミライ・アサデがナオミ・カシマの腕をつかんだコンマ数秒が功を奏したのか、ナオミ・カシマは地面に叩き付けられることはなかった。その直前で、巨大な鳥の背中に着地したためだ。門の入り口をふさいでいた不気味な鳥である」
「シャンタク鳥ですね」
「そうだな」
イデアの問いに、クーゴは頷いた。そうして話を続ける。
「ナオミ・カシマを乗せた鳥は、そのまま夜空の向こうへと飛んでいく。彼女と鳥の姿はあっという間に見えなくなった。……暫くして、校門にパトカーがやって来る。悪夢のような夜は終わったのだ。――おめでとう。キミたちは、化け物たちが徘徊する学校から脱出し、誰1人欠けることなく生き残った。シナリオクリアだ」
ぴりぴりとした空気が拡散する。クーゴは先程までのような悪人面ではなく、素面のときによく見せる爽やかな笑みを浮かべていた。殺気から解放された面々は、椅子に座ったまま崩れ落ちる。特に、イデアを除いたガンダムマイスターたちの疲労が人一倍大きい。
当然だ。この酔っ払いキーパー、何よりもまずロールプレイ――特に、台詞を言ったときの様子や口調、および態度――を重視する。ロールプレイのやり方によっては、ボーナスに+30~-30の変動が起きるのだ。しかも、物語の山場になるとボーナスが連続且つ頻繁に発生するのである。
故に、プレイヤーは必然的に、キャラクターになりきることを要求される。それも、演技的な意味でだ。おまけにこのキーパー、本職とタメ張れるレベルの演技力を持っていた。しかも、どんな状況でも即時、即席対応する。難攻不落且つ隙のない演技に、飲み込まれてしまうことも多々あった。
そんな極限状態で、5人の分身たちはどうにか生き残ったのである。賽の目の大暴走やキーパーのロールプレイ要求にも負けずにだ。
彼らの健闘を讃えるクーゴからは、先程のような鋭い殺気を感じない。文字通りのチャンスだ。
プレイヤーとしてゲームに参加していなかった面々が立ち上がり、そそくさと食堂から逃げ出そうとする。――しかし、彼らは扉まであと一息というところで足を止めた。否、止めざるを得なかったのだ。
先程と同じ、鋭い殺気によって、体ごとこの場に縫い付けられる。辛うじて呼吸することは赦されているようだが、それ以外の行動は取れなかった。
「どこへ行くんだ」――絶対零度の声がした。背中に寒気が走ったのは、きっと気のせいではない。低い声が、厳かに言葉を告げる。
「次。イアン・ヴァスティ、ラッセ・アイオン、スメラギ・李・ノリエガ、アニュー・リターナー、マリー・パーファシー」
それは、次なる生贄の名前。
第2ラウンドで舞台に引きずり出される面々の、死亡宣告だった。
「――お前ら全員、日本の小学生、女子児童な」
◆
ソーマ・ピーリス中尉が名誉の戦死を遂げた――その情報は、アンドレイ・スミルノフの耳にも入っていた。
彼女の遺品整理を申し出たアンドレイは、殺風景な部屋に足を踏み入れる。必要最低限のもの以外、この部屋には何もない。
これなら、遺品整理もすぐ終わるだろう。アンドレイがそう思ったときだった。机の上に、可愛く包装された袋が2つ置いてある。
メッセージカードの宛名には、父・セルゲイと、アンドレイの名前があった。自分の名前が書いてある袋を手に取り、開く。
中身は、ロシアの伝統菓子であるアレーシュキであった。もう既に冷めてしまっているが、とてもおいしそうな香りを漂わせている。
アンドレイは、何かに引き寄せられるようにしてアレーシュキを手に取った。そのまま菓子にかぶりつく。
「……美味しい」
しかも、なんだかとても懐かしい。
アンドレイがそう思ったとき、過去の記憶がフラッシュバックする。
『アンドレイ』
『この焼き菓子はね、お父さんが作ってくれたの』
『私とお父さんが恋人同士になったきっかけは、このアレーシュキなのよ』
幸せそうに笑った母が、アレーシュキを片手にしてくれた話を思い出す。父と母の馴れ初めだ。
幼い頃はいつもその話を聞きたがっては、父を赤面させていたか。照れる両親を見るのは、とても珍しい光景だった。
しかし、どうして、ピーリスはこの味を知っているのだ。この味を再現できたのか。
アンドレイが疑問に思ったとき、メッセージカードが目についた。そこには、「大佐から作り方を教わった(要約)」と書いてある。ああ、だから味を再現できたのか。
いつぞや、迷うことなくゴミ箱にぶちこんだアレーシュキの袋が脳裏をよぎる。しかし、アンドレイはそれを振り払うようにして首を振った。
(これは、ピーリス中尉が作ったものだ。スミルノフ大佐が作ったものじゃない)
そう言い聞かせながら、アンドレイはアレーシュキを食べ進める。
しかしながらその味は、遠い日に父が作ってくれたアレーシュキそのものだった。
◇
(昨日の夜の記憶が思い出せない)
クーゴはしきりに首をひねったが、本当に何も出てこない。他の面々に話を聞いてみると、「クトゥルフ」だの「セッション」だのと呟き、そっと視線を逸らされてしまう。
そういえば、クーゴが使わせてもらっている部屋に、いつの間にかクトゥルフ神話TRPGに使うルールブックとサプリメントが置かれていた。私物として持ってきた覚えがないのに、だ。
ユニオン時代から、何度かセッションはしたことがある。大抵、主にグラハムの暴挙によって収拾のつかないことに陥りがちであった。次鋒でビリー。彼らはいつも、キーパーのSAN値を削りにかかってくる。
しかし、その話をすると親友たちは不満そうに言うのだ。「キミだって、我々のSAN値を削りにかかってるではないか」と。そんなセッションをした記憶は一切ないのに。閑話休題。
「むー……」
談話室の片隅で、ルイスはPCと睨めっこを続けていた。パタパタとキーボードを叩く音がひっきりなしに響いてくる。
そんな妻の様子を、夫の沙慈は静かに見守っていた。当然、2人の様子に疑問を抱く人間だっている。
クーゴもその1人であるが、自分よりも速く動いた人物がいた。
「お前たち、何をしているんだ?」
「あ、刹那」
話しかけてきた刹那に、ルイスは笑顔で応えた。そのまま、PC画面を指示す。
PCを覗き込んだ刹那の表情が凍り付いた。何度も瞬きを繰り返し、PC画面と睨めっこを繰り返した。
そんな刹那を脇目に、ルイスは再びPCのキーボードを叩いた。刹那の目が更に見開かれる。口元が戦慄いた。
彼女はピクリとも動かない。次に声をかけてきたのは、やっと正気に戻ったスメラギだった。
スメラギもまた、PC画面を見て凍り付く。
眉間に皺が寄った。ぜろがこんなに、と、彼女の口元が動く。
「……投資した額は?」
「これの2000分の1ですけど」
「この調子で、目指せ! 投資額から8桁増の利益!」なんて、ルイスが笑いながらキーボードを叩いた。スメラギが「嘘でしょう!? こうしている間にもまた桁が増えた!」と言ったあたり、ルイスの資産は鰻登り状態であるらしい。
元々彼女は大きな財閥の跡取り娘だったと聞く。財閥の長だった父親の才能――特に、金を増やす才能――を、ルイスは色濃く受け継いでいたらしい。パタパタとキーボードを叩く音がひっきりなしに響き渡る。
というか、どうして今、自分の資産をそんなに増やさねばならぬのか。クーゴが疑問に思ったとき、クーゴの端末が高らかに鳴り響いた。誰からの連絡だろう。それを確認する。差出人は、ベルフトゥーロだ。
文面はない。ただ、画像データが1つ。
クーゴがそれを開いたとき、そこには黒いダイヤという異名を持った魚――クロマグロが映し出されていた。丸々肥えた様子と大きさからして、100Kgは優に超えているだろう。人間と比べると、大人2人が肩車する程度か。
しかも、このクロマグロには真空処理が施され、冷蔵されている。鮮度は抜群だ。だが、この写真が何を意味しているのか、クーゴにはよく分からない。どうして今、こんなものが出てきたのか。
『よう、若造。元気かい?』
『……ぼちぼちです』
ベルフトゥーロからの思念波だ。クーゴは苦笑しながら、曖昧に返事を濁した。
『で、このクロマグロが何か?』
クロマグロの写真だけを送られても、クーゴには何をどうすればいいかなんて分かるはずがなかった。……まあ、マグロ解体士の資格は持っているが。
今からベルフトゥーロの元へ来いというのだろうか。クーゴが眉間に皺を寄せると、ベルフトゥーロは微笑んだ。
『近々使うからさ。そのときに、こいつを解体してほしいと思って』
この依頼の真意が、ルイスが投資額を増やそうとした理由と同じであることをクーゴたち知るのは、しばらく後のことだった。
クーゴ・ハガネ、只今、明日を探して迷走中。
【参考および参照】
『COOKPAD』より、『簡単 生地なし!キヌアキッシュ(いのひろキッチンさま)』
『Pixiv』より、『学校の怪談inクトゥルフ 【クトゥルフ神話TRPGシナリオ】(やまひつじさま)』
『ダイスロール|クトゥルフWebダイス』より、『1D100(ダイスツールで実際に振ってみた)』、『1D3(ダイスツールで実際に振ってみた)』