大丈夫だ、問題しかないから。 -Toward sky- <2nd Season>   作:白鷺 葵

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大丈夫だ、みんな元気だから。
幕間.関係者曰く、とってもデンジャラス


 

 

 

「っはー、長かったー」

 

 

 ボロボロの青年は、どっかりとベンチに体を沈めた。束ねられたプラチナブロンドが揺れる。半分ほど壊れた仮面から覗いたのは、琥珀色のアーモンドアイだ。

 

 

「最後の最後に『奇襲を受けた』のを見たときは肝が冷えたよ。……お疲れ様」

 

「いえいえ、こちらこそ。世話になりました、リボンズ」

 

 

 青年を労いの言葉をかけたのは、薄緑色の髪に紫苑の瞳の青年――リボンズ・アルマークである。彼は静かに微笑みながら、スポーツドリンクを手渡してきた。

 それを受け取り、煽るようにして一気に飲み干す。相変わらず味はしない。けれど、からからに乾いた喉と心を潤すには丁度いい。沁みていく。

 安堵の息を吐いて、格納庫に視線を向けた。突貫工事で新調したばかりの機体だというのに、廃棄処分(スクラップ)一歩手前とは無情なものである。

 

 後できちんと部品の交換と新調をして、改修しておかなくてはならない。整備もしなくては。

 

 

「これで、キミの戦いも終わったんだね」

 

 

 青年の思考回路を引き留めるように、リボンズは声をかけてきた。青年も頷く。

 

 

「ええ。……いざ終わってみると、なんだか心に穴が開いたような気分になります」

 

「ひと段落したってことだもんね。僕も、似たような状態かな」

 

 

 青年とリボンズは顔を見合わせて微笑む。終わった、という事実だけが、2人の心に満ちていた。

 失ったものの数は多く、だからといって、この手の中に何も残っていないという訳ではない。

 

 その事実を噛みしめていたとき、リボンズが青年の隣に腰かけた。彼の眼差しはどこか遠くを見つめている。もう戻ることのできない、遠い日々を想っているのだろう。

 

 彼の口が動く。声にはならなかったけれど、確かに、その口の動きは4文字の言葉を意味している。見間違えでなければ、「おとうさん」という単語だった。

 リボンズの言葉に、青年は俯く。後悔を抱える者同士、同じ『痛み』であるということは容易に察せた。もう戻らぬ過去に思いを馳せようとし、青年は首を振った。

 

 

(大丈夫。もう歩いていけるから、安心していいですよ)

 

 

 記憶の中で心配そうにこちらを見つめる家族たちに、青年は笑い返した。それを見た家族たちも、安心したように笑ってくれたような気がする。

 彼らは踵を返し、どこかへ歩いていく。昔の自分だったら引き留めたのだろうが、いつまでも家族たちに迷惑をかけ散られないのだ。

 寂しくないと言ったらウソになる。それでも、遅すぎた巣立ちだと言えよう。青年は彼らの背中を見送ったのち、静かに顔を上げた。

 

 ヘルメットタイプの仮面に手をかけ、外す。仮面の下にあった素顔と、ヘルメットの中に押し込まれていたプラチナブロンドの髪が外気にさらされた。

 

 

「仮面、外すのかい?」

 

「はい。もう、必要ありませんから」

 

 

 リボンズが神妙な顔で問いかけてきた。青年は晴れ晴れとした笑みでそれに答える。それを見たリボンズは、ふっと表情を緩めた。

 ……気のせいか、口元の端が悪意に満ちているような気配がした。背中を撫でるような寒気。ああ、彼は今、悪いことを考えている。

 

 青年の予感が確信に変わった刹那、

 

 

「教官! 大丈夫ですか!?」

 

「機体大破して重傷だって聞いたけど、大丈夫か!?」

 

「教官!!」

 

 

 この場にどやどやと、聞き覚え/見覚えのある面々が、文字通りなだれ込んできた。茶髪で浅黒い肌の青年――ヨハン・トリニティ、藍色の髪に白い肌の青年――ミハエル・トリニティ、赤い髪にそばかすが印象的な少女――ネーナ・トリニティである。

 3人は血が繋がっていない兄妹であり、青年の教え子たちであった。青年が仮面を外すにあたって、自分の元から卒業することが決まっていた面々だ。その際、自分が戦死したというお題目を使うことで、雲隠れするような形で別れるつもりだった。

 

 彼らの前では、青年は常に仮面をしていた。素顔を晒したことは一度もない。

 

 だが。

 現在。

 自分は。

 

 仮面をして、いない。

 

 

「…………」

 

「…………」

 

 

 この場を満たしたのは、沈黙だ。

 

 トリニティ兄妹の表情を支配したのは、驚きである。普段は顔を晒さない男が、素顔を晒しているのだ。当然と言えよう。

 しかも、男が素顔を見せぬ理由――「顔に酷いやけどの跡がある」というのが嘘っぱちであり、且つ、彼らが何度か目にしたことのある人間だったら。

 特に、末妹のネーナは、青年の顔をよく知っている。彼女がおっかけをやっていた、アイドル歌手ご本人だったとしたら。

 

 

「…………テオ・マイヤー?」

 

 

 ネーナがぽつりと呟く。静かな空間の中、絞り出すように響いたのは、青年の芸名だった。

 背後でリボンズが噴き出す気配を感じ取る。青年はがばっと振り返った。

 悪戯を成功させた子どものように笑うリボンズと目が合う。

 

 

「リ……」

 

 

 青年はわなわなと体を震わせて、友人に掴みかかろうと立ち上がる。

 

 

「リボンズゥゥゥゥッ!!」

 

「わはははははははー」

 

 

 怒りに満ちた声とやる気のない笑い声を皮切りに、青年2人は同時に走り出した。

 

 

 

 

*

 

 

 

 

 結論から言わせてもらうと、鬼ごっこはリボンズの勝利で終わった。いくら『力』を使ってリボンズの気配を探そうにも、彼の思念を掴めないのである。何らかの手/あるいは彼の『力』を使い、思念をシャットアウトしたのだろう。

 こうなってしまうと、思念を追跡することは不可能だ。青年は悪態をついてため息をつく。トリニティ兄妹たちに何と説明しようか――否、どうやって彼らの前からずらかろうか。青年がそこに思考を集中させたときだった。

 

 

「ずらかる、とは、どういうことですか」

 

 

 背後から声が聞こえた。青年は、弾かれたようにして振り返る。

 

 

「勝手にいなくなろうなんて、俺たちが許すと思ってんのか!?」

 

「どうして何も言ってくれないのっ!!」

 

 

 息を切らせて問うてきたのは、トリニティ3兄妹であった。3人の額には、薄らとだが汗がにじんでいる。ふと見れば、ほんの少しであったが、彼らの体が淡い光を放っていた。

 

 ヨハンも、ミハエルも、ネーナも、己が何を行使しているのかわかっていない。青年は確かに「ずらかろう」とは思っていたが、3人の前では一切それを仄めかしていないのだ。彼らは、青年が考えていることを読み取って、その上で発現している。

 それだけではなく、()()()()で青年の居場所を察知し、そこまで走ってきた。トリニティ兄妹は、このコロニーの内部についてよく知らない。青年が重傷だという嘘情報に踊らされたような形で訪問した今回が、初めての来訪である。見取り図を参照したにしては、青年の居場所を看破するには早すぎだ。

 見知らぬ場所で誰かを探そうとした場合、何も考えずに走り回れば自身が迷子になってしまう。地図を参考にしようとも、使い慣れていなければ見方が分からないため本末転倒になるし、使い方を知っていても、場所と地図情報を一致させるためには、ある程度の時間が必要だ。だが、3人は、その苦労をしたようなそぶりはない。

 

 何の迷いもためらいもなく、青年がここにいると確信したうえで、青年が今いるフロアの廊下になだれ込んできた。

 それが成せる『力』を、青年はよく知っている。青年にとって、一番馴染みのある『力』なのだから。

 

 

(嗚呼)

 

 

 青年は思わず、感嘆の息を吐いた。

 目の前にいるのは可愛い教え子。

 

 

(キミたちも、『目覚めた』のか)

 

 

 否――『目覚めた』ばかりの、青年の『同胞』だ。

 

 思えば、彼らが『同胞』として『目覚め』そうな兆候はあった。ヨハンは何かが『聞こえて』いたし、ミハエルは無意識にだが壁を展開していたことがあるし、ネーナはビームサーベルの出力を爆発的なまでに跳ね上げていた。

 もしかして、とは考えていたけれど、本当に『目覚めて』しまうとは。ルーツは多少薄暗いものを背負っているが、文字通り“ただの人間”だった3人が、青年と同じ『同胞』に至るためには、彼らの心理状態が深く関わっている。

 

 本来、人間が『同胞』に『目覚める』場合は、特別な因子が外的要因によって発現する必要がある。自然のままに任せておけば、『目覚め』を迎えるか否かは五分五分と言えよう。

 “因子があるか否かを判断し、因子があった場合は容赦なく殺しにかかる”システムや、『同胞』によって因子を見出されて覚醒を促された場合は確実に『目覚める』ものの、前者は強制的に死亡一直線である。

 青年が3兄妹の因子を確認したとき、彼らは因子を有してはいなかった。因子を有さぬ人間が『同胞』として覚醒するには、『目覚め』を促される以外の方法しかない。――『同胞』の存在を心から受け入れることが絶対条件だ。

 

 しかも、いくら『同胞』を受け入れ心を赦したとしても、本人が『同胞』として『目覚める』かのタイミングはまちまちだ。赤子の内に『目覚める』者もいれば、幼少期に『目覚める』者、青年期に『目覚める』者、年老いてからようやく『目覚める』者だっている。『目覚め』ぬまま一生を終えるものだっていた。

 ヨハン、ミハエル、ネーナが『目覚めた』タイミングは偶然の産物だったとしても、“『同胞』の因子を持たなかった彼らが『同胞』としての『目覚め』を迎えた”ということが意味していることは――。

 

 

(……年甲斐もなく、自惚れてしまいそうです)

 

 

 若さ保って60年。精神年齢は20代、実際年齢はアラウンドエインティ。

 そのため、青年の思考回路には、若干の齟齬が起きつつある。

 

 教官なんて真似ごと、自分に務まるとは思っていなかった。正直、彼らから向けられる尊敬のまなざしが、胸を抉るようなものに感じられたこともあった。教官らしく振舞おうとして、彼らに厳しいことを言ったことだってある。

 迷って、悩んで歩いてきた道は、間違いではなかった。真正面から青年を見つめる教え子たちの姿が、それを証明してくれている。教える側が教わる側に変わることはよくあるけれど、こんな感じらしい。漠然と、そんなことを考えた。

 今、自分の目の前にいるのは、歪んだ感情をむき出しにしていた“図体ばかりが大きな獣”ではない。悩み、迷い、それでも前を向いて成長し続ける若者たち。等身大の“ヒト”だ。ヨハン/ミハエル/ネーナは訴えている。青年に、ここにいてほしい、と。

 

 真正面から向けられた強い思いに、青年は胸が熱くなった。気のせいか、少しだけ、視界が滲んだように不鮮明になる。誰かに信頼されるというのは、こんなにも温かい。

 

 ――ならば。

 

 

「僕も、覚悟を決めなくてはいけませんね」

 

 

 青年が自嘲気味に笑えば、ネーナたちが驚いたように目を見開く。

 

 

「教官……」

 

「あんた、それが地なのか?」

 

 

 ミハエルがおずおずと青年に問いかけた。おっかなびっくり気味な様子に、ちょっとだけ吹き出しそうになる。

 

 

「はい。騙すような真似をして、申し訳ありません。……これには、深い事情があったんです」

 

 

 青年は目を伏せた。3人を裏切るような真似をしてきた罪悪感。今まで降り積もってきたそれが湧き上がり、彼らの顔を見ることはできなかった。

 今更何を、と言われても仕方がないことだ。青年はひっそりと自嘲する。これで、もう、彼らは――考えると、胸が痛む。そんな資格などあるはずがなかったのに、だ。

 

 

「……いや、言い訳をする資格もないか。見苦しいですね」

 

「聞かせて」

 

 

 苦笑した青年の言葉を遮るように響いたのは、酷く張りつめたネーナの声だった。青年は息を飲む。勇気を持って、彼らの眼差しを受け止めた。

 

 

「貴方が何者であろうとも、我々の尊敬する教官であることには変わりありません」

 

 

 ヨハンが。

 

 

「あんたに比べれば俺たちはダメダメかも知んねーが、それでも聞き役になることくらいならできるっての。……だから、その……だーもう、言わせるなぁ!!」

 

 

 ミハエルが。

 

 

「教官は、私たちに真っ直ぐ向き合ってくれたでしょ? ……そりゃあ、教官みたいにできるわけじゃないけど、そこまで人間できてないけど……どんなに時間がかかっても、絶対に受け止めるから。……だから、聞かせて。全部聞かせて」

 

 

 ネーナが。

 

 ただ真っ直ぐに、青年を見つめている。

 その目は決して、逸らされることはない。

 

 先程「ずらかろう」などと考えていた自分が、いかに卑劣な存在だったか。青年は深々とため息をつく。これでは、アレハンドロ・コーナーと何も変わりはしない。いや、むしろ、奴の方がまだ可愛げがあったと言えそうな気がする。

 リボンズが青年の計画を台無しにするようなドッキリを敢行したのも、教え子たちと真正面から、ありのまま向き合う必要があると思ったために違いない。……いや、もしかしたら、悪戯と悪乗りが大好きであるが故の行動だったのかもしれないが、この際どうでもよかった。

 

 

「わかりました。すべて、お話します」

 

 

 青年は頷き、トリニティ兄妹を促した。廊下で立ち話と言うのも何なので、適当な空き部屋に足を踏み入れる。

 ブリーフィングルームの電気をつけて、戸棚から適当な茶菓子と飲み物を引っ張り出す。

 

 

「飲み物は何にしますか?」

 

 

 3人は目を点にした。ぴりぴりした空気の中で話を進めるのだと思っていたためか、トリニティ兄妹は出鼻をくじかれて困惑しているらしい。

 しかし、何を飲みたいかは決めたようだ。指示されたものを手渡せば、面々は珍妙な顔つきでそれらを受け取り、ちびちびと啜る。

 幾何かの間をおいて、青年は大きく息を吐いた。自分のことを話すとなると、どこから話せばいいのかよくわからない。

 

 自分の人生について話す? 『同胞』の成り立ちについて話す? 自分が果たそうとした目的のことについて話す? ――悩ましい限りだ。

 

 

「教官は、テオ・マイヤーですよね」

 

 

 飲み物を啜るのを止めたネーナが、神妙な顔つきで青年を見上げた。

 

 

「『今日もどこかで眼鏡が割れる』で華々しくデビューし、『カイメラ隊は病気』等の電波ソングだけでなく、哀愁漂う『貧乏くじ同盟』のような歌や爽やかな恋愛歌である『恋愛少年団』、映画『Toward the Terra』、『ミュウ』編のテーマソングになった『Terra -還るべき青き惑星(ほし)-』等のヒット曲を連発し、突然の休止宣言を出して、知人の結婚式でゲリラライヴを開催中に偽ガンダムからの襲撃を受けてから音信不通になっていた、あの売れっ子アイドル歌手の」

 

 

 テオ・マイヤーについて語り出す彼女の目は座っている。

 やたら饒舌に喋る姿に、青年は思わず口元を引きつらせた。

 

 

「は、はい、そうです。……く、詳しいですね」

 

「私、テオ・マイヤーのファンだもん」

 

「恐縮です」

 

 

 反射的に、青年は頭を下げた。アイドル歌手活動に精を出していた頃の名残である。

 

 なら、と、ネーナは言葉を続けた。

 

 

「テオ・マイヤーって、本名なの?」

 

「いえ、芸名です。テオというのは仇名で、マイヤーは母の旧姓から取りました」

 

 

 そこまで話して、青年は顎に手を当てた。何から話せばいいか迷っていたが、『ここ』から話すことにする。

 

 

「僕の本名は、テオドア。テオドア・ユスト・ライヒヴァイン。コーナー家によって滅ぼされた監視者、ライヒヴァイン家の末裔です」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「教官!」

 

 

 廊下を歩いていたとき、背後から少女の声が聞こえた。それにつられるかのようにして、老紳士の隣を歩いていたテオドアが足を止めて振り返った。

 そばかすと赤い髪が印象的な少女は、ネーナ・トリニティ。テオドアの教え子であり、彼に恋慕する乙女である。残念ながらテオドアは、その事実に気づいていない。

 昔から、彼は恋愛ごととは壊滅的だった。突発性難聴と超鈍感という2つの病を抱えていたせいで、彼に好意を寄せた女性たちは皆、彼を諦めてしまう。

 

 

(仕事が恋人という面も、少なからず影響していたのかもしれん)

 

 

 当時の様子を振り返りながら、老紳士は深々と息を吐いた。当時と言っても、60年近く前の話であるが。

 

 レイフ・エイフマン、御年アラウンドエインティーである。70代にも終わりが来た側的な意味で、だ。対するテオドアは80代を超えた的な意味でのアラウンドエインティーである。目の前にいるネーナは、どこからどう見てもティーン、しかも前半の方だ。

 春が来たことは喜ばしいが、このままいくと、テオドア・ユスト・ライヒヴァインはロリコン一直線になりそうだった。まあ、外見が20代前半で固定だから誤魔化しは効くだろうが。こんなかわいい女の子に好かれているのに無自覚とは、なんて罪深い男なのだろう。

 

 

(まあ、ワシも人のこと言えんからなぁ)

 

 

 恋は何度もしたけれど、その度に別れを繰り返したものだ。そうして、エイフマンは、“仕事が人生の伴侶”という答えにたどり着いたのである。

 さしずめ、息子はユニオンフラッグか。最終的に、ジンクスの登場によってフラッグは廃れてしまったのだが。寂しくないわけではない。

 ユニオンの技術的権威が失墜したという話は耳に入っている。教え子のビリー・カタギリは何をしているのやら。喝を入れられるものなら入れてやりたい。

 

 そんなことを考えたとき、エイフマンの背中に寒気が走った。何かが『視える』。

 

 高笑いする教え子/ビリー・カタギリ。彼の瞳は明らかにおかしい。麻薬常用者を連想させるような、どろりと濁った鳶色の瞳に、エイフマンは言葉を失う。

 ビリーが見上げる黒い機体は、武者のような佇まいだった。よく見れば、機体の細部にフラッグの面影がちらついている。あの機体が、教え子の暴走。あるいは最高傑作。

 

 取りつかれている。明らかに、悪いものに取りつかれている。麻薬によく似た、けれども麻薬以上に恐ろしい“何か”に。

 PC画面を埋め尽くすデータの羅列、散らばったメモに書き殴られた文字。ゼロシステム。未来を見せる、演算予測。

 勝利法を演算する代わりに、使用者の精神を蝕む――現実では再現不可能とされた、虚憶(きょおく)由来の技術だ。

 

 

(何故、こんなものが――)

 

「教官の生年月日を教えてください」

 

 

 幼さと甘さを残した少女の高い声に、エイフマンは現実へと引きもどされた。そこには、高笑いしていた教え子の姿はない。

 目の前にいるのは、テオドアとネーナの2人であった。ネーナの手に握りしめられていた端末には、相性診断という可愛らしい文字が躍っている。

 

 このとき、テオドアが端末に視線を向けていたら――いや、彼の性格上、見たとしても気づかないであろう。エイフマンには確証があった。もっとも、テオドアの視線は端末ではなくネーナの表情に向けられており、彼は彼女が何を考えているか見当もついてなさそうであったが。

 

 テオドアはいつもと変わらぬ笑顔のまま、平然と、自分の生年月日を告げた。途端にネーナは表情を引きつらせる。

 驚きすぎて、年代とそれに関する情報以外、耳に入っていない様子だった。

 

 

「僕、レイフより7歳年上なんです。アラウンドエインティー、ですかねぇ」

 

「と、年の差60歳以上……」

 

 

 ネーナがどれ程打ちのめされているのか、テオドアには一切の自覚がないのだ。彼女はしばし戦慄いていたが、涙を堪えながら、キッとした眼差してテオドアを見上げた。

 

 

「ッ、だからといって諦めるという選択肢はないんだからねっ!!」

 

「?」

 

 

 高らかに宣言し、少女は踵を返して走り去る。まるで、嵐が去ったようだ。

 テオドアはネーナの言葉の意味を、一切理解していない様子だった。こてんと首を傾げ、背中を見送る。

 

 

(あの()、前途多難じゃなあ……)

 

 

 エイフマンは深々と息を吐いた。この調子でいくと、いつか、テオドアに一服盛ろうと計画しだしそうな気がする。いや、絶対やる。既成事実打ち立てる以外にいい方法が思いつかないためだ。

 しかし、確実に、彼は軽く流す。体の不調を感じながらも気合でスルーするテオドアの姿が『視えた』ような気がして、反射的に天を仰いだ。盛られたことに気づくまでの分も上乗せされそうだ。

 

 

「流石にワシも、媚薬云々に関しては力になれんぞ」

 

「何の話をしているんですか? あと、以前ユニオン基地を襲撃したνガンダムの偽物ですが、トランザム中はドラグーン・フルバーストを使用できないという欠陥が……」

 

 

 エイフマンのぼやきを軽く流し、テオドアは図面に視線を落とす。

 こんなのだから彼女ができないんだなぁ、と、エイフマンは静かに納得したのであった。

 …………勿論、声に出さずに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 阿鼻叫喚のパーティ会場。

 その真上に、4機のガンダムが佇んでいる。

 

 怪我を負った民間人の中には、ネーナ・トリニティが憧れてやまないアイドルたちがいた。エ□ーダ・ロッサ、□ェリル・ノーム、ラン□・リー、……そして、テオ・マイヤー。ネーナからしてみれば、夢のような光景である。彼らが談笑する様子を見れただけでも、充分楽園であった。

 このパーティはドラゴンズハイヴが主催したもので、彼らと関係があった人々が多数参加しているという。政府高官から一般人までより取り見取りだ。正直、アイドルたちのきゃっきゃうふふ以外、特に眼中になかった。楽園を眺めるので忙しかった。HAROの頭をどつきながら、楽園を盗撮するので手一杯だった。

 憧れのエイー□と一緒に仕事をできただけでも僥倖だというのに、土下座して頼み続けたらサイン入り色紙とCDとポスターまで貰ってしまった。勿論、保存用・鑑賞用・布教用の3点セットを所持し、大事に保存している。兄にだって、布教用以外触らせていない。布教しようとしたら拒絶反応を貰ってしまったので断念した。閑話休題。

 

 ネーナはぎりぎり歯ぎしりしながら、自分たちの乗るガンダムと瓜二つの機体を睨みつけた。

 ただでさえ、この偽物たちの暴挙によって肩身が狭い思いをしているというのに。

 

 

「この状況……どう見ても、あたしたちが憧れのアイドルたちを襲撃した図にしか見えないじゃない!!」

 

『イテーナオイ、イテーナオイ!!』

 

 

 あまりにもあんまりな状況に、ネーナはばんばんとHAROの頭を叩いた。この場にノブレスがいたら呆れ果てるのだろうなと思っても、この感情はどうしようもない。

 いつぞやのシミュレーターで護衛対象――女の敵を撃ち殺したとき並みの苛立たしさが込み上げてくる。偽物死すべき、慈悲はない。ネーナの怒りは頂点に達した。

 

 

「あたしの天使(アイドル)たちを傷つけて……! あたしを怒らせたらダメってこと、思い知らせてやる……!」

 

 

 ネーナが操縦桿を握り締めたときだった。

 通信が入る。主は、ヨハンだった。

 

 

「落ち着けネーナ。教官の言葉を忘れたのか?」

 

「だって!」

 

「……だが、奴らの行動は目に余るものがある」

 

 

 ヨハンの言葉に、ネーナは思わず目を見開いた。冷静沈着な長兄が、憤怒の感情をむき出しにしている。

 その様子に驚いたのはネーナだけではなく、ミハエルも同じ気持ちだったようだ。だが、彼も真剣な面持ちになった。

 

 

「ミハエル、ネーナ。ここからは、我々の独断行動になる」

 

 

 ヨハンは確認するような声色で言った。

 

 

「この行動は、ソレスタルビーイングの規律に反するだろう。……だが、アンノウンの行動を見過ごすわけにはいかない」

 

「当然だ! これ以上、奴らの好き勝手にさせらんねーぜ!」

 

「うん!!」

 

 

 自分たちは顔を見合わせ頷いた。操縦桿を動かす。

 3機の座天使たちは、自分たちを騙る偽物目がけて攻撃を仕掛けた!

 

 

 

 

<><><>

 

 

 

 

 シ□リル救出のために囚人収容施設へ忍び込むとはいえ、アイドルおよびミュージシャンたちの生ライブを行うなんて作戦を立てた奴は誰だろう。立案者がいたら、褒め称えたいのが半分と、怒り狂いたいのが半分の気持ちでいっぱいである。

 ラ□カを中心に、九条□海、エイー□・ロッサ、ホ□ー・バージニア・ジョーンズというそうそうたるメンバーが揃っているのはいいのだ。しかし、そこに、ネーナが愛してやまないアイドルはいない。女形の歌舞伎役者が女装してステージに上っているのに、何故テオ・マイヤーはダメなのか。

 身長のごまかしようがないと本人は言う。むさ苦しいおっさんたちが男性アイドルなんか望んでるはずがないと本人は言う。確かにこの収容施設、むっさいオッサンしかいない。いろんな意味で、「女性に飢えています」という感情が漂っている。

 

 

『こんな場所に男性アイドルを放り込んでみてください。たちまちブーイングの嵐が巻き起こりますよ』

 

 

 テオ・マイヤーの声が頭にリフレインする。

 それでも。

 

 

(正論だけど。正論だけど! やっぱり納得できないッ!!)

 

 

 ネーナの視線の先には、ゴスロリを着た女方役者が演奏している。彼も内心「なんでこんな格好をしなきゃいけないんだ」と思っているためか、動きがややぎこちない。

 

 テオ・マイヤーだって、女装は似合いそうである。その際、ゴスロリではなくスーツ姿が合いそうな気がした。

 詰め物を詰めてムダ毛の処理とメイクを徹底すれば、絶対にアルティ・早乙女など敵ではない。ネーナは1人確信する。

 

 

「まさに姫だ! 抱きしめたいなぁ!!」

 

「お、おいおい……」

 

 

 遠くから会話が聞こえてきた。声の方を振り向けば、アルティ・早乙女のファンと化した金髪碧眼の男がうちわ片手に歓声を贈っている。意識不明の恋人がいるとは思えない元気っぷりに、ネーナの眉間に皺が寄る。

 浮気か、浮気なのか。この話を聞いたら、意識不明の友人はどんな反応をするだろう。表情をぴくりとも変えず、後で男性を呼び出して別れ話を切り出しそうだ。やけにその光景が鮮明に浮かんできた。嫌な予感がした。

 

 未だに意識が戻らない友人を想う。金属生命体と対話しようとした彼女が目覚める日はまだだろうか。そこまで考えたとき、不意に、何か映像がフラッシュバックした。怒髪天の桜の王と対峙するのは、対話のための機体だった。パイロットは、彼女。

 光景は二転三転と変わる。恩師の叫びに耳を閉ざす男に対し、美しい緑の光が心を繋ぐ。対話のための機体が宿す、わかり合うための力だ。そうして男は、恩師の願いを受け取った。次に浮かんだのは隕石を押し返す機体たち。階級は大尉だがガンダムパイロットたちを纏める男の掛け声に、対話のための機体が全力で応えた。人の心の光は温かい。

 

 そこで戦う友人は、意識不明の現状からは想像できない姿だった。同時に、彼女が意識不明になる直前までは、当たり前のように戦う姿でもある。

 

 

(そろそろ、目覚めて欲しいな。あのオジサンもあんな感じだし)

 

 

 ネーナは、アルティ・早乙女に対して一心不乱に歓声を贈る金髪碧眼の男に視線を向ける。その横顔は確かにアルティ・早乙女のファンだ。だが、どことなく、無いものを無理矢理調達したような空気が漂っているように思える。

 空元気? それとも、自分の愛した女なら大丈夫だという強い確信があるとでも言うのだろうか。どことなく自信たっぷりに見えなくもない。しかしながら、ネーナの思考回路では答えを導き出すことなど不可能だ。

 ユニオン時代から阿吽の呼吸でやって来た副官でさえも「あいつについていけないときがある」と零すほどである。付き合いの短いネーナが、金髪碧眼の男の心情を推し量ることなど無茶/無謀の極みと言えよう。

 

 実際、金髪碧眼の男性の副官は、無言のまま天を仰いでいた。

 

 この思考回路はここで終わらせ、作戦開始まで、ネーナはアイドル及びミュージシャンたちの慰問ライブを楽しむことにする。

 世界が平和になった暁には、彼らのライブに参加したいものだ。見果てぬ夢を描くような気持ちで、ネーナはステージへ視線を向けたのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………あれ?」

 

 

 今、何か『視えた』ような気がする。

 

 ネーナは思わず周囲を見回してみたが、特に変わったことはない。何が『視えて』いたかを思い出そうとするが、何も浮かんでこなかった。

 アイドルがいっぱいいたような気がしなくもないが、今はそれ以上に大切なことがある。ネーナは思考回路を中断し、雑誌のページをめくった。

 

 「自分が尊敬し思慕する教官は自分たちの命の恩人で、彼の仮面の下は自分が追っかけていたアイドル歌手(勿論容姿端麗のイケメン)だった」という事例に直面して、その相手に惚れ込まない人間なんて絶対にいない――ネーナはそう考える。

 今現在、自分が熱心に読み漁っている古雑誌は、テオ・マイヤー特集が組まれたものだ。古書店やネットオークションを何か所も梯子/サーフィンして、ようやく手に入れた品物である。ここに掲載された彼のプロフィール情報は本物だ。

 テオ・マイヤーの誕生日から、60年以上前に『亡くなった』とされたテオドア・ユスト・ライヒヴァインの情報を結び付けるような人間なんていない。彼の外見を知る人間も、殆どいないだろう。そう踏んでいたからこそ、彼は顔や情報を晒していた。名前は芸名だったが。

 

 お目当ての情報が乗ったページを見つけ、ネーナは手を止めた。

 

 身長は181cm、体重は70kg。そこは特に関係ない。

 誕生日は7月10日、血液型は0型。それを確認したネーナは、即座に端末を操作する。

 

 

「えーと、教官は蟹座のO型だから…………」

 

 

 自分の血液型と星座を入力し、相性占いを行う。程なくして、結果が出た。

 

 相性最悪。

 

 もう1度見直してみた。相性最悪という文字は何も変わらない。何度も見直してみた。結果は同じ、相性最悪。

 ネーナは再度、情報を入力してみた。幾何かの間をおいて、結果が出る。先程と同じ4文字がディスプレイに踊った。

 

 相性最悪。

 

 その4文字で諦めるような性格ではない。ネーナは端末を握り締める。

 みしり、と、端末が軋むような音を立てた。握り潰れてもおかしくない。

 

 

「…………星座占いが何よ。血液占いが何よ。そんなもの、絶対信じない! ぜったいぜったい、諦めないんだからっ!!」

 

 

 ネーナ・トリニティ。

 花も恥じらう10代前半。

 

 恋する乙女を舐めてはいけない。

 

 

「ふ、ふふふ、ふふふふふふ。あはははははははははーっ!!!」

 

 

 決意も新たに、ネーナは高笑いする。

 燃えるような情熱に身を任せていたがために、彼女は周囲の様子に気づかなかった。

 

 

「ネーナが! ネーナが壊れた!! どうする!? ってかどうすればいい!?」

 

「……わからん。ただ、前途が多難であることだけは確かだ」

 

 

 兄たちが、高笑いする妹の様子に危機感を覚えていたことも。

 

 

「――!?」

 

「どうしたんだい?」

 

「今、ものすごい悪寒が……!?」

 

 

 別行動していたテオドアが、彼女の熱意を受信してそう評していたことも。

 

 

「おじいちゃーん! 教官を落とすためのいい案はないかなっ!? やっぱり既成事実打ち立てたほうが早いかな!?」

 

(貞操とはいったい何だったのか……)

 

 

 相談を受けたエイフマンが、毎回毎回遠い目をすることを。

 

 

 

 ネーナは、まったくもって予測していなかったのである。


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