大丈夫だ、問題しかないから。 -Toward sky- <2nd Season> 作:白鷺 葵
『連邦保安局を独立治安維持部隊の直轄組織にすることが議会で決定した』
ウィンドウ越しから聞こえる男の声は、どことなく嬉しそうなものだった。
『4千万人規模の軍隊……その創設を可能にしたのは、ひとえにマザーコンピュータやそれが構成するネットワークの力があってこそ』
「お役に立てて光栄ですわ」
褒められて悪い気はしない。アオミはくすりと微笑み、会釈した。
音声同士の会話だとしても、己の仕草や心理状態は反映されるものであるとアオミは思っている。
男との会話回線のほかに、ウィンドウには沢山の情報が提示されていた。
反乱分子であるカタロンや神出鬼没の『スターダスト・トレイマー』、ついこの間から封じ込めにかかっている『悪の組織』。
カタロンの情報はつぶさに手にできるのだが、残りの2つはなかなか情報が入ってこない。
(『悪の組織』や『スターダスト・トレイマー』のセキュリティも中々ね。このマザーコンピュータでも、解析できずにいるのだから)
この2つの組織は、自分が有する力と同等のものを有していると言えるだろう。アオミは舌打ちしたかったのを堪える。
「連邦政府は、どんな些細な抵抗にも屈してはなりません。人類の繁栄と、未来のためにも」
『貴女方の協力に期待する』
「勿論ですわ」
その言葉を最後に、男との通信は終わった。相変わらず、ウィンドウに提示される情報に動きは見られない。アオミは深々と息を吐き、部屋を出た。
大広間に出ると、シミュレーター訓練を終えた
彼女はアオミの存在に気づくと、ぱっと表情を輝かせた。
「連邦の動きはどうなっていますの?」
「連邦保安局が、独立治安維持部隊の直轄組織になったみたい。これでアロウズの行動範囲が広まり、軍事力の強化にも繋がるわ」
アオミは
ブランドで保障された果実の甘みは、やはりブランドに恥じぬ味である。今後とも贔屓にするとしよう。
「アザディスタンの
「ええ。どちらも確実にここへ来るでしょう。特にソレスタルビーイングはね」
「あそこの施設には、ガンダムマイスターだったアレルヤ・ハプティズムも拘束されている。活動再開にあたって、戦力は増強したいですもの」
画面には、アレルヤが拘束されている施設の場所が映し出されていた。
アオミは白桃を齧る。甘い果実をじっくり堪能した後、言葉を続ける。
「そして『悪の組織』の連中は、同族意識が強い。1人でも仲間が拘束されれば、奴らはどんなに危険な状態になろうとも救出へ赴くわ。奴らはそういう生き物よ」
「そうなのですか?」
はっきりと言いきったアオミに、
「ならば、『悪の組織』は今頃てんやわんやしているでしょう。指導者を失ってしまったのだから、烏合の衆になるのも時間の問題です。あまり気にしなくとも……」
「
言葉を発した
無能な兄への怒り。突き刺さる眼差しに耐えきれなくなったのか、
「もういいわ。貴方は人質の監視をしていて頂戴。暫く出番はないもの」
アオミは次の獲物に手を伸ばしながら、ちらりと視線を向けた。
元国連の代表であるエルガン・ローディックは、背中を壁に預けるような形で体を投げ出していた。彼はぐったりとしていて、身じろぎ一つしない。最初に行ったマザーコンピュータの尋問によって、彼はあそこまで衰弱してしまった。
本来ならばもっと徹底的に、深層心理の奥底まで探ってやりたかった。だが、殺してしまっては意味はない。エルガンもまた、『スターダスト・トレイマー』と交渉するために必要な人質なのだ。生きていてもらわなくては困る。
計画上仕方がないとはいえ、完全な支配権に置けないというのは厄介なものだ。エルガンと似たようなことを行って、どうにか動きを制限しているブシドーのことを思い出す。奴の場合は、薬と快楽と機械漬けだが。
普通の人間にやったら、その人物は即刻廃人と化しているであろう。
その観点から見ても、ブシドーの精神力は計り知れない。
……最も、それは、この世界の
(まあ、うまく使わなくちゃね)
アオミはくすりと微笑みながら、端末に視線を向けた。『知識』では、ここを抜けた後々に行われる戦いで、ブシドー/アヘッド・サキガケが刹那/ダブルオーと交戦する。現時点を含む『その時点』では、ダブルオーのトランザムは未完成状態だ。
できれば、ここでダブルオーを潰しておきたい。だが、『知識』におけるブシドーはガンダムとの真剣勝負に拘っているため、刹那に追撃することなく、ダブルオーを“敢えて”逃がしている。手駒にしたブシドーも、過程が違えど似たような思考回路を持っていた。
この場でダブルオーを潰すということは、同時に、ブシドーも一緒に潰れてしまう可能性がある。貴重な手駒を失うのは避けたいが、刹那がいなくなった後の彼がまともに使えるかと問われれば、恐らく否であろう。
――なら、視野に入れていても問題なさそうだ。
海月たちにその旨を連絡する。彼らは即座に是の返事を返した。
これで、あとはいい報告を待つだけである。アオミはより一層笑みを深くした。
◆
天気は晴天。アロウズの軍事基地の周囲は、異様な沈黙を保っている。戦力の大部分が、この基地から収容施設の方へと出払ったためであろう。
クーゴたちの目標地点でもあるその収容施設には、ソレスタルビーイングのガンダムマイスター――アレルヤ・ハプティズムが収容されている。
アロウズのお偉いさんたちは、「ソレスタルビーイングが仲間を救いにやって来る」と踏んで、この采配にしたに違いない。
――そして、確実に、天使たちの息の根を止めるつもりだ。
「アニエスたちから連絡があった。救出準備は完全に整ったそうよ」
ブリーフィングルームから、艦長であり戦術指揮官でもあるエイミーの声がした。今回、彼女たちの部隊は救出作戦の陽動および収容役だという。その収容施設には、『悪の組織』総帥であるベルフトゥーロや、他の技術者たちが収容されているためだ。
その作戦は、『ミュウ』の持つサイオン波のテレポートを駆使し、収容されている技術者たちを各部隊の戦艦へと転移させるのだという。アニエスたちの部隊は、戦艦に搭載されているワープドライヴのような役目を果たすために、先に施設内へと足を踏み入れているそうだ。
クーゴは彼らの指揮下にはない。クーゴは“イデアが「嘗ての同僚を助け」ようとしているのに同行しているにすぎない”からだ。
そしてイデアも、己の目的――自分が背負う役目を果たすために動いている。だから、イデアもエイミーの指揮下には入ってない。
イデアはじっと端末と睨めっこを続けている。彼女の横顔はどこまでも真剣で、とてもじゃないが話しかけられるような空気ではなかった。
さて、どうしたものか。クーゴがそんなことを考えていたとき、イデアが端末を閉じて立ち上がった。そのタイミングを待っていたかのようにブリーフィングルームの扉が開く。
「2人とも。射出準備はできたよ」
声をかけてきたのは、ケイ・ニムロッドだ。ホワイトベースのクルーで、メカニックを担当している。彼女の後ろに、通信士であるルナもついてきた。
彼女たちに礼を言い、クーゴとイデアは格納庫へと転移する。整備が行き届いた愛機は、光を反射して煌めいていた。心なしか、カメラアイ近辺の反射が強い気がする。
まるで、相方の存在が近くにあると示しているかのようだ。
はやぶさの眼差しに応えるように頷き、クーゴはコックピットに飛び乗る。
イデアも真剣な様子しで、コックピットに乗り込む姿が見えた。
ハッチが開く。眼前には、澄み切った青空と乾いた大地が広がった。遠くの地平線の果てに、海が見える。
「ソレスタルビーイングが作戦を開始したようです」
ルナはそう言って、クーゴたちに情報を提示した。目標地点である収容施設の映像が、ウィンドウに映し出される。
大気圏を突っ切るような形で突入してきたソレスタルビーイングの母艦。アロウズがその情報を得たとき、間髪入れず施設が爆発した。
プトレマイオスは降り注ぐ砲撃の雨を縫うように切り抜ける。宇宙船にはあるまじき速度だ。よく見ると、艦は緑の粒子に包まれている。
砲撃の雨あられに対しても、プトレマイオスは減速しようとしない。目標、およに着陸地点をしっかり見据えているためだ。船は変形し、そのまま海へと突っ込んだ。ド派手な水しぶきが上がり、施設周辺に海水が流れ込む。
これで、地上に配備されていたMS部隊は一時的に行動不能状態に陥る。水中では、粒子ビームの効力は半減される。アロウズの部隊がプトレマイオスに攻撃を仕掛けるとしたら、手段はミサイルくらいにしかならないだろう。GNフィールドの前では意味がなさそうだが。
「さっすがスメラギさん!」
映像を見ていたイデアが、我がことのように喜んだ。その姿を見ていると、やはり、イデアもソレスタルビーイングへ戻るべきではないのかと言いたくなる。彼女の『還りたい』場所は、やはり、ソレスタルビーイングのようだった。
攻撃がプトレマイオスに集中する中、2機のガンダムが施設へ飛来した。1機はコロニー・プラウドで見かけた機体で、もう1機はエクシアの面影を宿す新型だ。後者のパイロットは刹那だろう。クーゴには確信があった。
「今から行けば、ソレスタルビーイングの作戦行動に間に合います」と、ルナは告げた。それに促されるように、クーゴとイデアは前を見据えた。ここまで連れてきてもらった例を告げれば、ルナは力強く微笑み頷く。
「では、お2人とも。ご武運を――」
「あ、ルナちゃん。ここにいたの」
オペレーターとしての役目を果たしていたルナを呼び止めたのは、エイミーだった。通信欄に映り込んだ彼女の笑顔は、明らかに何か企んでいるような顔である。
嫌な予感を感じ取ったルナが、ブリキの人形を思わせるようにして首を動かした。彼女のこめかみからは大量の汗が流れ落ちる。対して、エイミーは益々笑みを深くした。
それを最後に、ルナからの通信が途切れた。間髪入れず、彼女の思念が艦内全体に響き渡る。思念と言うよりは、もはや金切り声や絶叫という類のものだった。
もしかしたら、ガンダムベルフェゴールに搭乗させられ、出撃させられることが決まったのかもしれない。その真偽を知る術は、クーゴは持ち合わせていなかった。思考を切り替える。
一足先に、スターゲイザー-アルマロスが飛び出す。はやぶさもまた、それに続いて、カタパルトから飛び出した。
ESP-Psyonドライヴの力で転移すれば、目的地の基地が眼下に広がる。アロウズのジンクスたちが忙しなく飛び交い、ガンダムの迎撃に当たっていた。
「……何か、庇ってるのか?」
シールドと砲撃を展開し、梃子でも動こうとしない機体があった。コロニー・プラウドで見かけた重装備型の機体である。ジンクスたちはその機体に攻撃をしようとしたが、別方向からの狙撃によって阻まれていた。
シミュレーターで見かけたロックオンのガンダム――デュナメス-クレーエとよく似た機体だ。おそらく、この機体はデュナメス-クレーエの元になったとされるガンダムデュナメスの、正統な後継機なのだろう。
増援のジンクスたちが飛来する。攻撃はますます激しくなった。それを見たイデア/スターゲイザー-アルマロスが、重装備型の元へと真っ直ぐ飛んでいく。一方的な攻撃に圧され気味だった機体の眼前に降り立つと、サイオン波を発生させた。
重装備の機体に攻撃を仕掛けようとしていたジンクスたちが吹き飛ばされる。いくつかの機体が、何かに押し潰されるかのように爆発四散した。
『イデア!?』
『どうしてここに!?』
『まさか、私たちを助けるため……!?』
どこからか、ざわめく声が『聞こえた』。水の中にいるプトレマイオスの母艦か、重装備型のガンダムか、クーゴには判別がつかない。
水しぶきからどうにか立ち直ったティエレンたちが、新手として舞い降りたイデア/スターゲイザー-アルマロスに攻撃を仕掛けた。
その攻撃などものともせず、スターゲイザー-アルマロスはフレキシブルアームズを展開した。五芒星型のブレードが、近寄ってきたジンクスたちを真っ二つに叩き切る。
ガンダムに殺到する攻撃部隊は、さながら砂糖に群がる蟻のようだ。クーゴは操縦桿を動かし、その中へ突っ込む。大気を切り裂くような勢いに、幾つかのジンクスが距離を取った。
クーゴのはやぶさを新手と認識したジンクスが、こちらに向かってきた。ビームランスから攻撃が繰り出される。飛行形態のはやぶさはひらりとそれを躱していった。アクロバティックな飛行を繰り返し、回避に専念する。
(ユニオン時代、あいつの無茶ぶりに応えてきたことを思い出すなぁ)
場違いだというのに、クーゴの口元には乾いた笑みが浮かんでいた。当時の苦労がフラッシュバックしたのだろう。これではいかん、と、クーゴは小さく首を振る。
そのとき、視界の端に映ったジンクスが、スターゲイザー-アルマロスへ攻撃を仕掛けようとしていた。
クーゴは即座にはやぶさを旋回させ、飛行形態を解いた。ライフルを撃ち放つ。鮮やかな光がジンクスを撃ち抜いた。
間髪入れず、今度はスターゲイザー-アルマロスが自律兵器を飛ばす。はやぶさの背後に迫る機体が爆発した。
「ありがとう、恩に着る」
「お互い様です」
イデアがにっこり微笑んだのが『視えた』。クーゴも頷き返す。
ふと視線を向ければ、重装備のガンダムの丁度真後ろに、穴が開いていた。
視界の端に映ったのは、刹那が搭乗していた機体――ガンダムエクシアの面影を宿す新型機。
(まさか、刹那はあそこに?)
その真偽を確かめる間もなく、新手のジンクスやティエレンたちがこちらに迫ってきた。
◇
どこもかしこも、銃撃音が響き渡る。アロウズの連中と、カタロンの部隊が戦っているのだろう。
『グラン・マ。みんなは無事に、転移が終わったみたいです』
アニエスからの思念波が届き、ベルフトゥーロは笑みを浮かべた。
首尾は上々、とは、こういうときに使う言葉である。
『オーケイ、アニエス。キミたちも早く転移しなさい』
『え!?』
アニエスが素っ頓狂な声を上げた。
『じゃあ、グラン・マは!?』
『大丈夫大丈夫。アテはあるから』
『……了解』
ベルフトゥーロも一緒に脱出する者だとばかり思っていたようで、ジンが驚いた声を上げる。それに対して、ベルフトゥーロは満面の笑みで宣言した。足元には気絶した看守や兵士たちが転がっている。奴らはぴくりとも動かない。
普段は車椅子を利用しているベルフトゥーロであるが、この収容所にはそんなものなど置いていなかった。尋問されるときくらいしか持ってきてくれなかったな、なんて思いながら、ベルフトゥーロは背伸びした。
地面を蹴るように立ち上がる。こうして立ち上がるのは久々だが、まあ、今回は致し方ない。非常事態だ。ベルフトゥーロは背筋をぴんと伸ばし、一歩踏み出す。そうして、ほぅ、と息を吐いた。
ちょっと、しんどいかもしれない。
深層心理チェックの影響が出てしまったのだろうか。
もしかして、最近やたらと『尋問』という名の深層心理チェックが行われていたのは、ソレスタルビーイングがここに突入してくると察知していたからなのだろうか。
(私が逃げ出すと踏んでたんだろうなぁ。『ミュウ』の力を使えないようにしといて、身動きできないようにしようとした。……でなきゃ、兵士が来るはずないわけだし)
まだまだ現役だと思っていたが、年は取りたくないものである。因みに、今年で500歳代。しかも後半だ。
エルガンと年齢は変わらないのに、どうしてか、ベルフトゥーロは日常生活に車椅子を利用する羽目になってしまっている。
「やっぱ、車椅子回収していこう」
ベルフトゥーロは深々と息を吐いた。
この差は一体何なんだろう。不公平だ。なんで外見年齢が上のエルガンは普通に歩けるのだ。エルガンはベルフトゥーロよりも3つ、年が下だというだけなのに。
牢屋から出て、トイレへ足を踏み入れる。服は捕虜用の簡素な囚人服で、可愛くもなければ格好良くもない。髪はぼさぼさだし、肌もガサガサであった。
まるで、徹夜帰りのリーマンみたいな風貌である。これを目にしたら、大抵の人間が「こいつ平社員だろ。しかもダメな方の」と太鼓判を押しそうだ。
ベルフトゥーロはサイオン波を発生させた。青い光が舞う。瞬間、どこからともなく車椅子が独りでに転移してきた。そのまま、車椅子に腰かける。
車椅子を漕ぎだせば、その度に体が小さく揺れた。収容所の床は殆ど舗装されていないようだ。車椅子利用者のことは考えていないらしい。
「うぉう! 揺れるなぁ……」
ソレスタルビーイングの襲撃で、攻撃が仕掛けられているのだ。多少揺れるのはいた仕方がない。振動をどうにかやり過ごしながら、車椅子を漕いだ。
マリナ・イスマイールが捕まっている独房の場所は、閉じ込められているときに思念を追いかけていて把握している。彼女も脱出させてあげたい。
そんなことを考えていたためか、曲がり角から誰かが飛び出してきたのに気付かなかった。サイオン波を使ったのは、ほぼ反射の行動であった。ばちん、と、派手な音が鳴る。銃弾の薬莢が床に転がった。
青いパイロットスーツに身を包んだ女性――ソレスタルビーイングの刹那・F・セイエイと、彼女に連れられてきたマリナ・イスマイールだ。どうやら、マリナは刹那に助け出されたらしい。それはそれでほっとする。
ベルフトゥーロの姿を目にした刹那が銃を構えて怪訝な顔をし、見知った姿であるマリナは表情を緩ませた。ベルフトゥーロはマリナに会釈しつつ、刹那に向き直る。イデアが見つけた、イオリアの遺志を受け継ぐ“希望”。
「ねえ」
ベルフトゥーロは刹那を呼び止めた。マリナを助けてこの場から脱出しようとしていた刹那は、更に眉間の皺を深くする。ベルフトゥーロを連れていく予定がなかったためだ。
「私も連れて行って」
「っ」
「――私を連れて行けば、イデアが『必ず』戻って来るわよ」
「!!」
刹那の手を引いて、耳打ちする。驚きに満ちた赤銅の瞳が、ベルフトゥーロを映し出した。
瞳の中の女は、どこまでも妖艶で自身に満ち溢れた、見るからに不敵な微笑みを浮かべている。
「必ず仲間が戻って来る」という言葉は、ソレスタルビーイングにとって魅力的な条件だ。
暫しの思案の後、刹那は小さく頷いた。そうして、何かまずいものを目の前にしたように渋い顔をする。
――ああ、ガンダムのコックピットは車椅子には対応していなかった。そりゃあまずいか。
「大丈夫。車椅子無くてもなんとかなるから。乗り込むときに乗り捨てるし」
「………………わかった」
刹那はようやく、渋々ながらも納得してくれたようだ。マリナをリードしつつ、車椅子のベルフトゥーロを気にしてくれているらしい。
「『刹那は、無表情でぶっきらぼうだけど、心根はとっても優しい子なんですよ』」
「……は?」
「イデアが言ってた通りだった」
囁くようにして刹那に告げれば、彼女は大きく目を見開いた。何か言いたげにこちらを見返したが、ベルフトゥーロは素知らぬ顔をして視線を逸らす。勿論、わざとだ。
変な沈黙とぴりぴりした空気の中、3人は施設内を駆けていた。目的地は、刹那のガンダムが突っ込んできた場所である。エクシアの後継機、ダブルオー。イオリアの理論――ツインドライヴ搭載機だ。
想像するだけで、メカニックだった頃の血がたぎって来る。場違いな高揚感を感じつつ、ベルフトゥーロは人知れずにサイオン能力を発動させた。
連絡相手は、ソレスタルビーイングに加勢しているイデアとクーゴだ。
特にイデアは、ベルフトゥーロの意図を測りかねるであろう。
(本当に、『還りたい』場所に、『還れる』ように)
イデアの想いを辿るように、ベルフトゥーロは物思いに耽る。
(……吹っ切れば強いのに、難儀だなぁ。レティシアは)
母親/親友に似て、頑固で思い込みが激しいきらいがあるから。
(そう思わない? ――ねえ、イニス)
ベルフトゥーロの問いに答えてくれるべき人の声は、聞こえなかった。
◆
「『プトレマイオスに随伴しろ』、ねぇ」
つい先程届いた思念波に、クーゴはひっそり首を傾げる。ベルフトゥーロは何をしたいのか分からない。
前を見れば、ガンダムたちがジンクスの群れを屠っている光景が広がっていた。もう、クーゴやイデアの援護は必要ないだろう。特にイデアは、本当ならば「この場から離脱していたかった」はずである。
スターゲイザー-アルマロスは、どことなく落ち着きがなさそうに見えた。パイロットであるイデアの思考が反映されてしまっているかのようだ。ジンクスを屠りながら、しきりにガンダムたちの動きを気にしていた。
オレンジ色の可変型ガンダムが、鬱積した想いを吐き出すようにしてジンクスたちを倒していく。刹那が乗っているであろうガンダムも、ジンクスたちをばったばったと倒していった。重装備型のガンダムも、敵を倒しながら距離を取る。
離れたところで狙撃をしていたガンダムは、別の方向を気にしていた。その方向に視線を向ければ、輸送船へ向かって捕虜たちが走っているのが伺える。『悪の組織』の面々は、サイオン波によるテレポートで脱出したわけだから、あそこにいるはずがない。
ならば、あの輸送船団と捕虜はカタロンの連中だ。ソレスタルビーイングの理念上、暴力に訴えるカタロンのやり方に同調したり、彼らと結託するようなことをするとは思えない。
では、何故、狙撃型ガンダムはカタロンの面々を気にしているのか。
『あのパイロット、カタロンの構成員よ。しかも、相当な腕を持ってる』
「え」
『多分、ソレスタルビーイングの何人かはそれを把握したうえで、マイスターとして引っ張ったんだと思うわ。だって彼、MSファイトの一般企業部門で優勝してる』
ベルフトゥーロの思念波が流れ込んできた。間髪入れず、ウィンドウに新聞記事が表示される。大きな優勝トロフィーを持つ青年の顔は、ロックオンと瓜二つである。
彼は双子の弟がいたと言っていた。しかも、新聞記事の時期からして、ソレスタルビーイングの構成員として行動していた頃のものだから、この青年はロックオンではない。
じゃあ、この青年がライル・ディランディ――ロックオンの双子の弟で、エイミーの兄なのか。
『ときに若造』
『なんでしょう?』
『ニール・ディランディやエイミー・ディランディに関すること、ソレスタルビーイングのクルーには喋んないでね』
そう言ったベルフトゥーロの声は、どこまでも真剣だった。しかし、彼女の顔は茶目っ気のある笑みを浮かべている。青い瞳は悪戯っぽく細められた。
この4年間、クーゴは彼女と話をしてきた。その経験則が、「彼女はロクなことを考えていない」と告げている。クーゴは思わず眉間に皺を寄せたが、ベルフトゥーロは何も言わなかった。
ベルフトゥーロを問い詰めるのをやめたのと同じタイミングで、ガンダムたちが明後日の方向へと飛び立っていく。まずは青い機体が、次に紫の機体が、その次に橙色の機体が、虹の彼方へと飛び退る。
そこから一歩遅れて、カタロンの輸送船が動き出したのを見届けた緑色の機体が最後尾についた。ソレスタルビーイングは撤退することを選んだらしい。
クーゴ/はやぶさはイデア/スターゲイザー-アルマロスの方へと視線を向けた。顔を見合わせ、頷く。2機のカメラアイが陽光を反射し煌めいた。
「全速力で振り切るぞ、はやぶさ」
空中で可変し、飛行形態となったはやぶさが空へと飛び立つ。それに続いて、スターゲイザー-アルマロスが飛んだ。
ジンクスたちは追ってこない。追いすがろうとした機体もいくつかあったが、動きを止めた。ややあって、彼らは施設の方へと戻っていく。
この場を取り纏めていた指揮官は、ソレスタルビーイングを追うことよりも施設の安全を取ったらしい。模範的な軍人の判断だ。
「アロウズの指揮官の中には、武功を上げようとして無茶苦茶なことをする人もいると聞きます。……今回の作戦担当者には感謝しないと」
どこか安堵したようなイデアの声には実感がこもっているように思う。そういえば「カタロンに対する治安維持行為にも、指揮官の良心や良識および常識がしっかり反映されている」とベルフトゥーロが言っていたことを思い出した。
指揮官、という言葉に浮かんだのは、部隊を率いていたグラハムの背中だった。彼の性格や要求には幾度となく振り回されたが、指揮は常に良心的で的確だった。……ただ、「彼が成してしまうことが周囲にとって想定外なこと」が多いのが玉に傷だったが。
今、グラハム――ミスター・ブシドーは、ライセンサーという特殊な地位についているという。表向きは、「指揮官や任務に束縛されることなく、自由に動き回る遊撃役」だそうだ。戦果を見るに、彼は一騎当千型のワンマンアーミーとなっているらしい。
アプロディアが入手したデータを見るに、「問題行動が多い」「自由にしすぎだ」「ライセンサーの地位を剥奪すべき」という評価がちらほら見られたのが、ちょっとばかし気がかりである。閑話休題。
ガンダムたちは次々と海の中へ身を沈めた。ド派手な水しぶきが上がる。そういえば、タリビア紛争のとき、ガンダムエクシアが海中に潜ることで戦線から離脱していたか。
ESP-Psyonドライヴとサイオン波を使えば、はやぶさも海中に潜ることは可能だ。シミュレーターでは何度も繰り返したが、実践するのは今回が初めてである。
「大丈夫ですよ。何かあったら、私もお手伝いしますから」
イデアがふわりと微笑み返した。彼女の笑顔を見ていると、不思議と大丈夫な気がする。
「ありがとう。キミがいるなら大丈夫だな」
クーゴもイデアへ笑い返し、操縦桿を握り締めた。集中する。身体とはやぶさが青い光に包まれ、粒子の色が黄色から翡翠色に変わった。そのまま、はやぶさは着水。のちに潜水へと移行した。ドライヴの出力も安定しているし、問題は無い。
ふと見れば、スターゲイザー-アルマロスも潜水を終えていた。はやぶさと並ぶようにして、天女は水中を泳いでいる。イデアも無事で何よりだ。通信を開けば、嬉しそうに笑うイデアの顔が映し出される。釣られてクーゴも微笑んだ。
『2人とも』
『はい』
『なんですか?』
『プトレマイオスへの着艦許可もぎ取るまで、随伴し続けて。――なるべく早く済ませたいし』
何やら不穏な響きを宿した思念が流れてきた。ベルフトゥーロが悪い笑みを浮かべている姿が『視えた』ような気がする。刹那、背中に凄まじい悪寒が駆け抜けた。
嫌な予感がする。確実に、ベルフトゥーロは何かをする気だ。悪意に満ちた行動をするつもりだ。ソレスタルビーイングのクルーに、研ぎ澄ました牙を立てようとしている。
『グラン・マ! みんなに変なことはしないで!! お願いですから――っ』
血相変えてイデアが叫ぶが、ベルフトゥーロは答えない。
刹那、頭の中に直接映像が流れ込んできた。プトレマイオス内のどこかの部屋、だろうか。簡素なつくりの部屋の椅子に、ベルフトゥーロは拘束されている。
彼女の前には、刹那やプトレマイオスのクルーと思しき男性が数名、怪訝な顔をして立っていた。彼らの表情は、捕虜に尋問するそれである。剣呑な眼差しが突き刺さる。
『――答えてくれ。あんたとイデアは、どんな関係なんだ?』
刹那の問いかけに、ベルフトゥーロは鼻で笑った。その態度に腹を立てたのは、紫色の髪で眼鏡をした青年である。
『答えろ。貴様は彼女の何なんだ!?』
彼は強い調子でベルフトゥーロを問い詰める。暴力や薬物に訴えようとしないだけ良心的なのかもしれなかった。
他の男性たちも口々に彼女に問いかけるが、ベルフトゥーロは不敵な笑みを崩さない。
『ふふ、ふ、ふふふっ。――はは、あっはははははははははは!!』
終いには、盛大に大爆笑し始めた。ベルフトゥーロに尋問していた面々が凍り付く。異様な対応に、どう反応すればいいのかわからなくなったためだ。
『キミたち、自分たちが『尋問する側』だと思ってるようだね』
ベルフトゥーロはひいひい笑いながら、そう言った。何を言っているんだ、と言いたげな眼差しが、四方八方から突き刺さる。
しかし、クーゴは『わかって』いた。研ぎ澄まされた牙が、鈍い光を放っていることを。狩られることを知らぬ獲物たちは無防備にしていた。
――そして、牙は突き立てられる。
次の瞬間、尋問していた面々が崩れ落ちるように膝をついた。刹那や男性たちは呻きながら『何か』に対して抵抗するが、圧力に耐え切れず床に倒れこんでしまう。体を起こすことすらできないらしい。
ベルフトゥーロの体が青く発光している。彼女のサイオン波によって発生した超重力が、刹那たちを床に縫い付けているのだ。骨が軋むような音が耳を掠める。ベルフトゥーロの青い瞳がぎらついた。
そこにいるのは獣である。嘗て、人類軍の戦艦を屠った“ナスカの子”。生身での戦闘は久しいと笑っていたベルフトゥーロの姿からは似ても似つかない。クーゴが息を飲むのと、ベルフトゥーロが鋭い笑みを浮かべたのは、同時だった。
『――『尋問される』のは、テメェらの方だ』
クーゴ・ハガネ、只今、明日を探して迷走中。