一ヶ月が過ぎた。
さて今までのここでの生活が幸福か不幸か決めるのは個人の価値観によるものが大きいと思う。
赤子のように満足に動かない体のこと。
まともに箸さえもてない手に、錘をつけたかのように重たい手足。
壁に手を突き、つかみ立ちでなんとか歩むことがギリギリできる脚。
ジェスチャーでしか伝わらない会話。
未だに影も形も現れないこの体の両親兄弟。
屋敷の敷地から軟禁されたかのように出してもらえない状態。
単純にこの結果だけを見るなら不幸だと言える。
しかし、だ。
全体の結果を加味して見回すのならどうだ。
持てないナイフとフォークの代わりに世の全ての男性憧れのメイドさんによるアーンでの食事。
歩けない代わりのお姫様抱っこだけど、巨乳と言っていいメイドさん達に抱きしめられ抱き上げられるこの体。
仕事をしないでもいいこの穏やかな時間。
外を気にすれば散歩と称して美しい庭園を散策できる。
若干恥ずかしいが、巨大な浴槽での全身の丸洗い。
美人の侍女たちと、キャッキャッウフフ、とまでは言わないが、優しく穏やかなトロトロの時間。
侍女たちとの甘い触れ合い。
はっきり言っていい?
勝ち組すぎないかな?
正直言ってこのままの生活が続くなら、ファンタジー的チートとか要らないと思うんだ。
言葉も覚える必要もな・・・くは無いけど、必死さが必要だとは思えないのだ。
そう・・・思っていた時期もあった。
神がいるとするならばきっとクソッタレないじわるさんなんだと思う。
それはある日の夜。
唐突に振動が部屋を包んだ。
「・・・あい?」
意識が覚醒する。
カーテンが揺らされ月明かりが僅かに差し込む暗い部屋で目を覚ました。
ズズンッ・・・。
再度の遠い振動。
何事だろうか。
地震にしては様子が違う。
「(・・・鹿角さん?三河さん?武蔵さん?)」
不安から声も震える。
布団に潜ったまま侍女たちを呼ぶ。しかし返事はない。
普段であればこんな声だけでも誰かが飛んでくるというのに。
しかたなく用事があれば鳴らすようにと渡された、ベッドわきの鈴を取り鳴らす。
これを鳴らせばすぐに誰かが来てくれるはずだった。
だが。
ズズンッ!三度目の振動。
屋敷全体が揺れるほどの振動に心臓が縮み上がる。
鈴が零れ落ちた。
まともに掴めない手から鈴がこぼれ落ちてしまった。
しかし、床に転がり楕円軌道を描く鈴は鈍いながらも音は確かに鳴った。
でも、それでも待てども誰も来ない。
何かあった?
不安が胸を締め付ける。
よほどのことが起こっているらしい。
俺は確認のため部屋を出ることにした。
そういえばこの時間に部屋を出るのは初めてだった。
いや、まともに一人で外に出るのが初めてである。
不安と僅かな冒険心で体を動かす。
明かりは窓から斜めに絨毯に突き刺さる月の明かりだけ。
そこから見える風景に異常は見られなかった。
しかし、振動はさらに増えていた。
それに声も聞こえる。
侍女達の声じゃない、明らかに男の声だ。
ここで過ごしていて初めて聞く男性の声、それも一つではない幾つもの声。
しかも・・・怒声。
身が締まる。
俺の嫌いな声だ。
鹿角さん達に何かあったに違いない。
俺が急ぐことのできる全力で廊下を進み、階段をノロノロと這いずり落ちていく。
なんとか到着した一階の玄関広間。
ここが、この玄関の扉の先が振動と怒声とそれ以外のわけのわからないさまざまな音の境界線。
恐怖・・・これを開けて見てしまったら、今までの穏やかな日常が壊れるんじゃないかと思う恐怖が・・・手を震えさせる。
しかし、確認しなければ始まらない。
ほんの僅かな覚悟と気合を入れて俺は玄関の扉を開いた。
開けてしまった。
「主様!?」
「***、*********!!」
(死ね、メイドども!!)
「****!」
(賞金は頂きだ!!)
「***********」
(主を守りなさい)
「Jud.」
え、・・・・思考の空白。
扉から顔を僅かに覗かせた瞳に映ったそれは、そこは戦場だった。
俺の知らない、戦いの場がそこにはあった。
あの穏やかな時間は今このとき終わりを告げた。
侍女達が舞う。
爆炎が舞う。
鉄の塊が舞う。
剣と刀と刃と短剣と牙と爪と斧と角と、この世すべての尖った何か達が交差し火花を散らしては弾きちぎれ舞う。
これはなんなのか?
なんなんだこれは!?
ドカンッ!
「ひぃ!?」
飛んできた黒い何かがドアへとぶち当たった。
視線が誘導される。視てはいけない!
理性の警告もむなしく視界に映ってしまったそれは・・・それは人間の腕だった。
黑い血をまき散らしながら跳ねるそれは五指が確実にある人間の腕であった。
断面からは・・・赤い・・・。
「あああああ・・・」
視界が理解を促していく、周りには、砕かれた人間であった物、赤黒い肉片。
美しかった庭園が黒く焼け焦げ、穴が穿たれ吹き飛んでいく。
今まで見たことのない長髪のメイドが剣を、刃を月明かりに煌めかせながら水平に振り抜く。
飛び散る血煙が人間を、化け物に変身したカニの鋏を持つ人間を切断。
黒い血を夜空に閃きながら尾を引いて跳ねる。
「あああああああああああ・・・」
爆発。
武蔵さんが剣から蒼い光を放つと炎が巻き上がり焔となった塊は爆風を伴って全周を破片で埋め尽くし花壇を焼く。
黒い鎧をまとった巨大な槍を持った人間であろう影が、そのなかでも突進をやめず突き進み、槍を振り抜き侍女に襲いかかるが両手に短剣を構えたツインテールのメイドが低く跳躍、槍を寸前でかわし、剣で打ち下ろす。
そして返す刃で・・・股間から腹、胸を切り裂き首すら分割する。
炎に照らされた、白い骨と臓物が・・・。
「おげぇぇえええ!!!!!」
吐いた。
体をクの字に折り曲げ吐いた。
見えたのだ。
この薄暗い空間、いや、爆炎と不思議なほど明るい月光の明かりで照らされたぐちゃぐちゃな内臓と白い紅い断片をくっつけた骨が裂けていくところを。
「**********!」
「主様」
涙が溢れだす、曇った視界の中、眼の前に鹿角がいた。
「(鹿角ぉ!鹿角ぉ!)」
思わず飛びつく。
彼女が無事であることを喜びそして、早くこの異常から抜け出したかった。
「主様。*******」
抱きしめられカシュンと空気の圧搾音が聞こえる。
さらにもう一度。カシュンと音が鳴る。
彼女の巨大な鹿の角を思わせる簪から薬莢が二つ零れ落ちる。
そして視界の端、彼女の遥か向こうにいるコートの男が剣を掲げ青い光を放ち何かを飛ばしてくるのが見えた。
が、
「********」
鹿角さんが手を振るうと飛んできた鋼色の何か・・・いやそのまま巨大な鋼の針は急速に止まる。
勢い不自然に落としたそれは垂直に地面に叩きつけるように落下した。
「************、**********」
(お部屋にお戻りください、ここは危険です)
不思議と急速に落ち着いていくのがわかる、きっと彼女に会えたからだろう。
しかし、この状態をどうにかしないと!
「(鹿角ぉ!!鹿角ぉぉ!!)」
しかし、混乱しきった頭は、言葉は、理性では語れず、ただ名前を呼ぶしか出来ない、言葉が話せないのが恨めしい、なにも伝えられない!
「Jud.***********、*************」
しかし、彼女は了承と言ってくれた。その言葉だけで全てが伝わったような気がした。
そばにはいつの間にか三河さんもいた、鹿角さんは俺を優しく、けれど押し付けるように三河さんに預けると着物の袖をはためかせ一気に戦場のど真ん中に駆けだした。
彼女が手を背後に回すと。
「『重圧連魔刀(プレデビード)』」
ガシュンと彼女の頭にある巨大な簪から薬莢が排出され、地面が捲れ巨大な黒い塊が姿を現した。
数は四、まるで彼女の背に生えた黒いトンボの翅のような巨大な両刃の刃が浮かぶ。
「*********、******」
(主の平穏を揺るがす者たち、消えなさい)
何かを告げて鹿角さんは右腕を振るう、それに追随する二枚の黒い羽根が暴風となって戦場を襲う。
鹿角さんにとびかかってきた黄色い獣!?巨大な四肢をもつトラのような生き物、鋭い牙を持った生き物が飛びかかるが、鹿角さんが手を振るうと操られた黒い刃が跳ね上がり獣は両断される。
一瞬の抵抗もなく腸をぶちまけてトラが三枚に下ろされる
続いて庭園の柱の上から跳躍して一気に急降下を仕掛けてきた歯車の見える機械仕掛けの剣士の攻撃を左手だけで軽く振るうように跳ねのけ、弾き飛ばし、突き出された漆黒の刃が鎧もなんのそのと、パンを切り裂くがごとく串刺しにした。
圧倒的だった。
「******」
(お部屋にお戻りを)
三河さんがなにかを言った。
しかし、頭に入らない・・・。
俺は戦場を見つめ何かを・・・重要な何かに気が付こうとしている。
剣が、青く光る。きらりと光る薬莢。爆炎に、残酷な・・・そうこれは・・・。
答えが出ようとした瞬間・・・
三河さんが千切れた。
「え」
三河さんの体が血が溢れ顔に何かがかかってだからどうして三河さん?
俺を抱きしめようとした体に彼女の上半身が押し潰されて視界に彼女のエプロンのついた下半身・・・。
「あああ・・・あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!」
止血!止血しないと!布が手が汚れそんなのどうでもいい布で抑えて汚い死なない様に病院、助け嫌だ誰か!
僕は三河さんの下からはい出ると小さくなった三河さんを・・・必死にお腹を、彼女の内臓を手で押し当てて押し込んでぐちゃりと濡れるのを我慢して助けるように。
必死で頭の中を検索する、助けるためにどうすればいいのか。
視界が歪む、そんな時影が自分を覆った。
「*********!」
(ガキをみつけたぜ!)
見上げた先には、血にぬれた斧を持った鎧の男。
血が垂れた斧を持った男が斧を振り上げ俺に向けて振り下ろしてきた。
涙で歪んだ視界に白いきらりと光る刃が俺の体を切り裂こうと。
嫌だ・・・。
死にたくない・・・。
死にたくない・・・。
嫌だ・・・。
死にたくない!
嫌だ!!!
・・・・。
・・・・。
侍女共通記憶領域に強制アクセス。
咒力強制連結。
置換物質多重使用。
咒式超高速展開。
重力質量系第七階位『超轟重力崩黒孔濤(べー・ホー・ブー・モー)』発動
・・・・・・。
黒い黒い穴だけが視界に映る・・・。
・・・・・。
・・・・・。
気が付いたら全て終わっていた。
朝焼けに照らされた中で。
侍女達に見守られながら。
僕は三河さんを抱きしめて泣いていた。
ただ泣くことしかできず。抱きしめ続けた。
屋敷の半分を丸く抉り取った廃墟の傍で。
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自動人形は会話する。
それはこのひと月で活発化していった。
多くの望む声、多くの警戒の声。それでも望むものが多くあった。
それゆえに決断を下すべきだと鹿角は判断していた。
主が主であることの証をたてるために、自動人形たちにとって幸いの道を歩むために、
本当に結果が正しいのか。
そのために。
一つの依頼を出した。
一つの犠牲者を選定した。
その結果はご覧のとおり。
自動人形は会話する。
自分たちの望む結果を引き出すために最善の結果を導くために。
自動人形は会話する。
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オリジナル咒式(1)
重力力場系第四階位『重圧連魔刀(プレデビード)』
強力な重力で周囲の物体を超圧縮し刃の状態に加工、操作する咒式。
鹿角の得意咒式。同時に四つまで並列起動出来る。圧縮密度によっては特殊合金すら切断できる刃を生成できる。だがぶっちゃけそのまま敵を圧縮した方が攻撃力は高いんじゃないかと作者は考えている。
オリジナル咒式(2)
重力質量系第七階位『超轟重力崩黒孔濤(べー・ホー・ブー・モー)』
極めて高密度かつ大質量を生成し、強い重力を発生させる。単純にいえばブラックホールを生成する。野郎一人殺すにはもったいなすぎる咒式。
今回は暴発に近い、なぜつかえたのか現在作者でも不明。