氷を詰め込んだビールジョッキが卓上にどんっ、と置かれた。
両側から湯気を放つ濃い琥珀色と乳白色、2種類の液体が注がれる。杯が満ちたところでカクテル用マドラーが差し入れられ、溶けて小さくなる氷やグラスとぶつかりながらカラカラと回転、攪拌。やがて蜂蜜色に輝く液体が生み出された。
汗をかくジョッキの持ち手をがしっと掴み、その内容を一気に咽喉の奥へと流し込む。
「ぷはぁっ!!五臓六腑に沁みるデース!!」
ものの数秒で1L近い出来たてのアイスミルクティーを飲み干した金剛は、満足そうに嘆息した。
「金剛姉様……あまりお茶ばかり摂られては、その、はばかりが近く……」
「こんな状況下ではまず紅茶、飲まずにはいられないネ。それに金剛型のballast tank容量は伊達じゃないデース。加えて海上は全域これbathroomみたいなもの。全く榛名は心配性ネ!!」
Hahaha!!とアメリカンに笑う金剛。あんた本当に英国生まれなのか?
「比叡、今度から金剛の紅茶は全部レモンティーにしてやるのです。霧島、新品の尿瓶を用意するので、次からはそれをジョッキ代わりに使うのです」
「ひえ~」
「ふむ、それは面白い余興ですね」
電の提案にマドラーを持ったままあたふたする、金剛と同じ巫女服を着た茶髪ショートカットの金剛型2番艦『比叡』と、紅潮した頬に嗜虐的な笑みを浮かべて眼鏡をくいっと直すボブカットの金剛型4番艦『霧島』。
「比叡―――やったら私の秘書艦fireネ!!」
「ひえ~!!お姉様見捨てないでぇー!!」
「霧島も、冗談に悪乗りしないで」
「ふふっ」
西村提督と扶桑、山城を発見する4日前のラバウル基地、提督執務室兼作戦本部。
突如開かれた緊急作戦会議の重苦しい空気の中、4人寄ればさらに姦しい金剛姉妹の声が響いた。
「ま~あたしも自棄紅茶ならぬ自棄酒なら付き合いたい気分だしな~」
「今は作戦会議中よ……」
部屋の中央に置かれた巨大な作戦テーブル、そこに座った飛鷹の後ろに立つ秘書艦の隼鷹が、卓上の海域図、一度は青に塗り替えたところまで真っ赤に塗り返されたそれを見ながらぼやいた。どうやら今日の彼女は素面らしい。
現在ここにいるのは哨戒任務と作戦行動中の愛宕、五十鈴、伊58を除く5人の司令艦。そして正体を明かして協力を得ている秘書艦4人の計9人が集まっている。
電と雷、金剛と比叡、榛名と霧島、そして飛鷹と隼鷹。秘書艦がいないのは自分だけだ。
自分が駆逐艦の場合、秘書艦を設定するメリットはあまり無いのです、と電は教えてくれた。対して戦艦や空母のように戦闘の要になる存在の場合、自分が入渠している間大きく戦力が減退する。それを補う意味で自分と同じ艦種、さらに言えば姉妹艦を秘書にすることは、艦隊を運営する上で大きなメリットになる。
それはそれとして駆逐艦であっても、秘密を明かした上で自分がコントロールできるのであれば、艦娘の誰かを秘書艦にするのもアリなのです、というのが電の持論らしい。実際電は雷を秘書艦にした上で、さらに正体を呉鎮守府の全員に明かしている。だが自分が出会った雷、陽炎、不知火は、電の秘密について一言も漏らしていない。それが電への信頼からか、恐怖政治の賜物かは分からないが。そういえば以前深雪は呉から来た、と言っていたが、彼女が司令艦の存在に気付いている様子は無い。深雪は呉でどういう立ち位置だったのか、少し気になる。
現実的には金剛、榛名、飛鷹のように、秘書艦だけに正体を明かすのが安全なのだろう。
「まさかブイン基地を占領していた泊地棲姫が、劣勢を悟ってショートランド泊地に宿替えするなんて―――」
全くもって前代未聞なのです、と自分の分のアイスティーをストローですする電。
「まるでやどかりね」
上手いことを言ったつもりらしく、何やら得意げな電の姉、雷。
ニューギニア島東にあるニューブリテン島北端のラバウル基地。そこから南東に約400km進めば山本五十六の乗った飛行機が撃墜されたことで有名なブーゲンビル島がある。
そのブーゲンビル島南端のブイン基地は、50kmも離れていないショートランド泊地と共に大日本帝国の最南端かつ最東端。最も米国本土に近く、それゆえ最も危険な前線基地でもあった。
提督会があった日の深夜、新たなE領域の発生が提督機より告げられた。翌朝それを知った自分は朝食中に絶句、思わず箸を取り落してしまった。
視界に表示される艦これ画面、E領域で赤く染まった海域図。その中心にあったのは帝国海軍所属のはずの『ブイン基地』。
味のしなくなった目玉焼きとベーコンを口の中に放り込み、皆にはトイレに行くと断って中座。すぐさま人目を避けて提督執務室に入り、携帯電話で電に連絡を取った。
「つまり基地が敵に乗っ取られた、ということなのです」
だが電話口からは意外にも、驚いていない風な電の言葉が返ってきた。
もうすぐ大本営発表があるはずですが、と続ける。
「実は飛鷹がラバウルに来る前、ラバウル基地が同じ状況に陥ったことがあったのです」
詳しく聞いてみると、司令艦に情報が来るのは特務提督で支えきれなくなった状態、言い換えれば絶望的な戦況になってからでないと出動がかからないのだという。
秘密兵器として温存されているためか、戦績を上げて発言力を持たせないためか……。
しかし情報が開示されてからの電の動きは早かった。
皆に連絡を取り、ブイン基地に最も近い飛鷹のラバウル基地を作戦基地に指定。
戦争です、ありったけの戦力を掻き集めるのです、との彼女の号令に、各地の鎮守府、基地、泊地、警備府から司令艦率いる主力艦隊が南洋ラバウルに続々と集結。
一週間足らずで観艦式ができるくらいの、40隻を超える艦娘が基地にひしめく状態になった。
すぐさま司令艦と秘書艦を集めた作戦会議が行われ、
逐次投入なんてまどろっこしいことやってるから負けるのです!!
我らが連合艦隊の全力で以てこれを殲滅するのです!!と電が檄を飛ばすと、執務室が歓声に満ちる。
艦隊指揮官として電をラバウル基地に残し、
主力第一艦隊は金剛を旗艦とし、以下『比叡』『蒼龍』『千歳』『球磨』『北上』。
主力第二艦隊は榛名を旗艦とし、以下『霧島』『飛龍』『千代田』『多摩』『大井』。
主力第三艦隊は飛鷹を旗艦とし、以下『陸奥』『隼鷹』『加古』『古鷹』『木曽』。
露払い、哨戒、補充戦力として愛宕、五十鈴が各6隻を指揮し適時参戦。伊58は同じ伊号潜水艦隊を引き連れて遊撃に。そして自分は初めての大規模海戦任務ということで、愛宕や五十鈴と共にバックアップで動くこととなった。
敵勢力圏に進出した主力艦隊はE領域で真っ赤になった海を、まるで無人の荒野を往くがごとく前進し、毎日敵領域を刈り取り、海域図を青に塗り直していく。
当然だ。
超弩級戦艦5隻、正規空母2隻、軽空母4隻、重巡2隻、雷巡3隻、軽巡2隻。
いわば計18隻の大艦隊で一塊になってゲームのE海域を進んでいくようなもの。
しかも周囲からは支援の砲撃、爆撃、雷撃が毎回飛んでくるうえに、進路上障害になる敵艦は自動的に処理される。
敵駆逐艦、軽巡、雷巡、軽空母は降り注ぐ砲撃の雨に射抜かれて次々と沈み、そもそも潜水艦は無数の爆雷で頭を押さえられて浮かんでこれない。輸送ワ級は姿さえ見えず、空母ヲ級の艦載機は接近前に全機撃墜されヲ級は丸裸。弾雨に耐えた重巡リ級や戦艦ル級、タ級は艦隊の前に現れた時点で穴だらけ大破状態のため、ろくな抵抗も出来ずに次々と仕留められていく。
鎮守府同士で意思の疎通が図れ、上層部の介入も無く、なおかつ自分が先頭に立って直接艦隊の編成、指揮を取れる司令艦だからこそできる芸当。
大戦中と違って他の鎮守府海域が襲われないと分かっているから戦力の集中運用も可能になるのだけれども、これは正にチートの一言に尽きる。
もっとも手薄なところを襲われたとしても、実際の艦艇と違い飛行機で飛んで行ける艦娘に死角は無い。さっと駆けつけ、返す刀で切り捨てれば良いのだから。しかもそれさえ呉に残った電の仲間たちが引き受けてくれるため、自分たちは海域攻略に専念できる。
巨大なローラーが草木や虫を圧殺しながらじりじりと進むように、電指揮する司令艦隊はゆっくりと、時に大胆に、確実に南洋における勢力図を塗り替えて行った。
そしてブイン基地手前まで戦線を押し返し、迎撃に出た泊地棲鬼を撃破。その追加装甲を破壊し、あと少しで海域ボス泊地棲姫を討伐できる、というタイミングで異常事態が起きた。
当初真っ赤に塗りつぶされていた海域図で、唯一ぽつんと残されていた青い点、ショートランド泊地。特務提督が管理するこの泊地は、ブイン基地陥落後ひたすら引き籠り専守防衛に努めることで、四面楚歌の状況の中かろうじて生き残っていた。
しかし司令艦隊がブイン基地に最終攻撃を仕掛ける前夜。
周辺警戒をしていたにも関わらず、泊地棲姫は闇に紛れて警戒線を突破。そのまま残存勢力と共にショートランド泊地へ襲撃を仕掛けた。
ここに至り、司令艦と特務提督の間で情報交換がなされていなかったことが仇になる。
そもそも司令艦には本人の知らぬところで行動にフィルターがかけられており、軍務、つまり軍令部を通したものでなければ、司令艦同士でも携帯電話でしか連絡の取りようが無い。さらに特務提督に対しては干渉する術を全く持たない。
ブイン基地への侵攻、奪還作戦に先立ち、電は自分で作成した意見書と陳述書でショートランド泊地への情報連携を呼びかけているが、反応は梨のつぶて。どうやら上層部に握りつぶされてしまったらしい。
そしてショートランド泊地への敵襲来。
彼らも日々帝国海軍の軍事戦術ネットワークにアップロードされる海域勢力図の変化を見て、油断していたのかもしれない。泊地は一夜にして陥落。赴任していた特務提督と所属艦娘たちは消息不明となった。
間抜けな話だがその翌日、司令艦隊は予定通り無人のブイン基地に最終決戦を仕掛けている。
敵影の少なさに疑問は残ったが、ゼロではなかったため攻撃を敢行。かつての海軍施設だった陸上構造物含め、無数の砲弾と爆弾が海と大地を舐めるようにして焼き尽くした。
勝利を確信し艦隊がラバウル基地に帰投した、そのタイミングでショートランド泊地での戦闘と、その結果が司令艦たちに伝えられた。
状況確認のため補給も半ばに、五十鈴と愛宕がとんぼ返りでショートランド泊地に向けて出港。軍令部からの情報が正しく、また制圧したはずの海域で深海棲艦が出没しはじめている、との報告が上がってきたので、今まさに海域図を赤く塗り直したところだ。
ショートランド泊地はショートランド島の南端部分とマガセーアイ島、ポッポーラン島で囲まれた3角形、ちょうど女性の子宮と卵管みたいな形をした場所になる。
侵入路が狭く限られているため、ブイン基地でやったように大軍で侵入し押しつぶすのは難しい。
「――――だったら閉塞作戦を行うのです」
小さな唇でストローを弄びながら海域図と睨めっこしていた電が口を開いた。
「ゴーヤは制圧したブイン基地の保持を。速度から第一、第二、第三艦隊を2:2:1の割合になるようローテーションを組み、敵泊地に対して主砲による対地、対水上射撃を行うです。狭い場所に誘い込まれての戦闘を避けるため、事前に可能な限り敵戦闘力を奪います。五十鈴と愛宕は交代で、哨戒と主力艦隊不在の間の海域閉塞を頼むのです。朝潮はこれまで通り哨戒と警備任務を主に。特に問題無いようであれば時々五十鈴、愛宕と交代してもらいます」
皆、あと少しなのです。最後まで頑張るのです!!と激励する電。
だが、連日昼夜を問わず働き通しで一番憔悴しきっているのが彼女であることは、誰の目にも明らかだった。
「扶桑さん、大丈夫なのかな~」
食堂のラバウルランチについてきたマンゴーアイス、半分溶けかけたそれをスプーンで突っつきながら五月雨が呟く。
西村提督と負傷した扶桑、山城を回収してから既に二日が経過していた。
右腕を失い、さらに出血多量で内臓に異常をきたしていた扶桑は、輸血を受けながらすぐに医療用に設備改造された二式大艇に乗り換え内地へ後方搬送。衰弱してはいるが目立った傷の無い西村と打撲症、肋骨骨折で済んだ山城は、事情聴取のためラバウル基地の医務室で休養しているという。
「う~ん、やっぱり軍務に復帰は無理だと思う……」
「うむ、あの傷では命は助かろうとも除籍は免れんじゃろうな」
「じゃあ解体、ってことですか?」
「そう。まぁ普通の女の子に戻れるわけだから、悪い話でもないと思うけど」
阿武隈と利根は可哀そうだけど仕方ない、というスタンスらしい。わざとかどうかは分からないが、我関せず、といったふうに食後の日本茶をすすっている。
……少し攻めてみるか?
「普通の女の子に戻っても、艦娘についてや軍の編成についての記憶が残っている場合はどうなるんでしょうね……」
スパイに狙われたりするかもしれないから、ちょっと怖いな、と誰に言うとでもなく口にする。
「大丈夫だ。艦娘としての名前を剥された時点で、軍務中の記憶は全部無くなっ……」
「わ~っ!!利根さんわ~っ!!それにしても格好良い飛行甲板ですよね、利根さんの!!あたし、もっと良く見てみたいな~!!」
突然阿武隈が立ち上がって素っ頓狂な声を上げた。食堂の視線が彼女に集中する。
「おお、阿武隈!!お主も飛行甲板の良さに気付いたか!!そういえば軽巡も水偵を搭載できるのだったな。もし良ければ今夜にでも吾輩と一緒に……」
「ま、また今度でお願いしますぅ!!」
全力で断った後、たはは、と愛想笑いを浮かべながら椅子に座り直す。しかしその後も彼女は落ち着き無さそうに、びくっ、びくっ、としながら時折利根の方を警戒しているのが分かった。
やはり提督会で榛名が言っていた通り、退役に際して艦娘は記憶を奪われるらしい。そしてその事実は、軽巡以下の艦娘には知らされていない。
なら戦艦の扶桑はどうなのだろう。
西村提督とケッコンカッコカリまでしていて、退役すれば記憶を全て失ってしまうと分かっていて、それでも戦場に向かった彼女は一体どんな気持ちだったのか。
「あのさ――――昼飯食べ終わったら提督見に行かね~か?」
深雪が唐突に言い出した。
さっきまでラバウル銘菓『り陸奥たか』―――銘菓『ひ○こ』に戦艦陸奥の顔とカタツムリの殻を付けた不気味な謎菓子―――の背中の殻を壊さずに外そうと黙々作業をしていたのだが、ついに飽きたのかぽいっ、と一匹丸ごと口の中に放り込み、むっしゃむっしゃと咀嚼する。
「提督っていっても飛鷹さんに聞いたら、横鎮と一緒で姿を見た人は誰もいないんだって」
そう言いながら本当は飛鷹がラバウルの提督なのだけれども、と心の中で補足する。
「ちげーよ。深雪たちが拾ってきた提督のことだよ」
利根から譲り受けた二匹目の『り陸奥たか』に手を伸ばす深雪。
「西村提督?」
「ああ。アイツ何だっけ、ケッコンコッコカリ?とかいうのやってただろ?」
あれってどんな感じなのか、その、ちょっと、知りたくてよ……と口ごもりながら顔を赤らめる。
意外と深雪にも乙女なところもあるんだな、と少し驚いた。
そして照れ隠しに『り陸奥たか』の髪の毛を引っこ抜くのは止めて差し上げなさい。第三砲塔が爆発しても知らないぞ。
「それ、あたしも知りたいです!!ケッコンカッコカリ、興味あります!!」
五月雨が身を乗り出して喰いついてきた。
「阿武隈さん!!いいですよね、あたしたち西村提督にお話聞きに行っても!!」
「ふぁ!?い、いいけど、多分……でも迷惑にならないようにね」
利根さんとあたしは、次の出撃の準備があるから遠慮するね、と阿武隈が続ける。
話題を逸らせて助かったと思ったのか、意外とあっさりOKが出た。そして多分利根はこってり油を搾られた上で口止めされるだろう。合掌。
「よし、じゃあ食べ終わったらすぐに出発するぜ!!」
この菓子、提督に持ってってやろうかな、と言いながら禿げ頭になった『り陸奥たか』と顔を見合わせる。
「深雪ちゃん、行儀が悪いからやめとこう」
怪我人に見せるような代物じゃないし、ね。
ガッシャーン!!
勢いよく倒れた金属製の点滴台がコンクリート打ちっぱなしの病室の床にぶつかり、派手な音を立てた。
「何で分かってくれないんだ、山城!!扶桑に関しては状況修復を陳情するから、大丈夫だって言ってるじゃないか!!」
「それが分かっていない、って言ってるんです!!ああ、姉さまは何でこんなクズのことを……不幸だわ……これ以上ないくらい不幸だわ!!」
ラバウル基地医療棟の奥、西村提督のいる個室の中から怒号と破壊音が響く。幸い他の入院患者はいないのだが、これでは中に入れない。
扉の隙間からちらっと覗くと、白い浴衣みたいな患者着の山城が鬼の形相で花瓶、本、薬箱、枕など、手当たり次第に西村提督に投げつけているのが見えた。あの違法建築な艤装が無ければ正直誰だか分からない。しかも肋骨骨折だと聞いていたのに元気だな。
対する提督は防戦一方。何やら言い訳をしているみたいだが、それがますます山城の怒りに油を注いでいるようだ。いつもなら扶桑が仲裁に入るのだろうけれども、残念ながら彼女はここにはいない。
「頼むから理由を言ってくれ、山城!!状況修復を頼めば扶桑も元気な姿で戻って来るんだぞ!!」
「元気な姿って――――そんなの、そんな人、私の扶桑姉さまじゃない!!」
「元気の何が悪い!!」
一々会話がかみ合っていない二人だ。それに論点がどんどんずれている気がする。
ポジティブな扶桑は確かに扶桑じゃないけど、山城が言いたいのはそういう意味ではないみたいにも思える。
「すげえな、あいつら」
「うわ~、もしかして痴話喧嘩ですか?義妹と不倫なんですか?」
呆れ顔の深雪と、何やら妄想を膨らませて目を輝かせる五月雨。こんな子だったっけ?
「全く、二人とも病人の癖に騒がしいのです」
後ろから聞き覚えのある少女の声がした。
「いぃぃっ電、何でここに!!」
「西村に用事があるからに決まっているのです。言わずとも察して欲しいのです」
目の下に隈を作り、連日の疲労で可愛い電を演出する余裕も無くなった電が、三白眼で深雪を睨みつける。ってか既に西村提督のことも呼び捨てだし。
「それにしても、中には嵐が吹き荒れていますね。どうしましょう……」
電の横に立つ長い黒髪の巫女服の女性、榛名が五月雨の頭越しに感想を述べた。二人とも小脇に書類の束を抱えている。事務がらみなのだろうか。
「任せるのです。今日の電はラッキーなのです……深雪!!」
「はっははははははひぃぃぃっっ!!」
がたがた震えてその場から逃げ出そうとしていた深雪を一喝。動きがびくっと止まった。
「お願いするのです。電が提督とお話している間、五月雨と一緒に最低一時間くらい、山城を連れ出してお茶か散歩でもしてくるのです」
「でっででででもっ山城が素直に言うこと聞くわけ……」
ふぅ、と首を振りながらため息をついた電は、怯える深雪の耳元にゆっくり口を近づけると、魔法の言葉を囁いた。
「はわわわわ、止まらないのです!!回避して下さい、なのです!!」
ぎにゃー!!
途端、深雪は声にならない悲鳴を上げると同時に、五月雨の腕を掴んで一緒に病室に飛び込んだ。
「山城っ、今すぐ深雪と一緒に来てくれ!!な、な、な!!」
「ええっ、何なのよいきなり。私はこのクズに話が……」
「いいから、頼むよ山城!!深雪を助けてくれよ!!見捨てないでくれよおおおぉぉ!!」
途中から涙声になった深雪は、目を潤ませ鼻水をすり上げながら山城の袖に取り付いて懇願する。
しばらく振りほどこうとしていた山城だが、必死な彼女の姿を見て諦めたらしく、素直に五月雨に手を引かれ、泣きじゃくる深雪の手を引きながら病室から出てきた。途中こちらにちらっと視線を投げかけたが、それ以上気にならなかったらしく駆逐艦二人と連れだって食堂の方に歩み去って行く。
「こうやってお願いすると深雪は一発なのです」
「非道い……」
「急ぎの用事なのです。これは緊急避難、なのです」
言い放ち、つかつかと病室に入る電と榛名。
二人に続いて扉をくぐると、病室は山城の怒りによって荒れ放題になっていた。点滴台は倒れ、吸い口はぶちまけられ、色とりどりの錠剤が濡れたシーツの上に散らばっている。
そんな中でベッドの上で苦笑いしている青年、今は白パジャマを着ている西村提督は、予期せぬ来訪者にも動じた様子は無い。が、自分を助けてくれた朝潮の姿を認めると、少し顔をほころばせた。
「初めまして、呉鎮守府の電です。どうかよろしくお願いいたします」
「舞鶴の榛名です。よろしくお願いします」
「横須賀の朝潮です。元気そうで安心しました」
3人並んで敬礼しながら自己紹介。実際西村提督の顔は漂流していた時と違い髭を剃り、血色も良くなっている。年齢は20代前半くらいだろうか。さわやかな笑顔に、いかにも育ちがいいです、という感じのオーラがにじみ出ているような。ダークオーラを漂わせる扶桑とは、いいパートナーなのかもしれない。
「初めまして。朝潮とは二度目だね。自分はショートランド泊地の特務提督、西村だ。自分と、扶桑山城両名の救助、感謝している」
敬礼で返されるかと思ったが、西村はいきなりベッドの上で正座して頭を下げた。
助けられたことが本当にうれしかったのだろう。彼の二人を想う気持ちが伝わってくるような気がした。
「はわわわわ、恐縮なのです!!」
頭を下げ返す電。先ほどとは違い、営業スマイルが眩しい。
「ところで僕に何か用事があるのかい?」
「はい。こちらの西村提督の書いてくださった報告書について、直接確認しておきたかった点がありまして……」
手元の紙束をぺらぺらとめくる榛名。
「6日前、ショートランド泊地で泊地棲姫の攻撃を受けたというのは間違いありませんか?」
「ああ、思い出すのも忌々しい。僕らは16日前、ブイン基地が敵の手に落ち、もはや救援も、そして自分たちの脱出も不可能と判明した時点で、泊地での籠城を決意した。そこで扶桑と話し合い、ショートランド泊地に繋がる3つの通路に機雷をたっぷり仕掛けることで牽制、警報代わりとしていたのだが―――あの日の夜、泊地棲姫は何の前兆も無く突然泊地に現れた」
西村の端正な顔が怒りに歪む。
「機雷は爆発しなかったのですか?」
「一つも爆発しなかった。それなのに僕らが泊地を捨て逃げる時、機雷は思い出したように次々と爆発した」
起爆装置の解除が遅れたせいで、触雷した海軍の船が何隻も失われてしまった。そして僕を守るために扶桑が……悔しそうに唇を噛み締める。
「深海棲艦に通常兵器の効果が低いことは当然ですが、そもそも爆発もしない、というのは変な話なのです。爆薬より起爆装置の不具合というべきか……でもこれまで現れた泊地棲姫にジャミング系の能力があったという報告、電は聞いたことが無いのです」
「榛名もです。泊地棲姫は火力偏重の深海棲艦。浮遊要塞と護衛要塞を引き連れ、泊地を造り出し、集まってきた他の深海棲艦の司令塔として振舞う。人類側の泊地が海上交通を守るのに向いているのと同時に、破壊にも向いていることを勘案すれば、泊地棲姫が我々の泊地を狙って制圧、要塞化することは理屈に合っているのですが……」
『深海棲艦を倒しきるには人間性を持った兵器が必要』
電はそう言っていた。しかし『倒しきる』ためには人間性が必要だが、通常兵器が完全に通じないというわけではない。西村がそうしたように機雷で足止めして、そこに扶桑、山城らが砲撃を加えれば、たとえ相手が泊地棲姫であろうとも撃破は可能になる。泊地への侵入経路が狭く限られているからこそ有効な戦法。しかし彼らの目論見は、機雷が反応しなかったことで瓦解した。
一体何が起きたのか……。
「ではもう一つ、西村提督が泊地を出られてからの話になります。榛名たちはショートランド泊地が泊地棲姫の手に堕ちた翌日から泊地を包囲、泊地に続く通路を全て艦娘により監視、閉塞作戦を行っております。が……」
榛名の顔が険しくなった。
「西村提督が漂流を始めてから3日目の夜、海上を航行する泊地棲姫を見かけた、と報告書にあります。こちらについて誤認の可能性はありませんか?」
「あの日は星明りが綺麗で、夜だと言うのに遠くまで見通せたのを覚えている。既に扶桑は負傷し艤装を放棄、山城のGPSも壊れていたから正確な座標は分からないが、あの長砲身のシルエットは、泊地棲姫に間違いない」
もっとも同じ個体かどうかまでは分からないが、と付け加える。
山城のあのダークオーラ迷彩は深海棲艦相手でも有効なのだろうか。
以前ラバウル基地が占領された、ということから泊地棲姫が複数存在していてもおかしくないが、これまで複数の泊地棲姫が同時に確認された例は無い。だが、
「それが本当だとすれば、閉塞作戦が効いていない、ということですか?」
「ありえないのです。閉塞開始時点の偵察で、泊地内に泊地棲姫の姿は確認済みです。その後も定時偵察で存在を確認しています。しかも泊地に繋がる水路は、艦娘が交代で24時間常に監視しているのです。それこそ小魚一匹逃げ出す隙も無いはず」
横で見ていても、電の立てた閉塞作戦に穴は無いように思える。
ならば目撃されたのは別の個体と考えるのが妥当だが、何かがおかしい。
「これはもう少し情報を集めてみる必要がありそうですね」
「ふぅ。西村提督ありがとうございました、なのです!!」
「いや、僕の方こそ大して助けになれず、すまなかったね」
それでは失礼します、と部屋から出ようとした時、ふと手を振る西村提督の薬指に光る銀色の指輪が目に入った。
艦娘を構成する要素の一つ『船霊』は、太平洋戦争で沈んだ時の司令官、提督と強く結びついている。それは提督が死んだ後でも同じ。
そこに割り込む形で現在の提督と新たな絆を結び、精神と記憶に負担をかけることなく艦としての力を引き出す儀式がケッコンカッコカリ。
負傷した扶桑が解体されるのだとすれば、戦艦扶桑でなくなった彼女の結んだ絆はどこに繋がるのだろうか。
「そういえば、さっき山城さんと何を話していたんですか?」
ふと気になって振り返り、西村に尋ねてみた。
「ああ、大したことじゃないよ。朝潮たちに救助してもらった時、扶桑が大破していただろう?だから軍令部に状況修復を頼もうと思ってる、って話したら、急に怒り出したんだ」
「その、状況修復、って何です?」
電と榛名に尋ねるが、二人とも何のことだろう、と呆けた顔をしている。
「分からないのです。電も特務提督に会うのは初めてなので、是非とも教えてほしいものなのです」
榛名も頷く。司令艦と特務提督は同じ提督でありながら、この世界では棲む世界を隔たっている印象がある。提督と言う存在がどういうものなのか、知っておきたいという興味はあった。
「状況修復はね、要するに艦娘の傷を即座に直すことのできる特殊な陳情だよ。特務提督にだけ許されているんだけれども、戦績によって陳情可能な回数が決まってしまうのが玉に傷、かな」
「え……でも傷を治すって言っても、扶桑さんの右腕は……」
「それがね、治るんだよ」
不思議だろ、と自慢するように話す西村。
「僕自身は一度しか使ったことは無いけれど、前に駆逐艦の初風が敵戦艦の主砲弾で被弾して、片足が吹き飛ぶ、なんてことがあったんだ」
その時を思い出してか遠い目をする。
「どうしても戦線に穴を開けたくなかったから、初風に対して状況修復を依頼した。そうしたらすぐに軍令部から人が派遣されてきて、翌朝には元通り、元気になった初風がいた」
「つまりその人たちが、初風を治してくれたんですか?無くなった足も全部……」
「そうだよ、凄いだろう!!艦娘に関する技術は隠匿されているものがほとんどだけれども、状況修復に関しては本当に素晴らしいと思う。これを扶桑に使えば、戦闘で無くした扶桑の腕も元に戻る。そうすればまた僕とも、山城とも一緒にいられる!!」
なのに何故か山城は反対するんだ。おかしいだろ、と同意を求めてきた。
「何を―――言っているですか?」
「え……」
興奮する西村に、黙っていた電が低い声で冷水を浴びせかける。
俯く彼女の握りしめられた小さな拳は、抑え込まれた激しい怒りで震えていた。
「足が生える?手が戻る?艦娘をタコやトカゲと勘違いしているのですか!!」
「だが実際に……」
「ごたくはいいのです!!初風に状況修復を使った?なら分かるはずです。その大鋸屑が詰まった哀れな脳味噌で、もう一度彼女の言葉を思い出してみるのです!!」
初風―――陽炎型駆逐艦7番艦。重巡妙高に激突され艦首を切り落とされた経験から、妙高と斬首の恐怖に怯えるぶっきらぼうな青髪の少女。彼女の着任時の台詞は、艦これ世界の謎を解くキーワードとして話題になったことから、それだけは覚えていた。
『提督さんにとって、私は何人目の私かしら?』
「まさか―――治ったと思っていたのは別人なのか!?そんな―――だったら何故山城は僕にそれを言わない!?」
「艦娘には開示できる情報に制限があります。特務提督に対しては『状況修復の内容を明かしてはいけない』、という義務があるのでしょう」
無機質に淡々と告げる榛名。
「つまり西村提督、お前は山城に向かって『今の扶桑を諦めて新しい扶桑を貰おう』と言ったのです。ケッコンカッコカリまでしているにも関わらず、お前を庇って傷ついた扶桑を、その妹の前でぼろ雑巾のように捨てると宣言したのです!!」
「なっ―――!!」
「補足ですが軍令部に確認したところ、損傷著しいため扶桑は治療を受けた後解体、除籍処分になる予定です。何にしても西村提督、貴方とあの扶桑はもう二度と会うことは無いでしょう」
真っ青になった西村提督の端正な顔が絶望に彩られる。自分の仕出かしたことの大きさ、そして二度と扶桑に会えない現実に気付いた彼は、ベッドの上で自分の身体を抱きしめ、魂が抜けたように動かなくなった。
「全く――――相変わらずクソゲーな世界なのです」
その姿を見て吐き捨てる電。別に彼女も西村提督が憎いわけでは無いのだろう。彼に悪意は無く、単に知らなかっただけ。その行動も扶桑を想ってのことだ。
でも――――このやり場の無い怒りは、誰にぶつければいい?
「電、少し早いですが……」
榛名が電に目配せをした。電が頷く。二人の雰囲気から、これから始まる会話が危険なものであることが察せられた。開きかけていた扉を閉め、がちゃりと鍵をかける。それを横目で確認した榛名がゆっくりと口を開いた。
「ところで西村提督。既に戦艦扶桑が後送されたにも関わらず、なぜ貴官と山城がここラバウルに留め置かれているか、その理由はご存知ですか?」
「……理由?」
視線を伏せながら、蚊の哭くようなか細い声で西村提督が反復する。
「どうせ『栄光ある帝国軍人なら失地回復まで帰ってくることは許さん』とかだろ……」
「違います。軍令部からはラバウル基地提督に向け、回収直後から西村提督と山城の帰還出頭命令が2時間ごとに電信されている状態です」
「なんだって!?ならどうして……」
「簡単な話です――――二人の身柄を押さえている電が、片っ端から命令書を握りつぶしているからなのです」
「横暴だ!!」
西村提督が勢いよくベッドから立ち上がった。どんな理由でも行き場の無い感情をぶつけられる標的を見つけた悦びでか、その瞳はぎらぎらと輝いている。
「艦娘が勝手に提督宛ての情報を遮断するなんて、これは立派な軍紀違反。軍法会議ものだぞ!!すぐにラバウルの提督を呼びたまえ!!直接抗議を―――」
「と言われましても、残念ながら飛鷹さんは第13次泊地攻撃隊旗艦として出撃中でして……」
「飛鷹!?艦娘は今関係ないだろう!!僕はラバウルの提督に……」
「―――ラバウル基地の提督は、飛鷹型軽空母1番艦『飛鷹』なのです」
「何っ?!」
言葉を失った西村提督の前に、自分のセーラー服のポケットをごそごそ探りながら電が進み出る。
「正式な自己紹介がまだだったのです。自分は呉鎮守府提督、また今回の泊地攻撃作戦総司令官、『帝国海軍特務大将:電』なのです」
よろしくお願いするのです西村大佐、とポケットから取り出した小さな布切れ……階級章を西村提督の鼻先に突き付けた。
二本の黒線に囲まれた黄色地に、三つの白い桜があしらわれた『大将』の階級章。
「馬鹿な―――ありえない!!艦娘が提督!?海軍大将!?こんな幼い少女が―――」
「事実は小説より奇なり、なのです」
別の世界から連れてこられて無理やり艦娘にされた司令艦からすれば、この程度で驚いてもらっては、という気がしないでもない。
狼狽し、その場にへたり込む西村提督。
「さて本題はここからなのですが、電たちは海軍内部に協力者が必要なのです。特務提督であればなおさら、電たちと接触していても不自然でなく最適です」
「また協力していただけるのであれば、今回泊地攻撃作戦に西村提督のご助力、ご助言の功が大きかった旨付け加えて可能な限り好意的な形で、失態部分は全てカットして軍令部に報告させていただきます」
「―――断ればどうなる?」
「直近の泊地でありながらブイン基地を見捨て、友軍の反攻作戦に協力せず殻の中に閉じこもるも籠城にさえ失敗。敵に易々と大事なショートランド泊地を奪われ戦力回復の機会を与える。さらに敗走に際しては無防備な海軍兵士、軍属、民間人への蹂躙を許し数多の人命、艦艇を喪失させ、あげくの果てに貴重な艦娘さえ自分の盾にして大破損壊。惨めな漂流の後友軍に救助され、味方が古巣の泊地奪還作戦中にも関わらず一足先に颯爽と内地へと帰還―――列挙するだけで頭の痛くなる生き恥のオンパレードです」
こんなの榛名でも大丈夫じゃないですね、と首を振る。
偶然が積み重なっただけとはいえ、確かに彼の仕出かしたことは大きすぎる。最悪のタイミングで最悪の事態が連発。これも扶桑姉妹が呼び寄せた不幸の一端なのだろうか。
「―――分かった。きみたちに協力しよう。いや、させて欲しい」
「殊勝かつ賢明な判断なのです」
満足そうに頷く電。
「ただ、一つだけ頼みがある。もう一度扶桑に合わせて欲しい」
「解体され名前を失った扶桑は、もう貴方の知る扶桑ではありません。思い出の一つさえ残っていないでしょう――――それでも彼女に会いに行きますか?」
「当たり前だ!!」
迷いを振り払うような意志のこもった声。ぐっと握りしめられた手、その薬指に銀色の指輪が光る。
「艦娘だとか提督だとか、そんなことは関係ない!!僕は扶桑を守ってあげたい、ずっとそばにいてやりたい、そう思っていたのに―――守られたのは僕の方だった―――僕は守ってあげられなかったッ!!」
「大丈夫です―――」
「朝潮?」
気が付くと自然に口が動いていた。
「大丈夫です。例え守れなかったとしても、守ろうとした西村提督の気持ちは、ちゃんと扶桑さんに伝わっています」
「そうだろうか……」
「そうです。でなければ……でなければこんなの……ひぐっ……悲しすぎま……えぅっ……」
心の中に冷たい感覚が満ちてくる。また胸が痛む。
ああ、これは西村提督じゃない、私の、朝潮の願望なんだ。
あの日虚空に消えた自分の想いが、誰かに届いていて欲しいと願っている……。
「朝潮、自分でトラウマスイッチ押していれば世話がないのです。全く……」
そう言いながらもピンク色をした自分のハンカチを差し出してくれる電。受け取って鼻をかみ、自分のポケットに仕舞う。後で洗って返そう。
「残念ながら扶桑の居場所は電たちには分からないです。そもそも解体、退役した艦娘がどうなるか、概論での答えはあるのですが、個人の具体的な情報については完全に隠蔽されているのです」
「じゃあ僕はどうすれば……」
「自分で見つければいいのです。さがして探して捜して、気のすむまで調べて、そして扶桑を見つけ出すのです。そのための協力は出し惜しみしないのです」
それと一緒に電たちの欲しい情報も調べて貰えれば、と付け加える。
「破格の条件だね」
「その代り軍上層部に暗殺されても文句は言えないのです」
ははは、と二人の乾いた笑いが病室に響く。
「ではまた来るのです。電たちの事は他言無用。西村提督お大事に、なのです」
「きみたちもね。にしても、3人は一体何者なんだい?」
病室の扉を開け、半分身体を外に出したところで電が振り返った。
「『提督』で『艦娘』。この世界を救うためにやってきた、正義の味方『司令艦』、なのです」
「お疲れ様です、電。執務室に戻りましたら、榛名が金剛姉様の紅茶をお煎れしますね」
医療棟を離れて執務室に向かう誰もいない通路。少し肩の荷が降りた、と言った感じの榛名が電を労わる。
「ありがとう、なのです。とりあえず、これで心置きなく泊地奪還に専念できるのです」
こきこき、と小さな肩を鳴らす電。
「朝潮も、さっきは助かったのです。理詰めで言いくるめても反発を招きそうなところで、感情面でも西村提督に共感を示してくれたおかげで、彼も随分受け入れやすくなったはずなのです」
「……泣いてただけなんで、そう言われても恥ずかしいだけなんですけど」
「大事なことなのです。理屈と効率だけで全てが片付くと考えるのであれば、それは提督機と同じ、冷たい機械なのです」
それに涙が女の子の武器なのは、古今東西どんな世界でも変わらないのです、と意地悪く笑う。
「電さんが大将だっていうのも知りませんでしたし」
「ああ、これのことですか」
さっき使った大将の階級章を、ぴらぴらと指先で弄ぶ。
「こんなのは艦これの階級と同じです。自分で見て喜ぶか、ハッタリくらいにしか使い道が無いのです」
「とにかく戻ったら作戦の見直しが必要ですね。もし本当に泊地棲姫が自由に出歩いているのであれば、弾を撃ち尽くしたところや単独行動しているところを各個撃破されるかもしれませんし……」
「あれだけしっかりと閉塞しているにも関わらず、どこかに穴があるかもしれない、ですか。まったくもって面倒な話なのです。泊地棲姫の件といい、西村提督の件といい、どうして世界はこんなにもクソッタレなんでしょう」
「そう言わずに頑張って下さい。皆も榛名も、電を頼りにしていますから」
不貞腐れているが、榛名の言葉に電もまんざらでもないようだ。
実際自分の目から見ても電の指揮・管理能力は司令艦の中でもずば抜けている。何かと毒を吐く頻度は高いものの、それが単なる怒りや憎しみではなく道理や義憤からであることは、言葉の端々から感じ取れた。
最初の印象だが、新選組の土方歳三と沖田総司って電と榛名みたいな人たちだったのかもしれない。そして大口開けて紅茶の飲む金剛が近藤勇、と。
一筋縄ではいかない濃い性格の司令艦たちをまとめ上げ、元の世界への帰還という目標に向けて導く、まさに嚮導艦。『船頭多くして船山に上る』ともいうけれど、電がいる限りその心配は無いだろう。
―――ん―――
「現在泊地に向かっている飛鷹の艦隊には攻撃前に進入経路の再評価を―――どうしたですか、朝潮。何やら難しい顔をしているのです」
「『船頭多くして船山に上る』、か」
自分の呟いた言葉に前を歩いていた2人の動きが止まり、こちらを覗き込んでくる。
「いえ、何となくひっかかっただけなので。別に大した意味は無いんですけど……」
きょとんとしていた電と榛名の顔が、みるみるうちに驚愕の色に染まっていく。
「あああぁぁぁぁぁっっっ!!馬鹿なのです!!電は大馬鹿だったのです!!」
「は!?」
突然顔を両手で覆ってしゃがみ、自分を責め始める電。持っていた紙束が通路の床にばら撒かれる。まさか彼女のトラウマスイッチを押してしまったのだろうか。
「深海棲艦が船の怪物だと考えていたせいで、こんな簡単なことさえ思いつかなかったのです!!馬鹿です、本当にどうしようもない愚図なのです!!」
「ど、どういうことです?」
「―――メフメト2世です」
沈痛な面持ちで補足する榛名。だが意味が分からない。
「1453年、東ローマ帝国首都コンスタンチノープル包囲戦。その時オスマン帝国のメフメト2世が使った戦法―――油を塗った枕木の上を滑らせ、70隻の船に山を越えさせて奇襲をかけた―――俗に言う『オスマン艦隊の山越え』」
彼女の言いたいことが分かり、自分でも顔の血の気がさっと引いていくのが分かった。
「それってつまり―――」
「もし泊地棲姫の陸上移動が可能だとすれば、閉塞作戦の前提が全て覆ってしまいます」
「西村提督の話で敵が触雷しなかったのも、そもそもブイン基地から逃走を許したのも、全部説明がつくです――――電の作戦は、小さな穴どころか穴しかなかったのです!!」
潤んだ瞳をセーラー服の袖でごしごし拭いながら立ち上がる電。
「至急作戦行動中の全艦隊に通達を!!早くしないと――――間違った前提で動いている皆が危ないのです!!」