うたをつぐもの―うたわれるもの・After―   作:根無草野良

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~第二幕・42~ ウルトの溜息・一家

 

 とある気だるげな昼下がり。

 場所はオンカミヤリューの白き城。

 某(それがし)は、自室から逃げだしたカミュを追い、ゆるゆるとさまよい歩いていた。

「やれやれ、どこに行ったのやら……」

 たび重なる逃亡の末、いつしか某(それがし)の務めには、カミュを連れ戻す事が含まれるようになっていた。

 まったく、せっかくウルトリィ様の警護になれたというのに。

 探して廊下を進んでいると、ティティカ姉と鉢合わせた。

「おや、タイガ。

 警備の仕事はどうしたい?」

「その一環です。

 カミュを見かけませんでしたか」

「なんだい、また逃げだしたのか。

 よくやるねぇ、あの子も」

「感心しないで下さい。

 まったく、何度言い聞かせても

 勉学の重要性を理解しようともしない。

 ムティ殿はよく耐えておられる」

「なるほど。

 時にタイガ」

「なんです?」

「この手はどういうことだい?」

「手……

 ぇえ?」

 言われ、我が手の所業に気づく。

 

 右の五指が遠慮もなく、ティティカ姉の片乳を揉みしだいていた。

 

 慌てて離そうとしたがまるで動かない。

「な、なんだ?

 手の、感覚が……」

「ずいぶん大胆だねぇ。タマってんのかい?」

「ち、違います!

 今のは、手が勝手に――」

「騒がしいな」

 どうにも言う事を聞かない右手を、左の手で引き剥がす。

 張った声を聞きつけたのか、リネリォ殿までやってきた。

 訓練でもしていたらしく、双刃の槍を携えたままだ。

「なにをしているんだ、お前たち」

「いや、それがさ、聞いとくれよ。

 タイガの奴が色気づきやがってね」

「なにを言い出すんですかっ。

 某(それがし)、わぁ?」

 上げかけた反論は、引きはがした手に引かれ、体と共に傾いでいた。

 なんとか転倒はまぬがれたが、むしろ、転がっていた方がよかったのかもしれない。

 

 某(それがし)の右手は自らの意思を持ち、リネリォ殿の尻を撫で回していたからだ。

 

「……なんの真似だ?」

「リ、リネリォ殿、

 ち、違うのです。

 これは、手が勝手に……」

「なるほど。

 その言い訳、地獄(ディネボクシリ)の底まで

 持っていくがいい!」

「だああ!?」

 大気を切り裂く刃から、辛うじて身を躱(かわ)す。

 身の丈を越える長槍を、壁や床にまったく触れさせぬ技量は、相変わらず凄まじい。

 が、それを鑑賞している余裕はない。

 なにしろ、右手がまるで言う事を聞かぬのだ。

 防ぐ事も避ける事もままならぬまま、床を転がり、這いつくばって、とにかくリネリォ殿から距離をとる。

 鬼気にも似た気配を背後に感じながら、逃れ進んだ先に現れたのは、小さく首を傾げた少女。

「どしたの?」

「ア、アルルゥっ。

 たすけ、てぇっ?」

 助けを求めたその瞬間、動かぬ右手と同じように、体の自由を失っていた。

 勢いは止まらず、そのままアルルゥを抱きしめてしまう。

「むぎゅう」

「おーおー、熱烈だねぇ」

「タイガ、貴様……

 よほど命が惜しくないようだな」

「違うんだって!

 体が、勝手に……?」

 アルルゥを抱いたまま背からの声に答えると同時に、その更に後ろから、こちらを窺(うかが)っている気配に気づいた。

 廊下の角の暗がりから、顔だけを突き出したワーベ老とカミュが、楽しげに声を交わしている。

「わかったかカミュ。

 体の自由を奪ってからなら、操る事は難しくはない。

 人形を動かすのと要領は同じになるわけだ」

「なるほどー。

 さすがはお父様。

 勉強になるなぁ」

「はっはっは。

 ダテに歳は食っておらん」

「お前らの仕業かあ!」

 羽耳が捉えたその会話に、思わず怒りを爆発させていた。

 体の硬直が一瞬消え去り、激昂まま突撃する。

 だが、踏みこみ到達する寸前、再び無力感に襲われた。

「ぬ、ぐぐ……っ」

「はっはっは。小童(こわっぱ)が。

 賢大僧正(オルヤンクル)の法力を甘くみおって」

「元、だけどね」

「くっぬおおおおお!」

 勝ち誇るワーベ老の声に、一層の気勢を上げてみるが、焦るばかりで力は戻らない。

 法術とは本質的に、心と神を司る術。

 元より体力では抗いようのないものではあるのだが、某(それがし)は他に術を知らぬ。

 ただ、ひたすらに集中するのみ。

「くんのおおお、お?」

 そう思いながら咆えていたら、唐突に体の自由が戻った。

 気勢の上昇とは無関係に、束縛の力が霧散する。

「なっ?」

「え?

 お父様の術が破れ――」

「なにをなさっておられるのですか?

 お父様、カミュ?」

 理由は、背から聞こえてきた。

 押し付けられる、柔らかい感触と共に。

「ひにゃ?」

「ウ、ウルト?」

「お姉様……」

「はい」

 二人の驚きは、ほほ笑みを浮かべたウルトリィ様に向けられていた。

 某(それがし)も別の理由から驚いていたが、それも、我が身を包みこんでくるよい匂いに、あえなく溶け消えてしまう。

 ウルトリィ様は、某(それがし)を後ろから抱きすくめたまま、二人の身内に言葉を向けた。

「法術をみだりに使ってはならないと、

 そう教えて下さったのはお父様だったはずですが」

「も、もちろんだとも。

 これはだな、そうっ、

 カミュに法術の手解(てほど)きをするためであって――」

「そ、そうだよ、そうそうっ。

 別に、トラちゃんで遊ぼうなんて思って

 やってたわけじゃないんだよ?」

 ……この二人は、間違いなく親子だ。

 ウルトリィ様は母親似なのだろう。

 顔も知らぬ奥方に、心の底から感謝した。

 きっと、同じ笑みの持ち主に違いない。

「そうですか。

 それでは私(わたくし)も、一つご教授していただきたいのですが」

「な、なにをかな?

 お前に教えるような事などもうないはずだが……」

「はい。

 法術の光撃に耐える術、などを」

 声の質は変えぬまま、語るウルトリィ様の手の内には、光の力が高まりつつあった。

 どのようなものかは推測するしかないが、どう転んでもタダでは済みそうにないシロモノだ。

 向けられた者たちの行動は迅速だった。

「カ、カミュ、退くぞっ」

「がってんだっ」

 ワーベ老とカミュは文字通り、飛ぶ去るような速さで廊下を走り去っていた。

 嵐にも似た騒ぎの後、残されたのは呆然とする人々だけ。

 ウルトリィ様もまた、疲れた息を吐いていた。

 その吐息がまた、某(それがし)の耳にあたるのだ。

 正直、金縛りよりも耐えがたい。

「本当にもう、仕方のない人たちですね」

「ウ、ウルトリィ様。

 助けていただき、ありがたいのですが、あの――」

「はい?」

「い、いつまでも抱きしめられているのは、その……」

「あら、私(わたくし)ったら」

 小さく照れた笑いを浮かべ、ウルトリィ様は某(それがし)から離れていった。

「ごめんなさい。

 つい、抱き心地がよかったもので」

「だ、抱きごこ……?

 いえ、その、某(それがし)の方こそ、

 よい思いをさせていただきまして……」

「ふーん」

「貴様……」

 つられて笑っていたため、気づかなかった。

 いつの間にか、皆に囲まれていた事に。

「ア、アルルゥ?

 なんだ、その不気味な壷は?

 テルテォ、お前、どっから湧いだあっ!?」

「きゃ?」

 そして、問いかけの間もなく蹴り倒されていた。

 重ねて落とされる踏み足には、遠慮の欠片もありはしない。

「や、やめっ、バカっ、踏むなこのっ。

 アルル? ま、まてっ。

 そのゴボゴボ沸き立つ薬は、

 いや、毒だろそれ!

 おい、やめろって、ぇ、

 にゃああああああああああ!!?」

 オンカミヤムカイの城の中、某(それがし)の悲鳴が鳴り響く。

 それに対する周囲の声は、

「あ、あの、大丈夫でしょうか?」

「ああ、いつもの事だし、問題ないでしょ」

「むしろヌルいな。私も一、二発入れておくか」

「死なない程度にね」

 なんとも心温まるものだった。

「えっと、あの……

 楽しい方々ですね」

「だろう?

 それに関しちゃ他の連中に

 負けない自信があるよ」

 さも自慢げなティティカ姉の言葉は、誇るべきなのか、悲しむべきなのか。

 薄れゆく意識で、答えを出すことはできなかった……。


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