うたをつぐもの―うたわれるもの・After―   作:根無草野良

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~第一幕・2~ 出会い2

 石塊を踏み越え、道へと至り、その先から感じる騒ぎの元へと向かう。

「きゃー」

 目よりも先に耳が捉える、絹を裂くような少女の悲鳴。

 やや間延びしたその響きに、駆ける足を一つ速めると、瞬く間も要することなく、凶行の現場に辿りついた。

 いたのは、森へと続く大樹を背に立ち尽くす少女と、それを取り囲む四人の男たち。

 状況は問うまでもなかった。

 少女に向けられた四振りの刃と、男たちの下卑た表情を見れば、大方の想像はつく。

「なんだテメエ、

 邪魔すんじゃ――?」

 誰何の声など聞く必要があろうか。

 某(それがし)は駆ける速度を落とすことなく、振り返った男の横を通り抜けた。

 

 一閃を、彼の腕に残して。

 

「なに、しやが、ああああ!?」

 一拍遅れた悲鳴の後、男達は途端に慌て始めた。

 人を襲う度胸はあっても襲われる覚悟はないとみえる。

 典型的な小悪党か。

「うおう?」

 突然の出来事に驚いているのだろう。

 背に庇った小柄な少女は、小さな奇声を発していた。

「怪我はないか? もう大丈夫だ。

 すぐに終わるから、もう少しだけ――」

「テ、テメエ!」

 少女の身を案ずるわずかな間も待てなかったらしい。

 男の一人が刃と共に、目と歯を剥いた形相を向けてきた。

 仲間の腕が落ちたのは偶然だとでも思っているのか、あるいは某(それがし)の気迫が足りなかったのか、退く気はまったくなさそうだ。

 こちらのわずかな落胆を知るよしもなく、男たちの罵声は続く。

「この、クソムシがあ!」

「侍くずれか。楽にくたばれると思うなよ」

「ふざけたマネしやがって。テメエの腕も両方とも、

 いや、足まで千切ってダルマにしてやる」

 月並みな文句を聞いていると、ますます気分が沈んでくる。

 名誉を上げる相手にはほど遠い輩(やから)だ。

「もう、いいからかかってこい」

 溜息と共に本音をこぼしていた

「な、なに?」

「名乗りも口上も無駄だろう。

 これ以上お前らのような馬鹿に

 付き合うのも面倒だ」

「ん、だとお?」

「それに、せっかくの昼餉が冷めてしまう」

「ふ、フザけんな、

 このガキが!」

 某(それがし)の本意は正しく伝わったらしい。

 即座に二人が真正面からつっこんできた。

 愚直な突撃は予想の通りだが、二刃の剣閃を同時にかわすのは難しい。

 あえて数歩を前にでて、捌きに要する間を稼いだ。

 合わせて落ちてくる二つの切先の、一つを避け、一つを受ける。

 鍔根にかかる力に逆らわず、右にわずかに傾ける。

 右方を流れていく刃と男。力が無に帰した一瞬に、貯めた力を走らせた。

 首を刈る、確かな手応えが腕に残る。

 結果は見ずとも明らかだ。

 そのまま、返す刀を二人目の背へ落とした。 

 背骨を斜に断つ感触は、首の時より少しだけ重い。

「ぎっ……」

「ぐ、が……」

 二つの体はほとんど同時に地面を転がり、断末魔もなかば重なって響いた。

「ふう」

「そ、そこまでだ、

 このクソムシが!」

 しまった。

 瞬殺のつもりであったが、思った以上に距離を開けてしまったらしい。

 振り返った先では残る一人が、少女の首に剣を突きつけていた。

「調子に、調子にのりやがって……」

 恐怖で動けないのか。

 少女は身じろぎ一つせず、成りゆきに流されるままでいる。

 いや、その割には随分と冷静だ。

 表情は最初からまるで変わらず、背を気にするまなざしを、時折こちらに向けている。

 まるで、なにもするなとでも言うように。

「っ!?」

 その真意を察しようとした矢先、思わず身構えさせられていた。

 周囲を警戒していた意識すらも集中し、前への緊張を高ぶらせる。

「動くな! 動くんじゃねえぞ、へへ。

 少しでも動いたらこの娘の首がどうなるか、

 わかってんだろうな」

 こちらの動きをどう勘違いしたのか、少女を捉えている男が妄言を吐く。

 なにを言っているのかは、解する気もなかった。

 余計なことに費やす意識など、今は微塵もない。

「ようし、いいか。まず剣を捨てろ。

 そのまま後ろを向いて這いつくばってだ、

 な……?」

 某(それがし)が緊張を向けている先が己でないことに、ようやく気づいたのだろう。

 男はこちらを警戒しながらも、ゆっくりと背後をうかがった。

 あるのは、森が始まる巨大な木。

 その後ろに、わだかまる闇がいた。

 

 白い、巨大な獣の影が。

 

「ひい?」

『ヴォオオオオオオオ!』

 咆哮と共に、その姿が明らかになる。

 白い獣毛に覆われた巨大な虎は、頭までの高さだけで男の倍ほどもあった。

 輝く瞳は紫がかった青光を放っている。

 どのような闇でも見通しそうなまなざしだ。

 太い四肢が誇る太い爪、真っ赤な顎の内に並ぶ白牙の列は、呻りにあわせて震えていた。

 深い怒りのためか、激しい憤りのためか。

 理由がいずれであろうとも、揮われる威力に違いはないだろう。

「う、うわあああ!?

 バ、バケモ――!」

 思い描いた光景は、直後、現実となった。

 男が、悲鳴と共に少女から離れた瞬間、その上半分を喰いちぎられていた。

 鮮血は飛沫かない。

 代わり、虎の口元から滴る流れが、地面に血の海を生んでいた。

 肉を食む音がやけに大きく、骨を砕く音と共に響く。

 断末魔をも飲みこんで、獣は前へと歩み出た。

 横に並んだ少女を一瞥した後、某(それがし)へと牙を剥く。

『グルゥゥゥ』

「ク……」

 恐怖に震える本能を、エヴェンクルガの誇りで抑えつける。

 か弱き少女を後に残して、武士(もののふ)が逃げだすわけにはいかない。

 握る力をこめ直し、構える剣を上段に備えた。

 いかに大きく見せようと意味がないことはわかっていたが、そうせずにはいられない。

 応じるように、白虎はゆっくりと近づいてきた。

 距離が一つ縮まるごとに、恐怖と緊張が膨らんでいく。

 勝負は一瞬でつくだろう。

 必殺の軌道を定めるべく、迷いを一つずつ潰していく。

 絶対の死を前にして、それでも心を折らぬよう、一つずつ覚悟を決めていく。

 こちらの気など歯牙にもかけず、白虎はいよいよ間を詰めてきた。

 威風堂々たるその姿は、まるで森の皇(オゥルォ)だ。

 恐怖に飲まれかけながら、某(それがし)は少しだけ安堵を覚えていた。

 

 

 最期に、斯様な敵に出会えた幸運に。

 

 

 覚悟は決まった。

 一つ大きく息を吐く。

 吸いこむ気は大きく、深く。

 練り上げた力のすべてを腹に溜め、

 走らせる刃の軌跡を確(しか)と定め、

 そして――

 

「ムックル。めっ」

『キュフウ~』

 

 少女の声に反応した獣の、仔猫のごとき情けない声に、

 某(それがし)は顔から地面につっぷしていた。


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