うたをつぐもの―うたわれるもの・After―   作:根無草野良

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~第六幕・6~ 夢路・稽古

 

 ゆっくりと剣を振り、ゆっくりと剣を戻す。

 見えぬ敵を想像し、その刃を潜(くぐ)り抜けて。

 上から、下から、右から、左から。

 前後左右への動きを交え、円を描き、弧を刻み。

 緊張とも脱力とも異なる負荷を心と体にかけながら、動きはひたすらに緩やかに。

 夢想の中、何人の敵を斬っただろう。

 そして、何度斬られただろう。

「――ふぅ」

 幸か不幸か、動きを止めた体には、汗以外のものは流れていなかった。

「鍛錬ですの?

 その割にはずいぶんと

 心を乱しているようですけど」

「……カリン。

 見ていたのか」

「ええ。

 三回は死んでいましたわね」

 率直な物言いが胸に刺さる。

 憂いは表さぬようにしていたつもりだったのだが。

「珍しいな。

 カリンが鍛錬の場に来るなんて」

「トラがせっぱつまった顔をしているからですわ。

 まったく、見ていられないったら」

 完全に見透かされていたらしい。

 比べ、カリンはいつもと変わらぬ態度を貫いていた。

 呆れるように息を吐く仕草にも、底には某(それがし)に対する配慮が見える。

 自由に生きながらも振り回す周囲を気遣う優しさは、どこか春風のよう。

「……強いな、カリンは」

「そんなことありませんわ。

 これでもけっこう無理してますのよ」

「え?」

「わたしにだって、

 そう簡単に許せないことはありますもの……」

 そんな言い分に、少し驚かされた。

 いや、考えてみれば当然か。

 これほどに他者を想える心の持ち主が、家族を悼(いた)まぬわけがない。

 その元凶である相手に対し、どれほどの恨みを抱いても……。

「でも、ほかの人がそんな想いに捉われているときに、

 わたしまで同じように沈んでいては

 どうにもなりませんもの。

 ティティカ姉様に笑われてしまいますわ」

 だが、カリンが返してみせた心は、某(それがし)の狭量など簡単に踏み砕いてくれた。

 健やかな笑顔は強く、柔らかく、我らが姉を思い出させるもので、自然と胸が熱くなる。

「……某(それがし)は、

 旅に出て本当によかった。

 世は広く、傑物(けつぶつ)もまた多いのだな」

「あら。

 わたしを主(あるじ)に認めたくなりました?」

「うむ。

 正直だいぶ心が揺れている」

 真剣なまま頷(うなず)くと、鈴を転がすような明るい笑いが返ってきた。

「まったく、

 惚れっぽいところは成長してませんわね」

「惚れっぽいって、

 そういうのとは違うのだが」

「まあいいですわ。

 憂いも晴れたようですし」

 笑みのまま、カリンは剣を構えていた。

 身の丈に似合わぬ長大な、共に戦場を越えてきた剛剣を。

「次は体の憂いを晴らしましょう」

「よし。

 一つ手合わせ願おう」

「本気でいきますわよ?」

「……望むところだ」

 わずかに顔が引きつるが、それもまたカリンを相手にする楽しみか。

 死を翳(かざ)す少女を前に、某(それがし)は剣を構え直した。


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