うたをつぐもの―うたわれるもの・After―   作:根無草野良

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~第六幕・2~ 夢路・徒花

 

 オンカミヤムカイの城の内、流れる清水を模った石庭の中心に、ハクビは静かに佇(たたず)んでいた。

 音もなく、声もなく、ただ穏やかに、安らかに。

 青い空へと向けられたまなざしは虚ろ気で、その姿をますます人形めいたものに見せる。

 痛々しくも美しい神々しさ。

 見蕩(みと)れそうになる意識を、某(それがし)は慌てて引き締めた。

 握る鞘の重さを確かめる。

 いつでもこの刃を抜き放ち、見据える首を落とせるように……

 

 オンカミヤムカイの呼びかけにより、各地の混乱は収束に向かいつつあった。

『地獄(ディネボクシリ)』による恐怖からも、それ以前の騒乱からも。

『怨(オン)』を撒き、育んでいた者たちが消えた今、世は正常な流れを取り戻していくだろう。

 人の意思による戦乱の世へと。

 だが、いかに事態が収束へと向かおうと、その首謀者が放免される道理はない。

 世への影響を慮(おもんばか)り、ハクビの存在は秘されることになったが、当然それでは収まらない者たちもいる。

 真実を知っている者は尚更だ。

 識者長老をも交えての議論は、侃々諤々(かんかんがくがく)たる宗教論争を巻き起こした。

 だが、賢大僧正(オルヤンクル)はほほ笑みをもって、一つの結論を通していた。

 

 ハクビの身柄を、その罪悪を最もよく知る者たち、

 つまり、我ら『ティティカルオゥル』に預けると。

 

 某(それがし)にその真意を汲む事はできなかったが、熱を上げていたアルルゥたちには、頭を冷やすよい機会になったようだ。

 絶対に許さないと息巻いてはいたが、その想いも細首を前に刃を下ろせるほどには続かず、怒りはひとまずの落ちつきを見せた。

 某(それがし)はハクビの監視として、城内での供を任された。

 握る剣には、彼女の生殺与奪の権が与えられている。

 いつどこで彼女を斬ろうと、それは正しき裁きなのだ。

 気がつけば、ハクビがこちらへと目を向けていた。

 相変わらず虚ろなままであるというのに、どうしようもなく神々しい。

 思わず気圧されそうになる緊張を、一つ瞬くことで緩めた。

「なんだ?」

「いえ。

 少し、懐かしかっただけです」

「懐かしい?」

「……いえ、なんでもありません。

 これ以上皆様を煩(わずら)わせる必要もないでしょう。

 私の首でよければ、いつでも落としてくださいませ」

 淡々と紡ぐ言葉には、恐れも悔いも感じられなかった。

 死の意味すら無に帰すような言い草に、危うく刀を抜きかける。

「ふざけるなっ」        

 代わりに一喝していた。

 静寂に慣れていた大気がわずかに震える。

 ハクビが小さく肩を揺らしたが、そんなことなどどうでもよい。

「お前の命は、兄上が残した命だ。

 それを軽々しく散らすなど

 某(それがし)が許さん」

 自らの言葉で、彼の最期を思い出す。

 血肉の飛沫と散った兄の姿は、今でも某(それがし)の脳裏に焼きついていた。

 不思議と悲しみは湧いてこない。

 最後の最後まで揺らぐことのなかった背は、某(それがし)の内に越えるべき壁として、いつまでも残り続けるだろう。

 だからこそ、守られた者の弱さが、許せない。

「……ごめんなさい。

 リュウガは、私のせいで……」

「謝るな。

 兄上は、エヴェンクルガの武士(もののふ)に相応しい

 見事な最期を遂げた。

 リュウガ兄は某(それがし)の誇りだ」

「そう、ですね……

 はい。私には過ぎた方でした」

 しばし、追悼の沈黙が落ちる。

 いや、伴うのは悲しみではなく、感謝だ。

 一人の男を共に想い、次いで奇妙ななごやかさが広がる。

「そして、面白い人でしたね」

 ハクビの目にはいつの間にか、小さな温もりが宿っていた。

「面白い?

 兄上がか?」

「はい。

 無二の剣才を持ちながら、

 いえ、だからでしょうか。

 他の事はなにもできない人でした」

「ああ。

 それは、確かに……」

 思い当たるフシの多さに、思わず頷(うなず)きを返していた。

 炊事を任せればカマドを燃やし、洗濯を頼めばボロキレとなって返ってくる。

 買い物に行けば五日は戻ってこなかったし、掃除にいたっては小屋を木屑と化す始末。

 剣では敵うべくもなかったが、某(それがし)がいなければ兄上がなにを喰らっていたかわからない。

 それもこれも、心許した者の前でしか曝さぬ醜態だと思っていたのだが、そうでもなかったのだろうか。

「旅慣れているだなどと見栄を張って。

 夜営の時、いきなり木の股に穴を掘り出した時には

 どうしようかと思いました」

 いや、やはり変わってはいなかったのだろう。

 小さくも笑みを深めるハクビの様に、そう思った。

「おかげで私まで包丁を握らされるようになりました。

 貴方には、少し恨みがあるのですよ?」

「え?」

「料理を作るたびに比べられて。

 他に裁縫や洗濯でも。

 リュウガの主になるのであれば

 貴方のような才を授かりたかったものです」

「いや、そう言われても……」

 少しばかり不機嫌そうなまなざしに、なんと言葉を返したものか。

 人の温もりを宿した横顔と、闇夜のごとき瞳を見ているうちに、某(それがし)は唐突に理解した。

「でも、それでは、

 彼と出会う事もなかったのでしょうね……」

 兄上がエヴェンクルガとしてではなく、ただ一人の男として、ハクビを慕っていたのだという事を。

 湧き上がる不思議な感情は、喜びとも焦りとも不快とも似て非なる、どこか居心地の悪くなるもので。

 ただ、混ざり合ういくつもの想いの中に、一つだけ確かなものを見る。

 自然と言葉を紡いでいた。

「お前を死なせはしない」

 兄上の愛した女(ひと)を、とは言わない。

 言えなかったし、言うべきではないだろう。

「お前は、リュウガ兄が主として認めた者だ。

 ならば、某(それがし)はお前を生かしておく。

 リュウガ兄の信じた道を貫いてみせろ。

 その末が死であるのなら

 兄上も許されるはずだ。

 結果は、某(それがし)が見届けてやる」

 代わりの言葉は、半ば誓いだった。

 ハクビと、そして兄上に対し、某(それがし)にできる精一杯。

「タイガ、さん……

 わかりました」

 告げた言葉に秘めた意味を、ハクビは正しく理解したのだろう。

「もう少しだけ、生きてみます」

 生気の宿った表情の、その可憐な口元には、小さくも確かな笑みが浮いていた。


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