うたをつぐもの―うたわれるもの・After―   作:根無草野良

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~第四幕・6~ 北の国・再会

 

 沈黙の時は数拍だけ。

 促された言葉に対し、アルルゥの姉上は静かな声で答えた。

「……もう行きましょう、ハクビさん。

 ここでの役目は終わりました」

「そうですね。

 では」

「おねーちゃん!」

 背を向けようとした二人の動きを、アルルゥの悲痛な声が止める。

「おねーちゃん、

 どこ、いくの……?」

「アルルゥ……」

「アルルゥ、ここにいる。

 カミュちーも、ユズっちも、

 おねーちゃんたちもおにーちゃんたちも、

 みんな……」

 アルルゥの声は震えていた。

 響きだけではない。

 心そのものが震えているのがわかる。

「みんないっしょ。

 アルルゥといっしょ。

 だから、おねーちゃんも……」

「でも、でもね、アルルゥ。

 ハクオロさんは、いないの……」

 だがそれは、向けられたエルルゥ殿も同じだった。

 小さな肩も、蒼白な唇も、闇を映す黒曜の瞳も。

 告げる想いは、魂の震えすら伝えてくる。

「……おとーさん……?」

「そう……

 これは、ハクオロさんが望んでいることなの……

 だから、私は、こんな……」

 自らの身を抱くその姿は、底知れぬ恐怖に怯えて見えた。

 この人は、己の所業の罪深さを知っている。

 知っていてなお、その闇を進んでいるのだ。

「ハクオロさんのためなら、

 私はなんだってする。

 なんだってできる。

 おばあちゃんの言いつけを破ることも、

 みんなを置いていくことも、

 この手を、血で汚すことだって――」

 震える言葉は、情念めいた響きに満ちていた。

 蒼白の顔のその中で、漆黒の瞳だけが異様な光を放っている。

 それは、渦巻く『怨(オン)』そのもの。

「おねー、ちゃん……」

 アルルゥの囁(ささや)きは悲鳴のようだった。

 気持ちは痛いほどよくわかる。

 ただの村娘にしか見えなかったエルルゥ殿が、今は祓(はら)いえぬ禍日神(ヌグィソムカミ)のよう。

 刃では抗(あらが)えぬ深く重い念を前に、某(それがし)は一歩も動けずにいた。

 

 突然の爆発に、立つ足場が揺れるまで。

 

「な、なんだっ?」

「しかけた導火が作動したのでしょう。

 火薬の蔵に届くまで、

 そう時間はかかりません」

 某(それがし)の驚きに、ハクビは平然と答えた。

 冷静を損なうことなく、当たり前のように語る。

「な、なに?

 お前、なにを言っているんだ?

 味方の軍だろう。

 そんなことをすればどうなるか……」

「ええ。

 貴方がたに勢いを取り戻されるでしょうね。

 そして、より大きな戦となる」

「っ、貴様……」

 仮面の女は、その因果を十二分に理解していた。

 状況を思い出す。

 自然と剣を抜き、切先をハクビに向けていた。

 体の示した素直な反応に、考えることをやめる。

 明確な目的が目の前にあるのだ。

 今はただ、敵を討つことだけ想えばよい。

 ハクビとの間は十間ほど。

 今の某(それがし)なら、一拍で刃を叩きこめる距離だ。

 迷いはない。

 次に聞こえた爆音に、剣撃の一歩を踏み出した。

 妨げえぬ一撃必至の軌跡は、しかし、

 天井を踏み抜き現れた巨鳥に、その羽ばたきで落とされた瓦礫の山に、押し潰された。

「ぬあっ?」

『キイイイイイイイイ!』

 かき乱された大気は不自然に渦を巻き、暴風となって歩みを妨げる。

 濁流にも似た高圧は目を開けていることすら困難で、場に留まるのが精一杯だ。

 身動きもままならぬ状況に狭(せば)まる視界の先で、ハクビは悠然と巨鳥に近づいていった。

 そうそう逃してたまるか。

 踏みしめる姿勢を一つ広げ、支えの足に力を溜める。

「待て、このっ……」

「貴方たちには期待しています。

 どうか奮闘してください」

「ふざ、けるなっ!」

 踏みこむ動きを利用して、気合の一撃を撃ち放つ。

 すくい上げての一閃は、爆発めいた衝撃を伴い、吹きつける風を下から縦に断ち裂いた。

 一瞬生まれた、音すら届かぬ領域に踏みこみ、一息で巨鳥に肉薄する。

 続けての一撃は、向けられた大気の打撃とほぼ同時に。

 瞬間、刃と風が拮抗する。

「ぐ……、のっ!」

「まぁ、

 ジャカウの風を斬るなんて」

「なにを企(たくら)んでいるのかは知らぬが、

 貴様の掌で踊らされるのはもうたくさんだっ。

 この場で決着、を……?」

 だが、振り下ろしの一閃は不意の脱力に襲われ、敵まで届きもしなかった。

「な、んだ?

 体が、動か……っ」

 羽ばたきに体が吹き飛ばされる。

 受身も取れぬまま叩きつけられた元の場では、アルルゥまでもが脱力に身を伏せていた。

「ん、むぅ。

 これ、ケスパゥの、香……」

「成分は調整してあります。

 痺れはすぐに消えるでしょう。

 爆発までの間に砦から逃げてください」

 その原因は、エルルゥ殿の手元にあった。

 立ち昇る紫煙が風によって振りまかれ、某(それがし)たちを囲っていた。

 意識のすべてを集中し、四肢に令を伝えるも、体からは一切の力が奪われていて、まるで動こうとしない。

「それでは」

「ク、クソっ。

 待て、ハクビっ」

 巨鳥の足に取りつき、悠然と空に昇りいくハクビを、某(それがし)は黙って見送ることしかできなかった。

 それは、再会を果たした姉妹も同じ。

「……さよなら、アルルゥ」

「おねーちゃん……」

「…………ごめんね……」

 交わされた言葉の半ばも、羽ばたきに散らされ消えてしまう。

 去りゆくエルルゥ殿がどのような表情を浮かべていたのか、確かめることができなかった。

 

 

 

 半刻の後、某(それがし)は燃え堕ちて行く砦の様を、崖の上から見下ろしていた。

 横にはアルルゥとムックルがいる。

 痺香(ケスパゥ)の効果はすぐに解け、敵兵を撒いたらしいムックルともども、脱出は無事に果たすことができた。

 混乱に勢いをえたトゥスクルの軍は、苦戦の末に正門を打ち破り、敵の勢力を制圧しつつある。

 トパコの砦の攻防は、これで決着がつくだろう。

 聞こえてくる勝鬨(かちどき)の声を聞きながら、しかし、誇る気にはなれない。

 すべてはハクビの掌の上。

 そんな思いが拭(ぬぐ)えなかった。

「……ふぅ」

 溜息の理由は、もう一つ。

 そっと隣をうかがい見る。

 アルルゥはずっと空を、姉上の消えた北の空を見続けていた。


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