うたをつぐもの―うたわれるもの・After―   作:根無草野良

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~第三幕・56~ トゥスクルの動乱・礼拝

 

 トゥスクルの都にほど近い、小さくも豊かな山の奥。

 穏やかに揺れる梢(こずえ)の音に、混ざり聞こえる小鳥たちの歌声。

 風と大地の恵みに満ちたその場所は、常春の世を思わせる。

 某(それがし)は緑を湛えたその端に立ち、アルルゥと、カミュと、トウカ姉の背を見守っていた。

 誰も動かず、なにも喋らない。

 三人はただ黙し、崖の縁に置かれた丸い石に向け、手を合わせていた。

 可憐な花に囲まれた、名も刻まれていない小さな墓石に。

 礼節を重んじるトウカ姉はもちろんだが、普段はにぎやかなカミュも、この時ばかりは神妙だった。

 アルルゥにいたっては、言葉を忘れたような一心不乱で祈っている。

 だがそれは、悲痛ばかりを伴うものではなかった。

 音もなく、声もなく、しかしなぜか感じる姦(かしま)しさは、温かな雰囲気によるものか。

 どこか、旧知の友との再会を思わせる。

 長き年月を経てもなお変わらない想いが、彼女たちにはあるのだろう。

 理由も知らされず連れてこられた某(それがし)には、離れて黙祷を捧げるぐらいしかできなかった。

 感じる微妙な疎外感は、覆(くつがえ)しようのない時の流れによるものか。

 見聞きするだけでは知ることのできぬ歴史が、そこにある。

 余人には決して触れることのできない歴史だ。

 少しだけ、心が重い。

「タイガ。

 どうした?」

 しばし、そんな想いに気を取られていたらしい。

 いつの間にか並んでいた横の気配に、話しかけられるまでまったく気がつかなかった。

「――トウカ、姉。

 ……なにか?」

「なにか、ではないだろう。

 お前も挨拶してこい」

「え、いや、しかし……

 よいのでしょうか」

「? なにを言っている。

 お前も世話になったのだろう?」

「某(それがし)が、世話に?」

 こちらの困惑を気にもせず、トウカ姉は背を押し、促(うなが)す。

 本当に、よいのだろうか。

 三人の思い出に土足で踏みいるような罪悪感に、どうしても踏みだす足が鈍(にぶ)る。

 もっとも、数歩足らずの距離は、どれほど躊躇ってもすぐになくなってしまったが。

 気づいたカミュが、前に立つ場を譲ってくれた。

 隣では、アルルゥが変わることなく祈り続けている。

 かつて見たことがないほど真剣に、かつて見たことがないほど穏やかに。

 ますます気が引けてしまう。

「ほら、トラちゃんも」

「あ、ああ。

 しかし、名も知らぬ方を相手に拝するのは、

 むしろ失礼になるのではないだろうか」

「そんなこと、あるわけないよ」

「ん。

 ユズっち、きっとトラとお話したい」

「ユズっち……?

 あ、ああ……」

 目を閉じたままアルルゥが返してきた言葉に、ようやく思い至った。

 彼女たちの親友と、姦(かしま)しさに覚えた懐かしさに。

「そうか。

 ユズカ殿の、母上か」

 ならば、確かにまったく知らぬ方ではない。

 むしろ、拝さぬ方が無礼であろう。

 ユズカ殿に教えられた彼女の誇りは、某(それがし)に生きる術を示してくれた。

 いわば師とも呼ぶべき方なのだから。

 隣に立つアルルゥに倣(なら)い、手を合わせて目を閉じた。

 アルルゥとカミュ、そしてユズカ殿の話を思い返し、その人と形(なり)を思いながら。

 ユズカ殿とよく似た面立ちの、少しだけ線の細い女性の姿が浮かぶ。

 目を閉じた顔に浮かんだ笑みは、知りうる誰よりも優しいものだった。

 存在の儚(はかな)さとは裏腹に、確かな強さを秘めた笑み。

 不意に、軽やかな音を聞いた気がした。

 鈴の音のような澄んだ音だ。

 頬を撫でていった冷たくも柔らかな感触に、思わず目を開ける。

 人の気配など、もちろんない。

 あるのは物言わぬ小さな墓標と、穏やかな春色の風だけ。

 その風が、某(それがし)の顔を確かめるように、優しく頬を撫でていた。

「そろそろ、行こっか」

 カミュの言葉に我に返る。

 鈴の音も、風の気配も去っていた。

 小さな驚きは、隣にいる者も同じであったらしい。

 少しだけ間を置いてから、アルルゥはゆっくりと頷(うなず)いた。

「……ん」

「それじゃあ、ユズっち。

 また来るからね」

「ばいばい」

 名残惜しそうに、しかし毅然と踵(きびす)を返した二人を追い、某(それがし)もまた歩きだす。

「……ありがとうございました」

 別れの代わりに感謝を述べ、またいつか参ろうと心に秘める。

 心は、少しだけ軽くなっていた。


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