うたをつぐもの―うたわれるもの・After―   作:根無草野良

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~第三幕・23~ オンカミヤムカイ、再び

 

「そうですか、白霊蓮(サラカジャ)が……。

 ですが、カルラゥアトゥレイの騒動は

 解決したのですね」

「はい、つつがなく。

 デリホウライ皇の下、

 彼の国はいずれ平穏を取り戻すでしょう」

 到着したオンカミヤムカイ。

 城の謁見の間において、某(それがし)は賢大僧正(オルヤンクル)への報告を行っていた。

 体調のかんばしくないティティカ姉の代わりとして、だ。

 このような場合、やはり某(それがし)が前に出なければなるまい。

 泰然粛々としたウルトリィ様を前に、少しばかり誇らしい気持ちを抱く。

「詳しくは後ほど、

 ムティ殿が書簡にまとめ提出なさるそうです」

「わかりました。

 お疲れさまでした、タイガ様。

 ティティカ様にもお伝えください」

「はいっ」

 その労を認められれば、なおの事だ。

 これこそが誉、主に仕える者の喜びだろう。

 久方ぶりに味わう充実感に、自然と声も跳ねてしまう。

「トラ、たんじゅん」

「デレデレしちゃってさー」

 後ろから聞こえてきたアルルゥとカミュの冷やかしも、まったく気にならない。

 某(それがし)は黙したまま、しばし、胸に生まれた温もりに浸っていた。

 慌てたムティ殿が飛びこんでくるまで。

「あ、あの、賢大僧正(オルヤンクル)っ」

「なにごとか、ムティ。

 騒々しい」

 ムント殿が無作法をにたしなめたが、ムティ殿の焦りは変わらなかった。

 低頭恐縮しながらも、用件を続けていく。

「す、すみません。

 正門に旅の方が押しかけてきまして、

 その、お待ち頂くよう申し上げたのですが、

 聞き入れて頂けず……」

「押し入って来たのですか?」

「押し入ってと言いますか、

 はい……」

「わかりました。

 某(それがし)にお任せを」

 困惑しきったムティ殿を前に、ウルトリィ様も眉を寄せてた。

 腰も自然と上がろうというものだ。

「え?

 いえ、しかし……」

「お気になさらずに。

 不埒者の一人や二人、

 すぐに片付けてまいりましょう」

「あ、ちょっとー」

「アルルゥもいくー」

 ムティ殿の恐縮を片手で制し、謁見の間を後にする。

 どこの田舎者かは知らぬが、今ならば、なにが相手でも撃退できる自信があった。

 刀を腰に戻しながら、聞こえてくる問答の声をたどり、控えの間へと足を向ける。

 正門から入ってきたのなら、居るのは次の部屋だろう。

 身にまとう気に威圧を加え、勢いよく戸を引き開ける。

「控えろ下郎。

 ここをどこだと思っている。

 礼を知らぬというのならば、

 某(それがし)がその身に叩きこん、で……?」

 言い放つべき口上は、

 しかし、途中でかすれ消えた。

「ほう。

 ずいぶんな口を聞くようになったものだな、

 タイガ」

 立ち上がる女剣士の姿を見て。

 

 広がった鳥耳に長い尾髪。

 まとう羽織の様式は、某(それがし)がよく見知ったもの。

 いや、他の何よりも、その顔にこそ覚えがある。

 幼き頃から姉と慕い、剣の稽古をつけてもらった、師とも呼ぶべき存在なのだから当然だ。

 

 懐かしき、エヴェンクルガのトウカがそこに居た。

 里に居た頃と同じ、厳しいまなざしで某(それがし)を睨みつけて。

 

「ト、トウカ姉が、

 なぜここに……?」

「是非とも教えてもらおうか。

 お前が某(それがし)になにを叩きこんでくれる?」

「い、いや、あの……」

「あー!

 トウカ姉様!」

「おー、トウカおねーちゃん」

 にわかに生じた緊張を、アルルゥとカミュが打ち破る。

 驚きと喜びに満ちたその声に、応じるトウカ姉もまた、少しだけ表情をやわらげた。

「お久しぶりでございます、

 カミュ殿、アルルゥ殿。

 お元気そうでなにより。

 ですが、挨拶は後ほどゆっくりと。

 今は――」

 だが、それはほんの束の間だけ。

 某(それがし)が混乱からたち戻るより早く、空気は先の倍ほどに張り詰めた。

「お前の話が先だ、タイガ」

「ななな、な、なんで……」

「里の使い、といえばわかるだろう。

 問うのはこちらの方だ。

 なぜ里を無断で下りた」

 短い言葉には、理由の全てが込められていた。

 元服(コポロ)を認められずに里を下りる禁忌と、対する重い処分と処罰。

 それは時として命に関わる程の罪だと、剣に手をかけたトウカ姉のまなざしが告げていた。

 修行の中で何度も見た、真剣本気のまなざしが、恐怖の記憶を呼び起こす。

「そ、それは、もちろん理由が――」

「問答、無用!」

「うわわっ!?」

 自分で問いかけておきながら答えを待つことなく、トウカ姉は刀を抜いていた。

 直情的なその性格に、間違いなく当人だと確信する。

 よけた場の床に刻まれた、見事な両断の跡にも、また。

「トウカ姉!

 殿中っ、殿中ですから!」

「そのような言い訳が

 通じるとでも思っているのかっ」

「言い訳と違、っ!」

 圧倒的な気配に幼少の記憶を刺激され、思わず場から逃げだしていた。

 追ってくると知りながらも、衝動には逆らえない。

 向けられた刃を避けながら、控えの間を飛びだし、中庭を走る。

「ええい、ちょこまかとっ。

 動くな!」

「そんな無茶な!」

 植木が、庭石が、燈籠が。

 逃走の後にあったものが、ことごとく断ち割られていく。

 周囲では感嘆の声が上がっていた。

 無論見事な腕なのだろうが、某(それがし)には感慨など抱いている余裕もない。

 ただ、事が落ち着いた後、騒ぎの共犯にされるのではないかという懸念がかすかに過ぎる。

 最悪、その元凶に。

「うわー、どうしよう。

 このままじゃお城がバラバラになっちゃうよ」

「んー、だいじょうぶ」

 庭中を逃げ回りながら死を意識し始めた時、横から気配が飛びこんできた。

『キュイ?』

「はっ?」

 愛らしく鳴くガチャタラが。

 某(それがし)の頭に乗り、首を傾げたその姿に、振り下ろされた刃が止まる。

 ガチャタラを前に、トウカ姉は難しい顔をして汗を浮かべた。

「む、くっ……」

『キュイイ?』

「……はわー」

 束の間苦悩していた声が、表情と共に柔らかく溶け崩れる。

『ヴヲウ』

「わばっ!?」

 同時に、頭上から降ってきたムックルに踏み潰された。

 なぜだろう、既視感を覚える。

 エヴェンクルガはこういう運命(さだめ)を背負っているのかもしれない。

「大丈夫かな、トウカ姉様」

「んー、たぶん」

「た、助かった……」

 ムックルの下からはみでた痙攣する腕を見て、思うところは三者三様。

 某(それがし)はいつの間にか、膝から崩れ伏していた。

 

 

 

「申し訳ございません!」

 場を改めた謁見の間。

 ウルトリィ様を前にして、トウカ姉は額を床にこすりつけていた。

 なぜか某(それがし)も同様に。

 いや、動かぬ体を引きづられ、力任せに頭を押さえられている状態では、同じとは言いがたいかもしれない。

「某(それがし)としたことが、

 愚弟を前に思わず我を忘れてしまうとは……

 このトウカ、一生の不覚っ」

「生涯何度目の不覚です、がっ?」

 某(それがし)の的確なつぶやきに、頭を押さえる力が強くなる。

 エヴェンクルガの羽耳は伊達でない。

 トウカ姉の耳のよさは昔と変わっていなかった。

 粗忽(そこつ)な性格もまた然(しか)り。

 ウルトリィ様も、よくぞ苦笑だけでこらえているものだ。

「お顔を上げてください、トウカ様。

 大した事ではありませんから」

「姫、いや、賢大僧正(オルヤンクル)。

 いかに旧知の友人だとて、それはなりません。

 トウカ様が高名な武人であれば尚(なお)の事、

 厳しい処罰が必要でしょう」

「ムント殿のおっしゃる通りです。

 なにとぞ厳しい処分を。

 必要とあらばこの腹、捌かせていただきます。

 足りなければこれなるタイガの腹も」

「うええ?

 そんなとばっち、びぃ?」

 当然の抗議すら鉄拳に封殺される。

 言葉をはさむ余地すらない。

 結局、ウルトリィ様の寛大な処置に救われるまで、某(それがし)は延々と床の痛みを味わい続けることとなった。


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