恋ぞ積もりて 淵となりぬる   作:鯛の御頭

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待ってた。ずっと待ってた。でも、嘘だと思った。
世界情勢からして、あと2,3年は先だと思てた。
けど、実現した。

将国のアルタイル、アニメ化決定です!!



古都内乱編3

9月24日(月)

 

論文コンペまで約一か月となったが、生徒たちの話題はまだ論文コンペより、週末に控えた生徒会選挙となっていた。教室や部活動の場でも、生徒会長に深雪が選ばれることは間違いないとの声が多く、そうなると注目されているのは役員の方だった。

 

「例年の傾向だったら1年の七草さんが持ち上がりで副会長になって、会計は光井さんかな」

「じゃあ、司波兄はどうなるんだ?いなくなるとストッパーがいないだろう」

「雅さんが引き抜かれるんじゃなくて?ねえ、雅さんは何か聞いてないの」

「ごめんなさい。私も特に聞いてはいないわ」

 

それは古典部の部室でも同じであり、深雪と仲の良い雅はこの手の質問は先輩後輩問わず、部活でも教室でも振られていた。司波家でも特に話題にはでないのか、深雪が出さないようにしているのか、詳しい役員についてはまだ雅は何も聞かされていない。

話題の中心である深雪は、今日は生徒会室に避難してほのかと雫と昼休みを過ごしている。今でもその美貌から何もしていなくても注目を浴びることが多いが、野次馬じみた好奇心の目に晒されるのは精神衛生上あまり良くない。

この様子だとおそらく達也も同じ質問を浴びているだろうと雅は心の中でため息をついた。

 

雅がそう言った以上、分別をわきまえている部員たちはそれ以上の追跡はなかった。

 

 

「あ、そういえば司波先輩は論文コンペに出さなかったんですか?確か魔法工学科は全員コンペ用に選考論文の課題提出がいるんですよね」

「恒星炉の実験とかインパクトをみれば、去年の実績からして選ばれてもおかしくはなさそうですけど……」

 

一年生の二人は雅に質問を投げかけた。達也の魔法工学分野での優秀さは学年を問わず知れ渡っている。それと同時に2学期にもなれば1年生たちにも達也と雅の関係も浸透してきている。

 

「今は別に自主的に取り組んでいるテーマがあるみたいで、そちらが間に合わなそうなので、エントリーはしなかったみたいよ。それに論文コンペは京都と横浜で交互に開催されているけれど、京都では純理論的な分野、横浜が会場の時は技術的な分野が高く評価される傾向があるんです」

 

「具体的に言えば横浜では魔法式を利用した動力システムや魔法式の構築、起動式の改良のような実用的な部分。京都では魔法そのものにかかわる理論や原理の発表の方が好まれるんだ」

 

雅の説明を鎧塚が補足した。選考を行う教師陣もその点を考慮して最終的な一高の代表発表者を決定している。

 

「そうなんですね」

「五十里先輩って九校戦ではエンジニアを務めていらっしゃったので、技術畑かと思っていましたが、純理論にも精通されているんですね」

 

一年生たちは納得したようにうなずいていた。

 

「へえ。司波君、エントリーもしなかったんですか」

 

和やかな雰囲気とは対照的に元部長であるマリーの周りは空気が一度、下がったようだった。マリーは今年のコンペにエントリーしていたが、校内選考で五十里に敗れ、論文コンペへの出場はならなかった経緯がある。古式魔法における詠唱の意義をテーマにした論文は教師陣からも評価が高かったが、各自が点数を付けた結果、僅差で五十里に軍配が上がった。

評価されている題目があり、実力があるにもかかわらずエントリーをしなかった達也にマリーが多少苛立ちを覚えても仕方がないだろう。

 

「それでも校内発表の場にはこぎ着けられたじゃないですか」

「そうですよ、先輩。それに先輩の方は魔法理論雑誌の方にも掲載の打診があったじゃないですか」

 

後輩たちが不機嫌なマリーをフォローする。マリーは顔立ちがはっきりとしているため、不機嫌そうになられると表情の怖さは二割増しになる。普段は穏やかなマリーだが、無表情であればその顔の造詣も相まっていつも以上に冷淡に見える。その矛先が自分達ではないにしろ、張り詰めた雰囲気は部員たちにとっては居心地が悪い。

 

「先輩、頂き物なんですけれど、チョコレートを持ってきたので、実験の説明をしながらいかがですか」

「あら、本当。ありがとう、雅さん。それじゃあ、実験の打ち合わせをしますよ」

 

そんな空気を読んでか、雅は机の上に某有名店のチョコレートを広げた。

甘いものの登場に剣呑な雰囲気が霧散したマリーは、上機嫌で今日の打ち合わせの資料を配布した。

部員一同、雅に心の中で拍手を送ったのは言うまでもない。

 

 

 

 

 

 

 

9月29日(土)

 

昨年度のような波乱も一切なく、生徒総会と生徒会長選挙はつつがなく行われた。

前回の投票では無効票が多かったことを鑑みて、今年から電子投票が導入された。入場の際に入り口で使い捨ての近距離無線カードが配布され、席に着いたまま投票することができる。昨年度同様、候補者は一名のため、「信任」「不信任」のボタンのみあり、押すと電波が一度だけ飛んで投票される仕組みとなっている。

当然紙よりはコストは掛かるため、高校の生徒会長選挙にそこまでする必要があるかという意見もあったが、北山家の傘下企業からの試供品の提供という形でコスト面の問題がなくなったため、今回採用された経緯がある。集計にかかる手間もなく、その場で結果が開票されるメリットもある。

 

即時開票の結果、深雪が信任率100%で当選した。体調不良や不登校など、事情により欠席した生徒は含んでいないが、冗談や間違っても誰も不信任を押さなかったことに驚きが広がっていた。

 

 

 

「それでは深雪の生徒会長就任を祝って、乾杯」

「「「乾杯!!」」」

 

エリカの音頭で乾杯の唱和と共に、ソフトドリンクが入ったグラスが掲げられた。

アイネブリーゼで就任祝いが行われていた。

参加者は達也、深雪、雅、エリカ、レオ、美月、幹比古、ほのか、雫、水波、七草姉妹、ケントの大所帯だった。香澄の方は普段、このグループとのかかわりはあまりないが、泉美に引っ張ってこられたのと雅がいるのならばと付いてきた経緯がある。

 

「まあ、当然と言ったら、当然の結果よね」

 

エリカの言葉に反論する者はいなかった。それが恐怖によるものか、一種の憧憬じみた心酔なのか、この場で口にする勇者はいなかった。

 

「当然です!深雪先輩以外に一高の生徒会長にふさわしい人物はいません!一高を代表するにふさわしい実力!才能!美貌!立ち振る舞いの美しさ!この結果はまさしく天の思し召しです」

 

異論はなかったが、泉美はすっかりエキサイトしていた。詰め寄られた深雪も思わず体を引いてしまうほど、泉美は熱狂的だった。

香澄は片割れの熱のあがり方にもはや諦めているのか、我関せずとチビチビとソフトドリンクを飲み、視線を逸らしていた。この様子では、ここに来る前も熱弁されたのだろう。

 

「深雪、役員はどうするつもり?」

 

達也や雅でさえ、どのように泉美から熱い視線を一身に浴びる深雪を助ける方法を考えているときに、雫が話題を振る。

深雪はできるだけ泉美を視界に入れないようにしながら、全体を見回した。

当の泉美は緊張と期待で目を輝かせており、生徒会役員として達也の動向が気になるほのかもどことなくソワソワと落ち着かない様子だった。

 

「副会長は泉美ちゃんにお願いしようと思うの。ほのかも手伝ってもらえるといいのだけれど、他の役員についてはまだ決めかねているわ」

 

深雪が申し訳なさそうに言えば、それ以上踏み込む者はいなかった。

 

「光栄です」

 

悲鳴を押し殺して、一人恍惚とした表情で深雪を見つめる泉美に、上級生たちも呆れ気味だった。

達也としては一時期の深雪も雅に対しては一部信仰めいた憧れを抱いていたので、年頃の女子が陥りやすい一種の病なのだろうと達観していた。

 

 

「そっか。部活連の方は?」

 

今度は視線が雅に集まる。雫は次の標的を雅にしたようだ。

 

「明日、正式に服部先輩から次の会頭候補が発表されて、そのあとに役員による信任投票ね」

 

雫の突然の話題転換にも雅は嫌な顔一つせずに答える。結果が決まっている深雪とは違って、雅の進退はまだ不明だ。来季も部活連役員ということは決まっているが、役職が付くかは現段階では分からない。

 

「歴代男子が多いって聞くけど、雅が指名されたら女子の会頭って何年ぶり?」

「少なくとも10年は空いているそうよ」

 

例年、部活連は男子の会頭が担っている。十年ほど前に師補十八家の女性が会頭になったのを最後に、それ以降女子の会頭は選ばれていない。生徒会の方は例年女子生徒が多いため、釣り合いを取っている部分もあると一部では言われている。

現2年生の学年は十三束やエリカのように百家に数えられる家系はいても二十八家に連なる人物はおらず、並みの数字持ち(ナンバーズ)以上に家柄の伴った雅ならば対外的にも顔が効く。加えて今年度から部活連の役員自体の体制が変わり、才能、実力、実績の伴った雅ならば会頭に選ばれても不思議ではないという風潮はある。

 

「いろいろ意見はあるとは思うけれど、結局明日になってみないと何もわからないから何とも言えないわ」

 

雅自身、役員自体にそれほど抵抗感はないが、神楽や部活動で時間が取られている以上、負担が大きいのも考え物だ。

一般的な3年生は受験も待ち構えているが、基本的に生徒会や風紀委員などの役員関係は成績優秀者から選ばれるため、受験前になって涙を流すような生徒はまずいない。名誉職の風紀委員は除き、生徒会役員であれば魔法科大学入試の時点で加点にもなっているため、メリットがないわけではない。

生徒会と風紀委員、それと部活連会頭と補佐は例外的に学内でCAD携行許可もあるが、それは万一の際の対応を迫られる責任も伴う。責任があるから権利があり、権利があるから責任がある。ただ(いたずら)に目先の利益に飛びついて立場だけを欲するのは、愚者と呼ばれても差しさわりない。

 

 

一部盛り上がった者もいたが、おおむね店の雰囲気に合った和やかさでパーティは終了した。

アイネブリーゼで出された軽食はそれなりに量があったので、司波家に戻った4人はこの日の夕食を取らないことにした。

帰宅後のお茶の時間は外せないようで、いつも通りに水波と深雪の間でどちらがお茶を淹れるか攻防があったが、「今日は深雪のお祝いだったから」と達也の鶴の一声で深雪は大人しくソファーに座って待つこととなった。

 

三人掛けのソファーに達也を中央にして、深雪と雅が両端に座っている。達也は両手に花の構図だが、それを見て水波が表情を変えることは無い。

見慣れてしまったというより、姉妹丼などという一部同級生男子が口にしていた俗物的な単語が一瞬頭を過ったとしても、メイドとしての心構えによりその程度のポーカーフェイスはお手の物だった。

達也にコーヒー、雅と深雪の前にミルクティーを並べ、水波はテーブルの横に立った。

 

「水波ちゃん」

「はい、深雪姉さま」

 

一瞬悟られたかと冷や汗をかいたが、水波はいつも通りの口調で返事をすることができた。

 

「実は、生徒会の新役員として水波ちゃんに庶務をお願いしようかと思うのだけれど」

「庶務、ですか」

 

やや呆気に取られつつ、深雪の言葉を確認するように水波は繰り返した。

 

「ええ。試験的に役職を増やしてみることにしたの」

 

現行方式の生徒会執行部は、会長、副会長1名ないし2名、書記、会計1名ないし2名の最大6名まで採用することができる。

生徒会の仕事は時期にもよるが、高校生に任せるにはやや多いと言える事務量である。役職ごとに仕事が割り振られてはいるが、繁忙期は各自でそれぞれの分野の手伝いを行うこともある。今年度は達也が入ったことで多少緩和された部分があるが、例外的な達也の事務処理能力を基準にすると、今後の生徒会運営にも支障が出かねない。

 

前年度以前から人数の拡充は話題になっていたが、それでも生徒会執行部の有能さもあり、先送りにされてきた現状がある。魔法科高校は学生による運営を尊重しており、新生徒会発足時に必要性を理詰めで固めて深雪が教師に説明をすれば、その決定に意見は出たとしても反対はされないだろうと踏んでいる。

実際に、深雪の演説の中に生徒会役員の拡充について盛り込まれていたが、壇上に上がった深雪の姿に多くの生徒は内容について耳半分といったところだった。

 

「担当としては生徒会に関わる庶務と広報を担ってもらう予定よ。詳しくは月曜日に説明するわ」

「…………はい」

 

硬い声で水波は了承をした。本音を言えば、彼女にとってあまり目立つのは好ましくないと考えている。それは自分が使用人だからと卑下しているわけではなく、単に性格的な部分もあり、学校運営の矢面に立つことに抵抗感があるのだ。

加えて、家でも距離感の近い三人を見ているのに、放課後の時間までその様子を見ることに対する抵抗感も内心ある。

しかし、ガーディアンとしては深雪と同じ時間を過ごせることは護衛上必要なことであるとも理解している。

 

「そうだな。CAD携行のメリットもある。水波は生徒会役員になるべきだろう」

「そうですよね」

 

深雪が嬉しそうにわずかばかり開いていた達也との距離を詰めた。この二人の決定したことに、水波は反論できるほどの権限も弁舌も持っていない。いくら抵抗感はあっても抵抗はできないのだ。

 

 

「でも生徒会ではなくても部活連も会頭補佐なら、CADの携行はできるわよ」

 

雅が不憫に思ったのか、水波に助け舟を出す。次代の会頭の推薦は前会頭に権利があるが、補佐役については新たに部活連会頭となった人物の裁量による。

最大二名まで選出できるので、二人の内一人を一年生にしたところで部活連運営にかかわる人材育成と説明できる。

 

「ただ、補佐をしてもらうなら部活連にいる七宝君ともれなく顔を合わせることになるわよ」

 

水波は部活連の役員の資格はあるが、現段階で役員ではないので、いきなり部活連会頭補佐に抜擢されれば注目が集まることは間違いない。平穏に仕事がしたいと思っても4月から活動している七宝琢磨を押しのけて補佐役になったとすれば、自尊心の塊のような彼と衝突する未来は目に見えている。

結局、水波の天秤は生徒会役員に傾いたのだった。

 

 

 

 

翌日の日曜日。

 

夜も近い時間になり、神楽の稽古を終えた雅は九重八雲に呼び出され、九重寺を訪れていた。

僧坊の一室には結界が張られ、精霊の侵入を拒むとともに現代魔法や電子機器による盗聴の類もできなくなっている。込み入った話であることは部屋の準備を見れば一目瞭然だった。

 

「夜分にすまないね」

「急ぎの御用事なのでしょう」

「急ぎというより、君らが厄介ごとに巻き込まれているようだったからね」

 

雅は八雲の語る厄介ごとの内容に心当たりがあった。

 

「不躾に人様を盗み見る輩のことですか」

 

早朝、司波家から神楽の稽古のために出かけた雅は、駅で人造精霊の待ち伏せを受けた。

盗聴と監視目的の精霊であることは視認するまでもなく、駅に到着以前から雅の周囲に自然と集まる精霊が悪意を伝えてきていたので、その存在は感知していた。

不特定多数を監視している可能性もあったため、雅はキャビネットが到着するまでは人造精霊に気が付かないふりをしていた。数分後に到着したキャビネットに乗り込み、目的地を入力する動作を取ると、精霊がキャビネットに張り付こうとしており、狙いは雅だと確定された。

雅は懐に隠していた扇を開き、一振りすると、人造精霊を使役主のところへ送り返した。多少しっぺ返しも付けたが、数日寝込む程度のものであり、命に別状はない。術者のレベルが高くなかったのか、駅の比較的近くに潜んでいることも把握していた。

 

「うちの血気盛んな若い衆が流石の腕だとほめていたよ。」

「光栄です」

 

八雲にとっては自分の庭とも呼べる街中で、古式魔法師がウロウロしていることに気が付かないはずがない。また、ロードワークを兼ねて朝の見回りを行っていた九重寺の門人たちがそれを発見することもまた、八雲の弟子ならば当然の腕だった。

 

「それで、相手の狙いは兄ですか」

 

この場に雅が呼ばれたということは、不躾な輩の正体と誰の指図か分かっているということだ。

雅の兄である悠は意中の相手がいると噂されているが、その影は未だ誰にも掴まれていない。妹である雅にすら内密にしており、両親や千里眼を持つ祖父はおそらく知っているだろうが、それを雅が聞いたところで簡単に教えてくれるわけではない。

しかし、雅が【紫の上】が誰だか知らなくても、周りの人間はそうとは思わない。雅を尾行することによってその正体を炙り出してやろうとする輩がいないとも限らない。

 

「いや、今回は別件だろう」

 

 

八雲は僧坊の入り口の扉を見つめた。

外では何やら門人たちが威勢の良い声を上げているようだが、正確な内容は聞き取れない。そうして音が止むと、扉の前に人の気配がした。

 

「失礼します」

「やあ、達也君。こんばんわ」

「毎回、わざわざ皆さんで丁重に(・・・)出迎えていただかなくても結構ですよ」

 

扉を開けて入ってきた達也の皮肉に、八雲はいつも通り剽軽(ひょうきん)な様子で肩をすくめた。

 

「彼らが君に対抗心を燃やしているんだ。君もいい肩慣らしだと思って、大目に見てやってくれないかい」

 

達也に八雲の門人が束になって襲って来ようと、準備運動にしかならないことは八雲も分かっている。師である八雲ですら達也の体術は目を見張るものであり、彼の並外れた眼の才能があったとはいえ、ベースにある地獄のような鍛錬の上で成り立っていることは理解している。しかし、このところ毎日のように新しい魔法の開発で根を詰めているので、その息抜きにでもしてほしいという師としての心遣いという名目もあったが、達也にしてみれば、有難迷惑と言ったところだ。

 

「まあ、本題に入ろうか」

 

達也が雅の隣に腰を下ろしたことで八雲は本題に取り掛かった。

 

「君らが随分と面倒な相手に絡まれていると聞いてね」

「君ら?」

 

達也がわずかに眉を寄せる。この場に雅がいることと、八雲の言葉で雅の方に何かあったことは、明確に言葉にされなくても理解できた。

 

「駅で少し人造精霊に付きまとわれただけよ。害はないわ。そっちは?」

 

雅は淡々と答えた。現代魔法、古式魔法問わず、不意打ちだろうと雅が遅れをとるとは達也も思っていない。ただ、達也の知らないところで雅の方にも敵対する古式魔法師の手が伸びているということが問題だった。

 

「こちらも人造精霊が家の中を覗こうとしていただけだ」

 

司波家の方も、昼前の時間帯、人造精霊が家に侵入しようとしていた。しかし、一高と同レベルで外壁に展開し、機能している防御術式に阻まれて侵入すらできず、達也の手によって人造精霊を構築する魔法式を”分解”された。

付け狙ってきた古式魔法師の裏にいるのはおそらく周公瑾であり、狙いは世間で四葉とのつながりがあると噂されている黒羽姉弟が協力者として選んだ自分たちを監視するためだった。黒羽姉弟が並みの古式魔法師程度の尾行に気が付かないはずがなく、おそらく家の居場所を突き止められたのも達也を一種の囮として使うための四葉家の計画の一つだろうと考えている。

 

「仕事を受けまして、それに対するトラブルだと思われます」

「仕事?風間君かい」

「いえ、軍ではない方です」

「内容を聞いてもいいかな」

 

達也は言葉を選びながら、八雲の質問に答えていく。

 

「おそらく京都方面での仕事になるかと。師匠の手を煩わせることは無いと思います」

「遠慮はしなくていいんだよ。『伝統派』とは因縁もあるしね」

 

八雲は僅かに唇の端を吊り上げた。達也は昼間の連中は八雲が確保していると確信した。

 

「やはり『伝統派』と呼ばれる古式魔法の一派が関わっていましたか」

「名乗っているだけなんだけれどね……」

 

全国の古式魔法師の中には、伝統派という名称すら嫌がる者もいる。元々、伝統派を名乗る輩は伝統的な修行方法を良しとせず、古式魔法と現代魔法との融合を唱えた旧第九研究所に協力した古式魔法師だ。本当の意味で古くからの伝統を守っている一派から言わせれば、恥ずべき存在だと顔をしかめる者もいる。一部の表にも知られた古式魔法師の派閥の中には、伝統派を粛清すべきという声も上がっている。

 

「でしたらなおのこと、師匠の手を借りるわけにはいきません。古式魔法師の内乱なんて洒落にならないでしょう」

「やれやれ。僕も悟りにはまだ遠いな」

 

八雲の剣呑とした雰囲気は和らいだ。

 

「それで、うちの家を覗いていた奴らはここにいるんですよね。俺にも聞きたいことがあるんですが」

「今は無理じゃないかな。ちょっと無理をさせちゃったから、今は静かなところで休んでいるよ」

 

いつもの薄ら笑いは変わらず、底冷えのするような声で八雲は世間話のように言った。

 

「でしたら、そいつらの素性を教えてもらえませんか」

「彼らは伝統派に雇われた野良の魔法師だよ」

「野良の?」

 

達也は訝し気に問い返した。

 

「意外かい?」

「現代魔法師の最低基準を超えなくても、特定の術を使える人はそう少なくないわよ。実際、小野先生がそうでしょう」

 

八雲の言葉を、雅が補足した。雅や八雲は意外とは思っていないようだが、達也にしてみれば聞きなれないことだった。魔法師は貴重な人的資源だ。この国では、魔法師は老人から子供、善人から犯罪者まで国によって厳重に管理されている。その例外ともいえるべき達也のような存在は、十師族体制によって間接的に国が管理しているとも言える。

 

「小野先生も公安に身を置いているし、そういう人物は十師族やそれに準ずる家が私的に囲っている場合が多いだろう」

「裏道はどこにも存在するだろう」

「では古式魔法師にはフリーの魔法師が多数いると?」

「正確な数は僕は把握していないけれど、かなりの数はいるんじゃないかな」

 

達也とすれば伝統派の規模はある程度目星は付けていたが、対峙しなければならない敵の数を上方修正した。

 

 

 

 

 

八雲との話が一通り終わり、雅と達也は九重寺にある地下の実験室に来ていた。雅は雅で試したいことがあり、達也は取り組んでいる新魔法の実験を行うためだった。

 

「進捗はどう?」

「正直なところ、少し行き詰っている」

 

雅の質問に達也は深くため息をつきながら答えた。

達也が開発しようとしているのは分解が効かない相手への殺傷性のある魔法だ。

具体的には高密度の中性子線による物理攻撃であり、分解魔法が効かない相手への対処として生み出そうとしている魔法だ。

中性子線は非常に透過力が高く、そのエネルギーを吸収するには中性子と同じ程度の質量をもつ水素や水素イオンのある水やコンクリートにぶつける必要がある。

エネルギー吸収の際には熱量が発生するため、高密度の中性子線を浴びると生物の細胞の水分は超高温に熱せられ、致死性のダメージを負う。

 

いつも使用している特化型のCADに炭素鋼でできたアタッチメントを装着し、そのアタッチメントを『分解』でバリオン、陽子、中性子にする。バリオンが拡散するという物理法則が働く前にバリオンを薄い円盤状に収束させ、対象に射出する、という理論はできている。原理的にはスターズのアンジー・シリウスが使っていたブリオネイクとそう変わらない。

 

魔法で改変された事象は本来この世界にない事象であることから、物理法則が発動するまでごくわずかなタイムラグが生じる。現段階で、達也はバリオンを取り出し、収束させる段階まではできている。

 

しかしながら分解魔法の発動後、物理法則が強制力を取り戻すまでの極小時間内にバリオンを射出させるための移動魔法を完成させる目途が立っていなかった。魔法式を出力するだけならフラッシュキャストを持つ達也ならば一般的な魔法師より、断然早く可能だ。だが出力させても、魔法を完成させるだけの干渉力が必要になる。本来『分解』と『再成』に干渉力を割かれている達也にとっては、そこが難問だった。

 

「移動系術式もシミュレーション上は問題ないから、もう少し全体の起動式の見直しを行うつもりだ」

「理論は一応理解できたつもりだけれど、移動魔法を使わないという方法はないのよね。例えば、刻印魔法や電子機器による機械的な補助も不可能なの?」

「ブリオネイクは結界装置内でFAE理論上の極小時間延長を図り、移動はローレンツ力を使っていた。だが、効率となれば直接移動魔法を使うのが一番いい。まあ効率を重視しても、現段階では、とんだ自爆攻撃にしかならないがな」

 

皮肉めいた表情で現実性のない仮定を呟くほど、達也は糸口の解決に困っているようだった。

 

「中性子って、自然法則に従えば拡散しようとする力を持っているのよね。バリオンの射出を極小時間内で完結させることが出来ていないならば、あえて収束も移動魔法もその極小時間を過ぎて物理作用が働きだすところで作用させることはできないのかしら。拡散しようとする物質を収束させるのだから、その余剰なエネルギーを移動魔法に利用すればエネルギー収支的には釣り合いが取れるんじゃないかしら」

「それも考えてみたが、FAE理論上の極小時間内で作用させれば計算上は秒速一万キロで射出が可能で、魔法力以上の威力が生み出せる」

「効率、威力を考えれば極小時間内ですべてを完結させることが最上の回答というわけね」

 

雅は肩をすくめた。雅はどちらかと言えば、感覚で魔法を理解するタイプだ。理論分野が苦手というわけではないが、達也ですら理論の解明に3か月かかった難問のさらに実用化の課題について急に考えれば、頭を抱え込みたくなる。

 

「だが、少し整理もできた。ありがとう」

「それならよかったけれど、偶には冷たい水じゃなくて、ゆっくりとお風呂にでも浸かったら、いいアイディアでも出てくると思うわ」

「今日はそれほど遅くまで残るつもりはないよ」

 

達也はここのところ、八雲の地下室で実験をしたときにはいつも帰宅は深夜近くだ。流石に雅を連れて深夜に帰宅すれば、皮肉と冗談と期待を込めて、『明日はお赤飯の用意をしますね』と深雪に言われることは目に見ている。そして合わせて水波の冷たい視線も浴びる羽目になるだろう。

 

「雅の予定は?」

「30分程度あれば十分よ。今度、古典部の研究発表の内容の確認みたいなものだから」

 

10月に入れば、論文コンペに向けた準備で学校全体が徐々に忙しくなる。古典部もその忙しさのさなかに発表をするよりは、10月上旬の比較的忙しくはない時期に設定したのだろう。

 

「たしか、大学との共同研究の一環だったか」

「そうよ」

 

大掛かりな屋外での魔法実験を行うときは生徒会に報告するようになっている。達也が事前に内容を知っていたのも、業務の一環として申請書に目を通していたからだった。

 

「時間があれば、見に来てくれると嬉しいわ」

「既に深雪が時間調整は終わらせていたよ」

 

雅が舞うとなれば、深雪が黙っているわけがない。申請があったその日のうちに、発表の日の業務が極力少なくて済むように既に手はまわしてある。

深雪が雅を慕っていることはよく知っている。加えて最近は泉美や香澄も心酔まではいかないものの、確実に惹かれている。同性に懐かれたり、崇拝されることは雅にとって珍しくないことだと達也も知っているが、気分がいいかと言われれば複雑と言うほかない。恋愛感情が伴う者がいないだけまだ救いなのだろう。

そんな胸中を見越してか、雅が頬を緩めた。

 

「達也は知らないでしょう。私、達也がいるときが一番美しく舞えているって、悠兄様に言われたのよ」

 

九重神楽は美しい。神に捧げ、人々の安寧を願うものであるから、優雅で耽美で、清廉で、そして少しだけ畏怖を孕んでいる。軍事目的ではない魔法の数少ない利用方法でもある。

雅はその演者として名を知られているが、天上の美しさを顕現させた悠の方が優れているのも確かだった。

そんな悠が羨ましそうに雅に零したことがある。恋の酸いも甘いも知り、愛し愛される者の満たされた笑みにかなう美しさはないと。

 

「そうか」

 

達也は同じように頬を緩めた。

複雑と表現した達也の心情にはおそらく僅かばかりの嫉妬心や独占欲も混じっていた。意味のない感情であると達也は理解しているが、感情は素直だ。本人が自覚している感情も自覚していない感情も、名前があり、理由や意味が伴っている。無頓着だった自分の感情の機微を自覚できるようになったのも、雅がいたからだった。

 

達也の行動は全て、ひとえに深雪のためにある。深雪が四葉という巨大な存在から自由になるために達也の今までは捧げられ、これからも実現するその日までそうあることは変わらない。

それでも、唯一、雅だけは達也が自分のために繋ぎ留めたいと願ったものだった。




更新遅くなりました。
少し時間に余裕ができてきたので、感想の返事が書けると思います。
今まで感想を書いてくださったのも、全て読ませて頂いております。

誤字脱字報告、感想などお待ちしております(*゚∀゚)

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