恋ぞ積もりて 淵となりぬる   作:鯛の御頭

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『〇〇〇物語』という作品タイトルで作品を紹介するというネタがありました。『世界を救う物語』、『愛とは何かと問う物語』、『幸せになりたい物語』、『夜ひとりでトイレに行けなくなる物語』、『笑いたいだけの物語』
作品を持っている方は名前を付けてみてください。

色々なタイトルがあるのでしょうが、この作品に名前を付けるとするのならばきっと『自分と向き合う物語』なのだと思います。
それはこれまでの話だけではなく、今後の展望も含めた意味合いです。



九校戦、折り返しの六日目が始まります。


九校戦編11

・・・九校戦六日目・・・

 

女子バトルボード準決勝。

3人で行われる準決勝は勝者一人が決勝へと進むことができる。

予選を突破したのは雅とほのかであり、第一レースでほのかが無事勝ち進み、一高の表彰台は確実となった。

 

準決勝第一試合はほのかが出場したため、予選で見せた水面に光を乱反射させ視覚を奪う妨害魔法の対策として選手は全員サングラス着用の異様な雰囲気だった。

しかしそれすら布石であり、水面に影の明暗を付けることで色の濃いゴーグルをつけた選手たちは水路の幅を錯覚し、カーブで大回りをしてしまった。

結局は達也の掌の上で踊らされているだけのようだった。最も、ほのかとしては達也に作戦を授けてもらったということ自体がモチベーションアップの要因だろう。

 

「お待たせ。ボードのチェック、問題なかったよ」

「CADもOKです」

 

中条先輩と五十里先輩がデバイスチェックを終え、選手控室に戻ってきた。私のエンジニアは中条先輩だが、五十里先輩は今回特別に協力してもらっている。五十里先輩は本来なら新人戦男子ピラーズ・ブレイクのエンジニアだが、男子は予選で敗退したため今日はオフとなっていた。

 

「ありがとうございます。提案しておいて、今更ですが自分でもよく通ったと思いますよ」

「想定外って言う方が大きいんじゃないかな?前例はないし、僕もこんなところで得意分野が生かせるとは思わなかったよ」

 

中条先輩からCADを受け取り、五十里先輩からボードを受け取って両方の感触を確かめる。

紡錘形のボードはサーフボードなどと同様にカラーリングされているだけなのだが、これには五十里先輩の手によって刻印魔法が刻まれている。術式自体は私が提供したが、それを難なく刻むことができた先輩は既に高校生ながら腕は十分満足いくものだった。

 

「問題ないですか?」

「はい」

 

外部からの妨害工作、特に電子金蚕の不安は未だに残っている。軍から提供された術式により、一高選手全員のCADのハードカバーの裏面に侵入防止の術式を刻んである。ただし、刻印を刻むにもそれなりの時間がかかる。万が一デバイスに不調があった場合は予備機に交換するが、それには刻む時間がなかった。さらに、他校に仕掛けられていた場合はこちらでの対処は後手になるため、万全の対策とは言い難い。

 

私は毎回チェックのたびにCADに異物が紛れ込んでいないか内部まで深く精霊を巡らせてチェックしている。今回も特に問題なさそうだ。

 

「流石は五十里先輩と中条先輩です。中条先輩は掛け持ちで大変ですし、五十里先輩は難しいお願いでしたでしょう?」

 

「いえ、私がしたことは最終チェックぐらいなので大したことないです。」

 

「こっちもいい勉強になったよ。それに司波君ばかりにいいところを持って行かれているからね。期待しているよ」

 

達也の活躍は僅か二日で他校だけではなく大学関係者、大手企業にも知れ渡っている。おそらく達也がいなければ、一高はここまで快進撃を続けることはできなかっただろう。一年生ばかりにいい所を取られるのはいくら穏やかに繕っていても、先輩方にも意地がある。五十里先輩も中条先輩もそれは同じエンジニアとして思うところがあるらしい。

 

「恐れ入ります。全力を尽くします」

 

与えられた機会に最善を尽くすこと。それが私に出来る唯一であった。

 

 

 

 

 

 

所かわって観客席。

 

一高E組のメンバーは第一レースに引き続き、雅の試合観戦のために席に着いていた。一般用の観客席は既に多くは埋まっており、関係者席にも人が多い。深雪目当てに観戦していた観客がこちらに流れてきたのだろう。

 

選手が入場すると観客から拍手が送られる。そこで幹比古は雅が抱えているボードの柄が前回と異なることに気が付いた。

 

「あれって刻印魔法だよね」

「ボードに描いてある図柄?確かに啓先輩がエンジニア席にいるし、もしかして雅の秘策?」

「さあ、分からない。僕も五十里先輩ほど魔法幾何学に詳しいわけではないし、何らかの理由があっての事だろうけど・・・」

 

エリカたちは一様に首をかしげた。

 

刻印術式は正直燃費が悪い。それをバトルボードで使用すれば、想子切れは目に見えた結果だ。それをどのようにバトルボードに生かすのか皆目見当がついていなかった。

 

「精霊が、集まっている?」

 

感覚的に何かあると感じ取った美月は恐る恐る眼鏡を外して、雅を凝視していた。普段であれば卒倒するような夥しいほどの霊子放射光なのだが、雅からもらったお守りのお蔭か酔うこともなく、少し眩しく感じるだけで済んでいた。

 

「どういうことだい、柴田さん」

「雅さんのボードに水色や青の精霊が集まっています」

 

美月の目は雅の持つボードに漂う精霊を捉えていた。

 

「青って事は水性魔法をかかりやすくしているのかもしれないね」

 

吉田家の神祇魔法では青の精霊は水に属するものと分類されている。

バトルボードでは水面に魔法で干渉し、妨害することはルール上問題ない。渦を作ったり、波を立たせるなどポピュラーな方法だ。

だがしかし、これまで達也の戦略を見ていた者たちにはそんな単純な手法とは思えなかった。特に幹比古は自分も知らない精霊魔法が行われるのではないかと食い入るように試合を待ち望んでいた。

 

 

 

試合を告げるコールがなり、青いランプが点灯すると雅は予選同様先頭を走りだした。

 

「相変わらず速いわね」

 

エリカは自己加速術式を得意とするが、流石に水上となると自分とは畑が違う。そうだとしても、いくら加速出来ても感覚が追いつけなければ意味がない。制御できる限界の速さを維持し続けている魔法とそれを可能にしている身体的技術と感覚にはエリカも舌を巻いていた。

 

いくら魔法師でも基本となる肉体は超人的なまでの高速移動を実現する感覚を初めから持っているわけではない。調整体魔法師は最初から感覚を鋭敏にしたり、反射速度を特化した者もいるが、雅もエリカもそうではない。易々と動いているように見えて、その背景には血の滲むような、歯を食いしばって耐えてきた努力の積み重ねがある。そう言った意味でもエリカは雅を評価していた。

 

「けど、第一試合ほどじゃないぜ?」

 

大型モニターに表示されたラップタイムを見れば第一試合の方が良いタイムであり、二位との差もそれほど開いていない。

差があまりない以上、前方に渦を作られたり、横波を浴びたりしているが、雅はバランスを崩すことなく硬化魔法でボードとの位置を固定しながら走り続けている。

 

 

混戦状態は2周目以降も続き、雅がリードを保っているが結果がまだどうなるか分からない。見ごたえのあるレースに観客は盛り上がり、出場校の応援団は声援を必死に飛ばしていた。

後続二人は焦りが見えているが、雅はまだ余裕そうな表情だ。

 

 

そして勝負が動いたのはラストとなる三周目。

 

雅はスピードを上げると、水面から冷気が立ち上った。

 

「水面を凍らせている?!」

「確かに氷の方が摩擦は少ないけど、3kmにもわたる距離を全て凍らせるのは難しいんじゃないか」

 

会場にどよめきが広がった。

ボードの数メートル先まで水面が幅1mにわたり凍りつき、雅はその上を滑走していた。

 

水上と氷上では摩擦係数は氷上の方が少ない。

よってスピードは今までとは段違いになり、カーブも傾斜をつけた氷によってスピードをほぼ落とすことなく走っていた。

 

「こんな規模の魔法を発動するってことは、余裕がないのか?」

「いや、狙いは違うよ」

 

レオの疑問を幹比古は間髪入れずに否定した。

氷そのものの厚さはそれほどなく、凍りついた水面は雅が通った直後、衝撃によって砕け、水路上に散らばった。

後続の選手たちは障害物のため、否応なしに減速するしかなかった。

 

「ただの水面を走行するのと、氷混じりの障害物のある水上では出せるスピードが違う。氷を避けようにも、あれだけ散らばった状態で避けるにも時間をロスしてしまう。かといってそのままのスピードで進めば、間違いなくバランスを崩し、無駄な魔法力を使う羽目になる。九重さんはその間にも氷上を進むから差が開くんだ」

 

平面コースだけ凍らせているが、その差は既に追いかけることが絶望的な距離であり、スピードは増すばかりだった。残り四分の一程度の距離で水面を凍らせることなく走ったが、振り返ったところで相手選手の姿は既に見えない距離まで開いていた。

 

そのまま余裕を持ってゴール。

観客は割れんばかりの拍手を送り、興奮した様子で一高関係者は立ち上がっていた。この瞬間、一高のバトルボード優勝、準優勝が確定した。

 

 

 

 

 

 

 

雅の準決勝を達也と深雪と雫はモニターで眺めていた。これからしばらくすれば雫の試合だが、二人とも試合結果が気になって仕方なかったようだ。

 

「大会新記録だね」

 

雫がNEW RECORDの文字を見て小さく驚きを浮かべ、深雪が自分のこと以上に誇らしそうにしていた。

達也はそんな二人と感慨深げにモニターに映る雅を見ていた。

初めは担当エンジニアをしてやりたい気持ちが強かったが、自分などいなくても教えたことを十分発揮できたようだ。刻印術式を使用するとは初耳であり驚かされたが、今回の一件で魔法を使った移動アイテムに刻印術式が刻まれるという技術的発想が広がるだろうと思案していた。

 

「達也さん、どうやって移動魔法を使いながらあんな大規模な魔法を仕掛けたの?」

 

モニターを一緒に見ていた雫は素直な疑問を呈した。

雅は確かに首位に立っていたが、自分が見た限りでは一回戦と似たような魔法しか使っていなかった。おそらく水面を凍らせたのは水分子を対象とした減速魔法だが、あの規模でスピードを維持しながら行うにはかなり難しいはずだ。

 

「1周目からだ」

「1周目から?だって、首位争いをしているあの状況で?」

 

達也の端的な答えに雫は瞳を見開き、確認を含めて再び疑問を口にした。

 

「ああ。CADだけが魔法じゃない。2周分の時間を使って詠唱を行ったようだ。おそらく1周目から水の精霊を喚起していたのだろう。通常、5分もあれば足りる術式を二回行えば干渉強度は増強している。ボードも刻印術式が刻んであるし、あれが魔法の補助道具の役割を担っているんだろう」

 

「あれって規定違反にならないの?」

 

「全面凍結なら流石に危険行為とみられるだろうが、他の選手がコース取りできるようにスペースも開けてある。イエローフラッグも上がってないし、問題はないはずだ。ボードもデバイスチェックを通ったんだし、有効と認められたんじゃないか?」

 

「なるほど。あと刻印術式って普通かなり消耗するんだよね?」

 

いくら三位決定戦を挟むとはいえ、この後も決勝戦が残っている。この後の試合も考えて、消耗は抑えるべきところであるが、雅の行った魔法は効率がいいとは言いにくい。

 

「使ったのは三周目の平面部分だけ。それ以前に精霊喚起は行っているし、消耗自体大したことはない。前半は雅にとってかなりスローペースだったし、あの程度の事は造作もないだろう」

 

雅は一般的な術者と異なり、精霊喚起に要する魔法力は非常に少ない。

それこそ言葉を語りかける程度の労力で、精霊たちは雅に力を貸す。

それは九重だからできることあり、おそらく幹比古が聞けば卒倒するような才能だ。

 

「流石はお姉様です」

 

自分の担当種目ではないのに良く知っていると雫は思った。

確かに雅の魔法力は深雪と並んで、頭一つ抜けている。

それは同じクラスで実習を行ってきたほのかも雫も良く理解している。だからこそ、決勝を控えた自分の親友の事が気がかりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

午前中の試合を終えた段階で、女子ピラーズ・ブレイクは三人とも準決勝で勝ち、一高が決勝リーグを独占することになった。バトルボードも決勝は一高同士の組み合わせとなり、早くも一高内部はお祭り騒ぎだった。快進撃の裏ではやる気が空回りしてしまった男子メンバーがいたたまれない様子で、暗い顔を浮かべていた。

 

達也とあずさ、ピラーズ・ブレイクに出場した深雪、雫、エイミィ、バトルボード決勝の雅とほのかはホテルのミーティングルームに集められた。

 

「皆、よく頑張ってくれました。決勝リーグが同一校で独占されるのは初めてのことであり、バトルボードも上位独占は初の快挙です。」

 

誇らしそうに賛辞を述べた真由美に後輩たちは礼を返した。真由美は一呼吸置くと、少しだけ申し訳なさそうに言葉を続けた。

 

「勝敗に関わらず、各校に与えられるポイントは同じです。決勝戦を省略しないかという話が大会委員側からでているのだけれど、皆はどうかしら?」

 

その言葉に雅とほのかは顔を見合わせ、ピラーズ・ブレイクの三選手も互いの顔を見た。

 

達也は真由美の言葉に皮肉げに唇を歪ませ、あずさは困惑していた。

良いように取り繕ってはいるが、要するに大会委員が楽をしたいと言うだけだ。

エイミィはあまり調子も良くなく、三回戦で激闘したため棄権を申し出た。達也もこれは妥当だと判断した。

 

「私は深雪と戦いたい」

 

雫の瞳は強い意志を宿し、真っ直ぐに真由美を見ていた。

 

「ほのかは?」

「私は…」

 

ほのかは視線を下に彷徨わせた。正直、雅相手に勝てる気はしない。

雅が残した大会記録は男子と合同で行っていた時の競技記録を合わせても今までの最速だった。

ほのかは苦手な魔法もなく、細かい制御も得意だし、光学系魔法は誰にも負けないと思っている。

それでも雅は勝負慣れしている。体力的にも雅の方が十分あるし、魔法を自分よりも使い慣れている。勝率は考えるまでもなかった。

 

「・・・私も雅と決勝戦をやりたいと思います!」

 

それでも雫が深雪に挑戦すると言ったように、ここで自分が逃げてしまえば自分が抱く思いからも逃げてしまうことになる。決して敵わないことだと知っていても、ほのかにも女の子として譲れないものがあった。

 

「北山さんがわたしとの試合を臨むのならば、私に断る理由はありません」

「私も同意見です」

 

そんな二人の熱意を受け、深雪も雅も勝負の場に上がることを望んだ。

 

 

 

 

 

 

ピラーズ・ブレイクの決勝リーグは決勝戦と看板を変え、他の競技と時間をずらして行われることとなった。一般席は立ち見もあり、関係者席も空席がないほど埋まっていた。それほどまでこの競技の注目度が高いことが窺える。

 

二人の少女が登場すると、会場は歓声ではなく水を打ったように静まり返り、試合が始まるのを待ちわびた。

 

方や清廉な白の単衣に緋袴。

方や水色の涼やかな振袖。

静寂な闘志はこの競技に相応しい雰囲気だった。

 

 

 

試合が開始されると、深雪は一回戦から同じく『氷炎魔法』を発動し、雫は氷柱の温度変化を抑える情報強化を施していた。

同時に深雪の陣地に共振破壊を行うが、全て地中で遮断されている。

しかもエリアに作用する『氷炎魔法』は空気の過熱を伴い、情報強化では防げない。

 

雫が袂から拳銃型の特化型CADを引き抜くと、一瞬深雪の顔が驚愕に染まった。

CADの同時操作は極めて精密なサイオンコントロールが要求される。

達也や雅ならいざ知らず、サイオンを暴走させてしまう深雪にはまだ無理な技術だ。それをこの九校戦の短期間で仕上げてきたことに、深雪は動揺を隠せなかった。起動式が読み込まれ、CADから熱線が発射され、今大会初めて深雪の氷柱が砕けた。

 

雫が発動したのは『フォノンメーザー』

超音波の振動数を上げ、熱線として使用する魔法であり、達也が雫に授けた秘策の一つだった。

 

だが、深雪が動揺したのは一瞬。

雫が新たな魔法を発動させると同時に、『氷炎地獄』を解除。

新たな魔法を作り出した。深雪の陣地はたちどころに白い霧に覆われ、ヒビの入っていた氷柱を再び凍結させた。

 

広域冷却魔法『ニブルヘイム』

本来は領域を均一に冷却する魔法だが、応用として液体窒素、ダイヤモンドダストすら発生させることもできる。

 

雫の発動した情報強化は元ある氷柱だけに作用している。

直前まで温められていた空間で融点に達した液体窒素は氷柱に付着し、水たまりを作った。

それを膨張させれば、雫の氷柱は一斉に轟音を立てて崩れ落ちた。

 

その迫力に、一拍遅れで試合終了を告げるブザーが鳴った。

とても一年生とは思えない高等魔法が立て続けに展開され、専門家の度肝を抜いていた。健闘をたたえる拍手が送られるが、雫は悔しげに手を握りしめていた。

 

 

 

 

 

 

 

雅はその様子をモニターで様子を見ていた。

 

CADの調整と試合時間の関係上、直接試合会場には行けず、バトルボードの控室で観戦していた。試合はこれから三位決定戦が行われた後、雅とほのかの決勝戦が行われる。

雅は控室で最終調整を行っていたが、それも終わっている。

あずさは先にほのかの調整を行っているため、彼女が最終確認に来るまで手持無沙汰の状態だった。術式は予選から変わらない部分もあるが、使うかどうか迷っている術式もある。

 

「失礼する」

 

部屋の扉がノックされて、応じると十文字と鈴音が立っていた。珍しい組み合わせだった。

生徒会と部活連の共同で九校戦を支えているが、この二人が揃って来ることは雅にとって予想外だった。

 

「様子見と応援に来ました。調子は良さそうですね」

「ええ。問題ありません」

 

鈴音は真由美からエンジニアを打診されたときも調整は専門ではないと言ってはいたが、才女と名高い彼女にしてみれば選手の状態とCADの状態を示すモニターを読み取ることは朝飯前の事だった。

 

「何か今の所、問題はありませんか」

「ありません。強いて言うならばあまり待ち時間がない方が嬉しいですね」

 

まだ試合開始まで一時間以上あり、選手はこの時間の過ごし方によってコンディションが左右されることもある。そのため、選手のメンタル面のサポートとして鈴音と十文字が来ていた。無論、ほのかの方には真由美と摩利が応援に行っている。

 

「ソレを使うのか?」

「いえ、まだ最終判断をしかねているところです」

 

十文字が目に付けたのは、自身も何度か見たことのあるCADだった。

調整用の台に置かれたのは指輪も付属された特化型CADのグローブ。

魔法を使った徒手格闘技マーシャルマジックアーツで使用されるものだ。

 

一つのリングに一つの起動式が組み込まれ、選択した起動式がグローブとつながった手首のCAD本体に繋がる。戦闘中でもCADを親指の動き、または指にサイオンを集中させることで操作できるという利点があるが、ブレスレット型やアームを覆うタイプに比べてボタンが少ないため、起動式も少なくなってしまうのが欠点だ。

 

バトルボードでどのように使われるのか十文字の興味を引くところであった。

 

「十文字会頭、一つ年長者としてのご意見をお聞かせ願えますか?」

「なんだ」

 

雅は一呼吸おいて、十文字に尋ねた。

 

「相手がこちらの全力を望んでも、こちらと実力が明確な場合、手を抜くべきなのでしょうか。それとも相手の心を折る可能性があっても、相手の望むように全力を尽くすべきなのでしょうか」

 

雅は決してほのかの事を下に見ているわけでもなく、光波振動系や細かい制御の技術も十分評価している。ただ主観的にも客観的にもこの競技に関しては雅が優勢である。

無論、十文字や鈴音は双方を応援しているが、九分九厘雅の勝利であると思っている。それは贔屓などではなく、純然たる力の差である。

 

「場合にもよるが、次の決勝戦のことか」

「ええ」

「お前が思うほど、光井は弱いのか?」

「わかりません。決して弱くはありませんが、ただ全力でなくとも勝てる算段があります」

 

雅のタイムからすれば、準決勝までの手法でほのかより先にゴールすることは十分可能だ。

例え光学系魔法で視界を塞がれたしても彼女は精霊が導くことでコースを進むことができるし、身体がコースを覚えている。ほのかが勝つための道はほぼ潰えている。

しかも先ほどのピラーズ・ブレイクの試合結果はほのかにも伝わっているだろう。

親友の雫が深雪に敗北したことは、彼女にとって少なからず心理的影響を与える。加えて、雫に勝った深雪に唯一比肩するのは雅であり、彼女の受けるプレッシャーは彼女が想像している以上に重い。

 

十文字はそんな背景をあまり深く知らないが、先輩として後輩の問いに応えることにした。

 

「獅子は兎を狩るのに全力を尽くす。だが、俺たちは人間だ。

一高生として、先輩として言わせてもらうなら、お前は全力を尽くすべきだと思う。それが選手として選ばれた責任であり、責務だ」

 

十文字は毅然とした態度で自分の主張を述べた。

圧倒的才能の差に相手が折れることもある。才能だけで実力が決まるのではないのと同じように、努力だけではどうしようもないことがある。その壁が立ちはだかった時に立ち止まってしまうのか、諦めて別の道を探すのか、壁を壊すのか、それはその時にならないと誰も分からない。

たとえこの後、ほのかが立ち止まることになったとしても雅は遠慮すべきではない。いずれは当たるべき壁だ。ただ、早いか、遅いだけの差しかない。

 

「―――分かりました。ありがとうございます」

「決勝、期待している」

「ええ、ご期待ください」

 

思った以上に好戦的な笑みを浮かべた後輩に、楽しみだと十文字は僅かに口元を上げた。

 

 

 

控室から出た後も、二人とも位置に着くまで一言も話さなかった。真剣勝負に交わす言葉は必要ない。結果が全てを語る。試合は刻一刻と迫っていた。

 

雅とほのかがフィールドに出ると、歓声が上がった。

こちらもピラーズ・ブレイクに劣らない観客が押しかけている。

ほのかはあまりの大歓声に一瞬息を詰まらせたが、何とか震える足を進める。

隣にいる雅を盗み見るが、その様子はいつもと変わらない。凪のごとく冷静に、淡々と試合を待っている。

 

「雅」

 

ほのかの声は少し震えていた。そんな自分を落ち着かせるように、ほのかは何度も大丈夫と心の中で呟き、汗だらけの手を握りしめた。

雅と視線が交わる。一瞬、ドキリと心臓が跳ねた。

 

 

知らない。

こんな瞳をした雅をほのかは知らない。

普段の穏やかな瞳からは想像できないような、真剣な面差しだった。

 

ほのかはもう一度ぐっと手を握りしめて、雅を真っ直ぐに見返した。

 

「負けないよ」

 

例えどれだけ自分が不利な状況だとしても、越えられない才能があるとしても、彼の前で逃げるようなことはしたくなかった。

 

雫が頑張ったんだ。

自分が雅から逃げることは、自分の恋心からも逃げることになる。ほのかにはそう思えて仕方がなかった。

 

それは10秒だったのか、はたまた1秒にも満たない間だったのだろうか。そんな決意を胸に、ほのかは雅と対峙していた。

雅に何を言われるのか、何も言われず試合が始まるのか、高鳴る心臓の音がうるさく感じていた。

 

そして、ほのかの予想を裏切るように雅は笑った。ふんわりと花が綻ぶように笑っているのに、瞳だけは熱を持った挑戦的な物だった。

 

ほのかだけではなく、二人の様子をズームにしていたカメラマンもモニターの映像を見ていた観客も思わず息を呑んだ。いっそ身震いがするほど、それは美しいものだった。

位置に着くようにとアナウンスが流れ、ようやくほのかは動くことができた。

 

 

 

 

メディカルチェックを終えた深雪と機材の片づけを終えた達也はバトルボード決勝の観客席にいた。雫は対戦直後のショックからまだ立ち直れておらず、一旦ホテルに戻っている。

バトルボードの試合会場も一高同士の戦いとあって、注目が高い。

特に雅は準決勝で大会記録を出しており、刻印術式を併用した戦術は企業や大学だけでなく、軍関係者たちの興味を集めていた。満員必至だったため、エリカたちが先に席を確保しており、深雪たちは混雑しているものの難なく席に着くことができた。

 

「当然、達也君は雅の応援?」

 

深雪の隣に座ったエリカが意地の悪そうな聞いた。

先ほどの深雪と雫の時同様、相手が先輩からクラスメイトに変わっただけで彼にとってはほぼ同じ質問だった。

 

「まさか恋人すら応援しないほど冷徹だと思っているのか」

 

達也は眉を一瞬顰めると、エリカだけではなくレオや幹比古、美月からも意外そうな目で見られた。

 

「いや、なんとなく達也君なら平等に両方を応援すると思ってたけど…」

「競技に関しては“平等に”対応したつもりだが?」

 

達也の言葉に深雪は小さく吹き出した。

おそらく兄は気が付いていない。

少しずつ色を帯びている思いにまだ彼の意識は自覚していない。

深雪とも、ここにいる友人たちとも、親類とも違う思いを達也は雅に対して抱いている。

あの呪具の一件で心配そうに寄り添っていた様子も、幹比古から雅への視線に対して苛立ちを抱いていたことも、姉に対して送られる熱を帯びた観客の視線に嫌悪感があるのも、全て無自覚。

なんと鈍いことだろうか。それが彼の特性上、仕方ないことだとしても深雪は可笑しくて仕方なかった。身内だから分かる達也の微妙な表情の変化や態度は、雅に対する想いを表していた。

 

「深雪、どうしたんだ?」

 

突然深雪が笑ったことに、達也たちは不思議そうだった。

 

「いえ、なんでもありません。

お兄様が鈍いことを改めて理解しただけです。」

 

自覚しなければ意味がない。

本当の意味で兄が姉に対して、信愛以上を抱いているのか。

自分から母の呪縛を解くことができるのか。

疑問符を浮かべる兄に、深雪は笑みを深めた。

 

 

 

そんな観客席の一幕を余所目に、二人がスタート位置につき、試合が開始された。

予想通り、雅の方が魔法発動速度は早くほのかの前に躍り出た。

そして第一コーナで水面が内側に向けて斜めに傾いた。

 

「え!!」

「水面が傾いた?!」

 

雅がカーブを通過すると水面は元の状態に戻り、ほのかに正面から荒波が襲った。

逆に雅は移動した水の反動で更に加速する。

直線でもカーブでも雅は今までの試合のスピードがまるで手抜きだったかのように、圧倒的な速度でほのかを突き放していく。

 

「なるほどな」

「ごめん、達也君。あのスピード、どうやって実現してるの?」

 

一人雅の魔法に納得している達也にエリカはたまらず解説を求めた。

移動魔法、硬化魔法によるボードとの位置の固定は今までと変わらない。

コーナーでも移動魔法で水を移動させ、傾斜をつけ、遠心力によって減速せずに走行しているのは見て分かる。

深雪は風圧も推進力に変換していることは知っていたが、それ以上の魔法が使ってあるように見えた。

 

「あのスピードを実現するには三つの要素が必要だ。

一つは移動魔法は言うまでもないが、体に受ける空気抵抗を推進力に変換している。

加えて水面とボードの接地摩擦も限りなく減らし、それも推進力にしているから滑るように水面を走行しているんだ。氷上のようにとはいかないが、あれでかなり抵抗は減っているはずだ。」

 

「それであんなスピードがでるんだな」

 

「雅さん、怖くないんでしょうか…」

 

感心するレオの横で美月が青ざめていた。

既にレースは1周終えた時点で大会記録を大幅に上回っている。

これはこのまま特別な魔法を使わなくても記録が更新できるペースだ。

 

「ほとんど減速していないように見えるんだけど、あれは?」

「要所で減速魔法は使っているようだが、減速から加速までのタイムラグがほとんどないのも速さの理由だ。三つ目の要素としてカーブのコーナリングは見て分かるように水面に干渉して傾斜を付けている。サーフィンと同じ原理だが、体重移動と慣性の力を使ってコーナリングをしているんだろう」

 

ほのかとの距離が離れ、妨害魔法をするにも難しい位置まで雅は先行している。

しかも全く疲れる様子もなく、複数の魔法を発動し続けている。

 

「でも、魔法戦闘用のCADを競技に使うなんて、九重さんもなんていうか…予想以上だよ」

 

幹比古自身、風圧と摩擦力の推進力変換魔法については理解していたが、雅の多才さに驚かされていた。九重は古式魔法にも造詣が深いと知っていたが、準決勝で刻印術式による精霊喚起を水上競技であんなふうに使うとは思いもよらなかった。しかも喚起した精霊は雅に恭順であり、レベルの高い精霊が集まっているのを感じていた。とてもじゃないが、今の自分には不可能な領域だった。手に力が入っていたのは単に高速で突き進む雅のレースを観ているからだけではなかった。

 

「そうだな。あの右手のグローブと指輪もCADの一部で、親指で触れるかサイオンを一つの指に集めることで操作しているんだ。あれだけの高速移動中に腕を動かしてCADのボタンを押すのは体制を崩す可能性も高いから、一番使用する加速・減速を最速で行うためにはあの形状となったんだ。

要するにアクセルとブレーキが手で操作できるという利点があるな。他の魔法に関しては、通常通りのCAD操作で使用可能だ。

補足だがゴーグルもほのかの光学系魔法対策というより、単にあのスピードで風圧を受けた場合、目を開けていられなくなるからな」

 

「………ねえ、まさかなんだけどあれも達也君が?」

 

またお前かと言いたげな表情でエリカは達也に尋ねた。

 

「魔法の組み合わせやCADのアイディアは雅だぞ」

「製作は達也君なんだな」

 

幹比古とレオも半分呆れ気味だ。

 

「ほのかだけに策を授けて、お姉様に何もしないなんて贔屓でしょう」

 

深雪はさも当然のように言った。

確かに達也はほのかと雅に策は授けた。

だがしかし、鬼に金棒とはこのことだろうとほのかに憐れみを覚えた。

 

そして3週目もほのかはついに雅の背中を捕えることができず、半周近くの差をつけて雅はゴールした。観客席は他校の生徒まで立ち上がり、歓声を上げていた。

 

「おいおい、マジかよ」

「九校戦の大会新記録。しかも女子の記録だけじゃなくて、男子の記録も塗り替えるだなんて…」

 

普通、最高時速が50~60km、時間にして15分ほどのレースだ。

それが歴代最高スピードで決着した。

最高時速は直線で90kmを越え、時間も自身の大会記録をさらに12分台に更新し、平均のラップタイム記録を1分も短縮してみせたのだ

 

 

圧倒的な結果を以って、大会六日目は終了した。

 




勝利の裏で流れた涙は語られない。

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