第二機動艦隊とは、日本海軍の部隊である。呉に司令部を置き、航空戦隊を基幹として編成される。2001年の組織改編により瀬戸内海及びマリアナ諸島から沖縄諸島までの西部太平洋を担当海域とされているが、実際には東シナ海、南シナ海でも活動している。
2022年時点での基幹航空戦隊は第二航空戦隊。また第二水雷戦隊が配備されている。
――――西暦2022年3月6日。北海道沖――――
地球は球状だ。地球儀を見た織田信長がそれにさして疑問を抱かなかったと言い伝えられるように、それはとても合理的な考えだった。だから水平線があり、地平線がある。ひとりの人間に地球上のすべてを見通すことはできない。
だから遠くを見るためには塔を建てればいい。高ければ高いほど地平線は広がる。もちろん塔でなくたっていい。過去には気球が偵察目的で使用されたこともあった。要は高度が重要なのである。
だから飯田を乗せる海軍所属の回転翼機CH-60Kには、まだ太陽の光が届いていた。水平線が広がって、まだ太陽が沈みきっていないのだ。しかし眼下の海は既に夜の扱いらしく、見渡す限りの真っ黒な世界が広がっていた。
そんな暗黒の海に、光が見えた。北方の海原を進んでゆく航空母艦の雄姿だ。恐らくはこの機体を迎え入れるためなのだろう。必要最低限の誘導灯が光ることで豪勢なカーペットを演出し、それに導かれて優雅に舞い降りる真っ白な回転翼機。トスンと音を立てて耐熱甲板に降りるのを感じるのと同時に、エンジンの音が変わっていく。回転数が落ちていっているのだ。
扉のロックが解除され、飯田はシートベルトと耳当てを外して外へ出た。優雅な見かけとは大違いに乱暴に振り回されるブレードが生み出した暴風が飯田の軍帽を吹き飛ばさんと襲い掛かるが、これしきに屈する海軍幕僚長補佐官ではない。黒い影となった
「……「榛名」よりずっと大きいな」
思えば、空母に乗り込むのなんて本当に久しぶりである。あの頃と比べて飯田の肩書はずいぶんと上がったものだが、彼の目に映る空母特有の解放感ある景色は変わらない。かつて務めた初めての艦隊勤務を思い出して少し懐かしい。
だが強いて言うなら、その景色は思い出よりもやや解放感がありすぎた。
そう、甲板上に航空機が一機もいないのである。回転翼機だって存在しない。「日向」の全艦載機は出払い、甲板上すらも琉球諸島事変では大量の避難民を収容するのに用いられたというのである。そして避難民を降ろした今、日向型航空母艦の一番艦「日向」はただの箱であった。
海軍艦載機が撃墜されたという報告は上がっていないから、近いうちに全艦載機が再集結するだろうが……それにしても、異様な光景である。
飯田は耐熱加工の施された分厚い飛行甲板を歩いていく。暗がりの中にわずかに大写しとなった数字が見えた。艦の識別に用いられるこの数字、まだ自衛海軍が帝国海軍と名乗っていた頃は数字ではなく文字を甲板に書いていたのだが、同盟国との連携を考えるとこれは不便だという事情から今では数字に切り替えられているのだ。
そんな甲板上の飯田に向かって歩いて来る男が一人。いや二人……片方は大佐で、もうひとりは将官。間違いない、二機艦の司令である。
その姿を視界に捉えた飯田はすぐさま直立不動の体勢をとり敬礼する。僅かにいる周りの整備兵たちも敬礼していた。
「ようこそ、二機艦へ、話は聞いています」
大佐が答礼後にそう言いながら笑みを浮かべる。
「琉球諸島事変における駆逐艦喪失に関する調査委員会準備室、室長の飯田です。階級は中佐、よろしくお願いします」
「「日向」艦長の
艦長が隣の将官へと目をやる。将官が一歩前に踏み出してきたのだ。
「第二機動艦隊司令、兼第二航空戦隊司令の
そう言いながら手を差し出してきた片桐。飯田は意外な対応に若干驚きつつも、顔には一切出さずににこやかに握り返す。
「長旅ご苦労だったな、海軍幕僚長は元気でやってるか」
と聞いてきた。なぜそんなことを聞くのだろう。確か海軍幕僚長である大迫と片桐は同期ではないし、派としての繋がりもはずだが……そう思いながら飯田は質問に当たり触りなく答える。
「そうか」
その答えに満足したのかどうかは分からないが、片桐少将は飯田に背を向けた。
「ついてきたまえ。貴官の仕事は理解している」
「はっ」
片桐の後ろから続く飯田、そして木更津。大迫と比べると僅かに若い海軍少将の顔つきは見えない。
ふと、片桐の影から声が聞こえた。
「……君は、どう考えているのかね? 『やつら』のことを」
「それは、どういった意味での質問でしょうか?」
質問が曖昧すぎるゆえ、飯田はそう返す。通常なら上官の意思を汲み取って――また同時に、上官も部下が自身の言葉を汲み取ることを前提として――発言するところなのだろうが、今回はことがことだ。片桐はそのまま、いらだった様子もなく続ける。
「『やつら』は何者か、それをどう考えているかだ」
「それを調査するのが、我々の任務です」
片桐が立ち止まる。飯田も止まった。
「個人的な見解を述べてみろ」
「……回答を保留します」
個人的な質問ならば、問題はあるまい。
それを聞いた片桐が振り返る。陽が沈んで甲板の輪郭も夕闇に消えかけているが、片桐は笑っていた。それだけはよく分かった。
「流石は海軍幕僚長。保坂さんが一目置くのも頷ける」
それが飯田の上司への高評価なのか、それとも皮肉であるのかは判断しかねた。一海軍軍人としてはいくら片桐少将が艦隊司令とは言え、連合艦隊司令長官を保坂さん呼ばわりはどうかと思うが……そこは気にするべきではないのだろう。正確に言えば、飯田が気に留めるべき問題ではない。
軍組織というのは――いや軍に限らずどの国にも言えることであるが――見栄を好む。というよりか、見栄すら張れないほど困窮しているのならば端から負けたも同然だ。国の保有する軍事力は立派な外交手段であると同時に、他国と付き合うための外交そのものでもある。それを担う軍組織は国家の顔なのだ。
だからこそ、この威圧と破壊だけを想定して建造されたであろう七万t級航空母艦の艦内にも華がある。
「そうだ飯田君、君は吸うかね」
「日向」の艦長公室。様々な装飾が目立たぬように、だがしっかりと存在を主張するその部屋に入ると同時に片桐はふと思い出したように振り返り、それから手のひらサイズの箱を取り出した。もちろん煙草である。嗜まない飯田でもある程度の知識は揃えている手前、銘柄ぐらいはまあ分かる。
だが飯田は、煙草を吸わない人間だった。吸わない以上は断るしかない。
「いえ」
「そうか、最近は吸わない奴が増えたな……時代も変わったものだが、まあいい」
それから片桐は、ここまで連れてきた艦長のほうを見やる。
「艦長、平垣を呼んできてくれ。あれも持ってくるようにと」
「はっ」
航空母艦の艦長に任じられるほどのベテラン大佐が新兵のごとくせかせかと――まるで何かに追いかけられるようにして――退出してしまう。
「まあかけたまえ」
そう言いながら片桐が示したのは応接セットと思しきソファーと椅子。
「失礼します」
片桐がかけるのを待って飯田が、続いて木更津が座る。片桐が合図を送るでもなく従兵が現れると、目の前にティーカップを置き紅茶を注いだ。
「英印のセイロンティーだ、口に合うといいんだが」
「ありがとうございます」
それだけ言ってカップを持ち上げ、僅かな香りを楽しむ。それから小さく口に含んだ。上手い。なかなか慣れているようだ。
しかしその感想は本題ではない。飯田は片桐が口を開くのを知らぬふりをして待った。
やがて片桐もティーカップを置くと、小さく言い放った。
「……
どこか怒気を含んだ物言い。やはり、無駄話をする気などこの少将にはないらしい。
「残念ながら、閣下が送られた情報以外は何も」
飯田は自分の丈にあった言葉を返す。もちろんその返事は想定済みだろう。片桐は表情一つ変えずに続けた。
「そうか」
そこで艦長公室は沈黙。片桐は座り直し、飯田は沈黙を守ったまま彼の言葉を待つ。その間にも、もう一度彼のことを思い返してみる。
片桐
だからこそおかしかった。なんせ平時にも関わらず代役探しに一か月近くもかかって、そして未だに代役が見つかっていないというのである。しかも前任が下りた理由は病気療養、急病でもないようだから予備役にいくのは代役を見つけてからでもよかったことだろう。そもそも片桐は少将である。艦隊司令の職に充当されるのは中将以上であるはずだ。海軍少将を艦隊司令に任命するのは、機動艦隊の下部組織としてわざわざ航空戦隊という枠を設けている日本海軍のやり方に真っ向から反抗するものであった。
このふざけた人事は一時期話題を呼んだものだが――――今になってみれば、沖縄で機動艦隊が素早く動くための事前準備だったということがよく分かるというもの。
要するに、規定の上では地上勤務となる艦隊司令を海上、というか沖縄に居させたかったのだ。地上司令部にお伺いを立てる状況を作らせなかったとも言える。
「あれだけ露骨な事前準備を整えておきながら、そう言えるのか」
だから片桐もこうした口調をとれるのだろう。部下を失わされ、最悪責任まで押し付けられそうなのだ、彼が上層部に並々ならぬ感情を抱いていても仕方がない。
「幕僚部は把握していませんでした。これは、紛れもない事実です」
事実である。これに関する資料など存在しないし、会議で取り上げられたことももちろんない。片桐は黙ったままであったが、そのまま「そうか」とだけ付け足した。
そこで飯田は口を開く。彼の仕事は、ふたつあった。
「片桐閣下は事変発生の発端となった我が軍哨戒機への砲撃の件をこちらに報告しながら、派遣した現場の駆逐隊にはその情報を秘匿されたとか。その理由をお聞かせ願いたい」
――――ひとつ、本業とされている駆逐艦喪失に関する調査。
常識的に考えて、『魚群』に砲撃を受けてもそのことを伏せたうえで駆逐艦二隻を派遣させた片桐のやり方はおかしい。本来的に駆逐艦「雷」の喪失は避けられたのではないだろうか。それは飯田の元々の疑問であり、「時雨」艦長である西園から実際の話を聞くことでより一層強くなった。
「報告は不確かなものであり、可能な限り多角的な報告を必要としていた」
「閣下、このままでは。私は今回事変における駆逐艦喪失を閣下の判断能力が欠如していたために起こったもととして報告せざるを得ません」
ならば彼だって、誰かしらからの指示を受けていたに違いないと考えるのが妥当だ。少なくとも、片桐が本気で駆逐艦を派遣したという可能性よりは妥当だ。
では誰が? 脳裏では鮮明に大迫海軍幕僚長の顔が浮かびつつあったが、その可能性は限りなく低いはずだった。
そしてそれは飯田がここへ来たもうひとつの目的へと直結する。これこそが彼の目的。
「海幕長補佐官」
片桐はゆっくり言葉を紡ぐ。
「我が第二機動艦隊、及び第二航空戦隊は二週間以内に事変以前の戦力を回復させる。「雷」の喪失は厳しいが、補充戦力なしでもやれない訳ではない」
そして彼は言い切るのである。
「
――――ふたつ。片桐吉次が『知っている人間』であることを確かめること。
さらに加えて、飯田と片桐の間に繋がりを設けること。
飯田の脅しともとれる問いにも答えることはなく。「次の機会」と司令職続投を前提として力強く返す片桐。もはや疑いようはない。第二機動艦隊は知っていた。沖縄でことが起きることを、そして……『やつら』の存在を。
「司令、こちらを」
まるで見計らったようなタイミングで戻ってくる艦長。封筒に入れられた資料が片桐へと渡される。彼はそれを開くと、内容を確認した。
「沖縄沖における我が艦隊の交戦結果より導き出した『やつら』の基本スペックだ。哨戒機に攻撃を行った型を「仮称Ⅰ型」、沖縄本島を占拠したのを「仮称Ⅱ型」としてある」
「統幕部への提出は?」
「飯田君、初めに言っておく。これはとんでもない『仮説』に基づいた研究が多分に含まれている、扱いにはくれぐれも気を付け給え」
『仮説』。
――――だからこそ……
「……」
「知っておいて損はないだろうが……私と貴官は同じ視点に立っている。覚えておき給え」
――――西暦2022年3月6日。北海道――――
自動車が止まる。運転手にご苦労様と声を掛けつつ降りると、目の前にそびえ立つのは大建築物であった。ホテル・サナリゾート。2017年開業の択捉島最大ホテルにて、南関東にて絶大な影響力を持つ帝都急行グループの択捉における攻勢拠点。
照らすライトがこの択捉観光業のランドマークとも言うべき建物に光の化粧を纏わらせ、遥か遠くからでも見間違うことのない美しさを備えている。
飯田は一瞬だけそれを見上げる。暗闇を照らす文明の光。今の彼には、人類の繁栄を象徴するようにも見えた。こんなことを考えてしまうあたり、やはり疲れてしまっているのだろう。
その実、「日向」にいた時間は長くなかった。踏み込んだロビーは閑散としていたものの人が居ないわけではなく、片手で数えるほどのワイシャツ姿が広げられた新聞や手元のタブレット端末などに目を落としている。そのままフロントにてチェックイン手続きを行い、部屋の鍵をもらうまで僅か十数秒。飯田と木更津が軍服ということもあり、かなり優先順位が高いのだろう。信頼と責任の重さを改めて感じる。
「部屋に入られますか?」
「いや、その前に食事にしよう」
木更津がそう聞いてくる。移動に移動を繰り返したこともあり、飯田としては今すぐ身体を休めたい気分ではあるのだが、まだやるべきことが残っている。食事すらそのついでだ。
「……失礼、食堂はどちらで?」
通りすがりの従業員に声をかける飯田。従業員はこちらですと彼らを先導し始める。ロビーは二階、いや三階部分までくり抜いた吹き抜けになっており、オレンジ色の照明器具が歩く彼らを照らしている。
「択捉島は如何ですか?」
不意に、前を歩く従業員がそう聞いてきた。
「……いやなに、ここのビュッフェはなかなかでしたよ。何より魚介類がいい」
馬鹿みたいな話だ、とは思う。自分は海軍幕僚長補佐官とはいえ、所詮はその程度の職員に過ぎない。わざわざ択捉行きの小型機を用意したり、迎えのヘリが来たり、こうして
飯田の考えを感じ取ることなど出来ないだろう目の前の従業員は、そのまま口を動かさず必要最低限かつ十分な声量で情報を紡ぐ。恐らくは、真後ろの木更津にも聞こえていないはずだ。
清掃完了。
恐らくは穏便な清掃であっただろうと信じたいところではあるが、埃がなければ清掃は完了しない訳で。
しかしこれも、仕方のないことなのだ。
海軍幕僚長補佐官という要職にある飯田が駆逐艦「時雨」に、さらに第二機動艦隊司令に接触した事実。それ自体を隠せても、飯田が択捉へと向かった事実は隠しきれない。琉球諸島事変に対する日本海軍の動きを追っている人間なら簡単に気づくことができるはずだ。
忘れてはならない事実として、既に100万の民間人が沖縄で犠牲となった。襲い来るのは異形。
興味を持つのは民衆やオカルト好きだけではない。当然他国も興味を持ち、そして積極的に情報を得ようと迫って来ることだろう。友好国なら清掃になど発展しないものなのだが……。
……まったくもってやれやれである。日本代表になったつもりなど全くないのだが。そう頭の中に思い描いた上司に文句を並べてみたところでどうにかなる訳がなく――まして、この件に関しては彼の管轄ですらない――飯田は導かれるままに食堂へと向かった。
いかにも食堂らしき場所が近づいてくると、案内役は役目を果たしたベテラン従業員のような笑みを浮かべて振り返る。
「こちらになります。お食事時間は25時までとなっておりますので、ご注意ください」
「なあ、木更津」
「はい」
飯田の一言に、木更津は食事の手を止めた。海軍中佐と海軍中尉というのは同じ「中」といえど圧倒的な差があるわけで、忠実な部下は上司の言葉を一言一句漏らさずと聞く構えだった。
「いや、そんな肩を張らんでいい。食べながら聞いてくれ」
「はっ」
再び食事の手を動かし始めた木更津を見ながら飯田はしばし考えを巡らす。目の前の木更津はなかなか有能な武官だろう。それは出世コースを迷いなく進み、一度は大湊に飛ばされながらも舞い戻った彼の経歴から見ても明らかだ。
だからこそ、彼に
今回の件。琉球諸島事変。
ことが起きて以来飯田はその推移をただ見守ってきたわけだが、今回の件はなかなか説明が難しいのである。沖縄で敗れたのは単純な数の差ではなかったということを知ってしまった。公にされていないレベルでの話は聞いていたが、話よりもとんでもない身体能力を『やつら』は持っている。それを今日、また新たな情報として得ることが出来た。
片桐が連合艦隊司令部を経由せずにこの情報を流したのは途中での漏洩を防ぐためだろう。片桐が「同じ視点」と言った通り、飯田はこの資料を大迫へと直接手渡せばよいのだろう。
そしてまた、琉球諸島事変の、『やつら』の全貌解明へと飯田は進む。
我々で対処するしかないのはよく分かる。それが軍人の責務であり、なにもせずとも国民から賞賛の眼差しを受ける所以だ。
だが。
「……いや、なんでもない。忘れろ」
「はっ」
飯田は結局何も言わなかった。
考えてみれば、飯田だってこの件には向かないかも知れないのだ。それなのに、どうしてそれを飯田が彼に言えよう。加えて木更津は大迫海軍幕僚長が飯田幕僚長補佐官に貸し与えた人材に過ぎない。彼がこの後どうなるかなど、それに言及するのは常識を欠いた行動だ。
そして、既に命令は下されている。
だからただ進むのである。どんなに拙い字であっても、ただ書き足し、進むしかないのである。
個室というのは、意外とプライバシーのない空間である。出入りする人間が少ないゆえに警備は甘く、個々人の私物が配置できるがゆえに物品の管理がし辛い。加えて狭い空間ゆえに各種機器の精度もさほど高いものは要求されない。
ゆえに、何かを作業が残っているのであればそれはロビーで行うべきなのだ。パソコンを膝に置いて平時の文書をまとめる飯田に、ふと声がかけられた。
「飯田中佐」
そしてまた、ホテルの人間を介さずに連絡官とコンタクトが取れるのも利点である。飯田の視界に入る直立不動を保つ彼は、先ほどの単冠湾根拠地隊の人間だ。飯田が答礼、控えていた木更津が迎えるように立ち上がった。
「幕僚部よりの命令書です」
その木更津へと手渡される何か。
「命令書?」
飯田が訝し気な顔をするのは当然だ。なぜ命令伝達程度に単冠湾根拠地、すなわち末端の大湊鎮守府を介する必要があったというのだろうか。
「失礼します」
それだけ言って去っていく士官。
「これは……どういうことでしょうか?」
木更津が自問のように呟く。飯田は命令書の収められたそれの封を開き……納得したように小さな笑みを浮かべた。
「……こりゃ命令書じゃない、豊原行の航空券だ」
その言葉に、僅かながら目を見開く木更津。
「樺太……でありますか?」
豊原。樺太南部に位置し樺太開発庁が置かれる都市。ここへ向かうなど本来の予定にはなかったものだ。
そして、その情報がわざわざ「大湊経由で」送られてきたことが意味すること。
誘い出す気か? もしくは既に話が通っている?
「……とにもかくにも、予定を変更。この航空機で樺太に向かう」
「はっ」
「それと木更津」
どっちにせよ、一刻も早い人員増強が必要だ。飯田はメモ帳に素早く名前を書きなぐると、それを木更津に示した。
「明日までに樺太に寄越すよう大迫閣下に伝えてくれ。