模倣の決号作戦   作:帝都造営

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どうにか一ヶ月で更新できました。ふぅ……。


H34.3.15《X-230days》②

――――西暦2022年3月15日。神奈川――――

 

 

 

 横須賀。帝都東京を背後に控える浦賀半島の一大軍事拠点。ひとしきりの工作機械を備える工廠と造船所を持ち、太平洋に睨みを聞かせる東京湾の守護者。

 

 NR横須賀線を下車した飯田と小河原は、待ってましたと言わんばかりに駅前ロータリーに滑り込んできたバスに乗り込んだ。運転手は二人の姿を確認するだけで料金を求めたりはしない。それもそのはず、二人が海軍第一種軍装を着込んでいるからである。

 そして海軍軍人が乗って料金を取られないバスといえば、海軍のバスだけだ。横須賀駅周辺はほとんど海軍工廠の施設であるため、このように巡回バスが走っているのである。

 

「そういえば、小河原は横鎮勤務経験はあったか?」

 

「いえ、ありませんね。呉には二年ほどいましたが……」

 

 そう言いながら経歴に思いを巡らせるかのように宙を見つめる小河原。飯田にとっても横須賀鎮守府への勤務経験はない。それでも横須賀という土地には太平洋側の警備を司る横須賀鎮守府だけでなく連合艦隊の司令部も置かれているのため、決して土地勘がないわけではなかった。

 

 車窓から見える横須賀本港。本港の岸壁に並ぶ駆逐艦はまだ岸壁を埋め尽くしてはおらず、警戒のためか大半の潜水艦は出払っている。それでもそこそこの賑わいと表現が似合うくらいには多くの艦艇が暫しの休息を取っていた。

 

「壮観ですね。佐世保や呉じゃもっと奥に隠すのに」

 

 確かに、横須賀ほど大っぴらに艦艇を観られる場所も多くはないだろう。要塞地帯法だのなんだのがあった頃ならいざ知らず、横須賀本港を隠すような壁は存在しない。バスが走っていくこの道路だって、入ろうと思えば誰でも入ることの出来る公道だ。

 

 それでも、全てが無防備かというとそういう訳ではない。例えば空母桟橋。あの病院や宿舎といった建築物により巧妙に隠された桟橋には第一航空戦隊の旗艦であり栄えある連合艦隊の旗艦、航空母艦「出雲」が整備のために錨を降ろしている。

 流石に、重要な所はしっかりと隠しているのである。

 

 それにしても、横須賀という港は狭い。いや十二分に広いのではあるが、それでも空母を収容するとなると話は別だ。現代における空母は八万、九万トンが常識。強襲揚陸艦でも三万トンを超えるのである。

 結果として、横須賀の収容能力は飽和した。それこそ、潜水艦桟橋すらも丸見えという悲惨な状態だ。

 

「そういえば、横須賀の拡張工事はどうなっているんだろうか」

 

「未着手ですよ。46年完成目標で先は長いとはいえ、間に合うかどうか」

 

 46年とは平成46年のこと。それまで平成の御代が続くかどうかはともかくとして、西暦に直せば2034年にあたる。工事の始まる気配もない横須賀本港を見ながら小河原は続ける。

 

「言っちゃ悪いですけれど軍務局(こっち)でも大分軽視されてますからねぇ、設備投資(こういうの)。正直、空母が港から溢れる未来しか見えません」

 

 いや、既に溢れてますかね。ため息交じりに言う小河原。後方の職務は艦隊の規模に比例して増えるものだ。そして後方が軽視されがちなのは、今に始まった話ではない。

 

「軍港から溢れるほどの艦隊なんて、一日本人として一度は見てみたいモノだがな」

 

 飯田の言葉は半分は夢で残りは悪夢だ。相模湾まで溢れ出す連合艦隊など運用の側から見れば吐き気を催す存在以外のなにものでもないのだから。

 小河原は飯田に合わせるように笑った。

 

昇進(ポスト)が望めるんなら悪い話じゃありませんね」

 

 最も、壁は多いですが。笑いを途切れさせるように零れた小河原の言葉に、飯田も押し黙る。

 

「……まあ、沖縄(こんかい)の件で()()の見直しは免れないだろうな」

 

 計画。それが示すのは、無論海軍の建艦計画……即ち拡張計画だ。

 

 海軍は今、大々的な拡張期にある。それは東西の軍事バランスが崩れている証拠だ。

 そもそも、東西冷戦というのは始まりより海と陸の戦いであった。幾多の紛争・動乱において西側諸国が空母を持ち出さなかった日はなかったし、東側が戦車を持ち出さないこともなかった。

 

 そう、制海権(うみ)というのは常に西側の味方であったのだ。それが共産主義の旧大陸からの噴出を辛うじて防いだし、西側の確固たる制海権の元で運用される航空母艦は遊弋するだけで共産主義者の喉元に刃を突きつけることも出来た。

 

 しかし、五年前。その半世紀以上続いた神話は崩壊することになる。発端は地中海に巨大な造船フロートが出現したこと。いや、出現してしまったことだ。それは西側諸国が一笑に付していたとある計画が実行に移されたことの証明であり、西側にとってあまりに致命的な敗北。

 

 

 ――――――航空母艦「ヨシフ・V・スターリン」級。

 

 

 それは艦隊運用という文字を投げ捨てた三胴艦艇。そもそも東側に航空母艦の保有をないものと分析した専門家は、空母という箱よりもむしろ空母機動艦隊を構成する随伴艦、その空母機動艦隊という戦力パッケージの運用の煩雑さから空母保有を否定してきたのだ。

 

 だが造船フロートの存在は、東側の空母保有計画をいやようにも裏付ける。原子力発電所をそのまま詰め込んだような主胴(メインハル)はそれ単体でも全長300mを超え、飛行甲板面積は三万平方メートル弱。搭載艦載機は露天駐機を抜きにしても100を数えるという。副胴(サブハル)には洋上に持ち出すには豪華すぎる飛行機整備工場を備え、稼働率は通常の航空母艦の比ではない。

 

「しかし、大迫幕僚長が果たして()()の方針を改めるものでしょうか? 洋上にて稼働状態にある空母艦載機比率はヨシフスターリン級が後3、4隻揃えばひっくり返されるんですよ?」

 

 一説によれば、スターリン級登場以前の東西の空母艦載機における稼働機数の比率は13:1だと言われていた――地上基地訓練や母艦の整備、その他諸要因で変動し続ける稼働機数がどうしたらそんな分かりやすく表せるのかは全くの謎である――が、ヨシフスターリン級が一隻就役すればその比は7:2へ、3隻が就役している現在では4:1になるというのだ。五年前に造船フロートが完成し、既に四番艦の「ウラジミール・I・レーニン」が艤装工事中であることを踏まえるなら……今後十年のうちに東西の海上航空戦力は逆転することになる。

 

 もちろん実際には、ソビエトは西側航空母艦と対峙する以前に巡洋艦や駆逐艦、ミサイル艇といった総勢四〇〇を数える水上打撃群に封じ込まれることになるのであろうが……純粋な数だけがモノを言うのが国際政治という生き物だ。

 

 大西洋の航空劣勢。それは自由主義国にとっての悲劇以外のなにものでもない。

 

 いかに軍官僚が資料を揃えて国防体制の万全さを語っても、核弾頭を引っ提げた攻撃機が米東海岸を、もしくは英国印度や日本に襲いかかるかも知れないという恐怖は拭いきれないのだ。

 

 そのために、海軍は拡張期にあった。

 

「それでもだ。見直しは免れない」

 

「しかし見直しとは言いますけれど、一体なにを見直すんです?」

 

 飯田にしてみれば『やつら』への対処のほうが早急に行われるべき事案だ。航空母艦の建造を含める建艦計画の見直しは避けられない。

 一方の小河原といえば、一つ一つの言葉に懐疑の色がにじみ出ていた。

 

「図上演習ですら、露天駐機により稼働機150機を実現したヨシフスターリン級一隻を封じ込めるのに二隻の空母では足りなかったんです。米国の正規空母は十二、我が国と英連邦の分も合算して西側(こちら)はようやく二十余隻……」

 

 小河原、いや日本にいる全ての軍関係者の口から漏れるのは夥しい不安だ。空母というのはその性質から一隻で一つの海を抑えることも出来るが、数にしてみればそこまで揃っている訳ではないのである。西側の航空母艦は仮に少数の垂直離着陸型艦載機が運用可能な強襲揚陸艦――いわゆる制海艦――を数に数えたとしても、ようやく五〇を超えるかどうかと言ったところ。一つの国を護るには多すぎる数だが、西側世界となってくると話が違う。

 

 半世紀以上の歳月を費やして順調に維持してきた海上航空優勢。

 それが、喪われようとしているのである。

 

 これでも西側海軍はかつてない規模を誇るのだ。というのに、不安が拭えないとは信じられない。

 

 しかし、それが分析すべき現状であり……西側が突きつけられた現実だ。

 十五年も待てば東側のスターリン級は二桁を数えることになる。書記長(スターリン)が1ダース揃うのである。そして合計して優に千機を超える航空機を積み込んだ艦隊、いや破壊装置がジブラルタルから放たれることになるのだ。

 その炎は大西洋を焼き、果てはインド洋、そして太平洋へも延焼するであろう。

 

 にも関わらず、建艦計画を見直すとは。

 確かに、正気の沙汰とは言えなかった。

 

「そこまで『やつら』のことを海軍幕僚長は恐れている、と」

 

「恐れている、か」

 

 その反応を見て飯田はむしろ懐かしくなる。そうだ、これこそが正常な反応だ。『やつら』により沖縄県が消滅したとしても、国家の軍隊が対峙すべきは国家の定める敵でなくてはならない。国防大綱で定められた仮想敵国は明確にソビエト、共産主義国家群を示している。

 

 

 ――――だからこそ、海軍幕僚長(このわたし)がこの仮説を表立って主張するわけにはいかないのだよ。

 

 

 脳裏に蘇って止まない上司の声。あの時彼は、なにか底知れぬものに怯えるような風ではなかっただろうか。

 だが、それは小河原は知らなくていいことだ。確かに大迫海軍幕僚長は『やつら』を恐れているのかもしれない。しかしそれを知るのは一部の人間だけでいい。

 

 なにせ国は、未だ『やつら』を明確な敵として認識していないのだから。

 

「……まあ、確かに恐れているかもしれないな。現実に国民が大勢亡くなった。怯えないわけにはいかない。予算だって陸軍に傾くかもしれない」

 

「なるほど。確かに沖縄で海軍は避難手段にはなっても決して沖縄県民を救う決定打にはなり得なかった……さしもの海軍幕僚長も国会に予算(さいふ)を握られてはどうしようもないですものね」

 

 小河原が返す。飯田の部下は上司の意図を確実に汲んでくれたようであった。

 『やつら』はさしたる敵ではないが、それでも沖縄が海軍の予算が奪われるくらいの大事件であったことは否定できない。しかし海から来る『やつら』を防ぐのは結局のところ海軍だ。海軍予算が減らされることを避けるためにも、海軍が『やつら』への対策の主導権を握る。握らねばならない。

 今はそれでいい。

 

「そういうことだ」

 

 程なくして正門前へと辿り着いた二人は横須賀鎮守府本庁舎へと向かう。植えられた梅が、彼らを歓迎するような淡い桃色で側道を彩っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 大迫善光海軍幕僚長。

 

 彼は海軍の中ではちょっとした有名人である。それはもちろん現役の海軍幕僚長だから有名という側面もあるのだが、それ以上に彼が成した海軍の改革が評価されていることによるものが大きい。

 

 彼が海軍幕僚長に就任したのは、まさにヨシフスターリン級の造船ドックが完成した年。海軍は今後十年で様変わりすることが確定している海戦事情への対応を迫られており、一方で予算は縮小傾向……関係者の間に暗雲が流れる状況で、大迫海軍幕僚長はその統率力、そして政治力を存分に発揮した。

 

 まずは「攻勢連合、守勢鎮守府」を合言葉にした海軍の戦闘編成における改革。なるべく新鋭艦を前線部隊である連合艦隊に回しつつ、東側に押し込まれることを前提にした近海防衛のシステム構築に尽力。後方基地としての色合いを濃くしつつあった鎮守府に再び要塞的性質を持たせた。

 

 言うまでもないが、海軍に突きつけられていた喫緊の課題は装備の旧式化だ。沿岸防衛を担う鎮守府だけでなく、連合艦隊ですら旧式艦艇が目立つ有様。ソフトウェアの更新は出来ても、戦闘能力が艦艇(ハード)に依存する以上、限界はある。

 

 故に、大迫が目指したのは小さいながらも強靱な防衛体制。これをくみ上げることにより予算が縮小されようと国防に差し障りはないと言ってみせたのである。

 

 しかし、成り立つからと言って近海まで攻め込まれることを極東の盟主たる日本が許すかといえばそれは別の話。そもそも日本が引きこもって敵を奥深くまで引き込むその時、八紘(あめのした)に広がる同盟諸国はどうなってしまうというのだ。

 さらにこの改革で各鎮守府には陸戦部隊である防備隊などが復活した。実際には工作員などによるテロ対策の側面が強いこの改革だが、海上部隊であるはずの海軍が海を捨てるのかと少なからずの弱腰非難を浴びることになる。

 

 しかし、これが彼の狙いであった。

 軍があえて率先して縮小の気配を見せたことで一気に醸成された「海軍の縮小を許すな」という声。それを待っていたかのように彼は各方面に「ヨシフスターリン級」の脅威を説いて回ったのだ。

 

 海軍は先十年で近海防衛に追い込まれるほどの劣勢を迎える。それを避けるためには、例え予算が縮小されようと負けない体制。それに加えて今以上の大艦隊建設が必要なのだ、と。

 そうして彼は、諸予算が縮小傾向にある中でも大規模建艦計画を立ち上げてみせた。

 

 それが八・八艦隊計画。かつて帝国海軍を苦しめた建艦競争の遺産である八八艦隊と同名の建艦計画。これを財政再建中であるはずの日本。それ誰よりもよく理解しているはずの国会予算審議で通してみせたのである。

 

 この予算成立に関係者が漏らした安堵の息は大きい。

 なにせ、装備の維持費だけで予算が消えるほどに海軍の予算は逼迫していたのである。艦隊の華である航空母艦ですら、半世紀前に就役した榛名型を無理矢理用いて頭数を揃えている状況。もちろん時代遅れの四万トン空母が現代戦で活躍できるわけがない。

 

 これを改善するためには、とにかく予算が必要であった。

 艦隊計画の謳う航空母艦8隻、制海艦――現行の艦種区分では強襲揚陸艦――8隻という夢のような艦隊が本当に必要かどうかはともかく、この計画のおかげで海軍はようやく落ち着いて旧式化していた艦艇の更新が出来るだけの予算を獲得する目処がついたのであった。

 

 このようにして、大迫善光海軍幕僚長は海軍の編成改革、更には艦艇の更新作業も成し遂げて見せたのだ。八・八艦隊計画は平成33年度、つまり昨年度から予算の取得を開始しているため、未だ効果は見えないが……五年後には見違えて、十年後には今とは質も規模も桁違いの連合艦隊が誕生することであろう――――もっとも、今の話には『やつら』に邪魔されなければ。という枕詞がつくのであるが.......。

 

 ともかくそんな鮮やかな政治手腕で海軍の財政を救った。それが大迫海軍幕僚長に向けられる海軍内の眼であった。

 しかし彼は所詮は海軍大将に過ぎないはずである。それが海軍幕僚長たる海軍大将になったところで、僅か五年のうちにここまでの改革、そして建艦計画の実行など出来るはずもない。

 

 疑問に思う人間もいたことだろう。何故彼がこの短期間で、海軍の再編成に大規模建艦計画、どちらか一方をとっても十数年かかりそうな仕事をやってのけたのか。

 

 しかし、それは決して不思議な話ではなかった。なにせ大迫善光は彼一人でそれを成したのではない。彼を支えた有志の団体、その組織力あってこその改革だったのだから。

 

 

 その有志の団体とは――――――新時代水雷戦の研究会。

 

 

 彼らをよく思わない人間には「大迫派」と呼ばれる……大迫善光率いる海軍将校の研究会。

 その定期会合が今日、行われる手筈となっていた。

 

 

 

「よう、飯田」

 

 都電で降りた飯田はその姿を認めると、僅かに眼を見開いた。

 

「西園中佐。てっきり来られないものかと」

 

 電停で飯田を待っていたのは二期上の先輩である西園。今は駆逐艦「時雨」の艦長を務めているはずで、沖縄で『やつら』と対峙して僚艦の「雷」の最期を見届けたために(ふね)と共に千島列島に留め置かれていたはずだ。

 

「俺もそう思っていたんだが、報告のために本省(かすみがせき)に呼び寄せられたんだ」

 

 大方、今夜の会合に参加させるためだろうな。そう零す西園に飯田は無言で肯定とし、歩き出した西園の後に続いた。西園は前を向いたまま口を開く。

 

「随分早かったな。調査室っていうのは暇なのか」

 

 西園のいうことは尤もである。飯田が室長を務めるのは沖縄沖駆逐艦沈没事故調査室。そもそも存在することに意義のある部署のため仕事(じつむ)が多いわけではないが、それでも定時より前に上がるというのはまあ、いいことではないだろう。

 

「今日は横須賀でしたので、まあ一日くらいは直帰にしても問題はありません」

 

 それに、先輩が来られるとも聞きましたし。その言葉に嘘はない。実際、二人が落ち合った電停は目的地ではなかった。

 

「なるほど。俺もどうせ職場は北方だ。直帰も仕事もない」

 

 皇居方面にでも行こう。その言葉を合図にようやく目的地を得た二人は歩き続ける。

 まだ五時を回らない日比谷の街は夜の賑わいからはほど遠い。そういう意味では、巡邏というわけでもなく軍人が、それも中佐という高級将校が歩き回っているのは若干特異な光景である。しかし霞ヶ関の海軍省に三坂の陸軍省。近衛までもが入り乱れる東京駅、そして皇居の周辺という場所が違和感をなくす。すれ違う勤め人も飯田達のことをを気に掛ける様子はない。

 

「事変以来、最初の集まりになるな」

 

 そんな中、先に言葉をひねり出したのは西園であった。

 

「……」

 

 飯田は何も答えなかった。正確に言えば、何を答えるべきか迷っていた。

 僅かに二期の差しかない二人は、既に二十年来の旧知の仲。お互いの家庭について語らうもよし、趣味の話をするもよし。それこそ最近スランプ気味で90から100の間をふらついている――決して良いとはいえない――ゴルフのスコアについて相談してもいいだろう。もちろんそんな私的な話をするべき場でもないのだが、それが許されるくらいには()()()()はよかったのだ。

 

 そう。三人だ。

 

「抜かれたな」

 

 西園が足を止める。視線は都電、小洒落た繁華街とオフィス街の境界線を走ってゆく二両編成の路面電車に注がれていた。

 

「はい、抜かれました」

 

 何を抜かれたか。よもや言う必要もあるまい。

 

「うーん残念だ。先輩でありながら抜かれるとは、本当に失態だ」

 

 どこか言い聞かせるように言葉を溢す西園。後にも恨み節を続けるが、その台詞の節々に、だんだんと苛立ちがにじみ出す。

 

「なあ飯田。お前は悔しくないのか」

 

 そう言ったのは、歩行者用信号が青に変わり、丁度凱旋通りを渡りきった時だった。面前には皇居外苑が広がり、後ろには高層ビルディングが控える。

 

「私は七位でした。主席には勝てませんよ。必然といえば必然です。ですが」

 

 ですが。その続きを続けるか一瞬は迷う。幸いなことに、背後を車が通り過ぎることはあれど歩行者はいない。当然だ。こんな中途半端な時間に皇居観光や皇居マラソンなどする人はいないし、そうでもなければ皇居外苑などには来る人間はそうそういないのだから。

 

 だから飯田は、口に出すことにした。

 

「ですが、こんなに早く出世するとは思っても見なかった」

 

「本当だな」

 

 そう言って西園は足を速める。速めたのが彼の意思なのかそれとも飯田が急かしたのか、それはどうでもよかった。

 

「昔、ここで写真を撮りました。ほんの学生だった頃、単なる気まぐれでした」

 

 懐かしい。生まれ故郷の神戸を離れ、まだ標準語が板についていなかったあの頃。飯田の同好の志であり、また同様に海軍の道を目指した親友。何の気もなしにやって来た皇居で、丁度歴史の定期試験にも出てくる有名な事件を復習しながら写真を撮った。

 

「写真?」

 

「ええ、確か合格記念だった気がするんですけど……まあよくは覚えていません」

 

 そう言いながら、飯田は鞄に忍ばせていたそれを取り出す。

 

 男同士の間柄だ。風景は撮っても人物なんて撮りはしない。

 故にそれが最初で、最後の写真だ。高校の卒業写真とは訳が違う。

 

 この写真はインスタントカメラによるものだ。何故インスタントを持っていたのかは今では覚えていないが、わざわざ現像しているということはきっと旅行か何かで使った余りだったのだろう。

 

 決して良質とはいえない写真。そこには、確かに目の前の景色と変わらぬ桜田門と水を湛えた内堀。

 そして――――――もはやこの世に存在しない影がひとつ。

 

「松原」

 

 松原(まつばら)昌平(しょうへい)。海兵118期の主席卒業者。飯田にとっては、高校以来の付き合い。118期の卒業序列は七位にも関わらず一番乗りに所帯を持った飯田を最も恨み、もっと祝福してくれた同期。このままじゃ独身歴も一位になるぞと飯田が散々脅し続けた戦友。

 

 そして琉球諸島事変で沈没した駆逐艦――飯田が率いる沖縄沖駆逐艦沈没事故調査室の調査対象である――「雷」の艦長。

 

 その高校時代の姿が、写真には収められていた。

 

 我ながら馬鹿げているとは思う。大の大人が家族以外の写真を持ち歩いてなんになるというのだ。こんなもの、何の役にも立ちはしない。

 

 だが、本来ならば今日の会合にも出席できるはずであった彼の残滓を、飯田はここへ持ち込みたかったのである。

 

118期(おまえのところ)は何人目だ?」

 

「彼で5人目です」

 

 端的に答えた飯田。別に感傷に浸りたい訳ではない。軍属となり、命を捧げると誓った時から「この日」が来るのは当然のこと。去った(つわもの)はこの国を護ってくれたりなどはしないのだ。だから淡々と仕事に勤しんできた。

 それでも、開いた穴が埋まることは決してない。

 

116期(うち)はまだ3人だ。お前らに比べれば幸せなほうだな」

 

 そうは言いながらも、西園の言葉には棘が潜む。そんなことは飯田も分かっている。たった一人の人的資源の喪失を嘆いていては始まらない。いやそもそも、人的資源に優先順位が、重みの違いがあっていいはずはないのだ。

 

 それでも、同期というのは特別なものだ。何年も同じ屋根の下で学び、争い、激論を交わしてきた。自らこそが国家の盾となり矛となるに相応しいと信じ、時には文民統制なんて言葉も忘れてあるべき国家の姿にも論は及んだ。熾烈な座学の主席争いもしたし、巧みな連携で寮長を騙したこともある。

 高校から続く付き合いなら、なお一層のこと。

 

「分かってますよ。今だけです」

 

 空を仰ぐ。皇居はこの高層建築の森林である東京に開いた穴だ。彼の視界を遮るものはない。

 

 まもなく時計は午後五時を告げるだろう。そうすれば大した時間も置かずに会合が、飯田と西園が、そして松原が属した新時代水雷戦の研究会による定期会合が開かれる。

 

 前のみを見て、未来のためだけに進む研究会には松原の居場所はない。なにせ彼は過去になってしまった。煌びやかな勲章も、階級章も、国を護るのには使えない。

 飯田に西園が聞いたのはそんな時だった。

 

「会合まではまだ一時間はあるな。行くか?」

 

 その目線の方向を見れば何処へ行こうとしているのかは分かる。飯田は写真を仕舞いながら笑った。

 

「遠慮しておきます。初めから()()()じゃ、松原に向ける顔がありませんから」

 

「そう、だな」

 

 それじゃ、()()()は全部片付いたらにでもするか。そう言って西園は電停へと歩き出す。

 

 二人の海軍軍人は皇居のさらに向こうへと思いを馳せる。

 

「神様になった奴の顔を拝みに行こう。なるべく早くな」

 

「なるべく早く終わらせたいものです。松原(あいつ)のためにも、この国のためにも」

 

 

 松原海軍中佐……もとい、二階級特進で海軍少将。

 

 

 海兵118期を主席で卒業した男は、予定調和のように同期の中で一番乗りの将官――――提督になった。

 

 それを誰が望んだのかは、今となっては分からない。

 

 

 二人の将校は帝都の喧騒へと紛れてゆく。

 

 今日は新時代水雷戦の研究会――――新水研の定期会合。それは二か月前から予定されていたもので、一人の中佐が消えたくらいで取り止めになるものではないのだ。

 


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