模倣の決号作戦   作:帝都造営

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大変遅くなりました。今後も頑張って参ります。


H34.3.14《X-231days》

――――西暦2022年3月14日。東京――――

 

 

 

 どこまでも広がる青空。春の太平洋は比較的穏やかで、温度変化の影響が及びづらい島嶼部はやはり本土よりかは暖かい。住所は東京とされても、ここが東京だと聞いて信じる者はそうそういないだろう。それはある意味では東京都という存在が単なる地方行政組織ではなく、68の都府庁道県の頂点に君臨している証拠と言えるのかもしれない。

 

「つまりアレですか、この島を捨てろと?」

 

 そんな東京都に属する太平洋の小島、どちらかと言えば整備されている港湾施設で立ちはだかるように構えるのは初老の男。長靴とタンクトップの組み合わせは彼が仕事を切り上げてここへやって来た証拠である。いきなり呼び出されもすれば当然機嫌が良いはずもなく、しかしそれを隠した彼は最低限度の穏やかな顔立ちで告げた。

 無論、その()()の声に込められた怒りを隠すようなことはしない。

 

 そして、彼が対峙する相手こそ、日本という国家権威の象徴にして国民を守りし暴力装置――――軍人であった。

 

 数名とはいえ重武装の兵士を連れた彼は、嫌味なほどの豪勢な正装。鈍い灰色に塗り固められた巨大な箱――こんな巨大な鉄の塊が海を征くというのだから驚きだ――を背にし、何の感傷もなく言葉を発する。

 

「そういうことになります。これは内務省令に基づいた決定事項であり、全島民の退去は48時間以内に実行されます」

 

 そう言いながら薄っぺらい紙媒体を渡す軍人。先ほど見せられた軍人手帳同様に法的効力を持つものではあるが、しかしそれだけだ。

 

「あんたらは何も分かっていない」

 

 男はそれだけ言って軍人を睨む。港に流れる険悪な雰囲気に都の担当者があわわと手を上げたり下げたりするが、無論彼がどうこうできる問題ではない。いくら都の担当者と言っても所詮は部外者、避難というのは生活の全てを捨てる行為だ。この太平の海の真ん中に放り出されたような島に生まれ、そして暮らしてきた人間にとって、避難とは自らを殺される、いや一族を抹殺されることに等しかった。

 

 しかし軍人は、決して語気を弱めることはしない。

 

 

 国民の生活を守ることは出来ないかも知れない。

 それでも、命を護ることは何においても優先されねばならないのだ。

 

 

「避難は実行されます。これは、陛下の御意志なのです。陛下はこれ以上の犠牲者が出ることをお望みではない……どうかご理解頂きたい」

 

 続けられた言葉に、男は言い返すことは出来なかった。出来るはずがなかった。

 

 回転翼機(ヘリコプター)の羽音が、どこまでも広がる青い空に響き渡る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 東京都は千代田区。多くの中央省庁に囲まれた海軍省ビルは正直手狭だ。そして古臭い。修繕やら改装やらはしょっちゅう手が入るのだが、なかなか全部更地にして再建には踏み切らない。しかし軍というのは万年予算不足なもので、レンガ造りなら歴史の趣もありなお結構。そんな訳で海軍省ビルは今日も活況を呈していた。

 

 まあ仮にも今は平時だ。有事の際にこそ国家の盾となり国民の面前で活躍せねばならないのが国軍だと考えれば、この状況は歓迎できないのだが。

 

 なにはともかくそんな海軍省の一角。そこに設置された沖縄県沖駆逐艦沈没事故調査室。海軍省内部の部局で最も今ホットな部署はどこかと問われれば海軍省勤めの全職員は迷うことなくここだと言うであろうこの室は、僅か9名の海軍軍人たちにより構成される小さな所帯。しかし日本政府が唯一公式に認める『やつら』専門の対策組織だ。

 

 

『近衛兵団、小笠原諸島における避難活動を支援。輸送艦が展開』

 

 

「……離島の避難がようやく始まったか」

 

 手元の新聞記事を見ながら飯田孝介海軍中佐――沖縄県沖駆逐艦沈没事故調査室の室長その人――は手元の新聞を眺めながら感慨深そうに言う。一面に堂々と掲載された写真には、陸軍兵士に護衛されながら巨大な輸送艦へと乗り込んでいく住民達の姿。

 

「……『房総』か? いつの間に」

 

「でしょうね。近衛の要望に応えるのも大変だ」

 

 どこか他人事のように言う飯田に、返す小河原。海軍は現役だけでも二十万を超える人員を抱える巨大組織である。言うまでも無く全ての人間の動向を把握出来るわけがなく、艦艇もまた然り。

 掲載されている写真は艦の中央部を写している都合上艦番号は見えないが、呉から回したとも思えないその輸送艦は「房総」であろう。日本が現在保有する唯一のドック型輸送艦である大隅級は基本的に呉に配備され、横須賀に配備されるのは七番艦の「房総」ただ一つだからだ。

 

「それ、どうなるんでしたっけ。確か太平洋側の島嶼地域の住民を皆退去させるんでしたっけ?」

 

「最終的には瀬戸内海を除く全てが対象となるそうだ。まあ、比較的大きい大島や日本海側は除外となる可能性はあるそうだが……」

 

 一面に記載された記事が扱うのは先日より始まった避難活動。近衛兵団が直接動いたこの作戦は、東京都の太平洋島嶼地域の住民を全て退去させることにある。統帥権委任法の適用範囲外とされる近衛兵団は国民にとっては最も近しい天皇の顔。さしたる混乱もなく避難活動は進んでいるようであった。

 

「それにしても近衛を呼び出してくるとは……まあ、陛下の御意志が絡んでいるのは事実なんでしょうけども」

 

 どこか愉快な調子で言う部下(おがわら)。少なくとも国家公務員の発言としてはあるまじきもの。飯田はため息交じりに新聞を机に置く。

 

「ほどほどにしておけよ小河原。周りが聞けばいろいろうるさい」

 

「いいじゃないですか。これで太平洋の小島に『やつら』がやって来ても、犠牲者が出ずに済みますし」

 

 小河原の言葉を聞きつつ飯田は机に新聞を広げる。決して質がいいとは言いがたい紙面に印刷されているのはいつもと変わることのない記事ばかり。その中でも沖縄に関する国会での論戦に咲かれた紙面は大きい。

 与党はなぜこの事態に対処することが出来なかったのか、現政権は能力不足だ、直ちに解散せよ。新聞は国会の機能停止を危惧しつつも基本は政権批判に終始している。そしてそれは世論の意見とも合致していた。

 

 まあこればかりは琉球諸島事変が通常国会の真っ只中、三月の頭であったことが不幸であったとしか言いようがないのだが。

 

「それにしても、ダブル選挙か……」

 

「ダブル選挙? 衆参両院選ですか?」

 

 何の話だと首を傾げる小河原。飯田の脳裏に浮かんでいたのは先日の青葉の言葉だった。

 

 ――――南西方面軍が、動きますよ。

 

 確かに与党は沖縄の奪還を目指すのだろう。いかなる敵が相手であろうと国家は引き下がる訳にはいかない。侵略者に立ち向かわない国家は国民によって打倒される。ましてやこの国は己の軍事力により幾度と無い脅威を撥ねのけてきた。その自負と矜持がある限り、国家に引くことは許されない。

 

 だからと言って、無用な消耗が許されるわけがないのだ。既に沖縄に救うべき国民はいない。これは国民を護る戦いにはならない。そして恐らく、国土を護る戦いにもならない。少なくとも大迫海軍幕僚長はそう考えているだろう。

 では第一党の立憲友民党は何を考えているのだろう。その政権与党の総裁、または各派閥の人間はどう考えているのだろう。

 

「……分からないな」

 

「何がです?」

 

「いや、このタイミングでの避難命令、そしてそれが素早く実行された理由を考えていた」

 

 その飯田の言葉を聞いた小河原は部屋に気を配る。調査室の構成人員はたったの9名。そして活動は駆逐艦()()()()の調査だ。朝礼時ならばいざ知らず、室員はあちらこちらに出向いてしまいここに残されているのは小河原と飯田だけ。

 それを確認した小河原は、飯田に向き直った。

 

「……と、いいますと?」

 

「やけに遅いなと、そう思ってだな」

 

「そうでしょうかね? 行政にとっての二週間ですよ? むしろ早いぐらいでは」

 

 すぐで半年なんていうくらいですし。聞く人間が聞けば顔を良くしないであろう言葉を悪びれもせずにそう言う小河原。

 

「いや、離島部のリスクは沖縄の時点で理解されるべきだ。そして近衛兵団が実行して見せたように、輸送艦を一隻動員するだけで太平洋沖合の避難については十分だ。しかし今日まで行わなかった。それは海軍も同様だ」

 

 小笠原諸島を初めとする東京の島嶼地域。沖縄からあまりに遠く離れている。当然『やつら』が一度上陸してしまえば島民の命の保証はないが、しかしそれは可能性として危険視されることがあっても、だからといって即座に避難という話にはならない。避難とだけ言えば島民の為にも聞こえるが、それが余計なお世話でしかないことは誰もが承知だ。避難をしても生活は続く。彼らの衣食住、そして職を用意せねばならない。

 

 だから、こうも易々と避難命令が下りるのはおかしいのだ。

 逆に、避難命令が下りるほどの大事なら()()()()()()()()()()()()()()()()()だ。二週間は長すぎる。

 

「うーん。そう言うものですかね? 政府(おかみ)の考えはどうも分かりません」

 

 それでも小河原は何か引っかかるところがあるようで、うむむと唸る。

 

「……」

 

 飯田の腹の底に流れるのは鈍い痛みであった。

 

 思えば、沖縄の時の官邸の行動は決して合理的とは言えなかったのだ。駆逐艦「雷」の撃沈が認められ、沖縄本島方面への『やつら』の進行が確認された段階で何故か満州軍の撤退を命じた時もそうだ。あれは軍には理解しがたい命令だった。

 確かに演習を主催する立場である日本として同盟国軍の安全を保証するのは重要なこと。いざ前線に立てば等しき価値を持つ満州国防軍だって、日本政府という立場で言わせれば「お客様」に過ぎないのかもしれない。

 

 しかし、あの状況は明らかに戦時であった。駆逐艦が沈められ、沖縄本島に謎の()()が近づいていた。核戦争を想定した防空警戒態勢すら発令されていた。あれを戦時と言わずしてなんというのか。

 

 だがその一方で、政府は嘉手納の陥落を聞くや否や素早く出された全島避難検討の指示。

 そして輸送手段が決定的に足りていなかったあの状況で、本当に僅かしかない時間の中で、全島避難を検討し計画、可能な限り実行せしめ……それが万単位の住民を救ったのである。

 

 政府の考えていることが全く分からない。それが鈍い痛みの原因なのだろう。

 

「……全くもって、傲慢だな」

 

「何がですか?」

 

「軍人は軍人だ。政府がどうのと議論する立場にはない」

 

 その判断が如何に合理的であろうとなかろうと、やれと言われれば自国民であっても銃を向けるし、やるなと言われれば勝利の寸前でも矛を収める。それが軍隊に求められることであった。

 

「でも中佐、調査室(ここ)って端的に言うなら『やつら』へ対処行動を牛耳るための部署ですよね?」

 

 あっけらかんと言ってのける小河原。飯田は頭に手を当てる。

 

「身も蓋もないことを言ってくれるな……まぁ、大迫閣下のお考えは陸空軍からの主導権を奪うことなのだろうが」

 

「どう見ても軍隊にしか対処出来ない問題です。他省庁に口出しされましても……とは思うのですが」

 

 そこまで言ってから言葉を濁す小河原。飯田は頷く。

 

「問題は運輸だ。アレをどう見るかで大分変わってくる」

 

「単なる海保と海軍の縄張り争いか、それとも運輸は内閣の尖兵か」

 

「いずれにせよ。石川係長とパイプを繋ぐ必要がある。誰かいないか?」

 

「誰かと言われましても、運輸省ですよ? それにあんな宣戦布告をされた後では……」

 

 実際、その通りである。先日、そう先週金曜日に行われた記念すべき第一回対策会議。そこに運輸省より参加した石川という男の態度は結局最後まで海軍に友好的とは言えなかったし、わざわざ独自で避難計画を立案していることすら明かした。

 

「ともかく、運輸省には沖縄での避難計画立案そして実行の実績がある。次の定例までにはどうにかするぞ」

 

「ということは、タイムリミットは今週木曜までですか……」

 

 時間はない、しかし慎重に動かねばならない。下手をすれば大迫海軍幕僚長が望むプランを崩しかねないからだ。そもそもこの調査室の設置は彼の手によるものであり、主導権を握るべく飯田が行動しているのも彼の指示によるものである。

 無論、任された以上はその全てを判断し、進める。それが飯田の役目。「お伺い」などを立てることは出来ない。

 

「大迫閣下も、もう少し具体的な指示を下されば良いものを」

 

 しかし現実問題。飯田は大迫の考えを知っているわけではない。ただ『仮説』を聞かされ、その上でひとまずは調査室を任された。調査室は彼の計画の一端であり、その全てではない。

 

「いいじゃないですか。要は信頼されてるわけでしょう?」

 

「放任とも言うがな」

 

 軽い調子で言う小河原に短く返し、飯田は机に向き合う。必要最低限の物品が置かれた机は無駄がないが殺風景とも言う。なにか写真でも持ち込もうかなどと考えるのは現実逃避か。

 

 その時、室の扉が軽く叩かれた。

 

「失礼します。飯田室長」

 

 飯田の思考を遮ったのは水兵服の曹士。警備担当だろうか。

 

「なんだ」

 

 発言を促した飯田に対し、曹士は直立の態勢で室内によく響く声で報告。

 

「陸軍中央即応軍の三鷹陸軍少佐がお越しです」

 

 その言葉に飯田と小河原は顔を見合わせる。

 中央即応軍の三鷹といえば『やつら』の鹵獲個体研究を密かに行っている特務実験大隊を率いる人間だ。確かにこの調査室に来るべき来訪者ではある。

 

「……小河原、聞いているか」

 

「いえ、何も」

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやぁ、お久しぶりです中佐」

 

 海軍省は世間一般が考えるほど広くはない。狭くて良いことなど滅多にあるものではないが、少なくとも今日はその狭さ故に来訪者を無意味に長く待たせることはせずに済んだといえるだろう。

 

「うむ。尾羽以来だな」

 

 陸軍の佐官帽は机に置かれている。出されたお茶を目の前にして人懐っこく笑う陸軍少佐、三鷹。彼と顔を合わせるのは樺太の北端に位置する尾羽の街で『やつら』の実験に参加して以来だ。

 

「いやはや。北樺太は寒さが過ぎますね。やはり私には三月の東京程度の寒さが丁度良いですよ」

 

 それだけ言って湯呑を取ってお茶を口に含む三鷹。目を閉じて、味わうように目を閉じる。

 

「……」

 

 飯田は黙って彼が一息を吐くのを待つ。

 

 三鷹陸軍少佐は今回の沖縄で鹵獲した『やつら』の研究調査を行っている特務実験大隊の長。隊長というのは基本的に自らの部隊を空けるようなことはしない。大方、重要な用事――――それこそ、陸軍省への報告と言った類――――を済ませに来たのだろうが……だからといって海軍省ビルを訪れる理由はない。

 

「結論から申し上げますと」

 

 湯呑のお茶は半分ほど残っているだろうか。逆に言えば半分も減っていた。三鷹はその目を細く開き、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

 

「アレの装甲は非常に脆い、それが大隊としての結論です」

 

「そうか」

 

 脆い。なんとなくそんな結論が導き出される気はしていた。

 

 なんせ沖縄では小銃しか装備していない部隊でも『やつら』と渡り合ったものがいるぐらい。機関銃が『やつら』に傷を与える様は飯田も樺太で直接確認している。

 76式機動戦闘車の105mmや砲兵隊の155mmなどが過剰すぎるぐらいの火力であったという結論が出ているあたり、まあ装甲らしい装甲があるはずもないのだ。

 

 この結論を出すために一週間。だが一週間はかける価値のある研究だ。沖縄は、琉球諸島事変は我が国の安全保障を根底から覆しかねないインパクトを持っている。軍国日本、東亜の反共戦線を支える武装国家の信頼を崩しかねない。

 

「問題なのは、器官の解明が進んでいないと言うことです。解剖が失敗したことは、まあご存じかとは思いますが……」

 

 言葉を濁す三鷹。飯田の脳裏に蘇るのは先日の尾羽。爆発により傷ついたコンクリート。多数の怪我人。自爆した鹵獲個体。

 

「そうだな。では結局、そのまま何も解明されなかったと」

 

「死骸の調査だけでは、何分無理があります。表皮の劣化がかなり早く進行するのもありますが、それ以前に自重で大半の組織が潰れてしまうのです。それらもどのような働きをするのかが全く分かっていない状況でして……」

 

 調査チームは音を上げています。お手上げだと言わんばかりに三鷹は首を振った。一方の飯田は怪訝な表情を作る。

 

「自重で潰れる? 自重で潰れるのか」

 

「はい」

 

「……水棲生物と考えれば、まあ妥当か。しかしなぁ」

 

 妥当か。と呟いてみたところで、まさか妥当なわけがない。現に沖縄は陥落したのである。水棲生物は水中での活動。つまり水による浮力が働いている環境下での活動を前提とするために陸上に上がれば自重で潰れるなどという生物学は通用しない。沖縄本島の面積は1200平方kmと相当に広大。自重で潰れるなら脅威ですらないのだ。

 

「ええ、生きている内は自重で潰れないのです。そこにカラクリがあるように思うのですけどねぇ。まあ憶測の域を出ません」

 

 そう括って三鷹は湯飲みを持ち上げる。お茶を飲み干すつもりだろうか。

 

「……それで?」

 

「現状の研究はまだこの段階です。被検体も貴重ですので」

 

「……」

 

 だが飯田は納得しない。するはずがないのである、この程度の報告で星一つとは言え上級将校である佐官がわざわざ他軍の施設を、それも何のアポもなく訪れると? あまりにも常識を欠いた話だ。

 

 湯飲みがそっと机の上に戻されたとき、三鷹の表情はいやに冷えていた。周囲を一度見てから、飯田をじっと見据える。飯田が大丈夫だと頷くと、彼は口を開いた。

 

「千駄ヶ谷閣下からの言伝(ことづて)をお伝えします。陸軍内部に奪還の動きがあるとのこと」

 

「……間違いないのか?」

 

 飯田の問いに三鷹は首肯。

 

「そうか」

 

 それは飯田にとっては既に聞かされている情報だった。それでも飯田の声は低くなる。

 三鷹の言う千駄ヶ谷という人間は南西方面軍と繋がりがあるわけではない。その彼が伝えてくるのである。それは噂であろうと事実であろうと、この件が広範に渡り広がっている証拠。

 

 遅かれ早かれ、この情報は漏れる。いや既に漏れていると言った方が適当か。

 まだ広がっていないが、一度広がれば誰にも止められない。沖縄奪還を望んでいるのは票目当ての政権や面子を潰された陸軍だけではない。国民も望んでいるのだ。たちまち世論に後押しされ、そして圧倒的支持の下で即座に実施へと移されることだろう。

 

 つまり、もはや根回しやら工作を仕掛ける時間は僅かしか残されていないということ。

 飯田の内心を知って知らずか、三鷹は続ける。

 

「今回の一連の実験により、結局『やつら』は個体としての戦闘能力は低く、また複数個体で連携すると言ったようなことも確認されませんでした。敗因はこちらが『やつら』のことを理解していなかったこと、そして何より、手数です」

 

「手数か。あれだけの数を相手にするとなれば当然だろうな」

 

「はい。これは私見でありますが、初動での誤認が問題だったのです。『やつら』が押し寄せた読谷村で一番始めに会敵した部隊の報告では榴弾より徹甲弾が有効だと報告が挙げられていました。その為に、53軍は……いえ、誰もが敵は装甲を備えていると考えたのです」

 

「……」

 

「しかし装甲などは存在しませんでした。仮に53軍の機動戦闘車がキャニスター弾で攻撃していたなら、結果は大分違ったものになっていたかも知れませんね」

 

 結局『やつら』は装甲など備えてはいなかった。確かに軟目標を想定したキャニスター弾――大砲における散弾のようなもの――なら緒戦の結果は大きく変わっただろうし、初期のうちから軟目標だと分かっていれば、積極的に阻止攻撃を行うという選択肢があったはず。終わったこととは言え嘆かずにはいられないだろう。

 榴弾よりも徹甲弾が有効。この報告を信じた陸軍53軍は『やつら』が「装甲を備えるが対戦車砲であれば攻撃は有効」な装備を保有すると判断。見積もられる『やつら』の数を鑑みて歩兵部隊による遅滞戦術は不可能と判断。装甲車両を中心とした機動防御を展開した。

 

「ではその判断ミスが結果として部隊の早期後退、前線への圧力不足を招き、『やつら』の後方浸透を早めた、と」

 

「ええ、中佐の仰るとおりです。中には市街地における遮蔽物を利用して歩兵部隊を突撃させれば、更に戦果を拡張出来ただろうという声も」

 

「ふむ。そういうものか……」

 

 とはいえ、結局は負けたであろう。

 

 歩兵部隊を市街地に配置して反撃を行ったところで、それでは攻め手に欠ける。結局はよくて時間稼ぎである。さらに加えて言えば現実には53軍の機動防御への切り替え、歩兵部隊後退の決断よりも『やつら』の浸透は早かった。司令部が企図していないとはいえ歩兵部隊による遅滞戦闘は行われているのである。

 

 それは住民と市街地を巻き込む焦土戦と呼ぶにふさわしいモノだったかも知れないが、市街地での戦闘は行われた。真後ろに住民がいる以上は一歩たりとも引くことが許されない陸軍と、知性の欠片もなく突っ込んでくる『やつら』の先鋒、仮称Ⅱ型。

 

 確かに局所的な勝利は収められた。仮称Ⅱ型の姿はずんぐりとした円筒形の胴体に奇妙な白い足が生えたこの世のモノとは思えない化け物だが、しかし寸法だけを見れば奇しくも戦車や装甲車の大きさに似ている。目標の大きさが似ていて、そしてどちらも地平を元気いっぱい駆けるだけなのだから同じ戦術が有効だ。

 陸軍が常々満州に押し寄せる赤軍機甲部隊との戦闘を想定し、市街地における対戦車戦闘をよくよく研究していた成果が出たとも言えるだろう。

 

 だが負けた。

 いやそもそも、沖縄では遅滞戦術や機動防御を行うことは不可能なのだ。いずれも劣勢の際に味方の増援を待つための戦術。そして四方を海に囲まれた沖縄には肝心の縦深がほとんどない。結局長くは持たずに海に押し切られた。

 

「実際、第53軍が沖縄本島での作戦をあまり想定していなかったのは事実です」

 

 それは飯田も三鷹も重々承知していることで、三鷹は話を区切るようにお茶を口へと運んだ。

 

「ですが部隊の錬成は済んでいましたし、事前計画の時間も僅かとはいえありました。航空支援の体勢も決して貧弱ではない。緊急出動してくれた空軍の爆撃機が通常爆弾ではなくクラスター爆弾だったならなどという『仮定』は、仮定にもなりません」

 

「それでも、陸軍は奪還作戦を行うのか」

 

 飯田のその言葉に、三鷹はかぶりを振る。

 

「だからこそです。陸軍(われわれ)は知らなかった」

 

 そう、相手を知らなかったのだ。

 

 相手を知らなかった()()なのだ。

 今は違う。敵のスペックは分かっている。有効な武器だってある。数だけは分からないが、それでも持ち込めるだけの資材を持ち込めば勝てるはずだと。

 

 だからこそ、陸軍で奪還作戦を望む声も強くなるのだろう。

 

「……千駄ヶ谷閣下はこの状況を憂慮されておられます」

 

 千駄ヶ谷。三鷹が出すその名前は陸軍東部方面軍を預かる陸軍大将のそれ。飯田の立場である海軍中佐には手も届かぬ存在。階級以上に組織が違う。

 逆に言えば、それは陸軍大将である千駄ヶ谷という男も同じだ。彼はどんなに偉かろうと陸軍の人間だ。今海軍の中で進みつつある『やつら』への対策室設立の流れに口を出すことは本来であれば出来ないのだ。

 

 だからこそ、互いに連携する価値があるのである。伝手(ツテ)というのはあることに意味がある。あれば使える。使えるならば使う。飯田にしてみても千駄ヶ谷と組む理由は十二分にあるわけだ。

 

「しかし、私になにが出来る。確かに千駄ヶ谷閣下には昔お世話になったが……」

 

 しかし話が大きすぎる。上司である大迫の許諾なしに判断が出来るはずもない。口ごもる飯田に対し、三鷹は自信に満ちた表情を作る。

 

 

「いえ、簡単な話ですよ中佐」

 

 

 

 対策室を陸海合同で作りましょう。それも今すぐに。

 















【補足】都府庁道県
地方公共団体の種類の一つ。日本の地方公共団体(地方政府)として1都2府2庁13道50県、合計68の都府庁道県が設置されている。さらに分割された地方公共団体としては市町村が設置される。
唯一の都である東京都には特別区が置かれることがあり、これら区の業務は都が処理する業務以外は市に準ずる。

【補足】近衛兵団
憲法により陸海軍その他の戦力は天皇に統帥される。ただし現代においては統帥権委任法により大半の戦力は内閣総理大臣の指揮下に収められており、所謂「統帥権」が行使される場面は少ない。これの例外が近衛兵団である。近衛兵団は統帥権委任法の例外とされ、天皇の直接の指揮下に入る。
戦力は陸海軍より供出されており、その規模については御前会議により決定されるとされる。必要に応じて増員が可能であり、御前会議を開催せずに地上兵力60,000までの戦力を兵団に編入することが出来るとされている。航空機・車両の保有数については規定が存在しない。
海上戦力に関しても規定は存在しないが、これはそもそも海上戦力が近衛兵団に編入されたことがないためである。


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