模倣の決号作戦   作:帝都造営

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「――――現在進められている沖縄県全域からの避難は軍も並行して行われるのでしょうか。また、陸軍の一部部隊が臨戦態勢を取っていることについて、それらは正確に総理の指揮下に組み込まれているのでしょうか、彼らが独自の判断を行う可能背はあるのでしょうか。お答えください」
「吉野大臣」
「沖縄諸島の保持は我が国の安全保障上不可欠な要素であり、陸軍としてはむしろ部隊の増強を検討している最中であります。また第53軍と西南方面軍につきましては核戦争の脅威が去ったとの判断が3月2日午前10時の段階でなされておりますので、その時点から同方面における作戦指導は内地総軍司令官ひいては総理大臣が執り行っております。独自の判断が下されることはありません」
「志岐君」
「既に西南方面軍が沖縄本島奪還に動いているという情報がありますが、大臣はそれを把握されているのでしょうか」
「吉野大臣」
「現時点では、そのような報告を内地総軍司令官より受けたことはありません」


H34.3.11《X-234days》②

 ――――西暦2022年3月11日。東京――――

 

 

 

 レンガ造りの衛兵詰所――といっても、ヒト一人が風雨を防げるような丸っこく小さな設備――に待機する水兵が捧げ銃。それに返礼しつつ飯田はレンガ舗装の道を進み、そして鉄柵のガイドを踏み越える。海軍省の敷地はこのレンガが続くところまでで、千代田の官庁街は現代らしいコンクリートの歩道と車道だ。ガス灯を模した街灯が等間隔に並ぶ。

 

 収められたLEDライトはまだ街を照らしていなかった。こんもりと茂った木々の向こうには国会議事堂の一部と思しき構造物が見え、その向こうに橙色に染まった太陽が沈んでいく。

 既に午後五時を回ったとなれば、あの大仰な建物に詰める政治家たちも帰路についていることだろう。

 飯田は振り返りもせずにその道を歩いてゆく。警邏の近衛兵が列をなして彼とすれ違えば、堀の向こうには旧江戸城が見える。この国の中枢をなす千代田区、その一番地だ。その向こうに見える東の空はもう夜を迎えており、東京駅方面の高層ビルには煌々と灯がともっていた。そう言えば、定時退庁なんて久しぶりだ。ここ二週間どれだけ忙しかったかを改めて感じる。

 

 しかし飯田は海軍中佐である。海軍軍人は即ち国家公務員であり、この国家の非常事態において定時に仕事が終わる訳がない。先ほどまで行われていた各省からのオブザーバーを招いての対策会議はもちろん恙無く終わった訳だが、本当の戦いというのはこれからである。

 

 

 

「皆、今日はご苦労だった」

 

 挨拶もそこそこに掌サイズの陶器を掲げ、それに全員――沖縄県沖駆逐艦沈没事故調査室の部下8名――が習う。畳に座布団、先ほど運ばれてきたばかりの膳。別に将官の接待という訳でもないのだが、こんだ話をするのならばと選ばれたのは座敷であった。もちろん室の長である飯田は上座に座っており、そこからなら全員の表情を一度に見ることが出来る。

 

「それにしても、結局あの運輸の石川とやらは何がしたかったんでしょうな」

 

「さあ? 触れるかと思っていた海上保安庁(ほあんちょう)の話もしませんでしたしね」

 

 思い思いの言葉を口にする室員たち。その顔は総じて明るい。

 午前こそはひやりとする場面もあったが、石川も飯田と直接会話して以降は表立っての対立はなく、午後の会議は当たり触りなく進行。海軍省としては本気を見せられただろうし、オブザーバーを招くことで各省の顔も立てることが出来た。話の内容が上辺だけに見えるのは第一回だからということにして、一通りの目的は達成出来たと言えるだろう。皆がひと仕事終わったという様子なのはそのためだ。襖に囲まれた空間には都会の喧騒を打ち消すための音楽が流れ、そのまま時間も穏やかに流れていく。

 

「――――さて」

 

 しかし、そんな雰囲気も飯田が箸をおけばすぐに吹き飛ぶ。飯田がそう呟くや否や、彼が率いる尉官8名は無言で臨戦態勢へと移行する。流石は中央勤務というべきか。

 

「甲経路についてだが、実際作戦課(一課)としてはどうなんだ?」

 

 結局のところここに居る彼らは海軍な訳で、専門は海。会議では必要に駆られて上陸された後の話ばかりしていたわけだが、そもそも肝心なのは「上陸されないこと」だ。しかし会議では海上戦闘を()()()()()()()海軍の活動に関しては一切触れなかった。

 そしてその理由(ワケ)は、飯田の問いに答える作戦課士官の歪んだ顔が物語っていた。

 

「作戦課としては、浦賀水道の封鎖も難しいかと」

 

「やはりか」

 

 正直、それ以外の感想はない。

 

「機雷封鎖、もしくは核弾頭の使用が可能なら話は違いますが……」

 

 皆まで言う必要もない。自国領海内での核弾頭の使用など論外であるし、機雷だって設置できるわけがなかった。浦賀水道という東京湾の入口を塞ぐ。その行為は東京湾を殺すものであり、ひいては東京という人口数千万の巨大都市を世界と切り離す行為だ。

 

 人口が膨らみ切った現代において重要なのは世界中と繋がること、つまり貿易を行うことである。国土のほとんどが島嶼により構成されている日本という国の貿易は、もちろん海運なくして成り立たない。そして浦賀水道とは、即ち東京の海運であった。

 

 

 

「……」

 

 半刻は過ぎただろうか。省での会議は机の上に資料が所狭しと並べられた――なんせ、話が転がるたびに基礎的な資料を印刷していたのだ――ものだが、この場で必要なのはほんんのわずかな資料だ。鹵獲個体により研究の下地こそあったが『やつら』については何もわかっていないも同然だ。座敷であっても広げられる程度の情報が全てであり、それ以上には何も存在しない。

 

「一度補足してしまえば追跡はそこまで難しくないかと。ですけどやはり、水中への攻撃能力の不足が……」

 

「127に対潜弾頭を装填するのはどうですか。昔駆逐艦に載せられていた奴です」

 

「あんなのもう残っていないから一からの開発になるぞ。艦本がやるのか。仮にそうだとしても、時間はどれほどかかる」

 

 交わされる会話は会議で一度も論じられることのなかった海上戦闘に関するもの。信州の四方を護ると謳われる海軍が十八番であるはずの海上戦闘をコソコソ話すなど大変滑稽な姿であるが、それは打開策がないからこそであった。対処をせねばならない。ならば盛大に会議を開き各省からも意見を聞く。だが海軍のことは海軍が一番よく分かっている。

 

 勝つための要因がまったくもって見当たらない。いや存在しないのだ。

 

 なんせ『やつら』は海底をうごめく化け物だ。砲戦、航空戦、雷撃戦、果ては衝角戦に白兵戦。幾多の戦術を試してきた海軍といえど、海中との戦いなどは対潜水艦戦のみだ。しかも潜水艦はかねてより補助戦力。そもそもその潜航という特殊な能力にリソースの大半を割かねばならない潜水艦は武装において相当な制約を受ける。通商破壊戦ならば主役になれるかもしれないが、決して戦場の、ひいては国防の主役にはなりえない存在なのだ。

 

 と、そこまで考えが回った飯田にふと閃くものが。

 

「そうだ、あれが使えないか。三年前、研究会の図版演習でやった潜水艦の集中運用によるソビエト空母艦隊の撃滅作戦」

 

「ああ、あの三個潜水隊を用いて行ったアレですか?」

 

 飯田の言葉に応じるのは作戦課の大宮中尉。研究会というのは飯田が参加する有志による「新時代水雷戦の研究会」のことで、大宮もこの研究会に参加しているのだ。三年前となると大分前の話だが、三個潜水隊全力出撃で9隻の蒼龍型潜水艦。図版上での演習とは言え、あの斬新な攻勢法は飯田や大宮といった研究会の面々の記憶によく焼き付いている。

 もっとも、大洋で行われる海戦でそんなこと出来るわけがなく。まあ逆に言えばそんな数の潜水艦を集中運用することなんて考えられない――というか、攻撃のタイミングをそろえるのが至難の業だ――のだが……まあともかく、そういう研究があったのだ。

 

「そうだ。図版演習で検討したのは潜水艦の集中運用による艦対艦ミサイル(SSM)斉射の有効性についてだったんだが……その後、複数の潜水艦が奇襲を仕掛けてきた際の対処法を検討することになってな。大宮、あの時の資料出せるか?」

 

「分かりました、纏めておきます」

 

「よし頼んだ」

 

 三年前とは言え、あの時ほど対潜水艦戦闘が熱く論じられたことは――対潜水艦戦闘は発見までが肝心であり、攻撃方法について論じられることは少ないのだ――飯田の記憶では他にない。一連の資料がきっと役に立ってくれるはずだ。

 となればこの話は持ち越しである。誰かが話題を変えるように口を開いた。

 

「『やつら』への攻撃もそうですが、索敵についてももう少し検討が必要ですね」

 

「確かにそうです。沖縄ではたまたま第二機動艦隊が展開していたからかなり早期に発見できたものの……」

 

 たまたま、か。まあそれは事実ではあるのだが、事前の派遣があったという意味ではたまたまとは言えないだろう。大迫閣下は()()()()()()()()。なぜかは分からないが、知っていたものは知っていたのだ。そしてその先も知っているに違いない。だから焦っている。

 

 なぜ焦っているのだろう。

 

 それは分からない。という大迫が焦る理由を飯田に教えていないのだから、分かるはずがない。しかしそれは飯田が知る必要のない情報なのだということを意味している。現に飯田は『やつら』に対しての対処を命じられているわけだし、それは現状の情報だけで十二分に実行できている。飯田は海軍中佐であるが、所詮佐官なのだ。身分相応の情報しか回ってこないのは当然である。

 

 なら、目の前のことだけに専念すればよい。彼は口を開くと、目の前で展開される議論に突入する。

 

「確か、沖縄では海底の振動が確認されていただろう。アレが本当に海底を移動するのならば、海底火山の観測技術などは使えないだろうか」

 

「……どうなんでしょう。誰か海洋機構とかに繋がりのあるやつはいないか?」

 

 

 範囲を狭めても、論ずべき情報が少なくとも。論ずべきことは尽きない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 結局、飯田孝介が家に帰ったのは深夜の寸前といったような時間になってしまった。路面電は既に終電を過ぎており、とはいえタクシーを呼ぶほどでもないので歩いて帰る。街灯の照らす道に人影はなく、駅前のコンビニの目映い輝き以外はなんの飾り気もない静かな住宅地。

 

 

「ただいま」

 

「おかえりー」

 

 今日も変わることない定型文。遅くなることを伝えてあるゆえか、なんの感動もない娘の声が返ってくる。それは大変喜ばしいことだ。今日も今日とて東京都民は平然と生活を送っている。軍隊とは外交手段であるが、同時に治安維持組織としての役割も持っている。日本で感じることはまずないが、多民族国家のインドネシアなどでは未だに軍が治安維持に駆り出されることもあるそうだ。東南アジア条約機構(S E A T O)の議長国――形だけとはいえ――なのだから、もっとしっかりして欲しいところであるが……まあそれはともかく。

 とにもかくにも、国内の安定が保たれていることは喜ばしいことであった。

 

 鞄を置き、靴を脱いでいる頃に廊下からぱたぱたとやってくる孝介の妻。英国と日本のハーフである彼女と、玄関の高低差を利用して自然にただいまのキスを交わす。

 

 それから彼女は、孝介の鞄を持ちながらゆっくり

 

「今日からまた省の勤務だったのデスヨネ? どうでしタ?」

 

 まだ片言の匂いこそあるが、それは間違いなく日本語だ。別に二人の会話の時は英語で構わない。そう言ったのが遥か昔で、無理をしてでも日本語で話すと彼女が譲らなかったのがその時。今では一人で与那国(にし)にも占守(ひがし)へも行けるだろう。

 

「ああ。些細な配置換えこそあったが、やること自体は変わらんよ」

 

 そう答えてやりながら軍帽を取り、制服を脱ぐ。それを受け取りながら彼女は言う。

 

「お夕飯、温めまショウカ?」

 

「いや……」

 

 今日はもう遅いし、少しとはいえ食べてきたからいいよ。そう言おうとした時、そっと彼の妻は耳打ち。

 

「今日は、ノゾミが作ったのデス。出来たら食べてあげてクダサイ」

 

(のぞみ)が? なんだってあいつが……」

「うわっ、ちょっとお母さん! そういうの言わなくていいから!」

 

 そう言いながら飛び出してきたのは娘の望だ。高校二年にあたる彼女は、これでも来年度の受験生である。別にここは書斎でもないし、別に飛び込んでくるのは構わないのだが、この様子を見るに恐らく盗み聞きしていたのだろう。

 

「なんだ、お前が作ったのか」

 

「えーあぁ、うん。私が作った。あーでも食べちゃったんでしょ? だったらいいよ、遅くなること考えなかった私が悪いんだし」

 

 さて、どうしたものか。時計を見やれば遅くなったといえ十時前。まあ、多少は問題ないだろう。

 

「いやなに、まだ幸いにも〆は食べていなくてな。小皿一杯分でももらおうかな」

 

「え、ホント? よーし、ちっと待っててね!」

 

 そう言ってさっさと踵を返す望。母親似の茶髪を最後に壁の向こうに消える。

 

「いい加減、父親離れして欲しいものだな」

 

「ノゾミもDarlingのこと心配してたんデスヨ?」

 

「心配? 私は内地を飛び回ってるだけだぞ」

 

 帰れないことはよくあることじゃないか。今回ばかりが特別というわけでもあるまいに。

 すると相手は、孝介の注意を引き付けるだけの沈黙をもってから口を開いた。

 

「ワタシだって、心配していたんですからネ?」

 

 その言葉で少なからず胸中に鈍いものが広がる。やはり東京(ここ)でも感じられるのだ。有事だと否応なく感じてしまうのだ。それは孝介が実際に危険な戦地に行っているかどうかではなく、ただただ父や夫の属する組織が危機に直面していると知るだけで広がる漠然とした不安なのだ。

 

「……そうか、すまないな」

 

 それからそっと頭に手を乗せてやる。見た目よりもずっと小さく柔らかく感じる頭。相手の反応を見ないうちに孝介は食卓へと向かう。既に室内着に着替えているので何の問題もない。

 

 

「じゃーん! カツカレーだよ! これで勝つるってね!」

 

 出されたのはカツカレー、というよりカツだ。カツが普通に大きかったのだ。小皿に載せれば、まあ蓋をするような形になってしまう。半分にするという選択肢はなかったのだろうか。

 

「カレーか」

 

「そうそう、金曜といえばこれだと思って」

 

 そう、本日3月11日は金曜日。

 こんなことなら昼食を金曜カレーなどと洒落込むべきなどとの部下たちの提案に乗るべきではなかった。しかし時すでに遅し、流石に昼の段階でそこまで予想はできない。出来るわけがない。

 

「ありがとう。頂くよ」

 

 とその時振動音。孝介の携帯が震えたのだ。食事中の携帯使用はマナー上よくはないが、まだ食べ始めていないのでセーフとする。

 

「すまん、出るぞ」

 

「あいあい」

 

 一応承認らしきものをもらってから通話ボタンを押す。画面の表示は見知ったものだ。

 

「孝介です」

 

『久しぶりだな。孝介』

 

 電話口の向こうから聞こえる声。その勢いは慣れた孝介にしてみれば大分老いたなと感じてしまうほどだが、赤の他人が聞けばまだまだ威勢のよい声に聞こえるだろう。

 

「こんな時間にどうされましたか?」

 

 そう言えば、呆れたように返す相手。

 

『なにがどうされましたか、だ。お前のメールを読んだんだよ』

 

「あぁ。ありがとうございます」

 

『それにしても原発とは、随分とまあ厄介な話題を持ち込んでくれたな』

 

 原子力、核といえば軍事利用ばかりを連想してしまうが、実際に地球上で起こる核分裂というのは爆弾のために使われるものではない。新型の核爆弾でも完成しない限り核実験など行われないし、その新型の核爆弾は財政難などの都合もありここ十年ほどは登場していない。

 しかし今この瞬間も地上では次々に核分裂が起こっている。別にどこかで核戦争が起きているわけではない。原子力発電所だ。分厚い格納容器の中で引き起こされる制御された核爆発。

 いくら政府が平和利用と喧伝しようと、やっていることは核爆弾と変わりない。単にその膨大なエネルギーを敵地を焼き払うことに使うか、それとも水を沸騰させてタービンを回すかの違いである。

 

 そして、核といえばお決まりの放射能汚染だ。福島は未だ国民の頭の中にこびり付いているし、なにより原子力発電所には水が欠かせない。

 水は冷却に使われる。水が蒸発すればその蒸気が巨大な発電機を回して電力を生み出す。そして何より、水はどんな物体よりも放射線を防ぐ防壁として優れていた。

 

 

 故に、日本の原子力発電所は全て沿()()()()()()()

 

 

『一応技術者連中が軽くまとめた資料をそっちに送った。あくまで常識的なことしか書いてないそうだが……』

 

「いえ、それで結構です。中立の意見が欲しかったのです……おい望、書斎においてあるパソコンを取ってきてくれ」

 

「はーい」

 

 望にパソコンを取りに行かせ、孝介は壁に飾られた日本地図を睨む。『やつら』が海から陸へと襲い掛かる以上、必ず沿岸に立地する原発を不安がるのは当然だ。だが飯田孝介は海軍軍人であり、原子力技術者ではない。つまりどういうことかといえば「よくわからない」のである。しかしよく分からないでは済まされない。なら誰かに聞けばいい……とまあ、言うだけなら簡単だが、果たして経産省に聞いて中立的な意見が得られるだろうか?

 それは否だ。飯田としては単に技術的な話がしたいだけでも、相手にしてみれば飯田の動きようで仕事が脅かされるかもしれないのだ。それに自分の分野に口を出されるのを組織は嫌う。海軍はドンパチ、経産はゲンパツ。棲み分けは縄張り争いだ。

 

 だからこそ、飯田孝介は別方面の繋がりを頼ったのである。望がパソコンを持ってやってくる。礼を言ってから起動、パスワードに指紋認証。家庭設置型Wi-Fiへの接続を確認して――よく勘違いされるのだが、孝介が使っているのは政府専用回線ではなく普通の一般的な回線だ――からメールボックスを確認する。仕事にはなんの関係もないメールがずらりと並んだ受信ボックスに、未開封のメールが届いている。

 

 送り主は――――飯田(いいだ)啓介(けいすけ)。海軍中佐である飯田孝介の実の父である。

 

『それでだ孝介。お前、明日は暇か?』

 

「明日ですか? 大丈夫ですが……」

 

 月月火水木金金などと言われるが、地上勤務なら営業日は基本平日だ。飯田の室はそもそも海軍幕僚部がことの主導権を握るための組織なので、まだ休日返上で働かねばならないわけではない。

 

『よし、なら家に来い。見せたいものがある』

 

「見せたいもの、ですか?」

 

 

 

 

 

 畳は日本人の魂だ。とは孝介の父である飯田啓介の言葉。まあ魂なんて様々な要素が絡んで作られるものだからそんな断定的な言い方はともかくとして、まあ畳が日本特有の文化であるのは事実だろう。そこは否定するつもりはないし、一人の日本人として孝介も畳には愛着がある。だからこそ家を建てたときに畳を排するようなことはしなかったのだ。

 

 と、ふと妻の声が聞こえる。読んでいた本から顔を上げれば、寝間着に着替えて布団の上にちょこんと座っている。寝る準備は済んでいるらしい。もちろん急ぎでもない本に目を通している孝介も寝る準備は一通り済ませているわけで。

 

 時計を見る。日付が変わるまであと一時間ほど。丁度よい時間だろう。

 

「明日は実家に顔を出してくるよ」

 

 事務的な連絡に、事務的な相槌。外はまだまだ暖かいとは言えないが、風呂上がりに加えて暖房も効いているとなれば体感は適温だ。孝介も布団の上に進み、寝る前の儀式である手帳の確認を行う。まあいろいろあったが、今日の仕事は上々だったといえよう。室の滑り出しとしてはいい方だ。

 

「Daring……?」

 

「ん、どうした」

 

 そう言えば、ゆっくりかぶりを振って見せる彼女。孝介と彼女を照らす照明はその性能をいかんなく発揮しているはずだが、どうにもはかなげに見えてしまう。

 

「そんな顔をするな。上海の時じゃないんだから」

 

 でも……そう言いかけたのだろうか。だがはっきりとは口にしない。

 

 

 孝介が戦地に行くわけでもないというのに。戦火が目に見えて迫っているわけでもないのに。

 まあ、それでも心配なものは心配なのだ。ただそれだけなのだ。それ以上でも以下でもないのである。

 

 その気持ちが分からないとは言わない。

 

 

 だが、答えることはできない。飯田孝介は軍人である。その前提が存在する以上は、彼の妻や、彼の娘の不安が払しょくされることはあり得ないだろう。国家のためと言われれば、たとえ家族であろうと見捨てるのが軍人なのであり、飯田孝介である。

 とはいえ、社会の最小単位たる家族を複雑に組み合わせることによって築かれる国家を護ることが、最終的には家を守ることに繋がるのだ。

 

「よし、そろそろ寝ようか」

 

 そう言えば、頷いて照明と結ばれる紐に手を伸ばす彼女。無線式のリモコンが最近の主流らしいが、そんなことで一々電気を使う必要はなかろうと古典的な方式のものを孝介は購入しているのである。

 

 と、電気が消える前に大変分かりにくい合図。

 

 

 これで不安が少しでも消せるなら応じよう。琉球諸島事変以来ご無沙汰であったから、それは孝介としても好都合であった。

 











【補足】日本海軍の対潜戦闘

 そもそも日本海軍は対潜水艦戦闘を軽視する傾向にある。それは艦隊に対しての魚雷攻撃は対潜水艦警戒によって無力化が可能であること、東側のドクトリンは基本的に艦艇および航空機から発射されるミサイルを用いたものであり潜水艦は戦略原潜が多いこと。そしてなにより日本が潜水艦によって敗北していないことにある。(米国の潜水艦による通商破壊は徹底されていたが、結果として講和にまで持ち込んでる上、その後の海上護衛総隊の運用業務は運輸省に移管されているため戦訓が生かされていない)そのため海軍の対潜戦闘装備は、史実よりも未発達な点が多い。
 代わりに対艦装備や航空機については史実より大幅に進歩している分野の方が多い。

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