模倣の決号作戦   作:帝都造営

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【世界人民代表会議】(ソビエトより転送)

 全世界人民会議とは、ロシアソビエト社会主義共和国、ヨーロッパソビエト社会主義共和国などが加盟する国家連合である。ただし世界人民代表会議によれば、この枠組みは「国家連合ではなく社会主義に奉ずる全労働者の国家への先駆け」とされており、連邦制国家であるとする説もある。日本のメディアでの呼称は「ソビエト連合」「世人代」「ユーソ」など。
 軍事同盟としてのソビエト連合はワルシャワ条約機構(WTO)を参照。
 1944年以前のソビエト社会主義共和国は世界革命宣言までのソビエト社会主義共和国を参照。



H34.3.7《X-238days》②

 ――――西暦2022年3月7日。樺太――――

 

 

 

 日本最北の市である樺太庁尾羽市。人口三十万人弱を抱えるこの街は、いうなら軍事物資の集積地のような場所だ。もともと北樺太開発は軍事インフラ整備が目的であったし、「満州防衛のための樺太空母」という考え方は1950年代初頭、世界革命戦争の後期には既に登場していた。この地には先ほどまで飯田がいた演習場の他にも、空軍警戒隊(レーダーサイト)や二個飛行隊を擁する空港、戦略航空群(I C B M)などがある。ソビエトの侵攻が実際に過去あったことからも、樺太(ここ)に張り付けられている兵力も辺境にしては多かった。

 

 ともかくも、そういった非常に整った警備体制の下で存分に各種観測を終えた特務実験大隊は、ひとまず実験を小休止とする。まあ終えたというより、今日使われる予定のサンプルが全て使い物にならなくなったため終えざるを得なかったともいえるのだが……ともかく飯田たちは北方特別混成団の司令部が置かれる尾羽市街へと入った。

 

 

『しかしこれで、大変興味深いことが分かりました。アレにも限界があるということです』

 

 オーストラリア海軍の士官がそう口を開いたのは夕食の準備中なのでと通されたホテルの一室であった。さらさらと流れていく流暢な英語。クイーンズイングリッシュといえば英国なのだが、欧州そしてブリテン島が陥落した現在では西側でそれを脈々と受け継ぐのは彼らとニュージーランドぐらいであろう。英国印度に落ち延びた英国王室と英印英国市民は当然それを保ってはいるだろうが、人口の大半がインド人である英国印度をいくら英語教育が進んでいるからと言ってクイーンズイングリッシュの国と呼んでいいのかは微妙なところだ。

 

『確かに。なぜあの巨体で二足歩行できるのか、またそのエネルギーがどこから来るのかはまったくもって謎ではありますが、限界があるのは間違いないようです』

 

 返すのはアメリカ陸軍の佐官。二人のやり取りを聞いていると所々で米語と英語のぶつかり合いがあるのだが、それをものともせず会話は進んでいた。

 

 

 『やつら』の身体能力が如何ほどなのかを測る。それを目的として行われた実験が導き出した結論や仮設は初日にして既に多く、首尾は上々と言えた。そしてその多くの成果の中でも目を引くのは『やつら』の行動限界に関する仮説だ。

 

 

 『やつら』はいつまでも活動し続ける訳ではない。その限界はおおよそ一時間。

 

 

 ちなみにこの仮説は意図して行った実験によるものではなく、他の実験に用いられたいずれの被検体も一時間と待たずに活動を停止してしまったことから導き出されたものだ。まあ偶然であったにせよ、一時間というある程度信頼性のある数字を得られたのは大きい。

 

 一時間、継続戦闘能力として考えるなら致命的なほど短い時間。

 

 さらにその直前に急激に『やつら』は活動を活発化させたことから、『やつら』はその限界を明確に把握しているようにも感じられる。

 それはつまり、活動限界を過ぎると『やつら』は死に至る……かも知れないと言うことだ。まああんな得体の知れないものが生物である可能性が高まったのは気分が悪い話だが、『やつら』が満州の奥地までも進撃してくる可能性を否定する要素が見つかったのは嬉しい話である。

 

 ともかく活動を停止してしまったサンプルに関してはそのまま放置したり暖かい屋根の下に運び込んだり、ともかく条件を変えつつ経過を見ることとしている。海水で満たした槽に沈めた個体なら回復するのではないかなどと予想が立てられたが、実際にどうなるかは明日――もしくはさらに先――になるまで分からないだろう。

 ちなみに『やつら』の活動がどのような内部器官によって支えられているかに関しては、現在別の施設で調査中だそうだ。解剖のより『やつら』の致命的な弱点などが見つかればいいものだが、まあ期待しすぎるのは良くないだろう。

 

 

『しかし信じられないのは、なぜ日本の駆逐艦が犠牲とならねばならなかったのか、ですな』

 

『えぇ、たかだか生物、しかもこんなにも知性を感じられない生物に』

 

 

 聞きようによっては悪意すら感じる言葉の列。当事者である日本海軍将校の飯田が聞こえる位置にいることくらいは彼らも承知だろうに、よくもまあ堂々と言ってくれたものであるが、まあ結局彼らに言わせればそうなるのだろう。

 

「……」

 

 飯田は顔色を変えつつある木更津を目で制して、自身は沈黙を保つ。政府が琉球諸島事変と呼称する今回の『敗北』。それが同盟諸国を失望させているのは紛れもない事実なのだ。

 

 

 かつて日本という国は第二次世界大戦の前半戦で今では同盟国である英国や米国、中華民国と刃を交えた。先進国としての認識の欠如、数々の外交における判断ミス、熱されやすくどこか物事を都合よくとらえようとする国民性。この国の持ついくつかの悪い側面が組み合わさった結果が国力にして数十倍はあろうかという連合国との戦争状態であり、それが対米宣戦布告で明確なものとなった。

 

 しかし即座に敗北するだろうという連合(せかい)の予想を裏切り、この極東の小国はただでは負けなかった。身をすり減らしながらも辛うじて連合の猛攻を耐え、第二次世界大戦が本来の姿、即ち対共産主義戦争へと羽化するまで陥落しなかったのである。

 

 

 こういった粘り強さを期待されたからこそ軍国日本の存続なのである。米国の気分次第では対共産戦争へと突入する前に日本を屈服させることは――それこそ米国単独でも――容易であったであろう。それを成さなかったのは連合が注力すべきは欧州大陸であり、そのために亜細亜(せなか)を固める適当な番犬が欲しかったからである。それと後々問題になりそうなドイツ亡命政府の管理を日本に任せることで後々自国民から「なぜあの悪の政府を保護したのか」などと批判を受けぬようにし、来るべき第二次英国防衛戦(バトルオブブリテン)に備え得られるものは得ようとした英国の思惑もあっただろう。

 そう言った他国の思惑で生き残ったからこそ、それに流されることがないように日本は国家たり続けようとしてきた。その柱の一つである軍事力に明らかな亀裂が走ったのである。

 

 

『まあ何も分かってはいなかったのです。我々は二の轍を踏まぬようにいたしましょう』

 

『ああまったくその通りです』

 

 

 日本が「たかだが生物ごとき」に大敗を喫した。その亀裂は表面だけなのか、それとも内側まで続く致命傷なのか、それは誰にも分からない。だが彼らは後者であると認識し、かつて勇敢に戦ってみせそしてそれから半世紀もの間西側同盟軍の一翼を担った日本軍の末裔はこんなものかと、ある意味では勝手に失望しているのである。

 残念なことに、悪印象とはそう簡単に払拭できるものでは無いのだ。もちろん飯田はそれを成すために琉球諸島事変における駆逐艦喪失に関する調査委員会準備室の室長となりここ樺太へと赴いてきているのだが、少なくとも今は言葉でどうこうできるわけではない。だから沈黙を保っている。

 

「飯田中佐」

 

 と、北方特別混成団の士官が。何かを伝えに来たようだ。

 

「どうした」

 

 振り返るのと同時に、飯田はある人物を認める。それは士官の後ろから付いてくる、畳んだ外套と書類鞄を携えた海軍尉官であった。混成団の尉官は彼を案内してきたらしい。

 

「……来たか」

 

 それから海軍尉官が飯田の目の前まで来ると、直立。

 

「軍務局より参りました。小河原(おがわら)海軍大尉であります」

 

 陸軍軍人ばかりの尾羽にて、今日初めて見る海軍式敬礼であった。それから小河原という尉官は書類鞄より書類を取り出す。

 

「本日付で琉球諸島事変における駆逐艦喪失に関する調査委員会準備室付となります。こちら辞令です」

 

 受け取る。官職の任免などに用いられる辞令に刻まれた文字列は目の前にいる尉官を飯田の室の配置とすることが記されていた。僅かに二名という人員の少なさが形式的編成であることを印象付ける準備室であったが、これで三人目。彼が三人目の室員ということである。

 

「確認した。歓迎しよう大尉……よく来てくれた。同じ部署になるのは対テロ室以来だな、よろしく頼むぞ」

 

「こちらこそよろしくお願いします。しかし驚きました、朝出たらいきなり軍務局の机が消えているうえ、北に飛べと言われたのですから」

 

 懲罰人事かと思いヒヤヒヤしましたよ。そう笑ってみせる小河原。確かに、いきなり何も言われずに北方行きを命じられたなら、もう二度と東京には戻って来ることのない左遷人事だと感じるに違いなかった。

 

「中佐、彼は……?」

 

 戸惑った様子の木更津。いきなり海軍大尉が現れ小河原と名乗り、それどころか新しい室の人員だと辞令など出されたものだから話に付いていけていないのだ。飯田は体の向きを変え、さも今気付いたように言った。

 

「ああそうか、木更津と小河原は初めてだったな。小河原、紹介しよう。海軍幕僚部の木更津だ。階級は中尉」

 

「木更津です。よろしくお願いします」

 

「小河原だ。よろしく」

 

 二人が握手を交わす中、飯田は木更津に捕捉するよう説明する。

 

「小河原は去年まで赤欧(ソビエト・ヨーロッパ)の海軍駐在武官補佐官としてロンドンに出向いていた。今回の件でも存分に力を発揮してくれるだろう」

 

 だからこそ彼を呼んだのである。大使や領事の次にいい待遇を受けるとされる駐在武官。それの補佐官として小河原は欧州に留学していた。彼は仮想敵国を知り、技術を学び、そして人々と交流を持つことにより肌で彼の地を感じてきたのである。しかも小河原は元々仏語や露語も話せる。信頼出来る通訳、しかも相手の事情に通じているとなれば、飯田が小河原を呼ぶのは至極当然の判断であった。

 

「それにしても中佐、呼ぶなら先に一声かけてくださればいいものを」

 

「いやすまない。なんせこちらも樺太行きが決まったのが真夜中でな、それにことがことだ」

 

「まあ相手がソビエトとなれば仕方ないです。中佐の下なら軍務局の椅子も消えたわけではなさそうですし、存分に働かせていただきますよ」

 

 そんなことを話していると、視界の端より寄ってくる影が。

 

『アツシ、来ていたのか!』

 

 かけられたのは英語。先ほどのオーストラリア海軍士官だ。小河原に向けられた言葉であることに違いなく、彼もすぐさま英語で応じる。流石はロンドン帰りというべきか、訛りのない流暢な英語だった。

 

『ジョンじゃないか、こんなところで会えるとは』

 

 それから小河原は飯田に一瞬視線を投げる。迷うことなく「行け」のサインを出せば、小河原はそのまま豪州人に歩み寄って再会の抱擁を交わす。

 

 

「……しっかりやってるようだな」

 

 その様子を見ていた飯田は、どこか満足げに呟いたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「食事の時から随分腰を気にしていたようだが、何かあったのか?」

 

「あぁいえ、大したことではないんです。ただここまで来る際に酷い目にあいましてね」

 

「酷い目?」

 

 食事も終わり、今日の実験大隊が得た成果の最終報告も終わった。今日こなすべき全ての仕事を終えた今という瞬間は言うなら就寝前に気を落ち着かせるための時間であり、一日の出来事を整理する時間である。ホテルのロビーにて適当な酒類を頼んだ飯田は、それを小河原の杯にも注いだ。巨大な氷を伝うようにして液体が流れていく。

 

「ありがとうございます……実はですね、豊原-尾羽の定期便がこの吹雪のせいで止まりましてね」

 

「私の機はそんなことはなかったぞ?」

 

 そう言う飯田に対し、小河原は嘆くようにかぶりを振って見せた。

 

「それは中佐のが軍用機だからですよ。生憎こちらは民間便、連中(あれ)は保険と安全のことしか考えません。まあともかく、豊原から農繰木(ノグリキ)までは飛行機で行けたんですが、まあそこからは酷いものでしたね。雪は吹雪くし代わりに乗った列車はひどく揺れる、とても立っても座ってもいられない。おかげで尻周りがまだ痛みます。新聞も売り切れてますし……」

 

「分かった分かった。確かにそれは災難だったな」

 

 なんだかどこまでも続きそうなのでこの辺で止めておく。いきなり千キロ以上移動させられた挙句に新部署への配属だ。相当にストレスも疲れも溜まっているだろうが、今は仕事の話を進めねばならない。

 

「ともかく、中佐にも迷惑をかけてしまい申し訳ありません」

 

「いやそれはいい。それよりどうだ、お前は実験の結果をどう思う?」

 

 それを言えば、既に一通りの結果に目を通した小河原は考えるそぶり。

 

「確かに、『やつら』の表皮が予想以上に柔いという結果には驚きました。どの軍でも戦車レベルの装甲はあると考えられているようですし……発表されれば相当な驚きをもって迎えられるでしょうね」

 

 実際、『やつら』の装甲は厚いものとして考えられていた。それは『やつら』と一番初めに交戦した機動戦闘車中隊が「榴弾より徹甲弾が有効である」という報告を上げているからであり、実際そちらの方が迫ってくる群れに対して有効であったからだ。

 

 しかし実際には徹甲弾が有効だったのは遅発信管が作動するまでに複数の『やつら』を貫通していたからであり、むしろ単体に対しては榴弾、いやむしろ命中精度の点で軟目標や軽車両を想定するキャニスター弾の方が有効という結論が出ている。

 

「まあ結局、大々的に報じられることはないだろうがな」

 

「まあそりゃ、間接的に我が軍が保有する装備品の性能を公表することになりますからねぇ」

 

 そこで沈黙。ロビー周辺を軽く見回すと人はほとんどおらず、インドネシアから派遣されてきた陸軍服数名がいるだけだ。

 

「そう言えば今回の派遣団はインドネシア8人にフィリピンが7人と随分多いですよね」

 

「いや、確かに軍属の数はそうなんだが学者自体はアメリカが一番多い。あの国からの軍属が少ないのはことが遠い異郷の地で起きていることだと危機感がないからだろう」

 

「まあSEATOアジアの抱える問題はアメリカにとっては太平洋を挟んで対岸の火事ですからねぇ……でも研究対象としては興味がある、と」

 

 

 SEATO、東南(Southeast)アジア(Asia)条約(Treaty)機構(Organization)は反共産主義を掲げる軍事同盟である。その中でも発足時の加盟国をSEATOアジアというのだが――なんせ後々の参加国はアジア以外の国なのである――その中でもアメリカだけはアジアに存在しない国である。しかし流石は西側の盟主と呼ばれるだけありアメリカはアジア方面にも軍を派遣しているし、そもそもSEATOがアメリカ主導で作られた組織ということもあり彼の国の発言力は大きいのである。実験大隊に参加する調査チームの規模も、アメリカが一番に大きかった。

 

 

「それにしても、アメリカ以上に納得できないのは共産主義者どもですよ」

 

 小河原はそう言うと先ほどの液体をぐっと煽るようにして喉に押し込む。

 

「まあ、こればかりは高度な政治問題(むこうのはなし)だ。この前の満州()-モンゴル()国境問題といい、何らかの取引があったんだろう」

 

「あれは単に交渉を再開するという宣言だけですよ? あんなので『やつら』の情報をくれてやっていいものですかね」

 

 

 今日の最終報告でついに正式に告げられたことがある。それは明日より赤欧(ソビエトヨーロッパ)の調査団が合流するという事実。極秘派遣だの云々とは言うが、それはつまり向こうにも情報をくれてやるということであり……これまでのことから察していた飯田はともかく、周りの反応は何とも複雑なものだった。

 

 

「裏取引はあるだろうさ、そう考えるしかない」

 

「沖縄を払わされたのは日本(われわれ)です。同盟諸国との情報共有は致し方ないにしろ……」

 

 小河原は苦々しい表情だ。もちろんそれは飯田にとっても同じだ。沖縄で百万の屍を積まされたのは日本だ。積まれているのは日本国民だ。その代償をもって掴まされたのがこの程度の情報であり、しかもそれを同盟国と共有すると来た。飯田の鞄には同盟国にも漏らされないであろう情報が眠ってはいるが、それがなければ日本が情報をただ売りしていいる様にしか見えないだろう。

 

「ともかく共産が絡むからこそお前を呼んだんだ、しっかり頼むぞ」

 

「当然です。やるからにはしっかりやってやりますよ。明日の実験は市街地で行うのでしたよね?」

 

「ああ、郊外の市街戦演習場で行うらしい。集合住宅の廃墟もあるとかでコンクリートの構造物がある程度密集しているから、那覇での戦闘を再現するには丁度いいと判断されたのだろう。もっとも火器の使用は行わず都市インフラに対する『やつら』の攻撃力を見るのが目的のようだが」

 

東側(連中)に恩を売りつつ情報流出を最低限に防ぐなら、そりゃあ暴れる『やつら』を見せてやった方がいいでしょうね」

 

 まあつまり、チームの派遣を許しつつも東側に教えるのは『やつら』がどういった動きをしているのかだけということだ。言うまでもないが『やつら』が東側の兵器である可能性は非常に高い。 なんせ実験の結果分かったのは『やつら』に個体としての知能がないことだ。とすると『やつら』が沖縄をわざわざ襲撃目標に選ぶ理由がない訳で……入れ知恵をした陣営がいると疑ってしまうのは仕方のないことだろう。

 

 だから見せるだけなのだ。東側が本当に『やつら』を知らないのであれば明日の受け入れは単純に東側に恩を売ることとなるし、もしも知っていたとしてもそれだけでこちらの解析の進捗や西側兵器の有効性を確かめられずに済む。

 

 

 ともかく、明日は忙しくなりそうだ。飯田も目の前の杯に手を付けると、ゆっくりと冷やされて熱いそれを喉に流す。

 

 

 

「失礼します!」

 

 とその時、にわかに騒がしくなり始めるロビー。数名の下士官が駆け込んできたのだ。それも外套にまとわりついた雪も払わずにだ。ホテルの従業員一同が困惑した表情を浮かべる中、構うことなくずかずかと飯田のところにもやって来る陸軍服。

 

「いったいどうした」

 

 聞けば下士官は一瞬躊躇する。どうやら相当な問題らしいとすぐさま判断した飯田は、僅かに身を傾けて耳を貸した。下士官は小河原にも聞こえないような小さな声でその報告を告げる。それを半分も聞き終わらないうちに、飯田の表情は曇る。

 

「……なんだと? 間違いないのか」

 

「はい、三鷹少佐が伝えてくれと」

 

「分かった。報告感謝する」

 

 下士官は一礼して下がる。そのまま出口へと戻っていった。それよりも早く動いたのは飯田である。彼は素早く立ち上がった。

 

「行くぞ小河原」

 

「え……ですが」

 

「とにかく移動だ、大変なことになった。運転できる奴を連れてこい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 完全武装の封鎖線の先。飯田を乗せた車両がたどり着く頃には何両もの車両が到着しており、背後の燦々たる光景を覆い隠そうとしていた。とはいえこの闇夜では何がどうなっているかも分かるはずがなく、救護車の警戒灯(パトランプ)やハーフトラックのやけに眩い灯りが異様な光景を浮かび上がらせていた。

 

「そうだ、なんとしても樺太庁警察(庁警察)は近寄らせるな、病院にも不発弾の処理に失敗したと報告しておけ! ……ああ、飯田中佐殿」

 

 仮ごしらえのせいで微妙に傾いているテントに入ってきた飯田を認めると、今回の『やつら』に関する一連の実験を主導している中央即応軍所属の三鷹少佐は立ち上がって敬礼で迎えた。

 

「三鷹、話は聞いたぞ。何があった」

 

 返礼しつつ飯田が問えば、三鷹はどこか困ったような顔つきになる。

 

「何がと言われましても、現在お伝えした以上のことは判明していません。アレの解剖(かいたい)を行っている最中に爆発事故が起きまして、現在は怪我人の回収と手当てを最優先で行っております」

 

「原因は」

 

「並行して調査中であります。ですが現状、人手が足りていないのでして……なんせ解剖は地下で行っていたもので、施設全体が崩落しかねない状況なのです」

 

「とりあえず状況が見たい、案内してくれないか」

 

「分かりました」

 

 それから三鷹はこの場を尉官に預けるなどと言い、それから飯田を先導するように歩き出す。ガソリンランプの吊るされたテントの外はもちろん闇だ。いくつかの照明を頼りに歩いていく。

 

「で、なんでまた地下施設などで」

 

「ええ、運輸省が汚染のリスクを避けたいと言ってきまして。人目に付きづらいという意味でも外との繋がりは減らすべきという判断です」

 

 ぼやくように三鷹は言う。確かに、地下施設で実験を行うとなれば資材の搬入にも一苦労することだろう。

 

「で、その結果がこれか」

 

「ええまあ、爆発の規模はそこまで大きくなかったようですし、内部に生存者がいるといいのですが……」

 

 爆発の影響だろうか、一部が歪んで収まりきらなくなった扉が閉まり切らずにぶらりと蝶番が揺れている。

 

「酷いものだな」

 

 飯田はそう漏らした。爆発の規模はそこまで大きくないとは何だったのか。暗闇の中で破損個所がライトで照らされているせいで余計に目立ってしまっているとはいえ、本当に酷い。ストレッチャーを担ぐ衛生兵とすれ違うが、そこに乗せられている毛布にくるまれたものは人間大ではなかった。潰れるか千切れたかしてしまったのだろう。

 

「少佐、ここから先は崩落の危険があります」

 

 と、三鷹の前に立ちはだかる影。状況から言って工兵隊の人間だろう。三鷹は振り返ると口を開く。

 

「と言っていますが……どうしますか?」

 

 今の聞いていましたよねと言わんばかりの表情。なるほど三鷹としてもこれ以上奥へは入りたくないらしい。飯田も爆発の専門家ではない以上、これより先に進んでも意味はなさそうだと判断した。

 

「分かった。ところで君、内部の爆発か感じた印象を聞かせてもらってもいいかね?」

 

「印象……でありますか?」

 

 いきなりそんなこと言われればそりゃあ困惑するだろう。とにかく言ってみてくれと飯田がもう一度言えば、首を傾げながらひねり出すように言い出した。

 

「そうですね……爆発の衝撃は実験室中に反響し、複数回にわたって内部の機器に重大な損害を与えています。それこそ、磁気テープの復旧がやっとなぐらいです。爆弾は生半可なものではありません……十や二十キロどころではないかも」

 

 それを聞いた飯田は三鷹に視線を戻す。飯田が言わんとすることはすぐ理解したようで、三鷹は困惑気味にかぶりを振って見せる。

 

「そんなバカな、ここは研究施設です。必要以上の爆薬は運び込んでいません」

 

 とはいえ、破壊の様子から見るにこれを火災だとかで片付けることは出来なさそうだ。爆発の規模が大きすぎるのである。一瞬破壊工作の可能性が頭をよぎるが、これはどう考えても犠牲者が出てしまう規模だ。戦時でもないのにそんなことをする必要、というか意味があるものだろうか。すぐに打ち消した。

 

 

「中佐、この施設では『やつら』の解剖を行っていたんでしたよね」

 

 小河原が耳元で小さく言う。飯田は顔を動かさずに強くそれを否定した。

 

「その可能性を今は考えるな、余計な混乱を招くだけだ」

 

「……はい」

 

 何か言いたげな様子の小河原の気持ちはよく分かる。だがあり得ない、というよりかあり得てはならない。なんせ鹵獲したのは砲撃を行わないタイプのはずだ。それを切り刻もうとしたところで、爆発するものが存在しない。しかもその爆発は確かな衝撃を持って機材や人員を破壊しているのだ。地下という環境に増幅されたにしろ軍の施設に大きなダメージを与えるほどの爆発。

 

 飯田の脳裏にも『その可能性』は浮かんでいた。大迫海軍幕僚長の言葉(かせつ)も蘇る――――『やつら』は進化している。もしも解剖に抵抗する最後の手段として、それを選んだのであれば?

 

 

 いや、どう考えてもあり得ない。妄想は振り払わねばならない。現代科学は証明に照明を積み重ねた結果なのだ。明確なデータが、証拠で出そろうまでは認めるわけにはいかないのである。

 

 

 

 現代科学の限界――――科学者でもないのにそんな言葉が脳裏に浮かんだ飯田は、それを振り払うように踵を返し、現場から引き上げた。

 


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