模倣の決号作戦   作:帝都造営

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【樺太庁】

 樺太庁とは、日本の北部にある樺太島および付随する島を管轄する地方公共団体(庁)である。所在地は豊原市。単独で樺太地方を構成する。面積は六十八つある都府庁道県の中で二番目に大きく、人口は三十六番目に多い(2020年)。


H34.3.7《X-238days》

 ――――西暦2022年3月7日。樺太――――

 

 

 

 早朝の便で択捉国際空港より豊原国際空港へ。飯田がその豊原に設置されている第23軍――最果ての樺太地方を守る陸軍北部方面軍、その中でもさらに辺境にあたる樺太に配置されている軍――の司令部へと赴き、そこでとある書類を発行してもらう。書類とは期限付きの入場許可証だ。何も伝えずとも書類が発行されるあたり、既に話は通っているらしい。

 

 樺太南部の最大都市、豊原。雪解けの気配もない市街道路を分厚い外套に身を包んだ人影がせかせかと歩いていく大通り。そんな場所に面したレンガ造りの陸軍司令部を出る飯田と木更津の頭上には、ちらほらと雪が舞い始めていた。

 

「……こんな季節に雪が降るのか」

 

「まだ三月の上旬です。東北地方でも普通に降ります」

 

 そう言ったのは木更津で、神戸生まれで基本は雪と関わりない生活を送ってきた飯田はそれもそうかと返すだけ。雪景色から地方を連想するのがよくないことは分かっているが、彼にとっての雪景色とは辺境の地という意味を持っていた。それとは別に、雪は彼にとって特別に悪い意味も持つのだが――――

 

「雪はお嫌いですか」

 

「いや、そんなことはない。もう一枚着て来ればよかったと思っただけだ」

 

 不思議がる木更津の様子を見るに、不快感が表れてしまったようだ。あいまいにはぐらかし、飯田は空港へと戻る自動車を探す。

 

 

 樺太は不思議な場所だ。昔、この南北全長160kmに及ぶ巨大な島は、日露の雑居地帯だったという。それがいつしか南北に分割され、世界革命戦争では日本にとって唯一の本土戦が行われた場所でもある。

 北部を獲得後は樺太全体としての開発が進められ、また中東やらアフリカやらに戦力を集中せねばならない海軍の代わりに北方を守る「不沈空母」としての役割もよくこなしてきた。60、70年代には体よい過剰人口の受け入れ先とされ、思わぬほど巨大な都市圏へと変貌した時期もあったものだが、今では往時の繁栄を感じることは出来ない。

 それでも、不思議に潰えることなく維持されている地域。それが樺太なのである。

 

 

 つまりそれだけ成熟した、つまり完結した――――()()()()()()を維持している地域でもあるわけだ。

 

 

 飯田は第23軍の司令部で受け取った許可証の内容を思い返す。それは単に軍の管轄区域に立ち入ることを許可する入場許可証に過ぎない。だが受け取りようによってはこの書類は北樺太という最果ての地を見るために必要な許可証。ビザのようなものにも感じられる。

 

 

「飯田準備室室長でありますか?」

 

 と、彼に声をかける影が。準備室室長とは随分と略してくれた――正式名称は「琉球諸島事変における駆逐艦喪失に関する調査委員会準備室」である――ものだが、しかし準備室室長なのはこの樺太では飯田ぐらいしかいないだろう。

 

 振り返るとそこにいたのは陸軍の軍帽を被った男であった。この寒さだというのに、外套を身に着けていない。

 

「いかにも。そちらは?」

 

 飯田が名乗るよう促せば、相手は直立不動の姿勢を取った。

 

「北方特別混成団所属、千鳥少尉であります。補佐官殿をご案内するようにと、団司令からの命を受けてまいりました」

 

 飯田は答礼し、尉官から命令書を受け取る。電子印鑑による電子書類なのにはやや驚いた――容易に流出しうる電子書類は、特にこういった状況ではまず用いることはない――が、思い直せば今回の命令(樺太行き)()()()()()()()()()()であった。内容を確認。

 

「確かに確認した。今日はよろしく頼むぞ、少尉」

 

「連絡機が空港の方に用意してあります。どうぞこちらへ」

 

 案内されつつ、飯田は視線をするりと後ろに向けてみる。豊原の街は変わらぬ様子であったが、この町並みには彼を監視する目が潜んでいることだろう。

 

「……」

 

 

 樺太は不思議な場所だ。このだだっ広く完結した島には、地元住民の他には軍人と共産主義者しかいない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 北方特別混成団。先日の琉球諸島事変で喪失された南西特別混成団と同様、方面軍の直接の指揮下に置かれ……そして国防上重要な要塞地帯の守備を担当している。

 

 とはいえ、要塞地帯――要塞地帯法を根拠とし、民間人の立ち入りと活動が法的に厳しく制限される――は既にこの国には存在しない。知っての通り、それに関わる補助金などの支出が膨らんだことで2013年に廃止されてしまったのだ。

 まあ、あまりに時代錯誤な政策であったことは事実であるから、むしろよく十年前まで維持していたものだと逆に感心するが……ともかく、飯田がこれから向かうのはそういう場所だ。

 

 飯田は窓の外を見やる。陸軍がわざわざ用意してくれた連絡機の乗り心地はこの機が小型機であること、そして今日の気象条件が低気圧気味ということもあり決して良いとはなかったが……眼下にのんびりと敷き詰められた雲海の底に広がっているのであろう猛吹雪を思えば、連絡機はありがたいものだった。

 

「……」

 

 それにしても。

 

 陸軍がわざわざ連絡機を寄越す――それも海軍将校のために――なんて珍しい話だ。この様子を見ると、現在飯田が率いている「琉球諸島事変における駆逐艦喪失に関する調査委員会準備室」を()()()()()から陸海空三軍(ばくりょうぶ)の組織へと変えるための議論も大分進んでいるのかもしれない。

 

 それは喜ばしいことだ。なんせ――――我が国に縄張り争い(そんなこと)をしている余裕はないのだから。

 

 

 琉球諸島事変にて、この国は新たな国防リスクに直面した。

 

 それは『やつら』であり、そしてこの国が誇る国軍がそんな『やつら』()()に瓦解するレベルであることが世界に立証されてしまったことだ。

 

 

 対策は急を要する。一刻も早く状況を整理し、そして国民及び同盟諸国、即ち西側陣営に安寧を取り戻さねばならない。挙国一致の協力体制が求められるのだ。

 たしかに準備室の設置は海軍による名目的なものだ。だが飯田はこれが国家的な存在へと昇華することを望んでいた。準備室が扱うのは海軍だけの話ではない。三軍全体に及ぶ問題だ。さらに先日、東南アジア条約機構(S E A T O)が国防大臣級の緊急会議を開いたように、日本の同盟国たち(S E A T O)も非常に琉球諸島事変へと興味を示している。大東亜の盟主としても、いい加減身内もめをしている訳にはいかないのだ。

 

 それを理解していない上層部ではないはずだ。だからあとは議論の進展を待っていればいいだろう……待つしかないとも言える。

 

 

「準備室室長」

 

 と、飯田をこの連絡機まで案内してくれた陸軍尉官が顔を出した。彼は前方の座席に座っているから、わざわざ顔を出したということは何か用があるのだろう。

 

「なにか?」

 

「こちらを」

 

 そう言いながら渡される封筒。ごくありふれた、誰にでも手に入る紙製のそれは、厳重管理を促すいくつかの判子により特殊なものへと姿を変えていた。

 

「……これは?」

 

 受け取り、そして内容をあらためるまでもなく飯田は顔を曇らせた。押されている北方特別混成団、そして第23軍の印は分かる。

 だがどうしてまた、中央即応軍の承認印まで押されているというのか。

 

「機上で渡すようにと命令を受けていたものです」

 

「……なんで中央即応軍(C A)が出てくる」

 

「それに関しては申し上げられません」

 

 そう言われてしまってはどうしようもない。飯田は千鳥に関しての指揮権を有していないからだ。黙ったまま封を開ける。神奈川の座間に司令部を置く中央即応軍は陸軍大臣直轄の部隊。方面軍を飛び越えて寄越すくらいの案件ということだ。飯田に渡される案件は、もちろん琉球諸島事変に関すること。

 

 樺太への移動命令――――飯田は今回の事態(琉球諸島事変)に非常に興味を持っているであろう東側(ソビエト)との接触役を命じられただけと思っていたが、どうやら用事はそれだけではないらしい。

 念のため権限が足りることを確認してから、封を開ける。

 

 

 

「――――特務実験大隊?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 樺太は重要な拠点だ。日本海への入り口である間宮海峡と宗谷海峡を抱えていることはもちろん、この国の北部に位置するという地理的特徴はこの地を核報復のための一大拠点に変えた――――知っての通りモスクワやパリへの最短ルートは北極海上空を通過することだ。成層圏まで飛ぶミサイルとなればなおさらである。

 さらに帝都東京より遥かに離れた最果ての地という事実が防諜態勢をより確固たるものにする。監視すべき出入りする市民が少ないのはもちろん、閉鎖的であるが故に地域住民のネットワークによる民間防衛も大きな貢献をしているのである。

 もっとも、それ故にソビエトの秘密都市と同等であると非難を受けることもしばしばなのだが……あれはそもそもソビエトが持つ秘密都市の存在を暴かれた故の半ばやけっぱちの非難といえたし、そもそも北部樺太の現状は開発の結果もたらされたたまたまの結果である。元より秘密にすることを前提として開発された都市を引き合いに出されても困るというものだ……閑話休題。

 

 まあそのようにして成立しているのが北の軍事都市尾羽という街なのだが、その市街地より少しばかり離れた陸軍演習場へと飯田を乗せた機は着陸しつつあった。飯田を出迎えるかのように風は収まっており、大きく揺れることもなく滑り降りる連絡機。普段のゴムタイヤとアスファルトが触れるのとは違う感触――――なんでも、演習場に直接降りるとのことで第23軍名物の降雪地仕様着陸ぞりことスキー下駄を履いているらしい――――で大地を踏みしめると、直ちに逆噴射で停止した。

 窓の外で飛び散る白い粉は重力など忘れたようで、機体の奏でる盛大なエンジン音さえなければ幻想的なことだろう。

 

「到着しました。尾羽東山演習場です」

 

 そして飯田は千鳥に続くように機外へと。出てから気づいたが、どうやらここは氷の上だったらしい。足元がしっかりしていることを考えれば、雪が降り積もった平野に降りるよりは安全に違いなかった。

 

「……」

 

 見回せば、あたり一面真っ白な世界。雪は音をよく吸収するという。そこら中に降り積もった雪は次々と音を吸い込み、そしていかなる生物も存在しないような無音の世界を作り出していた。たった今連絡機が盛大に作ったそり跡も、いつか降り積もる雪の底に消えてなくなってしまうのだろう。

 

 

 と、飯田はなにやら近づいてくる影を認めた。千鳥は既に気づいていて気に留める様子もないが、飯田の脇に控えていた木更津はそれを認めると同時に小さく呟いた。

 

「スノーモービル……ですか?」

 

「らしいな」

 

 そのままスノーモービルは雪を噴き上げながら迫って来る。どうやら複数らしいそれらは、そして飯田の目の前で停車してみせる。恐らくここの仮設滑走路を保守している部隊に違いなかった。

 

「自分の任務はここまでであります」

 

 千鳥が振り返る。それから足を揃え陸軍式の敬礼。軍靴の合わさる音も聞こえる、見事な敬礼だった。

 

「ご苦労だった千鳥少尉」

 

「はっ」

 

 飯田は答礼し、それからスノーモービルからばらばらと降りた降雪地迷彩の兵士たちに先ほどの許可証を渡す。彼らの姿見はここが内地であることを忘れさせるかのような完全武装であり、この演習場が緊張に包まれていることは容易に想像がついた。

 

 そして、スノーモービルの後を追うようにやって来る軍用車両。ヘッドライトが眩しく飯田たちを照らす。どうやらあれが正規の出迎えらしく、たちまち近づくと盛大なブレーキ音と共に停車。国防色の車体はその大部分が白に染まっていており、しんしんと降る雪が余計に白を塗り重ねていた。

 

 

 そして扉が開き、陸軍佐官服に身を包んだ男が降りてくる。慎重に雪へと足を降ろすあたり、彼が座間から来た中央即応軍の人間に違いない。

 彼は姿勢を整えるように足踏みすると、敬礼。

 

「特務実験大隊、大隊長の三鷹(みたか)であります――――お久しぶりです。飯田中佐殿」

 

 飯田は軍人として敬礼を返すと、それから歩み寄るように陸軍佐官の手を取った。握手である。

 

「本当に久しぶりだな、千駄ヶ谷閣下は変わりないか?」

 

「えぇそれはもう変わりありません。今回の中佐殿の大抜擢にもたいそう喜ばれておりましたよ、ええと、あの……」

 

「琉球諸島事変における駆逐艦喪失に関する調査委員会準備室、だな。近いうちに名前は変わるだろうから長いのは勘弁してやってくれ」

 

 飯田の苦笑いに、三鷹は満面の笑みを浮かべる。

 

「ええ、それですともそれですとも」

 

 まあ実際、何度も使っていなければ飯田も忘れてしまいそうになる名称の長さなのは事実。そして長さは活動の対象が非常に限定的なものとされている証拠でもある。早く海軍駆逐艦「雷」という限定的な守備範囲を脱して、もっと広い範囲を扱う簡単な部署になってほしいものである。

 

「それにしても、貴様がこんな場所にいるとはな」

 

「私としても驚きでありましたが、なかなかこれはとんでもない任務でありますよ」

 

 ――――ともかく、細かい話は車中でお話ししますので。

 

 

 

 指揮官の乗車を想定しているだけあり、車内には適当な空間が広がっていた。まあ広いといっても歩兵運用を想定した無反動砲収納ラックがあったりするのだが、まあそれはいいのだ。

 

「なるほど、つまり座間から一個中隊も来たのか」

 

「はい。そういうことになります」

 

 飯田が頷けば、三鷹は笑みを浮かべつつ肯定する。

 特務実験大隊は先日編成されたばかりの部隊だそうで、そのうちの一個中隊を中央即応軍が、残り三中隊を北方方面軍が供出することで編成されているらしい。

 

「で、目的は……」

 

 飯田がそう零せば、途端に三鷹の顔も仕事のそれになる。特務実験大隊という奇妙な名称。そこに呼ばれた飯田という海軍軍人。考えられる可能性は一つだ。

 

「……やはり『サンプル』は捕獲されていたんだな?」

 

「はい、そういうことになります」

 

 琉球諸島事変。海軍の駆逐艦を沈没せしめ、それから展開する陸軍第53軍を打ち破りつつ沖縄本島を占拠した謎の勢力。いずれの国も関与を認めず、いかなる日本政府の接触にも応じようとしない。

 それを成した存在。それが『やつら』だった。

 

「よく確保できたものだな」

 

「歴戦の第53軍が、ましてやホームである沖縄にてタダでやられるとお思いでしたか?」

 

「まさか、陸軍の優秀さはよく理解している」

 

 よくやった。その言葉は寸前で飲み込む。それは陸軍への慰みにはならない。海軍にとっての駆逐艦「雷」同様、陸軍第53軍は帰ってこないのである。人員のほぼ全てを失った第53軍がその全身全霊をかけて残した土産、それが尾羽(ここ)に集められた『サンプル』なのだ。一人の日本人としてそんなよくやったなどと無関心な言葉が放てようか。

 

 

 窓の外をどこまでも流れていく雪景色。雪に化粧を施された木々が次々と流れていく。遥か彼方に小さな堤防らしき盛り土が見え……そこを走っていくディーゼル機関車と、それに連れられた貨物数両を認める。どうやら、演習場も間近に迫っているようだった。

 それを見計らったかのように三鷹が口を開く。

 

特務実験大隊(われわれ)は、中央即応軍と北方特別混成団により構成されています。北方は主に砲兵と機械化歩兵部隊で、陸軍尾羽東山演習場の周囲を固めています」

 

 重火砲の有効性は、沖縄において既に証明済みですからね。そう言ってみせる三鷹。

 

「そして中央即応軍からの一個中隊。これが自分の率いてきた部隊な訳ですが、昨日より活動を開始しています」

 

「昨日から?」

 

「ええ、届いたのが昨日だったもので」

 

 三鷹はそう答える。

 

「運搬方法は」

 

「海上輸送です。海軍(おおみなと)にも手伝ってもらっています」

 

 まあ沖縄から樺太まで不審がられずに荷物を運ぶならば、多数の輸送艦を保有している海軍に任せるのが妥当な線だ。択捉には強襲揚陸艦付の海軍特設陸戦隊も展開していた。だからこそ飯田(かいぐん)が呼ばれたとも言えるだろう。

 だが海上輸送となると気になることがひとつ。

 

「……暴れなかったのか?」

 

「ええ、ここからが面白い話なのですが――――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 信じられない光景だった。

 

 数日前に駆逐艦「雷」を屠り、陸軍を蹴散らし、そして百万を超える屍を沖縄に積み上げた『やつら』。それが今――――目の前に()()()()()()()

 

 無論、その目の前というのは飯田の手前に置かれた国内有名メーカーの生産した液晶画面のことなのだが。それでもこれまで見たどんな資料以上に正確で、そして最も解像度の高いものがそこにあった。

 

「これはすごいな……眠っているのか?」

 

 演習場に設けられた特務実験大隊の仮設指揮所。ストーブが焚かれた塹壕司令部風の施設の中で飯田が信じられないという様子でそう言うと、三鷹は煙草に火をつけながら答えた。

 

「ええ。『やつら』には、麻酔が効くんですよ」

 

 麻酔。

 様々な化学式で構成されるこの麻酔という物質がなぜ効くか、それは実際には解明されていない。だがそれでも麻酔は効く。これだけが人類にとって重要な要素だった。

 

「我々は『やつら』が生物であるという仮説を立てています」

 

 三鷹はまだ煙草を切り上げるようにして灰皿に押し付けた。

 

「生物か」

 

「はい、生物です。見ての通り未発達な足も確認されますし、生物に似ています」

 

「……麻酔はともかく、足は判断の基準にはならないだろう」

 

 怪訝そうに言う飯田。木更津も納得していない表情だ。

 

「まあ、それは確かにそうなんですが……専門家もそう言ってますし」

 

 ごもりながら言う三鷹。とはいうが、説得力があるかと言えばそんなことはない。いきなり生物と言われても、とてもじゃないがアレに似た生物などいるものだろうか。

 しかし『やつら』に関して常識を当てはめるのは不適当な行為である。飯田はともかくも話を進める。

 

「その専門家というのは?」

 

「運輸省派遣の研究チームです」

 

 予想外の答えだった。飯田は思わず振り返る。

 

「運輸? なんで運輸が出てくる」

 

 というか生物という仮説を立てるなら生物学者ではないのか。

 

「さ、さあ……そう言われましても。なんでも、運輸事故調査だとか」

 

 まさかとは思うが、今回の件を単なる海上事故として政府は考えているつもりなのだろうか。そんな考えが一度は飯田を不機嫌へと引きずり込もうとするが、よくよく考えてみれば沖縄の件で海上保安庁は航行警報を出していた。知っての通り海上保安庁は運輸省組織……この案件の消極的縄張り争い(おしつけあい)に運輸省が敗れただけに違いない。

 

「こちらが現在の調査結果です」

 

 そう手渡される紙媒体。開いてみればなんと手書きの文章であった。ともかく順繰りに確認していく。実験の内容は今のところ初歩中の初歩といったところで、誰でも思いつく、だからこそ重要な確認がほとんどであった。光や音への反応といった確認を、リスクが限りなく少なくなるように――――特に、サンプルが傷つくリスクがないように――――工夫された実験にて証明していっている。意思疎通の実験に相当な時間を割いているあたり、なるほど軍のやり方ではなかった。

 

「この意思疎通関連の実験は成果が出ているのか? 結果が書かれていないが」

 

「白紙の段階でお察しください中佐殿」

 

「それもそうだな」

 

 しかし捲るたびに嫌な予感が湧き上がってくる。この実験とやら、随分と簡単なものばかりではないか。この程度の観察では得られる情報など既知の生物を調査する小学生のようなレポート程度だろうに。

 

 端から結論は生物と決まっている?

 

 あり得なくはない話だった。海軍としては海洋生物()()()に駆逐艦を喪失したのはあまりに痛い話であるが、政府の視点としてはむしろ生物という仮説の方が助かる。生物ならばそれは災害だ。災害に人間は勝てない。

 また法律においても、害獣駆除で話を進めた方が対処が楽なのは事実なのだろう。

 

 ――――で、陸軍としてもその方が都合がいいわけだ。海軍と異なり陸軍の主流は沖縄の即時奪還。生物なら勝てる。

 そんなことは言わずに押し黙る飯田。渡された資料に一通り目を通すと、それを返す。

 

「だがここまで結論を急ぐこともないだろうに」

 

 そういう飯田に、三鷹は顔を曇らせた。

 

「いえ、実は面倒事がありまして」

 

「面倒事?」

 

「ひとまずお越しください」

 

 三鷹はそれだけ言って簡易指揮所を出る。飯田は木更津に資料を持つよう指示を出しつつ後を追った。

 

 

 

 仮設指揮所の外は未だ雪が降っていた。塹壕を思わせる――――演習場なのだからこれは本物の塹壕だろうが――――細くて曲がりくねった道を進んでいく。

 

 

「実はですね、この演習場にいるのは我々だけではないんですよ」

 

「というと?」

 

 先を行く三鷹が振り返る。前から目を離すので僅かにつんのめったが、流石に転ぶことはなく歩き続ける。

 

「実は他国も来ているんですよね。ほら、アメリカとかイギリスとか」

 

 また聞いていない話を。飯田は顔に出ぬよう表情を歪める。

 

「いや、出来ることなら中佐殿にも事前にお伝えしたかったのでありますが、いかんせん機密中の機密となっていまして」

 

「他にはどこが?」

 

「主要国は大分来ているはずです……ほら、あそこに」

 

 それは塹壕線に設けられた砲兵陣地にも見えた。狭い通路に複数の人と資材がとどまれるよう幅が広くなり、そこに幾人もの人が詰めかけている。そのうちの一人が飯田たちに気付き、米語で声をかけてきた。三鷹がまず応じ、飯田もそれに続くように応対する。ここは研究チームというより観戦武官の詰所のようで、並ぶ多種多様な軍服はまるで何かの展覧会のようだ。

 そして彼らも、飯田のように『やつら』を調査すべく送り込まれてきたのである。軽い挨拶をそれぞれと交わしつつ、彼らの名と顔を把握していく。もちろん誰もかもが同盟国より派遣されてきていた。それにしても、ここまで即座に将校が派遣されてくるとは……やはり国防大臣級の会議は大きな効果があるらしい。

 

 

 その時――――銃声が聞こえた。三点射撃だろうか、鋭い射撃音が断続的に続く。切羽詰まった様子ではないし、演習場なら銃声どころか砲声も日常だが……何のために?

 

「お、始まったか。ちょうどいいタイミングでした」

 

 三鷹がそう言いながら双眼鏡を取り出して覗く。ざっと周りを見れば彼らも似たような様子だ。飯田も支給品である小型双眼鏡を取り出す。

 

 

 それはすぐに見つかった。なだらかな丘を走っていく四輪駆動車。屋根のないタイプで、運転手と助手席、その後ろにもう一人の三人が乗っている。まず間違いなく陸軍兵士だろうが、なにをしているのだろうか。

 

「……」

 

 とそこで後ろの陸軍兵士が発砲。水平射撃というよりは空に向かっての威嚇射撃。すると四里駆動車は急に速度を上げ、雪の丘を速度を上げながら駆け降りる。

 

 

 刹那、雪の丘が爆ぜた。

 

 

「――――!」

 

 いや違う、爆ぜたのではない。あまりに勢いよく激突したがゆえに雪が無駄に大きく舞ったのである。地形を抉らんほどに激しくその巨体を打ち付けた影が、雪の丘を滑り降りる。

 

 

 『やつら』だ。いや一個体しかいないのだから『やつ』というべきか。砲撃をしないタイプ、「仮称Ⅱ型」に違いない。

 

 四輪駆動車は時折速度を速めながらもしくは小馬鹿にするように緩めながら『やつ』からつかず離れずの距離を取りつつ逃げていく。『やつ』の注意が車より逸れるとすかさず兵士が引き付けるように発砲する。あの四輪駆動車は悪路でも十二分な快速を誇るタフな自動車だ、『やつ』がどんなに精を出してその不格好な対の足を動かしても追いつくことなど叶わないだろう。

 それでも追いかけるしか能のない『やつ』。本当に愚かしいものだ。アレが群れとなった途端沖縄が占拠されてしまうのだから、それを許したこの国はさらに残念な目で見られているのだろう。

 

 

陸軍(われわれ)としても、アレの基本スペックは知っておきたいのです。実験はこれからが本番ですよ」

 

 なるほどデータとは採りようである。音や光への反応を確認するよりも、軍にとってはこの実験(おいかけっこ)により手に入るデータの方がよほど貴重だろう。

 

 

 最果ての演習場に、雪は降り続ける。


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