心機一転。大規模改稿です。本筋は一切変更しませんが、実質的な書き直しとなります。
更新は週一ペースほどを目指します。
お付き合い頂けると幸いです。
H34.2.28《X-245days》
――――西暦2022年11月1日。鹿児島――――
画面上に光点が浮かぶ。何十にも張り巡らされた海面に浮かぶ海底敷設聴音機の索敵網に引っかかったのか、もしくは潮流監視ブイを転用した簡易な警戒システムか……案外哨戒中の駆逐艦かもしれない。
だが重要なのは、光点がにわかに増え、そして既にシステムのキャパシティを上回ろうとしていることだ。もちろん構うことはない、『やつら』は一ついれば百といる。言うならシロアリのようなものだ。シロアリが家に群がりそしていつかは食いつぶすように、『やつら』も建築物を食いつぶす。そんな調子でいよいよ『やつら』は沖縄のみならず南九州という
何十にも並べられた画面が照らす部屋の中。視界一面を覆い尽くさんほどに広がる画面たちは、時々刻々と変化し続ける情報を映し出し続ける。液晶が伝える情報のせいで、さながら地下司令部のよう……もっとも昨日降った雨のせいで感じられる過分な湿度により、ここが仮設指揮所に過ぎないことを忘れることは叶わないのだが。
通信機器や演算機器、組織を支える機器が吐き出す排熱ファンと、それぞれ取り付いた要員の抑えられた調子の報告だけが旋律もなしに連なってゆくだけの指揮所の中。にわかに交わされる情報の量が増える……当然だ、作戦が始まったのだから。状況は想定通りに推移し、そして計画を現実へ加工するという作業がついに始まる。始まってしまう。
「……」
そんな慌ただしさを帯び始めた指揮所の中で、沈黙を保つ一つの影。肩章と略綬の列から軍人、それも佐官級の高級将校であることは間違いなく、顔つきを見るにまだ50にも達していなさそうな男だ。脇に控える尉官と何事か言葉を交わすと、また画面へと視線を注ぐ。
この半年――もう少し正確に言うなら八ヶ月――という時間。この短いとは決して言えない時間に、あまりに多くのことが書き換えられた。それは政治や経済というレベルではない。いくつもの街がそれぞれに抱えている住民と文化、歴史が尽く破壊された。片手には収まらない国がその全国土を喪失し、その国家たる所以を失った。工業力は本当に久しぶりにその全力を発揮して祖国のために働いたが、それでも多くの価値あるモノが消えていった。
だからこそ、男は思わずにはいられない。目の前に状況が迫っていても、いや迫っているからこそ、思わずにはいられないのである。
遥か以前から始まっていた世界の変遷に、初めて自身が関わった日のことを。
――――西暦2022年2月28日。東京――――
湿った洗濯物は太陽に晒すに限る。太陽光には強い殺菌作用があるし、なにより乾燥機なんかよりずっと経済的だからだ。
物干し竿の機能を拡張する角ハンガーに吊るされてゆく靴下やらハンカチ。洗濯籠が軽くなったところで屋内に戻ると、男は窓を閉めた。
世間一般で言えば平日。なのに今窓を閉めたのは男。それも働き盛りであろう男である。専業主「夫」という
彼は慣れた……とはお世辞にも言えない動きで洗濯籠を片付けると、居間へと向かう。すると何かを目に留めたようで、口を開く。
「こらこら、手が止まってるぞ」
彼がそう言うのは、居間のちゃぶ台で勉強する少女。狭いちゃぶ台はロングセラーなノートや東京教育委員会認定の教科書などで埋め尽くされており、一部がはみ出してまた何冊かは畳の上に落っこちている。
男に声をかけられたことで動きを止めた――「固まった」という表現が適切だろうか――少女。しかしすぐに振り返ると手を振りながら反論する。
「待って待って、ちゃんとやってるってば」
自然な発音はもちろん日本語を母国語にするそれで、顔立ちも男同様に日本人のもの。強いて言えば長くのばされた髪の明るさだけが日本人らしくないといったところだろうか?
しかしそんなことは彼女の父親たる男にとってはどうでもいい。彼は自身の腕時計に目をやると、さも楽しそうな笑みを浮かべた。
「そうかそうか、じゃあ成果を見せてもらおうか?」
予想通りに顔色を変える少女。しかしすぐに顔色を元に戻すと、いやに説教じみた調子になる。
「まあ待ちなってお父さん、世の中には機密保持規定ってものが⋯⋯」
問答無用。彼は教科書を一冊引っぺがす。するとそこから顔をのぞかせる雑誌。
そもそも彼が洗濯物を干しに行った時、ちゃぶ台の上に教科書ノートは一セットしかなかったはずなのだ。それが数分の間にいきなり増えているのだから、
「あーあ……」
ややがっくりした調子の少女……だが口元が緩んでいるあたり、発覚を見越した犯行らしい。
「まーた航空雑誌か」
彼は雑誌を取り上げて、その内容に少し目を通す。
「いーじゃん」
「趣味としてはな」
地方空港でのちょっとしたイベント。揉めに揉めた新型空母艦載機の採用決定がまるで最適解であるかのように書かれた記事。ある航空会社が新しく導入した機体の紹介……記事のネタはいつも尽きることがない。
「まあ別にサボってたわけじゃあないんだよ? ちょっと分からないところがあったから『先生』を待っていたという話であって……」
「それを世間一般ではサボるというんだ……で、どこが分からないんだ?」
「あぁうん、ここここ」
そう言いつつ少女は僅かに右にずれ、彼はそうして出来たスペースに入り込む。ノートに書かれていた内容は数学だ。並ぶ大量の三角形。学生時代の記憶を引きずり出して解を導き出すと、教え子は気だるそうに聞いてきた。
「ねぇ、ここってやっぱし丸暗記しかない?」
指差されたのは一つの公式……まあ受験として考えるなら丸暗記が妥当だろう。
「えぇーそれじゃあまったく意味ないじゃん。こんなの羅列されても訳分かんないよ」
「公式なんだから当然説明は出来るが……長くなるぞ?」
「それはメンドイ」
そんな少女の調子に彼はため息。
「お前なぁ、仮にも国防大目指す奴の台詞か?」
「うん、第一志望」
そんな脳天気に言われても困る。もちろん時間が迫っていることは当の本人が一番よく理解しているだろうから言わないが、とりあえず何かにつけて自分に質問したがるのは勘弁して欲しいものだ。もし間違いを教えれば目も当てられないというもの……と、そこまで無言の愚痴を綴ったところで携帯端末がブルブルと震えた。素早く取り出し一瞥した彼は、やれやれといった様子でため息をついた。
「すまん、ちょっと出てくる」
「呼び出し?」
その問いに肯定を返すと、娘の声はいかにもつまらなそうな調子に変わる。
「……今日はずっと家にいるって言ってたじゃん」
「文句は部下に言ってくれ、どうも面倒ごとを起こしたらしい」
そして彼はさっさと支度を整えてゆく。隣の部屋で愛用のジャケットをひったくり、そこに袖を通す。鞄に読みかけの資料を放り込み、そこで帽子がないことに気付いた。居間に置きっぱなしにしていたようだ。
「なぁ、帽子取ってもらえるか? 例の山高帽」
「あいー」
少女は立ち上がってぱたぱたと動く気配、大した間も置かずにすぐやってきた。
「はいこれ」
「ありがとう」
山高帽を被る。すると視界の中の娘は、どこか訝しげな表情をしていた。
「……なんで山高帽? というか軍服じゃないの?」
彼女の指摘はもっともだ。彼はこれでも軍人、それも現役の軍人だ。今年は変なタイミングで休暇を取らされていたのだが……そんな彼が呼び出しというのに軍服を着ないのは、いったいどういう風の吹き回しだろうか。
「相手が民間だ、軍服で行ったら高圧的にみられる……詫びに行くわけだからな」
いったいどういう風に話をつければいいのやら、山高帽を被った彼はそう肩を竦めてみせる。対する少女は小首をかしげて意味ありげに笑った。
「……ところでさ、お父さんにはもうひとり詫びを入れなきゃいけない娘がいると思うんだけど?」
「ほぉ、親に対して謝罪を要求するとは」
休暇といっても時期が時期だ。彼はどこかに出かけるのではなく、たまった書類をのんびりと眺めつつ娘の勉強をみるという話になっていたのである。しかし彼は先生ではないし、勉強を見るというのはあくまでついでの約束だ。
「でも、約束を破ったには破ったよね?」
「はいはい……考えとくよ」
そう言いながら彼は鞄を引っ提げ、居間から出ていこうとする。
「あそうだ、そういえばさ。あいや、いまの話とは関係ないよ? でも今度立川飛行場で――――」
続く言葉は分かっている。彼は断ち切るように言い切った。
「じゃあ詫びの品は抹茶アイスでいいな?」
「バカぁ!」
娘の言葉に、父は高笑いで応じる。そんな昼下がりである。
そんな昼下がりであったのだ。
父、
しかし、そんなことは考えていられない。すでに飯田の『仕事』は始まっているのだ。
頭の中から雑念を追い払い、鋭く歩く先を見つめる。1ブロックも歩きそこそこ大きな通りに出ると、自転車や自動車がのんびりと走る通りの中央にある路面電車の停留所に向かう。すでに電車はこちらへとやってきていた。通りを覆うかのように張り巡らされた空中線から電力をもらい、遅くもなく早くもない速度でやってくる路面電車。都民の主要な短距離交通手段であり、開業から一世紀以上が経過した今なお活躍し続けている。鉄道を名乗るには遅くて、輸送可能な積載物も限られる。それでも未だ現役の路面電車。交通機関にはそれぞれ役割がある。鉄道や地下鉄を血管とするならば、路面電車は毛細血管といえる存在というわけだ。
電車が到着。二両の短い車両から人影を二三吐き出す。飯田はそれに入れ替わるように乗り込み、交通系ICカードを読み取り機に押し付けた。
発進、大窓の向こうの景色が流れ始める。自動車を追い越しながら進んでいく車両。通勤ラッシュでもなければ車内は割合空いており、座ろうと思えば座れるような状況。車内アナウンスが次の駅を告げ、無人の停留所が運転席の窓越しに見えてくる。誰も降車ボタンを押すことなく通過。
そんな調子で次の停留所も通過するかに思われたが、そこで飯田が待ったをかけた。彼はまさにギリギリのタイミングで降車ボタンに手をかけ、電車は慌てたように――もちろん、全然慌ててなどいないのだが――停車する。そこから素早く停留所に降り立てば、丁度上手い具合に信号機が赤に。自動車の流れが止まり、飯田は車道を横切る。
そしてすぐさま、路肩でエンジンを吹かす黒塗りの乗用車へと取り付く。やや世代遅れかも知れないが、市街地の路肩に止めておくにはやや刺激が強すぎる黒。飯田は窓を叩く。電動モーターが作動し、窓がわずかに沈む。
その先にいたのは、意外なことにそれは見知った顔だった。
「ご無沙汰しております。中佐」
「小牧か……? なんでこんなところに」
そう飯田が言うと、小牧はニコリともせずに続ける。
「ひとまずお乗り下さい」
言われて飯田は後部ドアより自動車の中へ。ドアが閉まるか閉まらないかのうちに自動車は滑り出し、慣性の法則が飯田を柔らかくシートに押し付ける。
「……久しぶりだな、最近どうしていた?」
「半島です」
それ以上を言う気はないのだろう、小牧は押し黙る。彼の勤める海軍情報局のことを考えるならそれは当たり前のことであり、別に飯田としてもこれ以上問い詰める気もなかった。
そんなことよりも問題なのは、彼……即ち『海軍情報局』の人間が出てきているということだ。
海軍情報局。それは海軍省の内局の一つである。
「一度入れば二度と艦隊には戻れない」……海軍の人間でなくとも知っている言葉だ。
一九四八年に発生した日本海軍のとある巡洋艦で発生した大規模反乱は、エリート層たる海軍士官にも共産主義の浸透を許していることを知らしめる事件となった。欧州全土を席巻しつつある赤軍との戦い。それに耐えうるには、裏切り者の発生を許すわけにはいかない。
しかし、一度海へと出れば運命共同体となる海軍において、
それゆえに、その汚れ仕事を担うために設立されたのが海軍情報局。共産主義との戦いが一段落した今現在においても、海軍組織における防諜活動を行っている。
そんな諜報組織が飯田の前に現れる。それが持つ意味は大きい。
「
「特には」
ミラーに映る小牧の顔は、やはり動かない。
「そうか……何分で着く?」
「少々
車内は沈黙に沈む。舗装された市街道路の上を進んでいく乗用車、目指す先は――――霞ヶ関の海軍省だ。
飯田孝介、彼は大日本帝国海軍の血を引く日本国自衛海軍の中佐である。30代で佐官に滑り込んだ彼は既に幕僚課程を修了。かつて軍令部と呼ばれていた海軍幕僚部に勤務している。
とはいえ所詮は中佐。彼がこのように面倒かつやけに準備のいい手段で
飯田は後部座席に置かれたそれを見る。どこからどう見てもありふれた新聞紙、日付は今日のもの。問題なのは発行元だ。
「琉球か……」
置かれていたのは沖縄県の地方新聞。飯田はそれに向けて何の感情もなく呟くと、自身の携帯端末に表示されたメッセージの内容をもう一度確認する。
『
十束剣。日本神話に登場するスサノヲがヤマタノオロチを切り刻んだ剣のことである。しかし日本神話を見れば、十束剣は
そして、天叢雲剣。それは天皇の武力の象徴。
琉球で、とんでもないことが起こりつつある。ヤマタノオロチを倒しても、真に必要な力が手に入らなかったというのだ。それはつまり、この国の国防を根本から揺るがしかねない事態が起きているということ――――とりあえず、飯田はそう解釈した。
飯田孝介は手を組み合わせ、しばし沈黙する。
飯田孝介は、海軍幕僚長補佐官であった。
二十四時間体制を求められる組織というのは、人材を交代制で配置する。だから飯田は今日という日を休むことが出来ていた訳だが、非常事態となれば人材は多いにこしたことはない。
そのために海軍省内の奥に設置されている海軍幕僚部――一昔前は、「軍令部」と呼ばれていた部署だ――は普段以上に人でごった返していた。省に着くと同時に着替えを済まし、飯田もその人ごみに混じる。彼と同様に呼び出されてきたのだろう、何人かの佐官が慌ただしく資料を捲り、その擦れあうのが幾重にも重なったが故に聞いたこともないメロディが生まれる。
そんな中を縫うように進み飯田はようやく、目的の人物にたどり着いた。
「遅れました」
「いや、こちらこそすまんな、貴様の休暇を台無しにしてしまって」
「何をすればよろしいですか?」
何が起こっているか。などとは聞くまい。飯田はそこまで偉くないし、必要な情報があればそれは逐一説明されるだろうからだ。
「ついてこい」
飯田の上司、即ち海軍幕僚長である
飯田は低く返事を返し、彼の後についてゆく。どうやら大迫は、飯田が出てきたばかりの駐車場へと向かっているようだ。
歩きつつ、海軍幕僚長は小さく漏らした。
「……八分前に、統合幕僚本部が幕僚会議の招集を行った。既に状況は海軍の手を離れている」
海軍の手を離れている。
それはつまり、先程までは海軍
そこまで考えを回した時、飯田の頭には当然二週間ほど前の出来事が蘇ってきた。
「第二機動艦隊……」
飯田が呟くように漏らしたが、大迫は歩き続ける。無言は肯定か、はたまた聞こえていないだけなのか。道を示すように歩く大迫に追従しつつ、飯田は考えを纏める。
第二機動艦隊。
知っての通り呉を母港とする空母打撃群の名称だ。旗艦を七万t級航空母艦「日向」に据え、八隻の護衛艦により構成されている。60機程度の航空機を有し、『日本の中庭』とも言われる中部太平洋を守備範囲としている。
で、この機動艦隊なのだが、実はある特殊な任務に就いているのである。
――――「日向」被撃沈?
そんな文章が頭をよぎる。疑問形になったあたり、組織人特有の身内びいきなのだが……しかし飯田はえこひいきなどではなく現実的理由から即座にそれを打ち消した。七万の巨体を誇る日向級航空母艦がそう簡単に沈むはずはなく。そしてなにより、航空母艦の被撃沈なら別のシナリオが用意されているはずである。
……そしてなにより、あの文章だ。軍令部を出ても続く赤絨毯を視界の端に、飯田は内心で顔をしかめた。
『
だが、不思議なことに飯田にはその意味が分かった。理由は飯田が古典に精通していたからではない。つい最近、この話を聞いたのである。
――――それも、他でもない大迫善光その人から。
事が起こるのが分かっていたということか? それにしたって回りくどいやり方である。海軍幕僚長の職にある彼は多くの海軍軍人と同様、整合性を第一とする人間であるはずだ。少なくとも職務においてはそれを貫くはずなのだ。目の前を歩く上司に対して浮かび上がる小さな疑念。当然気にしていられないので、頭の片隅に留めつつも……今は考えないことにする。
更新が遅れ気味な昇降機で駐車場へ……いや、駐車場の階では止まらない。階を示すランプが消え、昇降機はそのまま地下へと降りていく。海軍省の地下には地下鉄有楽町線への引き込み線が存在する。これで要人や機密書類の輸送を容易にしているのである。
「五分後に入間への臨電が出る。まるで貴様を待っていたかのようなダイヤだな」
私は四十分も待たされたんだぞ? 背中で笑う大迫。念のため言っておくと要請から四十分で臨時ダイヤが組め、そして列車を手配できるのは官民双方の努力の賜物なのだが……しかし飯田は小さな疑問符を浮かべる。
「入間ですか……?」
統合幕僚本部――統合幕僚長より統幕会議の招集がかかった際の集合場所――が設置されているのは府中だ。入間ではない。
入間と言えば航空総軍の司令部、そして……
「……一防」
まるで
一防。第一防空指揮所とは――――全面核戦争を想定した施設であった。