第46話 深淵へ落ちて
宮原は積み重なった書類を一枚一枚精査し、ホワイトボードに殴り書きを増やしていった。オウルストライク作戦遂行は順調だが、宮原は警戒すべき状況に置かれていた。
キスカ島占領。あの因縁と向き合わなければならない。そして、衛星写真に不可解な施設が確認されたのだ。恐らく、深海側が何かしらの陣地を築いているのだ。そして、自分がそこにいた時にはなかった滑走路まである。何かがあるのだ。
「……霞、UAVからの情報は?」
宮原はホワイトボードに向き合ったまま霞に声をかける。霞はため息をひとつついてそれに答えた。
「撃ち落とされたわ。小型のロケットみたいなものを撃ち込まれたそうよ。」
「地上からか?」
「地上から撃ってきた兆候がないみたい。空からね。」
そんな馬鹿な、宮原は天を仰いだ。もう少しで何かが探れたのに、それがダメになってしまったのだ。
「斥候を送るしかないな。水雷戦隊で海から偵察、即座に離脱。無理はできないからな。一応バッグアップの主力艦隊を後方に配置する。霞、斥候を頼む。」
宮原は決断した。神通を旗艦として、霞、白露、黒坂のところから借りた吹雪、陽炎、久坂から借りた不知火を投入する事にした。胸騒ぎがするのを自分が失敗を恐れているからだと言い聞かせ、艦娘を信じて送り出す事にした。
鎮守府はいつも通りに艦娘を送り出すための準備が始まる。工廠も何もがいつも通り順調だった。それでも、宮原の胸には晴れない靄がかかっていた。
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「鵜久森たちが戻らない?」
黒坂は山先と鶴保の報告を聞き、驚愕の表情を浮かべた。演習に向かった鵜久森、石飛、渡の3名がルートを外れ、そのまま戻らないとのことだ。
「はい。地上管制によると、そのままレーダーからロスト、行方が分からないとのことです。現在衛星で捜索中。」
おかしい。黒坂は違和感を感じる。航法装置の故障は考えづらい。無線が故障したにしても、味方基地に着陸することもなく行方知れずとは不可解過ぎた。黒坂の脳裏に物集の顔がよぎる。
「妖精の零戦って、トランスポンダーとか積んでなかったか?」
「スイッチが切られているようです。飛行ルートは解析中。」
黒坂の中で不安が大きくなり始めた。何かがおかしい。ピースが一つ一つ繋がり、形作っていくように、何かが起きるような気がしていた。
その不安がまるで的中したかのように、黒坂の元へ電話が舞い込んだ。宮原からの電話だった。
「もしもし?」
『すまない黒坂……吹雪が……!』
憔悴しきった宮原の声に、黒坂は膝が震え始めたのを感じた。久しぶりに味わう、恐怖の感覚だった。
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「加賀、こいつはなんだ?」
久坂は加賀が持ってきた衛星から撮った写真を見て眉間にシワを寄せていた。写真に写っているものはミサイルのようにも見えるが違う。深海棲艦の航空機にしてはプロペラもない。
「情報科によれば、新型機のようね。ロケット戦闘機。発射位置は不明。どこかに母機がいるかもしれないわ。」
「深海連中、なんか企んでるのか……?嫌な予感がするぜ……」
「そうね。提督、どうするおつもり?」
「情報がねーのに動けねえだろ。様子見するしかねえよ。黒坂のとこのアグレッサー帰したのは痛いな。」
「あら、うちの子たちも強くなったわよ? 少しは信用して頂戴。」
加賀は不満げに久坂を睨みつける。久坂はその場から逃げ出したくなったが、蛇に睨まれたカエルのように動けなくなってしまっていた。それを救ったのは一本の電話だった。宮原の電話だ。
「もっしー?」
『頼む久坂、手を貸してくれ!』
親友のただならぬ雰囲気に、久坂の目に光が宿った。
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連絡の5時間前、斥候として水雷戦隊を出撃させた宮原は通信と艦娘の艤装につけたカメラからの情報を頼りに指揮を取っていた。UAVが何かに撃墜されてしまい、戦況を知るにはこれしかないのだ。
キスカへ艦隊が接近していく。霧が出ていた。電探への反応はない。薄気味悪い光景だった。宮原は因縁のある地ということもあり、手に汗を握っていた。
定時連絡も異常はないし、順調とも言える状況だ。間もなく偵察ポイント。キスカ島沿岸部にある謎の施設が今回の目標なのだ。これを偵察せずに今回の作戦は成功とは言えないし、この先にも影響するだろう。
沿岸部には強固な対空陣地が構成されている。偵察機は迂闊に近寄れない。とは言え海岸砲もあるから艦娘も絶対安全とは言い難い。
神通がカメラで沿岸部を撮影する。だが、霧が掛かっていて霞んでしまっている。接近すれば見えるかもしれないが、それは危険な賭けだった。
「神通、ある程度でいい。撤退しろ。」
『了解……電探に感あり! 反応は微弱!』
「艦種!」
『不明……あれは……』
その時、通信にノイズが入り始めた。画像も乱れている。ジャミングされているのだ。何かが艦隊に接近し、通信にジャミングをかけている。つまり、示すところは危険である。
「聞こえるか!? 神通! 撤収だ!」
無線はノイズが聞こえるばかりで反応はない。カメラもノイズで何も見えなくなりそうだった。その一瞬だけ、宮原にはあるものが映って見えた。それは、宮原にはよく見覚えのあるものだった。
「ゾディアックボート……? 深海棲艦……いや、奴らか!?」
深海側でゾディアックボートの扱いに長け、なおかつキスカ島を彷徨いているなんて言ったら相手は絞られる。宮原はそのゾディアックに乗っているのはかつて仲間だった陸上棲兵だと悟った。ならばこのジャミングも奴らの仕業だろう。
宮原には何もなすすべがなかった。ただ、艦娘の無事を祈るばかりだ。
それと同時刻、艦隊は混乱していた。突然現れたゾディアックボートと、それに乗る陸上棲兵が自動小銃で射撃してくるのだ。別段小銃弾くらいならば艤装から発しているシールドが防いでくれるが、そう分かっていても恐怖心を煽る。
そして、艦娘を混乱させたのはその相手が味方と同じ戦闘服を着ていたことと、肩にエンブレムを付けていたことだ。そのエンブレムは、艦娘たちによく見覚えのあるものだ。赤い月を背に鎌を振りかざす死神、剣が刺さってなお獲物に食らいつく猟犬。第3偵察小隊と第2偵察小隊のエンブレムだった。
「あれは……!」
「あのクズの部下!?」
「零士さんの……まさか!?」
不知火、霞、吹雪はいち早くそれに気づいた。とは言え顔に見覚えはない。吹雪が来た時にはもう死んでいた者たちなのだ。面識はない。だが、肩のエンブレムはよく覚えている。黒坂が付けていたからだ。
「電探にさらに感! 敵艦隊!」
神通が叫んだ次の瞬間、ほうだんが降り注いできた。あの陸上棲兵たちは前方観測員も兼ねていたのだ。引っ掻き回されている。
「撤退します! 煙幕!」
神通の指示に従って駆逐艦は煙幕を炊く。霧の中でさらに煙幕と敵の視界を遮るには十分だ。それが人間や深海棲艦の目を欺くだけなら。
煙幕を張ったのに敵の射撃が止まない。むしろ、精度を保ったまま撃ってくるのが厄介だ。煙幕を炊いた艦隊の方が敵を見失い、混乱するという始末である。
吹雪は煙幕を張る前に一瞬だけ見えた、89式小銃のスコープを思い出す。以前、入院していた黒坂のところに通っていた時、歩兵の装備を色々教えてもらった事がある。その中に似たようなものがあったのだ。
熱源を浮かび上がらせるサーマルスコープ。それによく似ていた。もしサーマルスコープだとしたら、煙幕と霧の中でも居場所が露見している説明がつく。
「神通さん!敵は熱源探知を使っています!」
「こんな時に……!」
「殿は任せてください! 早く撤退を!」
「危険です!」
「ちゃんとついていきますから!」
吹雪は後ろを向きながら艦隊に着いて行く。こんな時どうすればいいか、それは弾の飛んでくる方向から居場所を割り出すという方法だ。
曳光弾が飛んできた。敵の方向の見当をつけて砲撃する。当たったかどうかは分からないが、何か金属同士が激しくぶつかる音が聞こえた。
吹雪は砲撃を続ける。艦隊にはちゃんとついていけている。このまま戦闘区域を離脱できるかどうかというところで、再び砲弾が降りそそいで来た。吹雪と艦隊の間に砲弾が壁を作る。
砲撃が止む頃には、吹雪は艦隊とはぐれてしまっていた。逃げるのに必死で、霧の中で迷ってしまったのだ。戦域を離脱し、合流地点へ向かわなければならない。吹雪はGPSを確認するが、依然ジャミングにより何も映らない。そして、棒立ちで機器を操作していたのが命取りとなってしまった。
吹雪は突然首筋に流れた電流で失神してしまった。泳いでこっそり近寄ってきた陸上棲兵のスタンガンで気絶させられたのだ。
「……ペケ1つ。俺のバディならその場で反省命じるミスだぞ?」
曹長の階級章と死神のエンブレムを付けた彼は気絶した吹雪を曳航してゾディアックまで泳いで行き、そのまま連れ去って行った。
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帰還した艦隊が点呼を取り、吹雪が行方不明になったと判明し、そこから黒坂の久坂に連絡が入った。1週間に及ぶ捜索が行われ、航空救難団も出動したが、吹雪の姿も、艤装の破片すらも見つけることは叶わなかった。
黒坂の耳には申し訳なさそうに吹雪を
黒坂が何気なく開いたスマートフォンの画面には笑っている自分と吹雪がいる。2度とこの笑顔を見ることができないと思うと、黒坂は強烈な喪失感に身を引き裂かれそうになった。
轟沈扱いとなるに伴い、必要となるのは私物の整理だ。周りの声を押し切り、黒坂は自らその役目を負った。
吹雪の私物を一つ一つ丁寧にダンボールにしまっていく。元々綺麗に整頓されていたから、そんなに手間はかからない。
吹雪の私服を見て、黒坂は在りし日のことを思い出す。吹雪とよく街に出かけて買い物をしたこと、行き当たりばったりで行ってみた店で特盛パフェに挑んでみたり、疲れて寝た吹雪を負ぶって帰ったり……楽しい思い出がいくつも蘇って来た。その度に黒坂の胸は締め付けられ、涙が溢れて来た。
「これが……報いなのか……?」
黒坂は壁に背中を押しつけ、その場にしゃがみこんでしまう。足に力が入らない。義足も、無くなってしまったかのように動かない。動かせない。
ふと、隣の棚にあった一冊の本に目がいく。吹雪の日記だ。どうせ片付けるのだ。少し順番が狂ってもいいだろう。そして、吹雪は自分のことをどう思っていたのかが気になった。疎ましく思われていたのだろうか? あの笑顔は本物だったのだろうか? どんどん黒坂の思考はネガティヴな方向へと向かっていく。
表紙をめくって、その不安は吹き飛んでしまった。そこに貼ってあったのは黒坂の写真立てにあるのと同じ、退院した時に吹雪と撮った写真だった。
ページをめくっていく。艦娘になった日からのことが綴られていた。友達と沖縄の観光中に戦闘に巻き込まれ、助けられた時のこと。その時もらった戦闘帽に書いてあった所属部隊と名前を見て、探していたこと。そして、キスカでの再会。
『あの人を今日、ようやく見つけた。それなのに、私のせいであの人は大怪我をしてしまった。私のせいじゃない。そう笑っていたけど知っている。痛む傷に苦しんでいるその姿を。何かできることはないのかな……』
『零士さんが鎮守府に来る。高原中将にそれを教えられた時、中将の目の前なのにはしゃいじゃった……反省。でも、零士さんと一緒ならやれる気がする。それに、1人にしておくとまた泣いちゃうから……』
全くその通りだ。1人にされて、本当に泣いている。泣いてばかりで動き出せない。時村が死んだ時も、小隊のみんなが死んだ時も泣いた。何も出来なかった。生かされてばかりで、生かしてやれなかった。
もうたくさんだ。窓の外は月も星も見えない。何も見えない。もうこんなに苦しまなくていいだろう。片腕を、片足を、心を引き裂いて、これ以上何を苦しめられれば良いと言うのだろうか?
これは報いなのか? だとしたら教えてくれ。俺が間違っていたというのならば。
こんな記憶、一つ残らず忘れてしまいたい。黒坂は無力感と自責の念に打ちひしがれているうちに、自分の大腿部にホルスターが付いていることに気づいた。これの存在すら忘れていたのだ。
ホルスターから使い慣れたUSP拳銃を抜く。きっと、こいつはこの苦しみから、幻肢痛から救い出してくれるだろう。黒い鋼鉄とプラスチックの塊が救いに思えた。
傷だらけのスライドが今までの戦闘の激しさを物語る。この人生の終止符を打つにはおあつらえ向きだろう。
黒坂はこめかみに銃口を当て、瞳を閉じる。俺もそっちに行って話し相手になってやるから……
馴れた手つきでその引き金を引く。それより早く床を靴が蹴る音が聞こえた。そして、引き金は何かが引っかかって引くことは叶わず、撃鉄も落ちることはなかった。
「馬鹿な真似してるんじゃないわよこのクソ提督!」
そんな罵倒ですら、今の黒坂には救いに聞こえていた。