艦娘たちが不安そうに待つ泊地へ、2機のチヌークが着陸した。激しいダウンウォッシュがその辺の木の葉や紙切れを吹き上げ、砂埃が舞う。その向こうから、肩を支えられた黒坂が現れた。
「零士さん!」
「テートク!」
「心配するな。義足が壊れただけだ。」
黒坂の事を心配して吹雪と金剛が駆け寄ってくるが、黒坂は何事も無いように笑顔を見せた。正直、笑っていられるような精神状態では無いが、こうしないと2人を心配させてしまう。黒坂はそうさせないためにも作り笑いを浮かべたのだ。
「よかった……勝ったんですか?」
「ああ。ちゃんと眠らせてやったよ。いつまでもあんな姿にしておくのは可哀想だからね。」
黒坂の戦闘服は血が滲んでいる。返り血ではない。あちこちに飛び込んだり滑り込んだりして擦り傷を負ったのだ。戦闘服が擦れるたびに痛みが走り、黒坂は顔をしかめる。
「零士さん、早く治療を受けてください……私たちも戻りますから……」
「分かった。そうするよ……」
「おやおや。久々に見た黒坊主が何やらボロボロになってるな……」
黒坂は聞き覚えのある声が後ろからしたのに気付き、振り向いた。そこには短くしても直らない天然パーマで今にも死にそうな目の久坂だった。
「久坂? 死んだはずじゃ……」
「残念だったな、トリックだよ……って勝手に殺すなよ! エンジェルアローやってて、補給がてらに寄っただけだっての……つーか、お前の方が今にも死にそうに見えるんだけどよ、航空救難団呼ぶか?」
「お前は救急車呼ぶぞ? 甘い物ばかり食いやがって……そのうち
「そんなこと言ったらこの世の全員無間地獄行き確定ですよーっと。んじゃ、俺そろそろ帰るからよろしく。」
「よろしくもクソも、俺も帰るんだよ。」
黒坂は苦笑いを浮かべつつため息をついた。久坂はそんな黒坂に飴玉を一つ投げ渡すと、それじゃあなと手を振って去って行ってしまった。もうすぐ迎えのヘリが来る。黒坂は金剛に支えられてヘリポートへと向かって行った。
ちなみに、久坂に投げ渡された飴玉はサイダー味だった。
ーーーーー
その数日後、黒坂の手元へ封筒が届いていた。大本営からの書類で、機密と印が押されている。執務室には黒坂しかいない。信頼している吹雪ですらも退室させていた。
封筒には報告書と手紙が入っていた。報告書は以前、回収された牧原の遺体と、渡されたSDカードを調べた結果だ。深海棲艦に繋がる何かしらの手掛かりが掴めたようだ。
深海棲艦には2タイプある。オリジナルの深海棲艦と、艦娘などがなったタイプの2つだ。深海棲艦は再生能力の高い細胞を持つ、独立した知的生命体であるという情報がSDカードの中に入っていたという。時村はどこまで深く調べたのだろうか。
艦娘が深海棲艦になるメカニズムとしては、ある程度弱っているところに傷口から細胞を植え付けるなどして感染させると、深海棲艦になるとの事だ。死体でも寄生はできるが、かなり能力の劣る個体になるとの事だ。
強力な再生能力を誇るとはいえ、深海棲艦の細胞、通称、深海細胞も細胞分裂できる回数には限りがあり、限度を超えるダメージを受け、分裂できなくなると細胞そのものが死滅する。深海棲艦から艦娘に戻る理由としてはこれが原因と見られているようだ。(もちろん、この時に片腕を切断した場合は再生できるところまで再生して、傷が残されるようだ。熊野は幸運な部類に入るのだろう)
また、深海細胞は宿主に破壊衝動を起こさせたり、負の感情を増幅する事もあるようだ。寄生させる細胞に記憶を埋め込み、宿主にその記憶を受け継ぐ事もできる。そして、宿主のノウハウなど、戦闘能力もそのままに深海棲艦となるため、強い艦娘が寄生されるほど強い深海棲艦となり得るようだ。
時折確認されていた深海棲艦の使う言語は、人工言語のエスペラント語と完全に一致したという報告があった。
エスペラント語はポーランドの眼科医、ルドヴィゴ・ザメンホフによって考案された人工言語だが、どうやらルーツは深海棲艦にあったようだ。深海棲艦は人類との接触を図り、何かしらの手段を持って言語の記憶を埋め込んだ深海細胞をザメンホフに寄生させたのだろう。身体を乗っ取らず、記憶だけを移したのだ。それがジワジワと彼の記憶となり、あたかも思いついたかのように錯覚したのだと思われる。なぜ接触したのまでは掴めていない模様だが。
そして、陸上棲兵も大体深海棲艦と同じような作られ方をする。特記事項は、オリジナルが存在しないこと。全て戦死、または瀕死で落伍したりした者がなるようだ。
これだけの情報を得て、黒坂は天を仰いだ。どう対処すればいいというのだろう。まずは艦娘がやられないように対処する事が第一だ。これは指揮によっては全員生還させられるため、クリアとしよう。では陸上棲兵はどうするか? 歩兵は全員生還というのが難しいのだ。
そして、最後に手紙を見た。高原からのものだ。
「……なんだと?」
黒坂は目を疑った。高原からの情報では、物集が離反を目論んでいるとの事だ。詳しい事は不明だが、軍内部でも同調する者が少なからずいるという事らしい。読み進めて、黒坂は怒りを感じた。
とはいえ、物集はどこへ寝返るのだろうか?どこかの国へ寝返るというのが妥当だろう。艦娘を欲しがる国は多い。近場で言えばロシアか中国辺りだろう。とは言え、他の可能性も捨てられない。この鎮守府にモサドが入り込んできたことも考えれば、艦娘を手土産にすればあちこちに行けるのだろう。
しかしそれは絞り込む手がかりにはならない。考えられる選択肢は無数、物集の選択肢は1つ。どうすればいいのだろうか。
そんな時、電話が鳴った。黒坂は思考を切り替えてその電話に出る。
「はい、佐世保鎮守府司令官黒坂少佐。」
「うーす、宮原中佐Death!」
「よしくたばれ。」
「このクソ提督!」
宮原といつも通りの軽口を叩き合い、黒坂はクスリと笑う。電話の向こうでも宮原が笑う声が聞こえた。
「元気そうで何よりだ。んで本題なんだが、そっちの駆逐艦を何人か借りれないか?」
「なんかデカイ作戦でもやるのか?」
「ご名答。キスカ島で何か動きがあるから精鋭の水雷戦隊で偵察する。で、駆逐艦が不足してて……」
黒坂は溜息をついた。ストレイキャッツはある程度進行し、今の所駆逐艦はあまり出番がない。ならば支援に向かわせるのも1つだろう。足並みをそろえなければならないのだから、自分だけ先に行くわけにはいかない。
「了解。弥生と陽炎と皐月と……吹雪でどうだ?」
「吹雪お前の所のエースじゃん。それは助かる。お前が寂しがってくたばらないよう早いとこ終わらせるから安心してくれよ。」
「吹雪に手を出したら親友だろうとブチ殺すから覚えておけよ。」
「わかってるわかってる。お前のとこの艦娘はちゃんと大切に扱うから。」
「艦娘は全員大切に扱ってやれよ。」
「俺の扱いは酷いけどな。」
宮原はいつも通りに軽口を言う。また霞に罵倒されているのだろうか。そろそろ宮原の胃袋が心配になってくる頃だ。吹雪に胃薬も持って行かせようかと黒坂は考えていた。
「まあ、とりあえず艦娘を明後日には出発させる。物集の件もあるから気をつけろよ。」
「了解。またな。」
宮原はそうして電話を切る。外を見ると、青空にいくつもの白線が伸びていた。どこまでも伸びていくその線を引く零戦の翼は、陽の光を浴びて輝いていた。
「そういえば、鵜久森と石飛が演習に行ってるんだっけ……」
黒坂は不在の間の書類を整理し、現在の状況を把握しようとその日の時間を使った。運命はゆっくりと進んでいるということに、黒坂は気づくことはなかった。
ーーーーー
吹雪は花束を持ち、ある病室を訪れていた。これが夢だと気付いたのは、ずっと前にこんなことがあったからだ。病室の入り口には黒坂零士中尉とプレートが付けられている。そう、キスカで吹雪を庇った黒坂の見舞いに来ていたのだ。吹雪は呼吸を整えると、扉をノックした。
「吹雪、入ります!」
教育隊で習った入室要領を守り、病室に入る。冬は日が落ちるのが早い。吹雪は予定が詰まっていて、黒坂の見舞いが出来るのは19時以降となり、特別に時間外の見舞いが許されていた。
窓の外は既に暗く、街の光が絶えた代わりに空には星と月が輝いている。ベッドの上に座る黒髪の狙撃手は、あの時の戦闘服ではなく病人着で、体のあちこちを包帯に覆われ、猛禽を思わせる鋭さと、黒く輝いていた目はなく、死魚のような力の無く、瞳はくすんでいるように思えた。
わざと部屋の電気を消していないのだろうか、暗い部屋の中で佇む彼は暗い洞窟の中で死を待つ傷ついた狼に思える。下半身を覆う布団は、あるべき膨らみがひとつ足りない。満身創痍だ。
「黒坂中尉……その……お見舞いに来ました!」
黒坂はその声に反応したのか、ゆっくりと振り返る。吹雪は光を失った黒い瞳に吸い込まれてしまいそうな感覚がした。底冷えするような、恐怖心を煽るような感覚だ。
「……そう。」
黒坂は最低限しか話さない。まるで抜け殻だ。無理もない。あの悲惨な戦場で、生きて帰ってこられただけでも奇跡なのだから。
再び空を見上げる黒坂の口からは歌が漏れ出していた。
吹雪は時間を見つけては黒坂の元へ通った。話しかけても最低限の返答しか返ってこない。まるで、心をどこかに置いてきてしまったかのように。それでも吹雪は黒坂に話しかけ続けた。
黒坂は日が経つにつれて髪は伸びてボサボサになっていく。吹雪はそんな黒坂の髪を切る事にした。
黒坂の黒髪は1本1本がしっかりしている。抜いて根元を持てば髪がピンと立つのだ。それを丸刈りにしておくのはもったいなく思え、あえてショートヘアーにする事にした。
椅子に座り、髪を切られている間の黒坂は寝ているかのようだった。
「……なんで、俺の所へ頻繁に来る……?」
黒坂の口からポツリと言葉が漏れた。吹雪はそんな黒坂の変化に驚き、少し表情に出してしまうがすぐにとり繕い、笑顔でそれに答えることにした。
「元気になって欲しいからです。黒坂中尉は笑っていて欲しいんです……」
「……俺に気にかける時間があったら、もっと有効活用すればいい。」
「これが、私にとっての有効活用なんです。」
黒坂は吹雪を知らない。だが吹雪は黒坂を知っている。2度も黒坂に救われたのだ。忘れるはずもない。黒坂からもらった戦闘帽を未だに宝物として持っているくらいなのだ。
「もう一度……笑ってくれますか?」
ーーーーー
眼が覚め、まずは腕時計を見る。黒坂とお揃いの黒い腕時計は午前3時を指していた。吹雪は起き上がると、適当な部屋着に着替えて廊下に出る。黒坂の居室へ行くためだ。ちなみに、黒坂は部屋替えの時に1人部屋へ配置換えとなっていた。
吹雪は黒坂の部屋のドアをこっそりと開ける。その先にはジャージのズボンに戦闘服の上衣という、所謂ジャー戦の格好の黒坂がいた。どうやら自動販売機で飲み物を買ってきていたらしい。
「ん、眠れなかった?」
「起きちゃったので、一緒にいてもいいですか?」
「いいよ。明日は休暇だし、ゆっくりしていくといい。」
黒坂が断らないことは知っている。吹雪は部屋に入ると、ベッドを椅子代わりに使っている黒坂の隣に座り、肩が密着するくらい近づいた。そして、頭を黒坂に預ける。いつも通りで、何度もしてきたことなのにその度に鼓動が早くなり、表現しがたい心地の良い感覚がする。それは黒坂も同じなようで、照れ臭そうに目を泳がせている。
「零士さん、まだ鍛えてるんですね……腕、がっしりです…♪」
「いつでも戦えるようにしてるんだ。自分の身くらい自分で守らなきゃ、吹雪たちが安心して戦えないだろう?」
「そうですね……それに、こうやって使えますから……♪」
吹雪は黒坂の上半身を思い切り押す。予想していなかった黒坂はそのまま仰向けにベッドに押し倒された。そして、吹雪は黒坂の腕を枕代わりにして寝転ぶ。
「やれやれ、これが目的?」
「はい……ちょっとだけ、お休みします♪」
「仕方ないな……腕が痺れたら、仕事手伝ってくれよ?」
黒坂はやれやれとばかりに1つため息をつく。そんな黒坂に対して吹雪はあの時と同じ言葉を投げかけた。
「もう一度……笑ってくれますか?」
なぜそういうことを言うのだろうかと黒坂は疑問に思ったのかもしれない。少しだけキョトンとした顔になった後、いつも通りの柔らかな笑みを浮かべて見せた。
「これでいいかい?」
「はい!」
吹雪はそれにつられて笑っていた。